
はてなキーワード:サグとは
面白いにも種類があったとかその類の話だよ
でもジャッカス見て腹抱えて笑う人は沢山いるんだよ。
でも増田達はコンプラが〜とか、『こんなので笑う人の人間性がわからん』とか言うじゃん。←特にこの言葉を一回でも言った奴は「面白い人がいなくなった」とかいう言葉を言う権利消えたと思った方がいい。お前が殺したから。
そりゃ、引っ込むよね。面白いと思ってもらいたくてやったのに、一生傍観者でいるだけのやつに偉そうな言葉を投げつけられたんだから。
そんなんで引っ込むならやらないで欲しいとか、金を出す訳でも、場所を提供するでもないゴミクソに宣われる訳だからな。
いやほんと、その程度の問題なのよ。
ネットの一部での評価がグサグサと刺さるから、もう目立つ場所に置いてほしくない、その程度の話。
それもこれも『お前らが面白いと思ったものを誰でもグチャグチャにしてもいい場所に置いてしまったから』“お前らは当事者なのに、いつまでもお客様のつもりでいるから”
面白い人がいなくなったらお前が面白い人がやってくれた面白いことをやればいいのに
それをやらないから
お前が暇で、お前が思う面白いを表現したいな、と思ったら、なんか優しく扱ってくれる人達の前でそれをやればいいと思うよ。
その時にようやくわかるんじゃないかな。
とりあえずマチアプに登録すれば、まともな人間ならいいね自体は来るはずだ。清潔感も多少気を配り年収もそこそならマッチング自体はする。
顔もバケモノじゃなければ大丈夫である。バケモノの自覚がある人は整形でもなんでもしてくれ。
問題は「自分が追い求めるレベル」とマッチングしないことにある。
しかも「これぐらいなら妥協してもいいか」と思っていたレベルをガッツリ下回ってくるのだ。
「ちょっと待って。自分はこの怪物レベルとしか結婚できないのか?」みたいなことになっているという、非常に大きな問題が出現するわけだ。
つまり、相手を全く選ばなければ、結婚自体は誰でもできるのであるが、さすがに少しは選びたくて、でも少し選ぼうとすると全滅、という状態なのである。
これがほとんど全先進国の人間に降り掛かっているのが現代の有り様だ。
やはり、いくら結婚したいからと言っても誰でもなんでもいいわけではないはずだ。人生をずっと共にするわけであるし。
恋愛や結婚というのは必ずしも市場の法則には従わないが、お互い見ず知らずの赤の他人なら外から見える価値が重要になる。
「相手のレベルを落とさず、自分のレベルも上げないまま婚活成功したい」とかいうのは難しい。
お前はイヤイヤ期かということになる。「100円あげるから200円ちょうだい」ぐらい意味不明なのだが、平気でそういうことを言う大人たちがいる。不思議なことだ。
そして、この厳しい現実から目を背けている者が多い。ここを正面から食い破ると基本的に成功する。
レベルアップが難しいのは、自分が意識的あるいは無意識的に見ないようにしてきた自分の嫌な部分を消すとか、自分の良い点を伸ばすとかにある。
人生をサボってきた人間は、あまりの恐怖でこれを直視できない。自分の人生や自分の存在の全否定に近いところがあるからだ。
自分が何をやってこなかったかがよくわかり、直視して初めて焦るわけだ。また、本気で変えようとすると他人からよく突きつけられる。
他人は「この状態のこの人なら言っても良さそうだな」と判断して善意でグサグサと刺してくるのだ。
そこでまた蓋を閉じるかどうにか足掻くかを選択しなければならない。ほとんどはここで蓋を閉じる。「婚活 "ごとき"」で、そんな自分を品定めされるなんてごめんだ、自分はもっと価値のある人間なんだと。見なかったことにする。
そして逆に、足掻くのは非常にみっともないものだ。
「いまさらそんなことやってんのかよ」「いま気付いたんかよ」「いままでお前それバカにしてなかったっけ」
別に誰も言わなくても、過去の自分の積み重ねがそう言って刺してくる。
どこをサボっていたのかは自分がいちばんわかっているはずなのだ。
自分に目を向けない者が、異性に対してあーだこーだ文句を言う。
レベルアップすると前より高いレベルの異性と知り合うので、変に欲が出てくることがあるかもしれない。
しかしタイムリミットというものもある。適当なところ、自分が「ここで良し」と思えるところで落ち着くのがよいと思う。
ひとたびレベルアップすると「自分モテてるー!」と思う人もあるかもしれない。
しかしそのモテてるというのは人生モテてきた一軍が数十年前に通ってきた道なので、慢心は慎まなければならない。
また、不特定多数からモテなくても、ターゲティングした人物から好かれたなら何も問題はない。モテはあくまで母数増加のためでしかないので、モテモテだからといって狙った相手と結婚できるとは限らない。
モテてから、つまりスーパーサイヤ人になって初めて本当の戦いが始まり、別のスーパーサイヤ人の存在も見えるのだ。
だが成功している人は大抵、その屈辱をくぐり抜けているのである。
グッドラック。
親が英語教育だと言って幼稚園の頃から英会話教室にぶち込まれた。
当時の自分は嫌というよりも、英語という言語が謎で何に使われていて何のためにやっているのかわからなかった。
日本語と文法が違うのが理解できず、主語?述語?なに?とずっとなってた。
親は家庭内で英語を急に出してくるし何回一日で「?」ってならなきゃいけないんだろうと思っていた。「習ったじゃない」と言われても何の話なのかわからなかった。四六時中考えることばっかりでいつもイライラしていた覚えがある。
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しかし小さい頃は中国語なんて話せないし、方言やら早口やらでみんなが何言っているのか謎だった。漢字も簡体字だし、わからない。
母は覚えさせたいのか中国語で話しかけることもある。わからなさ過ぎて「?」ってなっているとため息をつかれて「これもわからないか…」と勝手に失望している。
強制的中国語シャワーで兄弟らと一緒に謎の地で謎の孤立と謎のいら立ちを覚える帰省だった。親戚と対話はできず、母がいない状態になったら本当に死を感じるほどだった。
小さい頃は母に失望されるのが嫌で聞き取ろうとしても「私」が「我」ということだけで精いっぱいだった。
小学校の漢字や九九を覚えられずに居残りで覚えている状態の人間に、どんどんと新しい外国の文法と単語を教えてくる。覚えられないよと思っていたが嫌がると「せっかく教えているのに。もったいない」と言うので覚えるフリだけした。父も「もったいない。覚えれば得なのに」と逃げ道はなかった。
そして中学受験で国語の文法が最悪だったのを覚えている。敬語とかも。
『お家で会話する?』って先生に言われたことがあった。当時は食事中もいつも賑やかに話しているからそうだと頷いたが、きっとあれは『日本語がおかしいから、会話をしていないのではないか』と思われたんだと思う。
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まぁそんな感じで育ったのだが、中学の時点で英語はゴミな成績、中国語も你好と謝謝くらいしか知らん。
必死に英語を勉強してもそもそも日本語訳の文法でバツをくらう。選択肢も間違え、解説を読んでも日本語がそもそも理解できなかった。読めないのではなく、接続詞等で混乱していた。
脳内で変換バグが起きているのか、選択肢AとBはどちらとも長文からしてあり得るじゃん!と思って解説を読んでもAとB一緒じゃん!となって堂々巡りばかり。
高校の時小説を書くことがあったのだが、それをネットにあげた時についたコメントがある。
ショックだった。しかもエゴサしたら最悪な文章として『おそらく中国人が書いた』と掲示板に晒されていた。
『作者さんはもう少し文章を綺麗にできたらいいですね。変な脱字や文法が気になります』という真面目な批評の方が辛かった。
でもネットのコメントなんてそんなもんだと思って無視していた。
が、授業でレポートの添削を返された時に『句読点と「がをはに」がおかしいです。読み直しましたか?』とコメントされた。
ショックすぎて一人で泣いてしまった。これが一度や二度じゃない。
先生に指摘される。しかも高校になって。小学生ならもう少しダメージは少なかったと思う
自分でちゃんと、何度も読み返しても、読み直しても、何も違和感を覚えなかった。何が違うのかわからず、先生に聞いても『ここ違うけど(なんでわからないの?)』とリアクションされ、いかに自分がやばい状況かを感じてまた泣いた。
『前から気になっていたけど話し方(文法)がちょっと変じゃない?』
日本で産まれて日本で育ったのに、日本語がこんなに壊滅なんて。
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そして「あ~あ、せっかく母さんは英語も中国語も話せるのにお前らは覚えなかったなwwもったいな~ww」と父が事あるごとに言う。兄弟全員に向かって言う。受験中も、一緒に食事をした帰りにも、外国で活躍する人がニュースになったときも、思い出したかのように急に言う。母も同意して「そうよね~」「どうしてかしらね~」とぼやく。
でも父さんは話せていないと反論すれば「俺はこどものころからじゃないし」と言い訳する。母は「語学楽しいのに。私なんか身近に話せる人がいなかったけど、こんなに話せるようになったのに」と言う。
いつも「そんなの人による」と、不快だからやめてほしいと言っても止めない。「覚えれば得だったのに」「頭の良くない家系ってわかったよ」「英語できなかったのは事実じゃないか」と子を遠回しに馬鹿にして、自分のことを棚に上げる。
「そんなことより日本語を教えてほしかった。いろんな人からお前の日本語がおかしいと言われ続けた。バイリンガルだろうがトリリンガルだろうが、母国語がまともじゃないが一番嫌だ。一番傷つくんだ!小さいころから英語教育やら外国語の教育なんてただ混乱して終わっただけだった。母国語すら知らないのに外国語がわかるか!
それを子のせいだけにするような発言は二度とするな!なんで母さんや父さんは自分のことを棚に上げているんだ!」
親は黙った。明らかに目を反らして別の話題を始めやがった。一言「ごめんね」って建前でも欲しかったのに、結局そんなのは自分勝手だったんだなって思った。親のせいにしているだけなんだって。
でも兄弟だけは「そう思ってた」「あの発言いつもムカつくよな~」「他人事すぎるよな」とあとで教えてくれて、それだけが救いだった。
改めて日本語を勉強し直している。そんなこと知らなかったということばかりだった。接続詞って難しいね。「がをはに」って難しいね。カタカナって難しいね。
最近、ようやく会社で「増田さん、文章書くのが上手いね」と言われた。ようやく。ようやくだった。ようやく終わったんだなと思った。
今書いているこの文章も変なんだろうか。自分じゃわからない。また「へたくそ」って言われるかもしれないけど、吐きたかった。終わらせてくれ。
以下、池澤夏樹の文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。
川村裕子・訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性の立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙やLINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性、結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。
こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか。
田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女の青春と重なった第二次世界大戦の空気だろう。
後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。
余談だが、平安時代の著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊や生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。
話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり、政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想に燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。
なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティに所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか。趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。
人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である。
元カレの弟(帥宮敦道親王)からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズで和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注。
注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分は文学を研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部の感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮、自分は楽しむことが主である素人である。生活の種には到底できまい。
あまりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。
やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。
ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーンは日本人の日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおもぼのぼのの人生相談で「世界で一番面白い本は自分の日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。
思うのだが、本を読む男性が文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手の属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプの女性に片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分の片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちはゼロにはならない。
やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名でしか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。
困ったことに、他人に批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口は依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。
実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。
確かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。
なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分の感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。
実際、今は過去の出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能や暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか。
最終選考の電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。
だが、若い頃は創作によって自分の感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実を直視したほうがいい。事実を日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。
「結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹のリストにあったもの、神話物語、歴史書、それから江戸時代の物語だ。
まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に「日本霊異記」はKADOKAWAが現代語訳を出している。それから、神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。
歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから「吾妻鏡」も気になっている。この並びからは大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ、自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。
あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹の日本文学全集の現代語訳が訳者の個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである。
「好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。
あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。
読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから、卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。
同時に、自分の感受性がゆっくりと時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これからも古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。
そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。
確かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したことを意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。
叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分を幸せにしてくれる。
そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。
以上。
でもそれ、ジジィがやられて嬉しいのだろうかっていうね。「ババァ黙れよ」ってならんか?
接客に於ける老婆の役割は「威勢の良さ」くらいなもんだと思うんだけど
まあ、上品に店で上品な老婆が居ると嬉しいけどね。優しい老婆とかね(でもそれは女性や若い人が見てそう思うんであって、ジジィはどうなんだろ?)
つーか、ジジィはジジィが居る店に行けばいいと思う。それが出来るのは渋いジジィだと思う
(昔の西洋でも、なんなら日の本でも、紳士は男同士でつるんでいるイメージだ。おっぱい殆ど出ている女子が居る店に行く男はヤサグレ系というイメージ)
保育園とかでなにかあったら助けてもらわねば〜と思ってうちの子と仲良くしてくれてる子のママとかからママ友増やしてったわけ。
それと同時に同級生とかそういう別の友だちもいるんだけどさ、私は結婚とともに仕事辞めてて、夫は転勤族だからパートで勤めるのもままならんし〜(辞令出たらすぐ引っ越しかもだから)って感じで結局専業で過ごしてて
結婚願望や子育て願望のない学生時代の友達はどんどんキャリア重ねてて、話す内容も話し方とかも大人だなって感じるんだよね。あともう私と見えてるものが違うだろうなって感じがあって言葉を選んでくれてるのも察する。子どもか旦那の話ばかりしてしまった後に遠回しに旦那や子どもじゃなくて、あなた自身が最近興味持ってることとか、どうしてるのかが聞きたいよ、みたいに言われること(たぶん良かれと思って言ってくれてる)とかがある。会話しててもすぐに「それうちの旦那or子が好きで〜」とか友人からしたら他人でしかない人に結びつけて話してしまって申し訳ない…。
で、ママ友に会ったときにはそういう、キャリア断絶とか、子の母親としてしか自分に有用性?というか私らしさみたいなものを見いだせないこととか、会話するにしてもすぐ「夫が〜」か「うちの子が〜」でしか話し始められなくてそのたびに働いてる友達が微妙な顔してることとか愚痴るのよ。
そうすると慰めてくれるし、転勤族だからしょうがないとか、子育てしてるのハチャメチャ偉いとか言ってくれてありがたいしすごい気が楽になるけど、
やっぱ同級生の仕事の話聞くと、何も考えずに思いつきで行動して結果うまくいかなくて社会や周囲のせいにして愚痴ってる人みたいにも思えてくる。(そういう人が会社にいたり後輩や部下にいて扱いに困る的な会話を聞いてグサグサくる)
まあ実際のところ夫が転勤族なのは結婚前から知ってたし、当時勤めてたブラック企業から逃れる良いいいわけだと思って、結婚した。会社を良くするためのことは何もせず、労基にも言わず、逃げるように辞めて結婚して引っ越したのは事実だし、とはいえ転勤族だから子育てもせず家にいるのは体裁悪いし子どもがいないと…みたいな感じで子どもを欲しがったのも事実だし、同級生と話すと自分のバカで浅はかな部分を良くも悪くも突きつけられてる気がしてしんどい。
これどうなってんの?思ったより闇深そうで笑えない
736名無しさん@実況で競馬板アウト 2024/08/10(土)12:00:27.77ID:vvIfLzYd0
929三連単7-4-3 2024/08/04(日) 15:58:44.09ID:tnEkN9c3
https://tadaup.jp/f7b01120.png
wawawaのこの賭けやべーな
931三連単7-4-3sage 2024/08/04(日) 16:04:43.02ID:sFriJQmi
8月1日に起こった
933三連単7-4-3sage 2024/08/04(日) 16:57:24.91ID:09BNy1GS
わわわってササグリのとこか
なるほどな
真オンラインカジノの知りたい事全て答えてやる 159
元レスはhttps://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/keiba/1723248489/736
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●脳内の認知などを平和に鎮まらせておくために、私たちはいろいろな手段を試します。その中に、『食べ尽くす』や『甘いもの』に頼るということが入ってくる人は多い。私もいろんな理由で覚醒すべきときに覚醒が不足してしまうので、甘いものの所在はほぼ確実に記憶に入っている。コンビニを見ても、多くの人が質の高い甘いものを、お値段が高くても欠かせないことがよく分かる。
でもね、という警鐘。
健康保険が高過ぎて未加入の一般人が多いアメリカ、なのに、こんなに危険な人生が待っていても、あまり自覚無く食べ続けられる。その原因が、お金が少ない。長時間労働。だから働きながらおやつをつまむ。健康の知識と意識向上を促してくれる環境の不足。口に物を詰めたら言っても無駄なことを言わなくていい。忘れられる。不満を蓋する。個人が治療を受けられない病気の苦しみを次から次に背負う。もうなにか言う元気も無い。治安が保たれる…。
不満は、言わなければそれでいいのか?
脳内は、静まっていさえすればなんでもいいのか?
疑問を持ったり、よくよく考えて怒ったりすることはとにかく良くないからやめさえすればいいのか。果たして思考停止が『永遠の『宿題』の提出』の最適解なのか?
認知を正常に健全にしておくことはとても大切だけれど、いっぽうで、社会で作ってる普通の規格がはなはだ合わない私たちなので、まだまだこだわるところはこだわっていいのでは。「考え過ぎだよ」とたまにたしなめられると嬉しいくらい、私たちは確かに疲れている。でもやめないで考え過ぎることも物事によっては、必要なのではないかと。
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●【お一人さま視聴注意】
ずっと以前、ブログでも挙げていたんですよ。『とても分かりやすい説明をできる厳しいおねえさん』という表現で。
刺さりますよ~。心にグサグサですよ。新年から弁慶の仁王立ちですよ。
でも、よそでは聞けない言語化をしてくれるから、たまに大笑いしながら聞いてこれたんですよ。私はね。
私は自分がどう癒されたいかよりも、社会にどこなら許してもらえるかの場所をうかがいながら、歯車になって生きる運命なので相談所は利用しません。
ご指導によると、つまりは家庭を一企業のように運営、経営する覚悟をしてガッツいていかなきゃならなさそうですけど、私はそれができない特性持ちで、生きるだけでもうサバイバルなので。
が、客観的に見て、なるべくしてなってるお一人さまの独身者ってどんな生態なのかをはっきり言ってくれてるんですね。
・ボケーっとしてる。
……どういう意味? 私たちの大半は、ここまでたどり着けないんですよ。
タイムパフォーマンス(時間に対する生産性)だって、時計の時間で測られたら弱い。過集中スイッチが入ってからの時間で測ってもらえる環境じゃないと、私たちからは生産をあげていけないんですよ。だから私たちは社会に頭を下げ続ける。時計の時間じゃなくて、脳の気分が向いた時間で出した生産で報酬をください、すみませんが、あなた方の想定の働き方ではないかもしれませんが、すみませんが報酬をください、生きていけないんです、ってね。
https://www.youtube.com/watch?v=zTWnyrCAH08&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=84
https://www.youtube.com/watch?v=hSB82lXBaKc&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=88
https://www.youtube.com/watch?v=RVCcB0d8lqY&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=89
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※あとねー 耳掃除動画も目を離せないですよ 人さまの分泌物を大写しのサムネ画面は、ここに載せるのは自粛してますが。
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●発達支援のニーズがあるお子さんを、こういうところを利用してサポートしてもらうご家庭は多いかもしれません。
なにが変わるかというと、正規職員複数勤務で開きなさいというルールから、正規職員一人で、あとは非正規、もっとゆるく言うならパートの職員でも開いて営業していいですよと、そういうルールに変わるんだそうです。『朗報』と表現されるということは、人員が不足しているんだろうなと……。非正規の職員でも、教員や保育、看護師などをリタイアした、腕に覚えのある人たちに恵まれるといいなと願います。あとは、腰とか壊しやすそうなので、病気休暇とか労災適用とかの福利厚生も厚くなって欲しい。
個性的な子どもたちと関わりたい、若い人たちも自活していけるように、給料が増えて、専門知識の研修を受けやすくして、正規職員を雇いやすくなるともっと支援は充実するはず。
https://www.youtube.com/watch?v=K7tyRsRjzvk&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=83&t=3s
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Aはもてる男であった。もちろんもてるための努力はしているがそれは最低限、それはいってみりゃ無機質なもので、変に走ってアイデンティティをだす愚かで迷走し深夜に悩み泣く人とは真逆である。元が強いのだ。それは才能だ。
温暖化が進む現代のバレンタインは暑い。朝、彼が高校の、自分の靴箱をあけると。。。ではなく開ける前から、彼は驚いた。彼が見たのは自分のロッカーから垂れ落ちているチョコ。中で人がグサグサ刺され死体が中に詰まり血が滴り落ちているんじゃないかと思わせるように重力に従順なチョコ。彼が色盲じゃなくてよかった。朝日で脆くなったロッカーをコーティングをしながら、ついでに床に甘いワックスをかけている重力とそれは、いずれ高校をお菓子の家にしてしまうんじゃないかと怯えた。
ムジナイヌ科のタヌキあるいはイタチ科のアナグマの異名。渡瀬庄三郎によれば,東京以西では動物学上のタヌキを正しく〈タヌキ〉と呼ぶが,これは比較的新しいことばであり,古くはタヌキを指してムジあるいはムジナと呼び,アナグマをマミあるいはササグマと呼んだという。
迷信では、ムジナが「(人間を化かすとされる)タヌキと同じ穴で生活する習性をもつこと」に由来していると思われる。実際にアナグマが掘った巣をタヌキやキツネ、アライグマが共同利用することが確認されている[9]。
ことわざとしてはよく知ってるけど実際には見たことなくてよくわからない
コピペした習性のように他の動物の巣を利用して生きることもあるようだ
俺はたまご大好き!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
喰う!
俺はなんら恥じることなくたまごを食しているが、このゴミはすこし恥ずかしかった!
それにゴミ袋のスペースもあまり有効活用できていないようでもったいない!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
割ってシュート!
喰う!
落ち着いたら殻用袋をパンパンと挟み潰す!
さすが生命のゆりかご、硬てぇぜ!手のひらにグサグサ感じるぜ!
しかし目算通りスペースすっきり、粒が粗い粉状に近づいた!
袋が破けた!
…負けたぜ!
これは手を汚さずに殻を潰したいという俺の傲慢さへのバベル・ストライクと受け取った!
あぁ~あわかったよ神さンよ!
握りつぶせばいいんだろ!
俺にこの手を汚せと言うんだろ!
潰す!手のひらから血が流れようとも!
俺は!たまごを!食し続ける!
夕方のニュースで札幌の西友全部イオンが買収するって……イオンかマックスバリュになっちゃうんだって……。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3acb7529ed1aaee9048f7194c7fa3890393e5e9e
無印より西友の独自開発カレーがなかなか冒険的でかつ食べやすさもありバランスがとれてて味も安定してて価格も安くてすばらしかったのに。あのサグダールカレーもう食べられないんか???
西友ブランドだけじゃなくても西友だけでしかいれてない各国輸入食品とかお菓子とかアガベシロップのでかいやつとか国内の挑戦的なエスニックレトルトとか入れてるの最高だったのに。
そういうのもう西友だけなのにだってカルディとかジュピターで買うのとかとは全然違うんだよ!少し違うラインナップでそれが「西友にある」ってとこが面白かったし便利だったしきちんとおいしかったし自分に合ってた。
米菓類も少し目先の変わった仕入れでいいもの入っててしかもたまに商品が変わって面白かったのに!ガパオとかルーローハンとかのレトルトもかなりレベル高くて充実してて好きなのに!
トムヤムガイめちゃくちゃリピートしてる!このラインナップを見てくれ! https://www.seiyu.co.jp/pb/mo/instant/
ついでに店内で流れてる曲もめちゃくちゃいいのに!
イトーヨーカドーもなくなるのにこれからイオン一強になってしまうんか?
イオンも決して嫌いではないけどスーパー部門で売ってるカレーが高いのに面白くないラインナップなのが嫌なんだよ!
カレーに関しては西友は唯一無二レベルの存在だったのに悲しすぎる。
西友カレー本当に愛してる。後悔しない程度には少しずつ好きなカレーを買ってストックしておこうかな……本当に悲しい……泣いてしまうよ。
誰も見てない報告なんだけど、一昨年、去年と婚活の愚痴とか弱音を吐きにきてたんだけど、遂に結婚を前提とした彼氏ができました。
舐め腐った愚痴だったから厳しいコメントが多かったけど、応援のコメントくれた人もいて、本当にありがとうございました。
厳しいコメントの人もグサグサきたけどタメになりました。ありがとう。
ここのところは疲れてしまって年始にしか活動していなかったんだけど、すごい好き!というよりかは「この人となら落ち着いて話し合えそう」という人と出会えました。
自分が相手に何を与えられるか、違う意見だったときにどんな風に話し合えばいいかを考えて、助け合っていけたらいいなと思います。