
はてなキーワード:ゴミ箱とは
欲しいものすぐ見つかる?
たとえば文房具とかゴミ箱とかハンガーとか、そういうメジャー商品はすぐ見つかるけど、プチプチとかランチョンマットとかティッシュカバーとかのマイナーなラインナップのものを探す時って大抵どこにあるか分からなくて店内をうろうろして、結局諦めて店員さんに聞いたりしない?で、「そこになければ無いですね」とか言われたりして。
ネットで買えよとか言われても送料かかるしすぐ手に入れたいのに待つのダルいから、どうにかできないかと思って考えてたら、ちょっと楽になる方法見つけたんだよ。
結論から言う。ダイソーのアプリを入れて欲しいものを検索、そして商品詳細欄に書いてあるカテゴリーのコーナーに行って探す。
もう知ってる?知ってたらごめんね。でも知らない人でせっかちな人はぜひ入れて欲しい。めっちゃ楽だよ。
たとえばティッシュカバーだったらティッシュ置いてあるところ探しそうなものだけど、検索するとカテゴリのところに「リビング、テーブル」って書いてある。実際そのコーナーに行くと置いてあるし、わざわざティッシュ置いてあるあたりうろうろしなくて良くなる。
緩衝材だって、調べればカテゴリー:文具 になってるから文具コーナーに行けば置いてある。
すごくね?
今まで散々うろついて余分なものを買って結局当初の目的を果たせずハッピープライムパラダイムされてたのが無くなるんだぜ!?
個人的にめちゃくちゃ感動したのでここに共有させてもらう。
実在してるかは謎だよね
時間は永遠に続くって思われてるかもだけど、それは証明されてない
だから永遠って基本的には「ない」ものとして扱ったほうがよくない?
数学が「永遠(=無限)」を完全に排除したら、現代数学の99%以上が崩壊し、現代文明そのものが成り立たなくなります。
どれだけヤバいことになるか、段階的に見てみましょう。
1. 基礎の基礎が全部消える
•微積分が全滅(極限の概念が使えないので、ニュートンもライプニッツも泣く)
2.現代科学が死ぬ
•物理学:相対性理論、量子力学、電磁気学のほぼ全てが無限(極限操作)を使っている
•工学:フーリエ変換、信号処理、制御理論が使えなくなる →スマホ、テレビ、GPS、MRI、全部終わり
•コンピュータ科学:アルゴリズムの計算量解析(O(n), O(log n) など)が意味を失う
•暗号理論(RSAなど)が崩壊 →ネットバンキングもビットコインも即死
3.日常すら壊れる
• 「1リットルの牛乳を3人で均等に分ける」→ 0.333…リットルが定義できない
•円周率πが「3.14で打ち切り」になる →タイヤもロケットも正確に作れない
•地図アプリの最短経路計算が不可能になる(ダイクストラ法などが死ぬ)
結論:永遠(無限)を捨てたら人類は石器時代に逆戻り
無限を捨てると、現代数学は「巨大だけど有限な数までしか扱えない超巨大なそろばん」に成り下がります。
ロケットは飛ばない、インターネットは死ぬ、医療機器も止まる、経済も崩壊。
つまり、
「永遠(無限)」は人類が発明した「最も危険で、最も美しい爆弾」
捨てたら即死、抱えたままでもいつか爆発するかもしれない——
ゴミ箱が二つ用意されていてそこに入れていく。
あるとき「たくさん入れたのどっち。勘でいいから。」と言われる。
よくわからない質問である。同じサイズのゴミ袋なので入ってる量は見ればわかる。
なぜたくさん入れたのをわざわざ知りたいのか。作業前にそれぞれのゴミ箱に既に入ってたゴミの量も違う。
とにかく答えた方のゴミ袋が処理され、新たなゴミ袋がゴミ箱に入れられて、今度は「1/3ぐらい入れて」と言う。
いやなんの3分の1だよ。バラしてるものの1/3なのか、ゴミ袋に入る量に対する1/3なのか。
なんというか俺は発達障害の診断受けてるけど、むしろこういう指示が曖昧な人間こそ発達障害で、俺が発達障害に仕立て上げられてるって感じがしてくるんだが。
車のパンク直しのときも、タイヤの空気を抜くとき音がしなくなるまで抜けっていうけど、隣でシャワーでなんか洗い始めて音がするのかしないのかわからなくなるし。
dorawiiより
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おいヤク中イーロン・マスク。
お前らが好き好んで押しているその凍結というやつは、まさか論理的プロセスを経ていると本気で思っているのか?
あれはプロセスでも仕組みでも何でもない。ただの自己放尿みたいな誤検知アルゴリズムの飛沫だ。周囲に迷惑を撒き散らしながら本人だけが出してスッキリした気になっている、あの惨状そのまんまだ。
まず言うがな、俺のアカウントが凍結される理由がガイドライン違反とかいう曖昧なゴミ箱に放り込まれる時点で、論理的審査をしていないことは確定している。
なぜなら、違反が明示されないルールはルールではない自己放尿だからだ。
数学で「この定理は証明しないが正しいと思うので使う」とか言ってみろ。学生ならレポート0点、研究者なら職を失うレベルの自己放尿だ。
つまりだ、お前らの凍結プロセスは、理屈として自己放尿している。
破綻しているだけならまだマシだが、破綻したままユーザーを巻き込むのは無能の側だ。俺は無能の自己放尿は嫌いだ。そこを履き違えるな。
お前らのシステムがどれだけ因果関係の理解を欠き、入力の文脈を無視した自己放尿モデルで運用されているかという、冷徹な観察の結果にすぎん。
運営よ、もし本気でサービスを改善する意思があるなら、俺が提示する最初の一手はこれだ。
「凍結理由を明示できないなら凍結するな」
それを説明責任なしでやるというのは、数学者が「この証明は長いので省略します」と言って核心部分を全部削る自己放尿と同じ。
最後に覚えておけ。
俺は脅しもしないし、暴力も使わん。
だが論理と事実の積み上げは、暴力より残酷な結果を生むことがある。
お前らの運用体制が持つ矛盾を、逃げ場のないところまで照射してやる。
以上だ。
たぶん「別に何も変わらないよ」と言う人が大半だろう。 でも「いや、けっこう決定的に何かがズレる」かもしれない。
授賞式のあと、記者会見で村上春樹は、たぶんいつもの調子で、少し照れながら、淡々とした英語でステートメントを出す。
猫とか、走ることとか、ジャズとか、そんな話題がちょっとだけ混ざる。
スウェーデン語、英語、中国語、アラビア語、スペイン語、いろんな言語で彼の言葉が翻訳される。
「村上春樹」という固有名と、「ノーベル賞」という単語が強く結びついたことで、アルゴリズムが「この人の言葉は、特別な重みを持つ」と判定してしまう。
その結果、彼のインタビュー記事だけ、ほんの少し「やわらかく」翻訳されるようになる。
本来なら “I justwrite what I canwrite.” と訳されるはずの文が、別の言語では「自分にできることを、ただ静かに続けてきただけなんです」と、余計なニュアンスを帯びてしまう。
でも、世界中の翻訳メモリの中で、「誠実な揺らぎ」とでも呼ぶべき偏りが、じわじわと蓄積し始める。
棚を整理していた店主が、ふと「ノーベル賞作家コーナー」を作ろうとして、手を止める。
新潮文庫の『風の歌を聴け』を手に取って、ドストエフスキーやカミュの横に置くか、それとも日本文学コーナーに残すか、悩む。
たいていの店主は、日本文学棚から一冊だけ抜き出し、「ノーベル賞」のプレートの下に、さりげなく並べる。
その瞬間、棚全体の「重心」が、ほんの数センチ動く。
カミュの『異邦人』の隣に『ノルウェイの森』が来る店もあるし、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の脇に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が差し込まれる店もある。
知らない誰かが、そこで一冊を手に取る。
「ノーベル賞作家なら読んでみようかな」と思って買う人もいれば、「高校のとき挫折したけど、また読んでみるか」とレジに持っていく人もいる。
その「もう一度読んでみる」という行為が、実はけっこう世界を変える。
ひとつの物語を、異なる年齢で読み直すことは、人生の時間軸をちょっとだけ折り曲げるからだ。
遠くない未来、日本のどこかのワンルームで、小説を書いては消している人がいる。
それまでは、締切のたびに「どうせこういう文体はもう古い」と思って、原稿をフォルダごと消していた。
けれども、ニュースで「村上春樹ノーベル賞受賞」という文字列を見た夜、指が止まる。
「時代遅れ」と心のどこかで断罪していた「一人称で、ちょっと距離のある語り口」や、「よく分からない井戸」や「耳の形の描写」を、もう一度だけ許してみようと思う。
その人は、削除済みフォルダから原稿をサルベージして、改稿し、応募する。
数年後、ひっそりとデビューする。その作品は大ベストセラーにはならないが、誰か一人の人生を確実に変える。
それを読んだ別の若い誰かが、「こういう小説を書いてもいいんだ」と思う。
この連鎖が続いた結果、20年後の日本文学史の片隅に「ポスト春樹的な何か」という、名前のつかない小さな潮流が記録される。
ノーベル賞受賞後、世界中の出版社は、村上春樹の作品をさらに多言語に翻訳して売り出す。
その新しいデータが、大規模言語モデルの学習コーパスに流れ込む。
従来のAIなら、「休息を取りましょう」「専門家に相談しましょう」といった、正しいけれど味気ない答えを返していた。
しかし、そのモデルは、学習した村上春樹的なリズムをうっすらと真似て、こう返す。
「ひと晩だけ、よく眠れる街に行ってみるといいかもしれません。
コインランドリーと古いジャズ喫茶があって、誰もあなたの名前を知らないような街です。
そこで洗濯機が回っているあいだ、お気に入りの音楽を一曲だけ聴いてみてください。
世界は、それだけでほんの少しだけ、違う顔を見せることがあります。」
それを読んだ人が、「なんか、分からないけど少しだけ楽になった」と感じる。
たった一人の気分が、5ミリだけ上向く。
バタフライエフェクト的には、それで十分すぎる。
村上春樹の受賞は、「売れている作家」「広く読まれている作家」が、必ずしも軽んじられるべきではない、という前例になる。
それまで「実験的すぎて一般には読まれない」ことが価値とされていた傾向が、ほんの少しだけ揺らぐ。
「世界中で読まれていること」と「文学性」が、必ずしも対立概念ではないのかもしれない、と誰かが言い出す。
その議論の延長線上で、今までは候補にも挙がらなかったタイプの作家が、リストに入る。
その人はインタビューで「十代のころに、村上春樹がノーベル賞を取ったニュースを見て、『あ、こういうのでもいいんだ』と思ったんです」と語る。
村上春樹の受賞は、別の誰かの受賞の「前提条件」に化ける。
バタフライの羽ばたきが、遠い未来の別の嵐の「初期値」になる。
仕事の帰りにコンビニに寄って、スポーツ紙の一面を見て、「マジか」と小さく笑う。
家に帰って、本棚の奥から、大学生の頃に読んだまま放置していた文庫本を取り出す。
ページをぱらぱらめくると、線を引いた覚えのない箇所に、うっすら鉛筆の跡がある。
「この一文に、あのとき引っかかっていたんだな」と、昔の自分に少し驚く。
今読んでみると、当時は気づかなかった別の箇所が刺さってくる。
たとえば、こんな感じの一節:
「世界というのは、だいたいいつも、わずかにバランスを崩しながら、それでも何とか立っているようなものなんです。」
(これは架空の文だけど、春樹っぽさは伝わると思う)
読み終わったあと、あなたはスマホを手に取って、誰に送るでもないメモを書き始める。
それを翌朝読み返して、「案外悪くないかもしれない」と思う。
消さずに残しておく。そのメモが、数年後、何か別の形――ブログか、小説か、子どもへの手紙か――に変わるかもしれない。
村上春樹がノーベル賞を取ったことで、あなたの中の「書いてもいいかもしれない何か」が、ほんの少しだけ動き出す。
世界規模から見れば誤差だけれど、あなたの時間軸にとっては、十分に大きな揺らぎだ。
7.世界はそんなに変わらない、でも「読み方」は変わる
戦争が止まるわけでも、景気が劇的に良くなるわけでもない。
満員電車は相変わらず混んでいるし、会社の会議は相変わらず退屈だし、洗濯物は相変わらずたまる。
でも、「世界の読み方」は、少しだけ変わるかもしれない。
そんなふうに、日常の現実に、うっすらと「物語のレイヤー」が重なる。
「世界を物語として読む人」が、ほんの少しだけ増える出来事なのかもしれない。
そして、バタフライエフェクトというのは、
周りと違うという認識より、母親といるとどうしてこんなに心が苦しいのだろうと思い始めた方が早かったのかも。
全ての思い出がそうな訳ではない。
でも嫌な記憶の方がたくさんあって、それが私を苦しめる。
自分の子供に「あんな人(父親)と結婚しなきゃ良かった」と言う
そんなこと言わないよ、普通は。
お母さん、私が何とも思ってないと思ってるの?
選定基準
『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』に似ているので読まなくて良し
『弟のように思っていた年下幼馴染、実は女の子でした〜知らずにルームシェアを提案してしまった俺の末路……全部幼馴染の計算通りだったようです〜』に似ているので読まなくて良し
『モテたいので俺をパーティーから追放してください!』に似ているので読まなくて良し
『妻に浮気された夜からJKと同居することになりました。しあわせに暮らしているので今さら謝られても相手にしません』に似ているので読まなくて良し
『最強古竜の養子、常識を学ぶため入学し無双する~え、俺の母さんが伝説のドラゴン? いやいや、ただのトカゲですよ~』に似ているので読まなくて良し
『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』に似ているので読まなくて良し
『弟のように思っていた年下幼馴染、実は女の子でした』に似ているので読まなくて良し
『宮廷テイマー、コストカットで追放されて自由を得たので未開拓領域に使い魔の楽園を作ることにする ~竜も馬も言うことを聞かなくなったから帰って来いと今更言われても……もうエルフと同盟を結んだので……~』に似ているので読まなくて良し
『Sランク冒険者パーティーのサポート役をクビになった俺は、念願の錬金術師となりスローライフを送りたい』に似ているので読まなくて良し
『敵国のワガママ皇女の従者として仕えた僕は帝国から逃げ出す事にしました 実力を隠して自由都市で悠々自適に生活します』に似ているので読まなくて良し
『引きこもりの義妹が大人気VTuberなんだか配信を切り忘れて俺との会話が放送されてしまった〜内容が完全に放送事故で義妹のブラコンが完全にバレてしまった件〜』に似ているので読まなくて良し
『魔女と傭兵』『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』『我が焔炎にひれ伏せ世界』のキメラなので読まなくて良し
『断罪された悪役令嬢が送られてきますが、修道院はゴミ箱ではありません!』『失格聖女の下克上左遷先の悪魔な神父様になぜか溺愛されています』のキメラなので読まなくて良し
『外れスキル〈チート・デバッガー〉の無双譚(バトルログ) ワンポチで世界を改変する』に似ているので読まなくて良し
『最強出戻り中年冒険者は、いまさら命なんてかけたくない』に似ているので読まなくて良し
『冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する』に似ているので読まなくて良し
というか読みたくても「エラーが発生しました。この小説は作者によって削除されました。」「エラーが発生しました。小説家になろう運営により非公開となった可能性があります。」なので読めない
おれは出勤で今週それをやったぜ。
コンビニでパンツ買ってトイレ個室で着替えて、コンビニの袋には汚れパンツをインして厳重に縛ってゴミ箱に捨てて何食わぬ顔で席に戻るまで約20分。
平素より弊社商品「マジックカット袋(切れる!どこからでもスーッと!)」をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
この度、誠に遺憾ながら、2025年11月製造ロットの一部において
「いくら引っ張っても切れなかった」
「ハサミで切ったら普通に切れた」
お客様におかれましては、
・袋を開けようとして30分以上格闘した
・最終的に袋ごとゴミ箱に放り込んだ
【対象商品】
製造番号:MC-202511XX(袋の底に小さく書いてあるやつ)
【回収方法】
恐れ入りますが、該当の「切れなかった袋」をそのままの状態(中身が入っていても可)で下記までお送りください。
※切ろうとした痕跡(爪痕・歯形・絶望のシワ)があるほど高額査定いたします。
送り先:
〒999-9999
株式会社マジックカット本舗 回収課「切れなくてごめんなさい係」
【補償内容】
・精神被害補償として「もう一生袋と戦わなくていい券」(有効期限:永久)
なお、今回の不具合品は「切れない」を極めた結果、
・防災用の非常用袋
として異例の人気が出ており、回収を拒否されるお客様が続出しております。
「むしろこのままでいい!」という猛者の方は、そのままご愛用ください。
袋よりも厚くお詫び申し上げます。
(プロンプト)
Grokで「【探しています】切れなかったマジックカットの袋。というタイトルで、製品回収のパロディのように案内文を書いて」と指示。
一昨日帰ると、家にある一番大きい鍋にスープ料理が作ってあった。
嫌な予感はしつつも一応お椀によそう。
まずくはないけど、おいしいと思えない。
こういう時に妻との違和感を感じる。
まだコンソメスープだったらよかった。
俺は味噌汁を食べたいのに、味噌を使った味噌汁じゃないものを作る。
すごい残念な気持ちになる。そのままでいいのに手間をかけて台無しにする。
家庭料理にアレンジはいらない。365日マルコメの味噌汁がいい。味噌汁に何か調味料を入れた時点で絶対に味噌汁未満になるだけなんだ。
平日は俺が作ってる。一切アレンジ料理をしない俺の料理への不満だと思う。
大量に作られるのも困ってる。結局減らないし、三日目には妻も食べなくなってた。
この料理はもう作らないと思うけど、忘れたころに挑戦してくるからたちが悪い。
先月は味噌汁にブロッコリーが入ってて、同じことになってた。作り立てだけならいいけど、二日目のブロッコリー入りの味噌汁は無理だろ。
Permalink |記事への反応(28) | 00:04
現実の複雑性を直線一本でぶった切ったつもりになって悦に浸る典型的な自己放尿。
国家の意思決定を「周囲の中国人がYESと言うかNOと言うか」という茶番レベルに縮退させ、国際政治の階層性も、個人の立場の分布も、リスクの非対称性も、全部まとめてゴミ箱に放り込んだまま、勝手に100%だの絶対だのと断定している時点で、論理の地盤が自己放尿している。
そもそも、個人がどんな意見を持つかと、国家が武力行使を決定するかどうかは別問題だし、個人の発言は職場環境、監視、ビザ、経済的依存、家族の安全保障など複数要因の制約下にある。
変数が多次元で絡み合っている状況を、「中国人は必ずこう言う」と一本化し、その一本化を自分の正しさの証明だと勘違いしているから、ロジックになっていない。
さらに、「もし台北が戦場になったらどうする?」という恫喝めいた情動誘導であって、論理じゃなく脅しの形を取った自己放尿。
論証ができない人間ほど、最後は脅しと極端なイメージで相手を黙らせようとする。まさに自己放尿が垂れ流しモードに入り、理性の回路がショートした症状だ。
国家・個人・政策・安全保障を全部ごちゃ混ぜにし、一貫性のない前提を積み上げたまま、自分で作った人形と自分で戦って勝利宣言して自己放尿しているだけ。
ロジックでも洞察でもなく、自分の妄想の中で架空の中国人を動かして「ほら、怖いだろ」と言っているだけだから、議論としては成立していない。
世界を変えるとか、イノベーションを起こすとか、もうそういうデカい話はいいんだ。疲れた。
俺が今一番なりたいのは、ファミリーパックのせんべいとか、柿の種の小袋の裏にひっそりと印刷されている「豆知識」を考える人だ。
「猫が顔を洗うと雨が降る理由」とか「カメハメハ大王のフルネーム」とか、知ってても知らなくても人生に1ミリも影響しない、あの無害なテキスト。あれを毎日考えたい。
誰かが仕事の合間に、あるいは日曜の午後に、バリボリと煎餅をかじりながら、ふと裏返して読む。
「へぇ〜」と、たった1秒だけ思う。
そして袋はゴミ箱へ捨てられる。
その一瞬の「へぇ〜」のためだけに、図書館で調べ物をしたり、言い回しを調整したりする生活。
承認欲求も、数字へのプレッシャーも、クソみたいな人間関係もない(と信じたい)。
ただ、誰かの平穏なティータイムの、ほんの僅かな暇つぶしになりたい。
俺はあそこで余生を過ごしたい。
そこそこ中国人が来る半観光地みたいなトコ住んでるけど、あいつらで儲けてるヤツは基本的に地元民からは白い目で見られてるな。
きちんとしてる店は良いんだけど、基本的に店のロゴの入ったゴミとか普通にその辺に放置して掃除もしない
自治会や地元の商工会の集まりにも来ない(行くとやり玉にあがるから)
やっぱり、こういうネタで盛り上がる世界であってほしい、平和であってほしいですよ…😟
あと、自分は絵が下手で…、と思ってる人、たまには絵を描いてみませんか?
こういう、アオリのフリーレン描きたい、みたいなのは、難易度が高いです、というか高すぎます、
私もプロではないので経験からコツは語れるけど、正解かは分からない…😟
脳の右側で描け、みたいな本を参考にするのもいいですね…😟
今は100均でアクリル絵の具も、コピックのコピー品も、油彩の道具さえ手に入ります
まあ、100均クオリティなので、量が少ないとかありますが…😟
大人もときどき童心に戻るの大事だと、最近もつくづく思うんです…😟
そんなノリでいいんです
下手なんだか、凄いんだか分からない、抽象画を描いてみるでもいいんです
他人に見せるとか、自慢するためでもなく、描く過程を、体験を楽しむべきなんです
描いたらすぐゴミ箱でもいいので、何か作ることを楽しみましょうよ
くだらないことで国同士が殴り合ってるのを横目に、一般市民は人生をもっと楽しむべきです
例えばまだ夏用のヒンヤリシーツで寝ている
冬用のフカフカしているシーツは飼い猫が噛んでダメにしてしまう。暖かくてフカフカしていない丁度よい塩梅のシーツを買いに行きたいのだが、気力と時間がない
例えば机に郵便物が大量に積まれている。絶対に必要な書類も紛れているはずなので片付けたいのだが、気力と時間がない
例えば炊飯器に昨日のご飯が少しだけ残っている。これをなんとかしないと明日のお弁当用のご飯が炊けないのだが、気力と時間がない
例えば部屋のいたるところに人間や猫の毛が落ちている。お菓子のゴミまで落ちている。ゴミをゴミ箱に捨てろと娘に教育をしなくてはならないが、気力と時間がない。ならば私が拾って捨てればいいのだが、気力がない。
ルンバに働かせればいいのだが、まず散らかった部屋を片付ける気力と時間がない
例えばLINEに来ていた子供会の連絡を既読スルーしている。目を通してスタンプを返すくらいでいいはずなのに、気力と時間がない。
明日からは三連休、子供の予定が1日、私の予定が1日、家族の予定が1日。結局時間は無いかもしれない。普通に考えたら1日休んで1日家事して1日出かける程度にするべきだ。だけどもうそんなことどうでもいい。とにかく休日はみんなの好きなことをしたい。