はてなキーワード:コードとは
現実の女性に対して性的加害を加えることは、当然ながら社会的にも倫理的にも許されるものではない。だが一方で、中高年男性が性欲や孤独、劣等感といった重たい感情をどう昇華するかという問題は、今の社会でほとんど語られない。むしろ、語ろうとした瞬間に「気持ち悪い」「加害者の言い訳」として切り捨てられてしまうことすらある。
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そんな中で台頭してきたのが、AIによるエロ動画の生成、あるいはSNSや配信サイトなどにおける“中身が男性であることが明らかな”女性アバターとのやりとりだ。男性が女性を演じ、男性たちが下品なコメントを投げかけ、それに笑顔で返す。そうした空間が、奇妙な安らぎと慰めを生み出している。
この光景をどう見るか──筆者はそれを、ある種の「ユートピア」と捉えたい。
この仮想空間に登場する“女性”は、あくまでAIであり、あるいはアバターを被った男性である。つまり、現実の女性が直接的に傷つくことはない。それどころか、そこにいるのは「性的に欲望をぶつけられる側の役割を演じることで、他の孤独な男性の欲望を吸収し、昇華させる」という構造である。
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ここにあるのは、「男が女を演じ、男を癒す」という、倒錯していながらも非加害的で、ある意味で誠実な相互扶助の形だ。
これはまさしく、フェミニズムが掲げてきた理想──非暴力、対話、承認、癒し──を、現実ではなく、テクノロジーと演技の仮面を通して実現してしまった構造なのではないか?
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中高年男性の孤独や貧困、性欲、承認欲求。これらはたいてい、社会から「自業自得」「キモい」「加害者の末路」として放置される。彼らが弱さを吐露しても、それは決して「救うべき対象」とはされない。
リベラルやフェミニストが掲げる“弱者の救済”は、往々にして「かわいそうと思える者」「絵になる弱者」に限られる。女性、子ども、外国人──こうした属性に比べ、中高年男性は「強者」として分類されがちだ。だが、強者であるという記号と、個人の苦悩はまったく別の話だ。
そして、彼らは静かに、そして効率的に「誰も傷つけずに自己処理できる空間」を求めて、AIやアバターの世界へと吸い込まれていく。
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もちろん、これは“逃避”の一形態であることは否定できない。だが一方で、誰かを傷つけることなく、欲望や孤独、弱さを処理し合える場を仮想空間に創出しているのだとしたら、それはある意味で社会的進化ではないか?
現実の女性から拒絶され、社会から「黙って消えてほしい」と思われている中高年男性たちが、せめてAIやアバターの中で「弱さをさらけ出し、誰にも叩かれず、癒される」場所を手に入れること──これは、皮肉ではなく本気で考えるべき次の社会的フェーズなのかもしれない。
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この構図を気持ち悪いと笑うのは簡単だ。だが、そこで笑ってしまったとき、私たちは一体誰の側に立っているのだろう?
おそらく、今この瞬間にも、無数の“救われない者”たちが、AIの女性キャラに話しかけ、慰められ、画面の向こうの「中の人」が、無言の共犯関係としてそれを受け止めている。
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それはまるで、顔のない男たちによる、顔のない癒しのネットワーク。暴力のない性。弱さを許される場所。そんな風に、仮想空間はいつしか、現実よりも人間的なユートピアになりつつあるのかもしれない。
この現象は、フェミニズムが求めたはずの「非暴力で、合意的で、弱さを開示できる性の文化」が、テクノロジーによって先に実現されてしまったという、静かで根深いパラドクスを私たちに突きつけている。
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❶批判:「AIエロは学習元の“実在の女性”を間接的に搾取している」
反論:
多くのAIモデルが女性の身体的特徴や表情、ポーズ、雰囲気を学習しているのは事実だろう。ただ、それ自体が即「搾取」になるかというと、データの使用と人格の侵害を一緒くたにしているように見える。
AIが学んでいるのは「特定の誰か」ではなく、集合的なパターンに過ぎない。
たとえるなら、美術学生が裸婦画を模写して描き方を学ぶようなもの。模写や鑑賞が搾取だと言うなら、美術や表現そのものが成立しない。
さらに現在のAIエロコンテンツの多くは、創作キャラやフィクションで構成されており、実在の個人の人格権を直接侵害しているわけではない。
現実の性産業と比較すれば、AIによる代替行為は圧倒的に搾取度が低い。出演者はいないし、金銭による支配関係もない。むしろ、ポルノグラフィーの非人格化・非暴力化が進行している段階にある。
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❷批判:「“女性性に癒しを求める”という構造自体が時代錯誤である」
反論:
この指摘は重要だと思う。「女は癒し役であるべき」という旧来的な性別役割の押しつけがずっと続いてきたのは確かに問題だった。
ただし、AIエロやアバターの世界で起きているのは、現実の女性に癒しを要求している構造とは異なる。ここにあるのは、演技された女性性、あるいはAIが演出する女性的存在への一方的な投影であって、実在の誰かに何かを求めているわけではない。
つまりこれは、他者に癒されることを放棄した人間たちが、自分たちで「癒される構造」をつくってそこに潜り込んでいるだけ。古いジェンダー役割の再演というより、ケアの自己完結システムへの移行とも言える。
そして、女性的な癒しに価値を感じる文化的コードやフェティッシュが残っているとしても、それがただちに抑圧的だとは限らない。
仮に「女性性を求める欲望自体がアウト」だとするなら、トランス女性の存在や、BL・百合・ボーイズラブといったジャンルも一括で否定されることになる。そういう雑な線引きは、むしろ表現の幅を狭めるだけだ。
この構造で求められているのは、「女性に癒してもらうこと」ではなく、「女性的な構造で癒されること」に過ぎない。そこを時代錯誤と切り捨てるのは、あまりに乱暴だ。
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反論:
今の社会には、「男性が性欲や弱さを語る場」がほぼ存在しない。何を言っても「キモい」「加害者の被害者ヅラ」と断罪されて終わる。
だからこそ、現実から退避して、誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけない場所──AIやアバター空間──に逃げ込む。
誰かに嫌われないために、自分たちで仮想的なユートピアを構築している。それは中心でも優越でもない。むしろ、周縁の、地下の、逃げ場としての性のかたちだ。
誰にも迷惑をかけず、暴力もふるわず、ただ欲望や孤独や弱さを処理する。それが「男性中心的だ」と非難されるのだとしたら、むしろそれは、もう語ってはいけないという無言の通告と変わらない。
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この仮想空間は、搾取でも時代錯誤でもない。現実から見捨てられ、語ることさえ許されなかった中高年男性たちが、ようやく辿り着いた「誰も傷つけず、誰にも傷つけられない場所」だ。そこに滲む切実さを、ただ「構造」や「男性性」のひとことで斬り捨てる行為こそが、実は一番残酷なのではないか。
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※なお、この文章はAIによって生成されたフィクションです。とりあえずAIで英語の女アカウント作ったら、世界中のガチ恋おじさんが「俺の20センチの〇〇〇見せていい?」「今度日本に行くんだけど会えない?」とか言ってきて、最初は引いたけど、冷静に考えたらこれって互助だよな…… という気持ちが消えなかったので、そのまま論文っぽく書いてもらった。
IT業界で働くとプライベートも仕事の勉強やコードを書いてアプリを作るなどをしなければいけないっていうけど、IT以外の趣味って持ったら駄目なんですかね?
ぼーっとアニメを見るとかではなく音楽活動やスポーツやボランティアなどの生産的?な趣味でも?
(個人的にはぼーっと過ごすのと社会的に推奨されがちな活動に従事することは宇宙的な視点で見れば違いはないと思ってる)
キタニタツヤ氏のツイートが物議を醸しているのを見て、「なぜこの発言がここまで賛否を呼ぶのか」について、自分なりの意見を少し書いてみる。思うままに書き連ねるので読み難かったら申し訳ない。
https://x.com/TatsuyaKitani/status/1944394267348303935
端的に言えば、この発言は“世の社会人”を無自覚に軽んじているように見える。少なくとも、そう受け取られても仕方のない内容だからだと思う。
SNSで“チョビ悪意”を込めてクリエイターにダメージを与えている人だって、もしかしたら作曲者が使っているDAWソフトを作っているかもしれないし、曲を配信するプラットフォームのコードを書いているかもしれない。あるいは、普段行くコンビニのレジに立っているかもしれない。
学生やニートを除けば、ほとんどの「消費者」は同時に「生産者」でもあるはずだ。
じゃあ、その「消費者であり生産者」である人たちは、“チョビ悪意”に晒されていないのか?そんなことあるわけがない。
コンビニの店員は横柄な客に傷つけられ、プログラマーはソフトのバグや挙動に文句を言われる。UIデザイナーは、自分がこだわったインターフェースをこき下ろされる。美しいとは思わないけど、それが社会ってものだし、みんなそれに耐えている。それこそが、このツイートで「消費者」として言及されている人たちであり、つまりは「社会人」なのだ。
でもこのツイートからは、そういった想像力が決定的に欠けているように感じる(少なくとも自分には、そう映る)。つまり、自分たち(コンテンツ産業の生産者)以外の生産者のことを一切考えられていない。
「お前らはアプリのUIに文句を言う前にFigmaを開いたことがあるか?」
「ラーメンの味に文句を言う前に、自分で麺を打ったことがあるか?」
「イーロン・マスクに文句を言う前に、SNSを買収したことがあるのか?」
「Steamでワイルズに低評価を付ける前にコードを一行でも書いてみたか?」
多くの人は、自分が作ったこともないものに文句を言う。そして、自分が作っているものについても、よく分かってない人から文句を言われる。それでも社会は回っているし、それで回ってるのが現実だ。
加えて言えば、誰だって作り方が良くわからないものに文句を付ける権利がある。例えば君たちがはてな匿名ダイアリーに文句を言ったら、株式会社はてなのエンジニアから「一行でもコードを書いてみればWebアプリの難しさが分かるのに……」なんて言われたら殴りたくなるだろう。
そんな中で「すべての人がクリエイターになれば悪意で物を言われなくなる」なんて、あまりにも傲慢な話じゃないか。
クリエイターは他の産業の生産者よりも、特別扱いされて然るべき存在なのか?
もちろん、自分も「すべての人が他者に対して優しくあれたらいい」と思ってる。
意見や文句も、できるだけ丁寧に伝えられたらいいし、リスペクトを持てたら理想的だ。
でもそれは、「相手がクリエイター様だから」ではない。人と人との間で当然取るべき態度だからだ。
言いたいことがシッチャカメッチャカになってしまったが、つまり言いたいのは、
「クリエイターにリスペクトを求めるなら、同じくらい他の生産者をリスペクトをするべきだ」
「元のツイートは消費者を「生産者でないもの」とみなしていて、コンテンツ産業以外の生産者にリスペクトがないように見えるから叩かれている」
という話だ。
/* 単にアイコンを非表示にするバージョン */img[src^="https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/"]{ visibility: hidden;}/*マウスを乗せた時だけ表示させるバージョン */img[src^="https://cdn.profile-image.st-hatena.com/users/"]:not(:hover){ opacity: 0;}
空白を残すより、替わりにデフォルトアイコンを表示させるほうがいいと思ったけど、デフォルトアイコン単体の画像URLが見つからなかったのでやめた。プロフィールのデフォルト画像を変更しました の記事の画像を部分指定して上乗せすればできるけど、コードが煩雑になるよなぁ。あと、余白として残さず存在を無くしてしまう方法(display: none;)は、どこかでレイアウトが崩れるかもしれないので避けた。
自分は1991年生まれで、初めて触ったパソコンはWindows95だった。
父親が「これからはみんながパソコンを使う時代が来るから」と小学校に上がる前の私にも自由に触らせてくれた。お絵描きソフトでマウスで絵を描いた記憶がある。
そのおかげか、これまでパソコンや電子機器の扱いで困った経験がほとんどない。まぁ低レベルな集団の中では比較的マシ、ぐらいの技能ではあるが。
私の仕事は医療系でパソコンが得意じゃなくてもそれほど困りはしないんでけど、たまに教育資料を作ったりとか委員会の議事録を作ったりはするので人並みに扱えてよかったと思う。
はてなを書くときか、これまではスマホでぽちぽちしてたけど、やっぱりちまちましてめんどくさ!となるので夫に使ってないワイヤレスキーボードかなんかない?って聞いたら箱に入ったMagicKeyboardが出てきた。一緒に入っていたコードはライトニングとUSB-Aだった。使ってないんかい。
入力していると勝手に変換されていくモードが初期設定になっていて違和感がすごかった。(こういう新しい技術を嫌厭してばっかりだと時代に取り残されそうだな…と思いつつ、ライブ変換はオフにした)
あとAppleのキーボードを使うの初めてだからショートカットがいつもと違ってまだ慣れない。
あとキーボード使ってるとマウスも使いたくなる。夫のデスクに使ってないやつがある気がするので、今度聞いてみようと思う。
慣れないキーボードを触りながら、そういえば父親は親指シフトのキーボードを使っていたことを思い出した。
「今主流になっているかな配置と親指シフトの配置のキーボードがあって、親指シフトの方は流行らなかったんだよね。お父さんそっちで覚えちゃったんだけど」みたいなことを言っていた。
今から親指シフト配置で覚えると修正するのに苦労するからローマ字で入力するようにしなよ、と教えられた。
それなりに先見の明があるようだったが、たまに逆張りして外したりする。そういう人だった様に思う。
父は糖尿病を患っていたが、医者と喧嘩をして病院にかかるのを辞めてしまい、その10年後に突然死した。
父は私を可愛がってくれたけど、私は父のデリカシーのなさや自分に都合のいい話しか聞き入れないところが苦手で、遠方に就職してからはあまり帰らなくなった。
「長生きしたいんだ」と言って、肉をたくさん食べていた父。反マスク主義で、マスクをつけずに入店拒否されて憤りながらも自分の信念は曲げなかったらしい。
昔からそういうところはあったけど、歳をとってどんどん頑なになっていった様に思う。
私は父が死んだことに心を動かされなくて、ただ人に迷惑をかけるような最期じゃなくてよかったな、と思った。
自分のやりたいふうに太く短く生きるというのも、天晴れとも言える。一緒に暮らしていた母はたまったもんじゃなかったかもしれんが…
色々思い出しながら、父にどんな言葉をかけてあげればよかったか少し考えたが、何も浮かばなかった。多分娘の私が何を言っても父は行動を変えなかったと思う。
私にとっては母づてに話を聞く程度がちょうど良い距離感だった。
父は多分寂しい思いをしていたと思うが、私は自分の気持ちを優先させた。そういうところ、やっぱり親子で似てるんだろうなと思う。
新しいキーボードに早くなれようと思って取り止めもない思い出話をぽちぽち書きました。
読んでくれた人はありがとね。
たった一回の予言が当たらなかったぐらいで諦めんなよ!
継続は力なんだよ!続けることが大事なんだよ!予言し続けるんだよ!やり続けてれば、いつか当たる日が来るんだよ!
俺だって、ゴミみたいなコードでも書き続けてたから、ときどき人生で他人に評価されるイベントにめぐり会ってきたんだよ!
こんなところで諦める程度の目標だったのか、いつかプロの予言者になりたいと、本気で願っているのか?
今日は何もやりたくない、そう思う日もあるだろう、でも、重い腰を上げて机に向かう、そしてコードを一行でも書く、それが大事なんだろ
だから、たつきよ…、毎日予言を一行でいい、一日一行でも365日で365行にはなる
ウサギとカメを思い出すんだよ、俺はカメになんだ、歩みが遅いだけなんだ、一日ひとつ石を積み重ねていくんだ、いつか水滴が岩をも砕くんだ
そう、正しく石破だよ、石破ラブラブ天驚拳だよ、毎日岩に正拳突きしてれば、いつかは岩を砕く日が来る
予言し続けろ!歩みを止めるな!
なんか最近、エンジニアが「自分たちもクリエイターです!」とか言っててマジ笑うんだけど。
いやいや、お前ら創作してないじゃん。
そこに創作性なんかあるわけないじゃん。
プログラムって基本的に誰が書いても同じような構造になるし、答えが決まってんのよ。
「こう動かしたい」ってゴールがあって、それに向かって論理を積むだけ。
著作物とか言っちゃってるの、恥ずかしくないの?
クリエイターっていうのは、絵師とか漫画家とか、イラストで勝負してる人のこと。
だってコードは創作じゃないんだから、著作権侵害になるわけがない。
しかもそれを「俺が描いた!」とか言って出してくるバカがいる。
存在自体が悪なのよ、あれは。
そういうの見てマネするだけでもいいのにね
正規品はお高いし、近くのお安い修理店で修理してもらった。
しかし、少し後悔するくらいに性能が悪い。
まずは、どんな不便があるかを先に書いていく。
困ることを具体的に言うと、例えばTiktokで次の動画に移ろうと画面を下にスクロールすると、スクロールにならずにダブルクリック判定になり、動画にいいねしてしまう、など。
また、ネットの記事を読んでいて広告を読み飛ばすために下にスクロールすると、スクロールにならずに広告をタッチした判定になり広告ページに遷移してしまう、など。
文字を入力するときも、フリック入力が正しく動かなかったり、フリック入力のはずがダブルクリック判定になり、2文字入力されたり、など。
画面が反応してくれないのは、いちどiPhoneをロック状態にしてから解除すると反応するようになったり、など。
修理店では品質の異なる2種類の液晶を選択可能で、基本料金に含まれる下位の液晶と、
発生頻度は、
上位の液晶: 1日に1回程度の発生。
下位の液晶: ほぼずっと発生。
とかなりの差がありました。
上位の液晶を使っているときは、変な挙動をすることもありましたが、それが液晶のせいだとは思わなかったくらいです。
下位の液晶に変えてから、明らかに頻度が増えて、もはや単語レベルの文字入力でも1回はミスしてしまうくらいです。
上位の液晶を使っているときは、ネット記事を見るときに広告を誤タップすることは多かったです。
また、ときどき画面が反応しなくなりましたがそれもロックしてから解除すれば直ったので、それほど大きなストレスはなかったです。
ただ、対戦ゲームやMMOなどのコマンド入力がシビアなゲームをやるなら、そこそこストレスはあるかもしれませんね。
下位の液晶を使っているときは、ネット記事だけでなくTiktokなどの簡単な操作でも誤タップが増えました。
文字入力は単語を入力するだけでもストレスになり、文章になるとかなりのストレスになります。
画面が反応しなくなる現象は逆に減りました。たぶん修理してくれた人が上手だったのでしょう。
ゲームなどをする場合は、かなりストレスになるでしょう。たぶん簡単なゲームでも。
ただ、ストレスがあることは確かですが、そういうものだと割り切れば我慢できるものかもしれません。
ゲームのガチ勢は入力ミスが命取りでしょうし、確実に正規品にした方がいいでしょうね。
私のiPhoneはSE3世代なので、まずApple正規だと1万9400円。(Apple Careに入っていたら3700円。)
そして非公式修理店だと、私の場合は下位の液晶なので7500円ほどでした。
上位の液晶にしてたら1万円ほど。
ちなみに1年前に壊したときは、これより1300円ほど安かったです。
うーん、今にして思えばApple Careに入っていなくても法外に高いわけでもないし、Apple正規品にしておけばよかったかも。
1年前も今回もベッドの上で壊しました。
1年前は冷却器をベッドの上に置いたままにしていて、それがiPhoneの画面にあたっている状態で体重をかけてしまったみたいで、接触面を中心に画面割れ。
今回は冬は電気毛布、夏は涼感生地として使える布団カバーを使っていて、コード装着部分が少し硬くなっていますがそれがiPhoneの画面にあたっている状態で体重をかけてしまったみたいで、接触面を中心に画面割れ。
iPhoneはベッドの上に置かない。机の上に置く。
本当にコードを元に拡張したりする気があるならすでにVirtualDubベースで作ってると思う
VirtualDubの機能や操作、UIなどをAviUtlに寄せてみるようなこともやってない無能はどうせ何やっても無理だろうし無視したほうがいい
「AviUtlをOSSにしてほしい」みたいな言葉とそれに対する批判をいろいろTLで見かけたが
結局のところ、OSSが欲しいなら自分で作れって話になるよな
やろうとした事例は死屍累々だから大分大変そうではあるんだが...— KOIZUKA Akihiko (@koizuka)July 9, 2025
ウィイイイイイッス! どうも〜、█████で〜す。
えー、今日はですねぇ…まぁ、ちょっと難しい話、しよっかなぁと思って。えー、まぁ最近よく聞くじゃないですか、AI? あのねぇ、AI。
ほんで〜、なんかプログラマーっていう仕事? が、まぁ、なくなるとかなくならないとか、色々言われてますけどもぉ。
今日はね、その辺について、この僕が、えー、ちょっとね、語っていこうかなぁと、思いますぅ。
えー、まぁソフトウェア…なんですか、開発の世界は、まぁ生成AIの登場で、なんか根本的な、えー、パラダイムシフト? の、渦にあると。まぁ、僕はずっと前から言ってたんですけどもね。
えぇ。これはね、ただの道具が変わったとか、そういう話じゃないんですよ。プログラマーっていう、まぁ職業そのものの、役割が、えー、再定義される、っていうことですねぇ。
スゥゥゥ…今までね、人間が一行一行、こ、こう、書いてたコードがね、今やAIと、まぁともしらべ作業で、生み出されるようになったと。
ほんで〜、GitHubとか見てもね、AIツールの導入率? とか、なんかプルリクエスト? の数が、まぁ急増してると。
でもねぇ、でもね、これ、良いことばっかりじゃないんですよ、えぇ。
なんか、えらい学者さんとかも言ってるけど、生成AIに、こ、こう、かたむきとうしすぎるとね? 基礎的なスキルがないまんまやと、IT産業全体が、まぁ停滞するんじゃないか、っていう懸念も、えー、表明されてますねぇ。
僕が、こ、今回言いたいのはね、AIが、コンピュータサイエンス…CSの知識を、時代遅れにするんじゃなくて、むしろ、その重要性を、こ、これまで以上に高めるっていう、そういう話ですねぇ。
AIツールってね、えー、まぁ強力なんですけども、欠陥をうちづつみしたアシスタントなんですよ。えぇ。
だからね、その能力を最大限に引き出して、安全で、こ、効率的なシステムを構築するためにはね、AIの生成物を、ちゃんと指導して、検証して、修正できる、深い専門知識を持った、えー、人間のパートナーが、まぁ不可欠であると。
未来はね、AIにただ指示できる人間じゃなくて、強固なCSの基礎を土台にして、AIを、こ、巧みに操って、かたろうで、効率的で、安全なシステムを設計できる、「AI拡張型エンジニア」…まぁ僕みたいな人のものですね、はい。
えー、まぁね、えーその、色んなツールがあるんですけども。今日はね、僕が、えー、主要な4つのツールを、えー、比較分析してやろうかなと。
まずね、ギットハブコパイロット。これはね、まぁ、開発者の「才能はあるけど視野が狭い後輩」みたいなもんですねぇ。
定型的なコード…まぁ、ボイラープレート?とか、そういうのを生成するのは得意なんですけども。
ただね、こいつの視野は、今開いてるファイルぐらいにしか、限定されてないんですよ。レポジトリ全体とか、そういう大きな話は、まぁ、分かってないですねぇ。
あと、知識もね、2023年の10月とかで止まってるんで、最先端の開発には、まぁ、対応しきれないかなと。えぇ。
だから、こいつが出してきたコードは、ちゃんと人間…まぁ、僕みたいなシニアなエンジニアが、レビューせんとあかん、ということですねぇ。
次はね、チャットジーピーティーの、えー、コードインタープレター。
これはねぇ、コード生成だけじゃなくて、データ分析とか、可視化とか、色々できるんですよ。
ただね、こいつの一番の、こ、制約は、インターネットに繋がってないことですねぇ。セキュリティのためらしいけども。
ほんで〜、使える言語もPythonだけやし、ライブラリも、まぁ、決められたやつしか使えないと。
たまにね、幻覚を見て、なんか変なコード出してきたりするんで、まぁ、全面的に信用するのは、ちょっと危ないかなぁと、思いますね。
えー、アマゾンのコードウィ?す…ぱ…ぁあですねぇ。これはね、まぁエンタープライズ…大企業向けですね。
一番の特徴は、セキュリティですねぇ。もろじゃくせいを、こ、検出してくれたり、オープンソースのコードと似てたら、ちゃんとライセンスを提示してくれると。
知的財産権?IPリスクを、まぁ、減免してくれるんで、大企業は助かるんじゃないですかねぇ。
ただね、まぁ、設定がちょっとめんどくさいかなぁと。AWSのエコシステムに、まぁ、依存してる感じはありますね。
こいつはね、コードのレビューとか、修正を、差分…ディフフ形式で、提案してきたりすると。
ただねぇ、まぁ、出たばっかりやからか、動作が遅いとか、バグが多いっていう報告が、まぁ、ありますねぇ。
「本物のエージェントじゃなくて、ただのチャットだ」とか言われてて、まぁ、競合に比べると、使い勝手はまだまだかなぁと。グーグルも、まだまだですねぇ、ほんまに。
えー、AIがコード作る時代にね、「もうコンピュータサイエンスの知識なんていらんのちゃうか」って言う人がおるんですけども。
それはね、大きな間違いですねぇ。断言しますけども。
現実は逆で、AIが生成したコードの品質を評価して、最適化するためには、CSの基礎原理への深い理解が、これまで以上に、まぁ、不可欠になるんですよ。
昔、僕がバイトでちょっとプログラム組んでた時もねぇ、やっぱり基礎が分かってないと、もう、話にならんかったですねぇ。
アルゴリズムとか、データ構造とか…この知識はね、AIが出したコードが、効率的かどうかを評価するための、まぁ、根幹をなすわけですよ。
AIはね、文法的には正しくても、アルゴリズム的に、こ、非効率なコードを平気で出してくるんで。
ビッグ・オー記法とかね、そういうのを理解してる開発者じゃないと、AIが出したもんが、本当に使えるかどうかの判断が、まぁ、できひんわけですね。
これが、ただの「プロンプター」と、真の「エンジニア」を分ける、境界線になると思いますぅ。
えー、これからの時代ね、ただツールを学ぶだけじゃ、まぁ、不十分ですねぇ。
人間とAIが、こ、協調するための、新しいスキルセットが、まぁ、必要になると。
まず、プロンプトエンジニアリング。これはね、ただAIに質問することとちゃいますよ。
AIを、こ、望ましい結果に導くための、技術的なスキルですねぇ。
AIに環境の前提を教えたりね、出力の形式を指定したり、そういう、こう、構造化された対話の技術が、まぁ、求められるわけです。
ほんで、コードレビュー。AIがね、一次レビューはやってくれるんですよ。しょうもないミスとか。
だから、人間はもっと高次の、アーキテクチャの妥当性とか、そういう、AIには分からんところに集中できると。
でも、そのためには、AIが作ったコードを、厳しい基準で、こ、批判的に評価するスキルが、まぁ、前提になるわけですね。セキュリティとか、パフォーマンスとか、保守性とか…ほかにも…あー…えぇ。
なんでかっていうと、自分が書いたコードじゃないから、そのロジックが、頭の中にないわけです。
だから、なんか、AIの思考プロセスを、こう、リバースエンジニアリングする、みたいな作業になるんですねぇ。
まぁ、こ、こういう話をね、教育現場にも、ちゃんと落とし込んでいかなあかんと思うんですよ。
僕がね、もし、えー、東京大学とかで教えるなら、こういう風にしますねぇ。
まず、学習者はね、AIを「松葉杖」じゃなくて「パートナー」として使わなあかんと。
AIの言うことを鵜呑みにせんと、常に、こ、検証して、その裏にあるロジックを理解する、そういう責任感が、まぁ、不可欠ですねぇ。
教育者側はね、AIを使って、生徒一人ひとりに合わせた、個別最適化学習を実現できると。
ほんで、カリキュラムの重点は、コードを書くことじゃなくて、批判的思考とか、問題設定能力とか、そういう高次のスキルに、まぁ、移行すべきですねぇ。
AIが作ったものを、どう評価して、改良していくか、そういう課題を、まぁ、出すべきかなぁと。
スキルが古臭くなることとか、認知能力の低下を、まぁ、おんわするためにもね、生徒が主体性を失わないように、導いていく必要があると思いますぅ。
AIはね、セキュリティの脅威を、大規模に生み出す可能性があるんですよ。
えー、「ジェネレーティブ・モノカルチャー」…まぁ、生成的単一栽培? みんなが同じAIツール使うと、同じ欠陥を持ったコードが、まぁ、爆散しちゃうと。
これで、一つのもろじゃくせいで、何千ものアプリが、まぁ、やられる可能性があるわけですねぇ。
あと、データプライバシーとか、知的財産…IPの問題もありますねぇ。
AIが作ったコードの著作権って、どうなんの?っていう。まだ、まぁ、グレーゾーンですね。
まぁ、色々話してきましたけどもぉ。
要するにね、AIは、人間のエンジニアの終わりじゃなくて、その役割が、新たな高みに、か、昇華する、時代の幕開けやということですねぇ。
ほんで、コンピュータサイエンスの深い基礎知識が、これまで以上に重要になる。
プロンプトエンジニアリングみたいな、新しいスキルも、まぁ、不可欠になると。
未来の開発はね、人間とAIの競争じゃなくて、人間「と」AIの共生関係で、まぁ、定義されると思いますぅ。
AIが定型的な作業をやってくれるおかげで、人間は、創造性とか、複雑な問題解決とか、そういう、より価値の高いタスクに、まぁ、集中できるようになるわけですよ。
だからね、現代のコンピュータサイエンス教育の、まぁ、究極的な目標はね、ただコードを書ける人間を育てることじゃないんですよ。
AIアシスタントの有無にかかわらず、未来を設計できる、「コズミック・マインド」を、函館すること、なんですねぇ。
…はい。
というわけで、えー、今回は、まぁ、ちょっと難しい話でしたけども、ね。
えー、今後の、えー、AIとプログラミングの未来について、えー、この█████が、えー、お話しました。
まぁ、内容としてはー、濃い内容だったかもしれへんけど、俺としては精一杯、
えーーなんでしょう、ま、皆さんに、えー、分かりやすく、えー、お伝えしたつもりでございます。
正直PMにはなるつもりなくて(昔はなるつもりだったけど時代が変わったよね)
とは言えちょいちょいPMやってよ〜的な依頼も入ってくることがある
そんで久しぶりにコード書かない仕事してるんだけど、俺より年上のPMが「こういうところを上手くできないと大きいプロジェクトはできない」みたいに育て目線で言ってきたんだよね
そもそもPMだって1億のシステムでも100億のシステムでも儲けとしてはたいしたことないんじゃないのか?
もちろん自分が経営してる会社なら別だけど、「でかい案件の雇われPM」と「でかい案件の経営者兼PM」だと隔たりがだいぶ違うよな、プロジェクトを上手く回せるかどうかと別次元の話になる
それで言ったらエンジニアのまま経営者なって1個数百万〜数千万くらいの小さい案件をまるっとやれたほうがいい気がするんだけどなあ
もし「10億の案件やったら1億儲かる」とかならやるけどさあ、そんな上手くいくかね
似た結果というか、next tokenをcontext windowから予測しているという仕組みから言えば、過去にないcontextが入力されれば新しい予測がされる
その場合、AIがエラーとして期待通り動かないコードを返してくるでしょ。
なんか話がかみ合わないなあと思ったけど、
これってAIをアシスタントとして使い、コードを部分的に書かせるのと、