
はてなキーワード:コンプレックスとは
フィンランド、ミスや国会議員つり目投稿 くり返されるアジア人差別:朝日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASTDF7S1CTDFUHBI005M.html
見苦しいけどかわいそう
Helfard
本人の釈明と謝罪を全面から否定して背後から撃ちまくるの面白い。
何か彼女に恨みがあったんだろうか? 何が何でもここで社会的に終わらせるという強い意志を感じる。
2025/12/14
興味ないんだろうけど。
本人の釈明の内容知ってるか?
「友人とレストランで食事していた際、ひどい頭痛と目の痛みでこめかみを揉むような仕草をしていたところを撮られたもの」
だぜ?
わかる?
徹底して舐めてるし処分に不服なの。
だから彼女の擁護をする議員たちが「背後から撃ちまく」っているというのは全く当たらない。
(まあ確かに「頭痛と目の痛みでとった仕草だ」という釈明ははなから嘘だと決めつけてるぽいけど、
どーせそれは誰一人信じてねえからなw)
でね、
俺がここに書いた程度のことはちょいと調べりゃすぐわかる程度のこと。
気になる映画の評判と上映時間調べるぐらいの時間で掴めるポイント。
つまりこのHelfardという奴は「右派議員をなんとか揶揄したい」ということが最優先で
実際にどういうことがあったか、このミスがどんな釈明や謝罪をしたか、は調べる気すらないわけ。
それで「当人が謝罪してるのに右派が背中を撃った!うきょきょきょ!www」って言いたがって喜んでるわけ。
この人が気にしてるのはアジア人の人権じゃなくてウヨサヨの党派性だけだよね。
こういう人が「差別問題に特別な興味がある振り」をする目的やメリットはなんだろう?
って考えてみるといいよね。よくいる人だけど。
kazoo_keeper2
あっ俺俺!それ俺!
何が気になるんでちゅか?
いやいやいや
で実際クソな訳じゃんポリコレって。
くされリベラルが礼賛してきたポリコレ先進国でもこんなもんだよ。
俺達が前からず――っと言ってるように、ポリコレカスどもは別に差別心をなくしてるわけじゃない。
「クロンボやホモやデブや薄黒い移民は賞賛しなきゃいけないけどアジア人はOK。」
この無理して攻撃を我慢するリストを更新していくのが”アップデート”だから、
だから知能がまともな人間ほど「あ、こんなのは道徳でも何でもないな」「これただの馬鹿向けの膏薬だな」って気付くから
で、国内リベラルがそんなもんを無条件に礼賛して日本に移植しようとしてきた理由は
「欧米様が仰ってる」「北欧様が仰ってる」「白人様が仰ってる」だけだったわけじゃん。
なんかさあ
「完全にお前等のことだろ」って問題点をそのまま敵に言い返すみたいな
オウム返しですらない何かが増えてきたよな。
所作として知能低いと思う。
「ポリコレやポリコレ信徒のぼくちんを笑ってる奴等は欧米コンプレックスでちゅ!」って喚きだすとか。
自分がいま言われたらいやなことを先に叫べば勝ちみたいなゲームなのか?
現実を見ろよ。
この件についてどんだけ礼儀正しい丁重な質問を貰ってもスルー、
ごく少数の右派議員だけがどうこうみたいなことではないの、これは。
【悲報】フィンランド人権大使 @PehrmanKatja さん、アジア人差別の質問に対してブロックで応戦
https://x.com/InsHatanCountry/status/1999773738729177179
この程度なんだよ。
わかった?
同性愛者。未婚。
(女装してるわけではない)
それでもだいたいの女性に対して劣等感だとかコンプレックスを抱いている。
その人と恋愛に発展することはない。
https://cara.app/verwicked2/all
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同性愛者。未婚。
(女装してるわけではない)
それでもだいたいの女性に対して劣等感だとかコンプレックスを抱いている。
その人と恋愛に発展することはない。
いつも月経になると、
女の匂いを恥ずかしげもなく隠さない自分の部下の中でも一番頭が悪い23歳の女の子。
ただ若いだけが取り柄で、SEXを餌に男と遊び回ってるような子が、私が入社以来、ずっと素敵だと感じていて、でも絶対に手が届かないことがわかってる42歳年上上司と不倫していると知ったのは先月のことだ。
悔しい。
憎い。
◯したい。
彼の幸せを破壊するような行為をただ,メスの本能だけで生きるあの子がやってるかと思うと腹が立つ。
そのことを反省するどころか鼻にかけてるのか最近課内での態度も傲慢に感じる。
私のことも、男の癖に、と見下すような眼で見てる気がする。
これまで彼女のたくさんの失敗をフォローしてきたし、先輩として上司としてたくさんの指導をしてきて、やっと社会人としても目鼻立ちがついてきたばかりの女が、女であるという特権だけであの人を誘惑して間違った道を歩ませてるのが許せない。
かといって、そのことを公表してやめさせることもできない。
それをすれば、彼を苦しめることになるから。
かくなる上はあの生理女を社内から追い出すしかないのかと決意を固めてる。
彼も、目の前から、あの女が消えてなくなれば、男性としての本能に逆らえなくなってる自分の気の迷いに気づけるはずだ。
ただ目の前のテーブルの上に転がってる肉だから、ついつい手を出してしまうだけで、あんなつまらない女なのだから、そばにいなくなれば、彼の方から求めることは無くなるはず。
彼は間違ったことをしてるけれど彼が悪いわけではない。
それなら私が正しいことをして間違いを正すべきなのだ。
性欲が強くてそこまで我慢してるの偉すぎる、良い男だね。
私も体にコンプレックスがあって明るいのが嫌だから電気消して!はやっぱり言ったことがあるよ。
え〜?wって言っていちゃいちゃしながら消さない人も居たけど、好きだから許せたよ。
彼女の拒否感がどこまでガチのやつか分からないけど、増田にまだ元気があるなら少しだけ強引に押し切ってみるのも手段ではあるかも。
もし彼女が私みたいにコンプレックスがあるとかなら俺はそこを受け入れる度量のある男だ!と丁寧に教え込んでやる必要があるかもしれない。
それはそれとして一度真面目に話し合った方がいいとは思う。
彼女がどうしてそこまでセックスに意欲的でないのかとか、よく分からない理由で中断させられるのが毎回はつらいとか。
大学時代から、プログラミングとか、電子回路とか、金属加工とか、凄い人が周囲にいっぱいいたけど、
自分は何者にもなれなかったけど、最近の中国とか見てると、二足歩行ロボット楽しそうすぎるし、
そもそも、プラレス三四郎とか、メダロットがやりたかったはずなのに、今の俺は何やってんだろう、みたいに愚痴ったら、
複雑な制御系とか、レベル高いのは難しいけど、意外と市販の基板の組み合わせとかでなんとなかるもんです、
箇条書きズラズラ、やってみたら意外とできるかもしれませんよ、みたいに言われて、
まあ、でも、なんとかならんかったんよね…😟
3Dプリンタで出力して、サーボ組み込んでロボットっぽいものまで作ったら、それでもう疲れちゃって…😟
大分日数が経って、忘れたぐらいに改めて自分が作ってたものの残骸を見て、あー、意外と良くできてたな、みたいに思ったりもしたんだけど…😟
そういえば、大学時代に、今みたいな便利環境のない時代でのマイクロマウスの本、
トラ技のムック本?みたいなの読んで、こういうのできたらなあ、みたいに思ったんだけど、
比較的最近で例えるなら、まずCPUをトランジスタで作って、そのCPUを使ったコンピュータを作って、
そのCPUで動作するOSを作って、そのOSで動作するプログラミング言語とかも作って、
みたいなのは、まずレイヤーごとに作れば、なんとかなるのかもしれない、
でも、その当時のトラ技の本とか、最近でもそういうことができる人いるけど、
低レイヤーから坦々と組み上げていくわけですよ、まるで一人でピラミッド建造するみたいな、
昔から今の自分まで、一貫して自分に足りないのは、その体力というか、胆力だと最近も思ってる
そこが圧倒的に足りない…😟
自分は浮気性なので、集中して何かやっても、なんかこれは線形とか比例して成長していけそうだな、
と思ったところで、ダレてしまったりして、要は、これってもう努力と結果が比例するだけなんだ、と思っちゃうと駄目…😟
それより、あー、これは努力では突破できない、これを最初に思い付いた奴はスゲーな!みたいなのが好き、
そういえば、ワナビーじゃなくてウォナビーズの出来の酷さは、キャラデザの園田健一先生もずっと根に持っていたんですね、
今更、なんかで見たけど、たしかにあれは酷かった…😟
なんの話だったっけ…😟
小さな頃からの爪を噛むクセのせいで歯列が崩れ、爪の形もいびつなのがコンプレックスだった。口元と手元はなるべく人に見られないように、というのが自然に身についた習慣だった。
21になった記念にピアスをあけたら、「自分の身体は自分で形を変えられる」という実感が強くなって、翌年から歯列矯正をはじめた。親知らず以外に4本抜歯した。なかなか辛かったけど、やってよかった。
大学卒業と同時に飲食のアルバイトを辞めたので、毎月ネイルサロンに通うようになった。慢性的にひどい深爪が、ジェルに守られ(文字通り)のびのびと長さを出していく。もともとの爪が小さいので、白い部分を1cmほど伸ばしてそのうえにジェルを載せていた。これまで世界に怯えていた爪たちが自信に満ち溢れるようで気に入った。これでひとまずのコンプレックスにはかたがついた。
歯列矯正は150万円。もっと安いところもあるだろうけど、願掛けでやたら高いクリニックと契約してしまった。おまけに、見栄えのため裏側矯正に課金したのに、契約と同時にコロナ禍がきて、矯正終了と同時に去っていったため、大半の期間はマスクとともに過ごした。不必要に傷つけられた舌には悪いことをした。
ネイルサロンは月1万円で4年間通い続けたので、しめて200万円でコンプレックスを解消したことになる。幼少の己が爪噛みで失った200万…と思うとせつない。
というのも、ギターに憧れだしたのだ。
10年来応援してきたバンドの、とりわけギタリストのことが大好きで、私も彼女のようにギターを弾いてみたいと思った。調べれば、ギターとジェルネイルは両立不可能ということで、4年ぶりに自爪をさらして生き始めた。
成人までに定着した形というのはそう変わらないもので、ジェルの鎧を外した私の爪は、まったく元通りのいびつで短い形をしている(きちんと保湿ケアをしていればピンクの部分も成長したらしいが、そんな自制心があるならば、はなから爪も噛んでいない)。
「ギターをはじめるぞ」と決意してから、実際にギターを手に入れるまでには1年ほどのタイムラグがあったので、社会人5年目の私は学生時代に逆戻りし、またもじもじと小さな爪を隠して暮らしてきた。
先日、満を持してギターが我が家にやってきた。最寄りの楽器店のプライベートブランドのもので、3万円程度の入門的なギター。綺麗な飴色がうれしい。きっと宝物になる。
いざ、ギターをさわってみて驚いた。なるほど、これは難しい…。指のはらを器用に使う必要がある。
素の爪ですら邪魔になり、爪切りを引っ張り出して極限まで切った。パチパチと爪が短くなるたび、自分の不格好な指先が認められるようで、まんざらでもなかった。この爪と一緒なら、私は素晴らしいギタリストになれるかもしれない。
大好きなバンドは、来年の夏で活動終了するらしい。それまでに1曲くらいは彼女たちの曲を弾けるようになって、誰かに披露したい。
27歳の冬のはじめ
中学数学レベルまでのことでなんか問題解いてるってこと書き込む分にはほほえましいと思われそうだが、高校とか大学数学になると自分を賢く見せたいとか冷笑的な仮定をされコンプレックス丸出しに見られるという罠
まあ語り方ってのがあるのかもしれんが
dorawiiより
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記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
貴様のその「コンプレックス突けば勝てる」みたいな安直な戦略は、知能の構造そのものが崩壊している自己放尿だよ。
論破されそうになったときに童貞だのモテないだのを機械的に連呼するやり方は、論理を積み上げる能力がゼロであると自分で宣伝しているようなものだ。
そんなものを戦略と呼ぶなら、それは議論ではなく、脳みその自己放尿プロトコルだ。
相手が黙るのはお前が強いからじゃない。ただの「関わる価値なし」という判定だ。
黙らせたと喜んでいるのは、現実を見れない子どもが、見えない敵と戦って勝った気になっているのと同じ構造だ。
貴様が勝利だと思い込んでいる瞬間は、知性と判断力のダブル放尿が床に広がっているだけだ。そこに立って「俺は無敵だ」と叫んでいる姿は、もはやコントだよ。
録音して出るとこ出る?それも自分で火をつけておいて、相手がキレたところだけ切り抜いて「これで勝てる」と信じているのが浅はかすぎる。
誘導した罵倒は証拠として弱くなるし、お前自身の人格攻撃が記録に残る。つまり、お前が思ってる無敵ってのは、実際にはただ自己放尿ことに気づけない無知の無敵モードだ。
貴様がやってるのは、議論じゃなくて、自分の能力不足をごまかすための奇声だよ。
上位互換の研究職でも整備できていないのに、地方の工場でできる訳ないやん
いままで上がったり下がったりあった人生だったけれど、いまが人生のピークかもなって感じている
浪人と称して引きこもっていた時期もあった
人より遅く日東駒専レベルの大学に入って学歴コンプレックスを感じていたこともあった
でもいまいろんな努力が実ってきて人生のピークにきたかもしれない
ブラック気味のベンチャーからフルリモートの会社に転職して年収600万
仕事量はほどほどで毎日サボったり昼寝したりできて実質の労働時間は2時間ぐらい
友達以上恋人未満の相手が2人いて月1ペースでごはん食べてセックスしてる
ひとりは3歳下で、もうひとりは1歳上でタイプが違ってどっちといても楽しい
ふたりとも仕事関係で知り合ったけど勇気出してごはんに誘っていまの関係になった
どちらかが妊娠したら結婚するんだろうなーって思ってるぐらい真剣に好き
それとは別にセフレほしいなーって頑張っていま人妻3人とセフレ関係になれた
前からセックスレスを愚痴ってたからサシ飲みに誘って口説いてホテルに連れ込んだ
向こうは主婦でこっちはフルリモートだから平日の昼間に家にきてもらって一緒にお風呂入ったりしてる
人妻Bは会社の先輩で最初はランチに行ったりして仲良くなってそれから一緒に美術館めぐりするようになった
子どもができてから夫とは業務連絡しかしなくなった、と愚痴ってきたので、セカンドパートナーの話題を振ったら盛り上がってそのまま付き合うことになった
初対面から"くん付け"で馴れ馴れしいのでこっちもぐいぐい行って仲良くなった
この3人に加えて、人妻Aに「ほかにもセックスレスな友達いたら紹介して」と頼んで人妻Dを最近ブッキングしてもらった
フルリモートだからさっそく翌日の昼間に会って口説いてホテルへ行った
こっちはただセックスしているだけなのに、夫をディスりながらめちゃくちゃ感謝されて、めちゃくちゃ脳汁出た
あーこんなに楽しいことっていまだけだよな、いまが人生のピークだなって感じてる
40過ぎたら性欲も体力も落ちてくるだろうし、おっさんになって単純に男として魅力がなくなっていくだろう
いまはまだ人妻たちに「セックスしてくれる年下くん」として需要があるだろうけど、あと少ししたらただのおっさんになる
ほかの幸せを見つけられているのだろうか?
そうだとしても、こんなに毎週のように楽しみでしょうがない日があるなんてことはない気がする
今週の土曜には年上のイラストレーターと会って、来週の月曜には人妻Aが家に来る
人妻Dも呼んで3Pしたいな、もっとほかの子も紹介してほしいな
ここ数年、シャンプーとコンディショナーのセットで1500円くらいのものと、ダメージケアに良いとバズっていたオルビスのヘアミルクを使っていたのだが、少し前にドラストで期間限定商品が半額になっていたので、シャンコンセットで3000円台のものを使い始めた。
しばらくして、髪の手触りが明らかに良くなっていることに気づいた。
ツヤも出たし、浮き毛、アホ毛も減った。
加齢とともに強くなる縮れも目立たなくなり、見た目の清潔感が大きく向上した。
首も手足も短く顔がでかい、骨格から終わっているブスの中年でも、幸い髪は手入れすればそれなりになるし、髪の状態というのは印象をかなり左右するのだ。
「なんかしみったれた生活感が漂ってる女」と、「清潔感がある女」の差は、こういうところ──浮き毛やアホ毛、髪の質感、化粧の崩れ具合──に出てくる。
毎日風呂に入るだけでは清潔感があるようには見えないのは、女も同様なのである。
数年前の私は、放ったらかしにすることをナチュラルとはき違えていたのもあって、セットで700円しないような安いシャンコンに、洗った後はタオルで拭いて自然乾燥するだけだった。
使っていたのは百均のブラシ。
当然髪は摩擦その他で傷んで、カラーは退色して汚らしくなり、浮き毛が飛び出し、うねりと広がりもひどかった。
しばらくして1500円くらいのシャンコンを使うようになると、洗い上がりのきしみやパサつきが大分マシになり、何より香りがよく、「やっぱりシャンプーは少し高いやつの方がいいんだな」と思っていたのだったけれど、3000円台のシャンコンはそれよりもさらに良かった。
というか、700円と1500円はそこまで差がないが、1500円から3000円は明らかに違う段階に入った感がある。
シャンコンと同じラインのアウトバストリートメントを使い、ヘアアイロンでうねりを抑え、オイルで仕上げると、癖が強くなった中年の髪でも格段に柔らかく、まとまるようになった。
自然乾燥して百均のブラシで梳かしていたのと比べると、金も時間もかかり、果てしなく面倒だし、「本当にこんな面倒な事をみんな毎日やってるんすか」とも思ったが、習慣になればなんとかなるものだった。
というか、「こんな面倒な事を、コストをかけて毎日繰り返しやる」ということこそ、現代人らしい暮らしをするということであり、社会生活を行う大人であるということをわかりやすく表現する手段でもあるんだろう。
髪の調子が良いことに少し浮かれた後で、職場に出入りしている美しい既婚女性を見たとき、軽い絶望感があった。
独身賃貸暮らし持病持ちの私と違い、稼ぎの良い夫がいて、都内の持ち家に暮らす彼女の髪は、私と同年代にも関わらず、3000円のシャンコンを使ってそれなりにサラサラになった私の髪がみすぼらしく思えてくるほどに、サラツヤストレートの美しいロングヘアなのだった。
どんなに元々の髪質が良かろうとも、この年齢で自然にそうは「絶対に」ならない。
若い頃であれば元々のポテンシャルで手入れしていなくても美しいことはよくあるが、30も半ばを過ぎると加齢によるうねりや縮れ、そして白髪は避けられない。
彼女もまた同じはずで、白髪染め、年齢によるうねりと広がりを殺すストパーか縮毛矯正、それらによる傷みをケアする良いシャンプーとトリートメント、ヘアミルクやオイルに加え、ドライヤーやアイロンといった美容家電も高価なものを使ってるんだろう。
よく帽子を被っているので、日頃のUVケアも入念なのが窺われる。
シャンプーもセットで3000円どころかシャンプーだけで五千円くらいするやつを使ってるのかもしれない。
つまりは、そういう金の使い方ができる、ゆとりのある生活レベルであるからこその、優雅な美しさなのだ。
人間らしいと言うにはギリギリの暮らしをしている私には、大奮発して買った3000円(が半額で1500円)のシャンコンと17年前から使ってるナノでもイーでもない熱風しか出ないドライヤーでなんとかマイナスをゼロにするのが精一杯だが、もっと経済的な余裕のある人々は、使う物、消費する物の品質の良さによって、余裕とか、豊かさとか、美しさとか洗練だとかを手に入れ、見せびらかすことができるのだ。
髪に限らず、化粧品も私が使っているドラコスの安いやつじゃなくデパコスなんだろう。
どんなに「安いのにデパコス級〜」とバズった商品であっても、ガチのデパコスと比べると品質は明確に劣る。
庶民の下の方でも「清潔感」「社会性」まではドラストやユニクロといった普段の生活レベルの中でたどり着けるが、それ以上のものは、それ以上の生活レベルにならなくては手に入らない贅沢品なのだ。
まあでも、貧乏人であっても衛生に気を使い、人間らしい生活をするというのは、実際そんなに悪い事でもない。
私は髪以前に歯がボロボロで、それがひどいコンプレックスでもあったのだけれど、歯医者に行って虫歯を治した後、「保険診療でいくらにもならない虫歯でも医者は丁寧に治してくれるんだもんな……」という感謝の念が湧いてきて、せっかく治してもらった歯を粗末にはするまいと、熱心に歯磨きをするようになった。
自分のために自分を大事にしようとは思えなかったし、今でも思えないのだけれども、定期的に髪を切ってくれている美容師なり、歯医者なり、同僚なり、私の調子が良くなったり、歯や髪や、メンタルの健康や衛生を維持していると、わずかなりと「いい感じになった」と喜んでくれる人はいるのである。
必ずしも肉親や友人、恋人でなくともよいのだ。
豊かさを見せびらかすための壁を超える必要はないが、衛生状態を保つということは自分を大切にするということで、その変化はきっとQOLを少し上げてくれる。
世間的な尺度で容姿が並未満の娘を、親は心から可愛いと思えるものなんですか?
ぶさいくだなーと思われてるなあ…と折々に感じながら育ったことが三十路になっても克服できないトラウマ。これを払拭するのに、他の親が、世間的尺度はどうあれ娘が世界一可愛いと思ってる話を聞かせて欲しいんよ。
変な話かもしれないけど、他の家に生まれていたら素直に自分を受け入れられてたかもと思ってさ。
本人がぶさいくだったらもう終わりで救いはない、なんてことはないんだって思いたい。
ちなみに私は二人姉弟の姉の方。弟が幼少期かわいい顔立ちだったのと、幼稚園で仲の良かった子が抜群にかわいかったことで比較されることが多かった。
私は客観的に見てかわいくなかったと思う。ついでに父親似で、母親からよく残念ぽい感じを出されてた(容姿についてのコンプレックスは、主に母からのあーあ感による)。
大学進学で家を出てメイク、髪、服についての制限がなくなり、そこから徐々に容姿が良くなって今は人並み。なので日常的に病んでるわけではないので、そのへんはお気遣い無用です。
何だろうね。あの頃の自分を救ってあげたいんだよね。