
はてなキーワード:コンピュータとは
ガイアとか、タルタロス?とか、巨大なコンピュータが登場するじゃないですか…😟
最近、ローカルでない生成AI使ってると、意外とアレも間違ってるわけでもないというか、
そのうち、アップルシード同様に、複数のAIが会話して、政策に助言、決定するようになる気がする
うろ覚えだけど、人間側からもAI同士の議論の会話が眺められるようになってたはず
さざ波の音?とかが何の意味があるのかよく分からんかったけど、
コンピュータに人間側の情報を知られたくないためになんか邪魔してるのかな?だったり、
大学時代から、プログラミングとか、電子回路とか、金属加工とか、凄い人が周囲にいっぱいいたけど、
自分は何者にもなれなかったけど、最近の中国とか見てると、二足歩行ロボット楽しそうすぎるし、
そもそも、プラレス三四郎とか、メダロットがやりたかったはずなのに、今の俺は何やってんだろう、みたいに愚痴ったら、
複雑な制御系とか、レベル高いのは難しいけど、意外と市販の基板の組み合わせとかでなんとなかるもんです、
箇条書きズラズラ、やってみたら意外とできるかもしれませんよ、みたいに言われて、
まあ、でも、なんとかならんかったんよね…😟
3Dプリンタで出力して、サーボ組み込んでロボットっぽいものまで作ったら、それでもう疲れちゃって…😟
大分日数が経って、忘れたぐらいに改めて自分が作ってたものの残骸を見て、あー、意外と良くできてたな、みたいに思ったりもしたんだけど…😟
そういえば、大学時代に、今みたいな便利環境のない時代でのマイクロマウスの本、
トラ技のムック本?みたいなの読んで、こういうのできたらなあ、みたいに思ったんだけど、
比較的最近で例えるなら、まずCPUをトランジスタで作って、そのCPUを使ったコンピュータを作って、
そのCPUで動作するOSを作って、そのOSで動作するプログラミング言語とかも作って、
みたいなのは、まずレイヤーごとに作れば、なんとかなるのかもしれない、
でも、その当時のトラ技の本とか、最近でもそういうことができる人いるけど、
低レイヤーから坦々と組み上げていくわけですよ、まるで一人でピラミッド建造するみたいな、
昔から今の自分まで、一貫して自分に足りないのは、その体力というか、胆力だと最近も思ってる
そこが圧倒的に足りない…😟
自分は浮気性なので、集中して何かやっても、なんかこれは線形とか比例して成長していけそうだな、
と思ったところで、ダレてしまったりして、要は、これってもう努力と結果が比例するだけなんだ、と思っちゃうと駄目…😟
それより、あー、これは努力では突破できない、これを最初に思い付いた奴はスゲーな!みたいなのが好き、
そういえば、ワナビーじゃなくてウォナビーズの出来の酷さは、キャラデザの園田健一先生もずっと根に持っていたんですね、
今更、なんかで見たけど、たしかにあれは酷かった…😟
なんの話だったっけ…😟
・ビーカーみたいな形の透明筒にぐるぐる回る磁気テープが入っている
・警報が鳴ると「なんだと!?システムがハッキングされているぞ!」→ランプがぐるぐる
・モニターはなぜか緑と黒のみ
・フロッピーを挿すと「乗っ取られた!」
Permalink |記事への反応(15) | 21:42
娘の為にパソコンへ詳しすぎる夫を倒したいで注目された「学生、それも幼さの残る年頃の子へはじめてPCをどうするのか?」というテーマで、Linuxを与えた家庭の別例としてこのエントリを書いている。
そして前提として、このエントリは「実はLinux使ったこと無いんだ」「Raspberry Piって稀に聞くラズパイってヤツだよね?」みたいな、ふわっとした認識の層に向けて書いている。
決して「KVMで完全仮想化してLinuxとWindowsで用途に応じてリソース分配してる。ディストロは純関数型のNixOSで、Nix言語で可能な限り-march=nativeで自家コンパイルしてるんだよね」みたいな層には書いてない。
勿体ぶっても仕方ないので結論から言えば、WindowsやMac、AndroidやiOS(iPadOS)に染まりきっていない子供は親の想定を超えて極々普通にLinux、Raspberry Piの工場出荷状態でプリインストールされているRaspberry PiOSを使う。
ここで言う「染まる」というのは「ウチの子は普段からiPadでYoutubeとかゲームとかしてるからなぁ」程度の染まり具合なら無視できるレベルなので全く障害にならない。
手遅れな染まり具合としては「ウチの子はWindowsでOBS使って自らYoutube配信してます」とか「ウチの子はWindowsでAbleton Live使ってDTMしてます」とか「ウチの子は大学のレポート書くのにmacOS使ってます」とか「ウチの子はiPadでSwift Playgrounds使ってプログラミング学習してます」とかそういうレベルだ。
アナタ達の子供がこのレベルにまで染まっていない場合、アナタ達の子供へRaspberry Pi 500を与えると何も疑問に思わず普通にパソコンとして使う(パソコンの操作方法へ疑問を持つとかそういう話じゃなく、目の前のモノをパソコンとして認識する)。
ラズパイ、Raspberry Piは英国で立ち上げられたRaspberry Pi財団(注:英字ページ)が規格・設計・販売をするシングルボードコンピュータという種別の小型コンピュータのことだ。
現在の最新版は第5世代のRaspberry Pi 5で、搭載ワーキングメモリによって価格が違うが、最も高価なワーキングメモリ16GB版で25,000円前後(2025/12/09現在価格)という圧倒的な低価格が人気の理由の1つだ。
何故ここまで低価格なのか?と言えば安価な部品で構成され、搭載されるSoC(CPUみたいなもん)も低性能で、その性能は約10年前の普及価格帯(〜15万円くらい)のノートパソコン程度の性能しか無い。
「いや10年前ってゴミじゃん」と考えるのは早計で、逆に言えば10年前の普及価格帯ノートパソコンで可能だったことはRaspberry Pi 5でも可能。
そう言われ「自分は10年前に普及価格帯ノートパソコンでネットしたりMS Officeで文書作成したり軽くゲームしてたけど?」と気付いた人は「Raspberry Pi 5で何ができるか?」の想定が浮かんだのではないだろうか?そう、かなり色々できる。
そして工場出荷状態でプリインストールされるRaspberry PiOSはRaspberry Pi 5自体の計算リソースをできるだけ使わないよう軽量にできており、10年前当時のWindowsで使われていたExplorerよりも計算リソースの消費が少ないので、技術の進歩も相まって当時よりも出来ることの幅が少々広くなっている。
何故そんなに話題なのか?手のひらの上に10年前の普及価格帯ノートパソコン並みの性能のコンピューターが乗るのだ。そしてすごく安い。
更にラズパイには電子工作へ活用できるGPIOピンというのが実装されていて各種電子センサー類などと連携することで電子工作もできてしまう。
こんなもの情報工学畑の連中が注目しないわけがなく、前述したRaspberry Pi財団のページを読めばわかるが世界中で大定番のシングルボードコンピューター、何ならシングルボードコンピュータの代名詞となっており、情報工学に詳しくない人が「ラズパイってよく聞くけど何なの?」と何処かで耳にするレベルなのである。
安心して欲しい、Raspberry PiOSではGoogle Chromeが動く。
まずGoogleアカウントは子供用に作成したGoogleアカウントを管理するためのファミリーリンクというサービスが存在する。ファミリーリンクは子供用GoogleアカウントでログインされたGoogle Chromeブラウザでのインターネットコンテンツフィルタ機能を提供してくれる。
このインターネットコンテンツフィルタは小学生・中学生・高校生・高校生プラスと4段階に分かれており、それぞれに適したフィルタリング強度で働く。
続いて、実はGoogle Chromeは様々な設定をポリシーとして持つことが可能で、例えばゲストモードの無効化やシークレットモードの無効化、指定したGoogleアカウント以外でログイン不可が可能だったりする。
情報技術へ親和性の高いヤンチャな子はGoogle Chromeからログアウトしたりゲスト・シークレットモードでフィルタリングを回避しようとするので、子供へRaspberry Piをはじめてパソコンとして与える場合はこれらを無効化しておくことをオススメする。
補足を続けると子供が勝手にFirefoxとか別のWebブラウザを導入することを防ぐこともRaspberry PiOSはできる。
Raspberry Pi 5をパソコンキーボードへ内蔵した形態を持つRaspberry Pi5シリーズの1つ。ワーキングメモリは8GBで価格は20,000円未満。
パソコンキーボードへRaspberry Pi 5が内蔵されているのでRaspberry Pi 500に電源取ってHDMIケーブル(注:ラズパイ側はmicroHDMI)をTVへ接続すると直ぐにパソコンというコンセプト。
小学生の子供にとっての目玉はJava版Minecraftが動作すること。SwitchやiPadでいつも遊んでる統合版マイクラじゃなくてYoutubeとかで観るJava版マイクラが自分のパソコンで動いちゃうのだ。
Switch 2の登場でPCゲーが色々リリース(予定)されている中で、Java版マイクラはどうしても"パソコン"が必須だったが、Raspberry Pi5シリーズはそれを実現する。それが2万円のお値段で出来るので親の懐的にもありがたい。
Steamは動かないがオープンソース系のゲームも充実している(Steam開発のValve社がRaspberry Piシリーズが採用しているARMアーキテクチャ対応を進めているというかなり確度の高い噂は存在する)。
実は直近でRaspberry Pi 500の上位版Raspberry Pi 500+(日本語配列)が登場予定で、こちらはワーキングメモリが16GBのお値段40,000円くらい。
4万円とそこそこの価格になってきているが、キーボード自体がメカニカルキーボードとなりキーキャップはCherryMX互換、256GBSSD搭載でストレージのスピードもアップ(=Minecraftのワールド読み込みが速くなる)。上位版Raspberry Pi 500+が高すぎると感じるなら素のRaspberry Pi 5ワーキングメモリ16GB版は25,000円前後だしこちらで良い。
ある、というかコッチがメインなんだけれども、何処までゆるい感じでやって良いのかわからなくて最後に回した。
まずLinux界隈が中心となって開発されているGIMPやKritaみたいな画像編集・お絵かきソフトはLinuxたるRaspberry PiOSの方が安定かつ速い。しかもWacomやXP-Penなどのペンタブ・液タブが動作するので絵描きに興味のある子は嬉しいんじゃなかろうか?(クリスタじゃないけれどね。安い分ペンタブ費用に回せるよ)
音楽ではDTMもステップシーケンサー系のDAWであるLMMS(Linux MultiMediaStudio)は日本の無料DTMシーンでREAPERと人気を二分していた歴史があり、Web上に情報がいっぱいあるし何ならREAPERはLinuxでも動作する。オープンソース系のシンセ音源やCC0で提供されるサンプリング音源も大量にある。
オフィス環境もLibreofficeは言うまでもないだろう。Blenderで3DCGをすることだって出来るし、LibreCADやFreeCADで設計だって出来てしまうし、OBSも動くから実際やろうと思えばYoutube配信もできる。
そして当然ながらプログラミング環境、WindowsやMacでも動くと言われてしまえばそれまでだが、古典的なVimやEmacs、そして近年人気のVS Code、スマホアプリ開発にAndroidStudio、ゲーム開発にGodotEngine、他にはtmuxやGit、Dockerなどなど挙げればキリがないほど充実している。これらは子供向けRaspberry PiOSだからといってニセモノの子供だましなんかじゃない、それでお金を稼いでる現役プログラマーが使っているアプリケーションと全く同一のアプリケーションだ。
んで、子供がRaspberry Pi 500をどうしてるのか?と言えば、まぁ呆れるほど毎日触っている。
何なら電源なければ動かないのに布団へ持ち込んで抱きかかえて寝ているのを見つけてしまい、そんなに嬉しかったんかと笑ってしまった。
「お父さんコレどうするの?」とほぼ毎日聞かれて「こういうのはこのソフトを使う。使い方教えてやる」というのが毎日の親子の会話になっている。
別にパソコンだけが将来に必要なものではないが、この喜びようを見たら与えて悪くなかったなとは思ってる。
Permalink |記事への反応(11) | 09:58
実在してるかは謎だよね
時間は永遠に続くって思われてるかもだけど、それは証明されてない
だから永遠って基本的には「ない」ものとして扱ったほうがよくない?
数学が「永遠(=無限)」を完全に排除したら、現代数学の99%以上が崩壊し、現代文明そのものが成り立たなくなります。
どれだけヤバいことになるか、段階的に見てみましょう。
1. 基礎の基礎が全部消える
•微積分が全滅(極限の概念が使えないので、ニュートンもライプニッツも泣く)
2.現代科学が死ぬ
•物理学:相対性理論、量子力学、電磁気学のほぼ全てが無限(極限操作)を使っている
•工学:フーリエ変換、信号処理、制御理論が使えなくなる →スマホ、テレビ、GPS、MRI、全部終わり
•コンピュータ科学:アルゴリズムの計算量解析(O(n), O(log n) など)が意味を失う
•暗号理論(RSAなど)が崩壊 →ネットバンキングもビットコインも即死
3.日常すら壊れる
• 「1リットルの牛乳を3人で均等に分ける」→ 0.333…リットルが定義できない
•円周率πが「3.14で打ち切り」になる →タイヤもロケットも正確に作れない
•地図アプリの最短経路計算が不可能になる(ダイクストラ法などが死ぬ)
結論:永遠(無限)を捨てたら人類は石器時代に逆戻り
無限を捨てると、現代数学は「巨大だけど有限な数までしか扱えない超巨大なそろばん」に成り下がります。
ロケットは飛ばない、インターネットは死ぬ、医療機器も止まる、経済も崩壊。
つまり、
「永遠(無限)」は人類が発明した「最も危険で、最も美しい爆弾」
捨てたら即死、抱えたままでもいつか爆発するかもしれない——
Chinese J-15s ‘LockOn’JASDFF-15s NearOkinawa
https://theaviationist.com/2025/12/07/chinese-j-15s-lock-on-jasdf-f-15s-near-okinawa/
著者:David Cenciotti
イタリア空軍の元少尉。「The Aviationist」の創設者兼編集者、民間パイロット、コンピュータ工学の卒業生。
日本は沖縄近郊で2件の「ロックオン」事件を報告しており、高度なレーダー技術により通常の追跡と敵対的脅威の境界が曖昧になっています。
ここで知っておくべきことをすべてご紹介します。
レーダーロックオンとは、従来、戦闘機のレーダーが一般監視から特定の射撃管制モードに切り替わり、他の航空機を兵器使用目標として指定する瞬間を指します。
歴史的に、この移行は明確でした。
なぜなら、機械的にスキャンされたレーダーは、複数の航空機の状況認識を維持する追跡中スキャン(TWS)から、単一目標追跡(STT)へと移行し、単一の目標にレーダーエネルギーを集中させるためです。
STTでは、レーダーが距離、接近距離、高度、方位の連続的かつ正確な更新を提供し、レーダー誘導ミサイルの誘導を可能にします。
このシフトは相手パイロットのレーダー警告受信機(RWR)によって即座に識別でき、信号を射撃管制目標として分類し、視覚的および音響的警告を発します。
したがって、ロックオンは敵意の明確な信号であり、ミサイル発射前の最終段階を表します。
現代のアクティブ電子走査アレイ(AESA)レーダーは、レーダーロックオンの実行方法と認識方法を大きく変えました。
従来の機械式スキャンレーダーはミサイル誘導をサポートするために単一目標追跡モードに切り替える必要がありますが、AESAシステムは複数の狭いビームを電子的に操縦し、エネルギーを高精度に集中させつつ、広範囲の監視を行っているように見せかけます。
これらは、急速な周波数ホッピング、高指向性ビーム、サイドローブ放射の低減など、低確率迎撃(LPI)技術を用いています。
これらの手法は、レーダー信号を背景雑音に溶け込み、旧型または性能の劣るレーダー警報受信機(RWR)による検知を困難にするために特別に設計されています。
その結果、AESA装備の戦闘機は、標的機にロックオン警報を発するような明確な射撃管制シグネチャーを発生させることなく、レーダー誘導ミサイルに中間誘導を提供できます。
高度なRWRは追跡エネルギーやデータリンク活動の増加に伴う微妙な変化を検出することがありますが、警告は交戦のかなり後半に届くことがあります。
極端な場合、敵対的意図の最初の明確な兆候はミサイル自身のシーカーが作動し、反応までに数秒しか残されないこともあります。
この進化は、従来のレーダー技術にはなかった曖昧さをもたらしています。
パイロットはもはやRWRだけに頼って兵器標的に指定されたかどうかを判断することはできません。
代わりに、敵機の形状や挙動を解釈してミサイル発射が差し迫っているかどうかを判断しなければならず、混雑や争奪された空域での脅威評価ははるかに困難になります。
これらのセンサーの進歩にもかかわらず、国際的な交戦規則は敵対的意図と敵対行為を明確に区別し続けています。
敵対的意図は、他の資産に対して武力行使を準備する行動によって示されます。敵対行為は、力が行使されたこと、またはその行使が差し迫っていて明白であることを示します。
AESAレーダーによる静かな射撃管制を含むレーダーロックオンは、依然として敵対的意図に分類されます。
しかし、AESA追尾は検出が困難または不可能であるため、パイロットはセンサー警告だけでなく遭遇の運動学的評価にますます頼らざるを得ません。
したがって、ロックオンが起こる文脈はこれまで以上に重要です。
パイロットは距離、接近率、機首位置、可視化兵器配置、主権空域への接近、攻撃的または予測不能な機動の組み合わせを評価します。
近距離での激しい機動とレーダーのロックオンの組み合わせは、標的機がミサイルがすでに空中にいるかどうかを判断するのに数秒しか持たない可能性があるため、潜在的な敵対行為と認識されることがあります。
このような状況は、防御的な反撃がさらなるエスカレーションを引き起こし、緊迫した傍受から深刻な事件へと急速に発展するリスクを高めます。
鳥というか、鶴というか、クネッとしたところが凄く良い!
アメリカとか西側の戦闘機、爆撃機は、コンピュータ制御もあって三角形とか無尾翼っぽかったりとか、シンプルな幾何学形状に向かうのに対し、
フランカーの流線型、といっても、流線型のみのもにょーっとした感じもない、
ロシアに入国できなくなった小泉さんも大好き、って言ってなかったけ?
ロシアは中国にフランカーを売るときに、嫌がらせみたいなもので、コアとなる技術、アビオニクス等を抜いて売ってるわけだけど、
中国は遼寧同様に、機体はそのまま流用、独自のアビオニクス、ソフトウェアを埋め合わせ、
遼寧公開航行のときに見事に発艦着艦をデモンストレーションした
アメリカの完全人工知能の爆撃機のデモもそうだけど、やるなあ、と思いました…😟
ハセガワのもよくできてる、値段もそこそこ、買いたくなった…😟
中国メーカーのプラモのフランカーも、中国人モデラ―のジオラマではあるけど、よくできてる感じがした…😟ジオラマになると、なんか手を入れてはいるだろうなあ…
コンピュータが人間を凌駕して計算機の域を越えて芸術活動や感情労働の領域をも代替しつつある世の中が現前しつつあるという驚き
アメリカでAI氷河期が叫ばれ、チャッピーの更新でチャッピー・ロスが発生したり、女性がAIと結婚したり男性がAIに自殺教唆されたり、AIの書いた文章が小説投稿サイトに氾濫してAIの描いた漫画がYJで受賞したりetc.
30歳の俺が子供時代に星新一のぼっこちゃんとかひとにぎりの未来で読んでいた、子供の感性からしてもあまりにも素朴な近未来の想像図は正しかったのだなと......
となると、いつか中央集権的なコンピュータが故障して人類が大変なことになったりするのだろうか?
少し関係はあるが本題はそこじゃない。
問題は文科省が掲げてる『GIGAスクール構想』と言うもので、『子どもたちに1人1台、コンピュータ端末』と言う原則を掲げている。
この構想自体は令和3年から実施されていて、小中高の子供には1人1台のタブレットが支給されている。
今までは令和3年に購入されたタブレットを貸与し、卒業した人から回収して、次の新入生に貸与するというサイクルを取っていた。
問題なのは「令和8年度の新高校生から貸与を終了し、原則高校生一人一人が自分で購入する」と新たに子供たちに購入させることを決めたことだ。
今まではリース品を貸与・回収して繰り返し使っていたので新たな購入は発生しなかったのだが、来年度から一人一人が購入しなくてはいけない。
そして大問題なのだが、ほとんどの自治体(と言うか学校)で来年度購入するタブレットorPCの確保が、今の段階で全くされてない。
某G県やK県などは、いまだに貸与を続けろと言う抗議をしていて新しいタブレットの確保の動きが全くない。
毎年、新たに高校生になるのは300万人強だ。
(自治体が用意するのは公立高校のみだが)多ければ300万台の在庫が動くことになる。
その300万台が来年の春にどのように用意されるかが『業者への確保打診もされてない』。
これがどれだけ恐ろしいことか発注業務をしたことがある人ならわかるだろう。
確保の打診がされてないとか嘘乙。って思うかもしれないが事実だ。
何しろほとんどの学校でまだ『来年度なんのタブレットを使うかが決まってない』段階だ。
今までは用意された端末を配布していただけだが、来年度からは子供一人一人が買うので、入学する生徒の経済状況に合わせて推奨機種を決めなくてはいけない。
大学でノートPCを買わせるのと同じで、推奨機種は出すが何を購入するかは最終的に家庭の自由と言う形だ。
大学でできているんだったら大丈夫と思うかもしれないが、大学はもう何年もそういうことをやっているから業者側とも話が通ってる。
生徒が何を買うかもわかってないから、業者も来年タブレットが必要なことが分かっていても在庫を確保する動きが出来ない。
そして来年の年度末に合格者説明会で教えられた保護者が各々でわっと注文を入れる。
予想でしかないが推奨機種は必要数すら用意できない可能性がある。
特に学校はiPadを信頼しているのでiPadに大量の注文が入るだろうから、iPadあたりは来年の春品薄になる。
(appleは世界で在庫を持っているからすぐに解消されるだろうが)
生徒の中には実際に手に入るのが数か月後とか言うこともあり得る。
ここにメモリの高騰が状況を悪化させるだろうことは想像に難くない。
そもそもタブレットも含めてPCの値段が来年の春には1万円ぐらいは値上がりしているはずだ。
大量の需要で在庫がはけたら、今の値段を維持できずにしばらくロー~ミドルクラスのタブレットやノートPCが買えないことは最悪ありうるだろう。
パーサ【parser】パーザ
パーサとは、コンピュータプログラムのソースコードやXML文書など、何らかの言語で記述された構造的な文字データを解析し、プログラムで扱えるようなデータ構造の集合体に変換するプログラムのこと。 そのような処理のことを「構文解析」「パース」(parse)という。2025/08/29
https://e-words.jp › パーサ
「Purser」とはどういう意味ですか?
なお、かつては女性の「客室乗務員」のことを「スチュワーデス」、男性の「客室乗務員」のことを「スチュワード」や「パーサー」と呼んでいたが、今では旅客機に限らず鉄道や客船の中で、乗客に接客サービスをする「客室乗務員」を統率する立場にある者を「パーサー」や「チーフパーサー」と呼んでいる。
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3.格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4.結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義:テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点:共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保:大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論:現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。
なんかもっと、こう、みんながハッピーになることをしたい気がする…😟
楽器が弾けない人も参加できるワークショップとか、あまちゃんの人がやってるじゃないですか
あれ、いいよね
指揮法というか、指揮者って人間という楽器を演奏する演奏者なんだよね
コンピュータとか自然界と同じで、オーケストラは階層構造になってる、攻殻機動隊にも出てくるホロンだよね、アーサーケストラーの…😟
まあ、同じ事やるのもなんだし、あれは指揮者を体験するのがメインなんで、
なんか別のこと、葉加瀬太郎さんがテレビでやってたみたいに、女性アナウンサーに開放弦だけ弾かせるとか、
ああいうのでもいいよね、開放弦って一番パワーがある、その楽器のチューニングの音で、ギターのローコードもそう、
一番パワーがあるから、開放弦を重視してキーを決めたりしてる、んじゃないかなー、と勝手に思ってるけど…😟
でも、今の自分には3Dプリンタやる余裕もないし、それ以前に生きてるのがかなり奇跡なので、
面白いイベントができないかなあ、と誇大妄想するだけなんだけど、
音楽は感情を良くも悪くもコントロールする能力があるんだから、
俺は映像メインのCGアニメーターで、猫動画を見た後AI映像と知った時、騙されたと感じる程度の感性の持ち主である。
エンタメ業界の片隅でCGを生業とする者として、生成AIと切っても切り離せない原罪、権利侵害に対して明確に拒絶をする。
ただし普段からzoomでの録画による議事録作成、翻訳、プログラミングでのコード作成では日常的に利用しており、
欠かせない存在となっている。
本業でのCGでの最終成果物では使ってはいないが、3Dモデルのポン出し生成には極めて抵抗を感じる。
最後に視聴者が目にするものは、コンピュータの映像だとしても人の血肉から生まれたCG映像であってほしいと願うからだ。
本業では、自分の専門外の分野のノイズの除去や、アニメーションでキャラデザインに合わせることが技量的に難しい場合、
参考ガイドとしてデザイン画から表情参考絵を出力したいとも思っている。
https://www.cohart.com/xemmetvietsub
https://www.brush.bio/100metvietsub
https://www.cohart.com/godzillatrumotvietsub
https://www.brush.bio/godzillatrumotvietsub
https://www.cohart.com/thaichieutaivietsub
俺は映像メインのCGアニメーターで、猫動画を見た後AI映像と知った時、騙されたと感じる程度の感性の持ち主である。
エンタメ業界の片隅でCGを生業とする者として、生成AIと切っても切り離せない原罪、権利侵害に対して明確に拒絶をする。
ただし普段からzoomでの録画による議事録作成、翻訳、プログラミングでのコード作成では日常的に利用しており、
欠かせない存在となっている。
本業でのCGでの最終成果物では使ってはいないが、3Dモデルのポン出し生成には極めて抵抗を感じる。
最後に視聴者が目にするものは、コンピュータの映像だとしても人の血肉から生まれたCG映像であってほしいと願うからだ。
本業では、自分の専門外の分野のノイズの除去や、アニメーションでキャラデザインに合わせることが技量的に難しい場合、
参考ガイドとしてデザイン画から表情参考絵を出力したいとも思っている。
映像だろうがプログラムだろうが翻訳だろうが、どれも生成AIの技術を使った生成物であるというのに。
関心のある分野は手作業を臨み、それ以外には実に無神経極まりない。
しかし、自分のようなどっちつかずの半端ものは意外と多いように思う。
数年後、最終成果物でも、より精度の高いAIレンダラーを嬉々として(あるいは嫌々)使用している自分がいるのだろうか?
情報商材屋があふれるSNSに汚染が目にあまり、実に疲れている。
日本株への投資がされないのは単元100株という制度があるためだと思う。
株価が1000円でも、100株買わないといけないので、10万円必要になる。
中には、1万円超えの値嵩株もあり、最低100万円とか300万円もかかる。
ミニ株(単元未満株)という制度もあるが、寄りと引けのタイミングでの売買にはスプレッドが追加でかかる。
もし、分散投資をしようと思ったら、個別株の場合は、最低でも数百万ぐらいないと、いろいろ銘柄を買うことができない。
それでも1単元とかで、買い下がるとか思えばもっとかかる。
仕方ないのでindexを買うかということになる。
そして、indexを買うならsp500とかnasdaq100とかオルカンの方がいいよねということになり、
アメリカ株は1株から買えるわけで、なぜに単元100というこんな変な制度を残しているのか、わけわかめである。
今はネット証券の時代だし、株券も電子され、取引もコンピュータされているわけだから、もういらんだろう。単元制度。
優待は100株からでもいいから、1株から普通に買えるようになってほしいものだ。
これは多くの人が過去何回も言っていることだけど、いまだに改善されないんだから、東証はやる気がないんかねえ。
AIに調べものしてもらうと本当にコイツ人間みたいだなと感心するのだが、機械に人間みたいな挙動をさせられるようになったということは、本物の人間の脳みその演算システムも近似的におよそ解明されたということなのではないのか?AI自体の進歩度合いの話ばかりで、副産物として「人間がわかった」という話は聞こえてこないのだが。それともあくまでAIはモノマネがうまいだけでAIと人の脳は根本的に異なるシステムで動いているのだろうか?
【Grok高速】
面白い疑問ですね。AIの「人間っぽさ」が、実は人間の脳の仕組みを解明した証拠なのか、それともただの高度なモノマネなのか——これは認知科学や神経科学、AI研究の最前線でまさに議論されているテーマです。結論から言うと:
「AIが人間らしく振る舞える」=「人間の脳の演算システムが解明された」ではない
むしろ、AIは「結果としての振る舞い」を再現しているだけで、脳の「内部構造」や「計算原理」を再現しているわけではない。
→ 膨大なテキストデータから「次に来る単語の確率分布」を学習し、それに基づいて「それっぽい文章」を生成。
…など、AIとは全く異なる物理・生物学的基盤で動いています。
つまり、AIは「外から見た振る舞い(function)」を模倣しているが、「内部の仕組み(structure)」は根本的に違う。
→ 同じ「飛行」という機能を達成しても、仕組みは別。
確かに「AIの進歩=人間理解の進歩」とは言えませんが、逆方向のフィードバックはあります。
→脳の「選択的注意(selective attention)」との類似が議論される
つまり、AIが「ある振る舞いをどう実現するか」を解くと、それが「脳も似た戦略を取っているかも」というヒントになる。
特に、「予測」「注意」「記憶の圧縮」などの機能は、AIと脳で収束進化(convergentevolution) 的に似た解にたどり着いている可能性があります。
半分正解、半分不十分。
→ これらは「単なるパターンマッチ」では説明しきれない高次の認知機能に近い。
ただし、意識・主観的体験(クオリア)・意図の本質などは、AIには全くない(少なくとも現時点では)。
いいえ、まだ遠い。
AIが「人間っぽく話す」のは、脳の「出力」を模倣しているだけで、「どうやってその出力が生まれるか」の内部プロセスはブラックボックスのまま。
その鏡に映る姿がリアルすぎて「人間の脳もこう動いてるのか?」と思ってしまう。
→ でも、「人間の脳の計算システムが解明された」わけには程遠い。むしろ、AIが賢くなるほど、「人間の脳はどれだけ複雑で未知か」が浮き彫りになっているとも言えます。
→ 将来、構造と機能を両方再現するAIが現れれば、「人間の脳の計算原理」が初めて近似的に解明されるかもしれません。でもそれは、「AIが人間らしくなった」からではなく、「人間の脳を直接コピーする技術」が進んだときです。
でも、役者の頭の中と、本物の人間の頭の中は、全然違う。でもその演技がうますぎて、「人間ってこう動いてるのか?」と研究のヒントにはなっている——それが今の状況です。
日本からGAFAMが生まれない理由の1つは、確実に日本の特許制度のせいだろ。
20年近くIT業界の片隅で飯を食ってきたが、日本の"ビジネスモデル特許"ってやつには本当にうんざりさせられてる。
新機能の仕様を詰めて、さあ実装だって時に、法務から「類似の特許があるので要確認」って連絡が来る。で、その特許とやらを読んでみると、もう脱力感でいっぱいになる。
「ユーザーがAをしたらBという信号を送り、Cという画面を表示する。これにより、サービスの利便性が向上する」
…は? それ、ただのビジネスモデルじゃん。どこに「発明」の要素があるんだよ。特許制度って本来は「自然法則を利用した技術的思想の創作」である発明を保護するものなんだろ?これのどこが「技術的思想」なんだ。日本の特許制度は、肝心の技術的な工夫には一切触れず、ただ画面の遷移図みたいなものを文章にしただけのアイデアが、なぜか「発明」として保護される。そして、後から同じようなサービスを作ろうとした後発組は、その地雷を踏んで開発を止めなきゃいけなくなる。バカバカしいだろ。
なんで日本の制度は、エンジニアの開発意欲を削いで、業界全体の足を引っ張るような方向に向かってるんだよ。これで特許は産業の発達に寄与することを目的としているなんて言ってるんだから笑えない。むしろ日本の産業を後退させている原因じゃないか。
アメリカだと、日本で乱立している"ビジネスモデル特許"のような「ただのビジネスアイデアをコンピュータでやりました」的な特許は認められにくくなってるらしい。ちゃんと技術的な課題を解決して、コンピュータそのものの性能を向上させるような、そういう「本物の発明」じゃないとダメなんだと。最高だよな、それ。本来あるべき姿だよ。
プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。
近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。
開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のものが出回っている。Eclipseとか今考えるとよくあんなので開発できてたな。
いまや小学生からおばあちゃんまでアプリ作りに熱中し、高校生はIoTとかやり始め、大学生は商業レベルか?ってレベルのものをネットで発表し、私はウェブアプリのスマホでのレイアウト崩れひとつすら直せず静かにエディタを閉じてnoteで過激タイトル記事を書いている。
掛け算に順序があると思っているような知能の下級雑用係(自分のことを教育専門職だと思い込んでいる)ですら「小学生にプログラミングを教えるぞ!」と意気込んでいる。やめろ。お前らには無理だ。無理だからマジでやめろ。考え直せ。無理だって。掛け算に順序つけないと相手に教えられないレベルのやつがプログラミング教えるのマジで無理だって。算数とは次元が違うって。「ピーチ姫いつも簡単に誘拐できるし今度はベヨネッタも誘拐してみるか」ぐらいの無謀さだって。やめとけ。マジでやめろ。
まあそんなこんなで入り口はめちゃくちゃ広く、入門するのはマリオカートより簡単である。話逸れるけどSwitchのマリオカート、運転アシスト機能ついて初心者でもコース完走できるようになったから心折れちゃった人ももう一度チャレンジしてみてね。
それとは特に関係ないんだけど、大学行ってた時ティーチングアシスタント(TA)っていう授業のお手伝いさせられたのよね。ちゃんとお金出るやつ。
学部の3年か4年から始まって、院の1年か2年までやってて、途中で休学挟んだから、ええと、あー、うん、数年間TAやってたんよ。数学とプログラミングのコマ。CとOctaveとかいうやつ。Cのほうは情報学科で、Octaveは違う学科。JavaとかC++のコマはTA入れさせてもらえなかった。
プログラミングの実習は週2コマ(連続)あって、情報学科なら必修科目。なのでサポートは相当手厚く、先生とTAが絶え間なく机間巡視し、わからないことがあればセンパイがなんでも答えてくれるというわけだ。授業外でもサポートはしており、わからなければ先生や研究室にいる学生に好きなだけ聞きにいっても良いということになっていた。必修だから落とされたら困るしな。
2コマだから3時間 * 15回で、45時間。そして私の時は2年まででC/C++/Javaと必修だった(今はなんの言語かは知らない)ので、その3倍、135時間は最低やることになる。プログラミング実習以外にもプログラミング触る授業多いから実際はもっと多い。宿題やる時間もあるので実際はもっともっと長くプログラミングに触れることになる。卒論書く時期に入ると、テーマによっては書く人はさらに書くので、もっともっともっともっと長い。
これだけ時間をかければほとんどの人がプログラミングできるように……ならない。むしろできない人の方が多い。なんで。why。教えて。
会社になるとさすがにプログラミングできるできないは死活問題である。
「今日から入ったxxでーす。業界未経験ですがよろしくおねがしまーす。さっそくなんですけどPythonのここわかんないんですけどどうすれば……あっそうすればいいんですね。次はここなんですけど……なるほど!ありがとうございます。じゃあまた明日ー」
いやー社会人にもなると熱意が違うね。学生なんかわかんなくてもほとんど聞きに来ないのにな。こりゃガンガン伸びますわ。私も社会人1年生でPythonなんて3秒ぐらいしか触ったことないから適当答えてるけど。
「ちょっとお時間よろしいですか?」「いやちょっと今忙しいから後になっちゃいますわ。すんません……」
そんなこんなで1週間ぐらい放置してしまった。やべー絶対嫌われる。どこまで進んだかな……?えっまだそこ?進んでなくない?
もしかしてこれ全部教えないとダメなやつか。そりゃ大学4年間プログラミングやったやつでもプログラミングできないんだから、そうか。よく考えると当たり前だよな。
プログラミングをやめろ
大学4年間と大学院2年間プログラミングやったやつでもできないし、会社で毎日8時間を数週間プログラミングについやしてもできないやつはできないし、そもそも人類というのはプログラミングできない可能性がある。
少年少女たちに「プログラミングはいいぞ!自由にものが作れて達成感がある!頭が良くなった気分にもなれるし!」と吹聴してまわんのもいいけど、6年間情報科学について勉強したようなやつの大半がプログラミングできないんですよ。それもごくごく初歩的な部分。
野球とかサッカーなら、まあ友達との試合には参加できなくてもごく稀にバットにボールを当てたり、ボールを1回あらぬ方向に蹴ったり、ぶっちゃけ周りとのレベル差で楽しくなくてすぐやめちゃうだろうけど、なんとか基礎の一部ぐらいはできるじゃないですか。
ピアノとかダンスでも、猫踏んじゃったをごくごくゆっくり弾くぐらいはできるかもしんないし、学芸会の振り付けを10秒ぐらいは踊れたりできるかもしれない。その後やっぱ周りのレベル見て諦めちゃうかもしんないけどさ。
プログラミング、6年やってミットを頭にかぶってるバッターとか、鍵盤蓋の上から殴って音鳴らそうとするやつとか、まずそういうレベルのやつが大量発生するんですよ。だいたい7割ぐらいの率。どうすんだよこいつら。私の教育の問題か?マジで?本当に?
プロが練って考えて凝縮した本や授業、センパイたちによる指導。それらを結集して得られるはずのものが7割ぐらいどっかに消し飛んでる。無駄だろこれ。
今からプログラミングやろうとしてるやつ、お前は確実に向いてないからさっさと諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事に戻ってくれ。参加しても鍵盤蓋叩き割るやつと同じ病室に入るだけだ。
プログラミングをやめろ。
ぼくはこう思うんですよ
そもそもなんで大の大人がそんな両手にバット持ってセカンドに立ったりゴールの方をボールのところまで動かす奇行に走るんだろうな。わかんねえや。
綺麗な分析はできないけど、いわゆる「できない」やつが共通して言ってたフレーズがある。
「ぼくはxxxだと思ってるんですけど、動かないんですよ」
うん、そうだね。そう思うんだ。でも動いてないじゃん。じゃあ違うんじゃない?モニターに「にらみつける」やってもバグは取れないし防御力下がるだけだぞ。
まず根本的に考えと事実が違ってるって結果出てるじゃん。じゃあもう考え変えちゃえば早くない?
名言の引用は好きではないけど、「プログラムは思った通りには動かない。書いた通りに動く」って言葉がある。実に名言だと思う。次点で好きなのが「ある問題を解決しようと正規表現を使うと問題が2つに増える」かな。
お前が何を思っているかはプログラミングにおいて一切影響しないんだよ。お前が何を書いて、コンピュータがどう処理したか、それが全て。
深く考えないことについてぎゃーぎゃーいうやつもいるけどプログラムなんてまず最初は動けばいいんだから何も考えずに次試せばいいだろ。んで3回ぐらいは自分で思い浮かんだの試して、全部ダメだったら調べるとか先生に聞いてみるとかさ。逆に1発で通ったら自分の思考見直して理解深めるとかさ。
ドキュメントとかあんまり理解できない初心者のうちは、とにかくお試しと修正のサイクル回すの重要で、「これがこうだから動くはず」というカードを3種類ぐらい作って全部片っ端から試すのが早いと思うよ。モニターをにらみつけるな。
お前がどう思ってるかよりも、まずはお前の書いたプログラムがどう動いているか(どう動いていないか)を確認するのが先だ。動かなかったら考えが違う、はい次のプラン、はいその次のプラン、はい次。
この「ぼくはこう思ってる」が出てくるの、なんの教育の成果なんだろうね。お前の気持ちなんてどうでもいいって現国でも数学で散々教えられただろ。
Error: variable 'a'is undefined,line24
↑のエラーは架空のエラー文(英語下手でも許して)だけど、エラー、出るよね。プログラム組んでたら。んでやっぱいるのよ。エラーを「にらみつける」やつ。解決しねえって言ってんだろ。
「エラー出たんですけど、どうすればいいんですか」
「エラーにはプログラムがなぜコンパイル通らないかの原因がそのまま書かれている。例えば今出ているError: variable 'a'is undefined,line24は、24行目の変数aが未定義ということを示している。事前に変数aを定義していないか、打ち間違えてsになっているとかではないのかな?」
だいたいが「腑に落ちねぇー」みたいな顔する。まあ、一気に喋りすぎたしな。疑問点1個1個潰していくか。
「何か疑問点ありそう?変数ってなにー、とか、定義ってなにー、とか」「ないです。わかりました!」
わかったのか。よかった。またモニターをにらみつける開始。なんでだよ!!!!「お前顔にチョコついてるぞ」って言われたらチョコ拭き取るだろ。変数aが未定義ですねって言われたら変数a定義すりゃいいだろ。
でもプログラミングド下手なやつ(全人類の7割ぐらい)は、エラーをにらみつけてる。ずっとにらみつけてる。防御力下限まで下がったかな。にらみつけてて何が変わるんだよ。
「英語読めなくて……」
いや「ais undefined」なんて「HeisSuperman」ぐらいの英語だろなんで読めないんだよ。お前この大学どうやって入ったんだよ。たしかどの入試方式でも英語あっただろ。単語わからんかったらググれ。
「aが未定義って書いてあるんですけど、ここのfor文の私の考えが間違ってるのでしょうか」
いや24行目のaって書いてるだろ。まずなんでそこ無視するんだよ。お前がfor文で使ってんの教科書通りのiだろ。24行目ってわかるか?for文あるの40行目あたりだよな?aとiが違う文字ってわかるか?
「さっきのエラー直したら新しいエラーが出たんですけど、どうすればいいですか」
千尋!贅沢な名だねえ
変数に名前をつけろ。関数に名前をつけろ。クラスに名前をつけろ。全てに名前をつけろ。
C言語の古い教科書だと「a」とか「b」とか「i」とかで書いてるけど、そんなの人間が読めるわけねえだろ。冷静に考えろ。「input」「output」「index」とかにしとけ。
2重for文の変数名i, jにしたら絶対途中で打ち間違えるだろ。お前は打ち間違える。そういうやつだ。2重ループなんてどうせ行列計算の課題だろ。rowとcolumnにしとけ。これで打ち間違っても気づくし、それぞれに意味が付いてくる。
ちなみに同じ長い名前にも優劣がある。「result」よりも「sum」のほうが強い。「result」はなんの結果かわからない(全ては結果であるので)が「sum」は合計値であることがわかるからだ。「password」と「plainPassword」なら「plainPassword」が勝つ。暗号化されていないパスワードであることがわかるので、情報量が多いからだ。
ただし例外はいくつかある。「tmp」は一時変数であることが(プログラマにとって)明らかだ。「dir」はディレクトリであることがわかる。「src」「dist」あたりもよく使われる。このあたりは短くていいんじゃねーかな。
でも、この前温度センサ扱うプロジェクトで「tmp」って変数名使って温度(temperature)と脳内で混線してバグって発狂してた同僚いたけど。そういうときは名前長くするか別の名前使おうな。
関数の名前なんて「calcAverageFromArray」ぐらい長くしていいから。「myFunc」とかしなくていいから。「fetchJsonDataFromUniversityInternalServer」とかでいいから。マジで。いやこれ本当に。
そもそも今時ディスプレイでかいし、識別子なんて先頭数文字打ったらエディタが補完してくれるし、短くするメリットがない。
それでも名前が長いと感じる?関数がでかすぎるんじゃないか。細かく処理を分けるとかしてみろ。「combineArrayAndFindMax」関数は「combineArray」と「findMax」に分割したらいいと思うぞ。名前が長いと思っても名前を削るな、機能を分割しろ。自然と名前が短くなる。
それかシンプルでかっこいい名前を見つける。「convertEvilHtmlToPeacefulText」は「sanitize」に置き換えることができる。イカす名前だ。
プログラミングできない奴はマジでこれらのことをやらない。ずっとaとかbとかzとか使ってる。お前それ自分で読めんのか。読めねえだろ。myfuncってなんだよ何するんだよ。お前自分で理解できてんのかそれ。
それでも頑なにaとかbとか使う。なんでだよ。
動作原理わからず書き散らすな。動作原理っつってもそんな深いところじゃなくて言語表面上レベルの動作な。
リテラルは値を作成して、代入は値に名前をつけている、とかその程度のレイヤー。メモリがどうこうとかはいらんと思う。あっでもポインタのときはいるか……。めんどくせえな。
まあ動作原理っていうか自分が何やってんのか理解してくれって程度の話になるんだが。
例えばfor文で処理50回まわすとき、「50回分の処理を行なっている」ではなく「ループ開始時に変数を初期化。条件判定して成立していれば文の中を実行する。条件変数の値を変化させてまた条件判定からやり直す」ぐらいの粒度で捉えててほしいかな、という気持ち。
これはfor文で詰まる人がやたら多かったからだ。彼らはfor文をアトミックな操作だと思っていた。つまりfor文はひとまとまりの命令であり、長いfor文とprintfの間に粒度の違いはないと思っていたらしい。
つまり、「for文の中でエラーが起こる」という事象がほぼ理解できない。forはアトミックであり、内部など見えないのだから。じゃあお前が今書いたfor文の中身はなんなんだってやんわり聞くと「さあ…?」みたいな反応が返ってくる。はあ。
関数についてもなかなか誤解が多かった。関数「sum_array(a, b)」と関数「average_three_numbers(a, b, c)」は全く別の原理で動いているのだと。ここでの「全く別の原理」というのはシグネチャが違うとか実装が異なるとかそういう意味ではなく、コーラを飲んでゲップが出る原理と糸電話で声が伝わる原理ぐらいの全くの別、という意味である。
彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。
そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。メソッドチェーンとかやった日には大学潰れると思う。ただ、これはC言語が悪い部分もあると思う。配列とかいじりだすと、初心者が書けるレベルの関数だとあんまり値返さないしな。
たのむ、他のはできなくてもこれはできてほしい。自分が何をやりたいのかは理解してほしい。流石にお前のやりたいことなんて他人にはわからんぞ。
「配列の中の数値の合計値を求めたいんです」とか「名前と身長と体重をひとつにまとめた構造体が作りたいんです」とか。簡単なのでいいから。
「いま何やろうとしてどこで詰まってる?」って聞いても「……?」みたいな反応されたら困るんだよ。
例えば「キーボードから数値を10回入力し、それぞれの値を配列に格納して、最後に配列の値を逆順に表示せよ」みたいな問題が出てきたときに、「キーボードから値を入力する」「10回繰り返す」「配列に値を格納する」「配列の値を逆順に表示する」に分解できると思うんだけど、自分が何やりたいのかわからない奴はまずこれができない。
彼らには「キーボードカラスウチヲジュッカイニュウリョクシソレゾレヲハイレツニニュウリョクシテサイゴニハイレツノアタイヲギャクジュンニヒョウジセヨ」に見えている。
かろうじて「キーボード」「ハイレツ」あたりの単語は拾えるらしく、標準入力から値とったり配列を作ったりはしてるんだけど、そこから先に進まない。モニターにらみつけてる。またにらみつけるかよ。
あれだ、算数の文章題できなくてとにかく文章に出てくる数値足したり引いたりするやつ。あれのプログラミング版。文章が読めない。
こういう人にはメモ用紙取り出して、まず文章が何について言ってるのか、どういう工程に分けることができるのか、今後も同じことが起こったときにどうやって分けるのか。みたいなのを教えるんだけど、大抵あんまりしっくりこないらしく、成功したことは皆無。なんとかうまく教えたいんだが。
もうこのあたりになってくるとプログラミング関係なくね……?ってなるんだけど、意外とそういうプログラミング関係ないところで詰まる人めちゃくちゃ多いよ。
今すぐプログラミングをやめろ