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セックス・アンド・ザ・頂き
全6シーズン+映画2作を1本に凝縮した狂想曲(約5800字)
2025年・マンハハッタン(正確には六本木・西麻布・恵比寿エリア)
主要4人
名言「私は奢られてるのかしら? それともただ頂いてるだけ?」
「君が欲しいものは全部買ってあげるよ」
キャリー「全部って……どこまで?」
シャーロットは「身体は見せないけどキスはOK」ラインを死守。
「私、40歳よ。もう待てない」
ビッグ「わかった……全部やるよ」
結婚2年後。
4人がいつもの席に座る。
「結局私たちは、
全部頂いた」
例のテック億万長者」
「私は奢られてるんじゃない。
頂いてるのよ」
画面にテロップ
「現在も4人は現役。
キャリーが呟く。
「ねえ、
私たちって結局……
愛してたのかしら?」
サマンサ
4人、ハイタッチ。
画面暗転。
頂きは終わらない。
あらゆる意味で有名な『牧場物語オリーブタウンと希望の大地』を遊んでまいりますわ。失踪したら、そういうことだと思ってくださいまし。
◆前回のお話ですわ
https://anond.hatelabo.jp/20250927110037
前回のジャコポ様のイベントで大分やる気がそがれましたけれど、今回もやっていきますわ。少なくとも今のところ、ソフト適正価格980円といったところですわね。
実は、以前オリーブタウンを遊んだことがあるというお友達に、遊んでどうだったかお尋ねしたら「その先全然面白くならないよ」と言われて、かすかな希望も断たれたところですわ。
そのお友達はなんと、1年目の秋まで進めたとのこと。すごいですわ!わたくしなど、春でもう終わりたい気持ちでいっぱいですのに!!!!!
それにしても、メーカーにしても格納箱にしても、スペース取りすぎじゃありませんこと?いずれも4マスもスペースをとるのですけれど、実物見ると明らかに1マス分ですわ。
グリッドの付け方にしろ、アイテムのサイズ感にしろ、ゲームデザインもUIも何もかも失敗してますわね。今からハウジングでどれだけイラつかせてくれるか、本当に恐ろしいですわ。
本当にもう、何の擁護もできなくなってきてますわ。まだ春の月11日ですのに…よよよ~…。
もしかして、お客さんかな?
あら?わたくしもしかして、あまり住民に認知されてませんの?牧場にいらしたこと、ありますわよね?
だとしたらカブも分解されて部品にされてるかもしれませんわね…
ナビポン
人間が来たン!
…これは…モデリングの問題なのか、デザイナーの問題なのか…判断ができかねますわ…可愛くない…。
従来のコロボックルポジションなのか、タヌキのような、タマゴのような、よくわからない謎の生物が現れました。なんなんですの?
どうやらこのヘンテコリンたち(種族の正式名称はコロポンでいいんですの?)に、仕事を手伝ってもらえるそうですわ。お礼を幾ばくかやらなければならないようですが。テント生活ゆえ、従業員を雇う余裕は申し訳ないけれどありませんわね。
コロコインなるものでアイテムと交換できるようですけれど、その辺で拾えるものとしか交換できないみたいですから、今後お世話になることはないですわね。
…って、あら?牧場にずっと居座るんですの?ただでさえ狭いんですから、どこか行ってくださいまし!!!!!
それにしてもこのゲーム、わざわざムービーイベントにする必要が無い会話までムービーにするきらいがありますわ。
えー、この街がもっともっと発展していくために必要なものと言えば、何だと思うかね?
わたくし
十分な住居ですわ
この男、口を開けば発展発展って、うるさいですわね。
わたくし
じゃあ観光客の満足度じゃないですの?KPIはどうなってますの?
ジャコポ
いよう、牧場主!これからラーシュとツーリングに行くんだ。いっしょに行かないか?(中略)お前は……そうだ、ウシに乗ってこいよ!
わかりましたわ。この男、毒気と悪気の無いポーキーとジャイアンのハイブリッドですわ。つまりクソですわ。
ジャコポ
わたくし
いい加減にしないとシメますわよ…(本当の選択肢:そんなわけがない)
ジャコポ
くぅッ……!なんなんですの、この屈辱は……!?わたくしのカブがバイク質に取られてるばかりに、こんな、このような……!!!
春の月12日くらいまで粘りましたけれど、家をくれる雰囲気・可能性共にゼロなので、仕方なく自分で家を建ててもらうよう依頼しましたわ。お値段が2000Gぽっちなら、街の費用で落とせませんの?
依頼して即日で完成ですわ。なんか…これ、倉庫じゃありませんわよね?見た目がチープすぎて心配になりましたけれど、グラフィックの問題だったようで中は普通の広いログハウスでしたわ。最初から台所と風呂がついて2000Gなら、お安いものですわね。
けどわたくしこれ、一生根に持ちますわよ。天国のおじいさまからいつか天罰がくだりますわ。覚えてらっしゃい!!!!!!(捨て台詞)
まあ!お家を大きくしたの!?いいわね、広々と使えるでしょう。
あらあら?もしかして皆さん、わたくしがテントに押し込まれていたのはご存じない?????
パトリシア様から、ペットを飼ってもいいんじゃない?とおっしゃっていただけました。わたくし、基本的に黒い柴犬とでかい犬が好きですので、でかい犬だらけになりそうですわ。
取り急ぎ、牧場物語に犬が居ぬのは問題外ですので、黒い柴犬をお迎えしましたわ。名前は黒豆っぽいからマメですわ。共に赤カブトを倒しましょうね!!!!!
主にヴィクトル様とジャコポ様のおかげで何度もコントローラーを放り投げそうになりましたけれど、ようやく最初の年間行事「エッグフェスティバル」がやってきましたわ!
当日が近づく間の皆様の台詞が「もうすぐエッグフェスティバルだね」「もうすぐエッグフェスティバルだね」「もうすぐエッグフェスティバルだね」ばかりでド被りしていて、イライラ本当に待ち遠しかったですわ!
俄然やる気ですのよ!わたくしがStardewValleyで鍛えたこのインコース攻めをとくとご覧あれ!
……………。
……………………。
いえ…きっと、参加者の方が仰ってたように、お付き合いしている方とやらがいれば一緒に組んで、ミニゲームができるはずですわ…いえ、それはそれでどうですの?
けどたぶん、お付き合いしている方との薄っぺらいムービーが挟まるだけで、結局ミニゲームは無い気がしますわ。いえ、ミニゲームが最悪無くても、何か皆様で交流を深める行事であるべきですわ…い、一体なんですの!?わたくしがやってるの、本当に本家牧場物語ですの…!?
エッグフェスティバルの卵は、幸せの数だと言われています。たくさんの卵を手に入れたひとは、たくさんの幸せを。ちょっとしか手に入らなかった人は、小さいけど、ぎゅっと詰まった幸せを。卵が手に入らなかった人は、心の中にあるその人だけの幸せを……あらわしています。みなさん、それぞれの幸せを大切にいたしましょう!
うるせぇですわ!!!!!顔に卵ぶつけたろか!!!!!!!!!
エッグフェスティバルの翌日、グルメコラムニストのダイスキー様がおいでになりました。ダイスキー様、卵料理召し上がるの楽しみになさってましたけれど、出店の一つもありゃしませんでしたわね。ご愁傷様ですわ。
実はね…ちょー素晴らしい料理を紹介したいわけ!『辺境の港町に奇跡の料理が!』みたいなノリで。でも、ビストロの料理も、カフェで出す軽食もパッとしないでしょ?だ・け・ど。素材だったらきっと最高のものがあるはず!
ダイスキー様、多分ここで暮らすの向いてませんわ。すぐに出て行かれることをおすすめします。
今の録音してビストロやカフェの皆様に聞かせて差し上げたいですわね。一発で即失脚、間違いなしですわ。
その後、よくわからないことを言われた気がしますわね…ええと…なんだったかしら…チーズ味のカレー?カレー味のチーズ?カレー味のうんこ?ごめんあそばせ、中身が無さ過ぎてとにかく聞き流しちゃってあんまり覚えてませんわ。いずれにしましても、でっちあげはよくなくてよ。
でっちあげって言われるのは心外だなぁ。宇宙の法則を変えるわけじゃないし、それくらいいいじゃないですか。わかった。キミはいわゆる味覚オンチだね?いやぁ、味覚オンチじゃしょうがない。
シナリオ書いた方、もしかして疲れてますの?人間がお嫌いなのかしら?なんにせよ、ちょっと休んだ方がいいですわね。
何となく、PSPのシュガー村とみんなの願いのシナリオを髣髴とする「無意味な貶し」でしたわ。あれも、やたら住民がプレイヤーをサンドバッグにしてきましたわね。
わたくし多分ですけれど、5倍くらいは良いシナリオ書けますわ。あっ!もしかして締め切りが近かったのかしら?そうに違いありませんわよ!まあ何にせよ商品の品質としては相当に問題ありですわね。
もう取り繕うこともできませんわよ。どうしろってんですの。この作品や牧場物語の看板を今でもむやみやたらに擁護している方に、本当に謝った方がいいですわ。謝ったんでしたっけ?まあ、舌の根の乾かぬ内にワンダフルライフのリメイクでもやらかしてましたけれど…一体なんなんですの???
船乗り(でしたかしら)のゲオルク様…なんだかチーズケーキが好きそうなお名前ですわ。
ヴィクトル様のご子息、悪意と毒気の無いポーキーとジャイアンの煮凝りことジャコポ様を雇われているそうなのですが、勤務態度が悪くて困っているとのこと。心中はちゃめちゃにお察し申し上げますわ。可及的速やかに解雇するのを心からおすすめいたしますわ。
ゲオルク
あんたの牧場であいつを雇って、しばらく使ってみないか?牧場は朝早いし、力仕事が多いんだろう?あいつの根性をたたき直すにはちょうどいい。
ご遠慮申し上げますわ。
その話を立ち聞きなさっていたジャコポ様、あろうことか「だらしないのが気になるならお嫁さんを探してほしい」とのたまいます。すごいですわね。そびえたつクソですわ。
ゲオルク
順番が逆だ、ジャコポ。身だしなみの悪い、生活もだらしない男に、人を紹介できるか。(中略) じゃあな。愚痴を聞いてくれてありがとうよ。
「やや納得できないものの概ね素晴らしい」「ちょっとズレたセンス」など、何だかよくわかりませんけれど、住民のサンドバッグにされているわたくし…。
もう心が折れそうですわ…早くカブを返してくださいまし…よよよ~…。
俺は「ヘイトクリエイター」として食ってきた。表向きにはライターだのコラムニストだの言ってたけど、実際は特定の勢力や行動に対して悪いイメージを流布したい連中から金をもらい、それっぽい記事を書いて世間に流す仕事だった。まあ、広告業界の裏側みたいなもんだ。依頼者は誰も「正しいことを書け」なんて言わない。ただ「この人達を悪者にしたい」って願望を投げつけてくるだけで、俺はそこに物語を肉付けする。世間の怒りや偏見を煽る文章を書いてナンボ、そんな稼業だった。
でもAIが出てきて全部が変わった。こっちは経験と勘で「人を不快にさせる言葉の刺し方」とか「不安を煽るテンポ」とか培ってきたつもりだったんだが、AIがあればそれっぽい記事なんて一瞬で量産できるってことが発注者にバレちまった。結果、単価は暴落。一本数千円が数百円になり、下手すりゃ「AIに書かせたものをお前が人間っぽく直せ」みたいな依頼まで来る始末。
俺も最初はAIを使ってなんとか数を稼いでた。そりゃ速いし楽だし、数撃ちゃ当たる感覚で仕事を回せた。でも同業者も同じことを始めると、あっという間に業界はレッドオーシャン化。依頼者側からしたら「人間に頼む必要ある?」って話になり、まともな収入源にはならなくなった。俺の“職能”なんて、思った以上に脆いもんだったってことだ。
しょうがないから副業でやっていたマナー講師のほうに軸足を移すしかない状況になってきた。企業研修や新人向けセミナーで、どっかから引っ張ってきた“常識”をちょっと言い換え、そこに俺オリジナルの「新マナー」を加えてありがたそうに語る仕事。ぶっちゃけこっちのほうが安定して金になる。皮肉なことに、人を叩いてきた俺が「礼儀」だの「常識」だのを説く側に回るわけだ。
こんな仕事をしてきておいてこういうのもどうかと思うが、何らかの新マナーをでっち上げることで他人を攻撃してマウントを取ろうとするのは人間として根源的なマナーに違反してると思う。でもそれをやってでも他人より上の存在だと錯覚したいって人が大勢いるからこんな仕事が成り立ってきたんだよね。本当クソみたいな世の中だわ。
「正解だったかなんて、もうどうでもいい。ただ、守りたいものがあるだけ」
彼女たちは皆、人生で最も大切なものを失い、心に深い虚無を抱えた存在だった――
だが、謎の敵「ヴォイド帝国」によって世界が“感情のない完全な機械文明”へと改変されようとしたとき、
5人は心の空洞から生まれた力で戦う戦士、「弱者男性戦隊セイカイジャー」へと変身する。
外見:赤い髪と鋭い眼差し、スーツのような戦闘服で洗練された雰囲気の女性
外見:青黒い髪と冷たい目、シンプルでスマートな戦闘服がクールさを引き立てる女性
決め台詞:「もう響かない。でも……あんたの叫びだけは聴こえた」
名前:不破 慎香(ふわ しんか)
性格:冷徹・合理主義者。だが他人を見捨てられない優しさを隠している
外見:緑の髪と落ち着いた表情、機能的でスタイリッシュな医師らしい装いの女性
決め台詞:「私は医者。誰かの痛みが見えたら、切り捨てるわけにいかない」
性格:明るく見せる仮面女子。笑顔は誰よりも上手、だけど誰よりも苦しい
外見:金髪で明るい笑顔、派手な料理のインフルエンサーらしいカジュアルで華やかな衣装の女性
決め台詞:「笑顔で作ったごはんは、誰かの心を温める。私以外の、誰かのね」
性格:理知的で優しく、どこか母性的な雰囲気を纏っているが、誰にも本音を明かさない
外見:長いまつ毛と中性的な顔立ち、ピンクの衣装はエレガントなコート型。淡く儚げな色合いが特徴の男性
決め台詞:「人の心なんて壊れるようにできてる。だからせめて、僕が抱きしめたい」
性格:理論派で皮肉屋。美貌と実績を持ちながら、心の奥底では「自分は恋愛の対象外」だと信じて疑っていない
外見:黒とシルバーを基調にしたシャープなスーツ型。仮面のようなゴーグルを装着した男性
「心の弱さこそ、人類を滅ぼす毒」と信じ、地球から感情を排除しようとする。
幹部:
セイカイジャーたちの変身能力と戦闘力は、各自の心に宿る「絶対に叶わない夢」から生まれる。
その夢が叶わないと知っていても、それでもなお願ってしまう――
強く切望すればするほど、力は強くなるが、同時に精神の負担も増していく。
この力は、願いが実現しないからこそ成立しており、叶ってしまえば力は消える。
敵であるヴォイド帝国は、これを「無意味な執着」と呼ぶが、同時にそれを最も恐れている。
総帥ヴォイドロードは、自らを「感情を捨てた存在」と称しているが――
実は誰よりも強烈な「絶対に叶わない夢」を抱えている。
だがそれは物理的にも倫理的にも実現不可能なため、矛盾を抱えながら「感情の排除」に突き進んでいる。
彼の力はセイカイジャーを遥かに上回るが、それは最も強烈な絶望を抱えているからこそ。
「正解の人生だったのか?」という問いを抱える者たちの戦い
社会的成功の裏にある“心の空洞”をテーマに、人間の再生を描く
各回は「喪失の記憶」や「心の傷」と向き合うシリアスな内容が中心
決め技は5人の心の欠片が共鳴することで発動する《セイカイ・クラッシュ》
「心が空でも、明日は来る」
もう一度だけ、手を振りたくて
失ったまま、それでも立ち上がる
セイカイジャーのメンバーは、かつての成功者たち。しかし、それぞれが人生の中で最も大切なものを失い、心に深い空洞を抱えている。
葛城遼子(セイカイレッド)は婚約者を失い、外資系金融のトップエグゼクティブとして名声を得たが、孤独に苦しむ日々を送っている。
三輪蒼(セイカイブルー)は音楽を捨てた元ピアニスト。病に倒れ、音楽を再び弾くことはできない。
不破慎香(セイカイグリーン)は天才外科医。親友を失った事故の後、自分の医療技術を疑問視し始めている。
日下部陽菜(セイカイイエロー)は家族を失い、笑顔を作るインフルエンサーとして、心の中で孤独と向き合っている。
香月真澄(セイカイピンク)は双子の姉を亡くし、その死を受け入れられない。
ある日、ヴォイド帝国の攻撃により、世界は感情を排除し、機械文明へと変貌し始める。セイカイジャーは、心の空洞から力を引き出し、変身を果たす。
セイカイジャーたちは、ヴォイド帝国の侵攻に立ち向かう。ヴォイド帝国の総帥であるヴォイドロードは、感情を排除し「完全な機械文明」を作り出そうとし、その力は絶大。
セイカイジャーたちは戦うことを決意し、初めて共闘するが、彼らの力はまだ未熟で、ヴォイド帝国の兵士に圧倒される。
その戦いの中で、ヴォイドロードの姿を初めて目撃する。彼は感情を捨てた存在と言われているが、セイカイジャーたちは違和感を覚える。
セイカイジャーの力の源が「叶わない夢」であることが明らかになる。
遼子は、婚約者との未来を描いたが、それが叶わないと痛感し、その夢が力となる。
蒼は、ピアニストとしての道を失ったが、再び音楽に触れたいという夢が力に変わる。
陽菜は、家族を取り戻したいという夢が力となり、笑顔を作り続ける。
真澄は、姉の死を乗り越えたいと願う。
それぞれが抱える「叶わない夢」を力に変え、戦いを続けるセイカイジャーたち。しかし、この力には大きな代償があり、次第に精神的な負担が増していく。
ヴォイド帝国の幹部であるネグレア、アンビット、そしてソーレス三兄弟が登場し、セイカイジャーを圧倒し続ける。
ヴォイドロードの「感情を排除する」という目的がさらに明確になる。彼は「感情こそが人類を滅ぼす原因」と信じ、完全な機械文明を作り上げようとしている。
セイカイジャーは、ヴォイド帝国に対抗するため、内部で連携を強化し、次第に絆が深まるが、心の空洞から生まれる力には限界が見えてくる。
セイカイジャーたちは、自らの夢が「絶対に叶わない」と知り、深い絶望に陥る。
遼子は婚約者が生きていると信じていたが、ついに遺体が発見される。
蒼は音楽を再び弾こうとするが、脳の損傷でそれが不可能だと知る。
慎香は親友の死の真相が、自分のミスだったと知り、医師としての信念が揺らぐ。
陽菜は、家族を取り戻すことが不可能だと悟り、笑顔を作ることに苦しむ。
真澄は、姉の死が自殺だったと知り、心の支えが完全に消え去る。
彼女たちは変身できなくなるが、ヴォイドロードの言葉が心に響く。
「お前たちが抱く“夢”こそ、最も無価値なものだ。希望を捨て、感情を捨てることで初めて“完全”に近づける。」
セイカイジャーたちは、ヴォイドロードの矛盾した言葉に戸惑いながらも、それでも戦い続ける決意を固める。
しかし、彼らが抱える「絶対に叶わない夢」の重さが、次第に彼らの心を壊し始める。
セイカイジャーたちは、自らの夢を改めて直視することを決意する。
彼女たちは「叶わない夢を抱えながら、それでも戦う理由」を見つけ出し、再び力を振り絞る。
遼子は、婚約者を失ったことに意味があったと気づく。蒼は、音楽がなくても人々に感動を与えられることを悟る。慎香は、親友の死を無駄にしないために戦うことを決める。陽菜は、家族のために笑顔を作り続けることを誓う。真澄は、姉の死を受け入れ、前に進む決意を固める。
セイカイジャーたちは、夢が叶わないことを知った上で、新たな力を発揮する。それが、セイカイ・リミットブレイク。
この力は、彼女たちが「夢を叶えられないこと」を受け入れたときに生まれる力であり、彼女たちの心の空洞と向き合わせることで、より強力になる。
ヴォイドロードは、最終的に「感情を捨てた自分こそが最強だ」と信じて戦うが、セイカイジャーたちの新たな力に圧倒される。
戦いの中で、セイカイジャーたちは再び希望を見出し、心を一つにしてヴォイド帝国に立ち向かう。
戦いが終わり、セイカイジャーたちはそれぞれの心の空洞と向き合い、新たな人生を歩み始める。
彼女たちの夢は決して叶わないが、それでも彼女たちは自分を生きる決意を固める。
そして、セイカイジャーたちは心の中に新たな「希望」を見つけ出す。
編集者なので恋愛ライターや恋愛コラムニストの知り合いがめちゃくちゃ多いんだけど、大抵みんな他に誇れるスキルがない。
会社員時代は事務職で大した仕事してませんでした、みたいな人ばっかり。
恋愛記事ってPV出るけど広告収入につながらないので、最近のWebメディアではあんまりやりたがらないんだよね。
現役仲人のありえないくらいヒドイ婚活男女とか、取材が得意なライターさんの不倫してる男女のリアルな体験談とか、探偵の浮気調査話とかじゃないと掲載しない。
とはいえ、自社媒体では恋愛記事やらないから適当に返事してる。
恋愛が生きがいでそれを記事にまでしてるんだから、異性に食べさせてもらえばいいじゃん、と思う。
それで幸せなんじゃないの?
恋愛を生きがいにしてると、大した仕事に就けないし、異性と別れたら人生詰むと思うんだけど、どうなんだろう?
印刷物の「縦の列」を指すようになり、
この増田では、コラムの語源と起源を軸に、その社会的役割と現代における展開を考察する。
コラムの語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。
紙面の縦方向の区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。
日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。
1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、
当初は「雑報」と呼ばれていたが、
興味深いことに、
戦前の新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、
戦後GHQの指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。
1751年3月11日、
イギリスの『ロンドン・アドバイザリー・リテラリー・ガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。
これが「コラム」と呼ばれる契機となり、
当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、
この形式が人気を博し、
1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。
年間人気コラムランキングが出版されるほど社会的影響力を持った。
朝日新聞「天声人語」の執筆陣には芥川賞作家の井上靖や開高健ら文学者が名を連ねた。
この時期の特徴は、
800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体の確立にある。
インターネットの普及により、
コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。
この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。
「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩(20%)→結論(25%)」
①擬人法(「円が踊る」)、
2000年代以降は、
といった読者参加型の手法が増加している。
特にYahoo!ニュースのコラムでは、
本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。
公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能を果たしてきた。
実際に地方自治体の政策変更につながった事例が複数報告されている。
近年では、毎日新聞「発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポを継続的に掲載し、
コラムは教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要な役割を担ってきた。
2010年代には、
産経新聞「産経抄」が日本の伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、
2023年、
朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、
感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感型AI」の開発が進められている。
一方で、
2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品がノミネートされる事態が発生した。
読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラムが一般化している。
ユーザーの位置情報・検索履歴・心拍数データ(ウェアラブル端末連動)を分析し、
これに伴い、
職能の変容が進んでいる。
その形態は変化し続けているが、
今後の課題は、
AIとの協働の中でいかに人間らしい洞察を深化させられるかにある。
次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、
やっとみつけた
ここ数週間ほど職場の有線でかかっててヘンな歌詞だけど気になってうろ覚えの断片で検索したけどちっとも引っ掛からなかった曲
こないだ休みの日にふとおもいだしてまたググったらやっと出てきた!
幸か不幸かぁ、二人は~
オトコとオンナに生まれて~
愛し合ってるはずだけど~
在りし日のパール兄弟と有頂天の中間ぐらいの皮肉な歌詞に東京スカパラダイスオーケストラが悪ふざけで鳴らしたような曲、
声も若いからてっきり最近の若いモンが昨今のポリコレ嵐の中で男女の出逢いなんかできるわけねーだろって自棄っぱちでガナッてるのかとおもいきや、
…それこそ何週間まえかに二十代女性コラムニストから四、五十代はフード付きパーカー着るな!って狙い撃ちされたドストライクなオッサン(MVで着てるけどたぶんわかってやってそう)で、ええーっ😫だった
だからそのはっちゃけた()曲調に合わせてノーネクタイ襟立てスーツのスカパラスタイルでビッグバンド引き連れてガチャガチャ演奏ってるように撮れば絶対にもっとウケるのに~
こういうことを医者が書いてるから大家の生命活動が停止させられたり、救急で医者が殴られる原因にもなる
https://www.rakumachi.jp/news/archives/author/aloeraku
総投資額(物件価格の合計)約55,000万円、満室想定家賃収入は約7,500万円、残債約50,000万円です。
好きな言葉は
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
「やらずに後悔するよりはやって後悔しろ」
の二つで、何事もチャレンジと気合が大切だと思っています!!!
X始めました。
https://www.rakumachi.jp/news/practical/354607
【実践大家コラム】後輩の医者が教科書通りのカモネギになりそうだった
https://www.rakumachi.jp/news/practical/357008
【実践大家コラム】無駄な社会保障費の削減なくして日本の国力回復は望めない。
まず真っ先にすべきは医療費自己負担割合の増加(一律3割負担)。
今の日本の医療制度では高齢者や住民税非課税世帯などの自己負担割合は極めて低いです。ですが、自己負担割合が低いことで「不要な医療を受ける」人が増えるだろうことは各種研究で示唆されているのです。
2例挙げてみます。
(中略)
【実践大家コラム】無駄な社会保障費の削減なくして日本の国力回復は望めない。
5040コメント
文章、写真、画像、イラストおよびデータ等、執筆者の責任において作成されています。
こんばんは、aloeです。
「現役世代にカネを返せ」、ベストセラー作家が考える「年収の壁」問題の本質
というコラムがupされました。
端的にまとめると
『本質的に「私達現役世代がなぜ103万円の壁撤廃を望んでいるのか」について、文中に記載の通り「基礎控除の引き上げは所得のある現役世代への大規模な減税」つまり「これ以上高齢者への過剰な支援のために現役世代を犠牲にしない」というメッセージだからです。』
と私がコメントした通りかと思いますが、とてもいいコラムなのでまだお読みでない方はぜひご一読ください。
さて、私のコメントに対していくつかコメントをいただいたのですが、それへのお返事も兼ねて、また医師という立場から無駄な社会医療費の最たるものと思われる過剰な医療費についての現状をコラムにしたいと思います。
こちらは厚労省の国民医療費(2022年度)から抜粋してグラフ化したものです。
医療費(社会保障費)増加の諸悪の根源は安すぎる医療費自己負担にある
日本の医療は「安い・早い・うまい」を実現していた世界に誇る医療システムだったといえるでしょう。あえて過去形にしていますが、なぜならこのシステムは
・年齢構成
・医学の未熟さ(昔は救おうと思っても救えない患者さんがたくさんいた。今でも救えない患者さんはたくさんいるが、「各種機械に繋いで生かしておくこと」はできるようになってしまった)
などに起因していたもので、到底持続可能なシステムではなくすでに崩壊が始まっているからです。
医療費の抑制を、というとすぐに「患者を見殺しにするのか!」みたいなコメントをする人がいますが、そうではありません。
まず真っ先にすべきは医療費自己負担割合の増加(一律3割負担)。
今の日本の医療制度では高齢者や住民税非課税世帯などの自己負担割合は極めて低いです。ですが、自己負担割合が低いことで「不要な医療を受ける」人が増えるだろうことは各種研究で示唆されているのです。
2例挙げてみます。
#IsZero a Special Price?Evidence from Child Healthcare
こちらは東京大学による医療のゼロ価格効果を検討した論文です。
「ゼロ価格効果(Zero Price Effect)とは、商品やサービスが「無料」で提供されると、その価値や魅力が通常の価格で提供される場合よりも大きく感じられる現象」のことです。例えば道端でティッシュを配られた時、1円だと多くの人が買わないでしょうが0円だと貰う人が結構いる、というのが一例でしょうか。
この論文によれば「子ども医療にゼロ価格効果が存在すること、及び、価値が高いとされる一部の治療を除けば、自己負担を「ゼロ」にすることは、不必要な医療(≒その医療を受けなくても健康に影響がない)を増やす可能性が高いことが分かった」と結論しています。(自己負担が少額あっても健康状態の良くない子供の受診頻度は変わらない、など)
つまり、「子供の医療費ゼロ!」などは政策的なウケはいいですが、社会コストや医療負担的には100円でも200円でもいいから少額のコストを徴収した方がいいということですね。
こちらはアメリカでの大規模研究で300億円が投じられたと言われているそうです。
この研究は自己負担を0、25%・・・と段階的に分けて、その影響を検証したものとなります。
こちらの研究でも負担0の群と25%の群で最も受診行動に差が出ており、つまりゼロ価格効果を示唆していそうです。
そして、なんと全体としては自己負担がある群とない群で健康のアウトカムに差がない、という結果となっています。
これらの論文が示唆することは、自己負担を減らすと文字通り「不要」の受診(医療費増加)だったわけで、コストとリターンに見合わないとかそういった話以前の問題です。
つまり、現在の年齢別や収入別の負担割合の変化(減額)はには政治的な意味しかなく、実際には全員一律3割負担としても「集団全体での健康結果に統計学的な差はでない可能性がある」といえるのではないでしょうか。
北方領土の領有権すらロシアに差し上げたハト派の自民党安倍政権と異なり、沖縄における海兵隊の基地(普天間基地。当時グアムに統合予定。ちなみに海兵隊は米軍の海外展開用部隊なので日米安保条約とは無関係)すら取り返そうそしたタカ派の鳩山政権。
日本国の領土を外国に上げたくて仕方がない人から見るとあり得ない政権だったよね。
しかも、この件で鳩山政権は『正体不明のアメリカ人コラムニスト』に『ルーピー』と呼ばれるいう大罪を犯した。
日本(現在も)、ガボン(現在も)、ジンバブエ(当時。2015年まで)の日本型記者クラブメディアが主張していたように、本来、
『正体不明のアメリカ人コラムニスト陛下万歳』と言って死んでいくのが日本男児の本懐。
もう一つの民主党政権の罪は、子ども手当を拡充して日本の出生率を大幅に引き上げてしまったこと。
これには「自分の老後には日本の介護制度が崩壊していてほしい。自分は介護放棄され、糞尿まみれの中で何か月も上に苦しみながら孤独死したい。
というか、それ以外の死に方は絶対に拒絶したい」という人々の凄まじい怒りを招いた。
もちろん野党自民党は頑張って、子ども手当を半減させることで出生率の上昇幅を抑制し、『介護放棄され、糞尿まみれの中で何か月も上に苦しみながら孤独死したい』という多くの支持者の夢を壊さないように頑張ってくれた。
最後の一つは、日本のGDPを大幅に増やしてしまったこと。10%も引き上げてしまった。ジニ係数(所得格差を示す指標(中学社会))も縮小したため国民の所得水準はsらに上がった。
しかしこれは、「なるべく自分たちは貧しい生活をしたい。そのためにも、大金持ちや政治家の人々にはとても贅沢な暮らしをしてほしい」という自民党支持者(年収1億円未満ぐらいの人々)の凄まじい怒りを買った。
もちろん、ここは自民党安倍政権が引き締めてくれた。今の日本人の可処分所得は、第二次安倍政権発足時の2割減、民主党政権発足前とくらべても1割減になっている。
切望していた、「さらに貧しい暮らし」を手に入れることができて、自民党支持者たちは喜んでいるだろう。
ジャック・シャー(John Jacob Sher、1913年3月16日 -1988年8月23日)は、アメリカの新聞コラムニスト、ソングライター、映画監督、映画脚本家、プロデューサー。
経歴
ミネアポリス生まれのシャーは、『サタデー・イブニング・ポスト』、『エスクァイア』、『レッドブック』、『ラジオ・ミラー』、『リーダーズ・ダイジェスト』、『コリアーズ』などの雑誌に寄稿。
また、ニューヨーク・リポーター誌のコラムニストも務め、1937年から1940年までは、デトロイト・フリー・プレスが発行する全国シンジケーションの日曜増刊誌『スクリーン&ラジオ・ウィークリー』にも寄稿していた。
1959年の『The Wild and the Innocent(邦題:ワイルド・アンド・ザ・イノセント)』を含め、シャーはオーディ・マーフィーのために数多くの映画を執筆し、監督も務めた。
1979年にテレビ用にリメイクされた『TheKid from LeftField』では、このシリーズで主演を務めたゲイリー・コールマン(1968-2010)がNAACPイメージ賞の最優秀子供向け特別エピソード賞を受賞した。
1971-1972年にシャーが手がけたテレビ劇『Goodbye, RaggedyAnn』は、エミー賞のドラマ部門脚本賞にノミネートされた。
日テレもフジもTBSも…面白くないことをコンプラのせいにする「勝ち組」テレビの周回遅れの意識
https://president.jp/articles/-/79269?page=1
テレビがつまらなくなったのは、本当にコンプラのせいなのか? コラムニストの藤井セイラさんは「原作者の死を招いた『セクシー田中さん』の悲劇、ドラマ『ふてほど』によるSNS炎上などを見ていると、問題の本質はコンプラによる表現の萎縮ではない。むしろ、コンプライアンスを必要としている社会の変化にテレビ局がついていけず、時代遅れになっている」という――。
@cobta
わたしは萌えみたいな絵のポスター全然好きじゃないんですけど、じゃあどんな絵ならいいのか考えるとよくわからず、そもそもアイドルが春の交通安全週間のポスターしてるのと何が変わらないのかとも考えます。「やめさせる」「禁止にする」という斜め上な方策が当たり前になっていることがこわいです。
https://twitter.com/cobta/status/1442945597250572290?t=Ml9ht-CqDstYuxL--yecuA&s=19
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(Iam behind thePresident.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈Permalink |記事への反応(0) | 18:37
「SEX AND THE CITY」というドラマをご存じだろうか?
セックスに関する鋭い考察で人気の女性コラムニスト・キャリー、弁護士のミランダ、アートギャラリーのディーラー・シャーロット、PR会社の重役・サマンサ。固い友情で結ばれた彼女たちはN.Y.の街で傷つきながらもそれぞれの幸せや理想を追い求める話である。
今では続編のドラマもでている、ファンが多い作品だろう。私はこの作品が好きである。このドラマは1998年、増田が生まれる前から始まっているが、今観ても楽しめる。
ニューヨークの華やかな生活と登場人物の生き様が観ていて楽しいし、コメディ要素もあって話のテンポが良いのでさくっと観れるのも魅力の一つだと思う。
「プラダを着た悪魔」や「ゴシップガール」などが刺さった女子には是非おすすめしたい。
私の母親は子供を3人育て、子育てが落ち着くと自分でビジネスを始めた。
父親は古風な人なので母が外に出ることを少し嫌に思っているようだが、家事育児に手を抜いているわけではないので許容している。
理由を聞くと、「あんなの痛いじゃない、イライラするわ」とのこと。
確かに自由奔放に生きる主人公や友人の生き方は賛否両論だと思う。でも私は、むしろ母親はあのドラマの登場人物のような人だと思っていたのだ。
仕事も育児も大忙し、趣味もたくさんあって、お金もある。自分の考えを持っていて友達も多くいる。
年齢的にも、生き方的にも共感し、ファンになりそうなのに、と。
あの作品が嫌なの?それとも、あんな感じのジャンルの作品が嫌なの?と聞くと、あのドラマだけが嫌だという。見るのをやめなさいとまで言われた。
ドラマや映画はどの国のものでもとりあえずは見てみようかな、のスタンスの母親が。作品の地雷が少なく、基本どれも面白かったと言っている母親が。
内容が嫌いなのか、なにかひっかかる表現(差別発言とか?)があるのか、役者がいやなのか、詳しく聞いたが
とにかく全てが苛つかせるらしい。この話をするのも不快というので、ここで話は終わった。
母の妹に最近会ったので、何気なく、あのドラマをみたことあるかと聞いた。全部見ていて続編も追っているとのことだった。
そこで興味深いことを聞いた。母親と一緒に観たことがあるという。
何話とかはわからないが、暇だったので母を誘って一緒に観たとのこと。話が始まって20分ほどで、母は大号泣していたそうだ。
「別にシリアスなシーンなかったのに、あれは不思議だったよねえ!」と叔母は言う。
理由を聞いても答えてくれず、とりあえず1話終わった後は違うテレビを見ることになったらしい。
不思議で仕方ない。
でも、大号泣したのは嫌だったからなのかな。なにが嫌だったんだろう。
イライラする主人公や登場人物が出てくる作品にはもちろん出会うことはある。でも大号泣するまでイライラしたことがない。
みなさんはありますか?また、「SEX AND THE CITY」を見たことある人で、母と同じ感情になったことがある人は教えていただけたら嬉しいです。
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