
はてなキーワード:ケーンとは
これは「劇場公開時はこういうガンダムになるんだろなと思ってたけど期待を裏切られた」という話です。
まず劇場公開時はポメラニアンズ(ジャンク屋・カネバン有限会社)の面々は社長のアンキー以外はマチュに好意的ではなかった。
ザクのパイロットである「ジェジー・ナブ」はどちらもマチュに危ないから帰れと、クラバは命がけだと拒絶する態度をとっていた。
そこをスタート地点としてマチュとシュウジがポメラニアンズの一員になり、ニャアンも交えて7人で知恵を出し合って結束を重ねて
メカニックのケーンにマチュが希望を伝えて斧と盾しか持っていなかったジークアクスが徐々に武装を増やして
クランバトルの頂点を目指すような、戦時中ではない宇宙世紀を描く作品になるんだろうなと期待していた。
マチュはその間、アンキー以外のポメラニアンズとの交渉はしていないようで、カネバンのハロを半ば私物化する有り様。
ジェジーやナブもマチュが不在なら自分達が意地を見せるような活躍の場も与えられず、シイコ戦含めて5試合はこなしているのにケーンがジークアクスに追加の武装をする様子も無し。
シュウジに至ってはマチュを窓口にだけポメラニアンズと接しており、ハラペコムシという偽名以外を伝えないコミュニケーション途絶男となっている。
さらにシュウジによるリング禍が起きてしまった後にアンキーがマチュに対して行った働きかけは、これをきっかけに辞めちまえというものではなく、さらに進めと背中を押す有り様で・・・。
それらもどうかと思うけど、オープニングがダメだなって。
この作品はガンダムSEED Destinyと同じで「みんなが知ってるあのモビルスーツと同じ名前を持つ機体がアレンジされてるからみんな驚いてね」というギミックに、1年戦争のあのキャラのifで楽しんでねという二重の仕掛けになっていると思うのだけど
本編で驚かせたり毎週の話題を持続させたいからって、オープニングで「まだ観ぬ強敵達」という演出をやるのを避けてる。
結果として魅力の無いオープニングアニメーションができあがってしまった。
長々となったが結論を書くと
ポメラニアンズはマチュからは駐車場程度の扱いしかされていない。
さらにマチュはクランバトルの頂点を目指す気さえも無いようで、どちらかと言うと「殺しができてしまうヤバいシュウジ」がCoolだという不良マインドの方に比重が寄っている。
つまり、絶対王者打倒とか考えもせず、目標金額溜まったらポメラニアンズにとっての持続性とか考えずにクランバトルを辞めそうな奴だという事だ。
信頼や友情の積み重ねの物語を期待していたのに、実際に出されたのは親元で養われている女子高生のガンダムを代わりに保管して試合をマッチングして機体の消耗を回復させる都合のいい舞台装置でしかなかった。
ここからジークアクスが真っ当に面白くなる事があるんだろうか?
マチュの事情よりもキシリア・ザビの話の方が面白くなりそうで困るんだけど・・・。
Permalink |記事への反応(43) | 23:08
市民ケーン観た。
ヒッチコック辺りと同じような映像技法の教科書的作品らしいけど、おれはその辺興味がないのでストーリーに目が行った。
愛を渇望して、埋め合わせようとしても事足りない空虚さ。失われて取り返しのつかないものって所では、おれも小中学生くらいの頃もっと遊んどきたかったよねってちょっと共感する所はあった。人生って絶え間ない現在の連続なんだし、喜びを捨てていい時なんて一瞬たりともないだろ。未来への投資?今だけ我慢?知らねーよボケって思ってた。
憧れのテレキャスターを弾いたところで、映画作品の背景や位置付けの知識を仕込んで体系的に観てウンウン唸ったところで、マックに集ってP2GやMGSPWの対戦をしてバカ話をしていたあの頃の喜びがあるだろうか。
一方で共感しきれない部分もあった。チャールズ・フォスター・ケーンには権力と金とモノを手にしたという経験が実際にあって、それでも満たされないという実感がある。それは彼の実感であって、おれの納得じゃない。宮殿に住んで開封すらしない美術品を買い漁れるような巨万の富ではなくとも、糸目を付けず欲しい物を買えるくらいの金は欲しい。物質的な豊かさだって大事だ。ゴータマ・シッダールタとて、金持ちではなく門の前で苦しむ側であったら果たして悟りを開けただろうか。他者とのつながりや愛が何を差し置いても大事なものだとも思えない。それが人生の決定的なピースかどうかも分からない。人生は一言で片付けられないなって思った。
まあ大人がいくら後悔した所でこうやって映画にしたりする事くらいしか出来なくて、それだって当の子供に見せた所で伝わるかどうか分からない。ままならないねえ。
昔々ばーさんが川で桃を拾ってきてジーさんと一緒に割りました。
「いてぇ」
頭部を流血する男が出てきました。
ジーさん「何じゃお前は」
バーさん「そうじゃ!名乗れ!」
桃太郎「バレちゃいました?」
バーさん「いやらしいわねあなた !桃太郎なんだから鬼でもファックしてきなさい!」
桃太郎「しゃーねーな…じゃあちょっくら鬼っ子鬼子ちゃんと交尾してくる」
そう言って全裸で出かけていった。
少し歩くと犬とキジと猿が現れた。
犬「ワン!」
猿「トゥギャザーしようぜ!」
鬼「フハハ、よく来たな」
猿「ずるい!データサイエンティストのミーもプロダクティビティをインプルーブしたい!」
桃太郎「ロマンチックな夜には美味しいディナーが欠かせないよね。非常食を料理しよう」
鬼「いいわね、喰い散らかしましょう」
その後
桃太郎「さあ、挿れるぞ。馬のように暴れろ!」
鬼「ヒィン!気持ちいいです!」
中途半端な知識で中途半端なこと言ったから真意が伝わってなかったな
結局どの格闘技にしても伝える人がいなきゃ次に伝わらないってことよ
あと、元増田の間違いを一つ言うなら
合気道は今でも伝わってるけど、伝わりすぎて逆に創作で使いづらくなってる。
でも実際の合気道も何やってるかわからん。手首返すとか言われても「それで?どうしてあのデカいおじさんは倒れてるんですか?」となる
地味だから恐ろしい、そういうこと。
そして、骨法は骨法を知っているオタクにも骨法自体がインチキだと思われてるので創作のネタにも出来ない。
というか普通に他の格闘技で補われる要素が多い割に、試合がペチペチしてる以外に注目できる要素がない。
みなみかわがシステマを使い出した時に「ロシア人でもないのにシステマの使い手っているんだ!」と思ったものだが
ああいうネタだったので苦笑いはしたものの内心「便利な技だなぁ」と思えた
みなみかわのYouTubeを見ると思いっきり腹をぶん殴られてるのに力を受け流して別の人間の腹を殴っていた。
恐ろしい。
骨法にはなんかそういう要素がない
なんだあの歌詞
なんだあの歌詞は
夫婦同姓に疑問を持つ人は、「佐藤太郎さん」と「田中花子さん」が結婚したときに
生まれた子供の「一郎くん」をなんと呼ぶのか自分で提示してほしい
佐藤一郎くんなのか、田中一郎くんなのか、佐藤・田中・一郎くんなのか
お母さん(または親2)が、自分と違う名前で呼ばれてときその子がどう考えるか
病院とかでひたすら面倒じゃないか?とかそういうの、どう処理するのか
子供生まれたら、自分の人格を捨てて「お母さん(または親2)」になってしまうのか
この答えが出ないまま、自分の気持ち悪さだけで社会に訴えても、同意は得られにくい