
はてなキーワード:グローブ座とは
時は令和、空前の個性的スイーツブームが到来!映えまくりのスイーツも出尽くして、「次にくるスイーツは何!?」って、みんなが奇抜な組み合わせを求めてた20XX年。そんな中、下北沢の劇場街に、マジで浮世離れしたイケメン紳士が現れたんだって!フリルたっぷりのブラウスに、なんかこう、憂いを帯びた瞳と詩的なオーラをまとったお方。「え?演劇の人?インディーズバンド?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「わたくしは…ウィリアム・シェイクスピアと申します。」
え?マジで?あの『ハムレット』とか『ロミオとジュリエット』とか書いた、世界一有名な劇作家、シェイクスピア様!?ヤバすぎ!って文学好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶インテリなお方、もといシェイクスピア様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…グローブ座ではない、か…?ずいぶんと奇妙で、しかし興味深い舞台になったものよのう。」って、マジで時代錯誤感ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その深い眼差しに、何か強い物語を感じてたらしい。
そんなシェイクスピア様に、恐る恐る話しかけたのは、下北沢で古着屋巡りしてる、ちょっとサブカル系のギャル、レイナ。「あの…もしかして、お困りですか?」「…うむ、少々。見慣れぬ舞台装置ばかりで、いささか戸惑っております。」って、マジで演劇っぽい言葉遣い!レイナ、その独特の雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、レイナ!下北のことなら、何でも聞いて!アンタ、マジで文学的で面白いから、アタシがプロデュースしてあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、レイナに連れられて、シェイクスピア様は初めて現代の日本を体験!ライブハウスとか、古本屋とか、マジで全てが新鮮!でもね、シェイクスピア様が一番興味を示したのは、テレビで偶然流れてた、ローカル番組の「ご当地グルメ対決」。「…この、ゼリーに閉じ込められた奇妙な生き物は、何というものでございますか?」って、マジ真剣な眼差し。レイナ、まさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、うなぎのゼリーですよ!静岡の一部地域の名物なんだけど、ちょっと…個性的な味で…」って、正直に教えてあげたんだって。
シェイクスピア様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この矛盾に満ちた味わいは!?甘いゼリーの中に潜む、うなぎの蒲焼き…まるで、人生の悲劇と喜劇が織りなす、不可思議な舞台のようである!これこそ、余が求める、真の食材よ!」って、マジで詩人っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、シェイクスピア様の鰻ゼリー愛がマジで爆発!毎日色んなご当地食材を調べまくって、「これぞ舞台にふさわしい食材!」って、鰻ゼリーに心を奪われまくってたんだって。「鰻の調理法、ゼリーの硬さ、甘さと塩味のバランス…研究しがいがありすぎる!」って、もはや鰻ゼリーパフェ研究家レベル!
でね、ある日、シェイクスピア様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、この鰻ゼリーをもって、世の退屈な甘味を打ち破り、人々の心に深く刻まれる、真のパフェを創造してみせようぞ!これこそ、悲劇と喜劇が融合した、『人生のパフェ』よ!」って!
え?鰻ゼリーパフェで天下統一?しかも人生とか悲劇とか!マジで壮大すぎる!でも、シェイクスピア様の「人間模様を描く」魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってレイナも思ったらしいんだけど、シェイクスピア様の目はマジだったんだって。戯曲の創造主としての野望が、令和の鰻ゼリーパフェに新たな舞台を見出したのかもね!
そっから、シェイクスピア様の鰻ゼリーパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#シェイクスピアの鰻劇」ってハッシュタグ作って、毎日自作の鰻ゼリーパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、シェイクスピア様の詩的なコメントが、一部のサブカル好きギャルや、個性派の人たちの間でじわじわバズり始めた!
SNSはシェイクスピア様の鰻ゼリー愛でじわじわ盛り上がり!しかも、シェイクスピア様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい郷土食材を探し求めたり、意外な組み合わせを試したり、マジで実験的!「天下の鰻ゼリーパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!シェイクスピア様は、下北沢のど真ん中に、自分のプロデュースする鰻ゼリーパフェ専門店「THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、グローブ座をイメージした、円形劇場のようなデザインで、シェイクスピア様の舞台への情熱を表現。店員さんも、ちょっと中世ヨーロッパ風のモダンなユニフォーム着てて、マジでアーティスティック!
オープン初日から、ゲテモノ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そして演劇や文学に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題の鰻ゼリーパフェ、マジで挑戦してみたい!」「シェイクスピア様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘じょっぱくて、なんか複雑で美味しい!」「鰻の臭みが全くない!」「シェイクスピア様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、THEGLOBE PARFAIT -人生劇場 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、シェイクスピア様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「テーマ」について熱弁したり、お客さんの人生をテーマにした「即興パフェ」を創作したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のシェイクスピア」「鰻ゼリーパフェの詩人」とか呼ばれて、マジで時の人!シェイクスピア様の強烈な個性と、鰻ゼリーパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!シェイクスピア様の鰻ゼリーパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「シェイクスピア印の人生パフェ」が発売されるほどに!まさに、鰻ゼリーパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、下北沢の街に静かに佇んでいた劇作家が、令和の時代に鰻ゼリーパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、悲劇と喜劇が鰻のゼリーに踊り、新たな伝説を創り出した瞬間!
レイナも、「まさかシェイクスピア様が本当に鰻ゼリーパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで震えたけど感動した!」って、ちょっと引きながらも感動してたらしいよ。
シェイクスピア様は今も、さらなる鰻ゼリーパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが創作の道に、終わりはない!」って、マジでストイック!
こうして、ウィリアム・シェイクスピアは、令和の日本で、鰻ゼリーパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!鰻ゼリーパフェ、マジ卍!
ふと、「担降りしよう」と思った。これまで一度も降りたことがない。でも降りるなら今だと思った。これはただのお気持ち表明増田です。私がただ気持ちを整理するためのもの。13年担当した村上さんから、エイトから、降りることに決めた話。
多分最初に担当と名乗りたい!と思ったのは彼で、それまでに好きになったアイドルもいた気がするけれど私の中の記憶が正しければ彼が最初の人だったと思う。きっかけは本当に覚えていなくて、初めて彼を認識したのは母親が見ていたはなまるマーケットのはなまるカフェだった気がする。母は村上さんに一目惚れして当時リリースしていた関風ファイティングを購入していて、うちにあったから聞いていた程度だった。その後47都道府県ツアーの地元公演に入り、大倉くんかっこいいなぁ〜と思っていたのにイッツマイソウルを購入したときにはすでに村上さんの担当を名乗っていた。なんでだろう、奇跡な気がする。今でも私にとっての理想のアイドルは村上さんだと信じて疑わない。
ジャニオタであることを休憩したときもあった。でも最終的に帰る場所はいつもエイトで、私にとっては実家のようなものだった。高校卒業してからはほぼ欠かさずツアーは東京公演に参加していたし、毎年現場納めはいつも東京ドーム、現場初はグローブ座でのイフオア観劇だった。本当に毎年楽しかった。
そんな中、現場に行くことを辛く感じたのはすばるくんが退所することを決めた年だった。櫻井担のリア友と入り、途中までは「たのしい!大丈夫だ!」と思ってたのに最後のロマネがだめだった。すばるくんの声が聞こえないロマネは、思ったより寂しくて、私はボロ泣きしながら地元に帰った。私が好きになったときにはすでにエイトは7人で、私は7人しか知らないけれど大倉くんの「8→1」に救われていた気がした。だから、7人で歩むことが決まったときは泣いたけれど、多分それ以上にこの時は泣いた。私の中ですばるくんというのは、思ったよりもでかい存在だったんだとそこで気づいた。ただ、その時は降りる気はなくて落ち着いたらまたオタクしたいなと思いながら別ジャンルのオタクとして生きていた。そうやって離れてるうちに亮ちゃんが退所して、気づいたときにはエイトは5人になっていた。
今年、ひょんな事からジュニア担としてまたジャニオタ復帰し、またエイトのことも追いたいなぁと思っていたときに始まったのがドリアイだった。本当に楽しい一ヶ月で、今でもロスが抜けない。なにわの日から始まってウェストは苦渋の選択で見れなかったもののエイト、Aぇ松竹、関ジュ、なにわ男子単独、Aぇ単独まで走り抜けたのは本当にいい思い出になったと思う。
結局降りる理由はわからない。けれどなにわの日に披露したエイト×Aぇの「勝手に仕上がれ」と、Re:LIVE購入がきっかけになった気がする。私はここ数ヶ月でAぇ!groupを好きになったが、きっと全力でエイトを追いかけていた頃の楽しさを思い出しているんだと思う。あの頃の売れようと藻掻く彼らを応援していた幼い自分を、懐かしんでいるのかもしれない。それでも、Aぇのことを好きな気持ちも本当で、エイトと重ねて見ている部分と彼らにしかできない部分はどちらもあって、どちらも好きなんだ。今でも村上さんが好きだし、いつまでも元気でいてほしいと願ってる。ただ、私が応援していたあの頃のエイトはいい意味で居なくなったのだ。これは失望ではなく、エイトに希望を見出しているからこその担降りだと思っていて、きっと彼らはこれからも5人でしかできないことをやり遂げ輝き続けると思う。もうすでに降りていたようなものだけれど、ただ気持ちを綴りたかっただけなのだ。最後に、「10年後またここで会おうよ」の約束を守れなくてごめんなさい。もしかしたら現場は行くかもしれないし、CDも買い続けるかもしれない。それでも、私はもう村上担でもエイターでもない。ただのクソDDなジャニオタで居続ける限り、あなた達を遠くから見守らせてください。