
はてなキーワード:グシャグシャとは
読ませていただいた。以下感想。
【全体的な感想】
お前の語るその「実力ある者が報われるべき」ってセリフ、聞いててこっちが恥ずかしくなるんだわ。
お前は平等を唱えながら、片方の口で「個人の能力差を尊重すべき」だの「努力した者が報われる社会」だの、言ってることがまるでねじれてる。
自己矛盾でグシャグシャになった論理の上で、悦に浸ってるその姿、まさに知的自己放尿だよ。しかも顔を赤らめながらな。
お前が信じてる能力主義ってやつ、結局は「俺はそこそこできるから、下のやつは自己責任で落ちていけ」っていう、選民意識の裏返しじゃねえか。
しかも始末が悪いのは、これを「公正さ」だとすり替えて語る知的ぶりっこ精神だ。なあ、それって新自由主義者と何が違うんだ? 真顔で答えてみろ。
そもそも能力ってのは生まれつき・育った環境・教育資源・遺伝の産物であって、本人の手柄なんてせいぜい全体の1割が関の山。
スタート地点がバラバラの奴らを「能力」で競わせるのは、陸上競技で片方に足かせつけて「はい、公平な勝負です」とかほざいてるようなもんだ。
そんなのは能力主義じゃなくて構造的搾取を正当化する飾り付きのナンセンスだ。
そして極めつけは、お前らがその能力主義を都合よく使うことだ。
自分が上にいるときは「能力の差は仕方ない」って言うくせに、自分が評価されないと「社会が悪い」「権力の腐敗」だと喚きだす。
その二枚舌、どこまで伸びるか測ってみたくなるな。自分の能力に酔ってる暇があったら、その腐った自己認識をぶっ壊してこい。
最後に一つ教えてやる。能力主義ってのは、本来「測定不能な能力をどう扱うか」っていう難問を含む高等思想だ。
それをお前のような「選民マウントの口実」として使う人間がいるから、社会がますます分断されてるんだよ。
死ぬことを考えてはいるが、死にたいと考えているわけではない。
ベッドで横になっている時に、「あぁ、この人ともいつかは死別してしまうんだな」と考えては泣いている。想像では相手を見送る場合もあれば、自分が見送られる場合もある。
もともと高いビルを見たら飛び降りて体がグシャグシャになるイメージを持ったり、電車がホームに来たら飛び込むイメージをしてしまったりしがちなので、この延長なのかもしれない。
自死念慮を疑われるかもしれないが、もう20年以上そういうイメージと共に生きているし、死にたいと思うわけではないからメンタル的な何かというわけではなく、そういうイメージの癖があるだけなんだと思っている。
階段から落ちて死ぬことを考えるので、外でもできる限り手すりを持って階段を上り下りしているし、車に轢かれて死ぬことを想像して信号待ちのときに一歩車道から身を引いている。
電車がホームにやってくる時は、一時の気の迷いで飛び込んでしまったり他人に突き落とされることを想像しては、少し緊張して足元に力を入れている。
絶叫系のアトラクションが嫌いなわけではないし、スカイダイビング体験を1人でやりにいったこともあるので、臆病というのとも違う気がしている。
生活に支障が出るほど脅迫的な思いではないし、上記のような行動も露骨にしているわけじゃないから、配偶者も私がそういうことを考えているとには全く気付いていないと思う。
メメント・モリのようなもので特に問題はないと思っているが、この先に少しずつ想像が強化されて狂っていくのかもしれないと思うと少し怖くもある。ただ、これ自体も死ぬことを考えていることの単なる派生なのかもしれない。
何ヶ月か前にどっかの大学から毎年届く司書資格の通信講座の案内チラシが届いて、今年のはAI絵が使われてた
AI絵の是非とか正しさを議論したい訳ではないし、このチラシはちゃんとAIイラスト使用って明記されてた
問題はイラストの構図で、開いた本の真上にコーヒーカップを持った手を置いて
仮にも本を扱う仕事の資格なのにそんなイラスト使うのはあり得なくない?
その手とカップも柄と指の線がグシャグシャになってて溶けて融合してるし
背景の本棚も線が綺麗に引かれてなくてふんわり描いたラフの上にテキトーに色塗った様な感じだしやっぱり本同士が溶けて融合してる
AIが良い悪い以前の問題で、流石に仕事内容にそぐわない内容だからなんでこんな低クオリティのイラストでGOサイン出したんだろうかってレベル
もちろん手書きで同内容のチラシが来たら同じ突っ込みいれるけど、流石に司書資格のイラストで本の真上にコーヒーカップ持ってくるプロのイラストレーターはいないでしょ
というか例年写真だった気がするんだけどなんで急にAI絵にしたんだろうか
AI絵なら適当にポン出しして精査しなくてもOKって思ってるならあまりにもやる気ないし杜撰だし、チラシ作った大学の印象かなり悪くなる
ケーキを配送すると初めて聞いたら無理ゲーだと思うのも無理はないが
能書き通りの品物が届くことが期待できる商品だから、潰れたケーキが大量配送されたのがニュースになってる
そういうニュースを見ても認識を改められずに「そんなもの買うほうがおかしい」とか「買った人間の自己責任」とかコメントして
自分の古い認識にしがみつこうとしたり、あまつさえネット上の被害者にわざわざ絡みに行く人間さえいることに驚愕した
「缶詰を開けてみたら腐ってた」ってニュースを見たら、文明国の人間ならびっくりするだろうが
まともな缶詰を見たことがない世界の人間なら「腐らないなんて期待して買うほうがおかしい。自己責任だ」と笑うだろう
それと同じなんだよ
ちょっとは考えろ
残念コーディネートで良くあるのが、アウターもパンツもちゃんとしてるのに靴が適当というのがある。
酷いデザインだったり履きつぶしててグシャグシャだったり、とにかく靴のマイナス点でコーディネート全体の点数が引き下げられてる。
なんで靴が大切か?というと人間が誰か人間を見るときは本能的にまずは体の“端“を見る。
顔、足元、手首。
だから髭をそったり化粧をするし、手首に高い腕時計を付けて着飾る。
とにかく靴というのは頭の対極にあるパーツで、極論、もう一つの頭と言ってもいいくらいにはファッションを印象づけるものだ。
理由としてまず先に予算を使うのはカッコいいジャケットや、可愛いシャツではなくてちゃんとした靴だからだ。
また、靴というのは他のアイテムに比べて選択肢が極端に少ない。
だから、もし最後に靴を買うと、どれも選んでもコーディネートとしっくりこない…という事態が発生する。
靴を選んでからその靴に合うパンツを選ぶ。そしてシャツを選ぶ…という順番にすると、正解のコーディネートにたどり着きやすい。
フェミニストで「お兄ちゃんはおしまい」は原作で読んでいる派です。
あなたの提示した問題点は、現在の社会が、少なくともはてなブックマークが、私が、受け入れられる限界ポイントを凌駕しているので、何も軽々には応えられない、という結論になってしまいました。
今のところの考察では、「女性は安全よりも安心を求めている、だから二次性徴前の性欲がないはずの男児さえ女子風呂で忌避される」「レズビアンを女子風呂に入れるな、という声はゼロ」「女性VTuber同士で乳房を揉んだりセクハラしたりイチャイチャしてもリスナーは問題視しないのに、男性VTuberが絡むと嫉妬する。レズビアンやトランスジェンダーの可能性を考慮しないで、男女接触にだけ嫉妬するVTuberリスナーは最新のモラル感覚を持ってるはずの若者さえ、数百万人レベルでLGBTフォビア」——…のような多岐に渡る問題に接続していて、頭がグシャグシャです。
高校で麻薬取引するとか日本ならまずそういうのは高校に入れない事が多いし
日本で「あばずれ」とか「死ね」って相当怒ってないと言わないしふざけてないと言わないけどアメリカは普通に自分をかっこよく見せる為にわざと酷い言葉平気で言うし大人でも厨二病だし
VRChatでアメリカの大人の男が妊婦のアバターにして遊んだりクソガキは黒人のアバターで黒人差別してたり
差別について色々考えさせられる
だからアメリカ人はアメリカにいる事が1番の不幸だと思ってるし同時に幸福だとも思ってる奴いるけど少ない
日本の周辺国が酷すぎて日本がまだキラキラして見えるから白人とか黒人系の外国人の移民多い、1番多いのは中国韓国だけどそれを省いて
特にアメリカの黒人さんは差別から逃げる為に日本に逃げてくるらしい
アメリカから逃げてきた黒人は日本のお婆さんに「こんにちは」って声かけられて自分が泥棒みたいに疑われないことに驚いてた
普通の日本人が抱いてるアメリカのイメージをグシャグシャになった紙の玉みたいにして広げてもっと酷いことしてまた丸めて踏み潰したくらいアメリカは悲惨な状況
あんたはまとも。女叩きに脳をやられた異常人間と会話なんてするだけ無駄
要するに知的に聴覚的にちょっと障害のある子を集団でいじめてたんでしょ?
それで叱られた後も「ボクはいじめグループの中では消極的だったとか」そんなことをずっと思ってて
「ちょっと納得いってなかった」とかじゃなくて不満で一杯だったわけでしょ。
チンポ騎士増田、こんな調子でセクション1から全く根拠のない決めつけで話しはじめて、セクション4まで突っ走ってますからね。論理とか理解できない頭の悪い異常者ですわ
そもそも「オープンレターの瑕疵で加害された」とか「殴られた」みたいな大げさなことがあちこちで書かれているけど、実際には「数名、いたずらで勝手に署名された人がいた」だけですからね。
しかも公開されたのは1年前で、その間いたずら署名の存在に誰も気が付かなかった。被害らしい被害もないから誰も気が付かない。その程度の問題なんですよ。
百歩譲って勝手に署名された数名の当事者が怒るのはまだわかるけれど、全く関係のない第三者が、たかがいたずら署名ごときで鬼の首を取ったように批判して、ちらほら誹謗中傷レベルの攻撃までしているわけ。もう人格異常としか言いようがない。どう育てられたらそんな人間になってしまうのか
たった今、出かけようと思ってマンションの駐輪場に行ったんだけど、なぜか俺の自転車のあたりに人が集まってて「うわ、邪魔だな」と思って近づいていったら、よりにもよって俺の自転車を囲んでて「いやなんやねん」と思って見てみたら自転車の前かごがグシャグシャになってて中になんかベトベタの毛玉みたいなのが入ってた。
どうも9階の住人が飼ってた犬がベランダから落ちて俺の自転車の前かごにホールインワンしたらしい。犬だけに。
用事があるから自転車使いたいんだけどさすがに今のままで使うのは嫌だけど、これ誰も代車出してくれないと思うからタクシーでも呼ばないと遅刻確定だし、そのタクシー代をこのクソ飼い主に請求したい気持ちだけどさすがに愛犬を殺したばっかりの飼い主にそう言うのがはばかられる程度の良心は持ち合わせてるし。
てか、今日はなんとか乗り切ったとしてこの自転車、弁償してくれんのかな?俺の責任じゃねぇよな。普通にベランダから物落として他人の自転車を損壊したらその責任は落とした人間にあることは明白だし。とはいえ愛犬を殺したばっかりの人間に「お前が愛犬を落としたせいで自転車壊れたから弁償しろ」って言うのは俺としても心苦しいし。
どう処理すべきなんだろうか。
とりあえず遅れる旨の連絡をしてなんか半狂乱の飼い主を眺めながらこれ打ってる。マジでやってられんわ。
Permalink |記事への反応(15) | 17:01
タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分の気持ちに整理をつけられればと思い、はてなに新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います。
物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可の新築のマンションに引っ越してから数ヶ月が経った頃。
せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだが夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン。
生まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。
しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。
(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)
初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワに喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間のご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます。
共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。
2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。
電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。
当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)
そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。
ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。
父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。
麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さな小さな黒い腫瘍になっていました。
その腫瘍は癌の一種、メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきます。トイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。
その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます。
大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。
酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。
酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がります。ご飯を吐くようになりました。
1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。
母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。
いつも行っていた公園をカートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。
最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。
目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。
そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。
帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっとお散歩行けたのにね。
家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。
2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。
寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。
会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまいます。
でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛い。クリクリの耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球の香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。
まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。
大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から、一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。
私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています。
何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います。
ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます。
たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。
一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かいお言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます。
一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。
で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。
彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日を確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!
というわけでした。勝手に運命を感じただけなのでこれからどうするかはわかりませんが。
長々と追記までしてしまい、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(13) | 23:10
「中学受験すれば?」と親に聞かれ、当時小学生の何も知らない自分はなんとなく「やる」と答えてしまいました。「お前がやると言い出したんだ。最後までやれ」と圧をかけられ、凄く嫌がりながらも中学受験をさせてもらいました。案の定結果はボロボロで、適当に受けた適当な中高一貫校に入学する事になりました。思えばここから始まりだった気がします。
部活動はソフトテニス部に入部しました。中高一貫校なので高校生の先輩もいました。そんな先輩方に体操服を引きちぎられたり、羽交い締めにされて「携帯のパスワード教えろ」と言われ勝手に中を覗かれたり、その他諸々、所謂いじめを受けて、それが無理で1年で辞めました。
辞めてからは新しく吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部はブラック部活とは良く言う話ですが、うちの吹奏楽部も似たようなものでした。部活動は平日はもちろん休日も朝から夜まであり、中学生の朝練は当たり前、お昼を食べる時間は15分、理不尽な事で怒られたりもしました。合奏中ミスをすれば女性の先輩に胸ぐらを捕まれて女子トイレに連れ込まれ正座をさせられてペチペチされながらこっぴどく叱られました。今思えば異常ですが、(自称)メンタルの強い自分はなんだかんだ上手くやっていたと思います。高校に上がり、自分達が先輩になった時にはそんないらない伝統やルール、文化は廃止させていきました。
ソフトテニス部でイジメられた時も、吹奏楽部でボロカスに怒られた時も、涙を流す事はありませんでした。むしろ、自分にも非があったとも思いますし、先輩の機嫌も悪かった、仕方が無かったと捉えています。そんな自分が突然、涙を流した事件がありました。
高校三年生になり、大学受験を視野に入れる歳になりました。部活動は12月末まであったため、勉強と部活の両立をしていました。部活動の同期は徐々に病んでいき、気付かぬうちに自分も病んでいました。病んだ同期は、部活の練習で使用する教室の机に置いてあった赤の他人の教科書をグシャグシャに丸めて捨てたり、リスカ痕を僕らに見せつけては笑顔で「今日も切ってきたよ!」と報告したりしました。それを見た僕らも「またかよ!笑」「今回はどんな形?」と、リスカを心配する素振りもなく楽しく話していました。僕らは壊れていました。日々死にたいと思い、明日が来ない事を毎日祈り、眠れない夜が続きました。それでも怖くて死ねない自分が情けなくて仕方ありませんでした。
とある日、急に毎日微熱が続いたので親に相談しました。「気の持ちようだ」と言われましたが、どうしても勉強と部活をサボりたかった自分は病院に連れて行って貰えないか交渉しました。何故か親は頑なに断り、「甘ったれてんじゃねーよ!」と怒られました。諦めの悪い自分は、夜寝れてない事、もしかしたら心を病んでいるかもしれない事、辛くて学校に行きたくない事を打ち明けました。きっと心配してくれる、休ませてくれると願いました。
「原因それじゃん。夜は無理矢理でも寝なよ」
「学校は行くから、病院に行かせて欲しい。本当に寝れないし、熱も出てる」
「だから無理矢理でも寝ればいい」
初めて親に怒鳴りました。母の言葉を遮るように叫びました。ここから先はあまり覚えていませんが、母は変わらず何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じ事を言い続けていました。「無理矢理寝ろ」 と。話にならないと思い自分の部屋へ逃げました。
自分の怒声を聞いた父が部屋へやってきて、「どうしたの?」と声をかけてくれました。自分は夜に眠れず、病院に連れて行って貰いたいことを打ち明けました。ですが父の返答は驚くものでした。
「○○(自分の名前)の気持ちも分かるけど、怒鳴っちゃあだめだよ。」
自分は一瞬、理解が追いつきませんでした。この人は心配にし来たのではなく、怒鳴った自分を注意しに来ていました。怒鳴ってはいけない事くらい高3にもなればわかります。母も父も、僕の味方ではありませんでした。
自分は「わかった。1人にさせて」というと、父は何か言いたげでしたが、言わせる前に「いいから出てってよ!」と叫ぶと、僕の事を心配しながら出ていきました。
父が扉を閉めると同時に、涙が溢れました。頭の中は真っ白で、何故泣いているのか理解できませんでした。自分はその状況にゲラゲラ笑いました。涙を流しながら、声高らかに笑い転げました。感情が、文字通り「死んだ」瞬間でした。その日は夜通し涙を流しながら笑っていました。泣き終えた後が怖かったんだと思います。朝になりリビングに行くと母が居ました。母は「父が心配してたよ。可哀想に」と言いました。その言葉を聞いた時にはもう何も思いませんでした。
この人達は僕の味方でいるつもりで、僕を理解しているつもりかもしれませんが、僕に金をかけているだけで、全くそんなことはありませんでした。結局、当時の僕の事を思ってくれている人はいませんでした。
その日からはどんなに面白い動画を見ても笑う事は無く、何をされても苛立つことも無く、泣く事も、楽しいと思う事もありませんでした。屍のように生き、大学受験も見事に失敗し、適当な大学に入学する事になりました。大学受験をせずに適当な専門学校へ行った姉に「そんだけ金かけてもらって大学落ちてんの?笑」と言われましたが、なんとも思いませんでした。僕をイジメていたソフトテニス部の先輩は超有名国立大学に合格しており、理不尽な事で怒っていた吹奏楽部の先輩達は指定校推薦で超有名私立大学へ入学していました。僕の高校卒業後の部活動は、秩序の無いただの動物園のような場所になっていました。自分は今まで何をしてきたのか。全てがどうでも良くなりました。惨めな人生だなぁと心の底から思いました。
今では大学での出会いや吹奏楽団での出会い、バイト先での出会い等で息を吹き返しました。人から大事にされる事がこんなに嬉しいなんて知りませんでした。父や母も、なんだかんだ大学通わせてくれてますし、なんと奨学金無しで通っています。本当に感謝です。
第三者からみれば僕の経験など大した事ではないかもしれません。ですが、もし似たような状況に置かれている人がいればこれだけは伝えたいです。戦わずに逃げる事も戦略です。僕は逃げる事が出来ず追い込まれました。死ぬくらいなら全てを投げ出して逃げてしまいましょう。
大丈夫です。
同級生やその家族がグシャグシャに崩れた自宅の前でさめざめと泣いているのを、自宅だったマンションの瓦礫の山で配給の乾パンかじりながらボケーッと眺めていたい。
商品棚がスッカラカンのコンビニで、絶体絶命都市みたいにレジカウンターの上に山積みにされている、善意の人々が店員がいなくても支払った料金をバレない程度に握り込んでこっそり貯金したい。
電気も通わなくなって監視カメラとかも機能してないことを確認したら未だにわだかまりを抱えてる同級生をこっそり殺したい。
スーパーの棚に残された人気のないラーメンをためらいなく食べて、初めて食べる味わいにちょっとテンションを上げてみたい。
避難所に指定されてる母校の小学校の体育館に行って、思い出に浸りたい。
震災関係なく、おいしくなかったから食べなかっただけで賞味期限がとっくに切れた買い置きを非常食のように振る舞って他人に感謝されたい。
ちょっとずつちょっとずつ復興する地元を見守りながら、これからこの街で起きた災害を忘れないように背負っていくとかインタビューでフカしたい。