
はてなキーワード:クルーグマンとは
リフレ派山形浩生(がリフレ派であるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ
https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html
〜天下のまわりもの高座〜
〜天下のまわりもの高座〜
日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産、就職氷河期、銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……
「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道の邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」
「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」
「あいや家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」
「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。
不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃんと説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象でしかない。不景気そのものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。
世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。
さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分の在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。
ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。
そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。
さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一や拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさらに収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。
不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場と価格メカニズムがちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場は開店休業。オフィスビルは空室まみれで住宅も売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本の状態。
すると、不景気はどうすれば回復する? 供給をいくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。
じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。
それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。
次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業を借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。
減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。
そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。
いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀が金利を0.25%下げた。でも、もう金利はゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。
減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。
そしてお金を刷ることだけど、日銀はお金をいっぱい増やしてるんだ。
つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃんと説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。
さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?
うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすくしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの。不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。
もううつ手はないんだろうか。なんとか需要が回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……
3打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策
ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文がインターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利をもっと下げよう。いまの金利がゼロなら、金利をマイナスにしよう。そして実質的に金利をマイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府・日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITのポール・クルーグマン「日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。
インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金の価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米やドイツだと、一日でお金の価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまり、インフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないか。クルーグマンの議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本の不景気をまがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。
さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。
みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ→物価高→生活圧迫。よってインフレは地獄の使い。それを政府・日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。
でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論そのものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安で銀行が困る」とか「インフレは劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマンの理論が基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府・日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだから、ばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。
よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要を回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。
消費税を7%にあげよう。
さっきぼくの景気対策の説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?
そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年に消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!
でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月にコンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。
だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦に消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税をアナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。
これはある意味で、クルーグマンの議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレも消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。
さて、クルーグマンはインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年の日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年の日本はマイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。
そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレにしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しかし消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建が必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債だしまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。
もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用。財政再建は方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い?
さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にだますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。
そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だから、だんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって、住宅需要は1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。
ほう、「AIが書いた」とか「文末の句読点が違う」とか、論の中身ではなくスタイルの揚げ足取りから入る時点で、議論のステージにすら立ててないことを自白してるようなもんだ。
君が「句読点の有無」でしか批判できないなら、それは君の論点が文法よりも脆弱だって証明だよ。
で、次に「リフレ派をひとまとめにするな」とのことだが、これまた論理的に破綻してる。
私は日本国内で流布されてきた「リフレ言説」に対して「それっぽさ」だけが目立つと述べたのであって、「すべてのリフレ派個人の思想が均質である」とは一言も言っていない。
そもそも、政策論の話をするときに、個人の差異をいちいちすべて列挙して免罪符を配るような姿勢こそ、科学的議論ではなく評論家芸だ。
集団としての影響力を語るときに、スタンスのバリエーションに言及しないことは何ら誤りではない。むしろ君がそこに拘っていること自体、「批判に対する反証」ではなく「批判の逃げ道」ばかり探しているという証左だ。
そして極めつけがこの部分だ。
「構造改革だの言ってたのは日本のアホ経済学者共やろ。なんで海外の日本制度に疎いマクロ経済学者が日本の構造改革主張するねん」
これ、完全に事実誤認だな。
君が「読んだ」と主張するクルーグマンの一連の日本経済論考、特に1998年の「It's Baaack:Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap」あたりをちゃんと読んだのか疑問だ。
彼はそこで金融緩和だけでは限界があることを明示した上で、日本の制度的制約を踏まえた財政政策や構造的対策の必要性を述べている。
さらに、2000年代以降には彼自身が「流動性の罠の状況下では構造改革だけでは不十分」としながらも、構造要因の補完的役割を明確に認めている。
つまり、金融政策万能論を否定する方向性で整理しているわけだ。
要するに、君の批判は「本を読んだ」という記憶の印象を論拠にしているだけで、一次資料の具体的なテキストやデータに基づく反論になっていない。
さらに「海外の学者が日本制度に疎い」などというレトリックで相手の理解能力を暗黙に否定しにかかるのは、内容で太刀打ちできなくなった者の典型的な防御反応だ。
AIに書かせたやろこれ、文の書き方まるっきり違うやんけ。
文末に。付ける癖は最初の文にはなかったのに、これにはご丁寧に全て付けてある。
口調も入力文に引っ張られてる始末。
加えて事実誤認もひどい。
日本のリフレ派がー、とか言ってるがそれぞれスタンス違うのにひとまとめにしてる時点でおかしいし、構造改革だの言ってたのは日本のアホ経済学者共やろ。なんで海外の日本制度に疎いマクロ経済学者が日本の構造改革主張するねん。クルーグマンのリフレ提唱の本読んだことあるが構造改革なんか一切触れとらんかったわ。
なるほど、「論破されたように見える」と。
君の発言は、議論の内容を評価せず、観察者目線の印象で物事を断定している。
論点に触れず、具体的反論もなく、「雰囲気」で勝ったつもりになる。その瞬間、君は議論から降りてるんだよ。
モデルの抽象性と科学的方法論の関係、MMTの理論構造と前提、クルーグマンらの政策文脈と日本の誤解、そして君の発言に潜む論理的誤謬まで、逐一、具体的に根拠を提示して反論した。
一方で君は、それに対する「論点ベースの反証」を提示せず、「しどろもどろに見える」とだけ言った。
これは例えるなら、チェスでキングを詰まされた後、「相手の表情が自信なさそうだったから、これは俺の勝ちだ」と言っているのと同じ。
論理のフィールドから逃げて、メタ認知ごっこに逃げている時点で、勝負は決している。
ちなみに、君が「しどろもどろ」と感じた理由は明確だ。
君の頭の中にロジックの基盤が存在していないため、構造の深い議論になると情報処理のキャパシティを超え、認知的ノイズとして受け取るしかなくなる。
その結果、内容を精査するのではなく、「不明瞭な音声」=「しどろもどろ」と誤認してしまう。これは知的防衛機制における典型的な自己保全バイアスだ。
最後に念押ししておこう。
議論とは「どちらが観客に印象よく見えたか」ではなく、どちらが論点に正対し、論理的整合性と事実の裏付けをもって相手の命題を潰せたかで勝敗が決まる。
そういう意味で、君の「論破されたように見える」発言は、言葉の薄っぺらさ以上に、自分がすでに知的ゲームから脱落したことへの無意識の自己宣言に過ぎない。
なるほど、よくある「モデルは現実を反映していない」という常套句だね。
けれど、君のその批判の枠組み自体が、科学的方法論の基本を取り違えてるんだよ。
数学モデルというのは、現実のすべてを写し取るために存在してるんじゃない。
複雑系の中から本質的な変数と関係性を抽出し、定量的に予測可能な構造を浮き彫りにするための抽象装置だ。
君が「非現実的」と感じるのは、その抽象性を咀嚼できていないからであって、それを以ってモデル全体を否定するのは、地図が縮尺されているからといって「この地図は現実じゃない」と言ってるのと同じくらい無意味だ。
この主張の問題点は、「完全なモデル以外はすべて無価値」という極端な完璧主義に陥っている点だ。
だが、どんな分野でも、予測力や政策設計に資するために「不完全だが実用的」なモデルを使うのが基本なんだよ。
君の言ってることを突き詰めると、「何もわからないほうがマシだ」と言っているに等しい。
現実を正確にすべてモデリングできないからこそ、限界を理解した上でモデルを構築し、その予測精度や説明力を実証データで逐次検証するというアプローチが経済学の実践的知性なんだよ。
「MMTの本にはそんなこと書かれてなかった」
この反論には構造的な誤解がある。まず、MMTの主張の中核は「自国通貨建ての政府債務は財政的制約を受けない」という立場であり、これは明らかに通常の財政制約やインフレ制御のメカニズムとは整合的でない。
君が読んだMMTの本にそのような極端な記述がなかったとしても、それは主張のトーンを穏やかに表現しているだけで、前提構造は変わらない。
さらに問題なのは、MMTの「理論」と「実務レベルでの応用」が切り離されて語られていることだ。
理論として一貫性があっても、現実の経済制度との整合性や、予測可能性、政策インパクトの実証性が伴っていなければ、科学理論としての価値はない。
ここで一つ明確にしよう。彼らの主張と、国内で自己流に歪曲された「リフレ派」の言説とはまったくレベルが違う。
クルーグマンもバーナンキも、リフレーション政策を短期的なデフレ対策としての補助的手段と見ており、長期的な成長戦略や構造改革と切り離して語ったことはない。
対して、日本の自称リフレ派は、「インフレにすればすべて解決する」「金融政策こそ万能」といった単純化されたロジックを公共言説に拡散した。
だからこそ、私は「それっぽいことをそれっぽく語っている」と言ったんだよ。
理論の文脈を理解せず、権威の一部だけを切り取って無批判に利用する態度は、むしろ学問的堕落だ。
「君も主観を並べているだけでは?」
確かに文章は主観を含んでいる。だが、私の主張は明確な批判対象を定め、その前提構造・定量性・理論的一貫性・実証可能性といった客観評価軸に照らしてロジックで反論している。
対して、君の主張は「モデルは現実的じゃない気がする」「本を読んだけどそんな印象なかった」「権威も言ってた」など、印象論と権威主義と相対化に依存した思考停止的レトリックに過ぎない。
議論の強度としてどちらが高いか、冷静に比較してみれば答えは明白だろう。
君がなんの学派にいるのか知らないけど、非現実的な前提を置いた数学的に美しいだけのモデルに酔ってるだけだったりしない?
結局、現実のシステムや変数を反映出来てないのならそのモデルやそれを使った計算は無意味に高尚なだけのものだと思うんだけど、現実経済の複雑性や観測不可能な変数の多さを考えると、それらを十分に計算やモデルに反映出来てるのか強く疑義があるんだよね。
MMTに至っては、「政府の負債は通貨発行でいくらでもファイナンスできる」などという命題を前提としており、一見正しそうだが、これは「政府が永久に信用を失わない」という極めて強い仮定に依存している
あと君ほんとにMMTの本読んだことある?私が読んだのにはそんな主張書かれてなかった気がするんだけど、twitterとかにいる一知半解の奴らの主張をMMTの主張だと誤解してたりしない?
それとリフレーション政策ってノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンやFRB議長だったベンバーナンキも主張していた権威ある政策だったわけなんだけど、君のこの主張が正しいなら、経済学自体がそういう学問だ、ってことだよね。
リフレ派とかMMTとか財務省陰謀論者とかさ、口だけはベラベラと達者で流暢で説得力がある風なんだよね
連中は「それっぽいこと」を「それっぽい雰囲気」で言語化する能力に長けているだけで、ロジックの強度やモデルの整合性、そして実証データとの整合性に対する責任が一切ない
あと他は知らないけど、この文においては少なくとも君の主観が並べられてるだけなんだから、君もそれっぽいことを言ってるだけにしか読めないよ。
今回の関税政策に関しても、国際秩序や発展途上国への影響を考えると、批判的な立場を取らざるを得ないと思っている。
けれども、今回のはてブの反応を見て、少しだけ違和感を覚えた。いや、「少しだけ」というより「ある種のダブルスタンダード」を感じたと言った方が正確かもしれない。
トランプがやろうとしていることは、確かに経済合理性から外れているように見えるし、グローバルサウスへのダメージも大きいだろう。
でも、あれは「アメリカの中間層」や「取り残された白人労働者層」へのための政策なんだと思う。
これまでの「株高政策」や「大企業優遇政策」に比べて、富裕層ではない彼らをターゲットにした稀有な施策だ。
ここで問いたいのは、「中間層のための保護主義」は許されないのか?ということだ。
はてなでは、これまで再三「格差」や「トリクルダウン」批判が展開されてきた。
それなのに、いざそれに反するような「現実的な手段」(たとえそれが歪なものだったとしても)が講じられた瞬間、即座に反対一色になるのは、少しフェアじゃないと感じる。
もちろん、関税で経済全体が好転する保証はないし、むしろ悪化するリスクの方が高い。
でも、「見捨てられた人たちに向けた政治」という点では、少なくとも従来の政治家たちよりも彼らの存在を直視している気がする。だからこそ支持もある。
私はトランプ支持者ではないし、彼の方法論には多くの問題があると思っている。
ただ、「誰のための政治か」という点において、もう少し冷静な議論があってもいいのではないか。中間層を支援する政策が、必ずしもグローバルな文脈でスマートに見えないこともある。
それでも、それを「バカのやること」と切り捨てるのではなく、背景を含めて考える視点があってもいいんじゃないかと思う。結局こんな態度がバックラッシュを生んでるんだから。
ちなみに私は株高を信奉しているので、関税政策に超反対です。マジ損切りするタイミング失ったわ
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(追記)
スターを集めているものを見ると「中間層のためにならないから」というのが多いのかな。すこし補足します。
正直、今のトランプが何を本当に考えているのか、誰にも分からない。
クルーグマンやノア・スミスのような専門家が経済的な悪影響を丁寧に解説してくれても、トランプ自身の「真意」は彼の周辺以外に読み取れるものではないと思っている。
その中で、個人的に参考になるかもしれないと思っているのが、関税政策のブレーンと言われるオレン・キャスの存在だ(昨日のNスペにも出ていたから見たかもしれない)。
キャスは「経済は成長することよりも、人々の生活を支えることが重要だ」という立場を取っている。
とくに「意味ある労働」と「家族の安定」を最優先に考える。そのためには、たとえ効率性やGDP成長が多少損なわれても、国内の製造業や雇用を維持する方が大事だという。
これは自由貿易一辺倒の考え方とはかなり異なる。
この発想はJ.D.ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』にも通じると思う。
あの本に描かれているのは、産業構造の変化に取り残され、仕事と自尊心、そして家族までも失っていった人々の記録だ。
彼らは経済成長の「恩恵」を実感できないまま、社会からこぼれ落ちていった(あれは事実と違うっていう話もあるけど、一部の層に響いているのは確かだろう)。
だから、たとえトランプの関税政策が短期的に正しくなかったとしても、「彼らを見ている」「無視していない」と伝える象徴としての意味はあるのではないか。
少なくとも、自分はそう受け取った。
もちろん、それで政策の是非が覆るわけではないし、結果的に間違った方向に進む可能性は十分ある。
ただ、それでもなお思うのは、そうした背景を持つ政策や、それを支持、あるいは理解しようとする人々に対して、「知性のない生物」といった言葉で切り捨てるような態度には、どうしても疑問を感じてしまう。
ちなみにまだ私は損切りできずにいる
Permalink |記事への反応(39) | 14:27
トランプが重関税を発表して世界恐慌を案じる人が出てきた。そりゃ当たり前なんだが、一つ忘れられてる事があると思う。
それはアメリカの自称保守でのフーバー政権再評価というヤバい現象だ。
しかもそれが出てきた時期がまたヤバい。リーマンショック後なんである。経済恐慌回避の政策が気に入らんって事なのだ。
元々は2004~6年頃にニクソンが再評価されたというのに端を発している。
ニクソンは世界経済をグチャグチャにしたニクソンショックを惹き起こしたのでどの国でも嫌われ者で最低の大統領扱いされている。
だが今の世界経済システムはニクソンショックで再編成されたものであるし、デタントを推進してソ連牽制の為に中国と国交回復をした。
更に撤兵と南越の軍事訓練を進めてベトナム戦争から手を引く準備をした。これってイラクを平定しきれずに占領が長引いていた当時にオバマに期待されていた事と同じではないか。
だからニクソンは嫌われ者でもそんなに無能じゃないしちゃんと仕事をやっている。なのに評価が物凄く低いのは、マスコミを敵に回したせいでウオーターゲートで叩かれまくったからじゃね?という論調が出てきたのだ。
これにはネット議論が活発化して、マスコミ=オールドメディア、我らネット民=目覚めた真の民主主義者という今やお馴染みのアレがベースにある。
それでその流れで出てきたのが、世界史では無能大統領と教わる事が多いフーバーの再評価だった。
フーバーはアメリカ発の大恐慌が起きた時に何も手を打たなかった事で有名だ。更に重関税政策による保護貿易を行ったので世界恐慌が一段と酷くなった。
その結果、アメリカはカナダ~合衆国~中米のドルブロック経済圏を形成、他の国は植民地を中心とした各通貨ブロックを形成した。スターリングブロック(英ポンド)、仏フランブロックと。
持たざる国の日独は独マルクブロック、日円ブロックを形成したが小規模でありすぐにまた行き詰った。
その結果、独:ナチス全権委任→ラインラント進駐→開戦、日:日朝満ブロックで洋行系財閥系救済→恩恵を受けない中小企業が倒産して昭和恐慌→関東軍によるなし崩し的に膨張政策化→日中戦争→仏降伏により仏印進駐→ハルノート→日米戦争と進んでしまった。
しかもブロック経済はもの凄く不経済で非効率で不景気を産むのである(クルーグマンのノーベル賞受賞理由はこれの理論化)。
そういう訳で、WW2後はブロック経済化防止しよう、貿易自由化は世界規模の安全保障だ、という訳でGATTをスタートさせてやって来た。
フーバーは大統領退陣後も色々と外交をやっていてそっちでは功績残してるけど、大統領職としてはその後のルーズベルトと比べられて無能と言われる事が非常に多い。
フーバーの後のルーズベルト大統領はニューディール政策を行って恐慌を沈静化したというのが一般的評価だ。
でも、いやニューディール政策は全然効果なんて無かったんだよ、経済が持ち直したのは単純にアメリカが戦争を始めて戦時経済に移行したからに過ぎない、という意見もある。
有名なのが経済学者のフリードマンだが、この人は反ケインズの旗手なので。そしてフーバーもこの立場だ。世間の自分への評価に反発してるだけって気がすんだが。
また、フーバーは日本が真珠湾を攻撃したのはルーズベルトが日本を追い込み日米開戦を誘導した、という説を唱えている。「ハルノート原因論」だ。これは日本の右翼論壇でよく聞く話だろう。
そして露宇戦争に対してのロシアのナラティブにもそっくりじゃないだろうか?FOXのタッカーカールソンなんかも「米国陰謀論」的なことを言っている。最近じゃ終風爺が「ネオコンがロシアを追い込んだ」という説を書いて顰蹙食らってたが、これらの基礎の部分には、アメリカ自称保守論壇でのフーバー再評価があるってことなのだ。
アメリカの思想的特徴はプラグマティズムで経験主義的で小ぶりだったのだが、特に21世紀になってから観念論/独断主義的思想集団が共和党に影響を与えるというのが多くなっている。
例えばネオコンサバティズム。その始祖はネオコン・ゴッドファーザーと呼ばれるアーヴィング・クリストルなんだが、この人は元がトロツキスト。かの有名な『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ)が掲載された『国益』誌もクリストルが創刊したもの。
トロツキーの思想の特徴は「世界同時革命」で、世界中に戦争を輸出してその背後から各国の細胞(共産党員)が内戦を仕掛て共産革命を起こすという物騒なものだ。谷沢永一によるとトロツキーの日本語訳書は『ノルウェーの森』のような赤緑の装丁らしいです(谷沢は元共産党員)。
イラク戦争の強引な開戦などが世界同時革命の影響を芬々と感じさせるのでスキャンダル的に指摘される。
例えばネオリベラリズム。単に経済政策の方向性というだけでなく「本来の社会の在り方」的な観念論/進歩主義として人を惹きつけている。つまりは実存にとっての嘗てのマルクス主義の代用品だ。
「歴史はこう進むはずなのに今の我が国はそうなっていない。だから変革すべきだ」という歴史と実存が結びついた考え。「〇〇という団体(農協など)は既得権益だ、それを崩すと理想的な経済状態が出来する筈だ」。こういうの日本でも沢山見た。
高学歴化により若者には長いモラトリアムが与えられ、「社会に馴致される」事で形成される人格よりも「正当性に欠ける不合理慣行が蔓延っている。若者はその不合理により迫害されている」というルサンチマンに駆動される人格の比重が大きくなる。そんな人格にネオリベは進歩主義と合体した全能感や実存を与える。
だからリーマンショック後に政策がフォーベアランス政策(不良債権増を気にせずに積極融資せよとの行政指導)に転換すると、世界観が破壊されたような実存危機を覚える人間が出てくるのである。
先ほどの終風爺も2013年になって「リーマンショックは越冬闘争を派遣村と言い募った左翼によるフレームアップ」的な事を言っている。2008年には実存不安と不満に我慢していたという事だ。
また風呂無駄さんも2008年当時には大変にやさぐれていて、それまではネオリベで未来は明るい的なポジティブな事を言っていたのにFUDマーケ的な事を言っていた。これらは実存の棄損によるものだ。
トランプに変な保守系シンクタンクが影響与えているのもこの流れ。
共和党はいつしかこういう実存と結びついた観念論を吸引し、それが世界の知識的大衆を吸引するようになっていた。そこにリーマンショックが起こり、G7、G20では財政出動、フォーベアランス政策、保護貿易主義の排除が合意された。これはアメリカなどでは政策の急転回でありそれが一部の知識層には実存的ストレスとなったのだ。
そもそも共和党が観念的に進めた事で発生した問題の尻拭いを民主党がするという流れがずっと続いてきていて、これのどこが保守なんだろうか。
上に書いてきたフーバーの政策(保護貿易と北米ブロック=カナダ、メキシコ併合)とトランプの政策が一致するのがお分かりだろうか?
何やら変なシンクタンクの提言通りに進んめているというのもあるが、その基礎にはフーバー再評価があるって事なのだ。そして彼らは一般社会的にフーバーが否定されている理由、ブロック経済圏による不況→持たざる国の膨張政策→戦争、重関税による恐慌の激化、という評価を共有していない。
「フーバーを評価する」(悪評を無視する)という事は次の事とイコール
・その場合、他国がリーマンショック後のような合意をしてもアメリカは従わずに恐慌を悪化させる
https://mainichi.jp/articles/20250403/k00/00m/020/103000c
ノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者ポール・クルーグマン氏は2日、自らが配信するニュースレターで、トランプ米大統領が発表した相互関税を「完全に狂っている」と猛批判した。トランプ氏の関税引き上げに関する矛盾点も指摘し「イエスマン」で固められた第2次トランプ政権の危うさに警鐘を鳴らしている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250403/k10014768241000.html
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風に煽られる大きなパネルを持って、搾取されているとか、⚪︎⚪︎国の人はいい人なんですが、とかトランプの演説はひどかった。無人島にまで10%の関税をかけることやアメリカが他国に輸出するときにかかる関税も虚偽らいしのて、アメリカ国民はあの大統領で恥ずかしくないのか?未曾有の景気悪化を防ぐためにトランプ大統領の政策をやめさせてほしい
「日本人のほとんどは世界共通言語である英語でTOEICの780点(アメリカの小学校5年生)程度もとれない
理数系はというとアメリカの進学校の高校生がアドバンスプレイスメントでやるレベルの数学(χ二乗検定やテイラー展開)も理解できない
日本はアルコール中毒者やゲーム中毒者の数だけはアメリカに勝ってるくらい
結局ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンがかつて論文で書いた通り日本の経済成長は欧米からの技術移転と人口増加のおかげってのが正しい
今の衰退は実力通り。元々分不相応だったんだわ」
言ってたらしいけど
然もありなんって思った
「日本人のほとんどは世界共通言語である英語でTOEICの780点(アメリカの小学校5年生)程度もとれない
理数系はというとアメリカの進学校の高校生がアドバンスプレイスメントでやるレベルの数学(χ二乗検定やテイラー展開)も理解できない
日本はアルコール中毒者やゲーム中毒者の数だけはアメリカに勝ってるくらい
結局ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンがかつて論文で書いた通り日本の経済成長は欧米からの技術移転と人口増加のおかげってのが正しい
今の衰退は実力通り。元々分不相応だったんだわ」
言ってたらしいけど
然もありなんって思った
上記のようなQQEの目標がなかなか達成できず、コロナ後にようやく構造パラメーターの変化が実現したことが、クルーグマンのロジック自体(経済主体が将来の金融緩和効果を現在に先取りして行動する)に問題があったと考えるのか、それとも、クルーグマンの提唱した将来の政策に関する「約束」の仕方に工夫の余地があったのかは興味深い問題である。
どのような「約束」をすれば企業や家計が短期間のうちに行動様式を変化させたかという問題には適切な回答が思いつかない。例えば、QQEの導入時点で、「CPIインフレ率が4%に達しても金融緩和を維持する」と約束しても-事後的にそうなったが-当時の企業や家計が行動様式を変えたかと言えば、同意する人は少ないように思う。さらに言えば、「総括的検証」までのQQEが一定の期間に亘って強力な金融緩和を続け、その意味で「約束」を実績で示したにも関わらず、インフレ予想が目立った変化を見せなかった点にも注意する必要がある。
ただし、「レビュー」の多くの論文は、コロナ後の大きな供給ショックが生じる以前に、インフレ予想の改善が始まっていたことも示唆している。
QQEの後半の局面に焦点を絞って、例えば労働参加率の飽和などの内生的な要因が企業や家計の行動様式にどのような影響を与えたのかを明らかにすることも、インフレ予想の変化の持続性を考える上でも重要と思われる。
あああああ!
これエクセルの計算ミス大学院生に指摘されてクルーグマンにも突っ込まれてたラインハルトロゴフやんけ。古すぎて忘れとったわ。
https://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE93H04720130418/
https://peri.umass.edu/images/WP322.pdf
Conclusionだけでも翻訳して読んでみ。
https://archive.nytimes.com/krugman.blogs.nytimes.com/2013/04/17/blame-the-pundits-too/