
はてなキーワード:クラシックとは
さっきケンタッキー・フライド・チキンの店舗前を横切ったらさ、よく見えねーけど、なんか女子高生っぽい白い制服の集団が、楽しそうにしてたわけですよ
それをみて思ったのがさ、俺は結局、女子高生になりたかったというか、女子高生である瞬間が欲しかったんじゃねえかってこと
厳密に言うと女子高生ならなんでもいいってわけじゃなくてさ
・パッと見でなんの部活に入ってるかわからない(運動部の快活さも、吹奏楽部や美術部の陰湿さもない)
・それなりに朗らかだけど、なんとなく笑顔に陰があるような感じがする
・カバンに古い映画(バックトゥザフューチャー等)のキーホルダーをひとつだけ付けている
・電車の中でスマホを見ないようにしているが、それは謎の見栄によるもので、家ではメチャクチャスマホを見ている
・写真に映るのをなんとなく嫌がる
・運動神経が悪い
・陰口を言わない(人のことをあまり悪く思わないので、言えない)
・授業に出てきた本(現代文の小説や、世界史で紹介される名著)を買って読んでいる(が、中身はそこまで分かってないらしい)
・仲のいい2人くらいの女子だけは(名前)ちゃんと呼び、あとの人は全員(苗字)さんと呼ぶ
・どうでもいい雑学に強い
・星とかに詳しい
・川が好き
・授業中はメガネ
・猫がいると「お、ネコだ」と言うが、近寄らない
・静かだけど喋ると面白い人、的な扱い
・駅のホームで、人がいない端っこのほうに行きがち
・登校時間が遅い
・友達といるときは箒でエアギターやってる姿などもまれに見られる
・無地の服を着がち
・授業中、全然寝ない
・髪は後ろで括っていることが多い
・スマホケースに何の装飾もない
・体育祭のフォークダンスでは、わりとちゃんと手を繋いでくれる
・踊り自体は下手
そんでさ、ケンタッキー・フライド・チキンで楽しそうにしている3人組の中の、いちばん大人しそうな子が俺でさ、でも、会話の中でちょいちょい面白いことを言って、「もー増田ちゃん!!」とか言われてるってこと
3人が解散したあと、笑顔で2人を見送って、スッとクールな表情になって歩き出すんだけど、足元で小石を蹴ったりしているということ
イヤホンを取り出して聴き始めた曲は、British Grenadiersみてえな、クラシックなのかなんなのかわかんない、聴けばわかるけど聴こうと思って聴いたことはないような曲であるということ
駅のホームで偶然彼女を見かけて、会釈をしたら、向こうも眉を上げてはにかみながら会釈を返してくれて、しかもなんか片手まで挙げてくれる、ということ
そういう感じのね
Permalink |記事への反応(20) | 14:44
クラシックコンサートにはブラボーおじさんなるものが存在するらしい
どうやら演奏終了直後に我先にブラボーと叫ぶことに意義を見出しているとのこと
明らかにクラシックのルーツというか、そういうの聞く人とは違う人種っぽいが
何かの拍子に混ざってしまうんだろうな
昔吹奏楽部で全国大会にも出てたが、明らかに学生とは無関係と思われる人のブラボーっぽい声が不快だったのを
思い出した
全国大会の演奏ってCDとかDVDになるから自分の声が収録されることに生きがいを見出していたのかもしれない
今だとYoutubeにアップされるのを狙ってるのだろうか
ふだんクラシックの演奏会とか行かない人らからすると訳が分からないし、
こういう人を叩くと外野には変な敷居の高さを感じさせてしまうよね
行けば、そういう事する人が異質だってのは分かるけど
ほとんどの人は行かないもんね
オーケストラのアカウント「終演後の早すぎる『ブラヴォー』は、楽団にとって嬉しいものではなく、完璧な静寂の方が嬉しい」
https://togetter.com/li/2614369
SNSでこの問題に触れるオーケストラ公式も出てきて初めて知った諸氏も多かろうと思うが、これは自分の知る限り少なくとも数十年前から問題になっている話である。
一旦どういう問題なのかまとめると
『オーケストラの演奏会で曲が終わるか終わらないかくらいの瞬間に超でかい声で「ブラヴォー!」と絶叫する男性がいる。100%男性である。』
指揮者が最後の音のためのタクトを降ったその手がまだ動いてるような瞬間、演奏最後の音が消える前に客席から男性のブラボー絶叫。台無しである。日本の一部で「フライングブラボー、略してフラブラ」と呼ばれている。
海外でもよく話題に上るフラブラおじさん。世界中で長年にわたり観測されているフラブラおじさん。その生態は
・テレビやラジオで放送されることが決まっている、有名奏者による演奏会であればオーケストラでなくても(室内楽やピアノ、バイオリン等)現れる。
・番外で新人演奏家登竜門の有名コンクールにも出現。バイオリンやピアノといったメジャーな楽器の日には現れる。オーボエや作曲部門の日にはほぼいない。
・マイナー系(バッハより前の古楽や現代音楽)の演奏会には皆無。
以上のことより、欧米では「俺はクラシック通でどこでこの曲が終わるか知っていて、終わった瞬間に誰よりも早くブラボーと叫べる」と自慢したいおじさん、と看破されている。しかもテレビ放送がある演奏会の日には特に多く出現するので、とにかく目立ちたいだけの嫌な人なのだ。
「男のせいにするな」と腹立つ人もいるだろうけど、何故かフラブラは100パー男性なんですよ。勿論客は老若男女みんな迷惑してる。演奏者も迷惑してる。それがまた爽快なんだろうと思う。
最後にtogetterにあったような、あまり現物見たことのなさそうな人の反論について書く。
・「感極まって叫んじゃうなら仕方ないでしょ」
そういう類のものではないのは聞けばわかる。
世界中で問題になっている。日本全国でもだ。昨年もN響の東京公演で最後の音に重なるくらいのタイミングでやった奴がいて、演奏会後にXで「迷惑すぎる」「演奏会が台無し」と話題になった。ちなみにその演奏会の様子はいつも通り後日ラジオとテレビで放送されたが、フラブラおじさんの声は上手く消されていてそれも話題になった。
ちなみに明日10月13日午後2時よりNHK-FMで日本音楽コンクールのバイオリン部門の最終予選の様子が放送されるので、今年はフラブラマンが出没するか確かめられる。抜粋なので、曲の途中だけの放送になるかもしれないし、最後の方でも放送時ブラ声だけ消される可能性はあるので御留意いただきたい。
クラシック音楽のコンサートに行くのが好きなクラオタだ。別に音楽史に詳しいわけでもなければ、楽器も弾けない。ただコンサートホールに行って、2時間くらい音楽をじっと聴くだけの体験がとにかく好きだ。
東京はクラシック音楽にあふれている街で、毎週そこかしこでたくさんのコンサートが開かれている。とにかく他の街に比べると選択肢が多い。
でも12月になると一気につまらなくなる。どこもかしこもベートーヴェンの第九交響曲ばっかりやっていて、多様性が消えるからだ。たとえばこれを見てほしい。
https://t.pia.jp/en/pia/tag/tag.do?tagCd=0000019
プロのオーケストラはここぞ稼ぎ時とばかりに第九の演奏会を連日やりまくる。NHK交響楽団なんかは第九の演奏会を12月に5回やる。
楽団も売り上げが大事なのは分かるが、コンビニで恵方巻きを売るみたいにどこもかしこも同じメニューで売らんかなの姿勢を見ると、なんだか悲しくなってしまう。
普段からもう少し観客の入りが分散して、年間でコンスタントに売り上げが出せていれば、楽団のこういうムーブも今より控えめになるんじゃないかと思う。
だからクラオタとしては言いたくなる。
年末は第九じゃなきゃ、と思ってる人、それ気のせいです。
第九を演奏している楽団は、普段は第九と同じくらいかもっとすてきな音楽をやっていますよ。だからどうぞ聴きに行ってください。
クラシックのコンサートはそんなに高価で敷居の高いものばかりではないですよ。アマチュア楽団のコンサートは無料とか1000円で楽しめて、素晴らしい演奏をしている人たちもいますよ。
プロの交響楽団の音が聞いてみたくなったら、年間を通してやっている定期公演に行ってみてください。N響の最安値の席だと2000円台からありますよ。
これは絶対に聴いてみたいと思う曲目やアーティストが出てきたら、そのときはガッツリお金を払ってチケット買えばいいと思います。
でも、それ以外にクラシックを気軽に楽しむ方法は幾つもあるので、とにかく公演に足を運んで、普段から音楽家を応援してあげてください。スマートフォンをひとときの間しまって、じっと音に包まれるだけの体験が日常になれば、あなたの暮らしもすてきなものになるはずです。
思い出しても、わたしがあったインターネット文化の住人で、「青春の本当の意味、パンク」は思い出しずらい。「東大教授なんてオレはみとめねー!」なんて叫んでる人は、常野裕次郎氏を例とする反教育反権威グループか、橋本治氏か山形浩生氏のような反クラシックグループぐらい。
正直、山形氏は品性下劣で話したくない。あの人の10年ぐらい前からの現状を見て、「消費文化全盛期に覇権をとった反クラシックって、実態は相当荒廃していたんじゃないか?」と何度も思っている。
40代前半の田舎住み。子どもと遊ぶとき以外は仕事も普段着もジャケパンスタイル。
靴:スコッチグレインとバーウィックで購入した4足を使いまわしている。1足30000円くらいだった。紐靴は 25cm だけどローファーは 24cm を履いている。数年に1回、町の修理屋さんで靴底を修理してもらう。新しい革靴は長年買っていない。1、2ヶ月に1回靴磨きをする。
シャツ:鎌倉シャツのクラシックフィットが好き。オーダーシャツも利用する。 1着 7000円から15000円 くらい。
ネクタイ: 無地ばかり。秋冬はウールタイ。ネイビー、茶、グレー、オリーブなど。1本 7000円から15000円くらい。
ズボン:ユニクロ等のチノパンが多い。4000円から20000円くらい。本当はオーダーで仕立てたような上等なズボンも履いてみたいけど、自転車にのることもあるし、汗や尿がつく(汚い話で申し訳ない)ので、家でがしがし洗濯できることを優先している。仕立て屋さんでズボンも作っている人は、普段どのように手入れしているのか聞いてみたい。
ジャケット: 町のテーラーさんに仕立ててもらっている。春は混紡(ウール +リネンなど)、秋冬はツイードのジャケットが多い。夏は着ない。値段はいろいろ。お店に生地がある場合はドーメルの二者混で8万円だった。お店に生地がなくて取り寄せの場合はラバットのツイードで13万だった。いつもナットボタン、三つボタン段返り、袖ボタンは4つ、サイドベンツ、本切羽。クリーニングには基本的には出さず、日頃の手入れはブラッシングとスチームのみ。
もちろんこれらは一度に買ったものではなく、少しずつ買い足してきたもの。お金持ちではない私は、なるべく身の丈にあったものを着なくては、と思うのだけどジャケットが好きで贅沢しているので背徳感もある。そんなときは、NISAで少しだけ増えた資産もあるし...、と思うようにしている。
スマホゲームに異変 モンストがふるさと納税参入、収益悪化で10年ゲームもサービス終了(産経新聞) - Yahoo!ニュース
ツッコミ所は多いが、ヤフーのメインユーザーであるファミコン世代の琴線には触れたようで、なかなか盛り上がっている。
スクエニの看板タイトルであるFFは2016年のFF15が約1000万本、2023年のFF16が約350万本。ドラクエは2017年のDQ11で約700万本。
どう見ても一作出来上がるのに10年近くかかっているので、年換算の収益は10分の1程度。直近のFF16だと年換算35億~40億といったところだろうか。
スマホゲームトップの原神は2020年の売上が約2200億円、以後毎年収益があり、2023年でも6000億円前後ということなので、文字通り桁違いだ。
スマホゲームの世界市場は2019年で7兆円、2024年は12兆円。日本製ゲームには国際競争力がないようだ。
原神の開発費は最初の段階で100億円、次作のスターレイルも推定100億円。ゼンレスゾーンゼロ、鳴潮、その他、開発段階からどう見ても5億円では作れないようなゲームが無数にある。
FF7やゼルダ、ワンダ、ゼノサーガ、ゼノブレイド、シェンムー、ファンタシースター等を作ってきた日本のメーカーが5億出せないというのはおかしな話だ。
日本のメーカーが岐路に立っているのは確かだが、岐路のない時代なんてものはそうそうないし、それでもヒット作は毎年生まれている。
FFやドラクエがバーチャやリッジのようなクラシックとなり、傍流だったペルソナやアトリエが生き残るとしても、何の不思議もないだろう。
数年前、2カ月弱の入院生活をしていた時は、なかなか読み進まなかった全7巻の「ひらがな日本美術史」の6巻と7巻を持って行った。
死亡リスクは1%弱、予定時間12時間というザコだがそれなりの大手術を予定していたので、小説とかドキュメントや評論など普段自分が読むものは無理だろうなーと思ったから、絵や写真がきれいで文字もたくさんある本が良いと思った。「ひらがな日本美術史」は何となく途中で読み止まっていて、読み終わってなかったのが気になっていたのでちょうどよかった。猛烈に良い本なので非入院勢にもお勧め。
本も良かったが、役立ったのはスマホとタブレット、あとポケットwi-fi。
古くてデカい病院に入院したのだが、入院前に主治医が「仕事とかインターネットするなら自前で回線を用意してね、ごめんねうち古い病院で」と謝られた。テザリングすればいいしなと思ったが、手術前ぎりぎりまで仕事の引継ぎなどする必要があったので一応会社の経費でポケットwi-fiを手配した。入院→手術まで3wあったのでその間は仕事、リモート会議、引継ぎのデータアップロードなどに重宝した(余談だが、個室には入れたのは超でかかった。会議しほうだい。あと広くてプライバシーあるの最高。みんな将来のこと考えて1日いくらの入院保障入っとくといいよ。個室超快適)
アマプラもDAZNも見られたのは入院当初はまぁまぁ暇つぶしになったが、日中は実は入院患者は、術前検査に見舞いに回診にリハビリに風呂に三食にと、かなりアクティブなので時間があまりないし、手術後はやっぱり心身の回復に時間がかかったせいと術後の一時的な後遺症で目がちかちかしていたので画面が見たくなくなり結局配信は見なくなった。
一番よかったのはラジコでラジオが聞けたこと。結果的に一番時間つぶしになったのはラジコ。今思えばポケットwi-fi要らなかったかもしれない。
体調が良くない時は得てして真夜中の変な時間に目覚めたりする。夜中の入院病棟はバイタルモニターのピッ、ピッ、ピピピピピピ、という機械音や時折ワサワサと緊急なことが起きている気配がしたり、ひたひたと静かに巡回する看護師さんのシルエットが映ったりで中々気持ちの沈む瞬間なのだが、そんな時にラジコでバカみたいな話をしているラジオを聞くと落ち着いてまた眠れた。
ある晩、夜中に起きてしまって、今はなき「伊集院光とらじおと」のタイムフリーを聞いていたら巡回の若い看護師さんが入ってきて私の体に巻き付いているいろいろな線や管に繋がってるモニターの色々な数値を入力しながら、「ラジオ聞いてるんですねー、え、おもしろー、誰ですかこの人?ハライチの人?」って言ってて面白かった。言われてみたら澤部と伊集院さんの声は同じ系統かもしれない。
AMラジオは病気中の自分にとてもよく合っていたと思う。特にNHKラジオ1とTBSラジオ。普段元気な時に聞くと時折「正しいすぎるな」という感じがして遠ざけていたのだが、元気がない時に聞くととてもしっくりする。TBSラジオの名物パーソナリティの大沢悠里氏が自身の入院経験から「病気、療養中の方」と番組中に声をかけるようになった、という話があるらしいのだが、確かにTBSラジオはあちこちでその声掛けがあって、来週はいよいよ手術だなぁ、なんて思っている時に「病気、療養中の方~~」と耳に入ってくると、じんわりしみじみした。
病院の中自体は、基本的には無音で、たまに検査室にクラシックが小さい音で流れていたりする程度だが、リハビリ室はしっかりとBGMがかかっており、いつもJ-waveだった。リハビリしてる人の8割ぐらいは老人なのでサッシャの曲紹介と目の前でポールを伝って歩いてる老人とのギャップがあって面白かった。PTやOTの先生は若い人が多かったので先生の好みなのかもしれない。謎の知育玩具みたいなのでOTのリハビリをしたり、ちょこザップみたいなスペースでリハビリしたりするときにJ-waveは割と合うなと思った。
あれから数年もたってるが、退院してからラジオ聞く時間がめっちゃ増えた。色んな局聞いてる。代わりにTVは本当に見なくなった。
そういえば、10年ぐらい前に家族が入院した時にはTVをレンタル&TVカードを買って視聴してくださいという仕組みになっていたが、自分の入院の時にはTVのレンタルもあったのかもしれないが気づきもせず案内もされず。時代の変わり目だな。あと10年ぐらいしたら古い病院も建て替わってwi-fi飛びまくってるんだろうなぁ
クリス・リングランドはロックフォードの経験を活かし、1989年にワイナリーを設立。バロッサ・ヴァレーのサブリージョンであるイーデン・ヴァレーを拠点としています。ロバート・パーカーからは「オーストラリアで最高のシラーズを造るワインメーカー」として絶賛され、高い品質はもちろんのこと、生産数の少なさから彼の造るトップキュヴェはオーストラリア国内でも入手が難しいと言われています。
こちらは15カ所の畑から最高のブドウだけを選んで造られたキュヴェです。ブラックチェリーやブラックプラム、リコリス、バニラなどの強く複雑な香りが感じられます。クラシックなスタイルのバロッサ・バレー独特の赤い果実の風味が、樽のニュアンスと見事に調和しています。濃厚でしっかりとしたタンニンと、程よい酸とのバランスをご堪能ください!
色・タイプ 赤・フルボディ
映画好きの人って、途中の出入りとかスマホとかお喋りとか飲食とか、同じスクリーンにいる他人の行動にやたら厳しい印象があるんだけど、あれってどうしてなの?
別にその行動がいいとか悪いとか言いたいわけではなく、「どうしてそんなに怒るのか」の気持ちを知りたい。
例えば私はライブが好きなんだけど、ライブ会場では喋っていたり叫んでいたり泣いていたり踊っていたりスマホで写真撮ったりしている人もたくさんいるんだよね。
それが邪魔だなと思うこともあるけど、一方でそれがその人の楽しみ方だとも思うから、よほど度を超さない限りは何か言おうとは思わない。
私が曲に浸りたいように、他の人は感情を爆発させたり、同行者と感情を共有したり、思い出を残したいと思っていたりするだろうから。
あーでもクラシックのコンサートとかはすごく厳しい印象あるね。映画ってそっちに近いのかな。でも、クラシックに比べたらもっとライト層が多いよね。
どうして他人の行動に厳しいのか(厳しい人が多いのか)、教えてくれると嬉しい。
※ルールがあるというのはわかる。でも、たぶん怒っている人は「ルールだから」怒っているわけじゃないよね?もっと理路や感情のところを知りたい
1年半前に「「藤井風」と「かてぃん(角野隼斗)」の着地点 」というタイトルで文章を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20240113173417
そう、「だった。」
文字通り”世界中”のクラシックファンに、熱狂的に迎えられている。
私は、ラン・ラン氏のピアノを愛しているが、彼もあのレベルまで行けると信じている。
彼は、ただの天才ではなく、すでに経験値をためるターンに入っている。
1年半前から危惧していた、閉塞的な環境にいることの弊害が隠し切れないレベルで露呈してきた。
今日見たロラパルーザでの彼は、怯えた子犬のような目で、ただ歌詞を読み上げるだけの道化に見えた。
全編英語の待望のアルバムからの先行曲は、欧米では不発で、熱狂しているのは「死ぬのがいいわ」がヒットした東南アジアのみ。
昨日公開された新曲に至っては、イントロ、歌詞、MVすべてが70-80年代のコピペで
「コント」でも観ているような滑稽さすら感じた。(※耐えられず、彼の曲を早送りしたのは初めて)
なぜ、こんなに退屈なのか?
それは、「Hachikō」 も 「「LoveLike This」 も、歌詞の中に藤井風がいないのだ。
「HELP EVER HURT NEVER」にいた等身大の藤井風がいないのだ。
こうなった原因はわかってる。彼の周囲の環境だ。
ファーストアルバムは、彼がデビューまで貯めていたアイデアが元になっているが
今回はデビュー後の彼が反映されている。
超絶特別待遇の舞台で、信者のようなファンを前に、歌う生活をデビュー以来続けている。
結果、彼の歌詞には「神」ばかりが登場するようになり
最後は超一流の製作陣が準備した、曲や歌詞に乗っかる「道化」と化してしまった。
私は「天才」の転落が見たいわけではない。
ただ、このままだと彼は事務所の売上のためだけに歌う
じゃあ、どうすれば良かったのか?
こんなギャンブルのような無茶な売り方をしなければ
才能は枯渇しなかったのか?
正直、わからない。
ロラパルーザで久々に見た髭無しの顔は、怯えた子犬のようだった。
不安を和らげるためなのかも知れない。
彼の信じる「神」が、才能を残してくれていることを祈るほかない。