
はてなキーワード:クラクションとは
LUUPで走ってたら、突然歩行者が横断歩道を渡り始めてひきかけた
走ってきてるのは見ればわかることなのになんで渡るの?保険金目当て?
LUUPなら怪我せず保険金が手に入るみたいな手口なんだろうか
それ以外も向かってくる車がクラクション鳴らしてくるし世紀末大国ニッポンポン!
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21時ごろ都内中心部、バイクに乗った男が自転車(ロードバイク)を後ろから身体で突き飛ばして転倒させ、その後も恐喝暴行し続けるという事象が発生した。
事件・事故認定はされなかった。小競り合いとして処理されるらしい......
tl;dr
0.都心の夜道、後方から、クラクションとライトで煽られた。サムダウンを返してしまった。「おいこらぁ」「止まれやカス」と叫ぶのでまずいと思って左折すると、直進車線から無理やり左折して追い立てられ、追い抜きざまに腕または足で突き飛ばされて、植樹帯へ転倒させられた。
一方的に恐喝と暴力を受けた。110したらiPhoneを取り上げられて割られた。道行く人は見て見ぬふりをして逃げ去った。稀に警察に連絡しようとしてくれる人もいたが、加害者側がそうした周囲にも脅しをかけたり追い回して、女性警官が来て間に入ったのは10分以上過ぎてのことだった。
さらに5分後に男性警官が来て、それぞれの事情聴取を行い、さらに3名ほど交番員が駆けつけた。
交番職員に代わって交通課の男性3名、現場鑑識に来たが、車体接触の物的証拠は認められなかった。
ハンドルについた植樹帯の土などから、直進中に急に何かの力で左に切って植樹帯へ転倒したのは明らかだった。「勝手に転んだ」わけがない。
当時の流れる車のドラレコになら突き飛ばしの瞬間が収まっているはずだが、誰も戻って提出などしてくれない。警察も捜してはくれない。現場に残ってくれた証人の男性から証言をもらえるはずだった。......ところが女性警官が早々に話も聞かずに帰してしまった。
夜は都心の監視カメラでも証拠レベルの映像が残らないようだった。
流血を含む怪我をしなかったことも、不幸だったかもしれない。怪我はそれ自体が暴力の証拠になり得たのに......
2. それでも、警察が何かを解決してくれると思った。縋っていた。
警察からは同じ説明を何度も求められた。それはいい。事故状況を確定させるためかもしれない。けど、
「あなたはどうしたいんですか?」
「あなたが何か悪いことをしたから起きたんですよね?まずは相手に反省を伝えなさい」
こう繰り返し脳裏に焼き付けるように説教調で事勿れ的に言われるのがショックだった。
自転車はチェーンが外れハンドルが損傷し、iPhoneにもヒビが入った。叶うなら弁償や補償を求めたい......いや、ただ謝罪が欲しい。
しかし続く言葉は「我々は何もできませんので当事者間で話し合って解決してください。連絡先交換の仲介ぐらいはします」
たった今襲われ、ひたすらに暴力を振われた男と、どう話し合えば解決に向かうんだ?
3.轢き逃げと思ってバイクのナンバーを動画撮影したかったが、スマホは奪われ、しかしその始終が動画として残った。警官に見せたら「肖像権であなたが訴えられる」「相手を煽るような真似はするな」
転倒で植樹帯の植物が潰れたり道に枝葉が飛び散っていたから、その様子だけでも(証拠写真になるかもと)撮ろうとした。
男は外せない用があるからと戻ってくる条件で現場を離れていた(自転車側はずっと立ちっぱなしで尋問されっぱなし、夜の予定もキャンセルしたが......)
「どう解決したいですか?」
男がそろそろ戻ってくるので立ち会いますか?と告げられ、このまま再び顔も見たくないと思った。帰りたい、そう返した。
警官8人出張ってきて喧嘩仲裁の始末書で終わり(税金......)。
特に交番から来た巡査部長なる中年には常に敵対されて辛かった。再現を求められて演じてたら「おい何勝手な事してる」とか。交通課の坊主頭が諌めてくれて助かった。交通課のおじいちゃんも終始「お前が悪い」一辺倒でうんざりしてたけど、最後だけ「本当は暴行を認めさせたいんだろう?」とか寄り添いだして、ああもう
ああ、その申請ですね。はい。確認いたします。……………少々お待ちを。
…ピッ。…ガガッ。
貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官(自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用を担保する上で極めて妥当かつ有益なエネルギーであると認定されました。
つきましては、路上駐車車両の能動的解体及び資源化に関する特別措置法、通称「路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行を許可します。これは権利であり、同時に義務です。
貴殿の自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機を接続してください。貴殿の走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程で必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます。
対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車のハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。
貸与される専用ツール「スティンガー」を使用し、鉄クズのタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖な儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズの断末魔の第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。
ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識を破壊するメタファーとして機能します。
ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから「視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます。
ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロック、バッテリー、ラジエーター等を観察します。この際、専用アプリ「Tears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズの魂魄の残滓をスキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。
エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます。貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。
残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体に圧縮します。この際、鉄クズのクラクション(警笛)からは、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」が自動的に大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから。
の動画を見た。
まず出来ることがあるとすれば、右車線を走っていた軽バンがクラクションを鳴らすことだろう。
それも全力で。
そうすればLuupと事故を起こした左車線の車も加速をしなかったかもしれない。
事故を起こした車は、左を走っていたバイクに気を取られていたのだと思う。
バイクがなぜか加速をしなかったので(Luupに気づいて接触を回避するため?)、
そのバイクをかわそうとして加速をかけたところに
まったくノーマークで、おそらく死角になっていた右からのLuupに気づかずにもろにぶつかってしまった。
Luupが飛び出してきたことに対して軽バンはクラクションを全開で鳴らしつつハザードを付けて車を停止させているべきだった。
そうすれば事故を起こした車は、何事か異変が起きている可能性に気づけたかもしれない。
というか会社名どころかカラーリング自体も、どこからみても知ってれば会社名がわかる車体である。
そんな車に乗っててたとえ相手が悪くても、かつ周囲に危険を知らせる目的であっても、クラクションは鳴らせない。
おそらくは、そんなクラクションの鳴らせ方をしていれば、単純に運転手がキレてるだけだと思われるだろう。
結果として重大な事故を回避したという功績は一切知られることはなく、下手したら通報されて怒られてる可能性すらある。
そういう日本社会は非常に愚かだと思う。
まずそもそも横断歩道がない道路でも横断しようとしてる歩行者がいたら目ざとく見つけて道を譲らないと試験落ちるくらい道路というのは歩行者優先です。
その上で中国地方、信号機がない横断歩道で歩行者の横断させんドライバー多すぎやろ。
腹たって無理クソ渡ろうとしたらギリギリまで寄せてきてクラクション鳴らすようなドライバーも居る。普通に免許返納しろやそんなゴミは。警察は何してんの?
こういうのって動画撮って警察に提出したら警察動いてくれんのかな?春の交通安全週間とかはノルマあんねやろ?歩行者ガン無視ドライバーがガンガン湧き出る魔法の横断歩道何ヶ所か知ってるから警察に教えたろかな。違反しても減点ない違反やから動かへんのかな。腹立つわ。こんな奴らが運転免許持ってんの怖くて仕方ない。
仕事で夜中運転していたら、①赤信号を1m程飛び出して停止した自転車 ②両側2車線道路の真ん中車線の上を手放し運転で走る自転車 がいたことがあって
①は急ブレーキしないとひいてしまいそうだったので急ブレーキして、これは俺も悪いがむかついたのでクラクション鳴らした
②は追い越すにも怖かったのでクラクション軽く鳴らして、自転車がよけたタイミングで追い越した
まあどちらもクラクション鳴らした俺も法律的には悪いと思うんだけど、
ムカついたのはどちらも俺に対して中指を立ててきたこと。20代の酔っ払いだと思うのだがまじでムカつくおめーの運転が悪いんだろーが
もちろん揉め事にはせずそのまま走り去ったのだが、
ここで俺が止まって110番して、「危ない運転していた自転車を注意したら揉めてしまったので来てくれませんか」といえば警察は来ざるを得ない
→警察きたら「たぶんこの自転車飲酒運転だと思うんですけど検査して検挙してくださいよ」といえば警察も断るわけにはいかない
で制裁をあたえることができてしまう気がするんだけどどうだろう。まあやらないけど
なんなら、自転車の飲酒運転ってまだそれなりにある気がするから、
飲み会で嫌なやつがいたとして、そいつが自転車で帰ったら110番で通報したらそれなりのダメージを与えられそう
どうなんかね
と思いました。ぼんやりと
最近免許取ったんだけど、正直「女の子は運転向いてない」とか言われる意味が分からない。
私はまだ3回しか擦ってないし、ぶつけたのもコンビニのポールだけだし、それも低速だったから全然大丈夫だった。相手もいなかったし。
それなのに彼氏に「もう助手席乗りたくない」とか言われて、ちょっと傷ついた。
安全運転してるつもりだし、信号は基本守ってる。たまに黄色で行っちゃうくらいだけど、みんなそうじゃないの?
この前も、車線変更しただけでクラクション鳴らされて、びっくりした。
ちゃんとウィンカーは出したし、後ろの車が急ブレーキ踏んでたのは私のせいじゃないと思う。
正直、運転って感覚の問題だし、向き不向きってより「心の余裕」なんじゃないかな。
群青の空に街のネオンが灯り始める七時過ぎ。
呼吸はゆっくりと落ち着いていき、心のざわめきが夜に溶け始めるころ、橋の真ん中へとたどり着く。
その場で見下ろす。
黒いアスファルトの海。光の群れが流れている。
赤、白、黄、青。
ヘッドライトとテールランプが音もなく駆け、まるで五線譜に書き込んだ符号のエンジェル。
首元のネクタイをシュルシュルと解く。
首を絞めていた糸がほどけると、呼吸が深くなる。
静かに腕を上げ、ひと振り。
クラクションは不意に飛び出すホルン。ブレーキ音は長く引き伸ばされたヴィオラの嘆き。
そのすべてが、今夜だけは俺の音楽だ。
終わることのない搾取と疲弊、反復とルール、それらすべてに捧げる――資本主義のための鎮魂歌(レクイエム)
俺は演奏する。
車の群れと、街灯と、俺自身の疲労をもって、この無名の交響曲を完成させていく。
東京と呼ばれる狂騒のなかで、ただ一夜の美を奏でるために。
自転車の車道歩道問題とかな、いますぐ解決できない問題が山積してるのは、お上もわかっているんだ。
だったら今までと同じでいいじゃないか?
その主な原因は、自転車に車両としての自覚があまりにもなさすぎる、ということに尽きる。
でも無理なら歩道を走ってもらっても構いません。
でもでも、わかってくださいね。
あなたたちは車両なんですから、歩道を走るときには徐行して下さいね。
というようなことなのだ。
また信号は守ってください。
という自覚を持ってもらうためだ。
現状、その自覚もなく、まるで道路の王者のごとく振る舞う自転車多すぎるのだ。
歩道を走りながら、ベルをリンリンならして歩行者にどけ、などという自転車など論外。
考えてご覧なさい、歩道を爆走する車がクラクションを鳴らしながら歩行者を威圧するなど完全な犯罪でしか無いでしょ?
要するに、自転車というものも歩道を爆走するような行為は論外である。
信号は守る。
歩行者に道を譲る。
あたり前のことを、あたり前のこととして、みんなが認識し合う。
現状の、歩行者であるかのように無秩序に振る舞う自転車を根絶する。
そのことで救われる命が少なくないことを知らねばなりません。
ここ数日、どうも街の音が妙なのだ。
うるさくない、と言えば聞こえはいい。実際、以前のようなけたたましいクラクションや、工事現場の不快な騒音はめっきり減った。通勤電車のストレスも減った気がするし、会社の近くの工事現場の音も、前ほど気にならない。まるで誰かが丁寧に整頓したかのようだ。
だが、昨日あたりから、どうにも奇妙な感じが拭えない。
例えば、公園の鳥のさえずりが、寸分違わぬメロディの繰り返しであることに気づいた時、少し背筋が寒くなった。まるで安っぽいシンセサイザーだ。
駅の階段を降りる人々の足音が、妙に揃っている。カツ、カツ、カツ、と、まるでメトロノームに合わせているかのようだ。以前はもっと、バラバラで、生活感のある音だったはずだが。
今日、同僚と昼飯を食いながら話していたんだが、彼の笑い声が、やけにクリアで、均一な音量だった。「あはは」というより、「アハハ」という音のデータを聞いている感じ。抑揚というものが、きれいさっぱり消えている。彼だけじゃない。周りのテーブルの会話も、どことなく平板で、感情の起伏が感じられない音になっている。
これが例の、市が導入したとかいう「環境音最適化システム」とやらの成果らしい。街中に設置された見えない装置が、不快なノイズを抑制し、必要な音は聞き取りやすく調整するのだとか。その「調整」が、どうも行き過ぎている気がする。
テレビでも新聞でも、特に大きな話題にはなっていない。「静かで住みやすい街へ」なんていう、当たり障りのない見出しが小さく載っていた程度だ。ほとんどの人は気づいていないか、あるいは、気づいても気にしていないのかもしれない。むしろ、この「整頓された音」を歓迎しているのだろうか。
だが、この妙に『きれい』すぎる世界で、失われたノイズの中に、何か大事なものが含まれていたんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまう。
まあ、気のせいかもしれないが。