
はてなキーワード:キリシタンとは
豊臣家の滅亡につながった関ヶ原前後の諸大名(特に加藤清正・黒田長政など)の動きと、それに対する家康の戦略的な働きかけを詳しく解説します。
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どちらも「文禄・慶長の役」の主力武将で、秀吉に重用された「豊臣恩顧の武将(外様)」です。
黒田長政福岡(黒田官兵衛の子)家康に接近し、政治嗅覚に優れた動き。
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• 清正・長政らは朝鮮で大損害を被る
これにより、彼らは帰国後、石田三成・五奉行に強い不信感と怒りを持っていた。
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🔷 3. 【家康の介入:巧妙な「抱き込み」】
✔加藤清正に対して:
•家康は清正と個人的に接近し、「三成に対抗するなら力を貸す」と暗に伝える。
• 清正は「豊臣家を守るために三成を排す」という大義を得て家康に傾斜。
✔黒田長政に対して:
• 父・官兵衛(如水)も含め、情報網として重用。
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🔶 4. 【関ヶ原の戦い:彼らの影響力】
黒田長政美濃にて主力として参戦福島正則と並び主戦力。敵陣突破に貢献
結果、家康は三成包囲網を“秀吉子飼いの武将たち”で構築するという皮肉な構図を作り出しました。
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1. 豊臣恩顧の武将を自派に取り込む
3. 秀頼を“家康の庇護下の存在”に変える(=政権実質移譲)
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💣 5. 【その後:大阪の陣へつながる】
• 「豊臣恩顧大名」が次第に家康政権の柱となり、豊臣家が孤立していく
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🔚結論
加藤清正・黒田長政などの帰国組は、家康にとって「反三成の旗印」かつ「豊臣家を内部から解体する鍵」でした。
家康は彼らを恩と保証で懐柔し、味方に付けることで、政権の簒奪を“合法的・段階的”に行ったのです。
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祖母なんて先に死ぬに決まってるんだし、孫がちゃんと生きてるだけで祖母孝行だから、悩むにはあたらない。
が、要するにちゃんと祖母を弔ってない後悔が引っかかっていて、心が整理できず前に進めて無いのだろう。
自らの心がそのように動いているのであれば、しゃーないので、今すぐ会社に慶弔休暇を申請し、まあ不可で有給か欠勤だろうが、パスポートと飛行機の切符取って、リュック一つに子猫と祖母へのお土産と海外simのスマホを持って出かけるしか無いね。
村の噂なんて気にしたら負けだし、キリシタンなら悔い改めた罪人は何時でも何度でも許してくれるはず。
お墓の場所は現地で聞いたら村の教会の墓地を教えてくれるんじゃないの?
日本を出る前にGoogleマップとストビューで当たりをつけられるかもしれない。
2年経って地球の裏側から孫が来たって言えば、逆に村の美談になっちゃうって。不良が子猫助けたらいい奴になる現象で。
ということで行ってらっしゃい!
はてなの多くがディズニー嫌いなので宗教上の理由でSHOGUNをみれなくて空想で語っていると思うんだ。
まずこの話はフィクションなのでキャラクターは架空の人物である。
「このドラマは歴史的に正しいのであって政治的に正しいわけじゃない」というコメントがみられたが歴史的に全然正しくない。
秀吉の死後家康が大阪城に幽閉され、三浦按針を切り札にキリシタンの五大老の仲を切り崩す。
全員架空の名前ではあるが日本人なら細部描写からモデルとなった歴史上の人物が想像できるようになっている。
歴史がわかる人なら「ん?」となる話だがアメリカ人の原作なんだからしょうがない。
家康(ここでは虎永)は由緒正しき美濃原の血筋とか訳の分からん言説も出てくる。源氏のことだろうか?
ハンセン病のキリスト教に帰依した大老が登場するなど日本が舞台のファンタジー小説を読んでいるような気分だ。
話の筋としてはプロテスタントの按針がカトリックを蹴散らし関ヶ原の趨勢に影響を与えるというアングロサクソンが喜びそうなお話となっている。
劇中ポルトガル語を話している体のシーンは全て英語で話している。
これは展開重視だったり、配信の視聴成績を考慮してだろうがちょっと変ではある。
細部にこだわった日本人スタッフがどう感じたか気になるところだ。
当たり前のように英語で話し白人文化にそれほど興味がない本作はとても「ポリコレ的」であると言えなくもない。
そもそも原作は白人万歳な70年代の歴史風ファンタジーで日本描写が適当だったら大炎上した可能性さえある。
いわゆる白人酋長モノ(アバターなどがわかりやすい。未開人の破滅の運命を賢明な白人様が救うお話)で昨今ではわかりやすい差別的な表現と言われているが今作では白人も日本人も互いに野蛮と罵り合っていてバランスを取ろうとする試みが窺える。
ハリウッドで何か賞を受賞する場合マイノリティ要素が大きく影響するのは最近のトレンドであるが本作の場合日本描写が丁寧だった点が評価されたのは想像に難くない。
少々イジワルな言い方だがあなたの習った歴史では五大老五奉行に「大谷吉継」がいたのかな?
インパクト重視の人物配置をして異国情緒を意識した、日本を「異世界」として扱うファンタジー作品と評しているんだよ。
実在の大老前田利家は織田家臣からここまできて悲喜交々の物語があるが架空人物を置いたらもったいないじゃないか。
囚われの身→安針の活躍で脱出→地震で大ピンチ→また囚われの身…
都合の良すぎる展開も去ることながら日本版ゲースロと称されるだけあって無駄に三角関係作ったりノイズになる。
史実から引っ張ってきたエピソードと適当に作った話の混ぜこぜで歴史がわかる日本人には特殊な体験になったと思う。
それでもこの作品の魅力が足り得ているのは俳優陣の引き締まった所作と小道具やセットの作り込み、ロケーションの良さ、落ち着いたCGIの使い方などがあるためだと思う。
偏見にまみれた原作からこれだけの視聴体験をつむぎ出したのはハリウッドでのマイノリティにあたる日本人の描かれ方や起用に疑問を呈し、日本人役は日本人、日本語劇、日本スタッフによる文化監修の賜物。
将軍のポリコレがわからない人は自身を名誉白人だと思っているという評があったけれど国外に出ないでいたら差別的な扱いを受けた事がないので自分のことをマイノリティと認識できていないのかもしれない。
宗教ってなんで日本で流行んないんやろな、なんて話が上がっていたが、
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6161383.html
たとえば相撲の土俵に女性が上がってはいけないなどの掟は一種の戒律のようなものだけど、
厳格にそれを守ろうとするのはごく一部の人にすぎない。
年配者は気にするかもしれないが、時代と共にその感覚はどんどん薄れてきている。
戒律というよりも常識や習慣として根付いていて、それが宗教的な行いだとはもはや意識されない。
実際には多くの人が隠れて食べていたというし、明治になったらあっさりと覆った。
そんな大らかさなので、食の禁忌が戒律として厳格に決まっている宗教の理解が難しい。
日本でキリスト教がそこそこ受け入れられたのは、戒律が比較的緩いからという理由もあるだろう。
いろんな宗教の信者が混在している社会では、縄張り争いに勝てないと自分の生活を守れないので
信者同士が団結する必要があり、団結のためのルールとして戒律が生まれた。(のだろうと俺は理解している。)
中東のような縄張り争いが激しい土地ほど、戒律もより厳しくなる。
アメリカなんかでも、異なる宗教の信者が身近にいるからこそ、ある程度は団結する必要が出てくる。
いまの日本で宗教絡みの争いは、一部のカルトを除けば、生活に身近なレベルではほとんど見聞きしない。
戒律というのは団結のために必要なものであって、団結する必要がない日本に厳格な戒律は必要がないのだろう。
地球の各地でいまも繰り広げられている宗教のナワバリバトルは、まさに戒律の押し付け合いバトルだ。
一部の宗教にとって戒律とは押し付けるものであり、日本にはその必要がないのだ。
ただ、SNS上のコミュニティでやたら細かくルールが決まっているところがあったりするが、
それが特定の推しを崇めるコミュニティだったりすると、こうやって宗教というのは生まれるんだと思ったりする。
しかしその戒律は、外部の人間から見るとなんのこっちゃである。
戒律とはそういうものであり、戒律が必要ない社会は平和である。
いや昔の共産党は自民党とつるんでて朝鮮人とつながってたというのは事実ぽいけれど
志位さんが党首だった頃は支持してました。
難しい話かも知れないけれど、小池晃は「世界連邦」ってのに参加してるので
http://mmmm017.blog.jp/archives/263531.html
隠れ社民だと思ってます。今は裏で自民党とつながってるのは社民系。
しばき隊も統一教会もヤバいという話です。SEALDsの奥田は親が牧師とかで
そういうのって統一教会ほどではないけれど同類と言えば同類なので
まぁ社民系というのはそんなものです。山本太郎はカトリック一家とされてます。
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELIONANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアートクールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解くアマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
続き
地図見たら驚くと思うけど長崎市ってめちゃくちゃ先っちょにある
遠い
長崎県内には佐世保があったり、雲仙があったり壱岐があったり、五島があったり、色々あるんだけど、とりあえず長崎市
同系統の街
そして規模は西に行くほど小さくなる
シーボルトの記念館があったり、出島の跡地があったり、グラバー園があったり、幕末明治の、異人さんとの貿易の空気を色濃く残している
出島はかつては出島だったけど、今は埋め立てられてて、街中の一角に旧出島だったエリアがある
そういう狭い隙間を路面電車が通っていくのも趣深い
中華街もあるが小さい
あれはちゃんぽんを食べるところ
あれだけ貝ぶち込めばそりゃあうまいよなって味
あれは絶対に食べて
そしてキリシタンの街
嫌でも命について触れなきゃいけない街だ
あと、中華系なのかオランダ系なのか、他ではあまりみないお菓子がある
よりより、マファール、これはめちゃくちゃ硬いかりんとうみたいなやつ、硬くてうまい
最高、美しい街