
はてなキーワード:キャベツとは
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簡単かつ美味い
京都のお好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化、歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプルな料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験と哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。
そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジックな飲料、プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの「儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧な息抜きのルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼きの経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。
妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きとプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別な意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福を京大的な論理で最大化する行為」なのだ。
妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスクを回避し、効率を追求する「京大的安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。
そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大のキャンパス内を歩き、図書館へ向かい、研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだ。コンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考の自由」を再認識する貴重な機会となっている。
妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常のストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。
このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格は過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きとプラッシーの完璧な調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族の歴史と並行して記録されるべき重要なイベントだ。
妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大的プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。
京大での学びは、世界を構造的に理解するためのフレームワークを提供してくれたが、妻は、そのフレームワークを日常の幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きとプラッシーの完璧な組み合わせのように、私の京大的視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たちの日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。
小さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。
ちょっとわかる
まあ野菜とか果物とかってちょっと季節性があるから総合的な値上がりと季節性とで若干わからないんよな
キャベツとかもなんか「季節的な値上がり・値下がりなんかな?」くらいの気持ちで一玉160円とか200円くらいだったこともあるけど、今は100円くらいのところもあるし
卵とかは上がってるなって感覚あるけど、卵はまだこれくらいの(280円くらいの)価格なら全然買うなって思うし
一番上がってるのはコメなんだろうけど、パスタとかパンとかも全部が全部一斉に値上がりしてる、ってわけじゃないから「まあコメ食わんし……」みたいな気持ち
5年は前になる。
近所のスーパーでキャベツ一玉68円とか、卵10個パック198円とか、そういう物価だった頃だ。
体調を崩して仕事を辞め、貯金を切り崩した後は、幸い申請が通った障害年金と、リハビリとして始めたアルバイトで暮らすようになった。
その時考えていたのが、「いつ生活保護を受けることになるかもわからないから、支出をその範囲で抑えられるようになっておこう」ということだった。
いつまた働けなくなるかもしれないし、年金が打ち切られるかもしれない。
役所で一度相談し、説明を受けたことはあったので、金額はその時教えてもらっていた。
ちなみにその時は水際対策で断わられたわけではなく、まだ貯金がある段階で、働けなくて収入の当てがないと相談したところ、手続きの仕方などを保護担当の人が親身になって教えてくれた。
おかげで「お金がなくなったら生活保護があるし、役所で追い返されることもない」という安心感が持てて、そこから体調も安定し始めた。
話を戻して、当時住んでいた自治体では生活保護費は住宅扶助を上限まで使って13万円だった。
簡易キッチンとユニットバスの狭いワンルームなのだが、1万円近く超過している。
なので、13万円以内で生活するには生活費を諸々込みで67,000円に抑える必要があるわけだ。
バイト先への交通費は別にしておいて、通信費はスマホ(格安SIM)と家のネットを合わせて約9,000円。
水道代はほぼ基本料金なので隔月2,400円。電気・ガス代は(※当時)平均5,000円。
これを固定費として、月々15,200円の支出は確定していることになる。
ここから食費、雑費、被服や美容費など捻出するわけだが、人付き合いがなく出かけることがないので交通費がかからず、近隣に図書館があり、元々趣味が読書なので娯楽にも対して金がかからないのもあって、案外暮らせるものだった。
障害者手帳のフリーパスでバスに乗れば交通費はさらに節約できたし、割引になる美術館や自治体主催の無料の講座などに参加したりもできた。
一方で、歯医者の定期クリーニングや美容院の予定が入ったりすると一気に苦しくなるのも事実だった。
衣服代も予算を圧迫するので、靴はとにかく安いものを探し、ワークマンの980円のキャンバスシューズに行き着いた。
工夫をすれば暮らせるが、収入がある時は普通にやっていたこと(歯医者での定期クリーニングや、三か月に一度の美容院)が「贅沢」となり、小綺麗な格好をするのが難しくなるため、友人同士の集まりやおしゃれなカフェなど、身なりを値踏みされそうな場所からはちょっと足が遠のく。
月13万円はそんな生活だった。
しかし、その「工夫をすれば暮らせる」さえ、あくまで5年前の話だ。
それからロシアのウクライナ侵攻が始まり、円安も進み、物価がどんどん上がっていった。
まいばすで78円で買えていた板チョコが今は税抜148円だ。
光熱費は、使用量は減らしたのに基本料金と単価がバカみたいに上がり、倍になった。
いつも鶏むね肉を100グラム68円で売っていたスーパーでは、100グラム98円になった。
サバ缶は158円が258円になった。
まいばすの味がしないバナナなんぞ78円が気付いたら128円だが、それでも相当安い方だ。
chatGPTに相談すると「業務スーパーや作り置きを活用しましょう」などと言ってくる。
あのな、この世の困窮してる人間のそばに業務スーパーは必ずあるのか?
誰にでも徒歩やバスで行く体力があり、自炊する気力や知識や環境があると思ってるのか?
そういう話をしてるんだ私は。と、小一時間chatGPTを詰めてしまった。不毛な時間だ。
経済的に余裕がなく、さまざまな事情で自炊も難しい人が、安く食べたい、とにかく腹を満たしたいという時にそこにあって手が届くのは、現実的には安い菓子パンでありPBのカップヌードルだったりするのだろう。
普段からちゃんと食事をしている人がたまの間に合わせに食べるならいいが、常食するには体に悪すぎる、それらの食物でも「食えることは食えるんだからいいだろう」と言うのは、奇しくもマリー・アントワネットが言ってないとされる「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」という状態だ。
おおマリー、お菓子は安くとも体に悪く、民衆のQOLを下げてしまうのよ。
マリア・テレジアも草葉の陰で泣いている。
今は何も調べずにこれを書いているが、多分生活保護費が引き上げになったとかってことはなく、(むしろ引き下げの話をしてるくらいだ)同じ金額のまま、物価は爆上がり、交通費も光熱費も上がり、カツカツからキュウキュウで皆生きているんだろう。
(私はもう無理だと思ったので、貯金を諦めて生活費の上限を上げた。金がなくて食えなくなったら最悪死ぬからもういい)
とはいえ、これがどのくらい政治のせいなのか、友人も妹もいないタイプのメロスである私にはわからない。戦争とか温暖化の影響を、一体誰がどうしたらどうにかできるんだろう。
何もわからない。
わかる。
もやしは30円、キャベツは半玉で100円、焼きそば三玉で200円。肉は半額になっているものをまとめ買いで冷凍保存すればいい。豆腐も一丁60円程度で、納豆も3パック80円くらい。菓子パン類もほとんど100円台前半。20年前からほとんど上がっていないと思う。ペットボトル飲料も、100円以下のやつなんていくらでもある。
このように、米を若干の例外として、値上がり商品を避けることなんていくらでも可能だ。値上がりしている商品は、値上がりしても売り上げが落ちることのない、小金持ちが消費するような商品だから値上がりしているんであって、俺が普段買っているような食材や菓子パン類など、貧乏人の命綱である、値上がりしたら売り上げが激減するであろう商品はほとんど値上がりしていない。
はっきり言って、「値上がりきつい、減税で手取りを増やしてよ!」とか、被害者ヅラで言っている小金持ちに連中は憎悪しかない。減税されるだけの手取りなんかない、という人間がいることを想像もしたことないんだろうな。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
お好み焼きをフライパンで10枚、作り置きしてたんだけど、フライパンで1枚ずつこれやると5〜6時間かかってしまう
フライパンは2個あるのでフライパンの蓋とキッチンタイマー買い足せば半分の作業時間になる!!そして大量のお好み焼き作り置きができる!!と思ったのだが
もう一度に焼くのは4枚くらいにしようかな
一気に10枚焼くのはやめようかなと思えてきた
週末に食べる作り置きのつもりでやってるのに
なぜか旦那がお好み焼きの冷凍ストックがある限りそれを旦那の朝ごはんにしてしまい、「何のための作り置き⋯?」って感じだから
リュ○ジよりキャベツが信じられないわ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/rookie.shonenjump.com/series/OmknL2IAah0/OmkvmYUAdJI
問題は柿。
侵入の跡が見えない。
剥いてる途中でピュルっと出てくる。
一段と寒い夜、久しぶりに発作があって苦しかった。今ちょっと怠い。
うちは毒親ってほどではないのかもしれない。
衣食住は十分に与えてもらったし。
ただ味の素を毛嫌いして、だって普通の塩はナトリウムだから!(?)と言って天然塩に拘り、白砂糖使用者を馬鹿にしているカサンドラ母と、ガチガチの自分ルールの中でしか生きられない単身赴任の父という環境だった。
幼い頃は熱と咳が出る日が多くて、雪国で車もない中、母がバスに乗って何度も病院に連れて行ってくれたという話は聞いてる。若い頃の父は、朝起きて着替えが出されていないとブチギレていたそうだから当時の母の苦労と苛立ちはそれはもう大変なものだったと思う。
ここで特に診断がないのは小児喘息ではなかったということなのかな、ちょっとわからない。
小学校時代は咳が落ち着いていた記憶だけれど、鼻も悪くて耳鼻科には連れて行ってもらってた。副鼻腔炎にもなった。
喘息というのを知らなないまま運動部に入って、3キロ走るのが苦しかった。
そもそもの運動神経の悪さによるいじめや苦しさもあって辞めたが、後に私が会社を鬱で辞めた時、「部活辞めさせなきゃよかった」と言っていた。そういう父である。
単身赴任の父が帰ってくる土日、両親はよく喧嘩した。険悪な空気の中で母の機嫌を直さなければならない使命感に駆られていて、心臓がばくばくして、その夜は喘息が起こる。お湯とゲロ袋を持ってきて背中を撫でてくれる母に安堵していた。
高校。体育のあとは先生に背中を撫でられながら授業を受けていた。静かにしなきゃと思うほど咳が出る悲しみ。周りも大変な迷惑だったと思う。
冬は苦しくて眠れなくて、母が起きては背中を撫でてくれた。
でも病院には連れて行ってもらえなかった。
ほとんど寝不足のまま、雪降る中を自転車で通学すると学校でまた発作が出た。でも病院には行かなかった。
ベポラップを塗ってもらった。コップのお湯の蒸気を吸わせてもらった。あと蒸気が出る吸入機だったかな、買ってくれてそれでやり過ごしてた。
一度だけ、どういうきっかけだったか病院で診てもらうか、となって婦人科を兼ねてる小児科に行ったことがある。「症状が出てる時にこないとわからないよ」。二度と病院に行くことはなかった。
大学では咳で授業抜け出してた。一人で暮らしていたけどその頃はもう、喘息じゃないっぽいし、病院も諦めていて、治療もないんだと思い込んでいた気がする。もうこういうもんなんだと。今思うと入院するほどの重症じゃなくてまだよかった。
就職後、職場で咳と鼻水が尋常じゃなく、そこで心配してくれた(迷惑もあっただろう)上司たちに、その咳はおかしいから病院紹介してあげると言われて、慣れない土地に暮らしていたこともあって色々と面倒を見てもらいながら通院した。
迷惑かけておいて歪すぎるけど、通院を勧めてもらったのがちょっと嬉しかった。
いきなり良くはならなかったけど初めて喘息の薬をもらって安心感があった。真剣に検査してもらえたことも嬉しかった気がする。
その後いろいろあって心が折れ、実家に戻ることになった。
また発作が起きては吐いて、母が起きてきて背中を撫でられる生活の始まりだ。
子供の頃と違うのは母自身が内科にかかっていたことで、私も連れて行ってもらえた。早朝に点滴を打ってもらうことも何度もあった。毎日吸入してたけど、全然コントロールできなかった。
カレーも味噌汁も作ってる最中に全然匂いがしない。鼻もぐずぐずで痰が溜まるし、顔面が痛い。食事がなんの味かわらかない。味覚が甘い、しょっぱい、酸っぱい、辛い、ざっくりとしかわからなかった。生姜のすりおろし食べながらこれニンニク?とか言ってた。
鼻水も咳も限界で新しい耳鼻科に行った。鼻をカメラで見ながら「これは苦しかったでしょう」と言われた。恥ずかしいけど泣いちゃった。
あまりにも症状が続くから母は話を聞き流していたし、父はほぼ現代医療を信じていないし、まぁ親といえど大人になったら病気なんて自己責任だよな。
けど、大袈裟だけど、それまで数十年間の苦しさをそこで初めて認めてもらえたような気がした。
喘息も鼻水も適当に扱ってきたせいかどうかはわからない。完治しないのかという最悪の気分と、やっと原因がわかった安心感で、家に帰ってまたちょっと泣いた。
幸いにして何度かの手術と治療しつつ嗅覚は継続して快調だ。喘息もだいぶいい。人生で今が一番身体が楽。冬も平気。運動もできる。医師に感謝。
なんでもっと早く、苦しんでるとき、喘息ってわからなかったんだろうなぁ。
後に母が咳喘息になって。吸入薬を見せてきたり、たまに咳してまた喘息かもと言ってる姿見たり、鼻詰まりの時にお母さんもその病気かな!とか言われて。
もう、なんだか、素直に寄り添えなくなっていく自分がいて苦しくなった。色々と私の真似したり、会話泥棒する人なのだが、病気まで自分のものにしたいのかと、そう歪んでとらえてた。
幼少期にかけた苦労と、夜通し寄り添ってくれた日々があるから何も言えない。両親がコロナにかかれば看病した。そのことすら忘れられちゃったけど。認知症じゃないのに。同居してるのに家事をすることのない兄が看病してたら、きっと死ぬまで語り続けて感謝するのに。
父が歳とって風邪引くようになっていた。さすがに病院に行って人生で初めての咳止め薬を飲んでいた。これ飲めばお前の咳も良くなるんじゃないかとか言ってきた、びびった。
今まで咳をしては薬なしで治ると力説されるたび喘息だと何度も説明してる。咳き込めば背中を撫でてくれる優しさはある。ただどうしようもなくゲームの村人会話しかできない。会う度話す度リセットされて、忘れっぽくて、無理解なのだった。
キャベツ頭に被せろとかそういった方面の知識もなかったのがせめてもの救いである。
今更親に苦しさをわかってもらおうとすることが論外なんだろう。
なのに離れた今も執着してしまう。兄の部活には必死に付き添いしてたのに。なんで学校で苦しいって話聞いてくれなかったの。あとついでにブラも買ってくれなかったなとか余計なことまで芋蔓で思い出して恨みを募らせる。夜通し世話させたのにね。それとこれとは別だと思って良いんだろうか。小遣いで内科にかかる発想がなかったのが悪かったんだろうか。ブラを買うのも病院にかかるのも親の許可が必要だと思い込んで。
朝6時10分起床、赤魚の干物をコンロで焼きながら味噌汁作る。
味噌汁の具は余ってたキャベツ、人参、えのき、しめじ、白滝、豆腐。
子どもたちがサラダを食べないので、野菜の供給源は味噌汁になる。
安い、調理が簡単、二日目でもおいしいの条件を考えるとこの具材になる。(キャベツよりは白菜のほうがおいしい。節約したいときはもやし)
息子は学校から発達障害を疑われてる。俺も疑ってる。発達センターに相談したのは6月。半年たってようやくテストしてもらえた。
息子のテスト中、担当の人と面談。まだ時間があったので車の燃料補給と洗車。
息子が忘れたと言った水筒を取りに家に帰るが、家にはない。後部座席に鎮座してた。
12時テストが終わった息子を学校に届ける。IQテストの結果は来年。
帰りに夕飯と昼飯の買い物。昼飯はカップラーメン、総菜のメンマ、調味済みの砂肝を焼く。
13時過ぎ、車のディーラー。一昨日信号待ちでぶつけられたところを見てもらう。修理費12万。
1年ぐらい掃除してないのでピンクのカビがすごい。ブラックフライデーで買ったケルヒャーの高圧洗浄を試すとカビが飛び散るのであきらめてブラシでこする。
並行品38,000円正規品45,000円、オートバックスだと 53,800円
18時娘を迎えに行く。
帰って夕食の支度。豚バラと白菜をフライパンで蒸し煮。朝の味噌汁、昼の砂肝。
子どもと夕食。