
はてなキーワード:キャパとは
※誰かを攻撃する意図はありません。自分自身の整理と今後、誰かが同じ状況になった際の判断材料として記します※
※「」内に関しては発言を書き起こしたものではなく、そういう趣旨の発言であったものになります※
そのインフルエンサー(以降「A」とする)がどんな人かと言うことをざっと並べると、
・当時推しの名前をXで検索すれば、そのインフルエンサーの投稿がトップの方で表示される
そして
推しと出会う以前・以後のビフォーアフターを写真付きでかなり赤裸々に明かしていた
…といった感じ。
影響力の大きい人だというイメージはあったけど、
Aはある日を境に
「ライブチケットで良席を得て、推しからファンサをもらえたのは“引き寄せの法則”を利用したから」
といった投稿を始める。
※引き寄せの法則とは、
今自分の手元にない欲しいものを“すでに持っている”ものと意図して生活していたら、
思いがけない形でそれを得ることができちゃうよ〜みたいな法則(ざっくり)※
その頃くらいから、
引き寄せの法則にまつわる発オンライン講座を少額(ワンコインほど)で複数回開催し始める。
当時の講座も受けたことがある。
AはSNSで見る姿と変わりなくよく喋るが、面持ちからは緊張を感じた。
講座自体もしっかりした作りで、私はAに人間味を感じ、さらにAを信頼することになる。
講座を受けた人たちの引き寄せたものの実績もみるみる積み上がっていった。
ほどなくしてAは、
長期かつやや高額(型式が古くて5万キロ強走行した中古車なら1台は買える額)
な講座を主宰することになる。
そこにいる人々の様々なビフォーアフターも講座宣伝よろしくタイムラインに流れていく。
“それなりの幸せで満足しなくていい、もっと私たちは欲しがっていいんだ”
『もしかしたら私も変われるかもしれない』という気持ちは膨らんでいく。
だがいかんせん、値段が高すぎる。
興味はあるけど、参加は見送るつもりでいた。
某日、Aが
「講座自体はとてもいいものになっているのに、思ったより集客が伸びない」
というような弱音を吐いたことがあった。
記憶はかなり朧げなので内容は正確ではないが、
その時点で絆された私は、飛び込みで講座の受講を決定。
契約書もろくに読まず記名し、受講料を払った。
これで人生変わるんだ、と本気で思った。
『私なんかが…』と遠慮して受け取れなかった様々に手を伸ばせるようになった。
この機会じゃなきゃ出会えなかった人と、
そこに対してはAに感謝している。
ただ、この話はここでは終わらない。
ある講座生(Bとする)が Aに対して声を上げた。
「私は提出した課題に対して、Aさんからフィードバックをもらいたくてこの講座に入った。
それがないならここにいる意味がない。引き寄せを勉強しようと思うなら、本を読めばいい。
そうではなく、Aさんから学ぶことに対してもっと意味のあるものにしたい。なんとかならない?」
講座生は各々課題を提出するわけだが、Aからのフィードバックは無かった。
Aが提出された課題に添削して、その添削が見える環境にしてしまうと、
講座生同士で提出した課題に関して意見交流してもらうのを優先しているためだった、
Aの主張も、Bの主張もわかる。
私はBと同じく消費者として、
この流れに期待感を持っていた。
しばらくそのやりとりは続き、Aのある発言で空気がガラッと変わる。
「けど私からのフィードバックがないと意味がないって思うのは、Bさんの課題なんだよ」
「買い手としての一意見が、私の精神的な許容量の問題って言いたいってこと?」
Bは声を荒げ、Aは「そういう意味じゃない、間違えた」と切り返そうとするが、
A本人から個人のキャパの問題だと一蹴され、なあなあに決着をつけられてしまった。
この一連の流れに、私は事業者としてのAに不信感を抱くようになる。
その後も、
講座生に向けた講義とは別の配信でAがBに対して苛立ちをぶつけるような場面
・Aのオープンハートとも取れるが、見方によっては講座生に対する雑な扱い
・私欲を満たすために講座生たちが払ったお金を使われたのち、
講座受講期間中にAから「金策に困っている」というような発言を何度も聞いたこと
などの出来事も重なり、
私は特に「お金がない」という話を聞き続けた結果、精神的に疲労してしまった。
講座を履修したら継続で入れるサロン(月額も決して安くはない)があったが、
退会を決め、Aの事務局に申し出るも、申出から退会の受理までの対応に1ヶ月以上かかるなど、
退会を申し出てからの1ヶ月分のサロン月額料金は請求されなかったことから、
これを機会にAから離れ、学んだこと以外は忘れたように過ごそうと思っていた。
しかし、
ある時のタイムラインでAの過去の投稿について、糾弾するアカウントを見かける。
著しく良識に欠けていて、推しの人権を侵害しているという趣旨の発言と、
インフルエンサーとして好感を持った側面でしかAを知らなかった私は、
どうやらとんでもないことに首を突っ込んでいたらしいとようやく気づく。
ただ、講座を修了している以上、できることはほぼないに等しいのも安易に予測がつく。
悩んだ末、ネットで調べた情報をもとに、地域の消費生活センターに相談してみることにした。
になる。
同じようなケースの人がここにたどり着いた時のために記載しておくが、
消費生活センターの窓口相談を利用するには電話予約が必須なので気をつけて欲しい。
私は電話口で説明できる自信がなかったので、窓口相談を利用した。
契約書や、 Aの事業用のHPなどをかき集めて相談した結果の見解は、以下の通りになる。
代表者氏名が未記載であることから、事業者としての信用性は極めて低く、悪質性は高い。
・決済手数料の扱い
支払い方法によっては、規約外である手数料が上乗せされていることも問題である。
・返金対応
最初に説明されたカリキュラム通りに講座自体は進行していたことから返金は求められない。
また、通信契約の特性上、契約書の規定が優先されるため、返金を求めることはできないという結果。
(契約書にいかなる理由でも返金には応じないといった趣旨の記載)
説明された内容と実際の講座内容に明らかな乖離ががある証拠がない場合は、返金は厳しい。
無いに越したことはないが、同じケースに鉢合わせた場合は、不信に感じたその時に相談して欲しい。
センター自体に強制力はないが、今後Aに関しての相談件数が増えた場合は指導が入る可能性はある。
消費生活センターとしては、本件は“霊感商法による被害”という位置づけになるらしい。
誰でも被害者になりうるというお話も相談員の方からお伺いした。
困っている人がいたら、ぜひ電話でも窓口でも相談してみては、と思う。
被害者に限らず誰でも申し出は可能だが、金銭トラブルの解決は目的としていない。
契約書上の“この契約は消費者契約法や特定商取引法の適用を受けない”という記載に対して、
“法律(強制法規)が優先されて効力を持たない”という意味では、法律違反にあたる可能性がある。
(本件を具体的に相談した結果ではないので、あくまで可能性という結果にはなる)
という感じだった。
・現品を見て買えないものは、買う前にとにかく情報を集めましょう。
・良い口コミばかり出てくるものはめちゃくちゃ疑った方が良いです。
・そのインフルエンサーのことが好きでも、
・同じ買い物をした人たちが同じように消費者として傷ついていたら、
もし勇気があるなら手を取り合って、声をあげてください。
でもその人から買い物する時は疑って欲しい。誰かが私と同じように傷つく必要がない。
勉強代としては決して安くはなかったが、
“信頼と契約は別物”という教訓をこれだけ大騒ぎして得られたのは、
まぬけではあるが。
Aは今でもどうやら、講座を主宰しているらしい。
私はもう離れてしまったけど、
Aなりに楽しんで推し活するんだろう。
チャーミングな人だった。
ようやくこれを書き上げた。
この件に対してのモヤモヤをここに置いて、
もっと身軽にやりたいことを楽しむつもりだ。
うん、悪くない響きだ。
これ以上、この件については
追求することはありません。
ただ、いつかの誰かにこの記録が
役立てばこれ以上のことはありません。
B含む講座生のみんなにも、
あの時タイムラインで見かけた投稿者の方にも、相談員さんにも、
そして、 Aにも。
ありがとうございました。
ばいばい。
そりゃあ、今子供ができたら産んで育てられるけど、10代の頃にできても自分で育てられないでしょ?
まだまだ学ぶことも多いし、親としてもそういう勉強のために時間を使ってほしいと思っている。
20代での10代との価値観の変化は増田の器というかキャパの変化だよ。
20代でも学生のうちはセックスしてほしくないね。だって、勉学のためにとせっかく親が買い取った時間を捨てることになるからね。
自活できるようになり、自活できる人と付き合っているなら、あとは自由な気はする。
自分たちも周囲も覚悟してから物事を進められ、無駄なもめ事を避けられるので、結婚してからセックスの方がいいと思うけれど。
外国人政策はまず道徳でも情緒でもなく、価格メカニズムとインセンティブ設計の問題だ。
日本の議論はここが弱い。人手不足だから入れる、かわいそうだから助ける、国際化だから歓迎する、治安が不安だから締める、こういう気分ベースの裁量行政は、典型的な政策の自己放尿だ。
善意で動いてるつもりが、結果として市場のシグナルを壊し、労働市場を歪め、納税と社会保障の収支を崩し、最後に政治コストとして自己放尿する。
つまり「移民を入れても入れなくても地獄」ではなく、「裁量でやると必ず地獄」って構造になっている。
国家がやるべきことは好きか嫌いかではなく、制度を通じて外部性を内部化することだ。
移民が増えると、賃金に下押し圧力が出る職種がある。住宅、医療、教育、治安、行政コストも増える。
逆に、生産性、起業、税収、人口構造の改善、介護労働供給といった便益も生まれる。
重要なのは、これらを空気で処理して自己放尿せず、価格と契約で処理すること。
政府が市場の代わりに配分を決めた瞬間に、情報の集約装置としての市場を破壊し、レントシーキングを誘発する。
移民政策はまさにレントの温床になりやすい。技能実習みたいな中途半端な制度が腐るのは、制度が労働市場を自由化するのではなく、政治的に管理して供給を割り当てているからだ。
ここで規制が厚いほど仲介業者と官僚機構が太り、移民本人は交渉力を失う。これは弱者保護の顔をした搾取装置で、規制が生んだ闇市場の自己放尿だ。
処方箋は冷たいくらい単純で、入国の条件と滞在の条件を市場互換のルールに変換することになる。
つまり、曖昧な情緒審査ではなく、労働契約・納税・保険加入・犯罪リスク・教育コスト負担などを定量的に制度化し、移民が生む外部性に対して事前に担保を取る。
これをやらずに「人手不足だから無制限に入れます」は、社会保障のフリーライドを誘発するし、逆に「怖いから締めます」は労働供給制約で国内産業の競争力を落とす。
どっちも非効率で、政治の人気取りが経済合理性を食い潰して自己放尿する。
ここで日本がやりがちな最悪手が、低賃金労働者を大量に入れる一方で、住宅・教育・医療・地域治安のキャパシティ制約を放置し、企業側には安い労働力の補助金を与え、自治体には現場丸投げをすることだ。
これはまさに、労働市場の自己放尿と社会保障の自己放尿のダブル放尿になる。
結果、住民は不満を持ち、移民は搾取され、企業は生産性向上をサボり、政治は分断される。
全員が損する、珍しいタイプの完全市場失敗を政府が手動で作る。
重要なのは移民が必要かではなく、国内企業が低生産性のまま生き残る仕組みを温存してないかだ。
移民受け入れを、単なる人手不足対策として使うと、企業は設備投資や自動化や賃上げを回避できる。
これは安い労働力による技術進歩の抑制で、長期的には国全体のTFP(全要素生産性)を殺す。
つまり移民政策は、労働市場の短期安定化と引き換えに、成長率を削る麻薬になり得る。
俺が嫌うのはこういう短期の政治的最適化が長期の市場秩序を破壊して自己放尿する構図だ。
日本の外国人政策は、感情で開けたり閉めたりする水門政治をやめて、ルールベースにするしかない。
ならば、政府は賃金・納税・保険・犯罪抑止の枠組みだけを整備し、あとは裁量を減らして透明に運用するべきだ。
問題は移民ではなく、移民を政治の玩具にする自己放尿制度そのものだ。
【お詫び】株式会社 OFFICE MINAMIKAZE 373kaze.com 様より
業務提携にてお預かりしておりました
倉橋凛 x.com/rin_kurahashi?… より
本日付で辞めるとの連絡がありました。
「もし辞めたいのであればはるふぇすには出ないで欲しい」と伝えてあったのですが
デビューするだけして即辞めるという、あってはならない事が起きてしまいました。
なお、他のメンバー・弊社所属のタレントにはこのような事が無いよう指導しておりますので、そちらは引き続き安心して応援して頂けますと幸いです。
この度は誠に申し訳ございません。
「はるふぇす」ははるかぜちゃんのアイドル卒業と誕生日を祝うイベントだったが、キャパ300ほどに対し客席写真を見ると客入りが10数人程度だった
はるかぜちゃんはフォロワーは17万人いるしWikipedia見れば芸歴はあるので「すごい人が中心のグループなんだ」と情弱は流されるのかもしれないが
現地に足運び金落とすファンの微々たるのを見れば、冷めて「ここじゃ羽ばたけない」と辞めたくなるのはむべなるかな
既に辞めた初期メンバーの衣装使い回しで着せられるのも全然気分乗らないだろう
ちなみにデビューして即辞めるというのは前例があるのだが、その子ははるかぜちゃんが連れてきた短大同級生だからかこういう晒しはしていなかった
デビューっつっても、10数人相手のお遊戯会でなにをそんなに気取るというのか、幼稚園児の発表会でももっと人が集まる
「週明けに先方の事務所さんに連絡してみます」というが、連絡してから発表すればいい
怒りに任せ糾弾したくて書いただけ、嘘でも今後の活躍を祈れるぐらいの器を見せられないのか
8人いた初期メンが今は2人だがいつ絶滅するだろう
残り2人の子は癇癪持ちおばさんにも耐えられる、人はいいけど引き際もわからん子という印象で、なるべく若いうちに逃げて普通に就職してほしいものだ
ぶっちゃけ、最近の東京の治安悪化とか民度の低下について思うんだけどさ。
ニュースで騒がれてる物騒な事件の犯人とか、タチの悪い客引きしてる奴、あと電車で意味不明なキレ方してるオッサン。
大抵、地方から「一旗揚げにきました」みたいな顔して出てきた余所者ばっかりでしょ。
俺みたいな、代々東京で根を張ってる純血の都民から言わせれば、今の東京は地方の掃き溜め化してて本当に迷惑なんだよね。
結局、東京で悪いことする奴のルーツを辿れば、だいたい新幹線の止まらないような田舎に行き着くわけ。
夢とか希望とか持って上京してくるのは勝手だけど、自分のキャパ超えて東京にしがみつこうとするの、もうやめなよ。
君たちが無理してここで東京の人のフリをするから、街の空気が淀むんだよね。
純血の都民だけで構成された、もっと静かで、洗練された、本当の意味での東京を取り戻したいわ。
無理して都会に染まらなくていいから、早く実家に帰って、地元のために汗流して働きなよ。
その方がよっぽど君たちのためだし、何より俺たち都民が快適に過ごせる。
これは俺個人の推測だが、彼らは「アジア主義」に囚われてるんだと思う
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9
この思想に染まりきってる人々にとって中国は連帯するべき仲間であり、欧米列強に対抗するための友邦なんだよ
そういう思想で今の世界情勢を見れば彼らの思考がある程度再現できると思う
自衛隊の増強に抵抗するのも、日本が米帝の尖兵として侵略戦争に加担させられると認識してるから
今の自衛隊に徴兵した若者を何万人も受け入れる余裕はないしそもそも自民党は検討すらしてないといくら説明しても彼らが全く理解しないのは、徴兵されたら即座にアメリカに送られて小銃持たされて突撃する訓練をさせられると思ってるから
台湾有事に対する想像力が全くないのも、高市首相の存立事態発言にブチ切れてるもの全部アジア主義への傾倒で説明がつく
こないだ高市首相の存立事態発言で中国を激怒した件は、言うなればかつて鳩山由紀夫が普天間基地問題を引っかき回して対米関係を悪化させたのと同じように感じているわけ
中国と台湾の関係を、アメリカ本土とハワイ諸島くらいにしか認識してないし、そもそも中国を友邦だと思ってるから占領されても彼らの中では何も問題はないんだよ
最近選挙用の宣伝広告を頻繁にヤフーのトップ画面とYouTubeのショート動画で見かけて凄く邪魔
その上ショート動画の3本に1本位の割合で高市の選挙の宣伝動画ばっかり来るようになっててさ
いくら高市が好きな人でも嫌いにならないか心配になるほど高市まみれだった
挙句の果てに中道とか他の野党の悪口動画が大量にあるのに高市早苗は最高の総理大臣だみたいな洗脳してくる動画がいっぱい出て来て
エックスもだけどミュートしたりブロックしたりとにかくウザ過ぎて広告が入らないようにしてたんだが流石に度が過ぎてて気分が悪い
解散総選挙を宣言した辺りから急激に増えて来て安倍元総理を彷彿とさせて気持ち悪くてならない
これに何億も支払ってるんでしょ、明らかに一介の政治家の宣伝広告にしてはキャパオーバーしてるもの
正直ここまで高市早苗だらけだと今まで嫌いじゃなかったけど嫌いになりそう
マジで辞めて欲しい
ずっと東京に住んでる。東西南北を問わずぜんぜん違うところから来た人たちが、
「知らない人とは話をしない」っていう村社会のルールを持ち込んでお互いに冷たくしあってる印象は、ある。
あと、電車の乗り方知らない人が増えたね。駅のホームで人がキチンと降りるまで横にいて待ってるとかをしなくて、
これは半分は増えた人に駅のキャパシティが追いついてないせいもあるけど。
あと、地方の親密な人間関係が嫌になって東京に出てきた人はそこそこ多いので、
地元の町内会とか氏子会に入ってくれなくて、コミュニティがめちゃ細っています。
だれもじぶんちの前の道路の雪かきや草むしりをしないので、小さい道は大変。
第1期が終わった段階で、第2期をどうしよう?という話が出て、自分は第1期で力を出し尽くしてしまったところもあり、「フリーレン」という作品をどうやったらより強い形で世に送り出せるだろう?と考えた時、現場的な関わりは少し休憩させてもらいつつも、自分のノウハウや知識を伝えることは、惜しまずに協力していきたかったので、監督協力というクレジットで参加することになりました。
ぼざろ、フリーレンとこの理由なんだけど、飽き性なだけじゃね?
作るもののクオリテイは良いのかもしれないけど、最後まで付き合ってくれないんだ、っていう残念さがある
というか新しい物語やキャラクター、展開があって原作が長く続いてるのに、もう自分やることありませんってのは原作にも失礼では?続きに新鮮味を感じないってことでしょ?
声優が「1期で力を出し尽くしてしまったので2期から違う人に」ってなったら、仕事舐めてんのかって思う
なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。
両親に気にして欲しかった。恵まれた一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。
ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。
もともと食べることが好きだった。
高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校を理由にお小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかずアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。
不登校になってからは希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか居場所がなかったから。
3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである。特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。
何かが変わるきっかけが欲しかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニでお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。
胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまったことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐は想像するだけで怖かった。
他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンなTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。
私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習が必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。
界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後に体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。
今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流が世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。
私も練習の甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子、ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認で親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。
同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル。自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子がお腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテルで身体を差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年をホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。
毎日スーパーとコンビニをハシゴして、菓子パンやおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量の砂糖とバターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすいものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。
親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。
一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。
バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通は心配するもんなんじゃないのかな。
今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。
1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいつからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。
夕方にのそりと起きて、決まったルートで食べ物を調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。
何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。
コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然にトイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。
そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。
実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。
今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。
当時の写真もアカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間だから簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分がいたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。
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ここまでが数年前に増田に上げていた文章。身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体はスマホに残っていたので加筆修正した。
このとき温かい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。
あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐の方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さと無知って怖いなと思う。
後年、両親にわたしの摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由は簡単に言うと「どうしたらいいかわからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。
母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。
両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生のいちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。
成人して数年経つが、高校生の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人の保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独に過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。
しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。
ボトラーならぬ、部屋でペットボトルにゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレが若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。
一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐はおすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギーを過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要なものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。
あの頃のわたしは20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。
東京住まい。第二子の2026年4月0歳クラスの保育園申請で落ちた。
第一子の時から比べると、近所の保育園が増えて、0歳児待機児童はほぼゼロに落ち着いてた。余程のことがない限り、保育園に入れるはずだった。
それが、「東京都の第一子保育料無償化の影響で近隣の県からの移住者が増えているらしい」、「例年になく保育園への申し込みが殺到したらしい」、という情報を他のママから聞いたのは保育園の申し込みを終えた後だった。
それでも、夫婦ともフルタイム正社員で、育休からの復職加点の着く我が家は大丈夫だろうと思っていた。
みごとに落ちた。申し込み数をなめていた。現時点の待機児童は0歳児だけでも100人を超え。1歳児はもっとひどい。
え、どうするのこれ?
育休を延長しても1歳児のほうが空きが少ないのだから、入れる保証なんてない。
こんな状況だから、近隣の認可外保育園はすでにいっぱいだ。入れたとしても、満員の電車かバスの通園になる。
子供に負担かけて、高い保育料を払って、なんのために働いてるの?となる未来が見える。
保育園に入れた第一子を持つ人たちが無償化の恩恵を受けるために、待機児童が増えてしまう。施策の失敗じゃない?キャパを考えてよ。
『System Crasher』という映画を観た。
観終わって元気になることなんて、万に一つもない。
ただ、どこまでも「誤魔化しのない」映画だった。
暴れる。壊す。精神科、投薬、施設。家庭も制度も、とっくに限界に来ている。
実の親ですら見放す。それも正直、分からなくはない。
でもこの映画は、「だから仕方ないよね」という安易な着地を許してくれない。
約束は守る。相手にも守らせる。それを破られたとき、激しく怒る。
社会的には万引きもする。でも彼女の中では、すべて一貫している。
母を喜ばせるため。関係をつなぎ止めるため。
ただ、彼女の秩序が、社会のルールと絶望的に噛み合っていないだけだ。
予測不能な怪物に見えるその内側は、実はひどく純粋で、かなり予測可能でもある。
寝ているときだけは、普通の子どもだ。起きた瞬間から、世界との摩擦で火花が散る。
母親以外に顔を触られるのが無理。反射的に暴れる。
過剰な演出でも何でもない。
この映画は、それを分析もしないし説明もしない。ただ「そうなるもの」として置く。だから嘘がない。
一番、腹の底から不快感が湧いたシーンがある。母親がベニーに言う。
ベニーは狂喜乱舞する。世界が一気に明るくなったはずだ。なのに直後、母親は言う。
「やっぱり怖いから、無理」
一緒に住めないのは仕方ない。
でも、できないことを「できる」と口にしたことだけは、どうしても許せなかった。
その場しのぎの慰めじゃない。
一度言われたら、世界そのものがそういう形で確定してしまう言葉だ。
それを、自分の「その時の気分」で上書きして、なかったことにする。あとでどれだけ深く突き落とされるか想像もしない。言ったなら、引き受けろよ。
「できる気がした」
「そうであってほしかった」
そんなのは、言った側の都合だ。口に出したなら、死ぬ気でやるか、無理ならせめて、自分の言葉で、自分の責任で、本人に撤回しろ。
母親はそれをしなかった。説明すら放棄して、職員に丸投げして逃げた。あの卑怯さが、一番きつかった。
唯一の救いは、職員が母親に本気で怒った場面だ。事情も限界も分かった上で、それでも「自分で説明しろ」と線を引く。「最悪」と毒づく。
一緒に住めなかったことじゃない。言ったことを回収しなかった、その不誠実さに対して怒った。
この一言があったから、ベニーはあそこで完全に「見捨てられた」わけじゃなくなった。
「それは起きてはいけないことだった」と誰かが言ってくれただけで、観ているこちらの呼吸も少しだけ楽になった。
翻って、自分の娘を見る。
正直、扱いが難しい子だ。
家庭でも、園でも、問題は多い。
でも娘は恵まれている。
一人っ子で、両親が揃っていて、母親の手が、いつも自分のほうに伸びている。
私やベニーには、それがなかった。兄弟が多く、施設に送られ、母はいつも、手の届かない場所にいた。
特性が同じでも、愛情に触れられる距離が違えば、人生の軌道はここまで残酷に変わる。
これは教育的な怒りか?違う。多分、妬みだ。
「お前はこんなに恵まれているのに、なぜ」という、浅ましい嫉妬。
私はそれを正当化しないし、娘にぶつけもしない。
ただ、自分の中にそういう泥みたいな感情があることを、認めるだけだ。
この映画は、本当に「分かっている人」が作っている。
子役の演技は圧倒的だし、設定も盛っていない。分かるように 誠実に作られている。
とにかく、良い映画だった。
これを読んで何を感じるかは、