
はてなキーワード:ガラパゴスとは
岡本太郎って、日本ではもう説明いらないくらい有名で、国民的アーティストみたいな扱いだけど、海外のアートの世界や学術的な文脈では、評価が高いとは言えない。
日本では戦後美術のど真ん中、というより、誰とも群れない例外的な存在っていう位置に置かれがちで、具体とかもの派みたいな大きな流れとも、あんまり強くは結びついていない。
本人も意図的に美術界と距離を取ってきたから、研究の軸も少し定まりにくかった、という面もあるみたい。
ただ最近になって、50年代の抽象絵画とか、縄文や民俗学とのつながり、太陽の塔や明日の神話みたいな公共作品の思想性が、じわじわと研究対象として見直されてきてる感じはある。
海外の評価は、名前を知ってる人も多くないし、MoMAやTateみたいな代表的な美術館にも決定的な代表作が収蔵されていない。
近年、アジアの戦後美術をまとめて見直す動きが出てきて、候補として名前が挙がることは増えてきたけど、今の時点ではまだ「これから」っていう段階に近い。
市場のほうを見ても、日本国内では価格はかなり強くて、油彩が何千万円とか億にいくことも珍しくないけど、海外オークションではまだそこまで伸びていない。
つまり、日本の中だけで評価と人気が完結している、ちょっと珍しいタイプの作家。
なんでここまで一般知名度が高いのに、アートの文脈では立ち位置が揺れるのかというと、岡本太郎自身が「反・美術界」みたいな立場を取って、運動や理論の枠組みに乗らなかったことも大きいし、太陽の塔みたいな強烈なイメージが先行しすぎて、メディア的な偶像として消費されてきた面もある。
10年代以降はキャラクターとして爆発的に広まったけど、その強さがそのまま国際的な美術評価に直結するかというと、そこはまた別の話だったりする。
ただ、アジア戦後美術の再編や、非西洋モダニズムの見直し、パブリックアートの理論的評価がもう一段進んでいけば、岡本太郎の評価が海外で一気に跳ねる可能性は残っている。
そのときは「日本の第三の戦後前衛」みたいな位置づけで、世界の文脈に本格的に接続されるのかもしれない、っていう、そんな期待もなくはない…はず。
KADOKAWA、講談社、集英社、小学館が著作権侵害幇助でクラウドフレアに対する民事訴訟で勝訴した。
マスコミやコンテンツ屋は大喜びをしている。愚かなことだ。相変わらずガラパゴスっぷり
ク社側がどれほど本件訴訟にリソースを割いたかわからんが、恐らくかなり手抜き応戦だったのではなかろうか。
アメリカの会社であり、アメリカで同様の問題があっても訴訟にすらならず、訴訟をおこしたところでせいぜいサマリージャッジメント(
正式な訴訟ではなく事実争いの無い略式民事訴訟)にしかならず、かつCDN側が負けることはまず無い。ありえない。
アメリカでも判例は積み上がっており、ほぼ原告側に勝ち目はない。ゆえに日本の裁判所を甘く見ていたのでは。
本件訴訟では主体的行為要件と著作権法47条の2の「一時的複製」が大きなポイントなっている。
東京地裁はク社に対して両方ともアウト、の判断をしているのだけど、世界の常識ではありえない。
地裁裁判官にネットワーク技術まで学べというのも無理だろうが、いくらなんでも無理筋すぎる。
社会問題になった漫画村に司法が「ダメ」の判断を下した、という表面的な実績だけが欲しかったのだろう。
この判決がもたらす社会の悪影響やハレーションなど知ったことはない、たかが海賊版サイトにアウトを突きつけるだけ。
この問題は欧米でも大昔から議論されておりとっくに結論が出ており、仲介者は免責なのだ。だからク社にしてみりゃ理解不能だろう。
この判決を別の言い方をすれば、
歩いてたら自動車に轢かれた、「道路があるのが悪い」。道路が無ければ自動車事故は起きない。道路を作った国を訴える。
これと同じ。
いやいやいや、道路もネットワークも「インフラ」そのものは責任の主体にはならない。
欧米は20年前に答えだしてる。
被害補償を求めるなら自動車を運転していた「行為主体者」を訴えなさい、漫画村を開設して違法コンテンツをアップロードし
ダウンロード可能な状態にし、それで金儲けしようとした「行為主体者」を訴えなさい。
さてなぜ欧米でこのような建付けにしてそれを厳格に守っているか?
仲介者に責任を負わせたらネットワークの根幹が揺るぐ、からです。
ここで「一時的複製」の話になる、欧米の法体系を取り入れ改正著作権法47条の2(2019年)に免責規定があるのだが、
今回の判決では裁判官これを無視した。というか無理筋な拡大解釈をした。
このハレーションが巨大。アホな地裁裁判官にはこれが理解できない。
今回の判決のロジックで言えばISP、さらにはブラウザすらアウトになる。
複製してんのよ。
ルーターで行われる「複製」はパケット単位ではあるものの、技術的に「ファイル」単位と「パケット」単位の差は技術的には
ほとんど意味がない、曖昧なのだ。仮にファイル単位での複製がダメだというなら、CDNはパケット単位で一時的複製をすりゃ
法的には解決できちゃうので意味がない。内部的にファイルをチャンクに分割してバラバラにして物理的にも別のHDDなりに格納すれば合法に
なるのか?きりがない。きりがないので欧米は「主体的行為」要件を定めた。
ルーターの話に戻そう、NTTは権利侵害しているか?違法コンテンツをルーティングしていないか?
しているよね?
ではこれをブロックすることはできるか?
できるよね
ん?ええの?
極端な話、ネット回線→LANカードのキャッシュ、メモリ、HDD、CPU、GPU、アプリケーション、画面
全て「一時的複製」をしている。それぞれ取り扱うデータ単位は異なるが。
違法コンテンツを複製可能なアプリケーションを作成し配布している、幇助だ、このロジックも成り立ってしまう。
さらに、では、「ブラウザが違法コンテンを識別し複製を停止、抑制するこは可能か?」
まともな技術者に聞けば
「お、おう、確かに技術的には可能だけど、えっと、あの、可能は可能だけど。。。」
じゃぁやれよって話になる
だから欧米は「仲介者は一律免責な、やった真犯人だけがアウト」
このような建付けにした
欧米でもこれだけは別の法体系となっており、上述の原則を一切合切無視して、やれることはやれ、徹底的にやれ、仲介者だろうが言い訳は聞かない、全員有責、例外を認める。なのだ。
著作権法と司法は和製検索エンジンを殺し、P2Pを殺し、今度はネットワーク技術の根幹まで壊す気か?
ネットワークってのはデータの「一時的複製」の連続だぜ。それを否定しちゃった。どーすんのこれ。
こんなトンデモ判決をコンテンツ供給側であるマスコミが批判もせず、判決も技術的背景も勉強せず、むしろ大喜びしてるんだから救いようがない。
もとはデーブスペクターが
デーブ「検討がつく質問ばかりで事前に知らなくても答えられるじゃないですか?高市さんだったら、違います。事前に全部確認して用意するなら、何も生でやる必要ない、資料でいい」
https://x.com/siroiwannko1/status/1987493746028707891
って言ってて、発言内容が間違ってたらどうすんだってChatGPTに聞いたら欧米なんかは意図的でないなら修正できるんだって。
逆に日本はダメなのか聞くと日本だと大臣の発言=省庁の発言になるし、裁判の時にも政府見解になるからとにかく間違った発言はしちゃダメなんだって。
元号なんてガラパゴス文化の勝手な線引きだからねえ。国境と比べても万倍些末
dorawiiより
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神の存在や力は信仰によって支えられている的な設定の作品が少なからずあるが元祖はなんだ?
いかにも神は零落して妖怪になるという多神教圏のなかでもガラパゴスな考え方だよな。
創造主だったら人間がいようがいなからろうが永久不変とされていて人間のありかたに影響されるなんて的外れだからなあ。
人間作る前から世界を作る力があったという仮定のなかではほんとに的外れ
dorawiiより
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今NHKはネットサービスを本来業務にする為に、過去宣伝目的でやっていると言う事になっていたコンテンツを全部捨て、
さらにペイウォールを立てて検索に引っかからないようにしてしまった。
これは、民間テレビ局や、新聞社が民業を圧迫するから辞めろと圧力を加えた結果であり、要するに足を引っ張っているのである。
だが、これ間違ってないか?
むしろ民放や新聞は「NHKが作ったコンテンツや映像、ニュースを開放し、格安で配信せよ」と言うべきではないか?
理由は3つ。
全国紙と名乗りながら、既に地方から撤退した新聞社があるが、販売網以上にヤバいのが取材網だ。全国紙は、既に各県の県庁所在地に支所を置けなくなっている。名乗っているのは支所だが、事実上は駐在員がひとりいるだけと言う様な有様もある。
そこで頼りになるのが共同通信、時事通信などの通信社だが、ここも段々と地方取材網を維持出来なく成ってきた。
さらに、地方の民放もニュースは基本的に赤字だ。地元の地方紙からニュースを提供してもらい、重要な所には一応は記者を送り込む、網羅的に情報収集はしないと言うスタイルが元々だったが、その体制すら維持が厳しい。自社の赤字は進むばかり、そして頼っている地方紙が衰退しているのだ。
一方でNHKは公共団体であるから、地方から撤退することはない。
ならば、NHKが取材してきた情報を新聞社や放送局に格安で提供し、それを各社が自社で味付けして送出することができるようにするべきだ。
ストレートニュースなどはこうして供給を受け、自社では調査報道や独自のニュースに特化する事の方が望ましいだろう。
コンテンツ配信ビジネスにおいて、日本は世界的に見てまだ上手く行っている方で、これは言語の壁がある事がまず大きい。
良い意味の、本来の意味での『ガラパゴス』で独自の貴重な生態系的文化があり、それを輸出できているのだ。
しかし、それは今後徐々に優位性を失う。
何故ならば、AIの登場によって言語の壁が大幅に下がるから。そして、日本のコンテンツビジネスは、プラットフォームを抑えられていないからだ。
そこで戦う為に、NHKのコンテンツを民放が利用できるようにする。例えば過去のNHKのアーカイブ映像や素材を使って新しいコンテンツを作ったり
キャラクターやドキュメンタリーなどのより創作的・思想的なコンテンツであっても、NHKは定められbた金額を支払えば貸出に同意しなければならない様な規約を作るのだ。
もちろん、そういったものの権利関係はNHKだけが持っている訳ではないにせよ、このように規定することで使いやすくなる。
こうして公開されたコンテンツを使い、少しでも国内のコンテンツビジネスを延命することが今求められている。
NHKオンデマンドというサービスがあるが、このサービスは民放の映像配信より早く始まっている。
民放がいつまでたっても映像コンテンツ配信を始めないため、NHKは民業を圧迫しないという観点から、スタートできなかった。
こえがなぜスタートできたかというと、しびれを切らした政治家が介入したためで、例外的な動きだが、実はこれも裏があり、NHKは配信システムの構築にIIJと組んだのだが、開発費の名目で膨大な発注をし、その成果物を他に流用することに合意した。
そこで民歩は、IIJとNHKと開発した配信プラットフォームを応用してスムーズにサービスを始めることができたと言う経緯がある。
今回のNHKの動きもそうだ。NHKの配信プラットフォームは、技術選択が王道的で筋が良い。
例えば配信には妙な独自のものを使わず、素直にMPEG-DASHをつかっていたり、AWSとAzureとOracleと言うマルチプラットフォームに国内映像配信CDNを組み合わせていたりと良い事例になっている。
レベルが低い方が、俺たちに会わせろと足を引っ張るのではなく、膨大な資金力で作った成果を俺たちにも使わせろ、と言うスタンスの方が業界が発展する。
各社、AIに学習されないように防護を始めているようだが、NHKについては逆にAIに積極的に学習させよ、データを差し出せと迫るべきだ
そうすることによって、各社は自社が用いるAIに、報道や番組制作に必要な基礎的なノウハウを喰わせることができる。
主に「プロスポーツとして良いところ」である。野球は面白いぞ!
https://anond.hatelabo.jp/20250916184618
●どんな強いチームでも10回やれば4回は負け、どんな弱いチームでも10回やれば4回は勝つ。
個の力によるところが大きいので誰かが爆発すればチーム総合力で劣ってても勝てる試合があるということ。
じゃあ運かというとそうでもなく、100試合やると総合力が如実に出てくる。
5勝5敗の対戦成績がひとつひっくり返るだけで最下位と優勝に運命がわかれるのだ。
●今どんな弱いチームでも数年待てば優勝争いしたりする。
これはドラフトの恩恵が大きい。世界の多くの野球リーグではドラフトが行われ強い選手が最弱チームに入団なんてことも当然ある。
選手の移籍もFAとるまで長いので財力あるチームに一極集中とかが起きにくい。
ビッグクラブができにくく、FAとった選手も比較的自由にチーム選択でき、それが戦力均衡につながる良い循環がある。
「そのうち強くなるから」と信じててもいっこうに強くならないチームもあったりして(暗黒阪神、横浜、中日、ロッテ、広島、オリなど)、それはそれでネタになるし逆説的に面白い。
●弱いチームでも寂しくない。
ファン目線:いや本当はさみしいが。しかしいい選手が出てきたときに「いずれ強いチームへ巣立っていくんだなあ。移籍金で誰を獲得しようか」などとちょっぴり切ない思いをせずにすむ。
選手目線:いや本当はさみしいとは思うが。しかし弱いチームでキャリアを過ごしても個人成績さえよければ一流選手の仲間入りできる。生涯一度の優勝経験もない一流選手もたくさんいる。後述する「スタッツが豊富なスポーツ」という特性が大きいと思う。
余談だが、だから野球に下部リーグはいらないと思う。さすがに下部リーグでの記録は記録とみなされないだろうから、降格したらいい選手はみんな出て行きたがるだろう。すごい生涯スタッツを積み上げつつある選手が下部リーグで記録断絶してしまうのなんか誰もみたくない。(なお今は上部リーグ(MLBのことな)にチャレンジして通算記録に傷をつける選手がたくさんいる模様。しかしこれは挑戦の結果なので仕方ない。皆応援している)
野球批判でよくあるのが「実際プレーしてる時間少なくね?」ってのがあるが、俺個人はこれがむしろ好き。
プレーしてない時間に飯食ったりトイレ行ったりできるし、レオザみたいに早口にならずともひとつひとつのプレーをのんびり論評できたりする(サッカーも好きだけどな)。
風呂上がって戻ってきたら逆転されてたとかめったにないからへーきへーき(泣)。
●大逆転が起きやすい
3点、4点の逆転はざら。今日もドジャースが4点差逆転負けしたばかりだ。前年度ワールドチャンピオンで今年も首位なのに。大谷降板した瞬間に6点取られててワロタ。でも8回2点とっておいついて、でも9回3点とられて負けた。こういうことが普通にある。ファンはたまったものではない。
なんなら9回の1イニングでそういうことが起きる。
●球場ですら飯買いに行ったりトイレ行ったりしながらまったり見れる
球場グルメも楽しみの一つ。酒のんで飯食って友達とおしゃべりしながら見るのもよし、ひとりでぼーっと見るのもよし。
長時間の飲み食いで客単価も高いはずなのでビジネス的にもおいしいんじゃないか?
●後追い視聴しやすい
ライブ視聴できない日も多いが、結果をチェックせず帰宅してフル視聴を開始するとする。
このとき10秒スキップ=おおよそ投手が1球投げるタイミングになる。
ランナー出たときは20秒スキップ。緊迫した場面なら30秒スキップ。
これで超時短視聴を可能としつつ、ほぼすべてのインプレーを楽しめる(たまにスキップしすぎて「ホームラーン!」みたいなとこに飛んでしまうこともあるが)。
俺はこれを応用し、あえて試合開始後1時間くらい経ってから視聴を開始することもある。
●テキストでも楽しめる
野球はひとつひとつのプレーがかなり詳細にテキスト情報化できるスポーツなので、テキストでもかなり楽しめる。
俺がよくやるのはスコアを手で隠し、1回表から順に手をずらして点数を見ていき、得点したり失点したりするたびに発狂するという楽しみ方である。
なんなら1打席ごとに同じようにしてもいい。めちゃくちゃライブ感があって楽しいし10分で終わる。
注意点として、速報サイトを開くとスコアがドーンと表示される場合が多いので、結果を見てしまわぬよう手で隠しつつ薄目で操作し、当該ページまでのリンクを辿ること。
慣れてないと意外とこれが難しいのだ。
たまりませんねー。
●記録が楽しい
ただでさえスタッツが豊富なのに、最近はセイバーメトリクスという統計学的な分析手法も発達してきて、より深く楽しめるようになってきた。
試合一切見ずに(いや見るが)数字だけ見てて楽しいスポーツってのも珍しい。
バッターボックスないしピッチャーマウンドに立っているときはどんな選手でも主人公になれるのだ。
そのぶんダメだったときは晒されることになるがそれも一興である。
●いちおう野球の悪いところも挙げておこう
だいたい野球の良いところの裏返しになるが。
降格がないので、降格争いのドキドキ感がない。弱いチームのファンはシーズン後半(場合によっては中盤から)モチベ失いがち。
試合がダラダラ長すぎ
ルールが複雑
日本ではチーム数が少なく「おらが街のチーム」感が薄い
同じ理由で他スポファンから見れば「しょっちゅう同じチームとやってんなー」感は否めない(交流戦で多少緩和)
日本のポストシーズン(CS)は6チーム中3位に入れば進出でき、日本一の称号すら狙える。おいおい。今年のセ・リーグは負け越しチームのCS出場が実現しそうである(たまにある)。
世界的メジャースポーツではない(北中米、東アジアくらい? WBCがんばれ)。このことを思うとき、野球ファンは「でもアメフトはもっとガラパゴススポーツだから」と心を慰める。
皇太子の成年式は母親が敬語で語りかけててずいぶん他人行儀な家族だなと思った。
皇室といえども家族。なんだけどもしかして寝るときとかお父さんと一緒じゃないのかな。
昔なら平民と支配階級等の生活は完全に隔絶していて、お互い自分たちの生活が当然と思っているから子供も何の疑問も思わずその様式を受け継いでいくのだろうけど、
今はSNSもあるしさすがに生活様式ガラパゴスってままではいられないんじゃないの。つまりどうしても子供が自分の家庭があきらかに普通と違う疑問に思うきっかけはあると思う。
もちろん皇室という点で普通と違うのは当たり前ということは受け入れたうえで「親と一緒に暮らせないのは時代錯誤じゃないの?」って考えが浮かぶものじゃないのかなあ。
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ブチ切れてわめかれるか煽られまくるかって感じだったから
みたいなサッカーだと当たり前の議論をそもそもよっぽどのことがない限りできない
って状況だったけど
今は今で
代表戦で勝てなくて何が悪いの?あんなに頑張ってくれた侍をディスるの?」
っ感じにガラパゴスプロ野球やガラパゴス技術論に大喜びしてるファンばっかになって、まるで今の日本国みたいなことになってる
大谷の出現も、低レベルのなかにあってイチローのような突然変異選手が出現したのと似てるし、
「新幹線は居酒屋じゃねー!」大宴会を始めるオジオバ軍団。超混雑する夏の新幹線で起きていること【専門家解説】
https://news.yahoo.co.jp/articles/3029a3c3b4fbb256f31f17be53d0e4d266a0ed91
https://forzastyle.com/articles/-/75443
しかし、酒飲むな、うるさくするな、たこ焼きは臭うから禁止、肉まん禁止、で静かな車内で子供は大人しくしろってのもなんだかなあ。
バス、電車の中では静かにしましょう、は明治頃から言われてたみたいだし、令和もそうだけど、昭和の長距離列車はそうでもなかった。
2000年ころには電車内での携帯電話の通話禁止がマナーになってたけど、諸外国は普通に電車内で通話してる時代だったらしい。
なんなら外国は今もそうなんじゃないの、外国人観光客見てると。
2022年、時価総額世界ランカーのアリババのジャック・マーが東京に住み始めた。
同じ年、登録者1億人越えのトップユーチューバー、ピューディーパイが東京に住み始めた。
これらの世界的な本当の有名人、本当の富裕層がに移住先として日本を選ぶようになったのはビザ要件の緩和と土地・住居購入が容易なのが理由なわけだが。
長年、ガラパゴス・ジャパンのローカルシティだった東京が、近年ようやくNY、ロンドンなどと同列のグローバルシティになろうとしている。
それなのに規制増やして、移住のハードル上げて、有能な外国人に選ばれない国にした先に、日本の未来はあるのか?
どこの国も自国に投資を呼び込もうと必死にやってる中で、逆行する政策やって本当に経済大丈夫なのか?
仰々しい題名を付けた。
書きたいことはそのまま。
日本語の衰退が怖い。まんま。
最近、色々な場所で外来語(という呼称が正しいのかは分からないが)を見かける。
例えば時事ネタで言えば某政党の「日本人ファースト」など。あえて外来語の呼び方を使うようなそういうやつ。アレが怖い。饅頭的怖い的な意味ではなく。
他でいえばマッチングアプリなどは最たる例かと思う。本質は古からある出会い系サイトと同じだが、それまでのイメージを一新、または払拭するために外来語を混ぜた呼び名があえて使われ、それが功を奏した。
出会い系サイト…というと昔は忌避されていた印象があるが、今の若者でマッチングアプリを使ったことがない人はごく少数になりつつあるだろう。
(現代、インターネットが現実の延長となり、とても身近な存在になったことも勿論影響しているだろうが)
それらが日本語の言葉遊びでは無くて、英語等の翻訳だから怖いのだ。
一度成り代わった言葉、一度定着してしまった言葉はそうそう入れ替わらない…ように思う。
かくいう自分もイメージという、画像や想像という意味では無く、ぼんやりとした意味を持つ、外来語を使ってしまっている。
他にも暮らしの中で言えばリビング、キッチン、ハンガー。ビジネス関連でいえばアジェンダ、アサイン、シナジー…。(調べると元は英語じゃない表現もいくつかあった)
日本語として言い換えは出来る…がしかし、言葉として使う時に口から出てくるのは、以上に挙げたような言葉ではないだろうか。対して今はそうでないカタカナ言葉も沢山あるだろう。
ちょっと外国に被れて、使ってるだけの人だって少なからず居るはずだ。直接表現するのは憚られるから、印象を和らげるために、とか。
なんならお洒落だし、とか。
そんな軽い気持ちで。
良くないね。
非常に良くない流れだ。
つまり何が言いたいかというと、日本語がもっと大切に扱われて欲しい、ということだ。
カタカナで和訳された外来語も、日本人しか読めない、かつ、ちゃっかり日本語発音なので、日本人による日本人の為の言い換えでしかない。
でも同じように、その直前にあった呼び名は日本人の日本語話者にしか扱えない言葉である、と自分は思う。
当方は法律関連の勉強をしている身分なのだが、法律の条文の解説書にイニシアチブとかいった表現が出てきた時はとかなりイラッとしてしまった。
そういうのが多い。
多すぎる。
言葉の意味や細かな表現が移り変るのはごく自然なことだと思う。言葉ってそういうもんだし。
当たり前だ。そういうもんだ。
そういうもんだよね。
自分達が使わなくなれば誰も使わない。外来語をカタカナにしたって意味が無いんだ。
細かい言葉の意味の違いが翻訳では伝わらないことも、いかに言語を他の言語で代替することがあやふやで複雑であるかを表してるように自分は思う。
言葉とは色眼鏡だ。他の言語を通すと見える世界が変わる。なんかの本で読んだ。
「ある思想家は言った」
「人は国に住むのではない 国語に住むのだ」
スカルフェイスというより、これはエミール・ミハイ・シオランっていうルーマニアの思想家の言葉が元ネタだけど。
しかしさっきも書いた通りだ。言葉は移り変っていく。そういうものだ。言ってしまえば外来語だから駄目なんて決まりもない。和製英語とかあるし。
じゃあどこまで良くてここからは駄目、とか、線引きなんて誰にも出来ないだろうし。
こうやって少しずつ、日本語らしい日本語が失われていくんじゃないかと。
でも皆そんなことに関心が無い。
大きい企業は商品名自体を英語にしちゃってるし。SNSの広報は当たり前のようにカタカナ英語を使ってPRをしてしまうし。お洒落かグローバリズムかなんだか意図は知らないけど。
それが一番怖いね。
そんなこと考えてたら寝れなくなって朝っぱらからこの記事を書いてるよ。この不安を拭えるような書籍とか言語学者の見地とかあったら教えて欲しい。
ただの一般人だから、何にも分からないから怖いだけなのかもしれないし。日本語らしい日本語の定義ってなんだよ、って我ながら思うよ。
でも、それが当たり前になって、いつか自分の愛した言葉達まで淘汰されてしまうかもしないって思うと、やっぱり怖い。
やがて平仮名や漢字の表現や熟語は淘汰されて、和製英語でカタカナ字ばかりの、さらにガラパゴス的な進化を遂げるのかな?と思うとそれはそれで、少し面白いかもしれないけど。
つか保守派だー!とか言って叩かれそうで怖い。まあそのための匿名なんだけど。
とりあえずもっかい寝るよ。