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2025-12-13

純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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2025-12-12

anond:20251212111334

その2つを叩いてるのって後期高齢者くらいだろ

スマホが出だした時にスマホはクソ、ガラケー最高って言ってたやつと同類

実際はバンナムの売上に寄与してたはず

Permalink |記事への反応(1) | 11:28

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anond:20251212091237

ガラケー

Permalink |記事への反応(0) | 09:16

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2025-12-06

anond:20251206094656

絵文字も逆で、若者よりもむしろ年寄りチャラ男の方がルーツなのでは?ポケベルガラケー援助交際の流れ

Permalink |記事への反応(0) | 12:26

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2025-12-03

anond:20251203101152

そんなお前は、ガラケーが二つ折りになったときはどういう見方をしていたんや

(ワイは流行るとも流行らないともわからない一般人立場です)

Permalink |記事への反応(1) | 10:30

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2025-12-02

anond:20251202200425

かにISIS日本人人質とか、SEALDsとか、色々暗いニュース多かったよね

ITに関してはよく分からんけど、Windows10リリースとかあったのは覚えてる

家族みんなガラケーPCXPな当時の実家には関係なかったけど・・・

Permalink |記事への反応(0) | 20:13

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2025-11-16

anond:20251114234622

国内インターネット普及の要因にモバイル端末の普及ってのもあるが、初期〜中期の頃はガラケーかいうやつの規格によってまだ僅かにインターネットの中でも使用層が分断されていたのが最後の砦だったのかもしれない。

スマホの登場で全てのインターネットシームレスに手元から参加できるようになったことで分断されていた層が完全に流入して混沌が始まった感ある。

一応ガラケーからインターネットはできたが、特有UIや専用のサイト操作感のせいで今のブラウジングほど快適じゃなかったからそこがある程度歯止めになってたんじゃないかな。

Permalink |記事への反応(0) | 07:52

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2025-11-14

どんどんスマホやるデメリット出てくるやん

知能も集中力記憶力も下がる

なんもいいことな

親がガラケー壊れたって言うからスマホプレゼントしたわ

Permalink |記事への反応(1) | 13:42

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2025-11-11

ありがとうKAT-TUNオタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re:Re:Re:Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

Permalink |記事への反応(0) | 08:33

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ありがとうKAT-TUNオタクより

18歳だった。子どもの頃から筋金入りのおたく少年ジャンプがなによりも楽しみで二次元男の子たちのかっこよさに安心して興奮してた。

受験頑張ってそれなりの大学に入ったか大学デビューしてみるかと思って色々頑張ったけれど、学籍番号が近くて最初にできた友達自分同様一皮剥けようと頑張ってるオタクで、やっぱりどうしてもオタクといるのが楽しくて楽しくて上京してきたその子が暮らす西武新宿線の家に入り浸っていた。

無限時間を生きていた私たちにとってのいちばん問題は某スポーツ漫画激推ししていたキャラの登場頻度が激減したことで、あまりさびしいさびしすぎると嘆きながら毎朝五時までジャンプを模写していた。楽しくて楽しくて仕方がないのに某スポーツ漫画で味わったような衝撃をもう一度、人生であと一度だけでいいから味わいたいという若さ特有飢餓感の中にいた。もうあんな衝撃はないんじゃないか若さ特有の悲観に囚われ始めた、そんなときにその子が見つけたのが彼らだった。

ごくせん2っていうドラマに出てる子達、二人ともホストみたいだけどなんか気になる。見てみてほしい。

えー人間じゃんと思った。ずっと二次元に向けてきたもの人間に向けるという発想がなかったし、高校にいた癖の強いジャニオタが頭に浮かんであんまり気が進まなかったが、友達と一緒になにかにまれたら良いなと思ってテレビをつけてみた。

ふんふん、面白いじゃん、へえ、かっこいい。なんか顔が似てるなこの二人。ヤンキーもの漫画っぽくて嫌いじゃない。なんかアングラ感ある店でバイトする高校生か、悪くない。

デゴイチノーモアクライが流れる中、仏頂面の小田切が投稿してくる。集団を引き連れそれを迎える矢吹「久しぶり、今更なに? 俺まだお前のこと許してないんだけど」見開かれる目、暴力の気配、小田切の頬を打つ矢吹の拳。

自分が殴られたような気分だった。

「なにあれ、なにあれ、なにあれ!!」

当時はガラケーだった。友達に速攻メールした。即返信あり。言語化できない興奮。無限に連なっていくRe:Re:Re:Re:Re:Re:

次の夜には西武柳沢にいた。なにもわからYouTubeの荒い動画あさり離さないで愛に行きつき、ハルカナ約束に行きつき、ボニーバタフライに行きつき、バイト代ぜんぶ注ぎ込んで横アリチケット買った。予習はした。お客様サマーも見た。こんなに人気なのにCDがまだなくて「デビュー前」なのがどういうことなのか意味がわかってなかった。ほんとうになにもわかってなかった。ヤフオクで競り落としたよからチケットを握りしめて会場に行った。嫌われ者のごく出新規だったが、それでも生まれて初めての横浜アリーナ階段を、自分たちの席を探しておりていったとき光景を一生忘れられない。

私たちは順調に転がり落ちていった。ファンクラブに入った。バイトの鬼になった。たくさん申し込んで金欠になって外れて返金で首の皮一枚繋がるサイクル。

つのまにか箱推しになっていた。神サマーベストフレンドでうえぷのこと大好きになって横アリ中丸夢になって田中聖ラップすごくない?ってなって教習所で再会した同小の子布教により田口のこと大好きになった。ニューヨーク写真集で6人が踏んだ土踏んでみたくてバイト代貯めてニューヨークに行った。写真集を見たお母さんが言ってくれた言葉が忘れられない。例えばこんな子たちが飛行機にいたら、綺麗だなってびっくりするわよ。

自分の手柄でもなんでもない誇らしかった。推しが素晴らしいと誇らしいんだという最初気づきだった。これまで想像してきたジャニーズから逸脱しているように見える規格外グループ出会たこと、そのファンであることが、自分にとっての新しいアイデンティティだった。私たちジャニオタなんだ、って友達と定期的に言い合っておどろいていたけれど振り返ると私はKAT-TUNオタクだった。他のグループコンサートにもだんだん行くようになったし遠征もしたけどKAT-TUNほどに心を揺さぶってくる人たちはいなかった。

この無敵のように浮かれた期間は短かったはずだ。赤西留学によりブレーキがかかったから、ほんとうに短い。それからもいろんなことがありすぎた。アイドルってこんなふうになるもんなの? これがジャニーズなの?って思ったけれど、アイドルらしくなくジャニーズらしくない人たちにハマる手数料みたいなものなのだとしたら案外釣り合いがとれるのかもしれない。

でもけっきょく、KAT-TUNを好きでどんな日々だったか振り返ろうとするといつだって同じ景色が見える。あの横アリ階段をもうすぐあえると思いながら降りていったときのことをいちばん覚えている。

あれから20年経って大人すぎるくらい大人になり、良くも悪くも人生はいろんな衝撃があると知ったけれど、18歳の自分を襲ったあの衝撃がうすれることはない。

あのころのように新しい衝撃を渇望するだけの元気はもうないけれど、生きていたら同じくらいの衝撃が襲ってくるかもと期待する気持ちがどこかにある。

殴打音と共に、舌打ちと共に、あのとき過分な衝撃を与えてもらったからだ。彼らのおかげで私は18歳のころから、期待しながら生きられている。

ありがとうKAT-TUN。次の衝撃があなたたちによるものであればよいと願わずはいられないけれど、どっちにしたってあなたたちを追いかけた青春がこの先の道を照らしている。

 

Permalink |記事への反応(0) | 08:33

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2025-11-10

「生成AI使用されなくなる未来」はちょっと考えられない

それは「PCが普及せずワープロが主流の世界」とか「スマホ流行らずガラケーが隆盛した世界」並のフィクション思考実験としてはありかもしれないが、一度開いた技術の扉が閉じることはない

Permalink |記事への反応(1) | 13:28

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2025-11-07

://b.hatena.ne.jp/entry/4778579283090471713/comment/i_ko10mi

ガラケー生産終了でスマホデビューし同時にネットデビューしたような中高年のリテラシーの低さを舐めちゃいけない。手書き活字になっただけで信じ込む層も内包してるんだぜ…?

まれときからスマホがあるデジタルネイティブ世代も見事に陰謀論に染まってるので、陰謀論に染まりやすいかどうかは、ITリテラシーとは関係ないっぽいよ。

情報リテラシー教育必要なんだけど、国主導でやっても信用されるかどうか、難しいね

Permalink |記事への反応(0) | 12:29

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2025-11-06

LINE非表示リストに入れていた

友達は多いわけではないのだが、何人かは当然いる。

連絡をとるわけではないが、一応LINE友達リストには入っている人はいるわけよ。

高校時代友達を除いて(´・ω・`)

高校卒業してから実際に対面で会ったことはない。

在学中には当然ながらLINEなんかなくガラケーメールしていた時期だ。

mixiにとうとう最後まで招待されなかったくらいだからLINE友達登録されなかったのも仕方ないのかなと思っていた。番号ポータビリティは在学中に導入されていた気がするけど、携帯電話の番号を変えたのだろうし、その際に縁を切られたのだろうと思った。

で、今日の話なんですが、LINE友達非表示リストに数人いたのですわー┻⁠━⁠┻⁠︵⁠└⁠(⁠՞⁠▽⁠՞⁠ ⁠└⁠)

なんか心が荒んでいるときに入れたらしいわー

あれれ〜、おっかしいぞォ~?

でも、いい機会だと思って連絡先の同期をしても前職のスーパーバイザー的な人しか新たに登録されなかった。

新たに高校時代友達登録されなかったよಠ⁠◡⁠ಠ

Permalink |記事への反応(0) | 13:31

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2025-11-05

anond:20251105060239

日本自動車産業ガソリン車と心中させるべきではない

コダックガラケーメーカーの轍を踏むべきではない

Permalink |記事への反応(0) | 17:09

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2025-11-03

anond:20251103102348

ガラケー時代、機種代金無料どころか、お金もらえるまであったのに

Permalink |記事への反応(0) | 10:26

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2025-10-30

とある写真家について

三日画師さんという風景写真家がいる。

写真のことは完全に素人だが、どの写真も「いい…」としか言いようがない。

とりあえずflickrを見てほしい。膨大な枚数が丁寧にソートされており、見やすからも本人の仕事几帳面さが窺える。

https://www.flickr.com/people/mikkagashi/

三日画師さんを知ったのは通っていた大学の最寄り駅で大規模な再開発があり、その頃の風景が失われてしまったのがきっかけだった。

当時ガラケーだったのもあり写真が手元に全く無いことに気が付き、せめて気持ちだけでもと検索したところでたまたま三日画師さんのアルバムを見つけた。

しかもまさに自分が通っていた時代写真が大量にアップされていたのも驚いた。

その後flickrにアップされている写真はほぼ閲覧した。どの写真も凝りに凝った一枚というよりも、そこに住んでいる人の目に入っているであろう風景ありのまま撮影されている。三日画師さんとは生活エリアが近いようで、いくらでも見たことがある光景が出てくる(そしてもう見れない。ほとんど何かしらの再開発が入っているから)。

残念ながら三日画師さんのアカウントは長らく更新がない。twitterアカウント検査入院の報告で止まっている。それでもこの誰かの心象風景ときっと重なるであろう貴重な写真インターネットに埋もれていってしまうのが惜しいので、ひっそりとここにアップしておきたい。

Permalink |記事への反応(1) | 13:48

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2025-10-28

秋田駅前はガチで誰もいない

ガラケー時代、事前になんも調べずに行ってきりたんぽ食えるところを見つけるのに1時間かかった

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

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最近思い出すこと。

もう15年ほど前のことになるけれども、サークルの後輩2人のことを、最近よく思い出す。

単純に、子ども保育園の送迎途中で、学生時代に行ったラブホテルの近くを通るからだと思う。

それまで意識することはなかったのだけれども、どこぞの市長ラブホテル騒動からふと意識するようになって。

 

経緯はさておき、思い出すのは、自分から見て1学年後輩の石田君と、2学年後輩の渡辺さん。

石田君は頼れるリーダー格で、次の部長間違いなしという感じだった。

計画を立てるのがうまいし、リードするのもうまいし、今ならシゴデキって評価されるタイプだと思う。

ただ、ちょっと不器用そうなところがあって、イケメンタイプではなかった。

 

渡辺さんが超絶肉食系女子で、食い散らかしていた。そんなことを知ってから知らずか、石田君が渡辺さんに惚れた。

渡辺さんはメンヘラではないけれども、今なら性依存症と言われるんじゃないだろうかと思うくらいに人肌に飢えている人だった。

 

渡辺さんには同じ学部学科彼氏がいたけれども、だんだん倦怠期突入

そのタイミング石田君は渡辺さんに猛烈なアプローチしかし、渡辺さんは靡かずサークル内で別に彼氏(初代)を作った。

その後も、石田君は渡辺さんにやさしくしつつ、渡辺さんはサークル内で彼氏(初代)と懇意愚痴聞き役だけ石田君。

渡辺さんは彼氏(二代目)、彼氏(三代目)、彼氏(三代目・復権)を経て、それでも石田君は彼氏になれず。

 

そんなある日、何となく渡辺さんと深夜にドライブに行っていたら、石田からアプローチをかけられている件について相談された。

曰く、石田君ではイケメン度合いが足りないか相手として微妙らしい。ちなみに僕はOKだと。

からは「じゃあ、振る口実に僕と付き合ってることにすればよいよ!」と軽々しく提案し、渡辺さんは大爆笑

その案は採択され、渡辺さんは石田君に「僕さんと付き合うことにしたからナシ!」とメールした。

けれども石田君は「嘘でしょう?」と取り合わず

 

渡辺さんが助手席メールを読み上げつつ、僕が返信メール提案しつつ、当時のガラケー爆速で返信合戦

そんななか、ちょうどラブホテルの前を通ったので、あきらかにラブホテルと分かる写真を送り付けて諦めさせることになった。

駐車、入館、入室、入浴、その他諸々、「それと分かる」けれど「もちろん映ってない」という写真を撮って送った。

お酒を飲んでいるわけでもないのに何か盛り上がってしまい、渡辺さんと二人ゲラゲラ笑いながら写真を撮って、送信

 

行き過ぎた遊びをした結果、そのあと石田君の心が折れてしまった。

若干、申し訳ないことをしたと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 00:35

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2025-10-27

anond:20251027171121

ガラケー思い出した

Permalink |記事への反応(0) | 17:12

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2025-10-21

5時夢月曜最新回で「昭和生まれへの誤解」というテーマで話してたが

「全員が戦争経験者」って思ってる奴は、小学校卒業したのか?第二次世界大戦が何年に終わったかからないってことだよな?悲惨だ。教育の敗退

「全員バブル時代恩恵を受けた」って思ってる奴も同様。バブル崩壊が何年か、中学歴史教科書には書いてある筈(小学校は知らん)

ガラケーワープロなど古い機械しか使えない」って…寧ろ家庭用PC使い始めた世代だが。昭和40年代初頭生まれだと仕事紙テープパンチした記録媒体とか使ってる人とか居て、そっから現代的なPCへの移行、並びにインターネット黎明期から現代に至る進化経験している生き字引だろが。そういうタイプレアだとしても、団塊ジュニアくらいだとPC使うの当たり前、そのちょっと後だと学校で授業あり。そして勿論現在スマホを使っている。というか。きょうび、老人施設に居る老人ですらスマホタブレット使うだろ。お前らの爺婆も使ってるだろうが

昭和生まれ同士に世代ギャップは無い」わけない。ギャップは数年で生まれる。「伊沢みなみかわのクイズに出ない世界」という番組でここ数回「平成クイズ」をやっていた。平成まれパネラーの3人の中でもギャップが生まれているのがつぶさにわかる内容だった

昭和は63年と一週間もあるんだぞ?50年前の世界現在がどれだけ違うか考えてみろっての。昭和だけ60数年間同じ世界なわけないだろが。思考停止しとんのか。というか釣りか?ネタ?

Permalink |記事への反応(0) | 20:03

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2025-10-19

親が詐欺に引っかかりまくって困っている

私30前半、東京、家庭あり

父60後半、地方暮らし。60前後の母と同居

最初騒動は数年前に黙って新築ワンルームマンション複数ローンを組んで購入していたことが発覚したときだった

家族特に母)に相談せずに購入。

しかもよりによって

不動産界隈で1番やめとけと言われている新築ワンルームマンション

少しググったりYouTubeで調べたら分かるのに、まんまと営業にのせられて購入。60前後なのに、合計5000万弱のローン。

発覚して母の怒り爆発。

そして数年後、1度目の詐欺に引っかかる。

インターネット広告か何かで詐欺師のLINEグループに入れられる。

架空仮想通貨取引をしているかのように見せるスマホアプリを入れさせられ、

たかも、仮想通貨で数百万の利益がでているかのように洗脳される。

利益を引き出すために、保証金こちらの口座に入金してください。」

契約書も結んでいない、会ったこともない相手に、振り込んだら戻ってくると本気で思ったらしく、約500万を分散して振り込み。

詐欺師と違う名前個人名義の口座に数百万ずつ振り込んでいた。

※おそらく詐欺師は不正に売買された個人名義の口座を大量にもっていて、リスク分散のために複数に分けさせている

やばいのが、母の資産NISA口座で200万程度を父が代わりに運用していたのだが、それもすべて売却して詐欺師の口座に突っ込んでいた。

また、手元に資金がなかったのか借金で数百万借りていた。

「3000万円ほど必要から不動産を売却しようと思ってる」

私にそのような相談が来て発覚。

どうやらその後詐欺師が要求する金額エスカレートし、3000万円保証金を振り込めば、お金が戻ると思い込んでいたらしい。

絶対カモだと思われている。

警察通報&被害届を出した。

不動産も私が介入して相見積もりをとり、1番高く買ってくれる会社に売却。

不幸中の幸いで利益が少し出たので、借金返済と母の資産返済に当てた。

そして翌年の今年、つい先日。

またまったく同じ手法詐欺に引っかかり、LINE経由で洗脳され、200万程度を振り込んだいたことが発覚。

そして、昨年被害届を出した詐欺師にまた追加で300万くらい振り込んだらしい。

追加の借金も発覚。

本人は詐欺じゃなくてちゃんとした会社の、ネットバイトを手伝っている、と主張していて、本気で騙されたと思ってない。

すぐ警察署に行かせて相談させたら、やはり詐欺だったので被害届を提出。

なんか、もう呆れて今後のことを考えると本当に頭が痛い。

普通こんなに引っかかるものなのか??

調べていくうちに、初期の認知症なのではないか、と思った。そして、成年後見人という制度を知る。

これは、高齢者障害をもっていて自分で決められない人のために、親族が代わりに、口座やクレカなどの手続き権限を持てる制度だ。

とりあえずこれを進めるしかない。振り込める権限を本人から無くして、LINEスマホを解約。

ガラケー現金生活してもらわないともう防げないと思った。

そして母のケアもしなければならない。多分離婚になると思う。

認知症というのがどこまで理由になるかわからないけど、たとえ認知症であれ、自分資産を取られるリスクがあり、相談せずに騙される人と一緒にいるのは相当ストレスだと思う。

みなさんのまわりで似たような話があれば、どう対処されているか、教えてもらえるとうれしいです。

東京地方なのですぐ帰れない、なにかの兆候にも気づけない。それも悩んでます

あとこの話はまわりの身近な人に相談ができない。

Permalink |記事への反応(1) | 02:37

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2025-10-17

anond:20251017110736

「これは(スマホですがデータSIMしか入れていないため実質的には)タブレット(とも言えなくもない)です。(よって)私はスマホは持って(いるけれども、スマホとして使える状態ではあり)ません、(電話として持っているのは)未だにガラケーです」

って言いたいんじゃない?言葉足らずにもほどがあるけど。

Permalink |記事への反応(0) | 11:13

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スマホデータオンリーSIM入れて、これはタブレットです。私はスマホは持ってません、未だにガラケーですって言ってる偏屈野郎会社にいておもしろい。

しかSMS認証できないから、LINEとか決済系とか使用用途限られるのか?なら理屈通りそうだけど。

とりあえず面倒くさいから、そういう大きさのタブレットもあるんですねーって済ませておいた。

Permalink |記事への反応(2) | 11:07

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2025-10-16

anond:20251016222628

でもガラケーと違ってゲーム機は売れてますよね

Permalink |記事への反応(0) | 22:31

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anond:20251016221444

いつまでもガラケー使ってた人と同じ理由

Permalink |記事への反応(1) | 22:26

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