
はてなキーワード:カヴァとは
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
所謂いわゆる「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。
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第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。
また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。
それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子ししよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。
自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、
「それあ、葉ちゃん、似合わない」
と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。
自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。
いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。
「葉蔵は?」
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。
自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、
「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」
欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。
「本が、いいでしょう」
長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか」
父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。
何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。
そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。
「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」
また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。
自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談、講談、落語、江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。
自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22
とても興味深い哲学ですね。
これらの考え方は、東洋的な、特に禅や道教的な思想の香りがしますが、ユダヤ教的視点からも、それぞれに対して意味深い対話が可能です。
それでは、ユダヤ教の教えと照らし合わせながら、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。
ユダヤ教では「努力(עמל, amal)」は非常に高く評価されます。
トーラーの学び、ミツヴォット(戒律)の実践、日々の仕事や家庭生活においても、人は「שותף עם ה'"(神との共同作業者)とされます。
ただし、「努力の方向性」が重要です。もし努力が他者を傷つける結果になるなら、それは「正しい努力」ではありません。
よって、「無理な努力が害を生む」という懸念は理解できますが、完全に努力を否定することはユダヤ教とは相容れません。
これは「עין טובה(アイン・トォヴァ)」=「良い目を持つこと」に通じます。
ユダヤ教では、自分の持っているものに感謝し、他人の持つものに嫉妬しないことが理想とされます(Pirkei Avot 4:1「誰が金持ちか?自分の分に満足する人」)。
評価や承認に執着しすぎることは、「ガアヴァー(傲慢)」の一形態とみなされ、警戒されます。
『箴言』(Mishlei)によれば、「愚か者は口数が多い」とあります(Mishlei10:19)。
ユダヤ教では、沈黙を守ること、謙虚さを持つことが賢者のしるしです。
つまりこの哲学は、非常にタルムーディック(タルムード的)な精神に近いです。
ラビ・ヒレルの言葉:「あなたが嫌なことを、他人にするな。それがトーラー全体であり、あとはその解説である」(Talmud Bavli, Shabbat 31a)。
シャバットは「何もしないこと」の聖なる実践であり、「being」ではなく「doing」を止める時間です。
心静かに神の創造を味わい、存在するだけの喜びを感じる——これはシャバットの核心です。
ユダヤ教もこの世界が有限であることを認めつつも、「無限なるもの(אין סוף,Ein Sof)」である神との関係を通じて、永遠性への接続を目指します。
ユダヤ教でも、人との比較や競争に執着するのは危険とされます。
『伝道の書(コヘレト)』には、「風を追うようなものだ(רְעוּת רוּחַ)」という表現があります(コヘレト 1:14)。
人生の多くの営みが虚無に感じられるという哲学的な問いに、ユダヤ教も深く向き合っています。
これは再び『Pirkei Avot』4:1の教えと一致します。
「איזהו עשיר? השמח בחלקו」—「誰が金持ちか?自分の持っているもので満足する人」です。完璧な一致!
「物に執着しすぎると霊性が曇る」との教えはユダヤ神秘主義(カバラ)にも見られます。
神殿時代の大祭司(コーヘン・ガドル)は、シンプルな装いで神と向き合いました。余計な物は心の雑音となりえます。
この精神も、ユダヤ教の「カヴァナー(כוונה)」=「意図を持って行う」ことと響き合います。
すべての行いに神聖さを見出すというのは、ユダヤ教の根本精神です。
祈りの前に手を洗う(נטילת ידיים)、食事の前に祝福を唱える(ברכה)なども、この意識の表れです。
総合的に見ると、これらの哲学の多くは、ユダヤ教の倫理・霊性と非常に親和性があります。
まさに「חכמה בגויים תאמין」(異邦人の中にも知恵がある、それを信じなさい)というタルムードの教えの実例ですね。
Q: ある本で、聴覚的、情報的、内部的な静寂から空白を手に入れることの重要性が語られていましたが、これはユダヤ教から見ると何を意味するでしょうか?
ユダヤ教の視点から見ると、「静寂」や「空白(スペース)」は、精神的な成長、神とのつながり、そして真の理解のために非常に重要な概念です。この考え方は、多くのユダヤ教の伝統や教えに根ざしています。
タルムード(アボット 1:17)には、「賢者の美徳は沈黙である」とあります。
これは、単に話さないことではなく、内面的な沈黙、つまり心の雑音を抑えることを指します。
日常生活では、情報や音に溢れており、私たちの思考は絶え間なく動き続けています。
しかし、真に大切なことを理解するには、内面的な静寂を作り出す必要があります。
ユダヤ教には「しなければならない戒律(ミズヴァ・タセー, מצוות עשה)」と「してはならない戒律(ミズヴァ・ロー・タセー, מצוות לא תעשה)」の二種類があります。
面白いことに、静寂は「何もしない」ように見えて、実は積極的な行為でもあります。
たとえば、「シェマー(שמע ישראל)」の祈りは、聞くことを強調しています。
「シェマー」は「聞け」という意味ですが、ここには単に音を聞くだけでなく、心を静かにして神の声に耳を傾けるという深い意味が含まれています。
ユダヤ教では、シャバット(שבת)は単なる「休息」ではなく、神聖な空白を作り出す時間です。
六日間の創造の後、神が「休んだ(ヴァヤナフ, וַיָּנַח)」とあるように、人間も週に一度、情報や雑音から距離を置き、精神的な静寂を持つことで神との関係を深めます。
この空白の時間によって、私たちは創造性や新しい視点を得ることができるのです。
心が雑音で満たされていると、祈りがただの言葉の羅列になってしまいます。
ラビ・ナフマン・オブ・ブレスロフ(רבי נחמן מברסלב)は、しばしば「ヒットボーデドゥート(התבודדות,孤独な対話)」の実践を勧めました。
これは、自然の中で一人になり、静かに神と語り合うことです。この静寂こそが、魂を開き、神の導きを受け取る手助けをしてくれるのです。
カバラ(ユダヤ神秘主義)では、「アイン(אין, 無)」という概念があります。
これは「何もない」という意味ではなく、可能性を秘めた空白を指します。
つまり、世界の騒音や情報を少し抑えて「無」に近づくことで、逆に神の存在をより感じることができるのです。
ユダヤ教の視点から見ると、「聴覚的、情報的、内部的な静寂」から得られる空白は、神との関係を深め、自己理解を促し、真の知恵を得るための重要なツールです。
シャバット、シェマーの祈り、カヴァナー、ヒットボーデドゥートなどの実践は、まさにこの「神聖な空白」を生み出すための方法と言えます。
つまり、静寂は「何もしない」のではなく、「すべてを受け取るための準備」なのです。😌✨
腐敗した死体が活動するもの。肉が残っていることが多い。人間以外のゾンビもいる。
アンデッドの中でもっとも映画化されており人気がある。放送コードなどの兼ね合いで服を着ていることも多い。
死体の活動を再開させる方法はいろいろある。「ゾンビに噛まれたらゾンビになる」というものが多く、その伝染性が恐怖を増幅する。
ゾンビパウダーというものが実在するとされるが仮死状態にした肉体から意識を奪っただけのものもあり、そうして作られたものは腐敗はしておらずゾンビではないのかもしれない。
人骨が活動するもの。ゾンビとの違いは肉があるかどうかくらいしかない場合が多い。広い意味ではゾンビの一種なのではないだろうか。
骨女
骨の形をした女性。生前愛した男性を訪れて戯れる。ターゲットにされた男性は骨女を骨だと認識できないようで、
美しい女性だと思って骸骨と毎晩のように絡み合う姿が他人に目撃されたりする。
中国生まれ。活動する死体という点でゾンビと似ている。が、死体が新しいので「死後硬直」のせいで動きがピョンピョンしているのが特徴。
マミー
ミイラが活動するもの。ただ乾燥した人体の場合と、包帯でぐるぐる巻きの場合がある。包帯を武器にして麻痺攻撃をしてくる。
「ミイラ男」として表現されがちだが初期のマミーは女性が多くラブロマンスの対象でもあったようで、ホラーでの登場が定番化した後も恋愛対象なマミーがたまに現れるそう。
ミイラといえば豪華な副葬品のイメージがあるが、倒した時の所持金額はそうでもないことが多い。それもそのはず、古代エジプトでは王族貴族に限らずあらゆる人や動物がミイラにされていたそうだ。
ワイト
これといってイメージが定まっていないがアンデッドとされることが多い。
語源をたどれば「人間」とか「あらゆる生物」など広い意味を持つ言葉だが、中世以降「超自然的なもの」という意味を持つようになったようだ。
ゾンビのように、「ワイトに殺されたらワイトになる」とされることも多い。
レヴナント
語源は「戻ってくる」とか「帰ってくる」といった意味を持つ。多くは蘇った死体や骨の姿。「アンデッド」の総称のように使われることもある。
倒すためには「首を切り落とす」、「聖水をかける」など作法が定められていることもある。正しく行わなければ再び「戻ってくる」のだろうか。
ドラウグ
ルーツは北欧のようだ。「顔色が悪く、無力で、頭の回転が遅く、足を引きずって歩く人」のようなものが語源らしいが、
アンデッドとしてはむしろ超人的な力を持つ凶悪な存在とされることが多い。死んだら本気出すタイプ。
レヴナントと同じくアンデッドの総称のような意味を持つことも多かったが、墓守りや守護者のような役割を与えられていることが多い。
ゾンビのような実態を持たない霊体だけの存在。肉体が別の場所にあることもある。スコットランド出身
フェッチ
その人間がもうすぐ死ぬ前兆とされるが、朝方に現れた場合はむしろ長生きする前兆とされたりする。
霊的な存在ではあるが、アンデッドとしての正体があるのか、単なる自然現象なのかは不明。
お化けや幽霊といった存在のなかでも幻影や幻、錯覚のようなあいまいさと共に語られる。
肉眼で見えなかったりする。
霊体としてのおばけといった意味を持つことが多い。
幽霊や霊に惹かれる性的倒錯のことをスペクトロフィリアと言ったりする。
首なしの騎士。首を抱えていたり首をどこかに落として探していたりする。
本来はアイルランドの妖精で、厳密にはアンデットではないとされる。
バンシー
これもアイルランド・スコットランドの妖精だが、人の死を予言して叫んで回るというイヤミな性格からアンデッド扱いされることが多い
老婆の姿をした妖精であり、バンシーの垂れたおっぱいを吸えばバンシーの養子になり、望みが叶うという。
強力なアンデッドとされ、生前の人格や能力を維持しているなどチート気味なことが多い。
優れた魔法使いが禁術でリッチになるなどの場合、回想シーン込みで3話くらい使って語られたりする。
ニンニクに弱かったり光が苦手、十字架が苦手など、どう考えても弱そうな設定モリモリであるが、基本的にイケメンであり強いとされる。
ヴァンパイアと人間との子供。普段は人間社会に溶け込んでいるがヴァンパイアを見分けることができ、
その血は吸血鬼にとっては酸のようなもので噛まれる心配がないため、ヴァンパイアハンターを稼業にするものもいる。
ヴァンパイアと違い血を飲まなければならないということはないが、飲めば寿命を延ばすことができる。
体が柔らかい。柔らかすぎて真のダンピールは骨が無いなどといわれる。
グール
アラビア出身。人を食うというのが特徴。墓を漁って死体を食うもの、生きた人間を家に招き入れて襲うものがいる。
女性の姿で男性の旅人を騙して食うタイプもいる。女性の場合はグラというらしい。
最後に食った人間の姿になれるらしく、真の姿は男でも女でもない、野獣でも人間でもないなどとされる。
日本生まれ。本来は「無機の王」という意味だが不死の王という意味が定着しておりアンデッドの仲間とされる。
アンシマイエン
アキイニ
イヌイットに伝わる骸骨の幽霊。音楽を好み年中踊り続ける陽気な幽霊だが、彼が踊る振動で地震や津波が起き大勢が死ぬ。
ドレカヴァツ
夜になると墓から出てきて、金切り声をあげて誰かの死を予言する。人間の姿といわれたり鳥や猫、犬の姿といわれたり、
光る眼をもつ一本足の人間だったり、まだら模様の細長い紡錘形の体と不釣り合いに大きな頭を持つ生き物の姿だったりする。
隣人の土地との境界に置かれた石を動かして所有地を広げるズルをしたもののなれ果て。境界石をもとに戻すまで魂の安寧は得られないが、
石に触れようとするとつるっと滑ってしまい永遠に元の位置に戻せず悲痛な叫び声を上げ続けた。
フェクスト
戦場や飢餓など、大量死が発生した場所に発生する。その正体は死んだ者たちの怒りの総体とも。
ジェンガンガー
北欧出身。「再び歩き出すもの」というような意味。殺されたものや自殺したものなど、未練があるものがなりやすいようだ。
葬儀の際に棺を持ち上げて教会の周りを3周するというのがジェンガンガー化の予防策とされた。
ルガット
アルバニア出身。日光が当たらない場所を好み、空を飛ぶこともできる。死者の皮を被り、長い爪をもち、凶悪な顔をしている。
闇に隠れて子供を攫ったりする。基本的に不死身だが墓の中で焼き殺すことはできるようだ。
ククド
守銭奴の亡霊とも、ペストを運ぶ亡霊ともされる。ルガットを焼き殺す際に焼きが甘いとククドになるとも。
ランスヤール
妊娠中・出産中に死んだ女性の幽霊。生まれたばかりの赤ちゃんを好んで食べるが、とくに男児の血が好きなようだ。
死体の口にガラスビーズを入れ、脇の下に鶏卵を入れ、手のひらに針を入れることで、死んだ女性がランスヤールとして戻ってくるのを防ぐことができる。
最近死んだ人が墓から出てきて、生きている知り合いなどを死に引き込もうとする。ドイツ出身のアンデッド。
埋葬の時に故人の衣服に名前が書かれている場合にはナッハツェラーになりやすい、死体の目や口が開いているとなりやすい、死体の唇が赤いとなりやすい、
死体が柔らかいとなりやすい、死体の手が反対側の手の親指を握っているとなりやすいなどとされ、なりやすすぎるアンデッド。
前回のリストhttps://anond.hatelabo.jp/20210707223409が字数制限に達したようなので、書ききれなかった分はここに付け足します。前回はたくさんのブックマーク、コメントありがとうございました。https://anond.hatelabo.jp/20210715114737も参照ください
孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
「植物を煮出したもの」の名前はほぼどの言語でも「茶」から派生した言葉になってしまっている。
今のところ自分が知ってる限りでは、南米のマテ茶(マテ)だけが、茶とは独立した言葉
という増田が何年か前にあった
ちょっと調べた。
漢字で書くとどっちも「茶」になってしまうけど、「茶」の読みに主に2系統あって、陸路でインドや中近東に広まった広東語の「ちゃ」と海路で東南アジアやヨーロッパに広まった閩南語の「てー」があるそうな。
でもこの「ちゃ」と「てー」も元は同じものなんじゃないの?
日本語だと茶は「さ」と読むこともあるけど、これは唐音らしい。
全然関係ないけど、唐音って唐での読み方じゃなくて宋の時代の読み方らしい。まじかよwwww
唐の時代の読み方は漢音の方。お前、漢と関係ないのかよ。まあ今でも漢字っていうし、そういうノリなんだな。そういや、Chinaも秦だもんな(Chinaは秦Chinの女性形なんだって)。
呉音は六朝の呉と関連付けられるけど、どうも漢音に対して地方の言葉を蔑んだ呼称っぽい。呉音はかわいい読み方が多くて好きよ。マ行とナ行が多め。
茶から独立した言葉としてtisaneとカヴァがあるって指摘がブコメにあった。さんきゅー
あとビルマ語のlakphakというのも
あと、これも読んだhttps://sencha-note.com/miang-tea/
いや、モン族・苗族の「tsuaツア」「taタ」は絶対茶と同じだろ
ミャンマーの「ラペ」(Lahpet、Lepet)ってのはビルマ語のlakphakと同じっぽいね。ラーとも
ポーランド・ベラルーシ・リトアニアのherbata(ヘルバタ)、гарбата(ハルバタ)、arbata (アルバタ)はどう見てもharb teaそのまんまで(正確にはharb of teaかもしれんが)、『「tea系統」に入れることができると思います』ってレベルじゃないんですが。
ネイティブアメリカンのオジブウェー語では「aniibiishaaboo」(アニービーシャーブー)とのこと。他文化との交流が少ないところだと結構ありそう。
タイにはミアン(ミエン)と呼ばれる食べる醗酵茶があるとのこと。茶葉の加工品ではあるが、飲料ではないので茶とは別物では?ミャンマーのラペと同じっぽい。ということは、ラペも飲み物ではない?
ところで、チャノキは緑茶も紅茶もみんな同じチャノキという植物(種)なんだみたいな説明がよくなされるが、この点には疑問がある。
いまのところ地域変種 varietyということになっているが、
日本でよく知られている茶の木は葉っぱは5~6cmで自生しても5mくらいの高木であるが、アッサム種だと葉は20~30cmほど高さは15mにもなるという。これくらい違いがあると別種だと考えるのが普通ではないだろうか。
参考文献にあった、これらが面白い
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4499&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1ダウンロードになるので注意
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/54824/1/KJ00000132295.pdf
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-mollop.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
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ある鏡の中は日曜日、ブックオフ巡りで遅くなってしまい、終電近い電車に乗った日のこと。
吊り革に捕まっていると大きな揺れが。
そのはずみで読んでいたミステリのネタバレをつい座席に座っていたおばさんに言ってしまった。
そのおばさんはしばらくこちらの顔を見たあと深呼吸して、「殺戮にいたるやっマーイ!全然ヴァン・ダインじゃないですよ!」ととびきり大きな声を上げた。
その時のおばさんの目といい、法月といい、今思い出してもさむけが走る。
僕は恐怖の中で折原一度、「犯人はシェパード医師でした」と謝った。
でもおばさんは恐ろしいMediumでこちらを睨みつけたまま何も言わない。
模倣の殺意によって少しだけ恐怖心が和らいだ僕は疑問を感じ始めた。
そしてその疑問をおばさんにぶつけてみた。
「カヴァン・ダインをネタバレしたのは申し訳ありませんが、僕それほど怒られることをしました?」
おばさんはまた何も言わなかった。
痺れを切らした僕はもう一度イニシエーション・ラブ。
「僕それほど怒られることをしました?あ?」
おばさんは黙って下を向いた。
必死こいて若作りした格好、驚天動地の雰囲気、神のロジック人のマジック・・・
こんなに遅い時間まで変装トリックを駆使した殺人でもやっていたんだろうか。
こんなミステリィおばさんが社会の底辺で蠢いていてちょっとでもネタにバラした人間に噛み付くんだと思うと嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんを感じた。
そんなことを考えながらアヒルと鴨のコインロッカーを眺めていた。
10分位で僕のある閉ざされた雪の山荘に到着すると僕はおばさんの方を見ながら電車の扉を出たが、おばさんは下を向いたままだった。
ホームから電車の窓越しに下を向いているおばさんの後頭部が見えた。
ホームの階段を夜歩く時、あの恐ろしい目、あの恐ろしい顔を思い出し、慟哭した。
アニメ観てて今回は神回だっていうネットの意見を参考にしつつ視聴してるんですけど、「まぁたしかに泣けるけど、良回程度で神回ではないな」と思ってガッカリすることがある。
自分がアニメを見過ぎているのかもしれないが、アニメ大量放出のこの時代に神回判定が緩くなっていないか?僕はもっとコードギアスR2の最終回とかセーラームーン無印の最終回とかそういうのを神回というのだと思うんだよな。歴史に残るエピソードレベルじゃないと神回と認めたくないわけ。
最近はすぐ神回だとか神曲とか神作品とかいうじゃん!最近の神判定は奈良判定並みに緩いぞ!アニオタ歴史20年の僕はそう思うんだ。君はどう思う?
ブコメで既に出てたところ申し訳ないが神回判定が緩いなと思ったのはゾンビランドサガ第8話だよ。サガ民はゴブリンと戦い過ぎて逆にサガの評価下げてるからな。だけどゾンビランドサガのOPは神だな!
コードギアスR2より第1期の最終回の方がたしかにこれからどうなるんだろうって期待が非常に高かったよな。今は廃れちゃったけど当時は神MAD動画がたくさん作られててニコ動観るのが楽しかったんだ。今では例のアレとかVtuberにその勢いを奪われてしまったけど、まぁそんな懐古厨的なもんなんだ。
ちなみに自分がメジャーなところで神回だなと思ったのはるろうに剣心アニメ版の京都編で剣心が薫に別れを告げるシーンな。セル画最盛期に蛍の光り輝く描写、カヴァレリア・ルスティカーナのメロディでまさに明治剣客浪漫譚というところ。
マイナーなのだと刀語の最終話のとがめのシーンとか蒼穹のファフナー(無印)の翔子回とか、〜ef〜シリーズとか、あとうる星やつらの映画版でガラス越しにらむとあたるが語り合うシーン。
マキバオーとカスケードの日本ダービーの戦い。あとヨルムンガンドのアール退場シーンでしょ、ふしぎ遊戯はEDの入りが毎回神ってるし。33話の柳宿との別れは泣いたし。
追追記
みんなコメントありがとな!お互いの神回を語り合う、そういうのが好きなんだよ。
リアルだとアニメの話してもロボ系が好きかアイドル系が好きかとか細かに趣味が分かれてんだよね。だから意外と今回良かったよねとか気軽に話せないからネットの声聞いちゃう。そういう意味では神回判定が緩くなってもリアルに恩恵を受けてる感じはあまりないかな。
コメントへの返答
シャーロットは尻すぼみ感があって2クールやれたら神作品だったかもよね。
プリキュア時代は部活に打ち込んでたもんだから見てないんだ。すまん...
カウボーイビバップ出してくるのはセコいな〜笑 第5話は神回だと思う!
エグゾダス第9話は神回だ!初代から観てきた人間としては神としかいいようがない。
あとネットでは酷評だったけど鉄血のオルフェンズもすこなんだな。リアルで追っかけてたし、1期のビスケット亡くなり〜からのMISIAはまじで神演出だった。
今後最強な神回があったら天照大神回とか表現方法変えて欲しいよ。天照大神回だったら絶対みるもん。九十九神回ならなるほどなって思うし。
Permalink |記事への反応(17) | 11:56
閉音節が無いらしいので仮名で書きやすいかもしれないと思って書いてみた。テキストはその言語で書かれた国歌を使用。
メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマニ
ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・サヴァサヴァ
メ・ブラ・ガ・コ・ヴィチ
カ・メ・トロ・ガ・キ・リウ
メ・ラ・トゥラガ・ヴィナカ・コ・イラ・ナ・イ・リウリウ
メ・ラ・リウタキ・ナ・タマタ
エ・ナ・ヴェイカ・ヴィナカ
メ・オチ・キナ・ナ・イ・トヴォ・ザ
メンダ・ンダウ・ンドカ・カ・ヴィナカタ・ナ・ヴァヌア
エ・ラ・サ・ンダウ・チコ・キナ・ナ・サヴァサヴァ
ラワ・トゥ・ナ・ガウナ・ニ・サウトゥ・ナ・ヴェイロマニ
メ・サ・ンビウ・ナ・イ・トヴォ・タワ・ヤガ
バレ・ガ・ヴェイ・ケムニ・ナ・ザウラヴォウ・エ・ヴィチ
ニ・ヤヴァラ・メ・サヴァサヴァ・ナ・ヴァヌア
ニ・カクア・ニ・ヴォソタ・ナ・ンドゥカンドゥカリ
カ・メ・ダ・サ・ンガイ・ンビウタ・ヴァカンドゥア
ッエ・ッオトゥア・マーフィマフィ
コ・ホマウ・ッエイキ・コエ
コ・コエ・コ・エ・ファララッアンガ
モ・エ・ッオファ・キ・トンガ。
ッアフィオ・ヒフォ・ッエマウ・ロトゥ
ッアイア・ッオク・マウ・ファイ・ニ
モ・ケ・タリ・ホマウ・ロト
ッオ・マルッイ・ッア・トゥポウ。
コ・エ・イキ・ヘ・ラギ
クア・ファカアロファ・マイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・トトヌ
エ・パトゥイキ・コアトゥ
クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ、キ・ニウエ・ネイ
キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・オコオコ・キ・ニウエ・ネイ
クア・プレ・キ・ニウエ・ネイ
サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
サモア、トゥラッイ・マ・シシ・イア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
ヴァアイ・ッイ・ナ・フェトゥ・オ・ロッウ・ア・アギアギア・アイ:
レ・ファアイロガ・レア・オ・イエス、ナ・マリウ・アイ・モ・サモア。
オイ、サモア・エ、ウッウ・マウ・ラウ・プレ・イア・ファアヴァヴァウ。
ッアウア・エ・テ・フェフェ; オ・レ・アトゥア・ロ・タ・ファッアヴァエ、オ・ロタ・サッオロトガ。
サモア、トゥラッイ: ッウア・アギアギア・ラウ・フッア、ロウ・パレ・レア!
「トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / コ・テ・ファカヴァエ・シリ、
コ・テ・アル・フォキ・テナ、/ オ・テ・マヌイア・カトア;
ロト・ラシ・オ・ファイ、 / トウ・マロ・サオロト;
フゥシ・アケ・カトア / キ・テ・ロト・アロファ;
カエ・アモ・ファカタシ / アテ・アトゥ・フェヌア.
「トゥヴァル・モ・テ・アトゥア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ!
トゥク・アトゥ・タウ・プレガ / キ・テ・プレ・マイ・ルガ、
キロ・トヌ・キ・オウ・ムア / メ・コ・イア・エ・タウタイ。
「プレ・タシ・モ・イア」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ、
コ・テナ・マナ / コ・トウ・マロシ・テナ。
パティ・リマ・カエ・カラガ /ウルフォヌ・キ・テ・トゥプ。
「トゥヴァル・コ・トゥ・サオロト」 / キ・テ・セ・ガタ・マイ。
ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・コウ、モーッイー
カラニ・アリッイ / ケ・アリッイ
マクア・ラニ・エー /カメハメハ・エー
ナー・カウア・エ・パレ / メ・カ・イヘ
ハワイッイ・ポノッイー / ナーナー・イ・ナー・アリッイ
ナー・プア・ムリ・コウ / ナー・ポーキッイ
ハワイッイ・ポノッイー / エ・カ・ラーフイ・エ
ッオ・カーウ・ハナ・ヌイ / エ・ウッイ・エ
ッウア・ラフ・テ・アトゥア・イ・トーッウ・ッアーイッア
ホノ・ノッアノッア・オ・テ・モトゥ・ラウ
ヘイヘイ・イ・テ・プア・リッイ・アウ・エー
エ・フィリ・ナペ・モーロヒ・ッオレ
ッオ・ターッウ・イーア・エ・ファッアテニテニ・ネイ
テー・トゥーオロ・ネイ・テ・レオ・ヘレ
オ・テ・フイア
ッア・ヒッイ・イ・トー・アロハ
ッイア・オラ・ッオ・タヒティ・ヌイ・エー
テ・アトゥア・モウ・エー / コ・コエ・ラーイ・テ・プー / オ・テ・パー・ッエヌア・エー
ッアカロンゴ・マイ / イ・トー・マートウ・ネイ・レオ / テー・カーピキ・アトゥ・ネイ
パールル・マイ / イ・ア・マートウ・ネイ / ッオマイ・テ・コロナ・モウ
キア・ンガーテイテイ / キア・ヴァイ・ラーイ・テ・アロッア / オ・テ・パー・ッエヌア・エー
エ・イホワー・アトゥア、/ オ・ンガー・イウィ・マートウ・ラー
アータ・ファカランゴナ; / メ・アロハ・ノア
キア・フア・コ・テ・パイ; / キア・タウ・トー・アタファイ;
マナアキティア・マイ /アオテアロア
オナ・マノ・ターンガタ / キリ・フェロ、キリ・マー
イウィ・マーオリ、パーケハー /ルーペケ・カトア
ネイ・カ・トノ・コ・ンガー・ヘー / マーウ・エ・ファカアフ・ケー
キア・オラ・マーリレ /アオテアロア
トーナ・マナ・キア・トゥー! /トーナ・カハ・キア・ウー;
トーナ・ロンゴ・ヘイ・パクー / キ・テ・アオ・カトア
アウア・ラワ・ンガー・ファファイ / ンガー・トゥトゥー・エ・タタ・マイ;
キア・トゥプ・ヌイ・アイ /アオテアロア
ワイホ・トナ・タキワー / コ・テ・アオ・マーラマ;
キア・フィティ・トーナ・ラー /タイアーフィオ・ノア。
コ・テ・ハエ・メ・テ・ンガンガウ / メインガ・キア・コレ・カウ;
ワイホ・イ・テ・ロンゴ・マウ /アオテアロア
トーナ・パイ・メ・トイトゥー /ティカ・ラワ、ポノ・プー;
トーナ・ノホ、ターナ・トゥー; / イウィ・ノー・イホワー。
カウア・モーナ・ファカマー; / キア・ハウ・テ・インゴア;
キア・トゥー・ヘイ・タウイラ; /アオテアロア
丸ぼうろ(まるぼうろ)は、佐賀県佐賀市を代表する銘菓の一つ。「丸芳露」「丸房露」などと記載される場合もある。
丸ぼうろの起源には様々な諸説がある。丸い形をしたボーロ(葡: bolo)という言葉から「まるぼーろ」となった説や、
ヴェネツィアの商人で東方見聞録に日本を含めた東洋を紹介した事で著名な「マルコ・ポーロ」が語源となっているなどがある。
製法についてはポルトガルの北部の都市であるフェルゲイラスに伝わる郷土菓子である「カヴァカ・フィーナ・デ・カルダス」
(葡: CavacaFina de Caldas)という焼き菓子が起源となっていると言われる。
現在に伝わる日本の丸ぼうろのルーツとして完成させたのは佐賀市伊勢屋町の横尾家の祖先が17世紀後期に完成させたものを
ルーツとする「北島ルーツ説」、あるいは鶴屋の二代目店主太兵衛が17世紀中期に長崎にてオランダ人より製法を直伝に学んだと
される「鶴屋ルーツ説」が発祥の双璧となっており、そのルーツがどちらが先であるかは定かではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E3%81%BC%E3%81%86%E3%82%8D
1. 『ライオンキング』(ロジャー・アレーズ、ロブ・ミンコフ監督、1994年)
2. 『ナッシュビル』(ロバート・アルトマン監督、1975年)
4. 『EDEN/エデン』(ミア・ハンセン=ラブ監督、2014年)
5.『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』(コーエン兄弟監督、2013年)
6.『アマデウス ディレクターズカット』(ミロス・フォアマン監督、1984-2002年)
7. 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー監督、2014年)
8. 『アンヴィル! 夢をあきらめきれない男たち』(サーシャ・カヴァシ監督、2008年)
9. 『8 mile』(カーティス・ハンソン監督、2002年)
10. 『あの日のように抱きしめて』(クリスティアン・ペッツォルト監督、2014)
1.ディズニー枠にしてミュージカル映画の精髄。アラン・メンケンが確立したディズニー・ミュージカル黄金律の完成形でもある。ポストメンケンではやはり『アナと雪の女王』が頭一つ抜けている印象。
2.ハリウッドに最も嫌われたアメリカ人監督ロバート・アルトマンがアメリカの保守層を体現する南部という土地、カントリーミュージックという文化をシニカルに活写することでニクソン政権下の母国をするどく批評した、というと小難しい社会派映画みたいだが、実際の中身ゆるゆるでお気楽でグダグダなカントリー群像劇である。歌声一つで嫌なことも苦しいことも大変なことも何もかもどうでもよくなる、という音楽の魔力を良くも悪くも見せてくれる映画。
3.菊池セイコウさんのdis はこのさい放っておこう。すくなくともこの作品は『音楽映画』としての役割と魅力を十二分に発揮しているのだから。要するにパワハラ上司に対するリベンジ映画なのだが、(主人公と観客両方に対する)抑圧と解放の手際が実に﨟長けている。何よりリズムが映画だ。
4. ふらふら楽しくガラージュDJとして遊んで暮らしていたアンちゃんが30超えて「あれ? もしかしておれ、社会的にあかんくね?」と狼狽えるフランス映画。年をとるにつれ銀行員の対応がすげなくなっていくのが切ない。こんなダメダメな反社会人でも才能ある妹を持てば人生を映画化してくれるんだから、持つべきものは家族である。DJシーンの快楽は選曲面でもビジュアル面でもクール。
5. ふらふら楽しく60年代のNYでフォーク歌手としてネコと楽しく暮らしていたあんちゃんが恋人を妊娠させてしまったことで「あれ? もしかしておれ、社会的にあかんくね?」と狼狽えメジャーデビューを目指すアメリカ映画。楽曲の質の高さもさることながら、さまよえる主人公を捉える画面も洗練されている。どうでもいいが主人公のオスカー・アイザックは次の『スターウォーズ』でけっこう重要な役をやるらしい。主人公の恋敵役を演じるジャスティン・ティンバーレイクが影のMVP。
6.説明不要の超ビッグタイトル。要するに悲恋系BL。天才ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトに恋した乙女サリエリちゃんが才能のことを考えると胸が切なくなって毒殺疑惑をかけられちゃうの。
7.ギリギリミュージカルではないのに、歌のやりとりだけで物語が進行するクレバーな構成の音楽映画。「音楽っていいもんですねえ」ということを骨の髄まで叩き込んでくれる。Maroon 5 のアダム・レヴィーンがいい仕事している。監督の前作の『ONCE/ダブリンの街角で』も人生のすっぱさから目をそむけずにポジティブな救いを歌った佳品。
8.ドキュメンタリー枠。誰からもその才能を認められていたにもかかわらず、なぜか売れなかったメタルバンド、アンヴィル。しかし彼らは諦めなかった。副業のかたわらコツコツと三十年もアメリカの片田舎でバンド活動を継続しつづけていたのである。三十年周年を記念して世界ツアーを計画した彼らだったが、その道中をトラブル続き。しかし、そんな彼らがとある国を訪れたとき、奇跡は起こるのだ。
9.ヒップホップ枠。今週末公開の『ストレート・アウタ・コンプトン』の出来次第では入れ替わるかもしれない。負け犬が這い上がる系映画。
糞野郎が何「ぼくちゃんはいいこなんだ」みたいな寝言言ってやがる。
いいか、おまえは依然クズのままだ。
シャンパンの知識をドヤ顔していたクズが、いいこちゃん自慢でドヤ顔しているだけでクズさは変わってないんだよ。
シャンパンの説明はそれ自体が糞だったのではなく、おまえの説明が奥方にとって不快になる物だったのが問題なんだ。
相手の間違いを真っ正面から諫めようという体で、ドヤ顔説明して「僕ちゃんを褒めて欲しい」というその態度が糞なんだ。
例えば「スペインのマタさんが作るカヴァってワインで、古い土着のブドウから作っているから、柔らかい果実感とすっきりとした酸があうから、君が作ってくれたカルパッチョとマリネに絶対合うよ!」とでも説明できていれば、奥方はシャンパンではなくカヴァと呼ばれることを知り、かつ料理の味のイメージが膨らんでより美味しく食事を食べることが出来ただろう。
奥方はきちんと正面からおまえをみつめて真面目モードにし、そこで適切な忠告をした。
それに対して内心受けるだろうとでも思いつつ、不真面目な反省のポースをしたおまえは明らかにクズだ。
それに対して、その不真面目さを受け入れ、これからの2人の食事を美味しくするために、頭をなでることでふんわりとした雰囲気に着地させてくれた奥方のなんと偉大なことか。
しかし増田はその奥方の素晴らしい優しさを全く理解せず「ぼくちゃんはいいこなんだ」とのたまう糞文章を糞増田に糞書き込みやがって、おまえはどこまでクズなんだ。
もっと奥方を喜ばせることを、他人の気持ちを考えろ塵野郎!!!!!
http://buzzap.jp/news/20140621-sinjuku-koma-student/
なじみの店で気分よくのんで、ゆるく待ち合わせをしている次の店に向かう途中
なかなか引きの強いキャッチの女の店に入ってみた。
1時間 ¥3000のみ放題で君らに1杯奢ると1人頭¥1000〜¥10000かかるわけか、しかもおねだりは必ずツーマンセルで行うと
なるほど清々しいほどクソな営業形態だな、すげぇなとか思いながらまぁ社会勉強かなと思いながら
かわいくもブサイクでもない女の子たちと話ながらウイスキーのロックを2杯のんで30分くらいで終了
清算は3000+(3000*2+1000*2)= ¥11,000也
恐ろしいまでの無駄金だなと思いながらお支払いを済ませて次の店に移動した瞬間意識が途切れた
普段から毎日飲み歩いてるからどう考えても酔いと体調の変動がおかしい、意識も一瞬だった
その日は日本酒4合くらいしか飲んでないし、ロック2杯だぞ?ありえねぇ
日本酒6合飲んでから、カヴァ2本開けたりしない限りならないような悪寒がしたし
あれひょっとしてウイスキーに何か入ってたんじゃないか?
あのまま一時間飲んでたら俺どうなってたんだ?
まぁでも最終的に思ったのだけど
店の営業形態に文句を言ってもしょうがないし、今となっては酒に何かされたのかも証明できないし、俺まだ生きてるしそこはもういいかなと
心配なのはあんな営業形態の飲食に努めて、なんの積み上げもないお店で働いている若い以外になんの取り柄もないバカ女達は、その後どうするんだろう?
オーナーからしたら若い女なんかしたからどんどん生えてくる訳で、より抜きのバカを雇えばそれで済んでしまう
何も考えずに生きるってのは、なんて怖いことなんだろうと
そして何より問題なのは、彼女達は多分本当に何にも考えてないで生きてる
これもう詰んでるだろ
球の体積を中学生レベルで分かる(=証明できる)方法がないか考えている。
webではカヴァリエリの原理を採用しているのが多いが、これでは高校レベルだ(小学生でも理解できる子はできるだろうが。)
半径rの球を底面の半径が同じrで、高さ2hの円柱に入れることを考える。
ちょうど重心を通る縦に切り込みを入れると、断面図が縦横それぞれ2rの正方形に半径rの円が内接する格好になる。
この断面図の正方形の面積から円の面積を引くと、4r^2-πr^2になる。
これを対称の軸にしたがって一回転させた体積を、円柱の体積から引いたものが、球の体積になるはずなんだが、これは中学レベルでは無理。
追記:誤字修正、あとちょっと詳しくした。