
はてなキーワード:カメムシとは
雑に園芸を趣味としている。草むしりは気が向いたらだし真夏日なんて暑いから草は放置で夕方に水遣りだけ。
全部植木鉢かプランター管理で基本的には果樹がメイン。気が向いた植物を無軌道に増やしているのでバラなんかもある。
去年や一昨年世間ではカメムシが多いと言われていた。庭にもぼちぼち見かけた。しかしそれだけだった。
なめてた。
木苺を伝わせている園芸棒にも朝顔を伝わせている園芸棒にもそれぞれ複数ずつ付いていた。やばい。
自分はそんなに虫が嫌いではない。レモンの葉を食い荒らすアゲハも百合に付くキモめの毛虫にしか見えないアゲハも許してきた。
バッタもカエルもトカゲも微笑ましく見守り、カラストンボに害があるといけないのでにっくき蚊対策も自分にかける虫除けスプレーだけ。
なんならひっくり返ったカナブンもセミも直してやる。邪魔じゃなければクモの巣もどんとこい。
ナメクジと葉巻虫以外は大体許して来た。
なんなら一匹程度なら壁に張り付いていても良い。
https://anond.hatelabo.jp/20250622185643
なんだかんだと一年ほど飼育してわかったが、カタツムリは冬眠も夏眠もする。
ちょっと休憩してる程度のときは体の一部がぺろっと出てたりするが、長期的に寝るときは体を全部殻に入れ、乾燥から守るよう殻の入り口に白い膜を張って天井とかにピタリと張り付いている。
数日餌を入れてなかったり(入れてる餌が気にいらなくて自発的に食べない場合も含む)カゴ内がかなり乾燥してたり、あとは極端に暑かったり寒かったりしたら眠りに入るイメージがある。眠る期間は個体や環境によりまちまちみたいだ。
先日、ブロッコリーのワッサワサした部分を「出血大サービスや!」と入れてやったら、なんか気に食わなかったみたいでまったく口をつけなかった。「そんなわけない」と粘って2日ほど餌を追加せずほったらかしてみたけど、ブロッコリーが黄色くなってしまったので掃除することに。
蓋を開けたらカタツムリは夏眠モードになっていた。蓋に張り付いて寝てたらそのまま放置するんだけど、あいにく蓋と容器のはざまに張り付いてたので「べりっ」と剥がす。剥がす時は流水を流しながらやるとカンタンである。
当然、そのレベルで刺激を与えたらカタツムリは起きる。「え?なに?」みたいな感じでちょっとずつモゾモゾする。でも、膜が張ってるのですぐには体を外に出せない。ならばどうするか。膜をガブガブ食べて出てくるのだ。
カマキリだったか蝶だったかの幼虫が卵から出てきたとき、確か卵の殻?を最初の食事にしてたよなと思いながらその様子を見つめる。私たち人間も、爪とか鼻くそとか剥がれた皮脂とか乾燥したタンパク源を食べる人が一定数いるけど(小学生の頃、クラスに1人くらいはそーゆーやついたよね)あれって、大昔そーやって生きてた頃の遺伝子の記憶がのこってんのかな。
ちなみにカタツムリは自分の膜を食べるのがめちゃくちゃ遅いので、完全に顔を出すまでおよそ30分かかる。おっそ。自然界で生きててその遅さなに。
生物の仕組みって惚れ惚れするほど上手くできてるものもあれば「下手すぎでは!?」ってくらい不器用全開のもあるなと思う。この場合は後者だ。
しかも、綺麗好きなのか膜が残ってるのは絶対ゆるさい。のっそりのっそり起きて、ゆっくりゆっくり食べきって、ようやくピョコッとすべての顔を出す。
夏場、旦那さんはクーラーを入れるので旦那さん在宅タイムは部屋も涼しいけど、なんと私はひとりのとき扇風機だけで過ごすので日中のリビングは灼熱である。
野生出身の生き物だし、気に入らなかったら夏眠したらいいかなと思ってたけど、先日、カメムシが暑さで弱ってたのか道端で5匹も無惨に潰れてた。すずめとかも真夏はしんどそうにしているし、カタツムリもやはりナツハムリ……だったりするのだろうか。
いつも水を張ってるココットに氷でも入れてやるかな。
実家の杏の枝が隣家に張り出してしまった。梅雨の時期になると、この枝に実がつく。一本の枝に二つ三つという次元ではなく、何かが炸裂して狂ったように生る。
枝が隣家を侵犯しているから、実も隣の敷地に落ちる。迷惑になるから枝を打つことになった。実家の両親は70前後でも全然元気だが、さすがに炎天下に木に登って作業させられないので、先週、たまたま実家に戻る機会があって俺がやった。
今年の梅雨はどこかに行ってしまって、土曜は連日の晴天の何日目かだった。腰に下げられる蚊取り線香と帽子、軍手とノコギリを装備して杏の木を登った。
…
木登りなんて子どもの頃以来だ。いま40手前なので、かるく20年はやった記憶がない。木の表面を蟻んこが忙しく行き来している。虫は平気なので嫌ではないけど、軍手で覆いつぶしてしまうのは気の毒なので、どこに手を置くかふらふらするから、手つきが結局危なっかしくなる。
蟻に気を遣って落下、重傷とか不随じゃシャレにならないな、と思いながら木を登って、打ちたい枝にノコギリを入れるのに適当なポジションを探す。特に肥沃でもないだろう庭の一画に適当に植えて何も施していない杏が、なんでこれだけの栄養を吸い上げることができるのか。発狂したように生った橙色の実もそうだが、樹皮のあちこちから樹液が吹き出してコハク色のかたまりになっていた。
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酒に漬けるために、実もできれば無傷で回収したい。下には母が待機していて、俺が手の届く範囲でもぎった実を拾ってくれる。なんとなく、ものすごく幼い頃に読んだ『やまなしもぎ』という昔話を思い出す。あれも母親のために子ども(たち)が大きな木に登って果物を取る話だった。
あの実にも手が届きそうだ、という感じで茂った枝葉の中をかき分けるので、木の表面を行き来している蟻だけじゃなく、住み着いていた虫どもが慌てて活発になり、視界の端っこでちらちらする。カメムシとか。ヨコバイの幼虫とか。こいつらはたぶん、植物の汁を吸って生きている。
ザワザワうごめく無数の生命。ほのかに杏の甘い香りがする。もうこの一本の木が一つの世界だな、と思う。住人がいて資源があり、交通がある。そういう生態系。
たぶんこの思い付きは、たまたま読んでいる本で複雑系の話が出ていたところから来ている。本で言及された例は気候変動なので、スケールが全然違うが。
本は『カオスの帝王』という「市場は特大の混沌を早かれ遅かれ、しかも繰り返し起こすものである。そして、サイクルに一度加速がつくと人智では制御できない」という経済・投資の内容であり、異常気象については余談に変に筆が乗ってしまっている感じだったが、まあ、本で読んだことと実体験が接続されるのはうれしい。
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虫どもがピンピンと跳ねて服の上に乗ってくる。木に帰れよ、と手で払って戻したい。でも、姿勢を崩すかもしれなくて事故のもとだな、とも思う。もともと、肉体労働はもちろん体を使う作業の経験もないし、たぶんこういう素人が適当に危なっかしいことをして、世界の至るところで死んでいるんだろう。
落下死だけはするまい、と思う。炎天下で焼かれて疲れる上に普段使わない筋肉を変な姿勢で動かしているせいか、思考がぽんぽん飛ぶ。今度は心理学者であるキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本のことを思い出す。
確か、農夫が木から落ちて死ぬエピソードが出てきたのだ。この本を学生のころに読んで、机の上に置いていたら、親がそれを見て心配したことがあった。つまり、息子が妙に死に関心がある、自殺する気じゃないか、と思ったらしかった。いま木の下で俺が落とした杏の実を拾ってくれている母親だ。
実際のところ、自殺の願望なんてこれっぽっちもなかった。でも、なんとなく、長生きはしないで若いうちに死ぬ気がしていた。死ってなんだ? ということを今のうちに考えたかった。
結局、早死にすることはなかった。俺は30後半のだいぶ健康なおっさんになった。
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ここだ、と定めたところにノコギリの刃を入れて引く。ちゃんと考えずに、ただ力を加えやすいポジションだけを優先して作業するから、かなり危うい姿勢になる。いつのまにか、万が一枝が折れたら落下する側に体重の大部分を預けていたりしてゾッとする。
気晴らしに隣家の庭を見ると、隅の少しじめっとしたところに、申し訳ないことに杏の実がたくさん落ちている。一部は熟すのを通り越して緑色のカビを吹いている。
生態系といえば、あれもそうだよなと思う。一本の木がたくさんの実と樹液のかたまりを持って無数の虫がうごめく一つの世界なら、あの実一つもミクロで見ればカビが巣食う一つの世界だ。
複雑系というのは、多くの要素によって構成される全体だが、同時に、レイヤーを区切るというか、「これについてはここからここまで」という焦点をどこにするかで全然違うものが見えて、多層になっているのだろう。
…
なるほどなあ、と思うが、思索でもなんでもなく、ただ考えに落ち着きがないだけだ。子どもの頃からそうだった。意識が次々に変遷していくことを自分でコントロールできない。うんざりさせられる性癖だが、目の前の嫌なことから意識を飛ばせるので、気分の逃避にはなった。
割と助かることも多かったけど、年をとって仕事とかもややこしくなってくると、だんだんそうもいかなくなってきた。例えば、一本の木はそのまま一つの生態系、とか一つの実も一つの世界、とか、なんならビジネス一本槍とか、そういう個別の観点というか世界観だけに集中して暮らせたら、と思う。そういう専門性のようなものにあこがれる。俺にはできなかったので、ただあちこちに思考が散らかるのを誤魔化しながらなんとか事務をこなして生活するおっさんになった。
…
なんとか落下死することなく枝を落とし、母親が冷やしておいてくれたお茶を飲んで、夕方になったらまだ現役で働いている父親が帰ってきて、久しぶりに三人で夕飯を取った。
枝は打ったが、植物だからそのうちまた伸びる。何年後か知らないが、またやらないといけない。
そのとき両親は生きているだろうか。
生きていて欲しい。なんならいつまでも生きていて欲しい。これがもうすぐ不惑の人間だろうか? と思う。自分でも嫌になるくらい幼い。
昔は、俺は若い年で「そのうちに死ぬ」と思っていた。「そのうちに」死なないまま中年になった。そういえば、若いころにもう一つ考えていたのは、人はなんで死ぬんだろう? ということだった。
これは30半ばを過ぎてもいまだに、なんでだろう? と思っている。生物としての死がどうこうという話ではなくて、「なんで生まれてきたんだろう?」の死のバージョンという感じで、なんかあんまり意味もなく生まれることと同じくらい、あんまり意味もなく死ぬこと、それ自体が不思議だった。
この疑問のヘンテコさは自分でも意識しているつもりで、それは即物的に考えたら無意味に生まれて無意味に死に、個の意識は永遠に消滅する(そして宇宙も最後に死ぬ)以外のなんでもない。それでも、感覚的に腑に落ちないものは落ちない。しかたがない。
そういえば、枝を打つ作業をしたのは夏至の日だった。この日を境にこの年の日照時間は短くなっていき、ある意味では一年の盛りを過ぎる。なかなかシンボリックな気がするが、人生や季節が何かの時期を過ぎようと、わからないものはわからない。
明日は収穫した杏の実を酒に漬ける。黒糖焼酎と黒砂糖という、ちょっと挑戦的な材料を買ったのでそれを試す。
飲めるのは3ヶ月後からだ。それはまあ楽しみ。保険としてホワイトリカーと氷砂糖の無難なバージョンも用意するのは、俺という人間が身に着けた数少ない成熟である。
パクチーは好きだ
料理に入っていると嬉しい 爽やかな香りで、独特のよさを料理に足してくれると思う
近くのスーパーで、ほっそい2株で300円とかで売ってて、質量に対してはあきらかにほかの野菜より高いんだけど、結構買ってしまう つうかハーブであって野菜ではないのかな
パクチーをはじめて食べたのが具体的にいつだったかは思い出せないけど、「好みが分かれるらしいもの」として向き合ったのは確かだ
川村教授が嫌いなもの、カメムシと同じ匂いだなんていう人もいるもの、好きな人は好きだが嫌いな人は嫌いなもの そういうものをいまから初めて食べるんだな、と思いながら食べた
その瞬間にあったのは、"逡巡"だったと思うんだよな
俺はこの味が好きなんだろうか?好きってことなんだろうか、嫌いってことなんだろうか?
コンマ1秒とかそのくらいの、火花が散るような時間の中で、その問いが立ち現れて、俺は咄嗟に、好きなものは多い方がいいよなと思って、好きであることを選んだ
そんなことがあったように思う
パクチーの味が俺の生来もつ受容体にぶつかってきて、オートマチックに好きであることがわかった、という話ではなかった気がするんだよ
そういうふうに思うんですよね
そういうことってありませんか?
幼少のころ、ふだんの生活は豪雪地帯かつ小学校でも分校があるような山奥で、年に数回だけ住居の前を路面電車が通るような都会で暮らしていた
村だと目の前の川に保護してなくても蛍が飛び、ローカル線の無人駅の夜間照明には豪雪のようにカゲロウが降り積もり、田植えから稲刈りの間には夜に寝苦しくて窓を開ければ蚊だけでなく稲の葉に居る害虫が枕元まで飛び込んで来て、秋に布団や洗濯物を干せばカメムシのオマケが付属してくるような田舎、雨が降れば樹木や草木の生い茂る葉っぱだけでなく山や野の土の匂いまで漂って来てた
それが街暮らしだと虫がまずほとんど居ないし入り込んでも来ない、微かに日陰の鉄筋コンクリートのような湿った冷たさの香りと側溝のドブのような臭いと下水やそれを消毒する薬品の臭気
…それから数十年たって、今ではそんな生まれ故郷から数百キロ離れた町で半生をとっくに越えてしまったけど、いま住んでいるここもだいぶそんな街の臭いに近づいてきた気がする、なにより虫が夜にほとんど飛ばなくなった…
虫の話で思い出してごめんなさい🙇
嫌いな虫ランキング
1位 スズメバチ
怖いから。毒も凄いらしい
2位 蚊
アシナガバチと言いたいところだけど、ススメバチの下位互換なので、別路線で行くと蚊。
5月ぐらいから湧き始め11月まで普通に居る。12月でもちょいちょい刺される。
痒いし、蚊取り線香とか効かない。油断してたらやられるので油断しないようにするの大変
3位 コバエ
実際は、もっと嫌な虫沢山居るけど、虫扱いでよいのか(ムカデ、ヤスデ、蜘蛛)とか、下位互換だったりするので、うっとおしいだけのコバエがランクイン。
ハエはあまり見なくなったが頻繁に見かけるならハエのほうが汚いしでかいし、潰せないから嫌い。蚊とコバエはギリギリ潰せる
そういえば、引っ越してゴキブリとかほとんど見なくなった。(近所のデカい団地の横の道とか駅前の飲食店多い道歩いてたらウロウロしてるけど)
結局、
中:痛みや分かりやすい危険(感染症除く)ないが体に不快な影響与えてくるやつ
の3つに分かれる(最後のは、寄ってくるから嫌、と見るだけで嫌に分けれるかも)
セミは嫌いじゃないけどおしっこかけてくるから中と下の間だったりするか、うるさいし
上で日頃関わり合いになるのは、スズメ、アシナガ、アブとか。くまんばちは優しいらしいしちょっと慣れた。
中系は、蚊と足登ってくる蟻
無害ではないがほぼ無害判定してるよく見る虫は、カマキリバッタ、甲虫の幼虫、トンボ(好き)、蝶(癒される)、蛾とかテントウムシとかのほとんど
カメムシもどちらかというと気にならない(夜中の自販機にたかりまくってるのは蛾も嫌だけど
祖父や父が紐付けて飛ばしてたって話を聞くし、親しみのあるやつ
ただ、数が増えまくってるのか、網戸に激突してきたり、部屋入って来て追い出しにくかったり
洗濯ものに止まってたり、自転車で走ってるとぶち当たったりで、ちょっと嫌いめになってきた
蜂捕獲罠(スタバのでかめのカップに匂い液入れて吊るしとくようなやつ)を女王対策で春に多めに吊るして
その後も場所は絞ってだけど継続的に設置してるのだが、とある箇所では、ほとんどカナブンで埋まってしまった
罠の匂いに釣られてではなく、罠設置してる果樹の匂いにひかれて寄ってきて、ぶち当たったのか、そこだけめちゃくちゃ捕獲してしまった
春に実家の庭に設置した罠にいきなり飛び込んだのがヤモリさん(その瞬間を目撃もしてしまった)だったのもカナブン大量捕獲もちょっと可哀そうだと思った
北海道は肌寒くなってきた。こんな季節になると虫くんたちが家の中に入り込んで暖を取ろうとする。
たとえばオツネントンボ。漢字で書くと越年蜻蛉とあるように、冬を越す生態のトンボである。冬の越し方は自然界にある暖かいスポットに潜り込んだり、人間の家に入り込んだりと様々で、我が家にはおそらく洗濯物と一緒に入り込んでくる。まあひっそり年を越す分には構わないが、我が家は窓が一箇所しかないため、春先になっても脱出できないまま死んでしまう個体がほとんどであり、あまり入ってきてほしくはない。
それからカメムシ。こいつらは流石に看過できない。おそらく買い物帰りに歩いているところに付着してきて家に入り込んでいる。ご存じの通り刺激を与えると臭い匂いを放つため、絶対に家にいてほしくない虫だ。除去にひと手間を要する。いてほしくない虫に限って外にはわんさかいるのが困りもの。
北海道にはゴキブリがいないが、そんな過酷な土地でもむしむしくんたちはしたたかに生きている。そんな彼らと暮らすのも北海道の醍醐味だ。