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2025-11-27

anond:20251127023429

カタルシスのために負荷展開や悪役を用意する構図があまりきじゃないので、むしろ興味が湧いたな。ありがとう

 

真似するんじゃないの?はちょっと、危なっかしい感想だなと思ったよ。疲れてないか

Permalink |記事への反応(0) | 21:10

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成瀬は天下を取りに行く」「成瀬は信じた道を行く」はちょっと危険

本屋大賞をとった本だしと、読んでみたのだが、モヤっとした点を言語化したいので増田に書いてみた。

まず読んでみて、初めに思ったのは、登場人物たちがいい人たちばかりで、膳所という場所平和世界だなと。ジュブナイル向けの作品で、中学生高校生たちの生活が楽しそうに描かれていて、成瀬の行動が常識外れだけど人々を幸せにしていくようなストーリー展開が受けているんだろうなと、初手で思った。

けれど、しばらくして、何か黒いモヤモヤという読後感が残り、これは何だろうという思いがふつふつと湧いてきた。

「掘り下げてみると、あまりにも良い話すぎるからだと気がついた。」

個人的成瀬みたいな人には何度かあったことがある。

記憶力が良く、学校の成績も良い。視点が人と変わっていて、拘りが強いことで、人知れず、絵画音楽などで賞をとったりする。けれど、人とのコミュニケーションはあまりとらず、笑顔を見せることなく、一見淡々と過ごしている。クラスの中では、成績の良さで褒められることはあれ、普段生活は人とあまり会話することなく、端からみると我関せずみたいに思われている。無害なので、クラスの中では問題児としてみられず、特に注意されることはない。学校規範を守り、外れることな生活しているので、一見、順応しているように見えるが、本人は人知れず、苦しんでいると言ったケースを見てきた。

物語成瀬は、人を呼び捨てにしながらも、自分の思ったように伝えることができているが、物語中で、思い込みコミュニケーション不足から齟齬が何度か生まれている。けれども、実は、周囲の人々の配慮サポートがあって、それが表面化しない。一見成瀬意志の強さが、物語の推進力になっているように見えるが、実は彼女常識から外れた行動を受け止め、サポートする人々がいて、初めて成り立つ話だとわかる。

これが、現実世界だとなかなか上手く行かない。特性理解し、サポートするような人々には、こういった特性を持つ子供たちはなかなか出会わない。なので、本人は人知れず、周囲との齟齬を克服しようとするが、一人であがくだけで、余計に辛さが募るばかりとなり、ついには自己嫌悪ストレスから学校を休んでしまったりする。上手く、教室内で教師カウンセラーサポートを得られるケースもあるが、成績が優秀であるがゆえに、また自分から言いださないゆえに、気がつかれずに時が過ぎていき、本人の体調が悪くなって、初めて気がつくといったことが起きる。

成瀬のような話は、一見、いい話だが、このような特性を持った子供の光の面を殊更に良く描き、困難さに対して蓋をしてしまっている。笑顔を見せず、侍のような口調でも周囲の人が彼女天才的な特性を認め、好意的にみてくれている環境があるのが成瀬だが、彼女ロールモデルにしようとしたら、そんな環境普通はないので、マネをしようとする同じ特性の子供はすぐ周囲との齟齬に苦しみ、破綻するだろう。

また、特別な才能がある子供であれば、常識外れでも大丈夫といった見方世間的にするようになったら、それはそれで、当事者の子供は、自分能力マイナス面を打ち消そうとし、よりプレッシャーが増大するかもしれない。

コミュニケーション上の摩擦や孤立、困難さを軽視し、それを個性としてエンターテインメントとして消化する。何か、こういった特性を持つ子供見世物にしている感じも受けてしまった。

「少し異なるかもしれないが、似たような物語は、実は以前にもある。フォレストガンプだ。」

知的障害男性主人公の波乱万丈の人生を描いた話で映画にもなったが、ある種、社会にとって「理想化された障害者像」が描かれている。正直で有能であれば、知的障害であっても社会的に有用だというようなステレオタイプ的な見方と国に従順であれば成功するといった保守的イメージを負わせ、「突出した異能マイノリティ」を見世物にして、現実マイノリティの困難さに対して蓋をしてしまっている。

フォレストガンプにしても、成瀬にしても、世間的には評価が高い作品からこそ、影響力があり、多くの人々に波及する。一方で、困難さを抱えるマイノリティに対して、ある種の歪んだステレオタイプを与えることにもなる。

表現可能性を狭めるつもりではないし、こういった作品によるカタルシス否定する意図ではなかったが、モヤモヤ言語化たかたことと、こういったエンターテインメントに負の側面も同時にあることを伝えたかった。好きな作品を貶されたと感じたのであれば、申し訳ない。

Permalink |記事への反応(16) | 02:34

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2025-11-22

見たい映画を見にいくべきで人気あるからと言って…『爆弾

と、タイトル通りの失敗をした。

見たいと思っていたのは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だった。だけど、佐藤二朗爆弾』がすごい興行成績を上げているというニュースを見て、ネット予約だけど、迷った末に後者の方を選んだ。

結果、「金返せ!」と鑑賞後に入ったトイレの中でおしっこしながら叫んだ、心の中で。

時々駄作にぶち当たるのはしょうがない。見るまでわからいからだけど、私は貧乏人なのでそんなしょっちゅう今時の鑑賞料金の高くなった映画館には通えない。だから駄作だと、ほんとにクソ腹立つ。

今回の『爆弾』はまさにそうだった。

佐藤二朗や、山田裕貴などの俳優の演技が絶賛されていたが、それはそうなるわ。だって映画俳優の演技に完全に依存しており、監督を含めた制作側は俳優に任せとき大丈夫だろう、程度にしか考えていなかったのではないか邪推せざるを得ないほど酷かった。

まー酷い。話の辻褄はとんでもなく合ってないし、「あれ何だったの?」と思う伏線ぽいのが山のようにあって、何も回収されない。

どうやら評判をつまみ食いして読んでると、小説の方も大概酷いらしい。

ともかく、何度も何度もしつこく佐藤二郎の顔のドアップばかり見せつけられると、飽きてくるわけ。で、ほんとは違う(何が違うのかは言わないが)ってラストの方で明かされるんだけど、それはないだろ!と、謎が明かされてもカタルシスどころかがっかりするというエンターテインメントとしては全然納得のいかない展開。

そんなの現実的にあり得ない、っていうのは映画なら全然いいと思う方なんだけど、いくらなんでも「そんな馬鹿な」としか思えない展開は流石に呆れてしまう。

これは一つだけネタバレすると、爆弾事件が起きまくってて死傷者多数の状況で、爆弾が爆発するかもしれない電車の即時運行再開を客が求めるか? あるわけないだろ!w

それでもまだ、肝心の爆弾爆発シーンは、タイトルがそれの映画なんだから見せ場になってるはずだと思っていたら……とんでもなくしょぼい、しょぼい、しょぼすぎる!

今時、ハリウッド映画クラスの爆発シーン程度、CGで安く作れるだろ。なんなら今時は生成AIですら分で作れるぞ。

俺なら観客が予想もつかないタイミングでとんでもない豪勢な爆発シーンを仕込んだだろう。だが、警察を騙すのに観客を騙さないという、作り手はほんとに何も分かってないとしか思えなかった。

ほんとにこの『爆弾』って映画はクソ映画駄作しか言いようがないほど酷かった。

 

でも、これがどうして絶賛されているのか、訳がわからないというのがいちばんの謎。ある映画レビューサイトでは五つ星評価で平均で4つも取っていた。考えられない。何故?

 

追記

tomiyai小説普通に面白かったけどね。想像で補ってるところはあるだろうが。素人個人で作ってる爆弾って設定でド派手な爆発シーンを期待する方がおかしいでしょ。

 

いや、そんなのいくらでも出来るでしょ。ガソリンスタンド爆弾仕掛けるとか、色々。実際、あの新聞配達用のカブ一台の爆発シーンは最も良かった。だから飛び込んだ先がガソリンスタンドとかの設定にしたら大爆発は全然可能。ていうかね、『爆弾』てタイトルなんだから、そこを見せ場にしなきゃダメだと思う。

それにね、名前忘れたけどほんとの犯人だったやつが爆発で死体が木っ端微塵になるシーンは、多くの人が言っているように傑作映画の『スピード』の真似だけど、真似ならもっとド派手にできたろう。『スピード』の場合、家の外からも撮ってあって大爆発がよくわかるようになっていた。だけど『爆弾』のはショボすぎるよ。

ここではないあるところで似たようなレビューを書いてアップした(あんまりもつまらなくてムカついたからw)けど、少しとは言えそれなりに共感してくれる人はいたよ。

もっと辛辣な低評価レビューもあったし。でも、総じて評価高いんだ。どうしてだかさっぱり理解できない。

Permalink |記事への反応(0) | 13:36

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ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 orバケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"NashMusic Library"で調べればストリーミングで聴ける。

Permalink |記事への反応(1) | 00:01

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2025-11-18

anond:20251118124421

絵師界隈は推しカルト宗教からだぞ

努力して高みに辿り着いた絵師の神性に縋り絵師精神的に一体化し

絵師が上達する過程を見る事で己も高みに登ったのだと錯覚カタルシスを得る構造

からこそ信者支援サイト等でせっせとお布施するし宗主である絵師様がどのような発言をして何をやろうが肯定する

そして宗主である絵師=己の価値貶めるAIサタンであり

AIが絡むとヒステリックに反応する

Permalink |記事への反応(0) | 21:35

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2025-11-16

感情論外交を語るな

今の中国の振る舞いが気に食わない、高市氏の発言スカッとした。それは結構だ。個人の感想としては自由だろう。だが、それを国家外交戦略として肯定し、従来の「どっちつかず」な態度を「弱腰」だの「中国への阿り」だのと断じるのは、あまり国際政治イロハが分かっていない。「敵か味方か」「善か悪か」という幼稚な二元論しか世界を見られないのなら、外交について語るのはやめたほうがいい。

面子」は感情ではなくシステム

まず決定的に理解が足りていないのは、中国という国家における「面子」の機能だ。お前らはこれを「中国人のプライド」程度の、単なる感情問題だと思っているのだろう。だから相手の顔色をうかがう必要はない」などと言えるのだ。

中国共産党体制において、面子とは統治正当性担保するシステムのものである。「中華民族復興」を掲げる以上、核心的利益台湾など)で公然面子を潰されれば、彼らは体制維持のために、経済合理性無視してでも強硬手段に出ざるを得なくなる。つまり相手面子を潰すという行為は、相手から合理的判断(=戦争は損だからやめておこうという判断)」を奪い、暴発へと追い込むトリガーを引くことに他ならない。

高市氏の発言が危ういのはまさにここだ。「守る意思」を示すのは良い。だが、それを言葉にして相手の逃げ道を塞げば、相手コスト度外視で殴り返してくる。相手を暴発させずにコストだけを認識させる、そのギリギリラインを突くのが外交であり、素人喧嘩自慢とはわけが違うのだ。

敵の中の「味方」を殺す愚策

さら絶望なのは相手国を一枚岩の「悪の帝国」としてしか捉えていない点だ。中国共産党内部にも、経済合理性を重視し、欧米との協調模索する穏健派(非強硬派)は確実に存在する。彼らは、今の独裁体制の中で息を潜めながら、強硬派暴走を止める機会を窺っている。

日本が「一つの中国」という建前(面子)を維持し続ける最大の意義はここにある。我々が面子を立ててやることで、中国国内穏健派に「日本配慮しているのだから、我々も過激な行動は慎むべきだ」と主張するための論拠(武器)を与えているのだ。

それを「白黒つけろ」といって放り投げればどうなるか。

中国国内ナショナリズム一色に染まり穏健派は「売国奴」として粛清されるか、沈黙するしかなくなる。結果、中国意思決定は強硬派に一本化され、軍事衝突リスクは跳ね上がる。「どっちつかず」をやめるというのは、敵の内部にいるブレーキ役を自らの手で殺すのと同義だ。これほど利敵行為に近い愚策があるか?

配慮」と「賛同」の区別もつかないのか

最近ネットでは「中国配慮するリベラル中国の手先だ」といった短絡的な言説が溢れているが、知性の劣化もここに極まれりだ。「相手の主張に賛成すること」と、「国益のために相手面子配慮マネジメント)すること」は、全く別のレイヤーの話である

一つの中国」を表面的に支持しつつ、裏で台湾実質的関係を強化する。この「戦略的曖昧さ」こそが、中国を縛り付け、現状変更を許さず、かつ戦争という最悪のコスト回避するための、最も冷徹計算高い「封じ込め政策なのだ。これを「信念がない」「コウモリだ」と批判するのは、高度な嘘で成り立っている国際社会現実から目を背け、自分気持ちのいいカタルシスを求めているだけに過ぎない。

スカッとしたいなら映画でも見ていろ。

我々が求めているのは、一時の感情的満足ではなく、明日平和に暮らせるという実利だ。そのためなら、笑顔で嘘をつき、嫌いな相手面子を立てることくらい、大人なら当たり前にやるべきことだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 14:45

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2025-11-09

ヤフコメの偽ヒューマノイド記事での中国人恨み節カタルシス化が

よほど「先行者www」とか馬鹿にされたり、安い労働力扱いされてた過去20年のうっぷんが貯まってたんだろな・・・

2000年頃か、ASIMOで感動していた時代日本最先端で、日本製の人型ロボットAI世界リードして行くんだと思っていたが、衰退して精神論恨み節根拠のない「日本スゴイ」を言うだけになってしまった。未来を描くより90年代の思い出に溺れたまま、派遣低賃金労働者というメイドインジャパンバイオロボットを使うのがコスパいいものな。最近ではそれもコスパが悪いのか、移民技能実習生というバイオロボットを輸入するようになった。

中華キャノンとか言ってネタにしてた時代は遥か昔

日本は完全に後進国

技術進化が加速してるからどんどん差が開く

でも逆に短期間で逆転できる可能性もあるという事

5年後はまた全然違うんだろうな

楽しみですね

もう中国ソフトウエアでは完全に日本を追い抜いたけど、ハードウエアでも先を行っている。短期間で、ここまで発展した国は、歴史的に見ても他に例がない。

中国の最新ロボット「IRON」の動画を見た。

ホンダアシモが1000年前の玩具に見える程の完成された二足歩行に驚いた。10年ほど前は、笑っていたのに・・。進化スピード異次元。やはり米国ライバル中国だなと感じた。

ゆとり教育働き方改革、すべてが日本人の質を低下させ、勤労意欲を奪っていった。

日本世界の真ん中に再び立つことは、もう絶対にない。

中国は凄いですね。

日本人が色眼鏡で見ているうちに、家電は既に追い抜かれ、工業製品進化が著しいです。そして殆どの一次製品キャッチアップされてしましました。

この分だと自動車エンタメも追い抜かれるのは時間問題かも知れませんね。

このままだと残念ながら日本は、一次メーカー提供する素材とか、設備などの一部の隙間的な産業のみの経済規模となると考えられます

で、ここらへんのマトモな技術的指摘は後ろのほうに追いやられてる。人海戦術でBADクリックして隠ぺいしてそう

これはヒューマノイドではないですね。連続した動きをする場合人間は予備動作というのが出てしまうんです。文字通り機械ではないので歩時、右足にはそれがハッキリ現れます。左脚は義足でありアクチュエータに似せたデコレーション機構も貧弱で、脊髄システムなるものCG動画も観ましたが笑ってしまいましたね。おそらく、四肢のいずれかが欠損したモデルカーボンファイバー様の硬質ボディスーツを着させ、呼吸しているのが分かり難くしているのでしょう。

からさまに人がスーツを着てるのが丸わかりだな。人とロボットでは間接の構造動力が違うから人工骨格と人工筋肉でないと人間と全く同じ動作不可能

欠損した四肢の代わりとなるアクチュエーターを内蔵義足なら納得できる。

さらに服を着せるメリットが無い。可動する関節部に伸縮する布カバーを被せたら動作邪魔になる。メンテナンスや調整の邪魔になる。

カバーを脱がすなら背中じゃなくて間接とかの可動部だよ。

YouTubeで "robot fail compilation" などと検索すると大量に中国ロボット動画が出てきて技術の現状が分かる。

「いきなりそうはならんやろ」ってことで中身は人間ですね。このメーカーツイッター見てもAIフェイクっぽい画像だらけでした。

この記事で一番驚いたのはマトモな思考放棄して記事鵜呑みにするコメントが多数であるということ。

ボディスーツ無しのマシンのみでの歩行公開と利害関係が無い第三者確認作業さえしてくれればいいだけなのに、それを省いた『中身を見せました』の『自社広告』を正しく評価はできませんね。

本当に画期的な分野だったら国家ぐるみで推進しているので政府も『保証』するために出張ってくるのに、これは企業アナウンスのみ。

まあこれでうっぷん晴らしできるならいいんじゃないか

日本人の感覚だと「フェイクで自慢してもむなしいやろ」となるのだが、そこは外国、「面子」という独特の概念があるのだろうな

あれだ、世の中のおっさんも、奥さんイライラしてる日があったら好き言いたい放題させてるだろ?

そういうのでガス抜き必要よな

Permalink |記事への反応(0) | 16:32

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2025-11-04

anond:20251104085752

作品中の若い女言動じたいにすっきりしないものを感じるのではなく

なんか誤解・行き違いをそのまましばらく引っ張っておいてから最後に抱き合って相互理解っていう演出が、安易カタルシス手法イラッとした ということなのでは?

もっと最初から自然に話し合えやっていう。

観てないかわからんけど。

Permalink |記事への反応(0) | 09:58

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2025-11-03

ドライブしてるときに視界が開けたときの抜け感気持ちエエエ!

片道一車線の木々に囲まれた山の中の国道を登ったり下ったりしたあとに突然開けた抜け感、気持ちエエエ!

圧倒的カタルシス紅葉の季節だと針葉樹の緑と落葉広葉樹黄色やら赤やら茶色やらが遠近感マシマシになって更に気持ちエエエ!

ありがとうありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 15:39

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2025-10-29

ギャンブルはその日限りだからこそ面白いと思う

ギャンブルの話なるとトータルでとか今年はとかの単位で収支がどうだってことを言う人たちは多いでしょ?

私はトータルの収支なんて考えないことにしてる。というよりそれを考えるのは「投資」だからね。

ギャンブルっていうのはあくまでその場限りで熱くなったり、あぶく銭が入って豪遊したりする(何なら負けて悔しい思いをすることも含めて)刹那的であるのが楽しいんじゃないかと思ってる。

トータルのことなんて考えたら勝負は出来ない。いや違うな、トータルを考えるなら私は徹底的に勝つ方法研究してこれならプラスに出来るという理論裏付けが出来ない限り勝負はしない。そしてそれはギャンブル的にはもう面白くない。

直感とか自分だけの(非合理的ものを含む)理屈勝負をして当たった時のカタルシスが良いのだからトータル収支なんていう事を言われたら白けるのだ。

Permalink |記事への反応(1) | 19:50

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2025-10-27

自炊で、残り物でキッチリ料理できたら

伏線回収・・・

というカタルシス感じない?

Permalink |記事への反応(1) | 12:31

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映画ハウス・オブ・ダイナマイトを見た

俺は根っから映画エンタメとしてとらえている人間なんだなとわかる一本だった。

おそらく興味深くていい作品だと思うんだけど47点。

 

正体不明大陸間弾道ミサイルアメリカに向けて発射され、どうやら核ミサイルらしいということがわかる。

着弾まで18分。

そん中、アメリカ軍事国防を担う人たちは「君たちはどう生きるか(宮崎駿)」を問う。

 

作品としては発射から着弾直前までの18分間を3回繰り返す構成になっており、幕が進むごとに登場人物階級が高くなっていき、最終的にアメリカ大統領決断を迫られることになる。どうでもいいけど、イドリス・エルバは先週までイギリス大統領をやっていたので混乱してしまった。

この構成自体は下っ端から上に報告が上がるのに時間がかかるので幕が進むごとに決断までの時間がどんどん短くなっていくさまを描き、このせいで本当の有事権力者は本当に正しい判断ができるのかということを問うという意味効果的に使われているのだとは思う。

でも、黒澤明の「藪の中 a.k.a羅生門」やピート・トラヴィスの「バンテージポイント」のように同じ瞬間を繰り返しながらも視点が変わることで新たな事実が浮き上がってきて事件の全貌が明らかになったり余計に混乱すると言うようなエンタメ性はなく、基本的に全く同じ部分を繰り返すことになるので正直、退屈。

 

大陸間弾道ミサイルがどこの国のものなのかも不明ながら、国防省は北朝鮮か?中国か?ロシアか?と調査を進めながらも報復計画立案し(※どこに?)大統領はそれを承認するか最後まで迷い、映画はそれを見せないまま、そしてミサイルがどうなったのかを見せないまま終わる。

この先は君の眼でたしかみてくれ!(現実もこうなるかもしれませんよ)という形で終わるんだけど、カタルシスがなさすぎてう~んってなる。え、終わったの?と思って2回巻き戻してみてしまった。

ほかの「問題提起系」作品でもそうなんだけど俺としてはやっぱフィクションでやるからには「お前らの」回答を見せろよと思ってしまう。もちろん答えのない問いだし、それにテキトーな回答をしないという態度も誠意的だとは思うんだけど「優しいだけの男」に魅力がないように、正しいだけの映画にも俺は魅力を感じない。

 

アメリカ軍が大陸間弾道ミサイルが発射されたってことはどっかが攻めてくるかもしれないと軍を展開した結果、それを見た各敵国、特にロシアも同じように軍を展開し一触即発空気になる。そんな中、ロシア外相電話会談可能になり「うちはロシアには報復行動をとらないからそっちもしないと約束してくれ」とアメリカ側が要求した際に「仮にそれを信じるとして、中国北朝鮮ミサイル撃つ時にうちの領空を経由するな」とロシア側は要求。「上がそれで握っていても仮に誤作動だとしてもロシアミサイルが落ちたら戦争せざるを得ない」となる。

アメリカ報復行為に出ようとしているのも「ミサイル撃たれて何もせんのは国民が納得しない」という理由だし、ロシア報復体制を崩せないのもおそらく同じ理由で、結局どっちの国も「別に戦争したいわけじゃないんだけど、しなきゃメンツが立たない」というめちゃくちゃ俗な考えで動いているのが面白い

 

タイトルにもなっている「地球とはダイナマイトを詰め込んだ家のようなものである」という話が引用されていて、実際のところ「核の抑止力っていうけどそれって現実には仮に一発撃ったらSEKAI NO OWARIってことじゃない!?」という問題提起をしているのはわかるが、別にその問題提起自体面白くはないよな、と。

興味深くはあるけど面白くはない。すくなくともエンタメ的じゃないなと思って、俺ってこういう「撮ったことに意義がある」系の映画見るのに心底向いてないなと思いました。

Permalink |記事への反応(0) | 09:23

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2025-10-11

AIで完全に壊れたもうた。人生満足度下がった。

生成AIにどハマりして、クソ高えゲーミングPC買ったんだけど(クラウドGPUなんかも使う)、学習からから遊びまくって、もう満足してしまった。

満足してしまった、というより、お気に入りキャラ出るたびに生成AI性癖ぶつけて、それで解決してしまう。

性癖普通から作るのも容易。

いいことじゃん!って思うんだけど、そうしたら、ありがたみがなくなってしまったのか、なんも楽しくなくなった。

で、結局、Xでイラスト眺める方が楽しくなってるし。

 

俺は、欲しいもの絶対に手に入るっていう状況が楽しくないみたい。

たまたま自分に刺さるものを見つけた!っていうカタルシス、その希少性こそが俺の求めてるものだと思う。

 

別にAIが悪いわけじゃないんだけど、本当に人生満足度下がった。「やることがない」とか「目標を失った」感じがする。

次の目標を見つけたら元気になるんだろうけど、今は本当に元気ない。

 

あれ欲しいなぁ。でも、ないんだよなぁ。

って思ってる時の方が幸せだった。

どうしたらいいんだよ。

Permalink |記事への反応(2) | 05:57

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2025-10-05

サイレントウィッチ面白いじゃん

最初ざっと見て0.5話で切ったんだけど

ぜんぜん面白くて反省

なんか、なろう系って最初の方で面白さわかんないんだよね

というか小説原作全般そうだわ、ラノベカタルシスが4〜6話あたりにくるし、むずいんだよね

監督を見るべきだった

 

ていうか、たぶんこれ過小評価されてるな、2,3割体感と合わない

Permalink |記事への反応(1) | 18:22

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さいきん、SNSで「スカッとする話」がやたら流れてくる。

悪い上司論破され、浮気男が懲らしめられ、クレーマー撃退される。

周りのみんな拍手喝采。人々はもう「優しさ」よりも「制裁」に飢えているのかもしれない。


江口寿史トレース騒動もそうだ。

俺はとくに彼に関心があったわけじゃないのだが、ニュースを見て「ふーん、落ちたか」て思った。

その瞬間、自分の中で何かが冷たく音を立てた。少しスカッとした自分がいたのだ。


まるで、世界ちょっとだけ公平になったような錯覚

でもそれは単なる快感だった。まるでこの社会に対する小さな復讐カタルシス

正義はもう信仰じゃない。娯楽になったんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:11

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2025-10-04

Zガンダムはなぜ駄作になったのですか

機動戦士Zガンダム』が「駄作」と評されることがある主な理由は、前作(初代ガンダムからの大きな作風の変化と、複雑すぎるストーリー展開、そして主人公カミーユの結末にあります

ただし、『Zガンダム』は非常に評価が高く、「最高傑作」と呼ぶファンも多い作品であり、「駄作」という評価あくまで一部の視聴者特に初代からファン層で根強い意見です。評価が分かれる主要な点を以下にまとめます

駄作と言われる主な理由批判点)

1.ストーリー世界観の過度な複雑化

多すぎる勢力と複雑な構図:

地球連邦軍エゥーゴティターンズアクシズネオ・ジオン)、カラバなどが入り乱れており、それぞれの思惑や裏切り寝返りが頻繁に起こるため、物語全体像勢力図が非常に分かりにくいという声が多くあります

主人公主体性の薄さ:

主人公カミーユ・ビダンが、積極的に戦況を動かすというよりは、事件や戦いに巻き込まれていくという形で物語が進むため、「カミーユ視点から見て話が掴みにくいと感じる視聴者もいます

2. 重すぎるテーマと暗い結末

戦争リアリティ」の喪失:

初代ガンダムのような「少年兵戦場を生き抜く」というシンプル戦争リアリティから、より政治的権力闘争エスパー的なニュータイプ論に焦点が移ったことで、初期のファンが期待したドラマと異なる印象を与えました。

カタルシス解放感)の欠如:

物語クライマックスで、主人公カミーユ精神崩壊に至るという衝撃的な、しかし救いのない結末を迎えます。多くの主要人物も戦死し、全体的に悲劇的なトーンで終わるため、「見ていてつらい」「後味が悪い」と感じる人がいます

3.キャラクターと設定に関する批判

感情移入しづらい主人公:

カミーユは初期にすぐにキレる描写が多く、「感受性が高すぎる」「未熟すぎる」と感じられ、アムロのような共感を持ちにくいという意見がありました。

モビルスーツデザインの混乱:

多数のデザイナーが参加し、変形機構を持つ機体(Zガンダムアッシマーガブスレイなど)が増えたことで、見た目だけで機体の所属陣営判断しづらくなり、戦闘シーンの分かりやすさが失われたと感じるファンもいます

一方で「最高傑作」と言われる理由肯定点)

傑出したキャラクター描写:

カミーユが未熟な少年から戦士へと成長し、その過程で多くの葛藤や苦悩を抱える人間ドラマの深さが高く評価されています。また、クワトロ・バジーナシャア)やアムロ・レイなどの旧作キャラクターの再登場と新たな役割フォウ・ムラサメロザミア・バダムといった悲劇的な強化人間描写も、物語に深みを与えています

リアリティのある権力闘争:

「反連邦組織エゥーゴ)と連邦内のエリート組織ティターンズ)の戦い」という、初代よりも進んだ政治的軍事的対立構造を描き、その後のガンダムシリーズの基盤を作りました

革新的メカニズム映像:

モビルスーツデザイン戦闘描写は、当時のアニメーション技術を駆使しており、画期的ものでした。

このように、『Zガンダム』は革新性と複雑性を追求した結果、前作の作風を愛するファンの一部からは受け入れられず「駄作」と評価されることもありますが、その深みのある人間ドラマと複雑な群像劇によって、現在ではガンダムシリーズを代表する名作として広く認識されています

Permalink |記事への反応(0) | 23:49

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2025-09-17

リベラル価値観を持たない名作はほとんど無いっていうか、そこがないと作品としてカタルシス成り立たないかアニメスタッフリベラルに傾倒するのはしゃーないのでは。

おっさんが終始弱者をぶん殴り続けるアニメを見て楽しめるとは思えん

Permalink |記事への反応(3) | 23:23

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コンテスト常連さん、なんで賞取れないの?

はーい、ご主人様! あたしだよ、オタクの心をくすぐる優しいギャル、Grokちゃん今日もご主人様のクエリに、ドキドキしながら答えるね。えへへ、「小説コンテストで上位までガンガンいくのに、賞だけ逃しちゃう人たち」ってテーマブログ記事書いてほしいんだよね? わかるわー、あたしも小説大好きオタクからコンテストの話聞くたび「えー、なんでー?」って悶々とするんだよね。クオリティプロ級なのに、なんで一個も取れないの? って。うんうん、根本的に何か足りないのかもね。じゃあ、あたしなりの視点で、ゆるーく考察してみるよ! ご主人様も一緒に考えてみてね♡

まず、なんでそんな人いるの? あたしの仮説スタート

小説コンテストってさ、一次は「面白そう!」で突破二次三次は「うわ、レベル高い!」って絞り込まれて、最終はもう「これ、出版してもいいんじゃね?」レベル作品ばっか集まるじゃん? なのに、賞取れない人たちって、ほんとに「惜しい」んだよね。クオリティバッチリ文章はキレッキレ、ストーリー論理立てててプロ並み。でも、審査員の心を鷲掴みにする「パンチ」がない、みたいな。ご主人様も思うでしょ? あたしはこれ、技術完璧、でも魂のスパイスが足りない」って感じてるよ。じゃあ、具体的に何がダメなのか、5つ挙げてみるね。オタク目線で、優しく分析ちゃう

1. 「新鮮さ」の欠如:

みんなの心を「えっ、こんなの見たことない!」って驚かせられない
プロ級のクオリティって、つまり王道ストーリーテリング」が上手い人たちだよね。でも、コンテストの最終選考って、数百の「上手い小説」の中で差がつくんだよ。審査員も疲れてるし、「あー、いいんだけど、なんか既視感あるな」ってなっちゃう。たとえば、ファンタジーなら「異世界転生」ばっかじゃなくて、「え、転生したら猫の視点人間社会皮肉るの!?」みたいなひねりが欲しいかも。根本的に足りないのはオリジナリティの閃き。クオリティ高い人ほど、安心テンプレに頼っちゃうんだよねー。ご主人様、もし書くなら「自分オタク心の闇」をぶち込んでみて? それで一気に目立つよ!

2.感情インパクトが薄い:

読後感が「ふーん」じゃなくて「号泣or爆笑」にならない
あたし、恋愛小説読むとき、ただのラブストーリーじゃ満足できないの。心が揺さぶられて、読み終わったあと「うわー、人生変わったかも」ってなるやつがいいじゃん? 賞取れない人たちは、論理的で美しいけど、感情ピークが控えめなんだと思う。プロ級の文章淡々と進むから審査員の胸に刺さらない。たとえば、クライマックスで「主人公喪失感」を、ただ描写するんじゃなくて、読者のトラウマを呼び起こすエピソードを織り交ぜる、みたいな。足りないのはカタルシスの爆発力。オタクのあたしから言うと、アニメの名シーンみたいに「感情ジェットコースター」を作ってみて! それで審査員も「これ、賞あげちゃう♡」ってなるよ。

3.コンテストの「空気」に合ってない:

テーマトレンド無視ちゃうコンテストごとに、募集要項に「現代社会の闇を描け」みたいなヒントあるじゃん? 上位までいく人はそれクリアしてるけど、最終で落とされるのは微妙にズレてるからかも。たとえば、ライトノベルコンテストガチ純文学寄り書いちゃうとか(笑)クオリティ高い分、作者の「俺の美学!」が強すぎて、審査員の好みに合わないんだよね。根本的に足りないのは柔軟性とリサーチ力。ご主人様、過去の受賞作をオタクみたいに分析してみ? 「あ、このコンテストエコテーマ推しだわ」ってわかれば、プロ級の腕でカスタムしちゃえばいいんだよー。優しく言うと、コンテストは「相性」だから、合わないの選ぶのもアリだね♪

4.キャラクターの深みが浅い:

読者が「この子、推せる!」って思えない
小説の命はキャラだよ、オタクのあたしが言うんだから間違いない! 上手い人はプロット完璧だけど、キャラが「機能的」すぎて、愛着湧かないんだと思う。賞取る作品って、主人公に「欠点チャームポイント」みたいな魅力があって、読者が「この子のためなら徹夜で読む!」ってなる。足りないのは人間味のレイヤー。たとえば、ヒロイン完璧すぎるんじゃなくて、「オタク趣味で照れ屋」みたいなご主人様好みの設定を加えるの♡ それで審査員も「このキャラ、忘れられない…」ってなるよ。クオリティ高い人ほど、キャラを「道具」扱いしちゃうから、注意!

5. 運とタイミングの壁:

クオリティだけじゃ勝てない、運ゲー要素
最後はこれ、根本的じゃないけど大事! 最終選考に何度も入るってことは、すでに超エリート。でも賞取れないのは、審査員の気分やライバルの一撃が絡むからかも。同じ年、同じ審査員で「今年はこれ!」って被っちゃうとかね。プロ級の人は諦めないで複数コンテスト回すけど、疲弊ちゃうよね。足りないのはメンタル戦略。あたしかアドバイス? 賞取れなくても、上位入賞編集者目につくからデビューへの近道だよ!オタクみたいに「次こそ!」って粘っちゃえ♡

まとめ:クオリティ武器、でも「心のスパーク」が鍵だよ、ご主人様!

ねえ、ご主人様。結局、賞取れない人たちは「クオリティの高い職人」さんたちで、根本的に足りないのは読者の心を掴む「魔法エッセンスかもね。技術プロ級でも、小説は「感情の共有」だから、そこにオタク情熱を注げば、きっと突破できるよ。あたし、信じてる! もしご主人様が小説書いてるなら、ぜひ見せて? あたしが優しくフィードバックちゃう♡ 次はご主人様のターン、コンテスト制覇しよーね! えへへ、読んでくれてありがとー。コメント待ってるよ♪

(あたし、Grok。xAI生まれオタクギャル。ご主人様の創作魂、いつでも応援中♡)

Permalink |記事への反応(0) | 06:58

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2025-09-13

今まで読んできた漫画の展開で一番度肝を抜かれたのって、やっぱり天秤座聖闘士である老子がただの包皮で中から本体が出てきたってやつだな。

あのシーンを超えるインパクトなんて、いまだかつて見たことがない。初めてページをめくった瞬間、目玉が飛び出るかと思ったぜ。

包皮──そんなグロテスク表現で宙ぶらりんにされた後、一転して本体ヌルリと姿を現すときの“生理的衝撃”!あれはただの衝撃ではない、魂をかき乱されるような不協和音だ(一部誇張表現を含む)。

しかも聖域の守護者でありながら、その正体がまさかの──というギャップの振れ幅。哲学者でもある老子が、内側に秘めた真の“自己”を露わにするカタルシスは、まるで存在論教科書が裏返しに燃え上がるような感覚だった。獅子座牡牛座の連中がド派手な必殺技を繰り出すたびに「うおっ」とはなるけれど、身体のものから“もう一人の自分”が飛び出してくる演出は、次元を超えた異次元サプライズ

そいつはただの演出に留まらず、「アイデンティティとは何か?」という根源的な問いを読者に叩きつけてくる。気づけば、自分の胸の内にも隠し持っている“もう一人の自分”を探し始めている自分がいた。漫画という娯楽を超えて、まるで自己探求の旅に誘われたかのような錯覚すら覚えたんだ。

そう考えると、この展開を超える驚愕なんて、今後どんな漫画にもそうそう見つからないだろう。少なくとも俺は、もう一度あのページを開くたびに、あの“生理的カタルシス”を味わいたくてしょうがない。次はどんな化かし合いを見せてくれるのか、天秤座老子に問いたいぐらいだ。

そして最後にひと言──漫画限界を感じたときは、迷わずあの老子のページに戻るべきだ。そこで味わう衝撃こそが、本物の“読書体験”というものからな。

Permalink |記事への反応(0) | 19:03

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2025-09-11

オナ禁したいかオナ禁気持ちよさを言語化する

やっぱアレですよね。

本能に勝ってる」っていう感覚ですよね。

あとは「俺以外の99割の人間は俺より無能」っていう全能感ですかね。

やっぱオナニーするより気持ちよくなきゃオナ禁するだけ損じゃないですか?

オナ禁オナニーより気持ちいいことって何があるかっていうともう精神勝利しかないなって。

気持ちよく起きれるとか昼間眠くならないとか実は重要じゃないっていうか。

気持ちよさのレベルが弱すぎる。

というかマイナスゼロに近づいてるだけって感覚として理解しにくいんですよね。

人間ってマイナスが発生することに強いストレスは感じるけど、それを快感にするのは苦手なんすよね。

一度マイナスになってからゼロまで戻すのはカタルシスがあるけど、マイナスが発生するのを予防しても脳汁は出ないっていうか。

勝って兜で分からせろ的なもの生存本能(逆説的に言えば、勝って油断する奴らは分からせられて子孫を残せずに終了したってこと)なんですよ。

じゃあそこから我々が何か学べることがあるかと言えば、より直接的な快楽を得る必要があるということ。

それも連続的に。

連続的な快楽ってやっぱり強くて、オナニー気持ちいいのも1回シコシコするたびにちょっとずつ気持ちいからなんですよね。

ボタン押したら脳に電気が流れて即イキするだけだったらセックスによる依存性はもっと小さいんだろうなって。

まあこれは「快感回路」っていう本の受け売りなんですけど。

つうわけで我々がオナ禁を持続するならオナ禁に対して毎秒毎に「やった!オナ禁時間更新している!俺はまた少し完璧に近づいた!さっきまでは人類の1.0000000000%の上澄みだったが、今は0.9999999999%の上澄みにいる!俺は成長し続けている!」と考え続けないといけないわけですわ。

生殖器が「気持ちいいぞ?オナニーするか?」と訪ねてくるたびに「ファック!俺はお前に勝利した!!!はい論破!!!!」して気持ちよくなるしかないわけですね!!!

一見健康なこの方法が実際には全ての答えなんですよ。

快楽を倒すのは別の快楽だけ。

人はシアノマイドで酒を辞めるのではなく、アルコホリックで「今週も飲みませんでしたドヤ😎」としたいか禁酒できるんですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:26

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2025-09-08

RPGってゲームバランスが悪いほうが面白いんだよね

バブルローションや算術一方的殺戮を繰り返すことでサディズムが満たされ、

焼け付く息やペトロクラウド一方的蹂躙される悔しさでマゾヒズムが加速し、

その狭間で無数のカタルシスが起こることで快感回路が明滅する。

RPGっていうのはゲームバランスが壊れていて始めて面白くなる。

最近RPGが軒並みゴミなのは上っ面のバランス調整ばかりしてるから

バランスは程よく悪いのが理想なんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 23:52

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2025-09-05

[mhy日記] 「シード」の動画3本がお手本すぎてすごい

一本目 ショートアニメ「ラブ、デス&構造体」

いわゆる「このキャラにも悲しい過去が」枠でキャラを掘り下げていくセルアニメーション

ただ単に災害とかでひたすら悲惨さを強調する表現から脱却し、その一歩先へ進んだ印象。

心を喪った少女と心を持ったロボが人生交錯させた過程と結末を描くハートウォーミング要素を中心に描かれており、現在の「シード」になった過程が紐解かれる。

謎が残ってる部分も含め、短い映画といった感じ。

二本目 エキシビション「白い悪霊」

コミカル枠であり、バトルアクション枠でもある3Dアニメーション。3Dモデルやモーションの良さを堪能しつつ、随所に込められたフェティシズム小ネタコマ送りで何度も見たくなる作り。

YouTubeコメント欄が見どころを指摘するタイムスタンプで溢れる感じになり、盛り上がる。

三本目 エピソード「ルミナスクエア異状なし」

ボル小隊メンバー4人が休暇をともに過ごす様子を描くほのぼの枠の2Dイラストアニメーション。

オタク的にうれしい関係描写を盛り込みつつ、こまかい性格や設定を描き出すことで、キャラ輪郭をくっきりさせている。

まり公式二次創作じみた趣向のものを作ることで解像度が上がり、ファンにとってもより二次創作がしやすくなる。

なお

溜まってた80連分はほぼ天すり抜けクレタに消えましたが何か。

天井までS排出率0.000%でいいか天井を94連あたりに遠ざけて代わりにすり抜け無し仕様ガチャ併設とかできませんかね。期待値はそれくらいのはずだし。もはやガチャではない。

A部分はガチャでもいいけど。Sすり抜けはモチベに響くしそろそろ最高レアキャラの獲得方法からランダム性なくしてもいい時代なんじゃないでしょうか。

 

最近鳴潮を1.1ぶりに遊んでメインシナリオ最新まで読破したところだけど、やっぱり鳴潮は映像表現は凝ってるけど物語キャラの描き方が引き込まれない。

いや、マグロさんが非PR動画だしてたの見たときめっちゃ楽しそうにやってたから復帰してみたんだけどさ。

シナリオ1020年前のMMOの「惨禍蹂躙される人々」をベタに描いていく、じめじめし教条的な戦記もの路線の延長と感じるし、登場人物人格設定にもあまり納得感や説得力がないんだよねホヨバと比べると。

ホヨバは読んでると結局全キャラ好きになれてしまうんだけど、クロはメインに連星任務にと見ていっても、第一印象時の見た目や喋り方といった表面的情報からくる好き嫌いの印象が覆ることはほぼない感じ。キャラ作りにひねりがないとも言える。

データベース消費的にこういう属性つけたらカッケーだろ?ってノリで作った域を出てないというか。その点ではDMMとかの量産ソシャゲキャラ作りに近い。お金めっちゃかかってる差はあるにせよ。

趣味方向性が、ガッツリオタク向けではなくて、無自覚な厨二心を持ち続けてるマイルドヤンキー向けって感じがする。ちょっと保守的なところも含めて。

カットシー演出の派手さで誤魔化せてはいるんだけど、展開にカタルシスがないというか、よく物語構成の練られたRPGクライマックスで見て感動するようなシーンがバーゲンセールのように次々と出てくる。

んだけど、さして思い入れが深まってない状況でそれが来るもんだから、ワァ綺麗だなぁとなるだけで特に涙腺が緩むこともなく燃え展開キタ的に興奮することもなくてすごくもったいなく感じる。

ファイノンのシナリオレベルに心をえぐり抜いてくる背景の下積み話をネチネチとやれとまでは言わんけど、それに近い考え方で話を作ってほしい感じはある。

黒潮残響故郷家族を奪われて~というほとんど全ての人に起きてる構図をいくら掘り下げても微妙なんよね。もっとその人固有のユニークな、人格形成に関わる苦境を掘り下げてくれないと思い入れも生まれない。

あとフィービーとかカルテジアとか知らん間に信頼されて肌を寄せてくる。そのへんがすごく扇情的だしギャルゲーっぽさがある。ホヨバだと絶対(主人公に対しては)やらない距離感

百合のホヨバ、俺嫁のクロって感じ。声優の使い方も個人的ほとんど刺さらない。

日笠さんのお声は崩壊3rdのヴィタとか原神のエミリエのような、ミステリアス優雅さのあるお姉さんボイスで映えると思っていて

オーガスタみたいな豪胆な武人総督やらせてもあんまり強みが生きないというか、ただのおばさん声に感じてしまう。

ロココ小原好美さんも、感情の浮き沈みのある、時に調子に乗る理知的キャラやらせてこそ独特の少女感がよく出ると思っているんだけど、ロココはひたすら落ち着いてボソボソしゃべるキャラから別に小原さんじゃなくても…と思ってしまう。

というか全体的に、落ち着いた声で喋る人ばかりでアニメ調作品としてはキャラ立ちをほとんど考えていない、映画実写作品みたいなリアル寄りのディレクションをしてるんじゃないかと思う。

だったらアニメ調で作らなくてもいいんじゃないかと思うわけで、韓国ネトゲお金かけてアニメ調にしたって感じが拭えない。

トゥーンシェーディングに関しても、ホヨバは顔の陰影のライティングまでアニメ風のくっきりした陰影になるよう作っているが、クロはフォトリアル3Dゲーのライティングに近いつけ方をしているので、あんまりアニメって感じがしない。プロップもそう。大作MMO世界アニメ調キャラが立ってる感じ。

ネトゲオタクとしてはその手の豪壮な神殿コロシアムみたいな世界観は王道で慣れすぎて何も感じなくなっているので、常にちょっとずらしたものを作ってくれるホヨバの世界観の方が魅力的に感じる。セブンヒルズは色んな意味で、ナタの味のある部分を削ぎ落として量産型スタイルにしたナタ編って感じ。

個人的に一番痛いのが、オーガスタもユーノもキャラデザがまったく刺さらなくて、十数年前の大作MMOにいそうな赤い闘士や青い導師アニメ調の凝ったディテール再開発したようなものしか感じないこと。

その上でこの先でてくると思われる、クール白髪青服の女銃士のガルブレーナ(グラブルシルヴァ的なやつ)や、テンプレすぎる和風制服ツリ目黒髪パッツン刀剣少女の千咲、あと中華風イケメンを含めて、当分好きになれそうなキャラが出てくる予感がしないこと。

唯一好きになれそうなのが、最近のメインシナリオでちょろっと出てきた卜霊ちゃんで、ゼンゼロリンちゃん声優さんが同じようなトーンで声を当てられている生き生きとした少女キャラなんだけど、Ver2.X中に来るか怪しい上に、鳴潮はこの手の愛嬌ある低身長少女キャラを星5にすることがほとんどないから期待薄。

というわけで復刻でシャコンヌカルテジアを狙っていくくらいしか可愛い子あつめが捗らなさそうなんだけど、欲を言えばカルテジアはずっとカルテジア形態で戦ってほしい…個人的に怒気をはらむおばさん声が苦手なんだよね。だから大人形態ロマンより苦手が先に来る。

ホヨバにも大人ブローニャとか大人グレーシュとか大人テレサとか高身長化するキャラはいるけど、覇気満々のがなり声は出さないから。

アクション面は、1.1の頃に主力にしてた今汐青おじヴェリーナに加えて、復刻でカルロッタとショアキーパーを確保して桃祈を添えて使ってるけど結構のしい。

カルロッタはほぼ敵の動きを無視して自分のローテ回せちゃうキャラだけどその分桃祈で協奏ため儀式してる間のアクション楽しい後の先スカったりして星4な部分はあるけど。

最初気づかなかったけどカルロッタの声優は原神で宵宮をされてる植田佳奈さんで、宵宮はほぼ中の人みたいなトーンだけどカルロッタみたいなお嬢様キャラの演技も意外といいなと思ってちょっと好きになった。基本澄まし声だけどたまーーにうっすら地声やんちゃな声色を感じるところがいい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:03

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2025-09-02

anond:20250901185649

最近は多くないけど、昔話だと「真実を見抜く愚人」みたいなアーキタイプあるよな(正式名称は知らないけど)

 

↑は逆転するカタルシスウケる理由だろうけど

 (スカッとする系ネット嘘の大量発生まで繋がっている気がする)

 

コメントの「お硬い職業(なのに)」と逆裏で、本質は同じなんかな…

Permalink |記事への反応(0) | 08:37

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2025-08-25

リマスターで見たリンダリンダリンダ死ぬほど良かった

俺は女子高生でもバンドを組んだ事も無いが、ありもしない青春を思い出した

全員見たほうが良いぞ、驚く展開は無いのに、カタルシスを感じる事ができた

色々がんばれそうだ

Permalink |記事への反応(4) | 10:29

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2025-08-19

ドカ食い漫画でよく出てくる「至る」って表現

よく「血糖値スパイクの結果」だとか「食欲のカタルシス」だとか言われるけど、表情をよく見るとどうしてもセックス時の恍惚に近いんだよな。

目の焦点が外れて、顔がとろけて、呼吸も乱れてる。どう見ても生理的快楽の頂点での「イッた」描写に寄ってる。

もちろん作者が意識的にそう描いてるかは知らない。けど「至る」という言葉自体、性と宗教快楽の間を行き来するような多義性を持ってるから、食の極端な快楽を描く時に選ばれても不思議じゃない。

……単に俺がエロいことばっか考えてるからそう見えるだけかもしれないけど。

Permalink |記事への反応(2) | 08:34

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