
はてなキーワード:オーソドックスとは
子どもが生まれてから、もうすぐ10年になる。めちゃくちゃ幸せ。子ども最高。
家庭のこと環境のことなどなど、長いあいだ悩み苦しみ こーーんなに生きると思ってなかったし、クリティカルな分岐点も複数回はあった。
という気持ちになっている。
若い頃はもちろん、生まれてからそんなことを思ったことがなかった。
でも今は、かなり具体的に長生きしたい。それはそれはしたい。
で、3日前くらいに、ふと閃いた。
と。
なんで勉強するのかって
なんで趣味をするのかって
楽しい、面白い、気持ちいい…そうじゃないと長生きに耐えられない。
大事だったり意味を問われたり、そういうオーソドックスなもの、全て「長生き」ベースに説明できそう。
…いいぞ。
物の扱い方。
まだ使えるものは譲る。
長く使える一生もの、みたいな物は、それを全うさせられる自分にまだなっていないなら、あえて今は手を出さない。
お金の使い方。
宵越しの金は持たねえ、ではないけど、あるものをある分、今と未来の自分が長生きしやすくなるように使えばいい。
…なるほどな…所謂「寿命が延びるぜ〜!」てことをすればいいんだな。
で、この辺でもう一つ閃いた。
楽しい、面白い、気持ちいい…そういうのを得た時の感覚を「寿命が延びるぜ〜!」だなと捉えた時、その解答が出たと感じた。
なんでそんなにもこんなにも大きな幸福なのかというと、概念的な寿命がありえない長さに延びるからだ。
わけがわかった。
めちゃくちゃ幸せなのも。
めちゃくちゃ長生きしたいのも。
当然、敵の中ボスとか出てくる。
ひとりの中ボスにパーティがみんなで力を合わせて、なんとかかんとか勝利する。
敵に殺られたり、宿命的な岐路に立たされてパーティから抜けたり。
で、だんだんとパーティメンバーが減っていくんだけど、戦いには勝利する。
みんなでひとりの中ボスを倒していたのが、中ボスとかだと勇者一人で倒し切るようになる。
だから、敵もこれはヤバイと思って、手下を多数用意したり、中ボス同志で集まったりして戦うようになる。
つまり戦いが熾烈になる。
そうした過程でパーティはまたひとり、またひとりと脱落していく。
その頃には、勇者はもはや魔王と互角か凌駕するほどの力をつけている。
敵の中ボスも絶対に敵わないと思いつつ、数だけは揃えて決死の覚悟で戦いを挑む。
そう勇者パーティが冒険の序盤に決死の覚悟で中ボスに挑んだように。
この逆転の構図を形成しているなろう系が読みたい。
最近、「しっとり」とか「もっちり」とかの高級ホットケーキミックスが多い。
食べてみて思うんだが、わたしはホットケーキにしっとりももっちりも求めていない。
厚みがあって、断面はボコボコに穴が空いていて、焼き面がこんがりさっくりしてて、食べるとサクッ、バフッと乾いた感じがするホットケーキがいい。
しっとりはしててもいいけど、水分でねっちりした重たいしっとり感じゃなくて、バター系の軽いしっとりがいい。
なんなら、乾き目で密度の粗いホットケーキに、たっぷりバターやシロップをかけて、バターやメープルが滴る。
そのしっとり感が好きなので、やっぱりホットケーキそのもののしっとりは求めてないのかもしれない。
もっちりも……なんか噛みきれないような感じで、求めてないかもなあ。
ホットケーキはさっくりほろほろ軽やかであって欲しい。
ゆめちから配合! みたいなブランド小麦使いつつ、オーソドックスな、さっくり嵩高に焼けるホットケーキミックス、あったらいいなあ。
「今からウンコするから見てて」と言われたらどこを見るのが正解なのか。
目と目を見つめ合うのだろうか。気まずくならないんだろうか。
他に見るとしたらどこだろう。
肛門ではないだろう。野グソしてるんじゃないんだから見えないだろう。
いやシチュエーションとして野グソを除外する正当性はないのだろうか。
そもそも「見る」の意味も「周りを見張ってて」かも知れないし、だったら野グソ説は現実味を帯びてくる。
出たてのウンコを見て欲しいと考えるのが、正しいかは分からないが一番直接的だ。
因果としても「ウンコをする→ウンコを見せる」がキレイに決まる。
とは言え一番大切なのはウンコを出してる者の心である事は間違いない。
見て欲しい者の視点に立たなければ真に応える事はできない。
俺以外誰もいないのに。
はっ
そうか。
これは叫びなんだ。
自分の情け無い姿を見ててくれるような人がいて欲しいという魂の叫びなんだ。
「見てて」とは気にかけていて欲しいって事なんだ。
俺の事を大切にしなきゃな。
ペペロンチーノやらミートソースやらのオーソドックスなメニューが並ぶお洒落系ではないお店である。
試しとばかりに入店し、こってりな気分だったのでカルボナーラを選択。
大盛り無料とのことだったのでそれにしてもらい、しばらくして提供されたモノを見て椅子から転げ落ちそうになった。
昭和から平成初期くらいにしか見た記憶のないシャバシャバのソース…と言うか汁の中に浸かる麺。
おやつカルパスを細切れにしましたって言われても信じるレベルのベーコン…ぽい何か。
これが昭和から続く純喫茶で提供されたなら『まぁそういうモン』と納得は出来る。
…が、別にくつろぎの空間でもないこの場所に於いて1000円越える値段で提供していいレベルではないように見える。
おっさんサラリーマンがメイン客層な立地であるとは言え令和の御時世に、これは…?!
そう言えば、ここは前にオープンしたラーメン屋が一ヶ月くらいで消えた場所の居抜き。
あのラーメンも大概な味だったが、さすがに立地を考えたらマズいものを出したって客なんかつかないのは経営者であればちょっと考えたら理解出来るハズ。
食べもしないでけなすのは山岡さんか海原雄山先生くらいしかしてはいけないのだ。
そう自分を戒めながら、今時あんまり見ない細っそい麺をフォークに絡めて、いざ実食。
……うん、お い し く な い。
全体的に茹で過ぎの麺が、牛乳も卵の味もほぼしないシャバシャバソースを吸ってふやけ、味・触感・値段全てが終わっている。
まるで料理をしない私が作っても、おそらく互角くらいの出来にはなりそうな仕上がりだ。
私がもし海原雄山先生だったら女将を呼んでるし、陽気なボブだったなら“what the fuck?!”と叫び頭を抱えて天を仰いでいただろう。
だが現実の私は雄山先生でもボブでもない、単なる中年のおっさんだ。
虫を見るような目でそれを見て私は考える。
うっかり大盛りにしてしまったこれを、どうしたらいいだろうかと。
最近の若者であれば残すのだろうが『お残しは死刑』と言う昭和価値観の中で育った私。
たとえどんなにマズかろうが、一旦提供されたものを残すなど礼儀的に良くない。
なんちゅうもんを食わせてくれたんや、なんちゅうもんを…
シチュエーションとしては180度違うくらいなので、大体一緒だろうか。
この場を乗り切るものはないかとカウンターに対して目星を実行すると、よく分からないオイルが二種類置いてある。
カルボナーラに合う!と印刷されてある透明なオイルと赤みがかった辛そうなオイルだ。
とりあえず透明な方を掛けてみた。
これは私の舌に熟練度が足りないのだと自分に言い聞かせ、辛い方のオイルをぶっかけて味を分からなくし、口に含んだ麺を水で胃へと流し込む。
ピッチャーの水を1/3ほど消費して、提供されたカルボナーラと名付けられた何か、を完食した。
やりきった達成感と共に、私は店を後にした。
飽食の時代と言われる現代に、魂が震える料理を食べさせてくれたあのパスタ屋にはとりあえず感謝をしよう。
……二度と行かないが。
やってみた
〜〜〜
Queen の楽曲の中で「You're MyBest Friend」は、しばしば異色の存在として語られる。
劇的な構成や重厚なハーモニーを特徴とする彼らの代表曲群とは異なり、この曲は実にシンプルで、親密さと温もりに満ちている。
だが、まさにその“シンプルさ”こそが、Queen というバンドの多面性を明確に示していると言える。
作曲者ジョン・ディーコンが、当時の妻に捧げて書いたという背景も相まって、この曲はバンド全体のイメージを一段柔らかくし、新たな側面を広く世に知らしめた。
曲のアイデンティティを決定づけているのは、エレクトリック・ピアノ——Wurlitzer の独特の音色である。柔らかく丸いアタックと、わずかにざらついた残響が、曲全体に温かみを付与している。Queen の鍵盤サウンドといえばアコースティック・ピアノを想像しがちだが、この曲ではあえて電気的なエレピを主役に据えることで、他のロック曲とは異なる質感を生み出した。
実はフレディ・マーキュリーはWurlitzer の音があまり好きではなかったと言われるが、ライブでは彼がアコースティック・ピアノで代役を務めており、スタジオ版との音色の違いもまたファンの興味を引き続けている。
構造は極めてオーソドックスで、古典的な Verse–Chorus形式に沿って展開する。にもかかわらず魅力が損なわれないのは、ディーコンの旋律感覚とコード運びの巧みさによるものだ。
主要キーは Cメジャーで、I–IV–V を中心とした実に素直な進行だが、ブリッジにはIVmaj7 のような柔らかい和音が配置され、気持ちの動きを自然に高めている。
Queen が得意とする大胆な転調は見られないものの、曲が求める感情のレンジにはこのシンプルな和声が最もふさわしかったのだろう。
リズム面でも、派手なアクションはほとんどない。ストレートな8ビートが淡々と続き、ドラマ性よりも安定と親しみやすさを重視している。
ブライアン・メイのギターも装飾的で、主役を奪うことなく全体をそっと支えている。
そのバランスの良さは、Queen が単なる“テクニカルなロックバンド”にとどまらない、アンサンブルの巧みなグループであることを再確認させる。
歌詞は比喩の少ない直球の表現で、「あなたは恋人であると同時に、私の親友でもある」というメッセージが真っすぐに込められている。
Queen の楽曲はしばしば壮大なテーマや幻想的な物語を扱うが、この曲では日常の愛情をそのまま掬い取るようなリアリティがある。
華美な装飾を避けた歌詞の選択は、ディーコンの人柄と楽曲の素朴さにぴたりと合致している。
1975年といえば、「Bohemian Rhapsody」の成功によって、Queen が世界的な注目の中心にあった時期である。そんな中でこの曲が発表されたことは、バンドにとって大きな意味を持った。
派手なイメージが強烈に広がる中で、「Queen はこんなに身近で温かい曲も書くのか」という驚きが、彼らの表現の幅を一気に広げたのである。
この曲の成功があったからこそ、のちに「AnotherOne Bites the Dust」や「I Want to Break Free」のようなポップ寄りの楽曲がより自由に生み出される環境が整ったとも考えられる。
音楽的文脈で言えば、Paul McCartney 的なポップ感やThe Beach Boys のハーモニー・センスとの共通点がしばしば指摘される。
エレピを中心とした滑らかなポップロックという点では、後年のBen Folds Five や多くのAOR 系ポップロックにも影響を与えたと考えられる。
こうして見てみると、「You're MyBest Friend」は“地味な名曲”と言われがちな一方で、Queen の音楽性の豊かさとメンバー個々の個性を改めて浮かび上がらせる、実に重要なポジションにある。
劇的な曲を書けるバンドが、等身大の愛情もまた美しい形で描けるという事実。それこそが、この曲が半世紀近く愛され続けている理由にほかならない。
極端にまずいわけではないけど、別に美味しいわけじゃないし安いわけでもない、ただ近所にあって夜遅くまでやってるからたまに行く二郎系ラーメン屋。
それなりの味だったら店員の態度が悪かろうが店が汚かろうが列ができるような業態なのに、並んだ記憶も満席だった記憶もない店である。
店員は今まで見たことないおじさん。めちゃくちゃ愛想が良い。何屋さんだとしても愛想が良いなと思うくらい、良い。
いつも通りに注文していつも通りオーソドックスなラーメンを食べる。相変わらずこの店はニンニクだけ鮮度が良くてやたらと辛い。
ジロジロ見たわけじゃないけど、多分野球部だと思う。
楽しそうに仲間内で会話してるが、食券を渡すときもラーメンを受け取るときも返事がハキハキしてて元気が良い。
「美味そう」、「絶対美味いじゃん」、「美味い美味い」
ずっと楽しそうな声が聞こえる。
電車でもう何十分か揺られたら直系の二郎もあるし、二郎系でも他に美味い店はたくさんあるよ、と思いながら、
でも、こうやって連れと学校帰りか部活帰りにふらっと立ち寄って並びでガヤガヤしながら食べられる店もありなのか、
この子たちにとってコレも思い出の味になるのか、と変な感慨に耽りながら店を出た。
口直しのマックシェイクが少し冷たく感じるくらいの季節になっていた。
トランスジェンダーやクィアはオーソドックスなジェンダー規範を内面化することができない人として消極的に定義される。トランスジェンダーには性倒錯が入るが、小児愛者・ペドフィリアや動物性愛者・ズーフィリア、死体愛好者・ネクロフィリアなどの他害性の高い性指向はパラフィリアとして別だとされている。社会的に有害な在り方でしか欲求を満たせない存在を切り離すことで、トランスジェンダーは無害であり、受け入れない社会の方が間違っていると主張するためだ。つまり人為的な区切りである。何のことはない、昔は「変態」とされていた言葉の区切りを変えただけだ。
なお、性指向と性自認は必ずしも同期しない。だから、自分は男に生まれて女性の心を持っていて、女性的な振る舞いをするが、性愛の対象も女性であると云うのは全くおかしなことではない。ただ、女性への性愛のために性指向を虚偽申告したとしても、傍目には区別がつかない。
この問題に対して、性別違和(性同一性障害GDI)の人の苦しみを挙げて反論する論者がいるが、全くの筋違いである。性別違和は医学的定義であるのに対し、トランスジェンダーは政治的定義である。前者は精神的に苦痛を軽減するために医学的処置を受ける必然性がある場合に認められる。かつて、トランスジェンダー界隈が「くたばれGDI」と言う標語で性別違和当事者を攻撃してきたのは、性別違和者は既存の社会のジェンダー規範に合わせたいという強い希求があり、それに応じて法律上の地位を得ていることへの攻撃だったといえる。トランスジェンダーイデオロギーは、既存の男女二分法に基づいた社会規範は間違っていて非倫理的であるという主張に基づく。処置を受けて社会に適応すると言う考え自体が、トランスジェンダーイデオロギーと真逆の発想なので、対立するのは当然といえる。さらに、トランスジェンダーの定義として、表立っては反対しにくい性別違和者の例を挙げるなどしてるが、トランスジェンダーイデオロギーが浸透することで性別違和者が「生きやすく」なるかは疑問である。なぜなら、性別違和者は生まれ持たない既存のジェンダーロールを身に付けたいと願っているが、その試みはトランスジェンダーイデオロギーにとっては悪しきものだからだ。
結論としては、トランスジェンダーやクィアと言うのは政治的カテゴリーであり、「社会悪でない性的逸脱」全般を指すと考えて良いと思う。数多くの逸脱が内包されている以上、一致した見解はなく、既存の社会を批判するためにつくられた「ポリコレ叩き棒」といっても差し支えないように思う。
今治市には彼女が住んでいて、その関係で月に一回くらいの頻度で行っている
いいなと思ったところを思いついた順に書く
白雅(たぶんハクガでいいと思う)は老舗の、わりと地元民には有名な餃子屋だ
餃子屋って何だよ?中華居酒屋みたいなことか?と思うかもしれないが、フードメニューが
・焼き餃子
・水餃子
・くらげの冷菜
白雅の特徴は、なんというか、その「世界の完成度」にあると俺は思う
フードメニュー4つのミニマルな世界において、どのメニューも、この形以上の正解はないなと思わされる、そういう味だ
4つ全部頼むのが正解だと思われる
最初に出てきて、箸休めにもなりつつ、単体でやけにうまいクラゲの冷菜
こういうのがいいんだよ、という感じの、特徴のない、必要十分な中華そば
ニンニクなんかが効いてるわけじゃないから、ジャンクさのない、だからこそドシドシいける餃子
そこに酒なんかを一杯つけると、もう、"完成"という感じがする 本当に満足度が高い 値段も安い
古墳はあんまり人が通ってる形跡のない山道を登っていくと現れて、少なくとも俺たちがいったときには周りに誰もいなかった
オーソドックスな前方後円墳で、誰が眠ってるかとかそういうのは正直全然覚えてないし、そもそもあきらかにされていたかも微妙なんだけど、古墳の上からは今治の街が一望できた
今治の街っつうかまあ、今治の街のメインじゃないサイドではあるんだけど、まあ、街は街だ
古墳の上にはちょっとした壺なんかも並べられていて、少し雰囲気がある
オーソドックスなミシシッピアカミミガメで、なにか特色があるわけではないんだけど、俺は亀が好きだから、しばらく眺めていた
今治市っつうか松山市にも近いような、菊間という場所にある、テイクアウト専門の唐揚げ屋だ
あまりほかの唐揚げ屋の味を多く知ってるわけではないけど、うまいのは間違いない
ここのポイントはソースにあると思っていて、唐揚げのほかに100〜200円くらいで、小さいプラスチックのケースに入ったソースを追加できる
その中にある「エリザベスソース」っつう名前の、全然ネットに情報がないのでオリジナル疑惑のあるソース、これが非常にうまい
モノとしてはピクルス主体の、酸味が効いたさわやかな野菜系の味で、これを唐揚げにつけて食うと、脂っこさが消えて格別の味わいになる
場所が海にほど近いのもいい
上述の海の近くの公園というのがここだ
べつにとり立てて何があるってわけでもない公園ではあるんだけど、なんせ、名前のとおり、海がある
それなりに駐車場が広くて、海があって、なんかよくわからん芸術的なオブジェみたいなものもある
政治のことはよくわかんないんだけど、今治という街の光と闇を背負っていそうな雰囲気の場所だ(ここについて調べると、なんかすげー陰謀論っぽいブログ記事とかがワラワラ出てきて、怖い!)
人は結構いるんだけど、空きテナントなんかもそれなりにあって、うっすらと滅びの予感もある、そういう独特の雰囲気があるように思う
でもイオンリカーはすげー充実してるし、カルディもあるし、映画館もあるし、サーティワンとかもあるし、俺としてはまったく文句がない
こう、何とか、うまくやっていってほしいなと切に思う
たぶん、今治で一番行っている店だ
丸亀製麺スタイルのうどん屋で、いつ行ってもすげえ人気だ 15分くらい待つこともある
だいたいセルフのうどん屋って天ぷらが美味しくてうどんは実質腹を満たすための添え物だったりするんだけど、松のうどんは主役を張れるうまさがキッチリある
あと、大根おろしがタダなのが嬉しい
個人的なオススメは、「冷やしぶっかけ+鶏天ぷら」で、ここにもうひとつ天ぷらを加えてもいい
でも、天ぷらのデカさがけっこうなものだから、たとえば鶏とナスとかいっちゃうと、フードファイトみたいな感じになってくるのには注意が必要
松製麺所玉川店によく行くんだけど、その玉川店からさらに南に下り、街を離れ山に入ると、玉川ダムというダムがある
正直あんまりちゃんと見て回ったことはないんだけど、けっこうちゃんとしたダム湖がある
俺はなんとなくダム湖というものに憧れをもっているので、当然玉川ダムにも憧れていることになる
玉川ダムの近くに行ったことは多いけど、その全貌は知らない 全貌を知らないからこそ、憧れたままでいられるのかもしれない
彼女の家からちょっと歩いたところにある、ガッツリコンクリートの川だ
この前見に行ったら、亀たちが俺たちの姿を認めるなりいっせいに逃げ出すようになっていた
まあ全員ミシシッピアカミミガメなので、攻撃するなとも言えないのが悲しいところだ
お堀に囲まれた典型的な日本の城で、それなりにちゃんとした天守閣なんかもあって、わりと見応えがある
堀が汽水らしくて、海の魚と川の魚と、両方いるらしい
本当に天守閣みたいな形をした部分があり、山に張り付くようにして存在しているのもあって、かなり存在感がある
責任のオーソドックスな用法理解するのとなんでこの場面で責任が絡んでくるのってことを理解するのは同列にできないぞ
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わかった気にさせる本が悪いとは言わないが、自分はもっと厳密に分かりたいと思っていて、それで数学書を読むんだけど、こっちはこっちで「難しい議論をしている割に言葉足らず過ぎて分かりようがない」本になっているものが多すぎて、どないしろっちゅーねんって思いになる。
中学では十分証明問題になるような命題が、なんの説明もなくこれこれが成り立つ、だから~という調子でフォローなく証明が続けられるのを見てきた。
それが許されるのなら中学生は「~相似であることを証明せよ」という問題に対して「相似が成り立つからだ」とだけ書けば正解答案として成立してしまうことになる。
思うに証明にはいかにも証明らしい言い回しや言葉以外使ってはいけないかのような暗黙の了解もあるように感じる。
その割には術語を定義したときのその概念の説明には割と自由度を持たせている傾向が見られる。
その概念が関わる具体例を使って概念の目的を丁寧に説明していることも多い。
また証明といっても対角論法の証明は初めて見る人間へのそのとっつにくさがさすがに自覚されるのかなぜ証明が成り立つのか表なりを書いてイメージの力の存分に援用するもうちょっとカジュアルな内容になっていることがある例外もある。
しかしほとんどの場合そういった態度が証明(モード)では見られない。さらっと済まされてしまう。
計算問題では途中式の前後でも自由につまづきやすいポイントを解説した文章が挟まれたりするが、証明問題の解説は模範解答でもって代えていた記憶がある。
つまり模範解答の文章が難しく感じる人にとってはもうその解答を暗記するしかない。論語の丸暗記みたいなもの。
そのままテストとかで通用するようにそういうような解答になっているのだろうか。
数学書も論文として書いて格好悪くないものを、なんていう数学の本質ではないことに配慮して「真似るべきもの」としてそういうスタイルで証明を記述しているのではないかと思える。
であるなら、証明全体が一番目の文、二番目の文…というふうに出来ていたとして「(一番目の文)と書けるのはこれこれがこのような理由で成り立っているからです。しっくりこない人のためにこの理由をさらに掘り下げると~のようになっています。よって(数式)を証明の最初に書くことになります。次に~なのでこの式が二番目に来ることになります~」という解説ではダメなのだろうか?
またこの解説はそのまま証明の一つの形にもなってないのだろうか?
そもそも証明とは万人にその事実が成り立つことを理解できるような形で書かれたものを言う。
一部の人にとって意味も分からず丸暗記するしかないようなものはもはや証明の本来の目的を満たしていない。
オーソドックスな証明を構成する文の全てが含まれてさえいるなら、それの言わんとすることをさらにわかりやすく説明した肉付けの部分が加わった上記のような形の解説も証明の一つの形としていいのではないか。
それをしていいという感覚がないことが世の中の数学書の証明が言葉足らずになっている一因になっているのではないか。
もしそれが蛇足で証明全体の厳密性を損ねるというのなら、コメントアウトのような記法を使えばいいと思う。
//これの言わんとするところは~
とか、必要に応じて
式//<は~
みたいな書き方をするとか。二番目の例はサクラエディタで一文が続いているときに折り返しで便宜上改行されていることを示す記法を参考にした。
証明が長くなりすぎてその始まりと終わりが分からなくなるという懸念については既に証明の行頭のさらに横の余白に記号をつけて開始や終了を示すようにした数学書は存在するのでそれを他の数学書も参考にすればいい。
そもそも自然言語で書いている時点で完全な厳密性は諦めているわけなので、厳密だなんだと言うのはよりわかりよく書くことに対する言い訳にはならないと思う。
かといって従来の証明の構成要素を押さえた書き方なのであれば、それは一般書籍にあるような「わかったつもりにさせる文章」というのとも一線を画す。
数学の証明を完全に厳密に書こうとするとブルバキの数学原論やラッセルのプリンピキアマセマティカみたいになってしまい、後者は数学者には読む価値の無い本とされているし、前者にしても30年以上かけて刊行し続けて今だ数学の興味ある話題には到達できていないということになっているということから、数学書は省略するということが好まれるらしい。
でも既に数学基礎論レベルの厳密さを求めてはいない一般的な数学書の証明レベルの厳密さにわかるやすさという要素を足し合わせたところで、原論並みに極端に嵩が増すということにはならないと思う。
自分で考えないとその概念とかが身につかないから省略しているという反論に対しては、逐一圧倒的な量の具体例を持ち出すことで十分に補えるのではないかと思える(それでもメリハリをつければ原論ほどのボリュームにはならない)。
数学書は本当にチンプンカンプンな状態の本も多いので、考える力を身に着けさせるとか以前に、もっと理解できるような教えを工夫することに焦点を当てるべき。
考える力だろうがなんだろうが、そもそも書いてあることがわかんないってような構成の本ではしょうがないと思う。
コストがかかる割に日本語というローカライズされた市場で本が少しでも分厚くなるようなことはコストが回収できなくなるから避けたいという考えもあるのだろうが、それこそよほどの天才じゃなければはっきり言語化しないだけで私のような考えをしたことがある人はむしろ大半を占めていると思うし、比較的私の考えと同じ考えを持っていそうな裳華房の手を動かして学ぶシリーズがその出版社内のランキング上位を占めていた。
言葉足らずな数学書がまだまだ多い状況ではむしろどこぞのwebデザインの本のように何万部と売れるチャンスがごろごろ転がっているんじゃないかな。
わかりやすい解説が証明の一つの形として通用するようになれば、中高での試験答案においても純粋数学の論文でもそういう文章を証明として書いていいことになるのだから、参考書や数学書の証明部分も丸暗記するしかないようなわかりにくいものではなくなると思う。
https://id.fnshr.info/2017/12/10/polite-proof/
というジョーク記事があるけど、挨拶から書くとかは全く数学的な主張の分かりやすさにはつながらないから意味がないとしても(とはいえ親しみやすさもわかりやすさにつながることを完全否定もできないんだけど)根っこの部分ではもしかすると書き手は私と同じ問題意識を持っていたのではないかと感じさせる。
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本日のお題はタライのフォーメーション、タライの組み合わせや利用パターンについて考察していきます。
正直なところ、場所さえあれば、大型のタライを並べまくるですべての苦悩からは解放されるはずですが、限られたスペースの中での飼育ではどのようにしたらよいのか。考えていきたいと思います。
1つのタライで飼育と採卵と幼魚育成を行うパターン。容器の中に針子を分離するメッシュ系の別の小さい容器をおいて飼育することになります。
親魚と同じ水で針子を飼育でき、エサにことかかない。
強風や大雨のような何かのきっかけで針子容器が転覆し、親に食べられることがよくある。
難易度は高めです。
別容器で針子を育成するので、親に食べられにくい。
成魚すべてから採卵するので、ねらったタネ親からの採卵にならず、品種全体からの採卵になる。親容器が過密になってくると卵を産まなくなりがちです。
オーソドックスなタライフォーメーションです。1cmくらいになった稚魚を親容器に移していければ、結構増えます。デメリットで述べましたが、親容器にめだかが増えていくため、親メダカが安心して、産卵が止まりやすいです。
ねらったタネ親からの採卵ができる。タネ親容器のメダカ数が増えないので、産卵が止まりにくい。
タライ数が増えるため、スペースの問題が発生し。水替えの手間が増える。
場所の節約のためにトロファストを3つ並べるとベターです。1cmくらいになった稚魚を育成容器に移していく作業は忘れずに。
タライを4つ用意し、タネ親、針子、育成、選外に分ける飼育法。
選外用のタライを用意することで、育成タライの成長速度を速めることができる。
選外は複数の品種で共有してミックス状態にしておいてもよいかと思います。
ということで、今年はトリプルを試しています。今のところ目論見通りといったところです。
そんじゃーねー。
政策の「信任」ってなんだ?「信用」の言い間違いか?あえて信任ということによる信用との意味合いの違いが全然わからなくて、馬鹿にされたような気分になる。
オーソドックスな文脈において信任を得た結果にあるのは役割を任せられるということだろう。
つまり信任を得るのは人。主語が政策という言い回しにはなじみがないからわからん。
NHKの記事だぞこれ。国民を馬鹿にしているのか?馬鹿には情報に正しくアクセスする権利がないってか?あ?
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250716184756# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaHd1TwAKCRBwMdsubs4+SPoWAP9EQQGvvxQhQM+lWG35zP9vg7Np7pYShP6da2OdGX9acwD9FYIZayN8MfVN3kg0Hdg417UBSsu78w8Gc4kFHo4JNwI==lm5B-----ENDPGP SIGNATURE-----
ROUND1
オーソドックスのユリにケイトはサウスポー。ユリが右ストレートを当てるが、ケイトは左インカーフを当てていく。しかしユリが再び右ストレートをヒット。ユリはプレッシャーを発しケイトを回らせる。右フックを振るうケイトだが、ユリのアームブロックに阻まれる。ケイトは左右にステップを踏みユリに的を絞らせない。
ROUND2
ケイトはタックルでダッシュしユリを金網際まで下がらせテイクダウン。しかしここはユリが立ち上がる。ユリのストレートをかわし、ケイトは再びタックル。ユリに切られるも前に出て金網に押し込む。ユリはしかし体を回して入れ替え、首相撲からのヒザ。ケイトは体を離し左回りしていくが、ユリが右ストレート。ケイトは再びタックルでダッシュしてユリに尻餅を着かせる。ユリは立ってってヒザを打ち込むが、ケイトは金網に押し込む。シンユリの下半身から、ナプキンがぽろっと落ちる。
ROUND3
ユリのストレートを避け接近戦に持ち込んだケイトだが、ユリが金網に押し込む。近距離戦でユリはヒジ。左ハイ、タックルと攻めるケイトだが、ユリの首相撲に捕まりヒザを打ち込まれる。しかし払い腰を決めユリをテイクダウン。ユリの頭を金網側にして抑える。だが、ユリは立ち上がって首相撲からのヒザ。ケイトはそこを大外刈りで倒してパンチ&ヒジで攻める。ユリが立ち上がるとケイトは背に飛び乗ってチョークを狙い、腕を差し込んだところで終了のゴングとなる。
よし、ビビアンはすり抜けずにお迎えできた
そろそろ1年だしver1.x台も多分最後ということでガチャ戦歴をまとめておくか
これまで課金したのは月610+1220円を10ヶ月分と、2倍石の下4つで約7000円程度
月平均3000円しない程度の課金でジェーン以外全キャラ確保できてて
餅3つと凸1つ(は事故的だけど)も取れてて
更にほぼ毎日1回石割りする余裕もあった
これでもシグナルトラッカーサイトで見ると50/50勝率は46%そこらで運悪い方
他のホヨバゲーと比べるとかなり配布量というか埋蔵量があることが分かる
アチーブとかの細かい石もほぼ取ってる暇人プレイ前提感覚ではあるけどね
この約1年弱の総プレイ時間はAMDSoftwareによると1077時間
これをダレずに遊んでこれた膨大なコンテンツ量と質と印象深さ的な芸術点を思うと
同額かけてフルプライスゲー3本買うよりお値段以上の体験をさせて貰ってる気分ではある
ビビアンは性能的にはまだよく分からんけどふわふわ浮いてて可愛い
これまで汗臭そうなキャラしかいなかったから淑女系美少女の有り難みが沁みる
多分柳・ジェーンあたりのオーソドックスな表異常キャラと合わせる用の裏異常サブアタだと思う
ただ自環ではバーニスが餅とれてて強化特殊そこそこ打てるからこれも楽しい気がする
アストラとも合うしまたもや奪い合いが加速する…限定支援がまだ1キャラしか出てないのがもどかしいな
操作的には極めようと思えば小技を挟んでスタックを1,2個多めに稼げるっぽいけどね
強化特殊やパリィだけしてすぐ引っ込む脳死運用OKでサポキャラ並の出場時間で済むのは優秀だな
ただ居残って浮遊からドリルして消える一連のムーブがもっさりでイヴリンくらいの感覚で思ってるとだいぶ長いんでパリィできる人が誰もいないってことがある
そこは表異常キャラは回避主体なことが多いから問題ないんだけどゲージ転換の目視や管理に気を取られる度合いがちょっと高めかも、結構慣れが要りそう
それはそうとさっき出た原神の次ver予告番組のキービジュアルが熱すぎる
序章つまり第0章だった訳アリの国、モンドにスポットがまた当たる日が来るだろうとは思ってたけど
七国とカーンルイア巡って最後に戻って来る予想はしてたが一旦ここで挟んでくるか
いや大団長の遠征隊や燼寂海、ドーンマンポートと4年以上お預けされてる伏線がまだまだあるから
どの程度を回収してスネージナヤへの引きとするかが見どころだな
まー遠征隊がナタに来てたって話がありつつすれ違いし続けるのもアレだしな
ともかく最近ありす。さんの考察が絶好調だから少しずつ答え合わせされてくのが楽しみだ
キャスの次にジンが来てるからゼンゼロのver2.0あたりにも斎藤千和キャラくる可能性ないか?
グローバル展開だから日本語声優ネタにとらわれるのも良くないけど
ちょくちょく配役やキャラコンセプト的なものを作品またいで共時性感じさせてくるメタ展開をしてくるし絶対意識してやってるんだよな
スタレのシナリオも読破したけど3.2の一言感想としてはタナトスの声がよすぎる
中身に関しては今回でだいぶ答え合わせ進んだな
でもまだ半分いかないくらいって贅沢な悩みよ、これピノコニーなら一旦幕引きまで行ってた文量じゃないか?
あとやっぱアニメ挿入してくるのはいいね、もうYouTubeで見たやつではあるけどなんか画質高く感じた
アンティキシラ人ってのが出てきたけど元ネタ関連で奇しくも今さっきこんな記事が出てた
「アンティキティラ島の機械」はエラーが多すぎてただのおもちゃだった可能性があるとの指摘
https://gigazine.net/news/20250423-mysterious-antikythera-mechanism-toy/
こーれオンパロスもアンティキシラ人のおもちゃの可能性、あると思います
いや大君を封じ込めてる的なことは言ってたけどね、なんか見た目通りの永劫回帰構造なだけじゃなく
デジタルっぽい、記憶というかデータの世界臭さがずっとあるんだよな
オンパロスが3rdでいう古の楽園ならその解釈がスッと入ってくる
もう終わった世界の話で、そこに侵食の律者的な大君が入ってきた構造で一緒なんだろうなあという
知恵の使令、壊滅の使令がいることが分かったから、記憶の使令はもう起源の律者・人の律者的なキュレネしかいないじゃんという
あとはライコスがクラインポジで、スティーラーがメビウスに概念上は似てるな
そう考えるとスティーラーの目的は、記憶体が輪廻するデータ世界オンパロスから現実の宇宙へと脱出することだろう
現実に出たいのは大君か開拓組のどっちか、ただスティーラーみたいなパンツを履いてるのはファイノンか丹恒のどっちか
※このエントリは現在スト6をやり込んでいたり過去の格ゲータイトルをやり込んだ人向けに書かれています。
まぁ今で言うプリキュア、いわゆる女児向けゲーム(女児ゲー)というジャンルで時系列的には美少女戦士セーラームーンSが題材、リリースは1994年、同時期にはスーパーストリートファイターIIとか餓狼伝説2とか龍虎の拳2とかが出てくる。
当時は格ゲーブーム真っ只中で、女児に人気のセーラームーンに格ゲーを載せた、女児ゲーにしてキャラゲーにして格ゲーという闇鍋コンセプト。
もうこの時点でスーパーファミコンでリリースされた『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』の完成度へ対して訓練されたゲーマーは察してあまりある状態だと思うんだが、まぁ聞いてくれよ。
まず基本システムは前述の通り格闘ゲームで、通常技攻撃ボタンはパンチとキック、それぞれ弱強がある4ボタン制と言われるパターンのやつだ。
各キャラの通常技はそれぞれ固有のモーションがあり、横に判定が強いものや縦に判定が強いものもあって、上下段あり、強ボタンには方向キーとの組み合わせで投げが可能、必殺技はコマンド方式。←←入力の後ろステップは完全無敵、定番の隠しコマンド超必殺技も実装。
弱攻撃は連打キャンセルが可能で、一部のジャンプ攻撃はめくりに対応し、一部のコマンド必殺技は弱攻撃からキャンセルで繋がる。まぁオーソドックスな格闘ゲームである。
コンボの例を上げると、主人公セーラームーンは下段小足連打キャンセルからの下段大足で確定ダウンが取れ、小技連打がガードされたときは下段大足ではなく波動コマンドでムーンティアラアクションをキャンセルで繋げることで相手との距離を取ることが出来る。
セーラームーンの固有特殊アクションとして→→入力で画面端から画面端まで移動する前ステップが可能で、→→入力成立後0フレームで移動が発生してしまうので相手へ対して前投げを行っている最中に→を連打することによって、投げをくらった相手の地上ダウン起き上がりに前ステップ着地が間に合って起き攻め可能。
そしてセーラームーンには空中コマンドによる真横方向の飛び道具ムーンスパイラルハートアタックがあり、弱強で弾速が違うという仕様なので、最低空から弱ムーンスパイラルハートアタックを出すことで、こちらも前ステップで弱ムーンスパイラルハートアタックに追いついてしまい、そこから上下通常技や投げ択、相手の後ろへ着地することで表裏択まである。
ここまで真面目に読んで「セーラームーンの前ステ性能おかしいだろw」とツッコミ入れてる格ゲーマーはそろそろ思い出さないといけない。この作り込まれた格闘ゲームは女児ゲーであると。
つまり、1994年の男児ゲーマーがDBZ超武闘伝2のデモ必殺技でボタン連打しあってるとき、女児ゲーマーはセーラームーンで前投げ>前ステ>下段小足連打キャンセル>大足>バックジャンプ>低空弱ムーンスパイラルハートアタック>前ステ>起き攻めという動きをするのが乙女の嗜みだったわけだ。
キャラゲーと言えばクソゲー、児童向けゲームといえば薄っぺらい事が大半のゲーマーの共通認識だが、稀に飛びきり光る例外タイトルが登場してしまうのもこのジャンル。
実はこの『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』はその例外タイトルの1つで、飛び抜けた性能のキャラも居らず格闘ゲームとしてそこそこゲームバランスが良く、完成度が高いことで古い格ゲーマーからカルト的支持を集めているタイトルなのだ。
忖度せずどれくらいの完成度なのかと言えばEVOでピックアップされてもおかしくはないレベルの完成度。1994年時点での格闘ゲーム界隈を考えれば格ゲーマーがやりこみ研究をするに値するゲーム品質・競技性の高さだった。
そもそも『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』が成立される前段階にはスーパーファミコンでリリースされた『美少女戦士セーラームーン』と続編の『美少女戦士セーラームーンR』があり、これらのゲームジャンルはベルトロールアクションだった。
続編の『美少女戦士セーラームーンR』にはベルトロールアクションのシステムをそのまま流用した「たいせん」モードがあり、それを発展させて生まれたのが『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』で、ファイナルファイトからストリートファイターが成立する流れと非常に酷似しているのだ。
ちなみに『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』の開発を担当したのはアークシステムワークス。真面目に作り込みすぎている。
非常に残念なことだが、更に続編の『美少女戦士セーラームーンSuperS 全員参加!!主役争奪戦』では開発元が変わってしまいセーラーサターン追加と一部の技変更によってゲームバランスが崩壊、そこから3DCG化を果たした『美少女戦士セーラームーンSuperS 真・主役争奪戦』では動作が重くゲームバランスも悪くてクソゲー扱いされるという憂き目に遭い、セーラームーンを題材とした格ゲーシリーズは終焉を迎えてしまった。
これはおじさん個人の勝手な解釈、というか当時格ゲーを知る者なら同意してくれると思うが『ストリートファイターシリーズ』のラシードの必殺技ワールウィンド・ショットの元ネタは『美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦』のセーラーマーキュリーの必殺技マーキュリーアクアミラージュだと思われる。
マーキュリーアクアミラージュはワールウィンド・ショットと同様に斜め方向へ飛んでいく竜巻(ボタン溜めで性能変化は無い)。加えて言うならセーラーマーキュリーは特殊アクションとして三角飛びがある。