
はてなキーワード:オルフとは
大量のドローン同士が制空権を巡って戦うとかあるかあ?情報化や監視衛星が発達した現代では、人を隠し続ける側より一瞬でも見つければ勝ちな側が絶対有利なんだから、指導者の居所を特定してバンカーバスターとか爆発物テロでワンパンキル狙いするオルフェンズみたいな暗殺の刺し合いになるのでは…?と思っていたけど、そういう戦争も中東とかではあるけど、ゼレンスキーもプーチンもまだ暗殺されてなくてドローンが戦ってるんだよな。これはなんでなんだろ。
①前提が間違いで指導者の居所を隠し続けるほうが見つけるより簡単。
②大国同士だと指導者暗殺は行くところまで行ってしまうので、見つけてはいるけど敢えてやってない
③その他予期せぬ事情
なんか思いつく人いる?
前話の盛り上がりがデカすぎたのはありそう。
BEYONDTHE TIMEからのRX-78登場のインパクトがヤバいすぎた。
「ガンダムにガンダムが出てきただけなのになんでこんなに盛り上がるんだ!」という戸惑い混じりの興奮があった。
してやられた!これがしたかったのか!oi米津玄師!お前いちばん大事な所ネタバレしてねーじゃねーか!騙しやがったな!何がPRADUMAだよ畜生!
最終話でどんな戦いが始まるのか、その期待値は極限まで高まっていた。
もうね、エヴァかと。巨大綾波かと。ビーストモードかと。もう見た。知ってる。飽きた。まだやるの?他にない?
言いたいことが沢山あった気がしたけど、結局は同じような内容だった。
巨大化はオーラバトラーが元ネタだとか、過去映像流すのは∀の再現だとか、そんなのは重要じゃない。
エヴァっぽいガンダムが巨大綾波っぽい奴を相手に戦っている光景が、俺の予想を全く超えてこなかったんだ。
これならまだシャア専用ビグザムがOガンダムと殴り合ってる方がまだ面白かったぐらいだ。
覚醒エヴァンゲリオンは歪んだ親子愛の物語による補正があって、ディスヌフの真のコクピットは卒業と継承の物語だったわけだろ?
でも覚醒ジークアクスって単に突然パワーアップしただけじゃん?
石破ラブラブコンパクドライブなわけでもなく、突然エンデュミオンユニット(なにそれ?凍結されたシャアとアムロが抱き合って棺に入ってるとか?)が覚醒してどうたら言われてもこっちは「(´Д`)ハァ…」なのよね。
つうかね、貴方達は最後の最後にアルテイシア擁立とマチュの地球逃亡劇って風呂敷を広げた以上はそこをもうちょい踏み込みなさいなと。
作品としての時間がまだ残ってる状況で、なんかシャレオツ感だして自己満に浸るだけのED流してどうしたいのと。
兎にも角にもあんなに面白くなりそうだった先週が嘘みたいにしょーもないんですよね。
視聴者が盛り上がりそうな要素を雑に突っ込もうとしてるけど大体滑ってる。
突然流れたファーストの映像から、初撃のIFルートに行く所とかさ、あれ新規映像をセル画風に描いてたらまだ盛り上がったと思うのよ。
セル画の世界が本来の世界線で、今風の絵だったらララァの並行世界みたいに描写を使い分けられたんじゃないかなって。
でも肝心の大佐がやられる所が既に今風の絵柄でしょ?
いやこれはおかしいじゃん?
それやりたいなら過去のエルメス戦も新規描き下ろししないと作品内における描写ルールがチグハグになるでしょ。
表現の意図が不明瞭っていうか、やりたいんだろうなと思うことは予想できても、それを自分たちがやってないから受け止め方に混乱があるの。
エヴァっぽいジークアクスとかさ、あれ物語的にどういう意味があったの?ちゃんと説明できる?
ビギニングを雰囲気で流してたけど、あれを流した理由が「BEYONDTHE TIMEみたいに盛り上がるかなー」で終わりなら、面白くない人がやりがちな下手な天丼でしかないよ。
ほんま全体的に作りが荒いよね。
オルフェンズやDESTINYやWだって最後の方滅茶苦茶すぎて視聴者ポカーンで伝説になりましたしそれのパロディなんですとでも?
ファースト→勧善懲悪じゃないロボットアニメのゾルトラークっぷり
ZZ→第1話やOPの「ふざけすぎだろ!」な空気、終盤の「重すぎだろ……」な空気
ポケ戦→逆シャアまでやってから0080に戻るという時系列。プチジークアクス状態
0083→上に同じく。アクシズ落としてからZの設定補強が始まるのマジで謎
F91→企画が縮小されて映画になったけど結果的にキレイに収まったこと
G→ガンダムシリーズ終わったな感。
08→一年戦争が部隊だけどUC作品の中ではかなりの若手ってこと
∀→「これ大丈夫なの?ハゲもうヤバイのでは?」からの評価反転
SEED→W以上の拒否反応と「まあガンダムってもうなんでもありだしな」という諦観
DESTINY→ファンが次々アンチに反転していく地獄絵図。ガンダムアンチブームの本格的な始まり。
イグルー→今は完全にネタ扱いされがちだけどヅダもビルドルブも硬派扱いでしたよ最初は割と。
00→最初期の超強烈なバッシング。その反動により割と高めに収まる最終評価。
ユニコーン→当時の基準だと映像がマジでヤバイぐらい凄い。この辺りからガンプラがデフォでどんどん高くなりだす。
AGE→今どういう扱いされているのかが分からん。新規履修の話を聞かないんだよなあ。
Gレコ→めちゃムズ。映画版で分かりやすくなった所から解説記事とかも増えたけど当時は意味不明ですよね記事ばかり。
オリジン・サンボル→ガンダムまじでオッサンコンテンツやんけ。実は若手の入口を兼ねていた説に皆少しずつ気づく。
オルフェンズ→汚名返上した一期から、二期で完璧に汚名挽回で伝説に。今はもう予備知識0で見るの無理そう。
水魔女→毎週見てる時はタケモトピアノとかクソ面白かったけど通しで見るとダレてる感じがあるの不思議よね。
ナラティブ→ナ・ニ・コ・レ?公式のバカ組体操画像による汚名は挽回できていたのか?
ハサウェイ→このアニメ、風評被害が凄かったんだねえ。フラットなイメージで見れる人達が羨ましいよ。
ドアン→え?→意外と面白かったね。の流れって今も一緒なのかな?
SEEDFREEDOM→ガンダムSEEDが20年前?フェルン、それは流石に嘘だよ。←リアタイ組、全員これです。アラサー含めてボケジジイしかおらん
・庵野秀明
やっぱ今回の結果を受けて大ボスに登場願いたいだろ流石に
ロボットアニメに関しては実績もあるしな
・新房昭之
おしゃれ演出とシュールな展開、あとバトルシーン演出にも定評がある
日本の深夜テレビアニメでこいつ外して誰入れるねんって感じもする
・新海誠
デビュー作がロボットアニメだったこと知らん奴おる?いねぇよなぁ!?
・押井守
・幾原邦彦
やれる、やれるんだ、押井と庵野ラインナップするんだったら入れてても問題ないはず
・長井龍雪
オルフェンスは岡田が悪かったんだって、なぁ、もう一回やってみないか?
・河森正治
流石にこのラインになってくると意外とっていうかガチになっちゃうので除外で
エントリー求む
「鉄血のオルフェンズ」の叩き方の時点でこいつ等なんかおかしくないか?って思ってたけど、ジークアクスに矛先向けてるのはさすがに頭おかしい。
オルフェンズは後から見たタイプなんで感じ方違うのかなと思ったけど、毎週見ててこれなら救いようがない。
富野みたいに何でもキレ散らかさなきゃ気が済まないタイプなのか?
しかも富野よりもちゃんと見てないぞこいつら。ただの他人の言った批判の文章コピペして騒ぐだけの中身空っぽな連中。批判の内容がトンチンカンで、明らかに作品見てないの丸分かりな批判でもかまわず使い回す。
何なんすかねこれ?視力弱くなってまともに画面見れなくなったじじいが言うてるなら分からんでもないが。
新作出る度に叩いてて、もうそれが麻薬みたいに気持ち良くなってるんですかね?
叩くために叩いてて、中身どうでもいいんだな。
要するに、こんなのは本当に頭おかしい意見で真に受けるのはよした方が良いぞってことだ。
反ワクとか陰謀論に乗るぐらい愚行
だってリアルタイムで見てないんだもん。オグリキャップとかスペシャルウィークとか。
だから自分にとって、そのあたりの馬は映像は残ってるけど伝説上の生き物みてーなもんだった。FGOの神様とかと同じ。
でもゲームから競馬にハマって、段々本物の馬の事分かってきた。騎手も武豊すら知らなかったけど今は若手も含めてほぼ分かる。
だからアーモンドアイとかラッキーライラック、ラヴズオンリーユー達の最新の実装で初めて解釈違いを起こした。
なんだよアーモンドアイの髪の毛、それだと栗毛だろ。白いシャドーロールはもっと目立つ飾りにして欲しかったよ。
ラッキーライラックも父に似ずにもっとデケー馬だろ。それ言ったらオルフェもSNSで流れてくる実際の姿より髪の色薄すぎだろ、せめて金髪だろ。
ゲームが発表されて一瞬だけ解釈違いお気持ち表明があったみたいだけど、競馬知った今では気持ちが痛いほど分かる。
そう思ったら昔のレース映像や文献とか昔の雑誌とかから、今まで見てたキャラ達がかけ離れて見える。まあそうだもんな、元々オスだしな。
史実通りとか史実再現ってよく言われてるけど、あれは同じ名前を借りた女のキャラクターが勝手にスポコンやって学園生活送って走ってるだけだと気付いちゃったな。
ゲーム自体に疲れたのもあって競馬だけは続けるけど、もう俺がリアルタイムで見てた馬をウマ娘化すんなよ。
たぶんもう、同一視する事はないだろう。
Permalink |記事への反応(10) | 13:57
2016年にムサ・アル・ガルビがニューヨークに初めて来たとき、彼が最も気づいたのは「人種化されたカースト制度」の存在でした。その制度のもとでは、「使い捨ての召使い」が「あなたの家を掃除し、あなたの子供の世話をし、あなたの犬を散歩させ、調理済みの食事を配達する」のです。
この「使い捨ての召使い」は、その仕事に対して「わずかな報酬しか得られず」、ほとんどが黒人やヒスパニックで構成されており、サービスを受ける側はほぼ白人ばかりでした。しかし、誰もこのことに言及せず、「これが普通の社会のあり方だ」と考えられていました。
アル・ガルビが描写しているのは、超富裕層の集まるアッパー・イーストサイドや、億万長者たちのたまり場であるスカーズデールではありません。彼が在籍していたのはコロンビア大学であり、「人種カースト制度」で利益を得ていたのは同級生たちでした。その多くは社会正義について声高に語っていましたが、自分たちの生活を支えている社会階層の底辺の人々のニーズにはほとんど無関心でした。
4年後、同じ学生たちの多くがBlack Lives Matterの抗議に参加しました。アル・ガルビは、彼らがニューヨークのアッパー・ウェスト・サイドのブロードウェイで、同じ場所を共有している「靴も持っていないホームレスの黒人男性たち」に気づかないままデモをしているのを見ました。抗議者たちは「Black Lives Matter」と主張しながら、ホームレスの人々が使っていたベンチを占拠していて、どうやら目の前の「黒人男性たち」には関心がないようでした。
このように、社会正義を求めて活動するリベラルな学生たちの信念と、周囲にある現実の不正義への無関心を示す行動との間にある絶え間ない不一致により、アル・ガルビはその矛盾を理解するために本を書くことを決意しました。『We Have Never Been Woke』はアメリカで出版されたばかりで、間もなくイギリスでも出版される予定です。アメリカの選挙の背景を理解するための有用な出発点の一つとして、この本が挙げられます。なぜなら、選挙の物語は、アル・ガルビが感じた不一致に気づく人々と、それに気づかないか、気づこうとしない人々の分裂という観点からも見ることができるからです。
コロンビア大学の活動家たちが周囲の目に見える不正義を無視している中で、なぜ彼らは社会正義の言葉を採用したのでしょうか?言い換えれば、現実の不正義や不平等が無視される世界で、その言葉はどのような役割を果たしているのでしょうか?これらは、学生時代のアル・ガルビが悩んだ疑問であり、その本の核心をなしています。
彼の答えは、社会正義の言葉、すなわち「ウォークネス」は、実際には社会正義を目的としたものではなく、むしろ特権の階段を上り続けたいが、自分たちがエリートであるとは見られたくないエリート層を結びつけるイデオロギー的な接着剤の役割を果たしているというものです。
「ウォーク」という言葉自体は、あまり有用な言葉ではなく、分析よりも軽蔑の意味で使われることが多いものです。アル・ガルビはこの点を認識しており、侮辱として使われることを避け、定義することさえ拒んでいます。彼にとって重要なのは、この概念が実際に支持者や批判者によってどのように利用されるかです。
アル・ガルビは、「象徴的資本家」の闘争こそがウォークネスを理解する鍵だと主張しています。「象徴的資本家」とは、シンボルやレトリック、イメージやナラティブ、データや分析、アイデアや抽象概念を扱う専門家、つまり作家や学者、芸術家や弁護士、美術館のキュレーターや技術専門家を指します。この社会階層は、エリートの中で自身の地位を固め、すでにそこにいる他者を押しのけるために、社会正義の言葉を利用して地位と「文化資本」を蓄積しようとしています。彼らの闘争は、貧しい人々や弱者のためにエリートと戦っているように見せかけながら、実際にはエリートの内部での闘争なのです。
これは単なる皮肉や偽善ではないとアル・ガルビは主張しています。象徴的資本家たちは、自分たちの社会的役割についての神話を構築し、それによって不平等や不正義を助長しながらも、公正や平等を信じていると本気で思い込んでいます。この神話は多くの社会機関や権力者によって受け入れられています。その結果、社会正義の言葉は「不平等を正当化し、覆い隠す」ことに役立ち、エリート層がそのエリートとしての地位を強化し続けるのを可能にし、それはしばしば本当に脆弱で、疎外され、貧困に苦しむ人々の犠牲の上に成り立っているのです。
この議論の多くの側面は、例えば文化理論家のキャサリン・リウや哲学者のオルフェミ・タイウォによって以前から表現されてきました。リウは、プロフェッショナル・マネジャー階級が自らの自尊心を高めるため、そして「普通の労働者階級の人々に対する揺るぎない優越感」を正当化するために、「美徳を貯め込んでいる」と主張しています。また、タイウォは『Elite Capture』の中で、異なる視点からではありますが、エリートが急進的な政治を自分たちの目的のために取り込んでいると述べています。
これらの作品は現代政治の不条理を理解するのに重要です。例えば、アメリカの民主党(および多くのヨーロッパの社会民主主義政党)が次第に富裕層と高学歴者のクラブと化している理由、そして多くの労働者階級の有権者がそれらを見限るようになった理由を説明しています。また、象徴的な表現や言葉の取り締まりには熱中しつつ、現実の物質的な不平等には関心を持たない私たちの文化の執着も浮き彫りにしています。
しかし、これらの議論には、注意しなければならない落とし穴も存在します。社会正義の活動家が物質的改善のための闘争を放棄し、文化的エンパワーメントを目指すようになったのと同様に、多くの批評家もまた、新たな「文化的エリート」を主要な問題とみなし、私たちの社会における真の物質的な権力の根源を無視するようになっているのです。
今日の社会活動の質が低下した背景には、歴史的な変化があることを見失う危険もあります。アル・ガルビは、現代の「ウォーク」政治の盛り上がりは、一連の「覚醒」の最新の段階に過ぎないと主張しています。これらの「覚醒」は、1930年代に学生たちが共産党や他の急進的組織を支持したことから始まりました。
しかし、それでは変化の現実を見逃してしまいます。例えばアメリカの共産党は、1930年代のアメリカにおいて、彼らは反人種差別運動や労働者の権利擁護に重要な役割を果たし、他の急進派、社会主義者、労働組合員、黒人活動家と共に、戦後の公民権運動の基盤を築く助けとなりました。
特に、ジム・クロウ法が支配する南部のアメリカでは、彼らはシェアクロッパーや製粉工場労働者、ホームレスや失業者の組織化を支援しました。これらの活動家たちは、ブロードウェイで抗議していた人々のようにコスプレをしていたわけではありませんでした。彼らは自警団によるテロや警察の暴力に直面し、命を落とした者もいれば、多くが投獄されました。しかし、彼らは人種を超えた階級連帯の可能性を示したのです。
こうした連帯運動が崩壊したことが、社会正義運動の質の低下と労働者階級の利益の放棄を招いたのです。そのことを理解することは、「象徴的資本家」の役割を理解するのと同じくらい重要であり、変革のための運動を再構築するためには不可欠です。
ほらよ あいうえお順だ
アキアカネ/アキネーター/阿闍梨餅/アパホテル/網交換/Amnesia/アムネスティ/アメンドーズ/アブラムシ/アンキッラ/アンティーク/イコロシア/石造り/糸通し/イブラヒム/芋洗い/イリジウム/色眼鏡/岩融(いわとおし)/インテリア/エウリノーム/御徒町/おせちんこ/オブスキュラ/おみなえし/オムライス/オルフェーブル/会計士/外交官/ガマキャノン/カリカット/ガンパウダー/キャンメイク/車椅子/くるみゆべし/好感度/麹町/さざれ石/サタノファニ/サプライズ/サンサーラ/シティホテル/鍼灸師/Supremes/スルメイカ/ゾウリムシ/たけくらべ/竹箒/デウシルメ/都会風/ドクササコ/ドミネーター/ネグロイド/ねずみ返し/バイポーラ/バジリスク/はらこ飯/ビズリーチ/深緑/ベイエリア/冒険者/マイメロディ/マジカント/またいとこ/マヨネーズ/御影石/水葵/水入らず/水芭蕉/ミソサザイ/虫眼鏡/明太子/メンドーサ/毛沢東/最寄り駅/ラブライブ/ラミネート/リアリズム/リアリスト/ロコローション/ロパペイサ/霊媒師/夜盗虫/悪あがき
いまだに新参ガンダムニワカ作品みたいな感じで扱われるんだよな
この扱いは、30年たっても、40年たってもあまり変わらないんじゃねーかな
やはり∀という名作の後ということと、クオリティ低い作画と、MSデザインも玩具っぽく、
その前後の作品と比べてもやっぱり見劣りしちゃうし、永遠のニワカ臭みたいなのはずっとついて回りそう。
そもそも機動戦士ガンダムのリバイバル的な意図があるんだけど、もともと持つ玩具っぽさもリバイバルしちゃっているから、2010年以降の洗練されたデザインを知る現代人側から見ても見劣っちゃうんだろうねえ