
はてなキーワード:オリンポス山とは
欧州では仕事9-17時、春1w(イースター)、夏2w、冬2wの海外旅行をして、貯金も貯まる。
ある年の冬、オフシーズンのギリシャに行った。空港からの地下鉄はストライキをしていて、駅員に聞いて乗り換えた。アテネの建物は古く、中心部はあまりきれいではない。
とはいえ、地区によっては瀟洒なアパートやきれいなブティックもある。当時、ギリシャ経済は最悪だったが、丘の上から夜景を眺めると、確かに明かりはG7の国の首都に比べれば控えめだが、それほどでもない。
アテネでは観光客らしくパルテノン神殿(ホテルの屋上からも見える。夜はライトアップされる)やそこらに点在する遺跡、プラカ地区の店やカフェを冷やかして周ったあと、車で時計回りに国土の南三分の二を一周することにした。
コリントスの地峡を渡って(シーサイドの道中、橋の夜景が絵になる)水かきのついた手の形をしたペロポネソス半島に着くと、酒屋で赤ワインを買って宿でバッカスに乾杯した。なお、近所にバーはない。ギリシャ北部で作られる、クシノマヴロという葡萄品種の酒は、中重口で優美でおいしく、瓶熟成も期待できそうな、輸出できる味だが、伊仏のそれと比べて安い。
朝は煮出した濃厚なギリシャコーヒーで目を覚まし、近くの透き通った海で英気を養う。
この半島は、内陸部はオリーブしか生えないような岩と乾燥土の荒れ地で、岩山のてっぺんに砦があったりする。寝坊したので、古代遺跡に着いたらすでに入り口は閉まっていたが、柵を乗り越え中に入って古代競技場の観客席に腰掛けたりはしない。
半島の先端に行ってみたが、住人のいない迷路のような道の村に羊が歩いていた。
スパルタの町は、道路に信号がなく、交差点では左右の車を阿吽の呼吸ですり抜けた。外国人でも通じるらしい。博物館の彫像は、ことごとく首なしか鼻欠けだった。征服に来た古代マケドニア人の仕業らしい。
いくつか小さな町に立ち寄ったが、海に近いのでシーフードがおいしい。
国道は片側一車線だが、路肩を使って二車線になっている。
夜、給油すると、係が、20%の消費税をぼやいていた。「政府が俺らを殺しているんですよ、メリークリスマス」
風が強かったが、フェリーに車を乗せてザキントス島に着いた。イオニア海はきれいな青緑色をしている。ここは、夏場は欧州一円から来たパリピの若者が夜通し遊ぶところだが、冬はクラブも閉まって静かだ。何もないので、カフェバーでビールをゆっくり飲む。
翌日、浜辺に難破船のあるシップレックビーチまで、道を間違えつつ辿り着き、崖の上から眺めた。鮭の切り身のような形の岩壁が突き出し、ここだけ色がひと際鮮やかなエメラルドブルーの海を区切っていて、有名な写真スポットだ。晴天だが風が強く、帰りのフェリーは欠航まちがいない。島を一周して宿に戻る道すがら、レストランで久しぶりに鯛を食べた。
半島に戻ると、橋を渡って、本土西側イオニア地方の丘の上の遺跡を歩いた。この辺りの国道はなにもない丘と低木の生えた乾燥地を抜けていて、車は時速100km以上ですっ飛ばして行く。
実はギリシャ本土は北に行くほど山がちで、スキーリゾートがある。これを知らず、車はノーマルタイヤだった。なにしろ、比喩的な心筋梗塞に襲われ、旅行の前日に思い立って航空券を買ったのだ。
メテオラという、ビルほどの巨大な奇岩が連なっている天辺に修道院が乗っている所に来た。修道院には、ロープウェイで物資を運んでいるらしい。
その後、オリンポス山を見に行ったのだが、雪に煙って見えなかった。バーに入って酒をたのんで話をしたあと、覚えていない。
ギリシャのトイレの水道管は断面が狭いらしいので、トイレットペーパーは流さないでかごに捨てることになっているところが多い。
朝食では、濃厚なギリシャヨーグルトに特産の蜂蜜をかけて食べた。いろいろギリシャ料理があったが、名前は忘れた。
一方通行の路地の片側にはびっしり駐車してあり、しかも一台分の割り当てが短い。慣れずに苦戦していると、「きみ、出るのか入るのか、どっち?」
この日、神殿を見にデルフォイまで行くつもりだったが、途中、雪が散らつき車を飛ばせず、峠に向かうと夜になり、固く引き締まった雪道に空は吹雪いていた。実は、車屋の親父が調子のいいやつで、タイヤチェーンをトランクに入れてくれたのだが、サイズが合わない。峠で唯一のホテルの前で、明かりを頼りに苦戦していると、主が出てきて、中でコーヒーを飲ませてくれた。結局、諦めてアテネに戻ることにした。途中の高速道路は新雪と融雪が斑なシャーベットになっていて、一台だけ時速60kmで進んだ。アテネに近づくと、辺りは雪の気配さえない。真夜中、アパートホテルの場所を探すのに、手間がかかった。
結論として、今度ギリシャに行く機会があるとすれば、北部の都市テッサロニキを見てみたいが、気温40度になる夏、あるいはたくさんあるうちの島のいくつかのビーチで寝そべって過ごしたいかといえば、よく分からない。もしかすると、クレタ島もいいかもしれない。
西暦2425年。人類が火星への最初の入植地を建設してから既に2世紀が経過していた。
人類の火星移住計画は、22世紀初頭の核融合技術の確立によって大きく前進した。2112年、実験用核融合炉を搭載したマーズ・パスファインダー号の成功は、それまでの化学推進に頼った火星探査に終止符を打った。6ヶ月を要した地球-火星間の航行時間は、わずか30日に短縮された。
続く30年間で、極軌道上に建設された補給基地と、ヘラス平原の地下氷を利用した最初の居住モジュールが、火星移住の基盤を築いた。しかし、本格的な入植の始まりは、2167年のアルテミス計画からだった。オリンポス山麓に建設された第一居住区は、直径2キロメートルの実験都市だった。わずか200人の入植者たちが、火星の地に人類の新たな歴史を刻み始めた。
転機となったのは、2210年代に実用化された量子重力エンジンだった。惑星間航行時間は10日程度まで短縮され、大規模な移民が可能になった。同時期に確立された火星軌道上での資材製造技術は、巨大ドーム建設の夢を現実のものとした。
現在、火星の人口は800万人を超え、その大半が巨大ドーム都市で生活している。
今ではオリンポス山麓に建設された第三居住区は、七つの主要ドーム都市の一つだった。直径8キロメートルの半球型ドームの内部には、研究施設や居住区画が同心円状に広がっている。ドームの外殻は、ナノファイバー強化複合材で作られた三重の放射線シールドに守られ、その内側で2万人の人々が暮らしていた。
ドーム内の気圧は地球と同じく1気圧に保たれ、酸素と窒素の比率も地球大気と同様だった。ドーム外の火星大気は、2世紀に及ぶ大気改造計画にもかかわらず、まだ人間が直接呼吸できるレベルには達していない。しかし、気圧は徐々に上昇を続け、現在では180ミリバールまで回復していた。
火星の空は、かつての濃紺から薄い紫がかった青へと変わりつつあった。太陽は地球で見るよりも小さいが、大気中の細かい赤い砂が夕暮れ時に魅惑的な光景を作り出す。オリンポス・ドームの最上階に位置するコナーの研究室からは、果てしなく広がる赤い荒野と、地平線上にそびえる人工のドーム群を見渡すことができた。
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この基地が完成してから7年。コナーはその間、火星の地質考古学調査に従事してきた。彼の担当は30万年前以降の比較的新しい地層だった。
基地のモニターに映る火星の地表は、いつもと変わらない赤茶けた風景だった。アカデミア・シティからの自動探査機が送信してくる地形データを、コナーは黙々と分析していた。探査機は永久磁気シールド型核融合炉で駆動し、量子結晶メモリに記録されたデータを定期的に送信してくる。毎秒1000テラバイトの情報が、サブスペース通信網を通じて基地に届く。単調な作業に目が疲れてきた頃、画面の片隅に違和感を覚えた。
ホログラフィック・プロジェクターが起動し、問題の地域の立体モデルが浮かび上がる。体積投影型ディスプレイは、1立方メートルの空間に10の12乗ボクセルの解像度で地形を再現した。一見すると何の変哲もない窪地だが、等高線の配置が妙だった。
新しいデータレイヤーが追加され、地下構造が可視化される。地表から1500メートルの深度で、完全な円環構造が検出された。高分解能スキャンは、その形状が誤差0.002%以下の幾何学的な正確さを持つことを示していた。高さ100メートル、直径3000メートル。自然の浸食過程では決して生まれ得ない精度だった。
今週で3度目の依頼だった。先週は地下水脈の磁気共鳴データ、その前は地殻歪みの偏極解析。どれも彼女の専門からすれば些末な案件だったが、コナーは機会があるごとに彼女の意見を求めていた。
研究室の陽圧制御システムから、微かな空気の流れが聞こえた。隣室の実験区画で作業していたエレーナ・ヴォルコワが視界に入る。火星の0.4Gのもとでも、彼女の動きには無駄が一切なかった。
宇宙空間での長期滞在に適応した新世代の人類の特徴を、彼女は完璧に体現していた。身長170センチの細身の体躯、低重力環境で進化した長めの四肢。火星の磁場分布図が映し出されたHUDバイザーの向こうで、琥珀色の瞳が冷たく光る。
どこか硝子質の透明感を帯びた顔立ちは、火星生まれの第二世代に特徴的な骨格を持っていた。地球の重力下では脆弱に見えるかもしれないその姿も、火星では完璧な適応を示していた。黒髪は実用的な長さで、研究室での作業を妨げないよう的確にまとめられている。
「何を見つけたの? 先週の地下水脈の件なら、結論は出ているはず」
彼女の声には感情の起伏がなかった。エレーナにとって、コナーの頻繁な呼び出しは明らかに研究の中断を意味した。だが今回は、本当の発見があった。
「違う。これを見てほしい」コナーは新しいデータセットを共有した。「この磁気異常。明確な周期性を持っている」
エレーナのHUDが新しいデータを受信し、自動的に解析を開始する。彼女の眼差しが変化した。普段の冷淡な表情に、わずかな興味の色が浮かぶ。コナーは何度もその横顔を観察していたので、その微細な変化を見逃さなかった。
「確かに異常ね」彼女は数値を確認しながら言った。その声音には、いつもの事務的な調子の下に、かすかな緊張が混じっていた。「通常の熱残留磁化とは全く異なる特性パターン。位相空間で見ると...」
彼女の指先が空中で踊り、ホログラフィック・インターフェースを操作する。データは新しい次元で再構成され、複雑な相関パターンを描き出した。コナーは、その手の動きを目で追った。普段の彼女なら、こんなにも集中して他人のデータを分析することはなかった。
その言葉とは裏腹に、彼女の指先は既に火星全域の磁場データベースにアクセスし、比較解析を開始していた。第三居住区の量子コンピュータネットワークが、膨大なデータを処理し始める。
コナーは密かに満足した。エレーナが自発的に30分の時間を提供するのは異例だった。普段なら5分以上の時間も与えてもらえない。この発見が単なる地質学的な異常ではないことを、彼女も直感的に理解したに違いない。
「位相空間での対称性が特異すぎる」エレーナが静かに告げた。「自然現象としては、統計的に有意な偏りがある」
彼女の指先が再び動き、新しい解析結果が表示される。三次元の相図が、奇妙なアトラクターを描き出していた。その形状は、カオス理論で知られる古典的なパターンとは明らかに異なっていた。
コンピュータは瞬時に応答した。結果は3.47。自然界で観測される値としては、明らかに異常だった。
「表層の風化度と堆積物の分析からすると...」彼は一瞬ためらった。「少なくとも50万年」
エレーナの指が止まった。彼女はゆっくりとバイザーを上げ、コナーを直視した。「それは確実?」
再び沈黙が訪れる。研究室の環境制御システムの微かな唸りだけが、空間を満たしていた。
「50万年前」エレーナが囁くように言った。「その頃の火星は...」
「ああ。まだ大気があった」コナーは彼女の思考を追った。「液体の水も存在していた可能性が高い」
「でも、その時期の人工物なんて...」
エレーナの声が途切れる。彼女の瞳に、普段は決して見せない動揺が浮かんでいた。コナーは、このチャンスを逃すまいと素早く続けた。
「ピーク・スペクトル解析をしてみないか?磁場変動と構造物の配置に、何か相関があるかもしれない」
エレーナは黙ってうなずいた。30分の約束は既に45分を経過していたが、彼女はそのことに言及しなかった。量子コンピュータに新しい解析コマンドが入力される。
結果は、彼らの予想をさらに超えていた。磁場の変動パターンは、構造物の幾何学的配置と完全な整数比の関係を示していた。自然の営みが生み出せるような偶然の一致ではない。そこには、明確な意図が刻み込まれていた。
「これは...」エレーナの声が震えた。「人工的な磁場制御システムの痕跡かもしれない」
コナーは彼女の横顔を見つめた。火星の考古学的発見で、エレーナがここまで動揺を示したことはなかった。彼女の専門である磁場研究が、突如として人類の知らない文明の痕跡と結びついた瞬間だった。
「発掘許可を申請する」コナーは決意を込めて言った。「君も加わってくれないか?」
エレーナは長い間黙っていた。研究室の窓から差し込む夕暮れの光が、火星の大気を通して赤く染まっている。遠くに見えるドーム群の輪郭が、影を濃くしていた。
「...承知したわ」
その返事は、いつもの冷淡さを完全に失っていた。
濱大樹幸一郎(はまたいき こういちろう 2320年4月3日 - )は、北海道広尾郡大樹町(現:釧路國広域行政区大樹)出身の元大相撲力士。第211代横綱。本名は濱田幸一郎。
天興24(2320)年4月3日、北海道広尾郡大樹町浜大樹で漁業を営む家に生まれる。実家に近い大樹町の漁港宇宙港は、内陸にある中心市街と対比して浜大樹と呼ばれており、のちの四股名の由来になっている。代々の家業である漁業と大樹宇宙港での不安定な重力下での積荷の上げ下ろしを繰り返し強靭な足腰を鍛えあげた。大樹高校卒業後に家業を手伝うも、専門知識や技術を身につけたいと上京を決意。新新とかち帯広空港から羽田大気圏内空港に降り立ったところ、別の入門者の到着を待ち構えていた宮城野部屋の力士に、その筋骨隆々で偉丈夫の姿から入門者と間違われ部屋まで連れてこられてしまう。事情を説明し去ろうとしたところ、女将からの説得を受け入門を決意した。
如上の経緯から序の口からの出身となったが、漁港と宇宙港重力下高層域および大気圏外での積卸の経験による筋力とバランス感覚の良さで順調に昇進。入門後4年ほどで十両に昇進した。ところが2342年に勃発した火星独立運動に突然単身従軍。これは大樹時代の思い人が火星に移住していたことが遠因と言われる。そこで右ふくらはぎにレーザー銃による貫通創を追う。紛争後、3年のブランクののち宮城野部屋に戻った濱大樹は火星から連れ帰った弟弟子布雄母巣(フォボス)と泥茂巣(デイモス)らとともに再び猛稽古に励み、2349年に大関でTOYOTA場所で13勝2敗、秋場所11勝4敗、九州場所で13勝2敗と安定した成績を収め、横綱に昇進した。横綱審議委委員会では第24代内館牧子委員の熱烈な推薦の一幕もあった。
横綱昇進後も安定した成績を収めたが、生涯には1度しか優勝の機会に恵まれなかった。これは当時土星・木星系力士の全盛期に当たっていたためと言われる。同時代の横綱土星山(どせいさん)や丸輪花(まるわっか)、名大関の大赤斑ら、高重力下で鍛えた力士たちが鎬を削っており、たびたび優勝決定戦での激戦が繰り広げられた。2352年の優勝の際には、21年ぶりの地球惑星出身の力士の優勝となり、列島はもとより出身の大樹町では住民たちが7昼夜にわたり祝宴を催し、漁船及び宇宙港船のデジタル大漁旗の皓々たる明かりは月世界からも確認できたという。さらなる活躍が期待された濱大樹であったが、2355年の冥王星巡業へ行く途上、日本宇宙航空分解事故により、天王星沖で消息を絶つ。
先述の通り土星・木星系力士全盛の時代に、普通重力下で育った力士として出世したため、地球人からの人気が高かった。また火星への従軍経験から火星系人類にもファンが多く、くわえて戦傷したことから傷痍軍人からの人気も得ていた。さらに土星・木星人のなかにも地元出身力士のライバルとして語り継がれるなど、惑星植民時代の力士の象徴的存在として言及される。
日本大相撲協会の火星巡業で現地を訪れた際、土俵上が火星重力のままである経験をした。当時は重力制御のためのエネルギーが十分でなく、先述の土星・木星系は高重力であり、火星や各惑星の衛星植民地や小惑星帯植民地は程度の差こそあれ低重力下での生活を強いられていた。濱大樹はこうした現状を目の当たりにし、「まずは土俵から」と一重力土俵(土俵内部に重力制御装置を埋設したもの)を低重力植民圏各地の小学校に設置する運動を始めた。その運動は濱大樹の消息不明後も宮城野部屋により継続された。一重力土俵普及運動はその後各地の生活圏一重力獲得運動へと展開し、現在の様な地球と変わらない生活環境の実現に一役買うことになる。
2352年に行われた、木星と火星の中間に位置する小惑星フローラの巡業にて行った土俵入りの際、あまりに強い四股のためフローラの地軸が0.8度ほど傾いた。移動式一重力土俵を用いての巡業だったこともあり、宮城野部屋はNASAから厳重注意を受けた。ただし当時の在フローラ人からは大変好評でフローラ毎日新聞には「この土地に箔がついた」の見出しが躍った。またこの一件は、火星の歌人である種田オリンポス山頭火(明治から昭和にかけて活躍した種田山頭火とは別人)により
と詠まれた。
大樹での幼少期に濱大樹が思慕していた女性は、大樹宇宙港から火星に赴いた。その後火星事変中に火星結核によりこの世を去っている。濱大樹は火星巡業の際には必ず立候補し参加しており、巡業中にはヘラス平原の無天蓋墓地にアホみたいな大きさの特製対外活動服で墓参りする謎の人物の姿が度々目撃されている。
日本宇宙航空分解事故の際、乗客乗員の多くは緊急脱出ポッドに乗り込む時間的猶予があったと言われている。実際に機体の通信記録からは緊急脱出ポッドの相当数の稼働履歴が検出されている。その中でも特に注目するべきは連結ポッドである。2つ分の緊急脱出ポッドを連結されたものが8機射出された記録がある。これは冥王星巡業で当地に向かった力士の人数と合致しており「関取」ならぬ「席取」により生存の可能性を知ることができる。このため宮城野部屋及び日本相撲協会は、太陽系外縁を航空する機体に今もなお周知活動をしており、懸賞金もかけられている。
もし無事に脱出ポッドに乗り込んでいた場合、濱大樹の身体はコールドスリープ状態にある。ただし、当時の科学水準においては現在のような2000年単位での冷凍睡眠技術は確立されておらず、独自統御をなすAIも搭載されていない。ポッドの寿命は持って300年程度と言われる。乾徳49(2517)年、エリス天文台の宙域スキャンにより、脱出ポッドの可能性のある古い時代の物質が検出され、地元大樹でも話題になった。第389代横綱大譚(たいたん)はこのニュースを受け「もし復帰されたら胸を借りたい」と述べ、世紀を超えた名横綱対決が実現する可能性もある。
濱大樹の業績を称え、大樹宇宙港の地上部に横綱濱大樹伝承記念館があり、当時の低重力下火星土俵の再現や横綱の手形や化粧回しなど展示があるほか、濱大樹の立ち合いの威力や得意技のけたぐりの威力を体験できるコーナーがある。また宇宙港高層域にも濱大樹資料室が存在する。さらに濱大樹の巨大なブロンズ像が宇宙港正面入口に所在し、この地の宇宙開発の立役者である堀江貴文翁顕彰記念碑と肩を並べており、宇宙港を訪れた際の撮影スポットになっている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/256321
以下の文を読みなさい。
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。
ちなみに私もそう思った捻くれたますだーです。
それは「エルブルス山」についての情報が無いことが原因でしょう(ロシアの山ですって奥さん)。
例えば「エルブルス山」ではなくこんな特殊な山だったらどうでしょうか?
(a)『サガルマータはエベレストより低い。』→ 「サガルマータ」はネパールでのエベレストの呼び名。同じ山を指すわけですから「まちがっている」になります。
(b)『オリンポス山はエベレストより低い。』→ 「オリンポス山」はギリシャの山...ではなく火星にある太陽系最大の山。ですからこれも「まちがっている」になります。
「エルブルス山」についての情報を持ち合わせていないため、これらのような特殊な可能性を考えてしまうのです。
さて、こうした人でもすんなり答えられる問題にするには、どうしたら良いのでしょうか?
『エルブルス山はエベレストより低い。』→ 『ロシアのエルブルス山はエベレストより低い。』
エベレストの位置を把握しているのならこれだけで(a)の別名説も選択肢から外せますが、そうでない場合も考慮し最初の文も変更しましょう。
『エベレストは世界で最も高い山である。』→『中国とチベットにまたがるエベレストは世界で最も高い山である。』
これならば疑り深い人でも大丈夫ではないでしょうか?
以下の文を読みなさい。
上記の文に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。
たぶんそのような人はこんなに疑り深くないので大丈夫です!
× 「俺は成績優秀、眉目秀麗、超絶金満のエリート宇宙飛行士なんだが〜」
女性主人公の場合はマイナス要素オンリーでも受け入れられる場合がある。
ただし、その場合でもかならず「恋人がいます」アピールを忘れないこと!
× 「おれなんかがエリートインターネッターのあつまるはてなの中のさらにエリート層のオリンポス山である増田に書くなんて烏滸がましいですけど〜」
◯ 「ほんと増田ってクソだよな」
× 「素粒子はクソ」
◯ 「日本人はクソ」
「男女」「文系理系」「オタク」などの紋切り型を効果的に使って「敵」を創りだそう!
これで出羽守をみかけると自動的に「メイロマかよww」とツッコミを残すbotを三体以上確保できるぞ!
「確実に取れるところは逃さない」。それがモテカワ増田の基本テクだ!
◯ 「生まれは世田谷、育ちは調布、渋谷は109で産湯をつかい、23区内から一歩も出たことありません」
× 「〜〜で、結局、その後おれは無一文になって誰からも見放され、こうして孤独死しつつあるというわけさ」
◯ 「〜〜で、いろいろあったけど、今のおれはハリウッド女優の彼女と毎晩札束風呂に入って摩天楼を眺めながらアンガスステーキを食い放題ってわけさ!」
「上から目線」を忘れないために、オチはかならず俺TUEEEにすることを忘れずに!
最初ダウナーにはじめといて実は勝ち組でした! という叙述トリックや、「自分では幸せそうだけど傍からみると……?」となメリーバッドエンド方式も文学リテラシーの高いはてなーの心をくすぐるぞ!
1)に戻るようではありますが。
これまで「マッチョであれ」と説いてきたわけだけど、でもやっぱり大事なのは読者へのシンパシー。
とある調査によるとインターネッターの八割は心の底で自分を嫌悪している卑屈なクソ野郎であるという結果が出ている!!