
はてなキーワード:オリバーとは
わたくし57歳になりました。
生命としての極大値がいつなのかわからないまま、今が右肩下がりという自覚だけはあり、地球の一部として末席をよごす毎日でございます。
さて、ここにて漂流している麗しきあなたにお頼み申し上げます。
どうか、あなたの年齢を教えていただけないでしょうか。
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01.大阪万博は憶えていない57歳
03. 変身サイボーグを1体だけ持ってた57歳
05.ウルトラマンレオまでの57歳
06.仮面ライダーストロンガーまでの57歳
07. 「太陽にほえろ」といえばマカロニ、ジーパン、テキサスの57歳
11.ノストラダムスの大予言にわくわくした57歳
13.オリバーくんの衝撃57歳
15.星飛雄馬が右投げ左打ちの打者として復活したのを目撃した57歳
18.サスペリアで恐怖した57歳
21. 「ニューヨークに行きたいかー」に「おー」と応える57歳
22.ミリンダ飲んでた57歳
25.チャンネル争いに敗れ「ピンクレディー物語」を横目で見た57歳
26.インベーダーゲームを立ってやってた57歳
27.タイムボカンシリーズ、ポチッとな、の57歳
30. 「オーメン2」にみんなハマった57歳
31.所ジョージのオールナイトニッポンを知った57歳
40.タイガーマスクvsダイナマイト・キッドに胸躍らせた57歳
43. 「笑ってる場合ですよ」から「いいとも」で、え?昼にタモリ?だめだこりゃと思った57歳
46.サザン好きだけど嫌いなふりしてた57歳
48. 「ガンダム」「うる星やつら」は「あちら側の人」のものと区別していた57歳
50.テクノカットをよく見かけた57歳
53.ファミコンは買わなかった57歳
55.カール君が速かった57歳
57. 夜の校舎の窓ガラスを壊して回らなかった57歳
58. おいおいドクター荒井テレビで流していいのかよの57歳
62.チェルノブイリには…の57歳
66.JR東日本を「E電」と呼ばせようとしたことを知っている57歳
67. 誰もスキーに連れて行かなかった57歳
72.友達の親父がゴルフ会員権を3000万円で買ってた57歳
73. 「ちびまるこちゃん」をバイト先にいた小学生に薦められた57歳
78.Windows95には見向きもしなかった57歳
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では、失礼いたします。
おれの知識では、歴史的には数学、物理学、音楽は哲学の範疇だった。
だから哲学だけ好きで、数学や物理学には興味がないというのはちょっとハテナではある。
ゆえに理屈の上では、深く哲学を理解すれば数学や物理学は避けては通れない…ので、数学やらない哲学ファンはニワカだからやめた方が無難だし、数学やれるならあとあと潰しが効くので心配要らない…となる。
高校生で18〜20世紀とかの西洋の哲学が好きという場合がよくあるが、おれの理解ではそういうやつは過去の学問でしかなくて、研究の最前線ではないはずだ。
そういう過去の⚪︎⚪︎学に憧れて、深く学んでみると、最新の⚪︎⚪︎学とはかけ離れていて、萎えたという例は一般的に結構聞く。
例えばオリバーサックスは子供の頃化学が好きで、地下室に研究室を拵えていたのだが、彼が好きだったのは新元素が盛んに探索され、周期表が開発された頃の、つまり19世紀の化学だったことに徐々に気づく。当時の化学の最前線はほぼ量子力学じみたもので、オリバーは興味を持たなくて、結局両親と同じ医師になったのだった。
他にも動物大好きで大学入ってみたらほぼ化学やITで意味不明だったという話もよくある。
そういう、気持ちを削ぐ話は考えれば次々出てきそうだけど、高校生の若者に聞かせたい話ではない。
数学とかも哲学に並んで卒業後どうするの?という話題が出るが、教員免許を取る事を条件に、好きに専攻を選んで良いという家庭が多いのかなという感じはする。最終的には教師になれば、とりあえず収入は確保されるから。
しかしおれの勝手なイメージでは哲学って国立はお寺の子息(継ぐので就職の心配がない)とかが通ってて、私立では嫁入り修行で大学行かされる女子(適当でいいので就職の心配がない)の無難な専攻というイメージがある。
どっちにしても、親御さんに楽させられるかは別として、本人が食うに困らないくらいの収入は、何やってても頑張れば達成できるし、堕落すれば法学部だろうが工学部だろうがメソメソ生きることになってしまうので、ケースバイケースでもある。身も蓋もない話だが。
国立大学の学部卒なら、ふつうにイオンとかには就職できると思う。だからそんなに心配は要らないかもしれない。よく知らんけど。
いや葛葉の性格が具体的にどう嫌いかって言われると別にないんだけど。
妻が葛葉と叶のこと面白いって言うとムカつくんだよね。なんかガチ感あるじゃん。ROFMAOメンバーはまだ許せるけど、クロノワールは嫌みたいな。特にくろのわーるがなんかやるで笑ってたら最悪で、あの空気感で笑ってるってもうガチじゃん。笑いのセンスも込みで最悪というか。まあ劣等感がつつかれている自覚はあるよ。
セーフ:剣持、加賀美、甲斐田、不破、エビオ、社、伏見、オリバー、VOX、伊波ライ、レオス
ちなみにレオスは超セーフ。俺から見てもハキハキ喋ってて好感度が高い。
で本題と言うか、最近「にじGTA」っていうイベントがあって、妻がアホほど毎日長時間見てたんだけど、それを見て葛葉も叶も面白かったので、なんか最近は許せるようになったって話。
Permalink |記事への反応(15) | 07:32
たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべき。当たり前でしょ?
『自由主義だから人を殺す自由も認めろよ』ということは当然にない。そこで重要なのは他者危害の概念だ。
殺人は生きる権利を奪うから罰せられ、窃盗は財産を奪うから罰せられる。今の犯罪はそのように考えられている。
そう考えた時、たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだとリベラルは主張しているの。
像や彫刻を飾るのも当然に表現の自由だ。ましてや私有地ならばなおさらだ。
たとえば人口の2%のみを占める『マイノリティA民族記念館』があり、その記念館の入口にA民族を代表する彫刻の『A民族の子孫繁栄を願う彫刻』があることについて、
「露出が多いわけでもないし性器や乳房が強調されているわけでもないが、子孫繁栄という時点で性的な要素を感じて不快になるから撤去せよ」とマジョリティの大半が言い出しても撤去されるべきではないのは明らかだ。
だが一方で、ネオナチの金持ちが町の至るところに土地を買い、その土地に誇示するようにヒトラーの銅像をあちこちに設置して、そのことへの不快感をユダヤ人たちが訴えても、市長や市議会議員もネオナチではないにせようっすらと反ユダヤ的な考えを持っていて「そうは言っても私有地に設置されている私有財産ではどうにも」とのらりくらりと躱し続けたら。それは事実上の「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであり、不当である。条例で撤去させない町は差別主義の町である。
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」というメッセージになる。撤去させない方が不当である。
右上に行くほど落ち着いていて、左下に行くほど個性的、っていうイメージ。
| 清楚 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 鈴谷アキ | シスター・クレア | ベルモンド・バンデラス | ||||
| 鈴木勝 | ルイス・キャミー | 小野町春香 | 桜凛月 | モイラ | ||
| レヴィ・エリファ | エリー・コニファー | 来栖夏芽 | 愛園愛美 | ニュイ・ソシエール | ||
| 物述有栖 | 雪城眞尋 | 先斗寧 | 戌亥とこ | 舞元啓介 | ||
| 天宮こころ | 葉加瀬冬雪 | アクシア・クローネ | フレン・E・ルスタリオ | ドーラ | ||
| 家長むぎ | 西園チグサ | レイン・パターソン | イブラヒム | 社築 | ||
| 森中花咲 | アルス・アルマル | 瀬戸美夜子 | 竜胆尊 | 夢追翔 | ||
| 天ヶ瀬むゆ | 朝日南アカネ | 長尾景 | 白雪巴 | |||
| 安土桃 | 鷹宮リオン | 健屋花那 | 夜見れな | 神田笑一 | ||
| 夢月ロア | ラトナ・プティ | 緑仙 | 叶 | 加賀美ハヤト | ||
| 魔使マオ | 奈羅花 | 飛鳥ひな | 渋谷ハジメ | 早瀬走 | ||
| ガキ | 椎名唯華 | 星川サラ | リゼ・ヘルエスタ | 静凛 | 黛灰 | 大人 |
| 笹木咲 | 海妹四葉 | 甲斐田晴 | ローレン・イロアス | オリバー・エバンス | ||
| えま★おうがすと | 東堂コハク | 葛葉 | 夕陽リリ | 弦月藤士郎 | ||
| 宇志海いちご | 空星きらめ | 三枝明那 | 春崎エアル | シェリン・バーガンディ | ||
| 勇気ちひろ | 卯月コウ | 山神カルタ | 黒井しば | レオス・ヴィンセント | ||
| 町田ちま | 本間ひまわり | アンジュ・カトリーナ | える | ジョー・力一 | ||
| 北小路ヒスイ | でびでび・でびる | エクス・アルビオ | 伏見ガク | |||
| 周央サンゴ | 語部紡 | フミ | 成瀬鳴 | |||
| 魔界ノりりむ | 赤羽葉子 | 樋口楓 | 不破湊 | グウェル・オス・ガール | ||
| 矢車りね | ましろ | 壱百満天原サロメ | 剣持刀也 | 花畑チャイカ | ||
| 葉山舞鈴 | 相羽ういは | 雨森小夜 | ギルザレンIII世 | 郡道美玲 | ||
| 文野環 | 月ノ美兎 | 轟京子 | 鈴鹿詩子 | |||
| 狂気 |
国際Eパケットを送るついでに
業スーまでいきました
近所の人に「お肉がいいのよ」ってきいてたので
迷いながらも豚バラ買っちゃった。
出口でソース安かったので
気が付いたんです
だーっと凍らせるんですが(生のままより扱いが楽なので💦)
半分くらいはお好みで使おうと。
そんでいま
お好み焼き焼きましてーーーー。
はふはふして食べてます。
青のりと
ちくわと
べにしょうがと
こんど忘れずに買いましょう。
つきごまも買わないと。
あえものにいいよね
ではででは。
タリアテッレ安かったので
こんど買う。
いままだこないだ買ったパスタがあるので。
葉ボタンとか
ポインセチアとか
季節のお花綺麗だよね。
早い時間に外に出ると
ちょっと余裕が出る感じ。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になるから差別そのものになる。
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバーニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバーニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバーニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く