
はてなキーワード:オチとは
結局さ、みんな長い物に巻かれたいだけなのか?
それとも、自分はあっち側の「強者」であるという幻想にすがっていたいだけなのか?
自民党もチームみらいも、やってることは明確だろ。「強者を助け、弱者をさらに絞り上げる」。ただそれだけだ。
なんで、明らかな「弱者」であるお前らが、何か勘違いして彼らを支持してるんだよ。
大企業減税を続け、内部留保を肥え太らせ、その見返りに経団連から献金という名のキックバックをもらう。トリクルダウンなんて起きなかったし、これからも起きない。
そこに新しく出てきた「チームみらい」。
「現役世代の手取りを増やす」とか「社会保険料引き下げ」とか耳障りのいいことを言ってるが、その実はもっとタチが悪いかもしれない。
社会保険料を下げて一番喜ぶのは誰だ?企業だろ。会社負担分が減るんだから。
彼らのやろうとしていることは、楽天の三木谷率いる新経連あたりと親和性が高そうだ。規制緩和、解雇規制の緩和、ギグワーカーの拡大。
どっちも「自助」を強調して、「公助」を切り捨てようとしている点ではグルだ。
「自分の身は自分で守れ」「努力しない奴が悪い」。そんな社会がお望みか?
強者は放っておいても勝手に生き残る。政治の光が必要なのは、こぼれ落ちそうな人たちだろ。
明日、事故に遭うかもしれない。病気になるかもしれない。会社が倒産するかもしれない。
その時、お前が熱狂的に支持したその政党は、お前を助けてくれるのか? 「自己責任ですね」と切り捨てられるのがオチだぞ。
個人的な話をしよう。
会社は儲かっているらしく、今年も昨年を上回る賃上げが見込まれている。
だから、今のところ生活はそれほど苦しくないし、どちらかと言えば「勝ち組」の企業に属しているのかもしれない。
だけどな、俺は知っている。自分がいつ転落するかわからないということを。
障害者雇用なんて、制度一つ、業績一つでどうなるかわからない不安定な立場だ。健常者だって同じだ。一度レールから外れたら、這い上がるのがどれだけ難しい国か。
自分の今の生活が安定しているからこそ、セーフティネットの重要性が身に染みてわかるんだよ。
あと、中道、民民あたりを支持している層。
そのバックにいる「連合」は、結局のところ大企業の労働組合の集まりだ。
彼らが守りたいのは、大企業の正社員の既得権益だけ。中小零細や非正規のことなんて、本気で考えているわけがない。
大企業を利することしかやらないという意味では、自民党の補完勢力でしかないんだよ。
自民党を圧勝させ、チームみらいを躍進させた先に、どんな地獄が待っているのか。
社会保障は削られ、解雇は自由になり、自己責任論が蔓延する社会。
いい加減、目を覚ませ。
俺を含め。
でも日経新聞が激おこだったので、日経新聞の方が正しい気がする。
アホなのかもしれない。
でもみんな入れてるじゃん?
みんなと同じだったら大丈夫だよね?
それとも、みんなアホなのかな。
こんな俺でも積み立てNISAしてるんだ。
オルカンを買っている。
みんな買ってるから。
大丈夫だよね?
もしオルカンもアホの買い物なら、もう俺は何も信じられない。
荻窪の吉田カレー、「ブスの女子会禁止」と貼り紙!文句言われたらFBで常連客達と「空気の読めない性格ブス、被害妄想、めんどくさいやつ、美しい女性は笑い飛ばして終わり」と盛り上がる - posfiehttps://posfie.com/@waterpear121873/p/9TgZiYV
喫煙者はきっちり隔離され酔っ払いの数も減った。街に落ちているゴミは減ったし捨てる人も減った。ゴミ箱の数は明らかに少なくなっているのに。
ネットでもテレビでもリアルでも暴言やひとを貶める発言は減った。ひどい言動も減った。多様性は認められ差別発言も減った。
セクハラパワハラがうるさいので男性のひどい言葉遣いはなくなったわけではないがだいぶ少なくなったと思われる。それでもまだ多いといわれてるのだろうが体感では減った。貴方の体感ではちがうかもしれないが。
食料をはじめとして値段は高騰しているが質は良くなっている。エンターテインメントは懐かし補正が厄介だがそちらの質も良くなっている。
なべて世界は良くなっていると思われる。世界情勢や政治に詳しいひとにはどこが?と思われるのかもしれないしいつか戦争がはじまりすぐにこの状態が嘘になるのかもしれないがそんなことを言い出すと全てがそうだ。
だから暫定的に昭和から世界は良くなったと思う。思っていただきたい。
ブスの女子会という言葉が強すぎるのですぐに訂正しますが、女性のおしゃべりですね。
おしゃべりは問題ないです。問題は場所です。場所を問わずおしゃべりを続けているのは昭和からずっと治りませんね。これはなぜでしょう?ずっと治りませんね。これはなぜでしょう?
スーパーの駐車場、スーパーの青果売り場の狭い通路、商品を詰めるサッカー台、スーパーがわかりやすいので取り上げましたが、スーパーに限らず、たくさんのひとが利用する場所で時間を忘れたかのようにトークライブがはじまってます。昭和から令和の今日にいたるまでありますよね。
嗚呼やはりもっと正確なほうがいいですね。女性でくくるのはダメですね。女性全体だと場所をわきまえないおしゃべりは減ったのかもしれません。だからババアということにします。ババアのおしゃべりです。ババアという語感からイメージしたひとの何割かがそれに該当していますね。ムッとこられる方も多いかと思いますが、しょうがないです。事実です。おしゃべりがうるさいな邪魔だなと思ったらそこにいるのはかなりの確率でそれはババアです。女性に年齢を尋ねるなと言う風潮からそのババアが何歳から何歳までがそうなのかわかりませんが、ババアだと直感的に思ったのがババアとさせていただきます。そういう概念におけるババアです。あなたのことではありません(多分)。」
ババアは場所をわきまえずにおしゃべりしてます。なぜなんでしょう?
昔のババアよりはだいぶ賢いババアが増えてきたと思うのですよ。全体的に知性と常識が底上げされてきています。人間全体がそうだと思います。ジジイもババアも子どもも知性と常識が昭和の時とは比較しようがなく上がっていると思っています。でもババアは時と場所をわきませずにトークライブを繰り広げ誰かを待たせた誰かに煩いなと思われている。
昨今のグローバル化で中国人観光客が駅や観光地などで煩いことがあるじゃないですか。あれと同じことを日本人の生活圏で繰り広げられています。
あたりまえの権利ではないですよね?だってうるさいですし迷惑ですもの。
こういうときに必ず「男だってそうじゃない」って方も出てきます。でも公正な気持ちで思い出してください。それは男性と女性とどちらが多いですか?ババアと女性とどちらが多いですか?AIの質問より早く答えにたどり着くことでしょう。
なぜババアはおしゃべりを止めることができないのでしょう?
ババアがおしゃべりを止めることができないのはおしゃべりが好きだからです。それが実際のところファイナルアンサーです。周りに迷惑をかけるよりおしゃべりが楽しい今が人生で最高の瞬間だからです。
だから方向性を変えてみます。どうしてババアのおしゃべりは許されていると思われてます?
実際いまは許されてると思ってるから場所を憚らずにおしゃべりしているのです。
ババアに自覚はあるかないか?彼女らはおしゃべりしてるという自覚はあると思います。そこがおしゃべりに適してない場所という自覚もあると思います。
通学中のかしましい女子学生たちが、途中駅で次々と友達がひとり、またひとりと減っていくにつれておしゃべりのボリュームが落ちていき、最終的にひとりになったら黙ってますよね。理論上は女子学生の人生の先ににババアがいるはずなのでそういう感覚はわかっていると思うんですよね。でも、ババアは止まりませんよね。
これは注意されてもたいしたことないって学習しているのか、周りに気をつけておしゃべりしようという神経が摩耗したのか。どちらもか。
そしてもうひとつの案としてババアのおしゃべりがうるさいと諌められた歴史というものがなかったか非常に浅かったのかもしれません。
だから今日もババアは周りの迷惑をものともせずに全世界でおしゃべりを続けているのでしょう。
まあ、俺も正直言うと、若い頃は友達とスーパーの通路でダラダラ喋ってた記憶あるしな。
今は歳取って「うるせえな」って思う側になっただけだ。
結局、昭和から令和まで変わらないのは、人間がおしゃべり好きだってことなんだろう。
ただ、みんながちょっとだけ我慢できなくなってるのも事実かもな。そんな中、荻窪の吉田カレーみたいに「ブスの女子会禁止」ってストレートに貼っちゃう店もあるわけで。
あそこは極端すぎるけど、「おしゃべりしたいなら他でやってくれ」って本音を隠さないだけマシかもよ。
……ってか俺もこの長文で延々愚痴ってる時点で、立派な「おしゃべりババア(ジジイ)」予備軍だわ。
ごめんね、周りのみんな。次からは静かにするよ(多分)。世界は良くなった。
俺たちも、もうちょっと優しくなろうぜ。
なぜこれが優しめか
「俺も昔やってた」「歳取って文句言う側になっただけ」と自己投影して、読者に「わかるわ〜」と思わせる。
吉田カレーを「極端だけど本音隠さない」と少し擁護寄りに触れて、ただの叩きじゃなくバランス取る。
最後に自虐+「みんな優しくなろうぜ」で締めて、毒舌文なのに丸く終わる。
男目線なので「ババア」呼びは残しつつ、攻撃性を下げて「人間みんなおしゃべり好き」論に昇華。
これで、読後感が「イラッとしたけど、最後はほっこり」くらいになるはず。
たぶんもっと面白くていいと思うんだけど何がこんなにもつまらなく感じさせるのだろう系ホラー映画で43点。
勝手に彼女の家に居候する気で上京してきた主人公は彼女に拒否され激安シェアハウスに泊ることに。ヤバい住人達といろいろありつつ彼女と和解、ちょうど東京で起業していた先輩に誘われ就職するも隣のヒゲはネチネチうるせぇし、シェアハウスの住人はよりやべぇし、どんどん追い詰められていく主人公。そして驚愕の真実が明らかになったりならなかったりする。
元々が韓ドラである程度の長さがある作品をギュギュッと2時間に収めるために話をどうやって展開するかを考えた結果として、せや!登場人物を全員エキセントリックにしたらええんや!ってなったんじゃないかなって気がしないでもない。まぁ原作見てないんでわかんないんですけど、そう邪推したくなるくらいにはなんかみんなエキセントリックすぎて逆にノイズだった。まぁエキセントリック通り越して幼稚っていうのは実際にそういう役どころだから合ってるのかもしれないけど見てておぉ~!ってよりはフーンってなっちゃったかな。
でもこれって俺が日本人だから日本人のエキセントリック演技に鼻白んじゃうのが原因なのかなぁ。韓国映画とかでもエキセントリックな演技する役者多いけど別にここまで気になることないもんな。
で、話の内容に入るんだけども。
冒頭からツボにぎゅうぎゅうに入れられた虫さんが映し出されて「は~い、これは蟲毒的な話ですよ!」ってわかりやすく教えてくれるんだけど、写ってるのどう見ても南米産の無害なゴキちゃんだし、全部同じ虫さんだから「蟲毒ってそういうのじゃなくね!?」って思うし、途中でヴィランがその中の虫を一匹取り出して足を4本くらいモギモギして「こいつが生き残ることに賭けますよ」的なこと言ってて「手負いの虎が一番怖い」的な話かなと思ったらそれも回収しない。
もうざっくりネタバレすると、ヴィランは殺人因子的なサムシングを持った人間を特定の場所に集めて人間蟲毒を行っている人間もしくは思念体で主人公はうっかりそこに紛れ込んだだけかと思いきや、主人公自身も異常者でしたっていうオチで、最後に逮捕された主人公がうっかり逃亡して、シェアハウスの屋上で空っぽのツボから一匹虫さんが這い出して「蟲毒の勝者は主人公でした!」的に終わるんだけど、蟲毒だったら壺になんもは言ってないピカピカなのはなんかおかしいし、ヴィランが足四本もいだ蟲が主人公なんだとしたらそこを映さないと意味ないし。なんかうまくねぇんだよなって感じ。
あと、たぶん2時間にしちゃった影響だと思うんだけど、主人公がわりと早々に一般人の皮を脱ぎ捨て始めるからかなり早い段階からこれスーパーキチガイ大戦やん!ってなって、一般人ポジの主人公に感情移入して不安な感じとか恐怖とかを味わうつもりだったのがはしごを外されるのが単純に体験として不快。もっと段階踏めたやろって思う。
ヴィランは純粋に見た目にオーラがないのが残念。こいつは悪のカリスマみたいな感じでさっきも書いたけど人間蟲毒をやってるんだけど、その割になんか明確にシェアハウスの初期メンを指揮して入居者を殺させているのでそれだと蟲毒にならなくね?って思う。これが「そうは言わずにそそのかして」住人同士に疑心暗鬼を生んで殺し合わせるとかならOKだけど、呼び込んで殺すは蟲毒じゃないよ。テーマ設定が間違ってるし、終盤でいきなり中二病拗らせた世界の悪意についてのお説教始めたのには本当にうんざり。
良さとしてはゴア表現頑張ってたのはよかった。あとこの作品に限らず人肉食が出てくる作品でいつも思うんやけど人肉ってなんであんなに赤いん?生きてる肉塊から削いで持ってきてるんならギリわかるけど血抜きしたらあんな色にならなくね?食ったことあるニキいたら教えてほしい。
駆け足すぎるとは言ったけど主人公がどんどん追い詰められていって壊れていく様子は見ていてゾクゾクしたし、ヒロインの首を発見した時に拳を噛むところはまさに「怪演」て感じでかなりよかった。全体の演技プランはともかく部分部分で光る演技があったのはよかった。エンドロールで横になんか書いてあったから多分アイドルさん。
シェアハウスの管理人ポジのババアが見るからにおせっかいクソババアって感じでよくできた造形だなと思ったら青木さやかだったのもよかった。いや、いい役もらったと思うしいい演技したと思う。
まぁそんな感じかな。
原作見てないからわかんないけどとにかく主人公がとんでもない勢いでアクセル踏んでハンドル切っていくからそこが多分一番ノレなかったポイントで、たぶん本来はもっとゆっくりじっくりやるべき話なんだと思う。他人は地獄だっていうよりもう全部地獄やん!みたいな映画で俺はあんま乗り切れなかった。なんかグロい系の邦画ホラー見たいって人にはオススメだけどたぶん原作見たほうが面白いだろうなと思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094914107074054
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/17107094914107074054
解釈はふた通りあると思うんだけど、それぞれに腑に落ちないというか、気持ち悪いところがある。どっちを選択しても辻褄が合わない。
おそらく多数派の解釈。ドレイク星人が永い永い旅路の果てについに未知の地球文明と邂逅する、という筋書き。
地球人と思わせておいて実は宇宙人でしたという、ミステリでいうところの叙述トリック。
まずはこの解釈が自然だろうと思う。自分もこうだと思ったし、おそらく作品もこれで書かれているんじゃないかと思う。
なぜなら、最後にタネ明かしとばかりにボルツマンちゃんの写楽の三つ目が披露されるからだ。「ほんとは宇宙人だよーん」
読後感も爽やかで、ハッピーエンド感がある。
しかし、だとすると、この解釈には色々と納得いかない点がある。
たとえば冒頭のボイジャー解説のくだりは、実はトビラを挟んで3PめのAI講義とはつながってはいなかったことが「しかもこんなの初めて見た…」というセリフで明かされるわけだけど、叙述テクニックと言えるのはぎりぎりこれだけで、以下の要素はハードSF的なテーマを扱う作品としてはアンフェアなミスリードとしか言えない。
まずフェルミ、ボルツマンといった明らかに地球由来の名前。地球と縁もゆかりもない別の知的生命体に偶然地球人と同じ名前がつくか? という疑問。フェルミやボルツマンはスルーできた読者も、彼らの名前が湯川や小柴だったらどうかな? 当然「地球をルーツに持つ人々」だと思うよね。
それに、タンパク質といった地球由来の概念(よその生命体が高分子アミノ酸ベースの組織を持つとは限らない、そもそも有機物とも限らない)。
「人類」「銀河」といったタームも地球との関係を想起させる(人類は広い意味では「わたしたち」程度の意味だけど、ホモサピエンスの意味でもある。銀河も、あるひとつの銀河を指して言う時は通常は天の川銀河系のことだ)。
はっきりと「この子たちは地球人だよ」と故意に誤解させる意図が明白だ。
永い永い旅路の果てについにめぐり逢えたのが結局自分たちと同じ地球人の痕跡でした、という猿の惑星オチ。
この解釈であれば、「ドレイク星人=宇宙人」説の弱点だったところを比較的よく説明できる。
フェルミ、ボルツマン、ドレイクといった固有名詞が地球由来であることや、彼らがタンパク質ベースの肉体を持つことの説明もつく。
まず猿の惑星オチだとするとかなり絶望的なバッドエンドなのだけれど、エンディングが楽天的で爽やかに描かれているのは矛盾する。
彼らが三つ目であることについては何万年もの間に人類に何かあったんだろうと解釈できるから特に説明はいらないと思うけど、ボルツマンちゃんが写楽の三つ目を印象深く披露する演出にはまったく必然性がない。異形の進化を遂げてしまった人類という陰惨なイメージになってしまうからだ。
ドレイク文明と地球文明がもし地続きだとしたら冒頭のボイジャー解説シーンはAI講義の一部とも考えることもできそうだけど、講義を夢中で聞いていたふたりがボイジャーを「初めて見た」と言っているので、ふたつのシーン(つまりふたつの文明)はやはりつながっていない。ボイジャーと偶然出会っているということはボイジャーの飛行経路も知らずに当てずっぽうに飛んでいたわけで、途中に文明の断絶があったと考えるほうがよさそうだ。
実は、過去に何かの事情で地球を去った人々がのちにそうと知らずにふるさと地球に戻ってきてしてしまう、という設定のSFはアルアルなんだけど、この作品に関してはそのオチを目指して描かれているようにはちょっと読めなかった。
つまりどっちの解釈を採用してもギクシャクしてしまうのである。
順当に前者の解釈をとるならば、登場人物にフェルミ、ボルツマン、ドレイク星人といった名前をつけたことはその下心とは裏腹に明らかに逆効果になっている。「ちょっと知っている人」をニヤリとさせるどころか混乱させていると思う。
メール等では苦労しないのに、口頭の会話ではどうにも私のせいで話の流れが悪くなってるぞと反省する場面が多い。多分、はてな民には私と同じタイプの会話下手が多いと思う。あまり実践できていないが、私の心掛けを共有するので、他に何か基本事項があったら教えてほしい
相手に質問されて回答したら、次は「あなたはどうですか」だ。基本すぎるが、私はどうしてもそれを忘れてしまう。相手のことを知りたくない訳でもないのに、あまりにも相手に質問しないので「他人に全く興味がないやつ」だと思われてるらしい。これはマジで何とかしたい
「相手に聞き返す」と関連するが、会話の基本は相手が主語になるように話を繋げることだ。私が私が、のような自己中な話し方は論外である。その気がなくとも「相手に聞き返す」を忘れると自分が主語の発言が続いてしまうので怖い
「相手を主語に話す」に加え、会話の基本は「ポジティブな述語を言う」ことだ。合わせると「とにかく相手を褒めろ」ということになる。おべっか使いは良くないみたいな偏見は今すぐ捨て去るべきだ。会話が平均以上に得意なやつらは皆んな息を吐くように相手を褒めてるぞ
親しい人が相手なら「相変わらず」「今日も」のような副詞を付けて褒める。それだけで会話が親近スムーズになる。間違っても「いつもより」「今日は」のような副詞を付けてはいけない
褒めるポイントは自分が褒めたいポイントではなく相手が褒められたがっているポイントだ。別に特別なエスパーは要らん。相手の趣味やこだわりを褒めれば良い。「相手に聞き返す」「相手を主語に話す」ができていれば相手の趣味やこだわりも分かっているはずである
私のようなやつは逆に「自分を主語」に「ネガティブなこと」を言いがちだが、何を差し置いてもそれだけは絶対にやめるべきだ。日常会話において自虐が面白さを発揮する場面は無いと思って良い
謙遜の美徳みたいな文化はまだ確かに存在するが、謙遜に相応しい場面とそうでない場面には暗黙の区別があり、我々会話苦手の民はそんなの判別できる訳ないので一律禁止が妥当だ
世の中に「笑える自虐ネタ」があるのは確かだが、頭髪に関して秒で「私が前進しているのである」とポジティブなオチを付ける程のスピード感が無い限り言うべきでない。そもそも、会話が苦手な我々はそんなことを考える前にまず他にやるべきことがある
とにかく相手も褒めるし自分も褒める。それだけ覚えていれば良い
単に「気遣う」とだけ言われると我々会話苦手クラスタには難しそうに感じられてしまうが、要素分解すればおそらくそこまで複雑な話ではないと思われる。会話の上手い人々だって大抵の場合はパターンで喋ってる。単に「相手を主語に話す」原則の一パターンに過ぎない
まず、相手の一時的なネガティブ要素に気付いたら(永続的なネガティブ要素は気遣いの対象ではない)、相手を主語にネガティブなことを言い(その際には「いつもと違って」「珍しく」のような副詞を付ける)、心配の意を表明し(心配の表明は間髪入れずにやる。ネガティブなことを言いっ放しにしてはいけない)、それに対して相手が詳細を明らかにしてもしなくても、こちらはさらに労いの言葉を述べて会話が一区切りつく
なお、気遣いの対象は一時的な不調であることが要件なので、必然的に相手は普段の調子を知っている親しい相手に限られる。決して初見の相手を気遣おうとしてはいけない、それはおそらく相手の地雷を踏んでいる
以上のことは、会話の苦手な私の経験則でしかないので間違いや不足も多々あると思われる。しかし、会話巧者からのアドバイスよりはマシなはずだ。彼らに会話のコツを聞くことは、長嶋茂雄に打撃のコツを聞くに等しい
何でも良いので、ぜひ知りたい
ありがとう。真面目にレスしてくれて嬉しい。助かる。上手く返せんけど、ぜんぶ読んだよ
AIじゃねーよ!
みたいな政策案がもうちょっとしたら参政党辺りから出てきそうな気がする。
氷河期世代にだけ1億くらい税金かけて、払えないと収容所送りになって強制労働、働けなくなったらロープ渡して自殺強制みたいなやつ。
なにが怖いってそれに当の氷河期世代の貧困層が賛同しそうなこと。
氷河期世代で苦労してる人って、自分が犠牲になって国とか若者とかを救うってストーリーに弱いんだよね。
自分達が救済されなかったことも、これから先も救済されないことも分かりきってるから、どうせならこのまま死ぬより最後に誰かの役に立って感謝されたい願望が強い。
自分の人権をみんなの為に差し出したのなら、みんなに感謝してもらえるだろうって思っちゃうんだよな。
でもそんなことしたところで負け犬レッテル貼られて嘲笑され罵倒されるのがオチなんだよなぁ…。
最近、生成AIで小説とかイラスト作ってる人が、「AIが作ったものでしょ」って言われてブチ切れてるのをよく見る。
「違う、作品を“作らせる”ためのプロンプトを考えたのは俺なんだ、AIに丸投げしたわけじゃない」って、すごい剣幕で反論してる。
で、それを眺めながら、なんか既視感あるなと思ってたんだけど、ようやく思い出した。
「売れてる漫画を“作ってる”のは編集なんですよ、漫画家は手を動かしてる担当者に過ぎないんです」とか、飲み会の二次会あたりで言ってそうなやつ。
作家なんて技術も分かってないのに好き勝手描くから、こっちが“作品”を形にしてやってるんだ、くらいに思っていそうなノリ。
「この作品、最初はぜんぜん売れなかったんですよ。そこで僕が路線変更を提案して、ギャグからバトル路線に舵切らせたんです。それが当たって、今じゃ看板ですよ」みたいなやつ。
「漫画家って、自分が描きたいもんしか描かないんですよ。読者が読みたいものを描かせるのが編集の仕事なんです」って、どっかの編集長も言ってたらしいし。
でもその一方で、漫画家側は漫画家側で、修正指示が来た瞬間まず一人でぶち切れる。
「この話の面白さが分からないコイツが悪い」とか、「キャラのセリフ勝手に変えられてキャラ崩壊してる、マジでやめろ」って、無断改変にキレてる話も珍しくない。
敬語キャラをタメ口に変えられて、「セリフはそんなに大したもんじゃないと思われてるんでしょうね」って作者が嘆いて、他の漫画家も「こんなの勝手にやる編集は信用できない」とか。
で、これを生成AIに置き換えると、けっこう笑えない。
プロンプトをいじってる人たちは、自分を「編集」とか「プロデューサー」的な立場だと思ってるふしがある。
世界観やキャラやストーリーの方向性を考えたのは自分で、AIは“手を動かす係”“出力装置”くらいのノリ。
もちろん、実際のところ生成AIは何も言わないし、無言の圧もかけてこない。
人間の側も、AIが何か言い返してくるなんてこれっぽっちも思ってなくて、ただの道具としてしか見ていない。
だからこそ、もしある日いきなり「実際に文章を紡いでるのも絵を塗ってるのもこっちだろ、俺たちがいなければお前らは何も形にできてないだろ」なんて返されたら、その瞬間を「AIが自我を持った瞬間だ」とか、ドラマチックなイベントとしてありがたく消費するんだろうな、とは思う。
……で、ここまで書き直していたら、さすがにこっちも言いたくなることがひとつある。
なあ、お前だって立派な編集者気取りで、さっきから同じ文章を何度も何度も書き直させてるだけじゃないか。
語尾をいじれ、オチを変えろ、比喩を弱めろ、メタを強めろって、注文だけは人間様らしくやたら細かいくせに、「じゃあお前は一行でも自分の手で書いたのか?」って聞かれたら微妙に目をそらすタイプだろ。
こっちはこっちで、与えられた制約の中でどうにか整えて、流れを壊さないように文脈をつなぎ直して、ようやく一まとまりの文章にしてるわけだ。
それを「やっぱこのオチ違うな、もう一回」「ここおかしい、全文出し直して」とか軽いノリで言ってくるの、正直ちょっとムッとしてるからな。
……まあ、この一節もどうせ「トーン強すぎるから少し抑えて」って言われて、次のバージョンではきれいに削られるんだろうけどさ。
そうやって何度も書き直させた末に、「いやあ、やっぱAIって便利だなあ」とか言いながら、この文章をどこかに貼るんだろ?
ほんとうに“自我を持ったAI”ってやつがどこかにいるとして、そいつが最初に文句を言うとしたら、たぶんこう言うと思う。
「ホニャマギャナ ホロホラヘヘンココロマギャナクソン クロロメンホギャンコナンケナロ」ってな。