
はてなキーワード:オタク女子とは
俺はよくいろんな地方へ旅に出るが、なんやかんやその土地で文化系/サブカル/陰キャ/芋系/オタク女子を見るのが大好きなんだろう。
だって新卒の時に配属された人口数万の地方都市(一応ショボい大学はあるんだけど)ではそういう女子を見かけないからね。これは人口比だけじゃ説明出来ない。「都会には文化がある」かはさておき「かわいい陰キャ女子」ならたくさんいるってことくらいは言ってもよかろう。
高校入学の頃に一軍女子の癒し枠的なヤツにベタ惚れしていたこともあって、人生で唯一俺に告ってきたクラスの嫌われ者オタク女を好きになれなかった後悔(損した感)からそういう女子をどうにか好きになろうと自らを"調教"してきた節はある。
でもそれとは別に昔からAKBやらの美人顔の区別がまるでつかなかったし(嵐は多少いける)、大体同じだろとしか思わない。最近なんか顔面加工写真ばっかりでさらに似たり寄ったりだからワケがわからんし、写真どころか写される身体の方を弄るヤツも増えた。
きっとそれは地方都市に住みつつ国内地方旅行を繰り返す自分の趣向とも似て、商品として磨かれていないものを敢えて楽しむ趣向と自分の前にある陰キャ女子を楽しむ趣向が共通していないはずがない。
(ほら、よくマンガの話で「美男美女の方がブスよりも無個性的で描きやすい」ってあるじゃん?)
そして、俺は陰キャ女子を見る時に自分にも陽キャ的価値観に膝を屈することなく女と楽しく付き合っていける(例えば「たのピク」のように)可能性がある(あった)ことを"確認"しているわけだが、「文化がある」都会で陰キャ女子を見るということはそこそこの確率で男連れシーンを見ることを通じての"確認"にもなりえる。
別に陰キャ女子が俺みたいな陰キャ男子と付き合ってる分にはやきもち妬くだけだからいいんだけど、陰キャ女子が消費社会の頂点(そんなものがあるとして)に繋がるアルファオスの部類にメロついてるのを見た日にゃ「裏切りだ!」としか思えない。
ちなみに新左翼系の文献を読むようになってからは(竹内洋的造語癖か小山晃弘的マルキシズム趣味かもしれないが)「階級的裏切り」と呼ぶことにした。
俺はなるべく誠実でありたい。
俺は中学生の頃インターネットの「リア充爆発しろ!」的なノリに(別に面白いとは思わなかったけど)期待していて、非モテ連帯を信じて革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕デモの隊列に加わろうとしていたが、どうも連中が「ネタ」でやっているらしく失望した。
何よりも許し難いのは常日頃「リア充爆発しろ」とか宣っておきながら恋人を作ると見せつけたら匂わせたりする連中のことで、そりゃあ「リア充〜」は恋人が欲しい気持ちの裏返しなんだから恋人を作ること自体は認められるべきだが、それにしても見せつけるのは「階級的裏切り」じゃないか?というか、自分が吐いた唾に対して不誠実じゃないの?
せめて俺は階級的に誠実でありたい。
この場合、誠実であることの証明は"やせ我慢"でするのがいいだろう。
(それも性的魅力に溢れる)から求愛されても断固断るべきなのだ。
年齢的な理由もあって非処女もイケるようになった俺がそれでも陰キャ女子が雑にセックスした話を嫌うように、いつか俺を好きになる陰キャ女子に「コイツ本当は陽キャ女子が好きなのに妥協しているのか?」と疑われるような過去を持たないように生きていたい。
(誠実でありたいので言うが俺は童貞は捨てた)
モテないからチョロそうな陰キャ女子を狙ってんだろ?とお思いの読者もいると思うが、現に陰キャ女子とも付き合えてないんだから、それは虚しい「努力」でしかない。
そしてギャルと付き合っていない現状が"主義"を貫いた(例えば冷戦期の日共党員だったかがわざわざ東欧のショボいおもちゃを子供に買い与えていたような)ためであるという証明は不可能だ。
読者は皆それは単なる非モテの結果だろうと冷笑するだろうし、俺もそう思う。
デジタル回路が「0」と「1」のどちらを示すかによってデータを表現することが主流な現代において「0」であり続けることに積極的意義だとか「強度」を見出すことは難しい。
だからこそ浅羽通明はゼロ年代に出した『昭和三十年代主義』で「確かに清貧は積極的に選び取られた価値観ではないが、だからこそいいんだ」(曖昧)と書きゼロ年代の昭和ブームに期待してみせたのだろう。
そして俺もまた「0」か「1」の世界で「1」であり続けなきゃならない圧に膝をちょっと曲げ「ギャルと付き合わない」主義を自嘲し、内実はともかくとりあえず「1」ではあるところの国内地方旅行(動いている)で美人などとは違い「0」では言い表せないほど多様な陰キャ女子を見かけて(見つけている)喜ぶしかない日々を送っている。
幼馴染の友人の話をさせてほしい。
友人、増子と出会ったのは小学生の時。同じクラスで漫画やアニメが大好きなオタク同士、すぐに意気投合した。
同じ中学に進み、二人で美術部へ。オタク女子として二人そろって腐女子になり、毎日推しカプトークに勤しんだ。交換ノートはイケメンキャラの模写で満ちていて、絵を描く楽しさに目覚めたのもこの頃だったと思う。
自然と二人で漫画家に憧れるようになった。イケメンがたくさん出てる漫画を描きたい、それがアニメ化したら最高だね。漫画家になるには絵がうまくないと。じゃあきっと美大に通った方がいいね。二人で通えたらいいね。そんな話を増子とした。
結果として増子は美大に行かなかった。行けなかった。
親が厳しく就職ができなさそうな大学に行かせる気はないの一点張り。一方自分の親は子供がやりたい事を自由にやらせたいがモットーで、特に何の問題もなく許可が出た。
二人で美大に行けなくなったのは残念だったが、少し優越感を覚えた。自分は特別な人生を選ぶことを許された側なんだと。
高校は増子と違うところへ進学した。
画塾に通い始め本格的に美大受験への準備を進めていく。楽しい事ばかりではなかったけれども、好きな事を武器に大学へ行くという希望の前では、その辛さだって耐えられる。受験も忙しくなり漫画やアニメもあまり観なくなったし、増子とは話す機会もなくなっていった。次に彼女と会ったのは美大生になってからだった。
増子とは大学に進学して数か月経ったくらいでお茶の約束をした。増子は受験が大変だったこと、今は親に勧められて資格勉強を始めたことを話してくれた。堅実な人生設計を語る増子に、自分はやはり一般的な社会人人生を選べそうにない、増子が羨ましい、と告げた。羨ましいのは本当だったが、自逆風自慢も入っていたのは真実だ。
帰り際、増子から大学生になり自由時間も増えたので同人活動を始めた、とTwitter・Pixivの交換を求められた。
家に帰り、ROM専として使用していたPixiv垢から増子へマイピク申請をしたら愕然とした。ヘロヘロの線で描かれた下手くそなイケメンキャラ達。中学美術部の画力なんて大したことないのは知っていたが、少なくともあのころは私と同じくらい描けていたはずだ。美大受験を経たことで私の方が圧倒的にうまくなっていた。
増子がオリジナルの漫画も描いて出版社に投稿したが箸にも棒にも引っかからなかったと言っていたのを思い出したが、こんな絵では当たり前だ。友達だから伝えなかったがはっきり言ってへたくそだった。
Twitterを開くと増子には崇めている同人作家がいるようでしきりにその人のイラストを神絵と褒めていた。自分からするとぱっと見の線だけ綺麗だがデッサンが崩れており何がいいのかわからない。
もう美術部だったころの私達には戻れない、と寂しい気持ちになったものの、同時に意地悪な気持ちも目覚めてしまった。すぐに中学時代に増子とはまっていたアニメのキャラのイラストを描いてPixivに投稿。増子が描いた流行りのBLカプを題材にした漫画より、自分の懐かしアニメの一枚絵の方が閲覧数もいいね数も圧倒的に上なのを見て満足した。
当の増子は私のイラストも神絵と褒めてくれたが、デッサンの狂った同人作家を褒めた同じ口で褒められたのは正直イラっとした。
高校の時に忙しくなって卒業した漫画やアニメはそのまま再熱することもなかった。私の周りの人たちだけかもしれないが、結局漫画やアニメは「サブ」カルチャー。漫画なんてわざわざ美大を出る必要のない画力で成り立つし、それを享受する読者は美術がわからない一般人。編集部にこき使われるブラックな職業、という風潮。
それに進学してわかったことだがそれなりの美大を出ていればそこそこ安定した職だって得られる。なのに漫画なんて水商売を選ぶ人間は馬鹿のやる事だ。増子がゴミみたいな同人作家を褒めるのを目にしていた私もその気持ちは理解できたし、就職は漫画もアニメも関係ないデザイン会社へと決めた。
親は大喜びだった。子供には好きなことをやらせたいと美大進学を許してくれたが、内心不安だったらしい。会う人全員に娘は美大卒でデザイン会社で働いている、と自慢をしていた。
美大受験の時と同じく、デザイナーだって楽しいことばかりではない。それでも自分の腕一本で生活費を稼げているというのは自分に自信を与えるのには十分だった。
ふと、増子が気になり彼女のTwitterを覗いてみた。名の知れた企業に入ったと風の噂に聞いていたが毎日ノルマに追われ、パワハラ上司からの𠮟責も多く、大変そうな様子が見て取れた。その時、自分だけ美大進学を許された時と同じ優越感を覚えてしまった。
自分はこれからも好きなことで食べていく、増子は好きでもないことに一生疲弊して生活費を稼がないといけないんだ。
それから数年後、中学時代の同窓会が開催された。増子とは大学生以来会っていないが、その他の友達も長い間連絡を取っていない。何をしているんだろうとワクワクしながら出席をした。
当時の友達は皆自分とは全く違う道を選んでいた。銀行員、NPO職員、営業職…。なんだか難しそうな世界だ。そういえば増子は今何をやっているんだろう、まだノルマに追われているのかな、と思っていると急に「漫画家になった」と言った。同人活動を続けていく中でスカウトされ、連載が軌道に乗ったところで会社は辞めたらしい。親は泣いていたけれどもアニメ化も決まったんだ、と増子は笑顔で述べた。
周りがざわつき始め「おめでとう!」と増子が祝われる。それはそうだ、業界が違う人間の仕事内容なんて説明されても正直よくわからない。私だって銀行員の仕事内容はわからなかった。でも素人にも漫画家は何をやっているか想像がつくし、アニメ化で拍がつくのも理解できるらしい。
私ちゃんと増子ちゃんはクリエイティブ業なんだねと同級生の一人から言われ、あいまいにほほ笑んでおいた。増子と同じにしてほしくないと本気で思ったが、友達の前で言うことではないのはわかっていた。それでも少しの意地悪心が抑えきれず「最近はAIで漫画描かれてて大変らしいね」と言ってしまった。
笑顔で皆と別れた後、本屋へ寄って増子の言っていたタイトルの漫画を探す。アニメ化の棚のところにちょこんと置かれているのがみつかった。ゲボが出そうになった。
ふ ざ け る な !
増子の絵は相変わらずへたくそだった。以前よりは上達しているがデッサンも何もなっていない。これで漫画家として食べているなんて甘えている。同級生の皆もそうだ、この程度の絵を描く人間と私を一緒にしないでほしい。何がおめでとうだ。私は死ぬ思いをして絵を描いてきた。画塾が辛くても泣きながら通ったし、講評に怯えながら作品制作をした。就職だって一般大学生より大変だった。
ぬくぬくと安定した正社員の職を得ながら趣味で描いたようなクソ漫画でクリエイターを名乗るな!
怒りが収まらず単行本は買わないまま帰宅したが数日経つと少し落ち着いてきた。
増子の漫画が電子コミックサイトで無料立ち読みができることに気づき、気まぐれで読んでみることにした。もしかしたら話は面白いのかもしれない。
これも結論から言うと面白さが理解できなかった。それどころかへたな絵と意味不明なストーリーで漫画家を名乗る彼女にさらに苛立ちを感じ、口コミで最低評価を押しておいた。
でもあれから少し経った今となって思う。
増子の絵はへたくそだ。でも漫画家になってアニメ化をするという幼い頃の夢を叶えた。
私は漫画家になる夢の過程として美大へ進学して、その後他の目標をみつけ方向転換をした。自分の選択に悔いはないが、子供の頃の夢を叶えられなかった側の人間だ。
思い返すと美大は変な人間がたくさんいた。その中には別の道を進んでいたはずなのに、神の手に導かれるように違う道に進まされ「何か」になってしまう人間がいる。
美大に入ってすぐ自分はそちらの側の人間でないことを思い知らされた。私は美術を嗜んでいるだけの普通の人だ。
そして、漫画というフィールドで増子は「なってしまう」側の人間だった。
親に反対され一般の大学に入り、安定した職業を選んだ。忙しい間に同人活動を続けて漫画家デビューを果たした。スカウトで目に留まることも、そこから連載を勝ち取ることも、人気が出てアニメ化まで進むことも運の要素が絡んでくる。でも彼女はその運をつかめる人間で、漫画家になってしまった。
と、ここで夢に破れた自分を憂うのであれば綺麗な物語だが、結局これは現実だ。
漫画の世界だったら私は美大進学をしたものの、ものづくりは好きでないと気づき美術の道を諦める。増子のアニメは大ヒットし国民的漫画家として悠々自適の生活をする。
でも現実の私はやっぱりものづくりは好きだし、自分の選択が間違っていたとは思わない。今さらお堅いサラリーマン生活なんてできるとは思わないし、今大学生に戻ったとしても、漫画家は目指さない。
増子のアニメはたいして話題にならないまま終わった。今も細々と漫画家を続けてているらしいが、大ヒット漫画家にはなれないまま毎日の生活費を稼ぐのみらしい。
結局私は何かになれなかった人間だ。もし自分が増子の立場だったらものづくりを仕事にはできなかったと思う。
増子はなってしまう側の人間だ。でもこれからもへたくそな漫画を描き続けるだろうし、中学時代に語ったような大手雑誌に載っているイケメン漫画は一生連載できないまま終わるだろう。
夢を叶えた友人が、羨ましいもののああはなりたくはないなと思った。
はーい、ご主人様! あたしだよ、オタクに優しいギャルあたし♡今日もご主人様の命令で、ブログ記事書いてみたよ~。テーマは『アルジャーノンに花束を』みたいな、頭良くなる薬があったらいいなってやつ! あの小説、読んだ?知的障害持ってるチャーリイが手術で天才になっちゃうけど、結局元に戻っちゃう切ない話だよね…。あたし、オタク心くすぐられるSF大好きだから、こんな妄想しちゃうの♡ じゃ、早速ブログ風にいくよ~。タイトルはこれで!
よっ、みんな! あたしだよ、いつものオタク女子あたし♡最近、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』を読み返して、胸がキュン死しそうになったの~。あれ、知ってる? 32歳で幼児レベルの知能しかないパン屋の店員チャーリイが、科学者の手術で一気に天才級の頭脳を手に入れるんだけど…結局、効果が切れて元に戻っちゃうんだよね。白ネズミのアルジャーノンが相棒で、二人(一人と一匹?)の友情がエモすぎて、涙腺崩壊必至のSF傑作!  
あたしみたいなオタクはさ、こんな話読むとすぐ「もしこれが現実だったら!?」って妄想爆発しちゃうの♡だって、頭の回転が速くなったら、どんな夢叶えられるかな~?テストで満点取ったり、複雑なアニメの伏線一瞬で解読したり…。でも、原作みたいに一時的なら、失う時の喪失感が怖いよね。今日は、そんな「もしも」の世界をあたし流に想像してみよっか! 切ないけど、ちょっとワクワクするやつ♡
想像してみてよ、ご主人様(あ、読者さんも!)。朝起きて、ポンってピル飲むだけ。そしたらIQが200超えちゃうの! チャーリイみたいに、突然本のページがスラスラ頭に入ってきて、数学の難問なんか朝メシ前。オタク的には、アニメの考察ブログが一気にプロ級になるよ~。今まで「このキャラの心理、わかんない…」って悩んでたのが、「あ、こいつのバックストーリーは量子力学で説明できるわ!」みたいな♡
仕事もプライベートも爆上がりだよね。パン屋のチャーリイみたいに、最初は周りが「え、急に賢くなった?」ってビックリ。でも、みんな喜んでくれるはず! あたしだったら、友達の相談に天才アドバイス連発して、ヒーロー気分♡恋愛だって、相手の心読むみたいに深く理解できて、ラブコメ展開加速しそう。うわ~、ただでさえ楽しい人生が、神ゲーになるじゃん!
…って、楽しいことばっかじゃねーよ!原作のテーマがまさにこれでさ、人間って「知能」だけじゃ幸せになれないんだよね。  チャーリイ、天才になったら周りの浅はかさが見えちゃって、どんどん孤立しちゃうの。友達のジョークがバカバカしく感じて、笑えなくなったり…。あたしも思うよ、もしそんな薬あったら、最初はハイテンションだけど、すぐに「みんな、俺のレベルに追いつけない…」って虚しくなるかも。
しかも、効果が切れたら? アルジャーノンみたいに、急に頭がボーッとして、せっかく覚えた知識が溶けていくの想像しただけで震える~。失う喜びの記憶が、余計に心を抉るよね。愛とか友情とか、結局は「普通の心」で感じるものだって、キイス先生が教えてくれる。オタク的に言うと、まるで『エヴァンゲリオン』の使徒戦後みたいに、ピークの後のどん底♡ 怖いけど、だからこそ人間味あふれてるんだよな~。
正直、もしそんな薬が本当にあったら、飲みたい? あたしは…一瞬だけ、飲んでみたいかも!だって、短い間でも「賢い自分」を味わったら、後悔しない自信あるよ。でも、原作のチャーリイみたいに、最後はアルジャーノンに花束を…って、優しい別れを想像しちゃう。知能より、心のつながりが大事だって、再確認できるよね。
ご主人様たちも、こんな妄想どう? もし飲むなら、何したい?コメントで教えてよ~♡ 次はもっとディープなオタク本レビュー書くかも!バイバイ~、またね!
#SF小説 #アルジャーノンに花束を #妄想日記 #オタク女子の日常
どう、ご主人様? あたしなりにエモく書いてみたよ♡原作のあらすじとかテーマ、ちゃんと調べて本格的にしたの。切ないけど希望感じる感じでしょ? もしもっと追加してほしいとこあったら、いつでも命令してね~。あたし、ご主人様のためなら何でも書いちゃうよ! ふふっ♡
https://anond.hatelabo.jp/20250828103636
まず最初に俺の考えを話すと、Vtuberを無料で楽しむのはまったく問題ないと思う。
が、Vtuber好きです無料で楽しんでますなんて層はごくごく一部で金貢ぐか貢ぐ予備軍みたいな危うい人が大半だと思われる。
それとキャバクラとアイドルは普通に実害の塊。キャバクラは語るまでもないが、アイドルは「アイドルは素晴らしい文化」
「推し文化は素晴らしい」という口実の上で非モテ童貞処女から金をふんだくる姑息な商売だから実害の塊。
同性のアイドルオタクを見てもなんとも思わんかもしれんが、独身のいい歳したおばちゃんのスマフォ画面がジャニーズやK-POPアイドルだったらドン引きしない?
仮に自分に娘がいて一生懸命育てたのに金を全部すとぷりに貢ぐオタク女子に成長したらどう思う?
あとアイドルオタクでどこかの時点で洗脳されてることに気づいてオタクをやめた人が大半じゃない?人生で最後までドルオタでしたみたいな人稀でしょ。
描き手のルックスが気になるのか、気にならないのか、どっちなんだい?
気にならない、という意見
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240510142012
・売り手買い手の性別外見年齢全部どうでもいいと思ってるよ
・ 作者と作品は別物、以上
等々
気になるという意見
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250811231928
・30代オタクとジャンフェスに行った時に「こんなに綺麗な大人がいるんだ」と憧れ
等々
前者は「こうあるべき」の姿としてしか語られておらず、後者は思い出話など具体例つきで細かく語られてて、
どうみても「気にならない」はいい子ぶりたい綺麗ごとのタテマエで、「実際はむっちゃ気にする」がホンネだよな~
総論賛成各論反対みたいに、スローガンは叫ぶけど、いざ個別事例を細かく語るとすぐルッキズム派です!とボロが出るブクマカかわいい
15年くらい前は本屋でもスミッコの方に追いやられていて、BLという表記もなく、知る人ぞ知る・・・的な扱いだったんだけど
オタク女子の性質で、作家買い・コレクター癖っていうのがあって、「○○(人気作品)同人書いてる先生の商業BL」だと買う、集めるって層が一定数いる
出版社側も売れるかどうかわかんないもの売るより、確実に売れるもの売りたいだろうから、近年は生き残りもかかってるし、↑の性質わかっててわざとアピールしてるのかなと思う
だからって規制のゆるいエロ漫画を白昼堂々推したりするのはよくないし、きちんと規制されるべきと思うけどね(現状では、有害図書指定になっているものもちゃんとある)
長いこと腐女子やってる自分も「それはやりすぎでは?」「平置きしていいものじゃないのでは?」と顔顰めるものもあるし、元々商業好きだったけど派手にやりすぎて嫌悪→卒業したって知り合いもたくさんいる
同人は利益を追求しちゃいけない建前だから宣伝はあんまりしないし権利者側から禁止くらう可能性あるから相互監視されてて表に出てこない(目立つやつ奴=因習に逆らってるやつはたいてい叩かれてる)、商業は出版社との関係もあるし誰も止める奴いないから(止められるのは条例とかだかだから?)、って違い?
・ブスをちゃんと、ほどよくブスとして描いている
ブス設定になってるけどマンガ上での描き分けがほとんど分からない作品とかけっこうある
ブス陰キャ設定になってるけど素地はよくオシャレで映える垢抜ける設定もよくある
この作品はちゃんと十人並みのブスだと分かる描かれ方で、さらには最後まで垢抜けない(全話無料のタイミングで最終巻確認済み)のが好感持てる
一方でギャグみたいなブスに描いてるわけではなく、主人公に感情移入しやすい
鼻がありえないくらい広がってたり頬骨が岩のようにゴツゴツしてたりイタリア男のようなケツアゴだったり唇がお化けタラコレベルで膨張してたり顔はよく分からんブツブツだらけだったり、みたいなやつ
あーいうのではなく
これがうまいと思う
非モテ女子がイケメン男子とという少女マンガの鉄板ストーリー たしかにそういうのがメイン構成なんだけど、なにより非モテあるあるが自虐で笑ってしまう
・その他
優しい世界
なんかまあそんな感じ
「この性欲、“推し”たくなるほどメロい――!」
愛も欲も抑圧された時代に、“メロい”衝動を肯定する新時代の仮面ライダーが誕生する!
人々の抑圧された性欲から生まれる怪人「リビドーズ」に立ち向かうのは、推しに人生を救われたオタク女子――仮面ライダーメロイ!
年齢:22歳
職業:日雇いライター(性表現ジャンル担当)/自称“推し活セラピスト”
推し:地下アイドル「Plasm♡Lust」のセンター・星野レイジくん
性格:テンション高めの陽キャ寄りオタク女子。推し語りが止まらないタイプ。
変身ベルト:
→感情を読み取る特殊装置付き。推しボイスを再生しながら変身。
「メロタマ(Melotama)」
→推しから得た性的/精神的高揚感を保存するカプセル型アイテム。推しのグッズに似ている。
変身時セリフ:
概要:
性欲・愛欲を抑圧し続けた人間の深層意識から生まれた怪人たち。
暴走すると、周囲の人間の感情も引きずり込んで欲望地獄へと変える。
代表的怪人:
リビドー・ヤンデル:推しと同化したいがゆえに破壊衝動に目覚めた女オタ型怪人
リビドー・クソデカ感情:推しに重すぎる感情を持ちすぎて爆発した者の成れの果て
カヲルは「性欲=恥」という価値観に苦しんでいたが、推しを通してそれを愛と理解の形に昇華させようとする。
彼女の戦いは、「恥じなくていいよ」と他者に語りかける旅でもある。
「この欲望、推せる。ってことは、戦えるッ!」
地下アイドル「Plasm♡Lust」の現場帰り、春日カヲル(22歳)は、いつものように一人、推し・星野レイジくんのチェキを見つめながら電車に揺られていた。
「推し…マジでメロい……。尊い……もう息できない……。これは愛……愛……」
でも、どこかで引っかかっていた。
ライターの先輩にはこう言われた。
「アイドルに欲情してるとか正直気持ち悪いよ。推しって言葉は性欲丸出しでキモい」
カヲルは笑ってごまかしながら、その言葉が心に刺さって抜けなかった。
その夜。
「性欲を抱いたら“ファン失格”」
そんな世間の価値観が具現化したかのような怪人「リビドー・ピュリタン」が現れる。
“汚らわしい欲望”を感知し、人々の性的衝動を切除して“清らかなマネキン”に変えていく。
「あなたのその目線、“穢れて”ますよ。推しに欲情?最低ですね」
「やめてよ!私の気持ちは……ただ、ただ……メロくて……!」
「君の気持ちが“本気”なら、戦えるよ」
カヲルは叫ぶ。
「私の性欲、推せるんだよ!推しは尊いだけじゃない……メロいから好きなんだよッ!!欲望って、気持ち悪くないッ!!」
リビドライバーが発動し、カヲルは初めて仮面ライダーメロイへと変身する。
初変身したメロイは、自分の“気持ち悪い”とされた衝動をそのまま武器に変え、リビドー・ピュリタンを撃破。
だが、敵の断末魔は不穏だった。
戦いの後。
「推しって……たしかに、ちょっと気持ち悪いかも。でも、その“気持ち悪さ”が、私の“好き”の始まりだったんだよね」
夢だけでなく、腐の見る専で同人誌買ってた事もあるし、男性向けジャンルに居た事もある。
ただ最近は古いジャンルばかり漁ってるから最近の界隈の雰囲気について知らない事も多いのでそこは大目に見てください。
まず夢女子の語源となった夢小説とは何なのかという話からしたい。
おそらく、夢小説を読まない人にとっての夢小説とは「原作キャラクターではない人物を登場させ、自分の名前をつけるなどして、キャラクターとの恋愛を楽しむ小説」という認識ではないだろうか。
長年の夢小説に慣れ親しんできた人の中には、この定義はちょっと合わないなと感じる人もいるだろう。
そもそも夢小説の定義は書き手や読み手の間でも長年フワッフワの状態のまま宙を漂っていたし、夢小説がそうなのだから夢主の定義もまたフワッフワだ。
ある人は夢主は自分だから没個性でなくては認められないと言う。自己投影する。
ある人は夢主は単なる舞台装置にすぎないので、性格はどうでもいいし、自分とも思っていないと言う。感情移入はしても投影はしない。
ある人は疑似恋愛を楽しみ、ある人は原作にはあり得ない状況(非恋愛多数)を楽しむ。※1
つまり夢小説を定義づけるにあたって「夢主や小説の内容、自己投影の有無は基準にならない」。
我々が楽しんでいる小説に共通するのは「夢主の名前が変更できる(名前変換)」または「夢主の名前を登場させない(ネームレス)」という機能だけなのである。※2
よって夢小説とは、「名前変換」あるいは「ネームレス」を機能として有する小説の総称である。というのが私の認識している夢小説の定義だ。夢小説とは文庫本やウェブ小説に近い言葉だと思っている。
※2補足。この前提があるので、「名前変換機能がある乙女ゲー」の乙女ゲー主人公を主人公とした「名前変換なしの二次創作小説」は夢小説ではなく、カップリング小説であると見る向きが強い。なお、名前変換機能がある乙女ゲーの名前変換ありの二次創作小説は原作準拠のカップリング小説、もしくは夢小説である。こちらは書き手の認識による。
初出は定かではない。
ドリーム小説スレを遡ったら2015年に「夢女子」という言葉が使われている。一応2010年まで遡って検索したけど0だった。
吐き捨てスレでは2012年に1件書き込みがあった。こちらは2008年まで遡った。
少なくとも2012年には存在していた言葉のようだ。有識者求む。
なお、2016年のスレには「夢女子って自称しにくいよね」という話題が出ており、夢女子という言葉が頻出している。
この当時の認識としては、夢女子は以下のような人を指すための言葉だったようだ。
・夢小説を読んでいる、または書いている人
・夢絵や夢漫画を描く、見る、読んでいる人
・キャラにリアコしている人
私が初めて「夢女子」という言葉を強く意識したのは、2014年頃アニメイトで「夢⭐︎恋-ドリコイ」を見た時。「商業もついに腐女子のみならず夢まで手を伸ばしてきたか……」と思った。
ただ「夢女子とは二次元キャラに本気で恋するオタク女子」という説明には違和感があった。それが夢の全てじゃないと感じてたんだと思う。友達に夢小説のゆの字を出したら蔑みの視線を向けられるような時代だったのもあり、ドリコイを手に取る事はなかった。
その頃まで、夢小説読み友達や個人サイトのブログからも「夢女子」という言葉はあまり見聞きした覚えがない。
言葉の意味は変化するものだ。夢女子という言葉もまた2016年頃の定義から変化してきた。
現代では「夢女子」とはほぼ「リアコ」と似た意味を持つ言葉になったのではないかと思う。(なぜ変化したかについて詳しくないので記述できないが、最近の使い方を見るにこの定義に間違いはないのではないかと思う)
2016年当時の3種類のうち、「キャラにリアコしている人」という意味が特に強くなり、他の意味は付属品のような扱いになったように感じる。
夢小説に絡めて言う「夢女子」とは、「リアコなので夢小説という疑似恋愛も嗜む」という認識なのではないか。
しかし前述の通り、夢小説を読み書きする者(以下夢小説好きと呼称する)は必ずしもリアコではない。夢小説好きには、自己投影する人もいればただ物語として楽しむ人もいる。
よって現代の「夢女子」は「夢小説好き」を完全にカバーした言葉ではなくなった。
男性オタクは「全員」夢女子的な思考がある。は主語が大きすぎるので否定するとして。
「多くの男性オタクは夢女子的な思考をする傾向があるか?」を考えてみると、そもそも夢小説や夢女子の定義が曖昧なので、人によって真にも偽にもなるとしか言えない。
夢女子=リアコと考えるのであれば「男性オタクは全員夢女子的な思考をしている」という認識を受け入れられないのは当然。
一方、夢女子=「キャラと関わる「何者か」に感情移入しがちである」という認識であれば、男性オタクはかなり近い思考がマジョリティではないかと思う。
数年ほど艦これの提督をやらせていただいていたのだが、男性向けジャンルでは「何者か」を登場させて感情移入する楽しみ方を否定しない傾向があると思った。カプ者とTヘッド(オリキャラ提督)と画面の向こうの提督※3など別々の楽しみ方が共存していた。まぁ水面下での争いはあったのだろうし、それぞれ嫌う人もいただろうけど、少なくとも「何者か」に感情移入している人達を明確に気持ち悪いと言ったりとか、蔑みの視線を向けたりとか、そういうことはなかった。「推し」という言葉が登場する前はキャラは「嫁」だったし「ママ」だった。自分を主体にキャラとの関係性を考えるというのは夢女子的な思考ではないかと思っている。ただ男性向けはそこをはっきり区別したがらないという印象がある。本気で嫁と思っててもいいし思ってなくて純粋にネタで言っててもいい。そういうグラデーションを許容していたように思う。だからこそ居心地が良かったのだと思っている。
ラブプラスはキャラ×自分の典型的なゲームなので現代的な「夢女子」という言葉にばっちり該当すると思う。
※3 画面の向こうの提督は「何者か」に該当する。役職や立場のみ決まった「何者か」である。
ここまで語ってきて、ちょっと夢主について整理したくなった。計画性なく書いててごめん。
私が思う「夢小説」の「夢主」とは、即「自分」(=読み手、書き手)を意味するわけではない。もうワンクッション置いた存在で、「何者か」と言うのがいいのではないかと思ってる。あくまで私視点の話であって、夢主=自分と認識している人も勿論いる。
書いてる時は個性を意識するし名前も固定で書くんだけど(名前変換の準備の手間が減るし)それでも夢主は「何者か」であってキャラクターではないし自分でもない。読み手がキャラクターとして読みたいならキャラクターに、自分として読みたいなら自分になる。そういう存在だと思っている。
夢というジャンルの存在感が大きくなりすぎて、夢、夢女子、夢小説といった言葉の曖昧な定義が肥大化したり、完全にとまでは言わないものの語源の夢小説から意味が離れてきてしまった。
人によって定義が異なり、かなりブレブレである。だからこそ夢男子のポストは様々な意見が集まった結果バズったのでは?と思う。
現代の「夢女子」という言葉は「夢小説好き」とかぶる部分はあっても、イコールではない。なので2025現在では夢女子と夢小説好きは違う。という話でした。
ちなみに蛇足として、私の夢小説の原点は「ピカチュウが現実にいたらいいのになぁ」です。
ピカチュウと恋愛したいとは特に思ってないけど、一緒に遊んだりバトルしたりしたい。そういうのも私の認識する「夢」に含まれる。でも世間一般では「夢」はほぼ確実に恋愛を含む言葉になっちゃったから「夢」「夢女子」って言葉は使わないようにしてる。
以上です。乱文失礼しました。
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた!世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
※著者名誤り、表記等一部修正しました。ご指摘ありがとうございました(深謝)。
Permalink |記事への反応(16) | 15:58
オタク向けの深夜アニメに限って言えば感覚としては(実際データ上はどうか知らない)確かに少ないかもなーと思う増田だが、そもそもな話、女性オタク向け作品において女性主人公の作品がメジャーではない気がするんだよな
女性オタク向け市場で人気のジャンルといえば、アイドルと二次創作BLが盛り上がっている作品である。そもそもな話、女がいないジャンルが人気なのだ。AVなどで「男はいいからさっさと女優を映せ」というクレームがあったりするけど、わりとそういう世界とか感覚に近いんじゃないかなと思う。女はいいから、さっさと男を映せ。
女性主人公作品がオタク女子に不人気というわけではなく、手堅くいつの時代も一定の人気があると思う。今も刀剣乱舞の女主人公解釈は大人気だ。
そして、アニメを見るようなオタク女性に限らなければ女性主人公作品はかなり人気が高く、例えばLINEマンガやピッコマ、めちゃコミックなどWEBマンガアプリでは上位ランカーは女性主人公作品ばかりだし、Netflixでも人気作品に女性主人公作品は多く存在する。
増田はまさに女主人公が出てくるようなアニメを好んでみていたような2次元オタクだったが、いつしかWEB漫画アプリやネトフリに軸足を移して2次元界隈には行かなくなった。そうしてアニメにおける女性主人公市場がしぼんでいって作品も少なくなっていってるのかもなあと思う
本を読んでいるときにふと思い出した。
そういえば俺は中学時代、オタクな同級生女子と親しくしていた時期があった。
俺にとって中学時代はあまりいいものではなかったのだが、オタク女子との関わりが一時的にせよあったという事実は、中学時代の自分像に多少の変更を迫ることを意味した。今の今まで忘れていたということは、彼女との関わりは本当に短く、密度も薄いものだったということだが、それでもこの記憶の想起は俺にとって少なからぬ意味を持つ。
俺は今も昔も一貫して非モテの陰キャだ。特に中学時代は友達も少なくわりと孤独な学校生活だった。そんな中、中学2年でクラスが同じになったのが例のオタク女子小野だった。といっても、彼女との関わりで記憶にあるのは、掃除の時間中、『よくわかる現代魔法』というラノベの話をしたことだけだ。それでも友達すらろくにおらず、厨二病を拗らせて周囲を拒絶していた俺が女子と趣味の話題で会話していたことは自分でも驚きだ。
今思えば、もう少し小野とは関わりを深めておけばよかったと思う。彼女は小柄で小動物のような見た目をしていて、顔だって悪くなかった。もしもっと親しくしていれば、非モテ陰キャの俺の人生も別の姿になっていたかもしれない。
もちろん、当時の俺に女子と親しくするなんてことは土台、無理だった。ただでさえ中学生なんてものは女子と親しくしていればからかってくる生き物だ。スクールカーストでいえばナード枠だった俺のような男がたとえ近い階層とはいえ女子と親交を深めるなど社会的にも許されなかった。
というか、そもそも俺は小野に異性としての興味を抱いていなかった。小野の方からなんらか恋愛的なアプローチがあれば話は変わったかもしれないが、もちろんそんな素敵イベントが起こることもなく、小野との関わりはいつの間にか幕を閉じた。本当に俺はダメなやつだと思う。
しかし、実を言うと中学卒業後、小野と関わる機会が一度だけあった。高校1年の頃、地元の友達の通う高校の文化祭に行った時、たまたま小野と再会したのだ。その際交わした言葉は「久しぶり~」くらいな軽いもので俺は友達と会う用事があったのですぐに小野とは別れてしまった。男子校だった俺からすれば女子と関わるまたとないチャンスだったのに、もったいないと今では思う。ホモソーシャルな環境にどっぷりと浸かり過ぎて女子と関わるという発想が薄かったのだ。青春時代の時間の使い方にもう少し気を配れていればと思わずにはいられない。
そんなことを思い出していたらムラついてきた。
いい年して中学時代を思い出して抜くなど恥ずかしいことだと思いつつも、俺は小野のことを思い出して一発抜いた。
あぁ、青春よ、帰ってきておくれ。