
はてなキーワード:エッセンシャルとは
この人たちが主張できるのはせいぜい、自分達の社会的な貢献度とか納税とかくらいでしょ?
それでも、よほどエッセンシャルワークをしていたり超高額な納税をしていない限り、微々たるものしかない
しかもその人たちが死んだらもう何にも残らないどころか、老後に社会に大ダメージを与えることが確定しているんだからプラマイゼロかマイナスなんだよね
オタクの経済活動とか言われていたこともあるけど、結局失われた歴史を修正することはかなわなかった
なら、地方で子だくさん家庭を支えてるパパママの方が全然えらいじゃんって思うわけだ
ブルシット・ジョブ(BullshitJobs)とは、人類学者デヴィッド・グレーバーが提唱した概念で、
働く本人でさえ「無意味で、必要がない」と感じており、社会への貢献もほとんどない仕事のことを指します。
その存在が組織の生産性を下げ、働く人に精神的苦痛を与えることがあると指摘されています。
日本語では「クソどうでもいい仕事」と訳されることもあります。
例
エッセンシャルワーカー:社会に不可欠な仕事に従事する人々。ブルシット・ジョブの対義語として言及されることがあります。
まとめもはてブも目を通したけど誰も分かってないな。
いいか、人の嫌がる仕事というのはイコール社会に必要な仕事って意味だろ。
で、この「社会に必要」って言葉にはほぼほぼ「それが無いと貧乏人が野垂れ死ぬ」という意味合いが含まれている。
ゴミ回収も介護も、その他エッセンシャルワークと呼ばれる仕事は大体そうだ。
金持ちはカネを使ってどうにでも逃げられるんだよ。ゴミが散乱した地域も避けられるし介護者もカネで引っ張ってこれる。だが貧乏人は逃げられない。
だから価格も安いしワーカーの給料も低いのよ。当たり前の話だ。
ワーカーの給料を上げたいなら値上げするしかない。貧乏人を切り捨てて。
別の手段として、増税か保険料を上げて薄く広く回収するという手も有るにはあるが、それが出来る政治家はもう日本には居ない。いるなら教えてほしい。高市には無理だ。
はてブも増田もTwitterも、カネを出せない貧乏人の存在を無視して話をしているのは卑怯だと思う。
家族を大切に思う気持ちは理解できるが、「社会にとって無駄でも家族のためならいい」という考え方は危うい。
社会全体が「自分の家族さえ良ければ」で動けば、結局その家族が生きる社会も崩壊する。
エッセンシャルワーカーの尊さは「やりがい」ではなく「必要性」にある。
それを「自己満足」と切り捨てるのは、他人の労働の上に自分の生活が成り立っている事実を無視している。
自分の仕事はやる価値が無いブルシットジョブだと思っているが、別に仕事にやりがいなんて求めてないしな。
不相応な給料もらっても家族が幸せになるなら社会貢献ややりがいなんてものは大したものじゃない。
エッセンシャルワーカーとかも、仕事でやりがいを得ているんなら低賃金で生きるのに精一杯でも仕方がないよなとも思う。
社会的に多くの人に貢献しているなら、自分の贔屓したい人に集中して貢献するのは難しい話。
社会的に無駄な仕事でも、その分自分の家族に貢献できるなら、自分はこっちを選ぶだけの話。
社会に出る2030年代には今以上にAI化が進んでホワイトカラーの仕事がなくなって、ごく一部の上澄み以外はエッセンシャルワーカーになるのがほぼ確定してるのに、そんなに教育費かける意味があるんだろうか。
医者はなくならないだろうけど、他の仕事で大学出た意味があるほどの収入が得られるかどうか疑問だ。たぶん、ほとんどの子は建設業・介護・運送業とかやることになるよ。
世の中のビジネスを一括りに「価値を生む」と考えるのは幻想だ。
確かに、物流、医療、インフラ、製造といったエッセンシャルワークは明確な価値を生み出し、人々の生活や社会を支えている。
しかしその一方で、現代の多くのビジネスは「アテンションの奪い合い」でしかなく、虚業の匂いを強く漂わせている。
SNSマーケティング、派手な広告、自己演出によるブランディング。これらは、商品やサービスの本質的価値とは無関係に、人の目や関心を集める能力で評価される世界だ。
真面目に製品を改善したり、顧客の課題解決に取り組んだりする努力は、誰の目にも映らなければ報われない。
一方、目立つパフォーマンスや派手な数字を作ることだけで高く評価される。
もちろん、情報過多の現代において、人の関心を引きつける力は経済的価値を生む場合もある。
しかし、それを「唯一の有能さの指標」として社会が扱うのは、明らかに狂っている。
エッセンシャルワークが生む価値や、地味だが確実な成果は軽視され、虚業の華やかさだけが光る。
その結果、優秀な人間が正しい仕事をしても、誰にも見えず、無力感に苛まれる構造が生まれる。
ひとつは確かな価値を生む実体的な世界、もうひとつは虚業的なアテンションゲームの世界。
後者で「有能さ」を測られる限り、努力や才能の本質は正しく評価されず、結果として多くの人が地獄のような評価制度に縛られることになる。