
はてなキーワード:エシカルとは
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
そういうのがエシカル消費であって
仮にひとつのテーマに絞って、例えば動物の権利(アニマルライツ)を意識してエシカル消費しようとする。そうするとどうなるか。あくまで極論だが、毎日3食ヴィーガンするしかなくなる。
殺すな、じゃなくて残虐な殺し方をするな、だ
単なるアンチ温暖化とかwoke() をエシカル相手にやろうとしたんだろうけどさ
エシカルなんてマックスバリュでもやってるようなのに釣りを書いたり噛みつこうとしたって無駄無駄
お前は生活感がないんだよ
例えばだ、ゴミの分別回収をやってるスーパーで買い物しようってのにお前は噛みつくのか?
ペットボトルやトレーをスーパーで回収している、そういうスーパーで買い物しようってのもエシカルだし、買い物ついでに回収も頼めるから全然いいだろ
それをズルいっていうんだったら別だよ?でも多分、そこまで考えてはないだろ
正確に言えば、SNSでなんか炎上する度「もうここの商品買うの辞めましょう」「代わりにここの商品を買いましょう」とかって言うのに乗るのが疲れた。
エシカル消費って果てがない。人権、SDGs、環境……倫理的な問題はたくさんあって、そういう個数的な意味でも果てがない。それに、倫理的に良いという意味ではマジで突き詰めれるくらい際限がない。
仮にひとつのテーマに絞って、例えば動物の権利(アニマルライツ)を意識してエシカル消費しようとする。そうするとどうなるか。あくまで極論だが、毎日3食ヴィーガンするしかなくなる。でも人体は動物性タンパク質が健康のために必要だし、ヴィーガン食は日本なら特にまだまだ普及してないから選択肢が少なくてキツイ。外国から個人輸入するって手もある?だろうけど、それはそれでお金がかかりまくる。そもそも、トレーサビリティ的にそれ本当にエシカルな商品なのかってのが不明瞭な商品も多い。まあとにかく、そういう現実的な問題がエシカル消費の前に立ち塞がってくるわけ。
それになにより、一人一人の買い物が社会に与える影響にも限界がある。ぶっちゃけその炎上した会社の株を持ってたら売る方がもっと社会的に響くんじゃないかと思う。まぁそんなたまたま炎上してる会社の株持ってて売れる奴なんか、普通にその会社の商品を購入する人の数に比べたらあんまいないだろうけども……
それに一番最初に言ったボイコットって「自分でちゃんと基準を設けてボイコット辞めなきゃ実質無期限にやることになる」。だってボイコットを呼びかけたあと誰かがもうボイコット辞めてもいいですよーなんて言わないからな。その無期限ボイコットを続けてたら、特定ジャンルで買える商品が無くなるなんてこともあるだろう。
だからとりま、自分は無期限ボイコットを辞めるところからはじめている。というか、エシカル消費いったん意識しないで普通に生活をしている。
「へぇ、こういうのが貴方の言う『エシカル』なんですね。高尚すぎて私にはとても理解できないですね」
とでも笑顔で言えばいい話。
お前らは、財布を選ぶときにエシカルだの美しさだの、そんなチャチな理由で選んでるのか!?
甘ったれるな!!
牛革財布の魅力はそんなもんではない!!!
考えても見ろ、今の世の中のことをもっと。
もしも、これから戦争が始まって、世界中に核が落ちて、突然、世紀末救世主伝説マッドマックスの世界になったときのことを。
そうだ。
生き延びる唯一の切り札が牛革財布なんだぞ。
まず肝に銘じろ。
牛革は「食料」なんだ。
野菜の栽培も家畜の飼育も無理な世界で、飢えをしのぐ最後のリソースがここにある。
財布をかじれば、噛みしめる豊かなタンパク質、ミネラル、コラーゲンが染み出してくる。
口に入れたその瞬間、財布に刻まれた刻印よりも確かな“生命印”を感じるはずだ。
次に、牛革財布は加工が進んでいても“ナチュラル”な食感を残している。
噛めば噛むほどほのかな渋みと深いコクが口内に広がる。
財布の縁に残る糸くずや裏地も、繊維質としての食物繊維だ。
咀嚼するほどに満腹中枢が刺激され、腐敗しにくい乾物として長期保存にも耐える。
だが牛革は違う。
放射線も耐え抜く厚みとハリがあり、雨にも泥にも負けない。
まさに世界が終わっても財布一つで飢え知らず。
お前らが今、デザインやブランドを気に入ってるあのしなやかな手触りも、世紀末では“食べ頃”のサインだ。
柔らかすぎず硬すぎず、最適な焼き加減のステーキ肉を口の中で思い描け。
核ミサイルの閃光が消えた直後、財布を火に炙れば表面がパリッと香ばしく、内部はじんわりジューシーな“廃墟グルメ”に早変わりだ。
だが財布をかじるたびに、自分がかつてこの文明で戦ってきた証を噛み締める。
希望も絶望も一緒に噛み砕いて、次の一口を目指せば、生きる糧になる。
だから聞け。
その財布を持って砂塵の廃墟を歩け。
汚れや傷はそこそこあり見た目は良くないが十分実用に耐える。
しかし仲間内ではデスマスクなんてエシカルではない、人の皮革の財布にすべきだと文句を言われる。
その意見には同意だがわざわざ使えるものを買い替える方が無駄ではないか。
そう言っても他の者の示しにならない、みたいなことを言われて聞く耳を持たない。
このままだとあと10年くらいはまだ使えそうだがさっさと買い替えるべきだろうか。でないとずっと嫌味を言われ続ける。
おぬしらは勘違いしている
なんとなくわかると思うが、あれは「田舎批判をすることで、自分が都会に住んでいる実感を得る」ことが目的のキチガイどもじゃ
というか、イノシシやらシカやら、他にもぶっ殺されてるのに、何故クマだけ騒ぐのか考えてみろ
もちろんクマほど大々的にニュースとかで取り扱われていないというのもあるが、それだけじゃあない
あのキチガイどもは、自分たちがエコでエシカルでサステナブルで安全な生活をしてると自覚したい化け物であり、クマが実際に人を殺す猛獣であるからこそ、クマが人間に処理されてたのでは面白くないんじゃよ
田舎にはずっとクマで困っててもらいたい、これが奴らキチガイどもの本心じゃ
自分で気づいてるかどうかは知らぬがな
なんせ本人たちは良いことしてると思っとるから
仮にクマを殺さず、クマが人間に被害を与えないシステムや生活を確立したとしよう
おそらく、いや、奴らは必ず批判してくる
🟢 ナッパ本革とは?
✅ 特徴
生後間もない子牛などの皮を使う
柔らかく、しっとりした質感
✅ 加工
染料仕上げで自然な色味・風合い
厚みが薄くしなやか
🟢 なぜ高級なの?
✅ 原料の皮自体が希少
✅ 加工に手間とコストがかかる
✅ 仕上がりがとても上質で「しっとり感」「高級感」がある
「カーフ」と呼ばれる生後6か月以内の子牛の皮は、非常にきめ細かく柔らかい質感が特徴で、高級な本革製品(特に自動車の高級シートや高級バッグ等)に多く使われています。このカーフレザーは、赤ちゃんの肌のような滑らかさとしっとりした手触りのために重宝されてきました。
倫理面については、カーフレザーの多くが食肉産業の副産物として利用されているとはいえ、実際には子牛の命が失われていることに変わりはありません。また、世界の一部地域では動物福祉への配慮が十分でない場合もあります。
シンプルにだめだろこれ
おまえの息子や娘の生皮がはがれるのを見てられるのかよ
オシャレでエシカルなブランドとして知られるAēsop(イソップ)。香りもデザインも最高。でも、一つだけどうしても納得できないことがある。
ギフト包装がない。
いや、正確には「ギフト包装がないわけではない」が、いわゆる「高級感のあるラッピング」は皆無で、ただの布袋(ズタ袋みたいなやつ)に入れて渡される。
イソップのスタッフは言う。「環境のためです」「エシカルな理念を大切にしています」と。
イソップのボトルを開けたときの香りやデザインに感動するのと同じで、包装を開ける瞬間のときめきって大事やん?
なのに、イソップのギフト包装は「ただの袋」。それどころか、たまに紙袋すらつけてもらえん。まるで「お前の大切な人に渡すプレゼントなんて、これで十分だろ?」と言わんばかりの無骨さ。
いや、違うんよ。俺はプレゼントをあげる相手に「特別感」を届けたいんよ。
エシカルが大事なのはわかる。けど、エシカルって「個人の楽しみや文化を削ること」なん?
世間の「エシカル至上主義」には、どこかモヤモヤした違和感がある。
「過剰包装はやめよう」という理念は素晴らしい。でも、「プレゼントを贈る文化」まで薄めるのは違うやろ。