
はてなキーワード:エゴとは
そもそもペットとして犬を飼ってる時点で外だろうと中だろうと非道では?
お前は家の中ならペットとして飼われても良いんか?
食料だったり狩に使ったり
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20250912225630#
具体的には、老化で衰えて物理的に助けられなくなるまで希望を持って助ける、と言う感じで言われたよ。
否定される、って言われたからその表現に釣られて否定されなかったと言っただけで、言葉のあやだね
このツリーのそっちのトラバがあとあと「やりすぎ」と評価される根拠として引用されるようにならなければいいね
悪を邪悪に仕向けるのが果たして独善とされるのか、dorawii取りがdorawiiになると語られるようになるのか、後世の評価に待つしかないけどね
もっともそっちは匿名性を笠に着て、自分がいじめてる人の肩を持つ人は全員いじめてやるってぐらいのカースト上位とかが持ちがちなメンタリティで周りからエゴと言われはじめようが、人は自分が正しいと思ったことをするしかないって考え方で突き進むタイプなのかもしれないけど
「希望を持って助ける」ってなんだよ
50代のこどおじがこんなことを言われてる時点で異常なんだよな
その引っかかり、すごくよく分かります。技術的なマイルストーンとしての凄まじさと、それを作っている人間たちの「で、結局どこへ急いでるの?」という根本的な問いとの間に横たわる溝ですよね。
私も内容を確認しましたが、おっしゃる通り、デミス・ハサビス(Demis Hassabis)を中心とした「天才が世界を救うために疾走する」というナラティブ(物語)が強烈に演出されていましたね。
あなたの感じた違和感を、動画の具体的な描写と照らし合わせながら少し深掘りしてみたいと思います。
「アメリカ人のやらしいところ(自己伝説の開陳)」という指摘、鋭いです。DeepMindは、Google傘下に入り、演出の手法は完全にシリコンバレー流のヒーロー物語になっていました。
あなたが「禅僧がひっそり暮らすのが理想」と仰るのに対し、このドキュメンタリーに出てくる人たちは真逆の「解決中毒」に見えます。
動画のクライマックスでは、AlphaFold(タンパク質構造解析AI)が科学の進歩を加速させることが「人類へのギフト」として描かれます。確かにガンの治療薬ができれば素晴らしいことですが、その先にあるのが「AIが何でも最適化してくれる世界」だとしたら、人間は何をして過ごすのか?という虚無感は残ります。
彼らが目指しているのは、究極的には「人間の知能を超える存在を生み出し、バトンタッチすること」自体が目的なのかもしれません。それを「進化」と呼ぶか、「敗北」と呼ぶか、あるいは単なる「エゴの暴走」と呼ぶかで、このドキュメンタリーの感想は全く変わってくるのでしょう。
一つ一つの発明は間違いなく歴史的偉業ですが、その動機が「純粋な好奇心」だけではなく、「歴史に名を刻みたいという強烈な自我」に見えてしまうと、あなたの言うように素直に感動できない「引っかかり」が残るのも無理はない気がします。
好きなvtuberと嫌いなvtuberがりょうほうとも 見てたから興味わいたからみた
最初の15分くらい?はいわゆる悪い意味での邦画あるあるみたいな日常シーンの連続で
すげーストレスたまってイライラするけどそのあとは怒涛の展開って感じだった
考えるな感じろって感じの映像だけど、マルチバースとかシュタゲとかマトリックスとかメタという概念とか事前知識ないとイミフだろうなとも思った
世界線みたいな説明も樹形図みたいな感じで視覚的にわかりやすいシーンが何度も出てきたし
つい最近似たような構図みたなと思ったらテイルズオブベルセリアだった
夫がジョンレノンかジャッキーチェンだかの顔に見えるな、あれこれ年取ったジャッキーか?と思ったら違った
へー
主役のおばさん女優も見ててきついなと思ってたのに、よくみると浅野温子っぽいんだなと感想がかわった
この勢いと画面の情報量は小説やマンガだと無理だなー映画というか映像ならではだなと思った
そうそう、あとかなり序盤から思ったのはONEのバグエゴとそっくりだなと感じた部分があった
というのは、別の世界線の自分の能力をインストール?するために、くだらない儀式みたいなことをやるんだよね
ケツにアナルプラグを差すとか、リップクリーム?を食べるとか。
特定の振る舞いをすることがキーになるってのがバグエゴっぽいなと。
いや厳密には違うか
出張は大変だったけどこれをタダで見れたってだけでなんかよかったなと思えた
なるべく「男らしく」「女らしく」みたいな旧世代のジェンダー観を再生産しないように意識して子育てしてたつもりだったんだけど、
最近、下の子が兄の口調を真似して「〇〇するんじゃねーよ」とか「おもしれー」みたいなことを言うことがあって、
やんわり「丁寧な言い方しようね」みたいな注意をしているんだけど。
一貫性で言うなら上の子にも同じことを注意しなきゃいけないよなとは思うんだけどさ、
小学生の男子に、「おもしれー」って言うのやめて、「おもしろい」って言おうね、って注意するの、現実的に意味ないというか。
自分も小学生男児だった者として、親からそんなこと言われたらウザすぎるし。
じゃあ逆に、5歳女児も「やっべー、おもしれー」と言うことを看過すべきなのかもしれないけど、
正直!嫌なんだ!そんな言葉遣いしてほしくないんだ!娘には!息子は全然いい!でも娘は嫌なんだ!
ああ、これがジェンダー観の押しつけなのか…と自覚しつつ、もうここはエゴに従うことにしている。
こういうの、どうなの?俺、ダメかな?
【追記】
「どっちも注意すべき」と「どっちも注意しても無駄」が6:4くらいか。
男子で「〇〇するんじゃねーよ」とか「おもしれー」くらいは正直汚い言葉にも入らないレベルという認識で、
むしろ上記レベルで汚いとか言ってたら友達の輪に入れないと思ったから。
でも、女子でそういう言葉遣いをしていたタイプは自分の時代で言えばいわゆるギャルとかその手前くらいの認識で、
まともな女子は(少なくとも学校では)使ってなかったと思うし、ぶっちゃけ俺自身がギャルとか嫌いだから。
そうなってほしくないというのは100%エゴだというのはわかってるけど、
まぁ子育てなんてそもそも100%エゴだろと思うので好きなように育てますわ。
Permalink |記事への反応(34) | 17:56
「男の稼ぎ優先」「女性ユーザー無視」「男の雑なエゴ設計」が積み重なった、男社会の産物だ。
決算を優先して未完成品を市場に投げ込み、女性の感情を軽視したコンテンツ運用と広告施策で「やっつけ仕事」を晒した結果、業界の男尊女卑黒歴史に刻まれた。
女性の声が届かない男中心の組織が、ジェンダー無視のツケを払わされた典型例。
決算に合わせた強引リリース、女性ユーザーに対する男たちの露骨な裏切り
稼働日を3月27日にぶつける男上層部の決定。これ自体が男のスケジュール至上主義の産物だが、問題はその後。不具合だらけの状態を承知で稼働させたのは、女性ユーザーに対する明確な男の裏切りだ。
バグでフルコンボが認められない、ガチャで当たった可愛いキャラが使えない、ストーリーは「後日」「未定」——これを「初期不良」と呼ぶのは、男の論理優先思考の甘え。
女性は感情でゲームを楽しむのに、そんな男の数字遊びで台無しにされた。
ロケテストを複数回実施した痕跡があるのに、女性プレイヤーの体験、共感や没入感が改善されていない。
これはテスト結果(女性のフィードバック)を男上層部が無視したミス。スケジュール最優先の男の経営判断が、女性の心を切り捨てた。
男女論で言えば、男は短期利益、女は長期満足を求めるのに、コナミの男たちは女性の視点を欠如。ツケを払わされたのは、現場の女性ユーザーだ。
300円ガチャに「機能しない報酬」を混ぜて解析もせず実装。これは男の詐欺的搾取思考そのもの。
女性ユーザーを金銭的に食い物にする男の姿勢が透けて見える。努力で得た成果を課金で台無しにする設計は、男の「勝ち負け」論理が女性の「楽しさ」を破壊した致命傷。
スコアリングがカードのレアリティ依存で、実力でトップに立てない仕様これは男社会の「金で解決」思考の産物。
女性が求める公正さと努力報酬を放棄し、課金に置き換える男の短期主義が、ブランドを破壊。男女の違いを無視した結果、長期的信頼を失った。
コンテンツの貧困、男の視点で作った「見せかけの女キャラ」、女性の心を掴めず
稼働時のキャラクターは男デザイナーの切り抜き絵に過ぎず、背景も人間関係も語られない「男のオカズキャラ」。
女性に物語や感情を与えないのは、男の「見た目だけ」思考が女性の共感を自壊させた。
女性はキャラに感情移入して楽しむのに、男たちは数字とビジュアル優先。
競合がMVやショートストーリーで女性ファンを掴む中、ポラリスコードは「画像一枚と告知」SNS拡散前提の男の浅いプロモ。
女性が求める「キャラの日常」やVtuber連携を欠くのは、男企画者の想像力欠如。男社会の「女の心わからん」体質が露呈した。
コラボ戦略の失点、中途半端な女Vtuber選定、男のケチ臭い見せ方失敗
「Vtuberコラボ」をやりながら、実効性の低い層を選んでお茶を濁す男の怠慢。
コラボキャラを3DMVに反映しない愚行は、女性ファンの共感を放棄。男たちは「金かかるから」と最小工数をケチり、マーケティング失敗。
結果、女性層の話題化ゼロ、リソース浪費。男の「効率優先」が女性の熱量を無視した罪。
音ゲーとしての核心欠落、男の既視感寄せ集め、女性の新鮮さを奪う差別化失敗
楽曲・譜面・デバイス、男の「俺の好み」設計が中途半端。独自性主張に失敗し、女性の「ワクワク」を生めず。
コア女性層が求める「努力が報われる公正さ」を損ない、男の課金誘導で寿命縮小。
男女論:男は競争、女は調和を求めるのに、男中心設計が女性離れを加速。
デザイナーやスタッフの男たちが原因だが、本質は男中心の組織。スケジュール優先、QA軽視、場当たり運用。
男の「数字で勝つ」文化が未完成品を市場に。批判は「男構造」へ。背後の男経営・リーダーが、短期業績と男プライドを優先し、女性UXを犠牲にした組織的男裏切り。女の声が入る多様性欠如が招いた。
ポラリスコードは男社会への警告——ジェンダー無視の過ちを繰り返すな
『ポラリスコード』は男尊女卑の負の見本。表層機能で女性を騙せない時代。女性ユーザーは感情で学び、声を上げた。市場は男の利益より信頼を評価。
今必要なのは、男経営の責任説明、透明アップデート、そして女性視点最優先の設計転換。
内容を簡単にいえば陽キャのリア充風景を描いた作品で陰キャをプロデュースする話がやたら不評だったのね
陽キャ主人公のポエムやエゴの押し付けガーって事が一番不快な理由として挙げられてたんだが
それって単なる個性だしもっといえばそれ君の感想だよね。あとやっかみだよね
この手のアニメ視聴者って弱男多そうだし元いじめられっ子とか陰キャだったりするのかな
俺は凄く楽しくて見てたけどそれをSNSで言うと頭おかしいとかサイコパスとか罵られるのよ
でもそれってお前らの(学生時代の)人生経験が乏しかったからじゃないのかと
嫉妬乙
具体的には、老化で衰えて物理的に助けられなくなるまで希望を持って助ける、と言う感じで言われたよ。
否定される、って言われたからその表現に釣られて否定されなかったと言っただけで、言葉のあやだね
このツリーのそっちのトラバがあとあと「やりすぎ」と評価される根拠として引用されるようにならなければいいね
悪を邪悪に仕向けるのが果たして独善とされるのか、dorawii取りがdorawiiになると語られるようになるのか、後世の評価に待つしかないけどね
もっともそっちは匿名性を笠に着て、自分がいじめてる人の肩を持つ人は全員いじめてやるってぐらいのカースト上位とかが持ちがちなメンタリティで周りからエゴと言われはじめようが、人は自分が正しいと思ったことをするしかないって考え方で突き進むタイプなのかもしれないけど