
はてなキーワード:インテリヤクザとは
俺は一人っ子で父母ともに大人しく行儀の良い人間だったのでいわゆる乱暴な言葉とはそこそこ無縁で育った。
ドリフもひょうきん族も見ない家庭だったので、別に親はそう意図したわけでもないと思うが純粋培養みたいな環境だったと思う。ちょっと言い過ぎか。別に息が詰まる家庭とかそういうレベルじゃない。いわゆるお坊ちゃん育ちみたいな感じといえば伝わるか。
おまけに俺自身一人遊びが割と好きで良くも悪くも周囲の友達の言葉遣いの影響を受けることも少なかった。
しかしこれは大人になって気がついたことだが、友人関係を深めるには売り言葉に買い言葉というか、悪意も他愛もない乱暴な言葉の応酬ってのが一役買うことがある。
日常のふざけ合いじゃれ合いもそうだし、あるいはちょっと嫌なことをされたとき瞬発的に「ざけんなバーカ」と笑って言い返せるかどうかは友人関係においてまあまあ大事なことなんじゃないかと思う。もちろんほんとに嫌なら笑わなくていいがそのあたりの塩梅を学習していくためにも、ある程度勢いのある言葉をポンと出せるかどうかの違いは大きい。
俺は男だが女でも同じだ。
娘が二人いるがまあ若者言葉全開で口が悪い。しかし本人たちは楽しそうだしちゃんとした場ではちゃんとした言葉を使っている。だから心配はしていない。
子がちょっとした悪さ(家の中でボール遊びしてぶつかったとか、それこそ親に対して乱暴な言葉を使ったとか)をしたとき、コンコンと諭すように説教するには大げさだし、真面目なトーンでピシャリと注意するのもなんか違うなって場面はままある。そういうとき「なんだコラ?あ?」などと笑ってすごんで見せると場が和みつつ、ちょっとだけ「悪さ」を牽制できる。実に便利だ。親のタイプを問わない。いかついタイプの親がやればハマってて笑えるし、おっとり優しいタイプの親がやればギャップ萌え、インテリタイプがやればインテリヤクザだ。楽しそうだろう?
こういう対応ができるようになったのも、子どもたちが俺に乱暴な言葉を教えてくれたおかげだ。乱暴な言葉も使いようだなとアラフォーにして初めて知ったよ。それ以来、子どもたちやその友達、あるいは自分の友人なんかを注意して見てると、できるやつはたぶん子供の頃からそういうコミュニケーションができていて、これもまた「コミュ力」の一要素か、などと思う次第。
「悪い言葉」はわざわざ意識して身につけるもんでもないと思うが、使い方次第で有益なのは間違いない。ジェンダー関係なく、子どもが今そういうふうな感じならあえて直さなくていいと思うよ。父親として「息子はいいが娘はちょっと」みたいな動機ならなおさらだ(ただまあ気持ちはわかる)。
それが原因で友人関係に傷つけてないか? 先生や友達の親御さんやご近所さんに悪い言葉遣いをしてないか? など簡単なチェックポイントだけ脳内で設定しておいて見守ってればいいじゃないかな。「ちゃんとした言葉」も「悪い言葉」も両方使いこなせるなら、そっちのほうがいいじゃん?
いやはや、世も末というか何というか。
なんでも、違法なメンズエステを実質経営してたとかで逮捕されたって話。
表向きは「KOMOREBI」なんてシャレオツな名前でやってたみたいだけど、やってることはガッツリエロサービスだったとか。
この滝谷准教授、以前は奥村弘って名前だったらしいんだけど、その頃にもなんかやらかしてたって噂も。
たしか、スーパーで財布盗んで、そのカードでガソリン入れたとかで逮捕されてたはず。
他にもマルチ商法に関わってた疑惑なんてのもあったみたいだし。
国立大学の准教授でしょ?総合情報基盤センターってとこにいるらしいけど、そんな人が何度も逮捕されて解雇もされないってどういうことなの?
まさにインテリヤクザじゃん…。
研究者としては、津波対策とか防災関係で実績があったみたいだけどね。
でも、こんな人が教壇に立ってるとか、国立大学の闇を感じるわー。
汚い言葉遣いも大概だが、汚い「話」をずっとしてる奴の方がよっぽど気持ち悪い。
インテリヤクザみたいなのは汚い言葉は使うが、汚い話は嫌いだ。
結局、育ちがそこに出るんだと思う。
汚い言葉は表現のテクニックとして用いられるが、汚い話を自覚なく垂れ流し続けられるのが本当の底辺という気がする。
ということに、底辺の流入し尽くした近年のネットを見ていてようやく気づかされた。
知能の高い人間にとって汚い言葉は比喩だが、知能の低い猿にとってはそれは言葉のあやですらない。
彼らは汚い言葉を使っているのではなく、汚い話をするしかできないのだ。
まさに幼児と同じ知能だ。