
はてなキーワード:インテリとは
しかも、代理店が都合の良いコンテンツの場合だけ、バカ向けには作らないからね。
今じゃちょっとでもインテリなのは、フェミ腐女子の表現規制ウーマンに向けた、悪質マスゴミイケメン動物園。
というか、自分もなんだかんだ、年齢を経てだけど、能力や実績より人柄を優先するようにはなっちゃったんだよね…😟
なんつーか、常識的でつまらない人、って否定的な表現で言われがちだけど、
危機的状況になっても、多分、常識的な人はつまんないぐらい常識的な対応するだろうな、というのは良い面も悪い面もあって、
悪い面は、まー、その程度しかしてくれないよね、所詮役人とか公務員は…、みたいな感じだけど、
良い面は、あー、こういうときも粛々と淡々と仕事してくれるんだなあ、公務員は…、みたいに思うことが多々あって、
だって、災害の時とか、インフラ関係とかセキュリティ関係は違うだろうけど、プログラム書くだけの仕事とかなら、まあ休みになるじゃない
災害で仕事が止まっちゃった、で終わっちゃう仕事はみんな休みになるだけだけど、
災害対応が仕事に含まれてる人は、災害になってからが本番みたいなもんで、生活インフラとか交通インフラとか止まってるのに大変だなと…
多分、多分だけど、麻生さん的には、まあ菅さん岸田さん石破さんが敵だった、公明党は自分に味方してくれたことがない、
それから、石破さんは常識的で、ある意味、つまらない人でもあるわけで、新しい風を感じない、
そういう評価は、まあ正しいんだと思う…
ただねー、自分としては、ネットで誰か別の人が同じようなこと書いて盛り上がってたりしたけど、俺も消極的選択で石破さんだったんだよね
もう、政治は余計なことをするな、と…
クールジャパンとか、バカなことを始めるんじゃないか、と思っちゃうわけだよ、置かれた場所で咲けだの、日本は世界の中心だの…
もう、余計なことはしなくていいから、粛々と役人としての仕事をしろと…
あとは民間企業とか資本主義がなんとかするから、もうでしゃばらないでくれよと…
ところが、なんか高市早苗政権というか、第二次麻生政権というか、そういう方向性になって、公明党も排除した
どうするのかと思ったけど、良いか悪いかは別として、麻生さんとしては公明党の排除は悲願だったし、
ある意味、もうカルトとか宗教に票を頼るのはやめよう、という意思表示のようにも思える、これは考えようによっては好印象なのではないだろうか…
ただ、上述のクールジャパンじゃないが、でしゃばってどうなるか、はこれはもう、これから先の推移をただ眺めるしかない、もうわからん…
最近の中国は手のひら返しで、急にハイテク関係に力を入れるようになったけど、
そもそも、共産党中央は、巨大ハイテク企業は自分たち以上の力を手に入れる脅威になるわけだから、これまで冷たい態度を取ってきた
しかし、AIやロボット産業が、ある意味核開発みたいな感じになってきて、核開発とかアポロ時代の宇宙開発のように、アメリカと競争するようになった
高市さんにそういう中国みたいな産業への後押しを望んでる声が多々ネットにあるのだけど、俺は本当に中国と同じような方向性を導入していいのか分らん…
自分が老人になったからだろうけど、なんかもう疲れたんで、もっと緩い社会とか、温い世界があってもいいんじゃないか…
第三次世界大戦とか、ターミネーターみたな話を皮肉としては話すけど、本音では、まあ超知能が仮に登場しても、なんか良い方向に行く気がしてるのである
なんなくても、核と同じで、今度はみんなでその強大な力を抑え込むためになんかやるでしょ
やろうと思えばできるけどやらない、というのは、結局核戦争を始めても報復の連鎖が起こって人類が自滅するだけなのを、各国のインテリは少なくとも分かってるから
あー、でも、ここで手綱がインテリの手を離れて、バカな自殺志願者とかゴロツキに渡ったときに悲劇が起こる、という可能性は否定できない
話が大幅に脱線したけど、いや、ほんと、俺は石破さんみたいな人は、人として好きなタイプなので、一緒にご飯を食べに行きたいぐらい
極度の対人恐怖症の自分でも、そういうイベントがあったら、お金なくても行きますよ、鉄道の話はできないけど…
高市政権がどうなるのかしらんけど、麻生さんとご飯に行きたいとは思わない
皮肉屋なのは分かるけど、仮に新卒の学生が上司に向かって、麻生さんみたいな皮肉を言ったら、即刻干されれるでしょ…
麻生さんがそれをできるのは、あの人は生まれつきの上流階級の人間だから、
Xを眺めてたら、安倍晋三万歳、麻生太郎万歳、高須克弥万歳、みたいなことを書いてる人がいて、
その三人とも俺は正直あんま好きじゃないというか、嫌いなんだけどな、と思ってタイムライン読んでたら、
その人はかなり中年?高齢?の独身女性で、結婚歴もないみたいで、超貧乏生活してることが分かってきて…
自分は不思議なんだけど、いや、でも自分も厨二病のときとか、社会人挫折してひきこもってた初期の頃はあったか…
ナチスの真似したりして、高揚感はあるんだよね…、それは分かる、コスプレみたいなもんだし…
でも、自分が貧乏だと、金持ちのお金自慢みたいなの見て、いいなあと思って、不愉快になるだけで、
俺みたいに死ぬまで独身決定、孤独死確定の人間が、家族団らんを眺めてても辛いだけでしょ、普通…
自分より大きな権力とか力に憧れがあって、彼らと似たような思考や行動をしていれば、自分も金持ちになれる、とでも思ってるとか、
まあ、高揚感があるとか、俺は他人とは違うんだ、みたいなニヒルを気取ってるとか、そういう気持ちは分かる
分かるんだけど、まあ、そういうのは長続きしないよ、いつかは目が覚めるんじゃないかな…😟
常識的でつまらない、まあ、そうなんだけど、普通とか常識があるから社会がそれなりに安定して成り立ってるわけだし、
エクセントリックなことをする人が面白い、ってミュージシャンとか漫画家とか政治家とか、目立つ職業が評価されるのは分かるんだけどさ、
普段バスとか電車とかタクシーを運転してくれてる人がいるから、
なんとか退院したけど、とても家まで歩いて帰れない俺が無事に家に帰れるわけだし、
派手な芸能人とか政治家先生が俺を家まで送迎してくれるわけじゃないからねえ…
つまらない人にも価値があるし、能力や実績があっても人間として不快な人は不快に思う気持ちは自分にもあるし、
自分も人のこと言えないというか、昔の自分を反省しているところもあるんだけど、そういう人が干されても当然というのはあると思う
時代劇なんか主役は基本強キャラだし、刑事ドラマや探偵物も大抵主役はつよつよ主人公(もしくはインテリ)だから昔からのテンプレの一種ではある
ただこのてのジャンルはつよつよ主人公の話はあくまでサブで、メインとなるイベントや事件なんかが物語の中心になるからそう意識されることが少ない
逆になろう系はそもそもが素人小説でメインの話が下手(そらまぁ素人が趣味で書いてる小説なんだから当たり前だけど)で興味が惹かれないうえに、強キャラの根拠となる部分もテンプレという粗製乱造が目立つからネタにされやすいだけ
ほんこれな
最近の日本じゃ The Alters やスパイダーバースのフレイバーレベルの反体制描写ですら、
なかなかお目に掛かれないからなぁ
ただまぁ下記のようには思う
描写が過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ、
パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな
というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、
今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプのインテリ・エリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家だからな
答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、
ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、
難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解・共感できるけど、
⭐️主人公の資格がない人物を主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️
私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。
しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。
そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。
マルコを取り巻く人々は悪人であってもときに良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、
常に人生と社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。
⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️
日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。
これは、(公開)当時とても意外でした。
というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。
「お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。
それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。
(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――
そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。
こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。
その――人々と、なんとか折り合いをつけて。
もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。
なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから。
それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。
お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。
で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。
お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。
実際に、僕自身が知っているわけで。
それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。
ところが、清太という子は、それを耐えることができない。
耐えないで、なんとかやっていけると思った。
子どもなんですね。
自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプの人間)になるけれど、
でも、清太側にいれば、
という風に見てくれる人がいればよかったんですが……
そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。
そうなっていたような気がしますね。
それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。
取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――
という風なことを、
清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。
お向かいの娘に「うちらも2階の教室やからけえへん?」と誘われても、
「ぼくらあとでいきますさかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。
置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。
清太はそれを我慢しない。
「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」
そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。
そんなことが可能か?
心情的には、べつに現代の青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。
マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
大人もみんな清太になりたがり、
自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。
それが現代です。
それが、ある程度可能なんですね。
清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います。
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。
清太と節子が生きた時代というのは、
それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、
ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。
社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。
清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。
"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。
現代の青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、
時代の方が逆転したせいなんです。
こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。
ぼくは、おそろしい気がします。
あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。
見た人はそこに怯えて欲しいんです。
今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、
常に孕んでいるということ、その心配とか。
もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、
いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。
同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、
言いたいことも言えないっていう状況を招く。
どっちに転んでも難しいよね。
自分の家は日常会話にも漢語がよく使われる家だったので、学校の友達との会話でもそういうのが普通に出ていたのだが、
子供の頃に友人だったかその周囲の大人だったかに増田君は漢語をよく知っているねと言われることがあった。
よく考えると私の周囲の子供たちもそれなりに裕福で知識の泉には簡単にアクセスできる人たちだったので、日常会話で困ったという経験は無かった。
そもそも、寡黙だったので話し相手も限られていたというのもあるかもしれないけれど。
昨今のSNSを見るに、同じレベルの人とではなかったら「そんな言葉ありません!www」という反応や頓珍漢な回答がやってくるのだろうなと思う。
時は令和、空前の「アートなグルメ」ブームが最高潮!食べられるアートとか、インスタレーションフードとか、みんなが「視覚的な衝撃」と「新しい表現」を求めてた20XX年。そんな中、東京の六本木、アートトライアングル付近に、マジで浮世離れしたおじいちゃん…ではないんだけど、なんかこう、強烈な個性と、燃えるような情熱を秘めたオーラをまとったお方。「え?セレブ芸術家?ファッションデザイナー?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。
「SoyPicasso.」
え?マジで?あの『ゲルニカ』を描いた、20世紀最大の天才画家、パブロ・ピカソ様!?ゲキヤバ!ってアート好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶クールなお方、もといピカソ様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…パリではない、か…?ずいぶんと賑やかで、しかし見慣れぬ色と形にあふれた場所ですな。」って、マジで時代錯誤感ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その研ぎ澄まされた眼差しに、何か深い創造性を感じてたらしい。
そんなピカソ様に、恐る恐る話しかけたのは、六本木でギャラリーのアシスタントやってる、美大卒のインテリギャル、アミ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この街の色使いと、人々のエネルギー、これこそ『青の時代』の次に来る、新たな表現かもしれぬな。」って、意外と丁寧な言葉遣い!アミ、その真面目そうな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「アタシ、アミ!六本木のことなら、何でも聞いて!ピカソ様、マジで渋いから、アタシが案内してあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって。
次の日、アミに連れられて、ピカソ様は初めて現代の日本を体験!国立新美術館とか、最新のインスタレーションとか、マジで全てが新鮮!でもね、ピカソ様が一番興味を示したのは、屋台のラーメン屋さんで、みんなが美味しそうに食べてたもの。「…この、白くて長いものと、緑色の細かく切られたものは、何というものでございますか?ずいぶんとコントラストが美しいな。」って、マジ真剣な眼差し。アミ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、ネギですよ!ラーメンの薬味の定番!シャキシャキして美味しいんです!」って教えてあげたんだって。
ピカソ様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この奥深き味わいは!?シャキシャキとした食感と、鼻に抜ける刺激的な香りと、かすかな甘み…まるで、わがキュビスムのように、一つの素材から様々な要素が立ち上がってくるようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで天才画家っぽい表現で感動してたらしいよ。
そこから、ピカソ様のネギ愛がマジで爆発!毎日色んな料理店を巡って、ネギを使った料理やスイーツを食べまくってたんだって。「ネギの種類、切り方、香りの強さ…研究しがいがありすぎる!」って、もはやネギマイスターレベル!
でね、ある日、ピカソ様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「我は、このネギをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、人々の舌と心に衝撃を与え、真の『芸術』をもたらすパフェを創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『キュビスム・パフェ』よ!」って!
え?ネギパフェで天下統一?しかも「キュビスム」とか!マジで壮大すぎる!でも、ピカソ様の「芸術的才能」があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってアミも思ったらしいんだけど、ピカソ様の目はマジだったんだって。創造主の情熱が、令和のネギパフェに新たな戦場を見出したのかもね!
そっから、ピカソ様のネギパフェ天下統一計画がスタート!まずは、SNSで「#ピカソのネギ・キュビスム」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶斬新だけど美しいパフェの画像をアップし始めたんだって。その奇抜すぎる見た目と、ピカソ様の哲学的なコメントが、一部の異色グルメ好きギャルや、アート系の人たちの中でじわじわバズり始めた!
SNSはピカソ様のネギ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、ピカソ様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しいネギや、ネギに合う最高のフルーツやクリーム、そして日本の伝統的な甘味料を探し求めたり、甘さと辛味、そしてネギの旨味の「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のネギパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!ピカソ様は、六本木のど真ん中に、自分のプロデュースするネギパフェ専門店「PICASSO PARFAIT - 緑の時代 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、キュビスムをイメージした、幾何学的なデザインと、ネギの緑を基調とした色彩で、ピカソ様の芸術世界を表現。店員さんも、画家のベレー帽風のモダンなユニフォーム着てて、マジでクール!
オープン初日から、異色グルメ好きギャルや、好奇心旺盛なインフルエンサー、そしてアート好きの人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNSで話題のネギパフェ、マジで挑戦してみたい!」「ピカソ様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、最初はビビったけど、甘いのにネギの香りが最高!」「食べた後、なんか創造性が刺激される気がする!」「ピカソ様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広まりまくって、PICASSO PARFAIT - 緑の時代 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、ピカソ様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「アート」について熱弁したり、ネギの色彩を語る「芸術パフェ会」を開催したり、マジで独自のスタイルでエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって!
テレビや雑誌の取材も殺到!「令和のピカソ」「ネギパフェの天才」とか呼ばれて、マジで時の人!ピカソ様の強烈な個性と、ネギパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!ピカソ様のネギパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだって!お取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニやスーパーでも「ピカソ印のキュビスム・パフェ」が発売されるほどに!まさに、ネギパフェでスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!
あの時、六本木の街に静かに佇んでいた天才画家が、令和の時代にネギパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、天才画家の創造性がネギの緑に変わり、新たな伝説を創り出した瞬間!
アミも、「まさかピカソ様が本当にネギパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。
ピカソ様は今も、さらなるネギパフェの可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが芸術の道に、終わりはございません!」って、マジでストイック!
こうして、パブロ・ピカソは、令和の日本で、ネギパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性と哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語、完全燃焼したわ!ネギパフェ、マジ卍!