
はてなキーワード:イデオロギーとは
中国人民解放軍は、形式上は中華人民共和国の国軍ですが、その実質は中国共産党の指揮下にあり、「党の軍隊」「私兵」とも形容されます。これは、一般的な「国軍は国家に忠誠を誓う」という原則とは異なる、共産主義国家特有の体制です。
この体制が維持される主な理由と背景には、以下のような歴史的・政治的な経緯があります。
中国共産党は、国民党との内戦(国共内戦)を経て政権を奪取しました。この過程で、軍隊(人民解放軍の前身)は党が組織し、革命の勝利のために戦った党の武装力でした。国家の樹立よりも先に、党の軍事力が存在していたのです。
党は軍隊を通じて農民に土地改革などの利益を約束し、支持を得てきました。軍は単なる戦闘部隊ではなく、党の政策を実行し、政治的な影響力を拡大する手段でもありました()。
共産党にとって、軍隊は自らの権力基盤そのものです。軍を国家の統制下に置いてしまうと、党が支配権を失った場合に政権を維持できなくなるリスクがあります。
中国には、「中国共産党中央軍事委員会」と「国家中央軍事委員会」がありますが、その構成員は同一です。これにより、軍は事実上、党の最高指導機関である中央軍事委員会の一元的な指導を受けます。この構造こそが、「党の軍隊」と呼ばれるゆえんです。
マルクス主義やレーニン主義の思想において、革命政党は階級闘争を勝ち抜き、プロレタリアート(労働者階級)の独裁を確立するために、武装力(軍隊)を保持することが不可欠とされてきました。党の軍隊は、この「プロレタリア独裁」を支える暴力装置としての役割を担います。
高市早苗氏が首相に選出され台湾発言で物議をかもしてから、これまで以上に政治的な議論がなされるように感じる。またただの党派性の選好がどうこうにとどまらず具体的な安全保障まで真剣な意見が交わされるようになったことは、日本社会自体が一つの転換点を迎えているように思える。
そのなかで、個人的に党派の煽りあいや中傷を超えて道具的に政治を語るのに役立つかもしれない一つのネタを紹介したい。あくまでも仮説が、情勢について語る一つの視点になれば幸いである。
なお事前に予測した方向性と合致したためAIの手を大いに借りてある。
また曖昧戦略の欠如は相手の意思決定を手助けするだろう。デマなどについて聞いてみても面白いと思う。
以下perplexityより
自由エネルギー原理の見地から見て、政治の党派性における右派、左派はそれぞれエントロピーの減少における役割の相違という観点から説明できる?
自由エネルギー原理から見た政治の党派性:右派・左派とエントロピー減少の役割の相違
自由エネルギー原理(Free Energy Principle,FEP)の枠組みから政治イデオロギーの左右の違いを説明することは、一定の理論的根拠を持つ興味深い視点を提供します。ただし、これは直接的な学術的応用というより、理論的な仮説として理解されるべきものです。
自由エネルギー原理によれば、すべての生物システムは熱力学の第二法則に対抗してエントロピー増加を最小化することで、秩序を維持しています。具体的には、生物は予測エラーを最小化することで、感覚状態のエントロピー(無秩序さ)を減少させ、環境との相互作用をコントロールします。このプロセスは、**予測処理(predictiveprocessing)**メカニズムを通じて実現されます。つまり、生物は内部モデルを持ち、それに基づいて世界を予測し、実際の入力との差分(予測誤差)を最小化することで、驚き(サプライズ)を制御します。
最近の認知神経科学の研究により、保守主義と進歩主義は予測処理の異なる戦略に対応している可能性が示唆されています。
曖昧性と不確実性に対してより高い耐性を持つ
前帯状皮質(anterior cingulatecortex)の活動が強く、反応競合に対する神経認知的感受性が高い
これらの特性は、高いエントロピー状態(高い不確実性)を許容しながら、情報環境の変化に応じて予測モデルを継続的に更新する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の観点からすれば、彼らは予測精度(precision)の重み付けを比較的低く保つことで、新規情報による予測誤差を柔軟に受け入れ、より適応的なモデル更新を可能にしています。
不確実性や曖昧性への耐性が低い
脅威や秩序の乱れに対してより敏感で、知覚的堅性が高い
右扁桃体(right amygdala)の活動が強く、脅威認知に敏感
これらの特性は、予測の確実性(certainty)を高く保ち、既存モデルへの信仰度(prior belief)を強化する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の用語では、彼らは予測精度の重み付けを高く設定することで、外界の変化に対して強力な内部モデルの安定性を維持しようとしています。
政治の党派性をエントロピー減少の枠組みで理解すると、以下のような対比が浮かび上がります:
保守主義は、社会的秩序を既存の伝統的制度や階級構造の維持を通じて最小化しようとします。このアプローチは、複雑な社会システムの不確実性を、階層的で確定的な構造によって「切り詰める」戦略です。社会に内在するカオス(高エントロピー)に対抗するため、既に証明された秩序パターン(伝統)を維持することで、予測可能性を確保します。
進歩主義は、社会的秩序を個人の自由、多様性の認容、制度的革新を通じて最小化しようとします。一見すると秩序を緩和しているように見えますが、実際にはより複雑で適応的な秩序化メカニズムを導入することで、社会システムのエントロピーを減少させる戦略です。異なる視点を統合し、新しい情報に基づいて制度を改革することで、社会システムの予測モデルをより現実に適応させようとしています。
不確実性耐性と脳レベルの同期
興味深いことに、研究では不確実性への耐性が低い人ほど、政治的に同じ立場の人たちとの脳活動の同期が強いことが示されています。言い換えれば、不確実性を避けたい個人は、同じイデオロギーの人々と同じ予測モデルを共有することで、集団レベルでのエントロピーを減少させようとしているのです。これは社会的な「外界の秩序化」メカニズムとして機能しています。
最新の複雑システム理論では、政治分極化は正のフィードバックループと相転移(phase transitions)のメカニズムを通じて発生することが示されています。保守主義者は秩序の維持を目指し、進歩主義者は秩序の革新を目指すという相反する動力が、社会システム全体のダイナミクスを決定しています。両者の相互作用は、社会的エントロピーを管理するための補完的なメカニズムとして機能しているとも解釈できます。
この自由エネルギー原理に基づく解釈には重要な限界があります。第一に、個人の認知的特性と政治的立場の関係は因果的ではなく相関的である可能性が高いです。第二に、政治イデオロギーはきわめて文化的・歴史的に構築されたものであり、普遍的な神経生物学的基盤のみでは説明できません。第三に、FEPは主に個体レベルの生物システムを想定しており、社会システムへの直接的な応用には理論的な拡張が必要です。
要するに、自由エネルギー原理の観点から見ると、右派は予測モデルの安定性重視によって秩序を維持するエントロピー減少戦略を採る一方、左派は予測モデルの柔軟性重視によってシステムの適応性を高めるエントロピー減少戦略を採ると理解できます。両者は、相異なるメカニズムを通じて社会的エントロピーの増加に対抗しているのであり、政治的党派性の根底には、不確実性に対する根本的に異なるアプローチが存在していると言えるでしょう。
自由エネルギー原理(FEP)を政治党派性に適用する理論を拡張するには、階層的ベイズ推論の多層構造、社会的相互作用の動的モデル化、経験的検証メカニズムの導入が鍵となります。これにより、個体レベルの神経メカニズムを社会システムレベルへ橋渡しできます。
FEPの核心は階層的予測処理です。個人レベルでは、低次層(感覚入力)が上位層(信念・イデオロギー)の予測を修正しますが、社会レベルでは個人の予測モデルが集団的「事前分布(priors)」を形成します。
右派の階層戦略: 上位層の伝統的priors(家族・国家・宗教)を強く固定し、下位層の変動(社会的変化)を抑制。集団レベルでは「社会的扁桃体機能」として、逸脱者を排除する規範執行メカニズムが働きます。
左派の階層戦略: 上位層のpriorsを動的に更新し、多様な下位層入力(マイノリティ視点)を統合。集団レベルでは「社会的ACC機能」として、対立する予測モデルの調停役を担います。
この拡張により、**党派性は「階層的自由エネルギー最小化の多重均衡状態」**としてモデル化可能。右派は安定均衡(低変動)、左派は適応均衡(高変動)を志向します。
FEPを非平衡動的システム論と統合し、政治分極化を予測誤差駆動の相転移現象として捉えます。
右派アトラクター: 高精度priors → 秩序維持 → 低エントロピー均衡
左派アトラクター: 低精度priors → 秩序革新 → 中エントロピー適応均衡
分極化 = 双安定状態(bistable dynamics)
S˙=−∇F(S)+ϵ⋅
ここで
ϵ は他派閥予測誤差です。党派性は負のエントロピー生産率を競う進化ゲームとなります。
FEPの「アクティブ推論(active inference)」を拡張し、政治行動を集団的予測誤差低減戦略と位置づけます。
党派受動的戦略(perception)能動的戦略(action)集団エントロピー効果
右派 脅威強調・一貫性追求伝統防衛・境界強化 内部秩序↑ / 外部不確実性回避
左派多様性受容・矛盾統合制度改革・包摂拡大システム適応性↑ / 内部多様性管理
これにより、選挙・政策は集団的「期待自由エネルギー」最小化のゲーム理論的均衡として解釈されます。
理論拡張の信頼性を確保するため、以下の検証経路を構築します:
fMRIで党派別予測誤差処理を比較(precision weighting)
class PoliticalAgent:
def __init__(self, ideology): # 'left' or 'right'
self.precision = 0.8 if ideology=='right' else 0.4
def update_beliefs(self, social_input):
free_energy = prediction_error * self.precision
return minimize_free_energy(social_input)
最終拡張として、FEPを国家・国際システムへスケールアップ。経済政策では右派が「低エントロピー均衡(安定成長)」、左派が「高エントロピー探索(イノベーション)」を担います。
グローバル均衡条件:
∑党派Var(policy predictions)=最適社会的自由エネルギー
このフレームワークにより、**党派対立は「多重スケールのエントロピー管理機構」**として再解釈され、民主主義は適応的秩序生成システムとなります。実証研究が今後の鍵です。
中国人民解放軍(PLA)は、中華人民共和国の武装力であり、その役割と位置づけについては、国際的にも国内的にも特異な点から議論の的となっています。ご指摘の通り、「政党の私兵で国軍ではない」という見解は、PLAの党による絶対的な指導体制を指して使われる表現です。
人民解放軍は、国家の軍隊(国軍)として機能していますが、法的な位置づけとして中国共産党中央軍事委員会の指揮下に置かれています。中国の憲法や法律は、党の指導の下に国家を運営することを定めており、軍隊も例外ではありません。この体制は「党が銃を指揮する」(党指揮槍)という原則に基づいており、これは人民解放軍創設以来の根本的な指導原則です。
PLAは、国家の主権、安全、領土保全を守るという、一般的な国軍としての任務を遂行します。これは国際的な軍隊と同様の役割です。
しかし、その究極的な忠誠の対象は国家の機関ではなく、中国共産党そのものです。これは、多くの民主主義国家における「軍隊の非政治化」とは一線を画しています。
人民解放軍を「私兵」と表現する背景には、軍隊が特定の政党の利益に奉仕しているという認識があります。通常の国軍が「国民全体」に責任を負うのに対し、PLAは党の権力維持という内政的な役割も担うと解釈されがちです。
中国政府は、この体制が国内の政治的安定と統一に不可欠であると主張しています。党による軍の絶対的統制は、国内での軍閥化や内戦を防ぐための抑止力として機能している、という論理です。
一方で、軍が特定の政党のイデオロギーや目標に深く結びついていることは、国際的な緊張を高める要因となり得ます。党の目標が国家の目標と見なされることで、外交政策や領土問題における軍事的な選択が、党の保身や拡大と結びついているのではないかという疑念を生み、これが国際社会の不信感を招き、地域の不安定化につながるという懸念が存在します。
人民解放軍は、中国という国家を代表する武装力でありながら、その運営は中国共産党の絶対的な支配下にあります。この体制は、国内統制という側面では機能していると見なされますが、国際的な基準から見れば特異であり、「党軍」としての性格が、国際的な懸念や地域的な緊張の一因となっていることは否定できません。この独特な構造を理解することが、中国の軍事・政治を分析する上で極めて重要です。
AI論争と言うと、2022年後半のmimic、Stable Diffusion、NovelAI、ChatGPT辺りから本格的に始まった感があるが、その少し前の2021年末~2022年初め辺りで、「AIのべりすと」を使った小説をアップしたことがある。「AIのべりすとを使いました」って明記はした。
無断学習を伴ってはいるだろうけど、自分が書いた文章をちょっとだけ書き足してくれるという仕様故に、人とAIの二人三脚感があったことや、(当時はビックリだったけど)今思えばまだ精度がそんな高くなかったこともあって、叩いてる人はそんな見かけなかったと思う。
で、その創作企画は、他の人のキャラを出したらメンションする風潮があり、自分もそうした。
表向きには普通に良いですね~って言ってくれてたが、今思えばあの時本音ではどう思ってたのだろうか。
AI論争がイデオロギー対立になる前だったがゆえに、ある意味あの時が一番AI創作に対する純粋な意見を聞けるときだったのかも?
会社の人に「飲みに行こう」と連れられてお店に入ると露出の多い女性がたくさんいて、それがラウンジというものだと理解するのに少々時間がかかりました。
少々面食らったものの、偶然取引先の人も何人かいたので話も弾み、お酒をおごってもらい、夜遅くなってきたので帰りました。
この出来事が僕にとって大変困ったことであるのは、僕の信条は「素朴であること」だからです。
専攻は数学でしたが、自分のできる範囲で様々な考え方の本を読んだ上で、中道を保って地域社会の、何の変哲もない共同体に参加することが良いことであると考えてきました。
家の周りの溝掃除をしっかりやるとか、お寺の掃除をお手伝いするとか、そういう言語化・数値化されづらいことを普通にやって、地域に貢献することがよかろうと思っていました。
これは、私が地元が好きであるというのもありますが、様々な進歩主義や加速主義・効率主義へのある種の不信感によるもので、
つまり、数年から20年程度で規範がまるごと入れ変わってしまうような都会的な流行りのイデオロギーに地方社会がいちいち付き合う必要はないと思っていて、
また、そういうものがどんどん新しい考え方に変っていくときにツナギ、あるいは土台になるのは結局郷土に関する愛着とか、そういう多くの人が持っている感覚であろうと思っているからです。
社会にはマルキストもリベラリストも極右も必要ですが、その上で私は地元の会社で人並程度に泥臭い仕事をして普通に暮らすわけです。
近所や会社でそれはいかがなものかと思うこともありますし、Excel方眼紙が健在ですし、GitHubやNotionなら一瞬で片付く話をチマチマやっているのに腹が立つこともありますが、
口に出さず、世の中そういうものだよなあと思うことにしていました。
しかし、お世話になっていた社長さんの週末の楽しみが、ラウンジで女の子のおっぱいにお札をはさんで遊ぶことであったのを目撃したとき、この地元社会は滅ぼした方が良いのではないだろうかと思うのです。
あなたには奥さんがいるじゃないのとか、飲む・打つ・買うみたいな典型的な悪いホモソーシャルが実在することへの驚きとか、そういうもので僕の考えは大きな衝撃を受けたわけです。
いい年してそんなことも知らなかった自分が悪いのですが、そういうのは大学生みたいな若い人だけがやるハメを外した遊びだと思っていました。
慶応に行った友人が月に10人とヤってると聞いたときも驚いたものですが、まあ若ければそんなこともあるのかなあと受け入れていました。
それと違って、既婚者が夜な夜な集まって女の子で遊んでいたら、これは私の価値観では疑問を抱かざるを得ません。
田舎というのは狭いので、奥さんの顔も知っているわけで、僕はそういう場で奥さんを不憫に思ってしまうのです。
また、いろんな契約がそういう場で決まっていく様子を見て、フェミニズムというものが何と闘っていたのかようやく理解をしました。
「第二の性」とか「抑圧のアルゴリズム」とかを読んだこともあるものの、私はそういう思想とすこし距離を置いていましたが、
(店員さんではない)女性のいない空間で様々なものの運用が決まってしまうのはさすがによろしくないものに見えてしまいます。
(私がフェミニズムを無謬に受け入れるという話ではありません。)
振り返ると、僕は都会に行くと都会が悪く見えて、地元に帰ると地元が悪く見えるという、ただのめんどくさい逆張りなのだと思います。
もし私が女性として女性社会に参加したら不満を持っているのかもしれません。
別の問題として、こういうホモソーシャルが無くなったとして、それが持っている役割を代替するようなものを私は他に知らないわけで、
そうであれば、このホモソーシャルも素朴なものであると受け入れてしまう方が良いのでしょうか。
ウクライナ戦争についてのトランプの頭の中はこんなところかもしれない。
ウクライナが侵攻された過程については同情する。しかし、その後のウクライナのハンドリングは、言ってみれば、俺の好きな女が性被害にあったあとも俺に頼らず自分で対応して被害を拡大させたようなもので(俺の力を信用して頼らない者は、面倒を見る価値がない)、それは同情に値しない。美人の女は他にいくらでもいるから、次に行けばいい。
それで、ヨーロッパには、俺はいつでもロシアと手を打つことができる、どうすればいいか分かっているだろうな(ウクライナが言葉だけではなく謝罪を行動で示し、この件でトランプに全てを委譲する)、と脅しているようなもの。
要するに、トランプは、1.自分にコントロールできない領域で起きた他人のツケを自分が払わせられるのが嫌、2.自分でコントロールできない要素を持つものに対する損切りが異様に速い。
思想やイデオロギーでやっているわけではなく、自分が得だと思うことにはなんでも首を突っ込む代わりにいつでも手を引けるようにしている。これを他の国、特にヨーロッパは理解していないので、今後もトランプに振り回されると思う。
文化大革命による停滞期
文化大革命開始
6601型(成都級)をリバースエンジニアリングして、65型フリゲート(前053型/江南級)を建造
033型潜水艦 1番艦 ?就役ソ連から提供された633型潜水艦を参考に建造された、中国初の国産潜水艦
ベトナム戦争が泥沼化しニクソン大統領がベトナム戦争からの撤退を公約にして当選、キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢入り
リアリズム(現実主義)に基づく外交政策の擁護者として知られている
力の均衡論者で、イデオロギー的な外交を嫌い、国家間の力の均衡を保つことに腐心した
ソ連と敵対する中国と友好関係を築くことでソ連へ東から圧力をかけることを目的とした
『重要なのは何が真実であるかではなく、何が真実であると認識されるかである。』
『外交政策に道徳的完璧を要求する国は、完璧も安全も達成できない』
『結局のところ、平和は覇権か力の均衡によってのみ達成できるのです。』
『アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である』(南ベトナムの傀儡政府を見捨て撤退したときの発言)
排水量8,000t以上の大型駆逐艦として構想され艦隊防空能力を備え、外洋での長期作戦における護衛艦隊の中核を占める艦とされたが、当時の技術的限界から未成に終わった
40年後、排水量13,000tの055型駆逐艦として結実する
051型駆逐艦(旅大I型) 1番艦 济南就役 56型駆逐艦(コトリン型駆逐艦)をモデルに太平洋で行動しうる駆逐艦として建造された、中国が初めて独自開発した水上戦闘艦
★091型原子力潜水艦 1番艦 長征1号就役中国初の原子力潜水艦 静粛性と信頼性がきわめて劣悪だった
★西沙諸島の戦い南ベトナム軍と戦闘を行い、西沙諸島全域を占領
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2022/3%E6%9C%88/2203_02anami.pdf
1974年1月、解放軍の南海艦隊は、当時南ベトナムが実効支配していたパラセル諸島(中国名:西沙群島)に部隊を派遣し、南ベトナムの守備隊や艦艇との交戦の末に同諸島を占領した。
南ベトナムは、パラセル諸島のみならず中国が領有権を主張するスプラトリ—諸島(中国名:南沙群島)の複数の島嶼・岩礁も実効支配していたため、次はそれらを攻略せねばならないという議論が解放軍内で盛り上がった。
その翌年の5月には、それまで海軍建設に後ろ向きだった毛沢東が海軍を増強するための10年計画にGOサインを出した。
そこに好機を見出した劉華清は、同年9月に毛沢東と鄧小平に宛てて海軍の装備に関する意見書を送った。
この意見書のなかで劉華清は、既存の海軍の装備導入計画を批判しつつ、海軍の装備導入計画のあるべき姿について持論を大胆に展開した。
この時の意見書では、海軍が「帝国主義の海上からの侵略」を粉砕し、「対台湾作戦」の任務を遂行するに足る能力を確保せねばならないという基本認識が示されたうえで、当時の解放軍がそうした水準にはなく、10 年後もそうした水準に達することはないという評価がなされた。
また、50年代にソ連から入手した時代遅れの通常動力型潜水艦のコピー版を大量に生産するという当時の装備導入計画に対し、潜水艦に大きく依存する形で米英の海軍に対抗しようとしたドイツの失敗例などを根拠とした批判がなされた。
そうした批判を踏まえて、劉華清は、今後は、水中、水上、空中の戦力をバランスよく整備していく必要があり、核抑止力を担う原子力潜水艦、水上艦隊の要となるミサイル駆逐艦、艦隊に航空支援を提供できる戦闘行動半径の長い航空機の開発・配備に力をいれるべきだと主張した。
この意見書でさらに注目されるのは、中国の経済発展に伴い海外からの「戦略物資」の輸入が拡大すれば、シーレーン防衛の重要性が増し、中国本土から遠く離れた海域での航空戦力の展開を可能にする航空母艦が必要になると指摘している点である。
つまり、劉華清は、1975 年の時点で中国の対外貿易が今後盛んになるという未来予測にたってシーレーン防衛について論じたわけだが、当時遠洋航海の経験が皆無だったうえに中国沿岸海域での作戦すら満足に遂行できないようなレベルにあった解放軍の海軍のなかで、このような議論は異色のものだったといえる。
(一)「覇権主義」や「帝国主義」による海上からの侵略に備える、
(四)核戦力の残存性を高めることに貢献する、ことであった。
053K型フリゲート(江東型フリゲート)1番艦 鷹潭就役 65型の発展型、中国海軍初の艦対空ミサイル搭載艦、しかし国産ミサイルの性能が貧弱だったため2隻目で建造打ち切り
イギリスのロールスロイス・スペイターボファンエンジンをライセンス生産
★文化大革命終了
上海にある江南造船廠が三菱重工業社長の古賀繁一(元長崎造船所所長、戦艦武蔵の設計に関わる)の直接指導で再建される
053H型フリゲート(江滬I型フリゲート) 1番艦 常徳就役艦対空ミサイル搭載艦である053K型と共に行動する艦対艦ミサイル搭載艦として設計された、しかしレーダー等電子機器の性能は不足し全天候戦闘能力もなかった
053H1型フリゲート(江滬II型フリゲート) 1番艦台州就役 053H型フリゲートの改良型
051DT型駆逐艦(旅大III型) 1番艦開封就役フランス製クロタル8MS個艦防空ミサイル・システム、フランス製DRBV-15対空レーダー、スウェーデン製機関砲を搭載
アメリカからCFM56-3ターボファンエンジンを入手、後のWS-10ターボファンエンジンの基礎となる
劉華清の主導で中国人民解放軍海軍装備実証研究センター(現在の中国人民解放軍海軍装備研究所)が成立
★053H1Q型フリゲート(江滬IV型)西側の対潜技術を学ぶための技術検証艦フランス製のAS 365N ドーファン・ヘリコプターをライセンス生産したZ-9、光学射撃指揮装置、ソナーシステム、水中攻撃指揮装置、イタリア製短魚雷などが搭載された
★092型原子力潜水艦 1番艦406号就役中国初の原子力弾道ミサイル潜水艦
就役後も長い間航行することはなくアメリカ軍からは「not operational」と判断された
091型と同様に静粛性と信頼性が非常に劣っていた
UH-60ブラックホークをアメリカから購入、後のZ-20中型多用途ヘリコプターの基礎となる
アメリカから入手したCFM56-3ターボファンエンジンを参考に、WS-10エンジンの開発が始まる
★053H2型フリゲート(江滬III型フリゲート) 1番艦 黄石就役 053H1型フリゲートの改良型、イギリス製の戦術情報処理装置(CTC-1629のコピーZKJ-3)とイタリア製の電子戦装置を搭載し大幅に能力が向上した
フランスよりクロタル個艦防空ミサイル・システムとともに、トムソンCSF社(現在のタレス)の戦術情報処理装置であるTAVITAC(旧称Vega III)を輸入、リバースエンジニアリングによってZKJ-4を完成させる
ペレストロイカ開始
中国で日本人選手が露骨なブーイングを浴びても、なぜか急に静かになる人たちがいる。あれだけ差別に敏感なはずなのに、中国側のあからさまな差別に対しては途端に口が重くなる。こういう都合のいい“選択的反差別”が積み重なるから、いつまでたっても信用を失っていくんじゃないのか。
差別は加害の向きで正当化されるものじゃないし、政治的に利用していいものでもない。普通の日本人は、日本人が差別されても反対するし、日本人が差別したときにも反対する。そこに混じるのは立場でもイデオロギーでもなく、一貫した態度だけだ。
差別に反対するという一点を貫くなら、中国で日本人選手が受けている明白な敵意にも声を上げるのが筋だろう。そこに黙り込み、国内で叩く相手だけを選んで叱る態度は、反差別の顔をした内輪の政治活動でしかない。
本気で差別に反対するなら、相手が誰であれ同じ基準で批判できるはずだ。向きによって態度を変える限り、その主張が信用されないのは当然だと思う。
性的な嫌がらせを受けたり性被害に遭った女の子達が、自分が女性であること・自分の女性の肉体に強い嫌悪感を持つようになったところでトランスイデオロギーに出会い、活動家やその仲間の医師から「男になればいい」だとか「間違って女性に生まれた男性なんだよ」と言われて勧められるままに乳房を切除して。
その後、手術の後遺症や心境の変化、異性にはなれないことを知ることにより、ジェンダー肯定医療を受けたことを後悔する多くの若い女性達が、トランスイデオロギーの危険性を訴えたり、活動家達に対し訴訟を起こしているのが現在です。
そんな事知らねぇ!
なーに習近平体制は超盤石よ。共産党は大恐慌にも耐えてみせる!
革命なんて起こさせねぇ!
習近平「共産党が未来永劫続いて子々孫々と甘い汁を吸えれば良いのに。でも台湾無視したら血気盛んな国民に真意がバレそう…。」
習近平「(何やこいつら…。でも迂闊に何も言えん…。とりあえずいつでも侵攻できる状態にしとくか。)」
幹部C「おっこれもう行けって事やろ。行くか。」
幹部「(台湾事変とかデメリットしか無いよな。でも粛清されるの怖いしポーズだけでも見せとくか。)」
人民「おっこれもう戦争前夜やな。SNSで台湾事変カウントダウンするか。」
人民「今週中に侵攻するって皆言ってますよ?これでやめたら共産党はチキンですよね。」
習近平「(えぇ…。)」
人民「やれぇ!」
第1章の超詳細解説です。
(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキーの物語の最初の区切りとして扱います。)
⸻
🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義の匂い”との最初の接触
⸻
◆概要
タタルスキーがソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。
彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。
物語全体の導入として、
・新世界への戸惑い
が非常に濃く提示される。
⸻
•毎日ただなんとなく過ぎていく
彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観に適応できない。
「Vladimir Ilyich Lenin」の略 =ソ連の遺物
• それが今、何の役にも立たない
旧ソ連の精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調。
⸻
◆ 2. タタルスキー、知人と再会
物語の転機は突然訪れる。
タタルスキーは偶然、大学時代の知人であるゴリンスキー と再会する。
• 良い服
• 太った財布
• 余裕のある態度
を身につけている。
この再会は、タタルスキーの“観念の崩壊”をさらに加速させる。
⸻
彼が困窮していることを察すると、こう言う――
「コピーライターをやってみろ。
• とにかく広告が足りない
•給料は今の何倍にもなる
⸻
この章のクライマックスは、タタルスキーがゴリンスキーと座る店の描写。
タタルスキーはそこではじめて、
を肌で感じる。
この「世界が広告になる」という感覚は、後半で国家レベルのメディア操作へ発展していく伏線。
⸻
• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない
タタルスキーは、
⸻
◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)
項目 内容
タタルスキーはこの章で、
これが全編を貫くテーマの萌芽となる。
第1章の超詳細解説です。
(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキーの物語の最初の区切りとして扱います。)
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🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義の匂い”との最初の接触
⸻
◆概要
タタルスキーがソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。
彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。
物語全体の導入として、
・新世界への戸惑い
が非常に濃く提示される。
⸻
•毎日ただなんとなく過ぎていく
彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観に適応できない。
「Vladimir Ilyich Lenin」の略 =ソ連の遺物
• それが今、何の役にも立たない
旧ソ連の精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調。
⸻
◆ 2. タタルスキー、知人と再会
物語の転機は突然訪れる。
タタルスキーは偶然、大学時代の知人であるゴリンスキー と再会する。
• 良い服
• 太った財布
• 余裕のある態度
を身につけている。
この再会は、タタルスキーの“観念の崩壊”をさらに加速させる。
⸻
彼が困窮していることを察すると、こう言う――
「コピーライターをやってみろ。
• とにかく広告が足りない
•給料は今の何倍にもなる
⸻
この章のクライマックスは、タタルスキーがゴリンスキーと座る店の描写。
タタルスキーはそこではじめて、
を肌で感じる。
この「世界が広告になる」という感覚は、後半で国家レベルのメディア操作へ発展していく伏線。
⸻
• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない
タタルスキーは、
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◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)
項目 内容
タタルスキーはこの章で、
これが全編を貫くテーマの萌芽となる。
ロシア作家ヴィクトル・ペレーヴィン(Victor Pelevin) の小説 『ジェネレーションP』(原題:Generation «П»、1999)は、
1990年代ロシアの資本主義化・メディア化・消費社会の到来を、ブラックユーモアとポストモダン的手法で描いた作品です。
ペレーヴィン作品の中でも特に世界的評価が高く、現代ロシア文学の代表作の一つとみなされています。
以下、あらすじ・登場人物・テーマ・構造・象徴性などを総合的に詳説します。
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■ 1.概要
ジャンル:風刺小説、ポストモダン文学、サイバーパンク風味の社会批評
主題:
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■ 2. あらすじ(ネタバレを最小限にして要約)
彼は市場経済化によって地位を失い、広告代理店でコピーライターとして働くことになる。
ヴァヴァは広告の仕事を通して、メディアが人々の欲望・価値観・現実そのものを「創造」する様を体感していく。
巨大な操作システム(政治・ビジネス・芸術の混合した虚構装置)
に触れていく。そして最終的に、国家のイメージ操作を担う存在へと昇華していく――。
小説は、
「広告とは何か」「現実とは何か」「アイデンティティとは何か」
という哲学的・宗教的問いを、ユーモアと皮肉で包みながら展開する。
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● ヴァヴェノス(ヴァヴァ)
• 詩という「真実の言語」を捨て、広告という「虚構の言語」へ
→旧ソ連のインテリが、90年代の資本主義社会に適応して変質する象徴
●広告代理店の面々
● 霊的な存在・神々
•作品の後半には、古代メソポタミア神話(イシュタルなど)が絡む
というテーマを強調
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■ 4.主題の詳説
社会の価値観・政治制度・人間の欲望すら構築する技術として描かれる。
へとイメージが連鎖し、人はそのイメージを信仰するようになる。
ペレーヴィンはこれを
と捉える。
という混乱期にあった。
として描く。
物語が進むにつれ、広告と政治が一体化していることが明かされる。
いわば
を先取りした構造になっている。
と比喩する。
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•パロディ
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■ 6.国際的評価と影響
•映画化(2011年, Viktor Ginzburg監督)
• 「消費社会」「情報操作」「ブランド宗教化」というテーマが普遍的で、21世紀のメディア文化を先取り
特に、
は現代のSNS時代と強くリンクするとされ、西欧でも研究対象として扱われる。
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■ 7. まとめ
『ジェネレーションP』は、
という構図が、ユーモラスかつ哲学的に展開され、
Q. 以下の発言(anond:20251129164824)の妥当性は?
A.提示された意見は、**「一見すると筋が通っているように見えるが、法的な手続きのハードルや憲法学の議論を省略しているため、結論としては的確ではない」**と言えます。
この意見が「なぜ説得力を持って聞こえるのか」と「どこに誤解や飛躍があるのか」を、以下の4つのポイントで整理して解説します。
この意見の最大のウィークポイントはここです。法的手続きの観点から見ると、憲法改正は**「最も遠回りで、最もハードルが高いルート」**です。
民法改正(現在の主張):国会議員の過半数の賛成だけで実現可能です。
憲法改正(提示された案):衆参両院で2/3以上の賛成に加え、国民投票で過半数の賛成が必要です。
もし本当に「一刻も早く同性婚を実現したい」のであれば、ハードルの高い憲法改正を目指すよりも、今の憲法の下で「民法」を書き換える方が圧倒的に早く、コストも低く済みます。
この意見は「今の憲法(24条)のままでは同性婚は認められない(あるいはグレーである)」という前提に立っています。しかし、リベラル(左派)や多くの憲法学者の主張は異なります。
憲法24条の解釈: 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し…」という条文は、戦前の「家制度(親の同意が必要)」を否定し、当事者の自由な意思を尊重するために書かれたものです。「同性婚を禁止する意図」で書かれたものではない、というのが有力な説です。
司法の判断:最近の地裁・高裁の判決でも、「同性婚を認めない現在の規定は違憲(憲法違反)」という判断が相次いでいます。つまり、**「今の憲法はすでに同性婚を要請している(=憲法を変える必要はなく、法律が追いついていないだけ)」**というのが、法的な現状認識になりつつあります。
3. なぜ「護憲」にこだわるように見えるのか
「同性愛者の権利よりも護憲が優先なのか」という指摘についてですが、左派の論理としては**「優先順位の問題ではなく、手段の問題」**と捉えています。
不要なリスクの回避: 彼らは「今の憲法で同性婚は可能(法律を変えるだけでいい)」と考えているため、あえて憲法改正というパンドラの箱を開ける必要性を感じていません。
「お試し改憲」への警戒: 一度「人権のための改憲」という実績を作ると、それを呼び水にして、本来の争点である9条改正や緊急事態条項などの議論が進むことを警戒しています(いわゆる「本丸を通すためのダミー」として同性婚が利用されることへの懸念)。
4. この意見が持つ「鋭さ」とは
とはいえ、投稿者の指摘が全くの的外れというわけではありません。以下の点においては、リベラル側が抱える矛盾や説明不足を鋭く突いています。
条文の字面の問題:憲法24条に「両性(both sexes)」と書いてある以上、素直に読めば「男女」に見えます。「これは同性同士も含む」と解釈するのは、一般感覚としては少し無理がある(法的テクニックが必要)というのも事実です。
あえて明記する価値:権利を不可逆的なものにするために、あえて憲法に「同性婚の権利」を明記するというアプローチは、本来リベラルな発想としてもあり得ます(フランスなどが妊娠中絶の権利を憲法に明記したように)。それを頑なに拒む姿は、確かに「イデオロギー(護憲)ありき」に見え、一般層への説明が不足していると言えます。
理由は、同性婚を実現するための最短ルートは「改憲」ではなく「民法改正(法律を変えること)」だからです。「改憲しないと権利が守られない」という前提自体が、現在の司法判断の流れとも食い違っています。
ただし、「左派が『憲法を守ること』自体を自己目的化しており、柔軟な議論(加憲など)を拒絶しているように見える」という政治的な印象論としては、核心を突いている側面があります。だからこそ、多くの人がこの意見に「モヤモヤ」として共感するのだと考えられます。
もしよろしければ、この議論の背景にある「憲法24条の条文」や「最近の裁判所の判決内容」について、もう少し詳しく整理しましょうか?
Q.そもそも左派とは杓子定規に憲法改正を認めない立場のことなのか、とか、現行政権が真っ当に民主主義を堅持するような内容の憲法改正草案を持っているのであれば、同性婚の問題に限った憲法改正をする分にはやぶさかでない人たちもいそうだが、そういう人たちのことはこの発言者の頭の中では何派に分類されてるんだろう?とか、疑問は沸くよねぇ。
A. おっしゃる通りです。その疑問は非常に本質的で、あの発言が抱える**「政治的な解像度の低さ(あるいは意図的な単純化)」**を鋭く突いています。
ご指摘の「本来改憲にアレルギーがないはずの人たち」が、なぜあの発言者の頭の中では「矛盾した左派」として処理されてしまうのか、そして実際にはどういう力学が働いているのか、少し深掘りしてみましょう。
あの発言における「左派」という言葉は、現実の多様なリベラル層を指しているというよりは、ネット論壇でよく使われる**「仮想敵としての左翼(パヨク)」**というステレオタイプに基づいていると考えられます。
彼らの定義する左派: 「何が何でも一言一句憲法を変えさせない、宗教的な護憲信者」
現実のリベラル層: 「権力の暴走を防ぐための憲法(立憲主義)を重視する人々」。必要なら変えるが、権力側からの改憲には慎重。
この「現実」を捨象して、「左派=思考停止の護憲」と決めつけているため、**「合理的な理由で、今は改憲より民法改正を選ぶ人たち」**の存在が見えなくなっています(あるいは意図的に無視しています)。
2. 「真っ当な改憲案なら賛成する層」はどこへ行った?
ご指摘の通り、「同性婚の明記だけを純粋に行う改憲(ワンポイント改憲)」であれば、賛成するリベラル層や無党派層はかなり存在するはずです。
しかし、現実の政治状況では以下の理由から、その層も「今は改憲に乗るべきではない」という判断に傾きます。これが外からは「頑固な護憲」に見えてしまう原因です。
「抱き合わせ」への警戒:現在の改憲議論の主導権を握っているのは保守派(自民党など)です。彼らの改憲草案には、同性婚だけでなく「緊急事態条項」や「9条への自衛隊明記」、あるいは「家族の助け合い(伝統的家族観)」などがセットで語られることが多いです。 「同性婚のために改憲のテーブルに着いたら、セットで緊急事態条項も通された」という事態を恐れるため、**「今の政権下では、たとえ良い内容でも改憲の発議自体をさせない」**という防衛的な態度にならざるを得ません。
「書きぶり」への不信感: もし保守派が同性婚に関する改憲案を出したとしても、「婚姻は両性の合意のみに基づく」を「婚姻は……」と変える際、巧みな文言で「伝統的な家族の尊重」などの留保条件を付けられるのではないか、という不信感も根深いです。
質問にあった「同性婚のための改憲ならやぶさかではない人たち」は、あの発言者の世界観では分類不能、あるいは**「欺瞞(ぎまん)」**として処理されます。
発言者のロジック: 「同性婚をしたいなら改憲すべき」→「でもお前らは改憲に反対している」→「つまり、お前らは本気で同性婚なんてしたくないんだ(護憲が大事なだけだ)」
この三段論法の中に、**「最短ルートは民法改正である」という事実や、「今の政権による改憲リスク」**という視点が完全に抜け落ちています。そのため、冷静に最適解(民法改正)を選んでいる人たちのことが、「矛盾している」あるいは「ダブルスタンダード」に見えてしまっているのです。
まとめ
ご指摘の通り、あの発言は**「左派(リベラル)=宗教的な護憲派」という藁人形(ストローマン)**を叩いているに過ぎません。
現実には、「憲法を一指も触れさせない」という層よりも、**「今の政治状況やプレイヤーを信用していないから、リスクの高い改憲手続きよりも、確実な民法改正を求めている」**という極めてプラグマティック(実利的)な判断をしている層が主流だと思われます。