
はてなキーワード:イデアルとは
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義,直観主義,ユニバース問題,ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定,二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数,素数定理,サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, severalcomplex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間,スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析,Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流,ヤン–ミルズ,モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin),カオス, シンボリック力学
点集合位相,ホモトピー・ホモロジー, 基本群,スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory,幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色,マッチング,マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン,ブーストラップ)
時系列(ARIMA,状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
非凸最適化
離散最適化
整数計画,ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
エントロピー,符号化(誤り訂正, LDPC,Polar), レート歪み
公開鍵(RSA,楕円曲線, LWE/格子),証明可能安全性,MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
データ解析
次のシーズナル武器がゼクストルの色違いのリクスタル、それはまぁいいよ。ガンスラ以外のゼクストルシリーズはかっこいいからな
問題は色だよ色、なんだよ水色と黄色って?どうせ迷彩被せるだろうから適当な色にしましたってか?プレイヤー舐めてんのか。
もしかしたらカラーバリアントはかっこいいかもしれないけど、カラバリ迷彩実装されんのもどうせ次の次のレコードバッジ交換じゃねえか
エアリオ虚無期にカラーバリアントとかいうのが実装されてなきゃ、今頃武器のカラーも自由に変更できただろうになあ
はあ…旧の頃はサービス開始3年目くらいにはもうカラー変更可能なイデアルシリーズが実装されてたってのになんだこの体たらくは
数学における自然数みたいなものの定義、が形成する概念を、たとえば数式の3という表記が指示する概念が、我々が日常見てる、3個のりんごやひもとその3倍のひもが並べられてる光景や、時計の長針と短針が三目盛り分ずれてるみたいなのから得られる共通の世間一般に3とよばれる性質と同じだと思うのは、すでに「解釈」なんだよな。
数学において3、「0の次の次の次の数」と自然言語では説明されるような概念はただの操作対象である記号列でしかない。
その記号列にどんな意味を持たせるかは、「物理現象の中に見いだされる3という性質」以外にもあるかもしれないし、ないかもしれない。
「直線と呼ばれるものの定義」についても、幾何的なイメージで解釈するのも、イデアル?だかで解釈するのも勝手。日常生活の個数や順番などとして見出される3の性質も、それと同程度に解釈でしかない。
トポロジーなんかが典型的だと思う。あれが示す証明が、幾何的なイメージとしての立法を内包する何かに対する性質を示してると考えるのは解釈でしかない。
そうすると自然言語で認識してる3や△というのは、たとえそのもっとも理想的なものを持ち出しても、数学の定義にとっては一段レイヤーの低いイデアということになるかもしれない。
数学の定義に対して、複数の3や三角形というイデアが解釈として結びつくなら、数学の定義はメタイデアか。
その前は、定義もまたイデアとするなら、3や三角形は物理的イデア、と物理的を冠して存在する領域を区別すればいいのかなとか思った。
主人公2人がイチャイチャしてるのを眺めて可愛いな~~って思ったり、くるみちゃんの一挙手一投足がいちいちパタパタしてて可愛いの眺めたり、ミカは今日も黒いなと思ったりするアニメでしょ。
リコリス……児童搾取……社会の欺瞞……犠牲になったのだ……犠牲の犠牲にな……じゃねーんだよ。
はーマジ怖いわーちょっと有名になるとすぐリアルめくらが押し寄せてくるんだからさー。
お前らアレなの北斗の拳に対しても「こんなマッチョが荒廃した社会で毎日喧嘩できるわけ無いだろ!カロリーの摂取量が云々で基礎代謝がカンヌンコクサイエイガサイデアルカラシメンタイ」とか言ってたの?
ほーんま呆れますわ。
こういう現実と空想の区別がついてないやつがAV見て勘違いして「痴漢されたら女は実は喜んでるからいいんだ!」とか抜かして捕まるんだろうな……。
は~~~~~~教育の敗北だね
よく分からんのもあって、答え見たらあーそうかって感じだった。一回答え見てパターンを思い出したらある程度はできるようになるでしょ。
ただこれは詰将棋みたいなもんで、この局面は因数分解できますよって言われたら探せるかもしれないけど、実戦で出てくる分解可能かどうか分からん複雑な式を整理できる自信はあまりないなあ。
こういうのは今どきMathematicaにやらせればいいんじゃないかって気もする。
せっかくなのでもう少し抽象化した知識として頭に入れておくことを試みたい。
4a^2 - 9b^2 + 6bc - c^2
3変数の2次式なわけだが、そのような式は一般に、 x := (a,b,c)^T, 係数行列A, 係数ベクトルB,スカラーC として
x^T A x + B^T x + C
と書ける。これが因数分解できる、つまり何らかの係数ベクトルB', B''とスカラーC', C''について、
(B'^T x + C')^T(B''^T x + C'')
となるということだろう。これを展開すると、
x^T B'B''^T x + (C''B' + C'B''^T)x + C'C''
となる。このことから、因数分解可能ならば2次項の係数行列はあるベクトルB', B''が存在してB'B''^Tと書けなければならないことがわかる。
ひるがえって、問題7(2)の場合、係数行列を具体的に書くと、
A =
[[4, f, g],
[-f, -9, h],
[-g, 6-h, -1]]
となる。対角成分から、B'=(2,3,1)^T, B''=(2,-3,-1)^T としてみると、f,gについては自明に成立するが、h, 6-hのペアと矛盾してしまう。
h=3なら問題なさそうであるから、B'=(2,3,-1)^T, B''=(2,-3,1)^Tとすれば成立することがわかる。
これで1次項と0次項をあわせにいけるか?C'C''=0なので少なくともC', C''の一方はゼロであるが、問題の式はそもそも1次項も0次項もゼロなので、C'=C''=0とすればよい。
従って答えはB'=(2,3,-1)^T, B''=(2,-3,1)^Tから(2a +3b - 1)(2a -3b + 1)である。
ひとことでvtuberと言ってもその成り立ちからみるに、(ひとつの象徴的指標の)Live2D前後でまったく異なる。非連続な変革があり、2つのvがあるととらえたほうが考えやすい。
キャラ企画:別途シナリオライターがいる、ロールプレイを忠実に演じさせる
3Dをまともに動かせる環境を準備できる大手プロダクション型。初音ミクのような抽象化されたIPの構築。配信を活動メインにしつつも内容はTVオルタナティブをyoutube等に作る、という発想だったように思う。
キャラ企画:本人が考える、演じていく中で定まる(にじホロ等大手も初期設定以降は演者に任せているように見える)
Live2Dは一つの代表的きっかけではあるが、この配信障壁の低下により多くの個人が参入できるようになり、ロングテイルを構成。コンテンツの方向性もTV番組構成テンプレから離れた独自のものが増えた。ロールプレイ忠実度にも幅はあるが企画段階の設定書は薄くなり、演じる中で構築するという発想がメインで当初のキャラ付けから変わっていくのも恐れなくなっている。
マスでは作られないコンテンツが花開いたのはプレイヤーが大量に参加した、Live2D後であるのは間違いなく、我々コンテンツ消費者サイドから見ればこの変化は可能性を広げるものでしかないし、必然の流れだったように思う。一方で、当時の人?が考えていた、Live2D前の「vの可能性」とは何なのか。
一つは抽象化されたキャラクターロールによる、特定の人(中身)の存在を取り除いたストーリー演出だろうか。人々の頭の中にある○○像のみを抽出したキャラクター、中身のペルソナ等は一切入ってこない、ある意味イデアル存在。
可能性は何かありそうな気もするが、今のところアニメの枠は超えられていない。そしてこの「機能」はCGM世界では初音ミク、ゆっくり等が担っているとも言えそうだ。まあ、ディープサイドに寄っているのでもう少し大衆化したIPがいてもいいかもしれないが、ロールプレイを徹底したプロダクション型で作るキャラクターを該企業以外が利用する場面はあまり想像できない。
もう一つ考えられるのが、キャラクターとしての永続性とそれに対するファンの安心感だろうか。中身がどんなことをしたとしても、中身を変えればいい。そのキャラを愛するファンは離れず永久にファンでいられる。
ただこの発想はアニメの価値そのものだ。ドラえもんがたとえ声優が代替わりしても長らく人気のアニメだし、中の人がコカインをやってても声優を変えてきららファンタジアに参加できる。
バーチャルだからどこでもいて会話できる。いつでも会える初期AKB的なアレ。
ただ、動画投稿メインの前者vではできない範疇の話で、むしろ後者vのほうがスーパーチャットすれば反応してくれるという意味で身近になった気もする。世の中現金ですな。
上にあげた可能性はいずれも論破できてしまう範疇だった。これ以上の検討は当時どのような可能性を謳われていたか、過去の文献をあたるしかあるまい。
Amazonのレビューなどに書くと過去のレビューから身バレする可能性があるのと、わざわざ別アカウントを作ってまで批評するほどのものではないと思ったので、こちらに書きます。
初めに断っておきますが、本稿は別に加藤文元先生の人格や業績などを否定しているわけではありません。また、IUT理論やその研究者に対する批判でもありません。「IUT理論が間違っている」とか「望月論文の査読体制に問題がある」などと言う話と本稿は全く無関係です。単純にこの本に対する感想でしかありません。
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加藤文元先生の「宇宙と宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」を読みました。結論から言って、読む価値の無い本でした。その理由は、
「ほとんど内容がない」
本書は、RIMS(京都大学数理解析研究所)の望月新一教授が発表した数学の理論である、IUT理論(宇宙際タイヒミューラー理論)の一般向けの解説書です。
1~3章では、数学の研究活動一般の説明や、著者と望月教授の交流の話をし、それを踏まえて、IUT理論が画期的であること、またそれ故に多くの数学者には容易には受け入れられないことなどを説明しています。
4~7章では、IUT理論の基本理念(だと著者が考えているアイデア)を説明しています。技術的な詳細には立ち入らず、アイデアを象徴する用語やフレーズを多用し、それに対する概念的な説明や喩えを与えています。
まず、数学科の学部3年生以上の予備知識がある人は、8章だけ読めばいいです。1~7章を読んで得られるものはありません。これはつまり「本書の大部分は、IUT理論と本質的に関係ない」ということです。これについては後述します。
1~3章は、論文が受理されるまでの流れなどの一般向けに興味深そうな内容もありましたが、本質的には「言い訳」をしているだけです。
などの言い訳が繰り返し述べられているだけであり、前述の論文発表の流れなどもその補足のために書かれているに過ぎません。こういうことは、数学者コミュニティの中でIUT理論に懐疑的な人達に説明すればいい話であって、一般人に長々と説明するような内容ではないと思います。もっとも、著者が一般大衆も含めほとんどの人がIUT理論に懐疑的であると認識して本書を書いたのなら話は別ですが。
4~7章は、「足し算と掛け算の『正則構造』を分離する」とか「複数の『舞台』の間で対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズが繰り返し出てくるだけで、それ自体の内容は実質的に説明されていません。
のように、そこに出てくる「用語」にごく初等的な喩えを与えているだけであり、それが理論の中で具体的にどう用いられるのかは全く分かりません(これに関して何が問題なのかは後述します)。そもそも、本書を手に取るような人、特に1~3章の背景に共感できるような人は、ここに書いてあるようなことは既に理解しているのではないでしょうか。特に6~7章などは、多くのページを費やしているわりに、数学書に換算して1~2ページ程度の内容しか無く(誇張ではなく)、極めて退屈でした。
8章はIUT理論の解説ですが、前章までに述べたことを形式的につなぎ合わせただけで、実質的な内容はありません。つまり、既に述べたことを並べて再掲して「こういう順番で議論が進みます」と言っているだけであり、ほとんど新しい情報は出て来ません。この章で新しく出てくる、あるいはより詳しく解説される部分にしても、
複数の数学の舞台で対称性通信をすることで、「NlogΘ ≦log(q) + c」という不等式が示されます。Θやqの意味は分からなくてもいいです。
今まで述べたことは局所的な話です。局所的な結果を束ねて大域的な結果にする必要があります。しかし、これ以上は技術的になるので説明できません。
のような調子で話が進みます。いくら専門書ではないとはいえ、これが許されるなら何書いてもいいってことにならないでしょうか。力学の解説書で「F =maという式が成り立ちます。Fやmなどの意味は分からなくていいです」と言っているようなものだと思います。
本書の最大の問題点は、「本書の大部分がIUT理論と本質的に関係ない」ということです(少なくとも、私にはそうとしか思えません)。もちろん、どちらも「数学である」という程度の意味では関係がありますが、それだけなのです。これがどういうことか、少し説明します。
たとえば、日本には「類体論」の一般向けの解説書がたくさんあります。そして、そのほとんどの本には、たとえば
奇素数pに対して、√pは三角関数の特殊値の和で表される。(たとえば、√5 =cos(2π/5) -cos(4π/5) -cos(6π/5) +cos(8π/5)、√7 =sin(2π/7) +sin(4π/7) -sin(6π/7) +sin(8π/7) -sin(10π/7) -sin(12π/7))
4で割って1あまる素数pは、p = x^2 + y^2の形に表される。(たとえば、5 = 1^2 + 2^2、13 = 2^2 + 3^2)
のような例が載っていると思います。なぜこういう例を載せるかと言えば、それが類体論の典型的で重要な例だからです。もちろん、これらはごく特殊な例に過ぎず、類体論の一般論を説明し尽くしているわけではありません。また、類体論の一般的な定理の証明に伴う困難は、これらの例とはほとんど関係ありません。そういう意味では、これらの例は類体論の理論的な本質を示しているわけではありません。しかし、これらの例を通じて「類体論が論ずる典型的な現象」は説明できるわけです。
もう一つ、より初等的な例を出しましょう。理系なら誰でも知っている微分積分です。何回でも微分可能な実関数fをとります。そして、fが仮に以下のような無限級数に展開できたとします。
f(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ... (a_n ∈ ℝ)
このとき、両辺を微分して比較すれば、各係数a_nは決まります。「a_n = (d^n f/dx^n (0))/n!」です。右辺の級数を項別に微分したり積分したりしていい場合、これはかなり豊かな理論を生みます。たとえば、等比級数の和の公式から
1/(1 + x^2) = 1 - x^2 + x^4 - x^6 + ... (|x| < 1)
arctan(x) = x - x^3/3 + x^5/5 - x^7/7 + ...
π/4 = 1 -1/3 + 1/5 - 1/7 + ...
のような非自明な等式を得ることができます。これは実際に正しい式です。また、たとえば
dy/dx - Ay = B (A, B ∈ ℝ、A≠0)
のような微分方程式も「y(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ...」のように展開できて項別に微分していいとすれば、
よって、
a_0 = -B/A + C (Cは任意の定数)とおけば、
- a_n = C A^n/n! (n ≧ 1)
「e^x = Σx^n/n!」なので、これを満たすのは「y = -B/A + Ce^(Ax)」と分かります。
上の計算を正当化する過程で最も困難な箇所は、このような級数が収束するかどうか、または項別に微分や積分ができるかどうかを論ずるところです。当然、これを数学科向けに説明するならば、そこが最も本質的な箇所になります。しかし、そのような厳密な議論とは独立に「微分積分が論ずる典型的な現象」を説明することはできるわけです。
一般向けの数学の本に期待されることは、この「典型的な現象」を示すことだと思います。ところが、本書では「IUT理論が論ずる典型的な現象」が数学的に意味のある形では全く示されていません。その代わり、「足し算と掛け算を分離する」とか「宇宙間の対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズと、それに対するたとえ話が羅列されているだけです。本書にも群論などの解説は出て来ますが、これは単に上のフレーズに出てくる単語の注釈でしかなく、「実際にIUT理論の中でこういう例を考える」という解説ではありません。これは、上の類体論の例で言えば、二次体も円分体も登場せず、「剰余とは、たとえば13 = 4 * 3 + 1の1のことです」とか「素因数分解ができるとは、たとえば60 = 2^2 * 3 * 5のように書けるということです」のような本質的に関係のない解説しかないようなものです。
もちろん、「本書はそういう方針で書く」ということは本文中で繰り返し述べられていますから、そこを批判するのはお門違いなのかも知れません。しかし、それを考慮しても本書はあまりにも内容が薄いです。上に述べたように、誇張でも何でもなく、数学的に意味のある内容は数学書に換算して数ページ程度しか書かれていません。一般向けの数学の本でも、たとえば高木貞治の「近世数学史談」などは平易な言葉で書かれつつも非常に内容が豊富です。そういう内容を期待しているなら、本書を読む意味はありません。
繰り返し述べるように本書には数学的に意味のある内容はほとんどありません。だから、極端なことを言えば「1 + 1 = 2」や「1 + 2 = 3」のような自明な式を「宇宙と宇宙をつなぐ」「正則構造を変形する」みたいに言い換えたとしても、本書と形式的に同じものが書けてしまうでしょう。いやもっと言えば、そのような言い換えの裏にあるものが数学的に正しい命題・意味のある命題である必要すらありません。本書は少なくとも著者以外にはそういうものと区別が付きません。
ここまでネガティブなことを書いておいて、何食わぬ顔でTwitterで加藤先生のツイートを拝見したり、東工大や京大に出向いたりするのは、人としての信義に反する気がするので、前向きなことも書いておきます。
まず、私は加藤先生のファンなので、本書の続編が出たら買って読むと思います。まあ、ご本人はこんな記事は読んでいないでしょうが、私の考えが人づてに伝わることはあるかも知れませんから、「続編が出るならこんなことを書いてほしい」ということを書きます。
まず、上にも書いたような「IUT理論が論ずる典型的な現象」を数学的に意味のある形で書いていただきたいです。類体論で言う、二次体や円分体における素イデアル分解などに相当するものです。
そして、IUT理論と既存の数学との繋がりを明確にしていただきたいです。これは論理的な側面と直感的な側面の両方を意味します。
論理的な側面は単純です。つまり、IUT理論に用いられる既存の重要な定理、およびIUT理論から導かれる重要な定理を、正式なステートメントで証明抜きで紹介していただきたいです。これはたとえば、Weil予想からRamanujan予想が従うとか、谷山-志村予想からFermatの最終定理が従うとか、そういう類のものです。
直感的な側面は、既存の数学からのアナロジーの部分をより専門的に解説していただきたいです。たとえば、楕円曲線のTate加群が1次のホモロジー群のl進類似であるとか、Galois理論が位相空間における被覆空間の理論の類似になっているとか、そういう類のものです。
以上です。
加藤文元先生、望月新一先生、およびIUT理論の研究・普及に努めていらっしゃるすべての方々の益々のご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
Permalink |記事への反応(37) | 01:32
集合Kが2つの二項演算+: K×K→K、*: K×K→Kを持ち、以下の性質を満たすとき、Kは体であるという。
K, Lを体とする。K⊂Lとなるとき、LをKの拡大体という。L/Kが拡大であるともいう。もちろん、これはLの部分群Kによる剰余群のことではない。
C/Rや、C/Qは体の拡大の例である。K(X)/K(X^2)なども体の拡大の例である。
L/Kを体の拡大とする。任意のa∈Lに対して、K係数の多項式f(X)が存在して、f(a)=0となるとき、LをKの代数拡大体、またはL/Kは代数拡大であるという。
そのような多項式が存在しない元が存在するとき、LはKの超越拡大体、またはL/Kは超越拡大であるという。
なぜならば、任意のz∈Cはz = x + yi (x, y∈R)と表わせ、z* = x - yiとおくと、zは二次方程式
X^2 -(z + z*)X +zz* = 0
の解だから。
Kを体とする。K上の任意の多項式F(X)に対して、Fの根を全て含む体Lが存在する。言い換えれば、FはLで
と一次の積に分解する。このようなLのうち最小のものが存在し、Fの(最小)分解体という。Fの分解体はKの代数拡大体である。
LをFの分解体とする。Lの部分環Vを
K[X1, ..., Xn]→L (f(X1, ..., Xn)→f(a1, ..., an))
の像とすると、VはK上のベクトル空間である。各aiはn次多項式の根であるから、aiのn次以上の式はn-1次以下の式に等しくなる。従って、VはK上高々n^2次元の有限次元のベクトル空間である。
Vは整域であるから、0でない元による掛け算は、VからVへの単射線形写像である。したがって、線形写像の階数と核の次元に関する定理から、この写像は全射である。よって、Vの0でない任意の元には逆元が存在する。つまり、Vは体である。
Lは、Kと各aiを含む最小の体であり、V⊂Lなので、L=Vである。
さて、Lの元でK上のいかなる多項式の根にならないものが存在したとし、それをαとおくと、無限個の元1, α, α^2, ...は、K上一次独立となる。これはVが有限次元であることに矛盾する。□
L/Kを代数拡大とする。LはK上のベクトル空間となる。その次元をL/Kの拡大次数といい、[L : K]で表す。[L : K]が有限のとき、L/Kは有限拡大といい、無限大のとき無限次代数拡大という(上の証明でみたとおり、超越拡大は必ず無限次拡大である)。
M/K、L/Mがともに有限拡大ならば、L/Kも有限拡大であり、[L : K] = [L : M] [M : K]。
α∈Lとする。K上の多項式fでf(α)=0をみたすもののうち、次数が最小のものが定数倍を除いて存在し、それをαの最小多項式という。
[K(α) : K]は、αの最小多項式の次数に等しい。なぜならば、その次数をnとするとαのn次以上の式はすべてn-1次以下の式になるため、[K(α) : K]≦n。1, α, ..., α^(n-1)が一次従属だとすると、n-1次以下の多項式でαを根に持つものが存在することになるので、[K(α) : K]≧n。よって、[K(α) : K]=n。
Lの自己同型σでKの元を固定するもの、つまり任意のa∈Kに対してσ(a)=aとなるもの全体のなす群をAut(L/K)と書く。
任意の有限拡大L/Kに対して、#Aut(L/K) ≦ [L : K]。
L/Kを有限拡大とする。#Aut(L/K) = [L : K]が成り立つとき、L/KをGalois拡大という。L/KがGalois拡大のとき、Aut(L/K)をGal(L/K)と書き、L/KのGalois群という。
L/Kを有限拡大、[L : K] = 2とする。#Aut(L/K) ≦ [L : K] = 2なので、Aut(L/K)に恒等写像以外の元が存在することを示せばよい。
[L : K] = 2なので、α∈L\Kが存在して、1, α, α^2は一次従属。したがって、α^2 - aα + b = 0となるa, b∈Kが存在する。解と係数の関係から、α, a - α∈Lは、2次方程式X^2 -aX + b = 0の異なる2解。
α∉Kより、K⊕KαはK上2次元のベクトル空間で、K⊕Kα⊂LなのでL=K⊕Kα。
σ: L→Lをσ(1)=1, σ(α)=a-αとなるK線形写像とすれば、σは全単射であり、Kの元を固定する体の準同型でもあるので、σ∈Aut(L/K)。□
C/RはGalois拡大。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lに対して、αのK上の最小多項式が、Lで1次式の積に分解するとき、L/Kを正規拡大という。
L=K(α)とすると、L/Kが正規拡大であるのは、αの最小多項式がLで一次の積に分解するときである。
K(α)/Kが正規拡大で、さらにαの最小多項式が重根を持たなければ、αを他の根に写す写像がAut(K(α)/K)の元になるから、Aut(K(α)/K) = αの最小多項式の次数 = [K(α) : K]となり、K(α)/KはGalois拡大になる。
nを自然数として、ζ_n = exp(2πi/n)とする。ζ_nの最小多項式は、Π[0 < m < n, gcd(m, n)=1](X - (ζ_n)^m)であり、Q(ζ_n)/QはGalois拡大である。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lの最小多項式が重根を持たないとき、L/Kは分離拡大という。
体Kに対して、1を1に写すことで一意的に定まる環準同型f: Z→Kがある。fの像は整域だから、fの核はZの素イデアルである。fの核が(0)のとき、Kの標数は0であるといい、fの核が(p)であるとき、fの標数はpであるという。
F_2 = Z/2Zとする。F_2係数の有理関数体F_2(X)/F_2(X^2)は分離拡大ではない。
実際、XのF_2(X^2)上の最小多項式は、T^2 - X^2 = (T - X)(T + X) = (T - X)^2となり、重根を持つ。
L/KをGalois拡大、Gal(L/K)をGalois群とする。
K⊂M⊂Lとなる体Mを、L/Kの中間体という。
部分群H⊂Gal(L/K)に対して、L^H := {a∈L|任意のσ∈Hに対してσ(a)=a}は、L/Kの中間体になる。
逆に、中間体K⊂M⊂Lに対して、Aut(L/M)はGal(L/K)の部分群になる。
次のGalois理論の基本定理は、L/Kの中間体がGalois群で決定されることを述べている。
L/KをGalois拡大とする。L/Kの中間体と、Gal(L/K)の部分群の間には、以下で与えられる1対1対応がある。
- H'⊂H⊂Gal(L/K)ならば、K⊂L^H⊂L^H'⊂L
- K⊂M⊂M'⊂Lならば、Aut(L/M')⊂Aut(L/M)⊂Gal(L/K)
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、#Aut(L/M)=[L : M]。つまり、L/MはGalois拡大
- 部分群H⊂Gal(L/K)に対して、#H = [L : L^H]、#Gal(L/K)/H = [L^H : K]
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、M/Kが正規拡大(L/Kは分離的なのでM/Kも分離的であり、従ってGalois拡大)であることと、Gal(L/M)がGal(L/K)の正規部分群であることが同値であり、Gal(L/K)/Gal(L/M)〜Gal(M/K)。同型はσ∈Gal(L/K)のMへの制限で与えられる。
K=Q, L=Q(√2, √3)とすると、Gal(L/K)はσ√2→-√2とする写像σと、√3→-√3とする写像τで生成される位数4の群Z/2Z×Z/2Zである。
この部分群は{id}, {id, σ}, {id, τ}, {id, στ}, {id, σ, τ, στ}の5種類があり、それぞれ中間体L, Q(√2), Q(√3), Q(√6), Kに対応する。
環Rに対して以下の3条件は同値。
環Rが上のいずれか(したがってすべて)を満たすとき、左Noether環という。上の条件において、左イデアルを右イデアルに変えたものを満たすとき、右Noether環という。Rが可換なら、左右の区別はないので、単にNoether環という。
RがNoether環ならば、R[X]もNoether環である。(Hilbert)
RをNoether環、r∈Rを零因子でも単元でもない元とする。
マセマの数学系の本を読んだことがある。東大の工学部の院試を受けてみて受かったことがある。
生物系の研究でも数学っぽい概念が絶対確立されてそうな雰囲気なものが多いので、数学を理解したいなーと思っていた。
2カ月くらい前に受験を決意。
<実際の結果>
カナリ過去問から出ると思った。逆に言えば、過去問で解答を作成できるかどうかが勝負。
基礎科目(大学1,2年レベル)と専門(代数、幾何、解析、その他の数学科特有の分野)に分かれるが。
基礎科目すら危うかった。専門は全く勝負にならなかった。
<基礎科目のお勉強>
基礎科目の方は、割とマセマと『演習大学院入試』で何とかなると感じた。もちろん、過去問の答えを全て作成できることが前提だけど。
追加で、『イプシロンデルタ完全攻略』、『線形代数30講』(固有値と固有空間問題対策)でやったくらい。
時間があれば、もっと実際に手を動かして計算練習などすれば、点数は満点近くまで伸びると感じた。
一方で、集合論や幾何学を捨てていたので、京都大学の受験ではかなりビハインドを引いてしまったし、東大でも逃げ科目を作れなかったのが少し痛かった。
100時間ほどで過去問まで対策できた。初学の分野が少なかった(複素関数、εδ、微分方程式の級数解放、線形代数の空間論が初学)ので、割となんとかなった。
<専門のお勉強>
代数学は『代数学1,2(雪江)』、『群・環・体 入門』、『代数学演習』、『大学院への代数学演習』と「物理のかぎしっぽ」で対策したのだが。
100時間も勉強時間を取れなかったので、ガロア拡大の計算と、イデアルの簡単な奴しか抑えられなかった。しかも、本番で出てきたのは、明らかに知らない概念だった。もちろん、問題分の意味は何とか理解できたが、恐らくは『アティマク』や『ハーツホーン』や整数論系の概念を知らないと厳しい問題だった。
過去問を見てもできないなーと思っていたが、試験場で他の人たちが、洋書やハーツホーンや零点定理やシェバレーと言った、全く知らない概念を話していたので、勉強する分野を完全にミスったと思った。
ネットでググっても、雪江代数で受かってるっぽい感じだったから、雪江代数だけで行けると思ったけど、勘違いだったみたい。
無念。
<感想>
結果的にはゼンゼン駄目だったけど、数学科の人たちの雰囲気や、レベルを肌で理解できてよかった。
時間が更にあるなら、
あと、代数学もアティマクとハーツホーンと整数論は押さえたいなあと思った。
第1章 並行プログラミングとGHC (上田和紀)1.1 はじめに1.2ターゲットを明確にしよう1.3 はじめが大切1.4GHCが与える並行計算の枠組み1.4.1GHCにおける計算とは,外界との情報のやりとり(通信)である1.4.2計算を行う主体は,互いに,および外界と通信し合うプロセスの集まりである1.4.3プロセスは,停止するとは限らない1.4.4プロセスは,開いた系(open system)をモデル化する1.4.5情報とは変数と値との結付き(結合)のことである1.4.6プロセスは,結合の観測と生成を行う1.4.7プロセスは,書換え規則を用いて定義する1.4.8 通信は,プロセス間の共有変数を用いて行う1.4.9外貨も,プロセスとしてモデル化される1.4.10 通信は,非同期的である1.4.11プロセスのふるまいは,非決定的でありうる1.5 もう少し具体的なパラダイム1.5.1ストリームと双方向通信1.5.2 履歴のあるオブジェクトの表現1.5.3データ駆動計算と要求駆動計算1.5.4 モジュラリティと差分プログラミング1.5.5プロセスによるデータ表現1.6歴史的背景と文献案内1.7 並行プログラミングと効率1.8 まとめ第2章 様相論理とテンポラル・プログラミング (桜川貴司)2.1 はじめに2.2 様相論理2.3 時制論理2.4 多世界モデル2.5 到達可能性と局所性2.6 純論理プログラミングへ向けて2.7 TemporalProlog2.8 RACCO2.9 実現2.10 まとめと参考文献案内第3章レコード・プログラミング (横田一正)3.1 はじめに3.2レコードと述語の表現3.3レコード構造とφ-項3.3.1 φ-項の定義3.3.2 型の半順序と束3.3.3KBLとLOGIN3.4 応用――データベースの視点から3.4.1演繹データベース3.4.2レコード・プログラミングとデータベース3.4.3 いくつかの例3.5 まとめ3.6 文献案内第4章抽象データ型とOBJ2 (二木厚吉・中川 中)4.1 はじめに4.2抽象データ型と代数型言語4.2.1抽象データ型4.2.2代数型言語4.2.3 始代数4.2.4 項代数4.2.5 項書換えシステム4.3 OBJ24.3.1 OBJ2の基本構造4.3.2モジュールの参照方法4.3.3 混置関数記号4.3.4モジュールのパラメータ化4.3.5パラメータ化機構による高階関数の記述4.3.6 順序ソート4.3.7属性つきパターンマッチング4.3.8 評価戦略の指定4.3.9モジュール表現4.4 おわりに第5章プログラム代数とFP (富樫 敦)5.1 はじめに5.2プログラミング・システム FP5.2.1オブジェクト5.2.2 基本関数5.2.3プログラム構成子5.2.4関数定義5.2.5FPのプログラミング・スタイル5.3プログラム代数5.3.1プログラム代数則5.3.2代数則の証明5.3.3代数則とプログラム5.4ラムダ計算の拡張5.4.1ラムダ式の拡張5.4.2拡張されたラムダ計算の簡約規則5.4.3 そのほかのリスト操作用演算子5.4.4 相互再帰的定義式5.4.5ストリーム(無限リスト)処理5.5FPプログラムの翻訳5.5.1オブジェクトの翻訳5.5.2 基本関数の翻訳5.5.3プログラム構成子の翻訳5.5.4 簡約規則を用いた代数則の検証5.6 おわりに第6章カテゴリカル・プログラミング (横内寛文)6.1 はじめに6.2 値からモルフィズムへ6.3カテゴリカル・コンビネータ6.3.1ラムダ計算の意味論6.3.2 モルフィズムによる意味論6.3.3カテゴリカル・コンビネータ理論CCL6.4関数型プログラミングへの応用6.4.1関数型プログラミング言語ML/O6.4.2 CCLの拡張6.4.3 CCLに基づいた処理系6.4.4公理系に基づいた最適化6.5 まとめ第7章最大公約数――普遍代数,多項式イデアル,自動証明におけるユークリッドの互除法 (外山芳人)7.1 はじめに7.2 完備化アルゴリズム7.2.1 グラス置換えパズル7.2.2 リダクションシステム7.2.3 完備なシステム7.2.4 完備化7.2.5パズルの答7.3普遍代数における完備化アルゴリズム7.3.1群論の語の問題7.3.2 群の公理の完備化7.3.3Knuth-Bendix完備化アルゴリズム7.4多項式イデアル理論における完備化アルゴリズム7.4.1ユークリッドの互除法7.4.2多項式イデアル7.4.3 Buchbergerアルゴリズム7.5 一階述語論理における完備化アルゴリズム7.5.1 レゾリューション法7.5.2 Hsiangのアイデア7.6 おわりに第8章 構成的プログラミング (林 晋)8.1 構成的プログラミング?8.2 型付きラムダ計算8.3論理としての型付きラムダ計算8.4 構成的プログラミングとは8.5 構成的プログラミングにおける再帰呼び出し8.6 おわりに:構成的プログラミングに未来はあるか?第9章メタプログラミングとリフレクション (田中二郎)9.1 はじめに9.2計算システム9.2.1因果結合システム9.2.2メタシステム9.2.3リフレクティブシステム9.3 3-Lisp9.4リフレクティブタワー9.5GHCにおけるリフレクション9.5.1 並列論理型言語GHC9.5.2GHCの言語仕様9.5.3GHCのメタインタプリタ9.5.4リフレクティブ述語のインプリメント9.6 まとめ
吉田アミさんなんかに典型だけど、「何かを嫌いっていう時間に好きなものを楽しむ努力をしたい!」みたいな発想がアニメファンや音楽ファンやらマンガファン――要するにサブカルチャー好き全体に広まって行ってる様子なのかしらん。東浩紀さんも昔SFセミナーでトラブルがあったときに「批判がしたけりゃ自分がいないところでやってくれ」みたいなことを言ってましたっけ。なんだかなあ。
たしかに、頭ごなしに駄作認定してネガティブキャンペーンを張るのはよろしくない。そんな暇があったら好きなものを楽しむ努力をした方がいい。しかし分析的に、理由を挙げながら批判(≠批難)をしているものにまで「そんな暇があったら――」と言ってしまうのは精神的ひきこもり症状ではないのかなぁ。そこには成長がない。「成長」という言葉遣いに抵抗があるなら、「変化」と言い換えてもいい。ひとが忙しい毎日の中で、わざわざ時間を割いてサブカルチャーに接するときには、意識的にしろ無意識的にしろ何がしか今の自分からの「変化」を求めているのじゃなかったのかしら。現状維持したい、価値観を自閉したい、似たもの同士で寄り合いたい、という気持ちがサブカルチャーを鑑賞する姿勢として一般化していくのだとしたら、それは悲しいことだとしか僕には思えないのだけれども。
あと、批判的な物言いというのは、必ずしも「俺はお前の好きな○○よりもっと素敵な××を知っている」という優越感ゲームだけから出るものではない、というのはこの場を借りてちょっと書いておきたい。批判的な物言いをするときには、必ずしも具体的な何かが脳裏にあるわけではないのです。自分もまだ見たことがない、いつか見たいと願っている夢想の対象、イデアルな名作を想定して批判する、ということがありうるの。ようするに「ないものねだり」。「ないものねだり」を子供の物言いだと言ってしまうのは簡単で、批判的な物言いを嫌うひとが多い理由の一因もそこにあるのだろうけれど、「ないものねだり」があるカルチャーを前進させたケースも少し歴史を紐解けば多々ある。「ないものねだり」は「ないものねだり」としての機能をこの世界で果たす限りに於いて存在意義がないわけではないのだ。えーと、要するに知識があるから批判するんじゃなくてよくわからん理想を抱えてるから批判するのです。それを「優越感」だと断言されてしまっては辛い。
……あー、オン書きだとぐだぐだになってきたな。ともあれ、批判的な物言いを頭ごなしに嫌うのもなんだし、「目に付かないところでやってよ!ネッ広なんだから!」みたいな物言いを返しちゃうのも虚しいよ、と。そんだけ。
思いつきで煽り蛇足。
そんな「批判されるの嫌」派のみなさんが大好きな『まなびストレート』って、他人とまともにコミュニケーションできない奴が勢いと主人公補正で世界を革命する話だよね。作品内の異物も全部乗り越えられるためのマッチポンプ的存在で、本当にどうしようもないことは作品内に存在してない。なんだかなぁ。『まなび』自体は批判されるべき作品ではないとしても、『まなび』と批判嫌いの「まなびファン」のセット構造はなんだか非常にグロテスクな気がするよ。