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はてなキーワード:イスラム革命とは

2025-09-22

anond:20250922110335

イランでもイスラム革命前はヒジャブとかかぶってなかったんよね

結局は政治次第なんよ

まあCIAがやったんやけどな

Permalink |記事への反応(0) | 12:17

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2025-08-29

韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在韓国共和国であり、王室存在しない)にもかかわらず、架空王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室存在していたら」という仮想歴史オルタナティブヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります

以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:

🔹 1.現実逃避ファンタジー性)

現代社会におけるストレス格差政治不信などから視聴者日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常恋愛に憧れや癒やしを求めます王子王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。

🔹 2. 「もし韓国王室があったら?」という興味

韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国存在した歴史を持ちますが、日本植民地時代を経て王政廃止されました。

それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマン好奇心をくすぐるのです。

特に現代的な価値観自由恋愛民主主義女性の自立など)と王室制度伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります

🔹 3.ビジュアル面の魅力

王宮伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。

🔹 4.韓国社会階級意識家族主義の反映

韓国社会はいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります

身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています

🔹 5.過去のヒット作の影響

たとえば:

『宮〜Love in Palace〜』(2006年

『七日の王妃

太陽を抱く月

『赤い袖先』

などのドラマが大ヒットしたことで、「王室恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。

総合すると…

韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます

もし特定ドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。

あなた:

世界にはたくさんの共和国があります立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?

ChatGPT:

とても鋭い観点ですね。

実際、多くの**共和国君主制採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的意味というより、文化歴史エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。

以下に、立憲君主制特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。

🇰🇷韓国

概要:すでにお話したように、現代王室舞台にしたドラマ映画が人気。

背景:

朝鮮王朝・大韓帝国歴史記憶

ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス幻想根付

現代社会への風刺財閥現代貴族階級)としても使われる

🇨🇳中国特に若者層)

概要王朝時代舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚宦官などのキャラクターが中心。

背景:

清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている

民族的アイデンティティ文化的ノスタルジーが込められている

特に清朝末期や架空宮廷ロマンスに人気が集中

代表作:『延禧攻略』『如懿伝』など

※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対タブーです。完全なフィクションとしての消費。

🇹🇷トルコ

概要オスマン帝国栄光を描いたドラマ文学が人気。

背景:

オスマン帝国スルタン制)が1922年まで続いていた

共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想ロマンは根強い

代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット

🇷🇺ロシア帝政ロシアへの郷愁

概要ロマノフ朝帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説ロマノフ家に関する作品が人気。

背景:

1917年革命王政崩壊

一部保守層・正教徒の間で王政へのノスタルジー

興味の形:現代ロシア立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い

🇫🇷フランス特に中高年層や保守派の一部)

概要フランス革命王政廃止した国でありながら、ルイ14世マリー・アントワネットなどの人物には人気がある。

背景:

宮廷文化への美的憧れ(ヴェルサイユ宮殿など)

王政時代の「華やかさ」に対する文化的ノスタルジー

注目点:現在王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在

🇮🇷イラン

概要1979年王政パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在政治体制への不満から王政時代のほうが良かった」という声もある。

背景:

王政時代近代化欧米との関係改善郷愁を抱く層もいる

パフラヴィー家の王子たちが今も国外活動しており、象徴的な存在として注目される

💡共通点として言えるのは:

これらの国々では、王政実在していた過去がある

王政時代を「理想化」または「ノスタルジー対象」としてとらえる傾向がある

立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的情緒的な興味に留まることが多い

補足:現実的に立憲君主制の導入を望む国は稀

ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくま文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。

希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。

あなた:

世界ほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的観点から論じることは可能ですか?

ChatGPT:

素晴らしい問題提起です。

おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。

この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。

🔍【問いの再定義

世界の中で、特にどの地域共和国立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」

この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:

1. 近隣国王室存在するか

2.歴史的に長く君主制が続いた地域

3.文化圏・宗教圏の価値観

4.地政学的に他国比較されやす場所

🌍地理的に見る「君主制への関心が強まりやす地域

東アジア韓国中国

隣国君主制国家日本

特徴:

日本皇室が存続しているため、文化的ライバル意識比較意識が働きやすい(特に韓国中国

朝鮮王朝や清王朝など、比較近代まで王制が残っていた

結果:

架空王室を使ったドラマフィクション舞台として君主制が頻出

特に韓国では「現代王室恋愛政治ドラマ」のフォーマットが人気

中東イランイラクエジプトなど)

周辺国王政が多い:サウジアラビアヨルダンモロッコ

特徴:

かつての帝政パフラヴィー朝など)への郷愁が残る

現在でもイスラム伝統君主制が強く結びついている

結果:

体制イスラム共和国)への反発から王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在

✅ 東南ヨーロッパバルカン半島ブルガリアセルビアルーマニアなど)

周辺に立憲君主制国家スペイン英国(影響力として)

特徴:

冷戦期に共産化君主制廃止したが、比較最近まで王室存在

一部では王政復古を望む市民運動王家活動も見られる

結果:

君主制への憧れや文化的尊重が、他地域よりも強く残っている

ラテンアメリカブラジルメキシコなど)

現在は全て共和国だが、かつての王政帝政記憶あり

特徴:

ブラジルはかつてポルトガル王家が移住して帝政を築いた

メキシコは短命ながらも皇帝を持った時代あり

結果:

王政のものへの復活願望は少ないが、文化的ヨーロッパ宮廷文化に対する憧れが見られる

貴族文化ヨーロッパ的「格式」への関心として残る

🔻君主制への関心が比較的低い地域地理的傾向)

アメリカカナダアングロサクソン圏)

アメリカ:反王政独立戦争歴史)が国家アイデンティティの一部

カナダイギリス国王元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向

結果:

立憲君主制に対して冷静/無関心

フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセスダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない

アフリカ諸国(旧英仏植民地

多くの国に伝統首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的

一部に象徴王族がいるものの、立憲君主制制度として復活させようとする動きは少ない

結果:

自国文化の再評価の方が強く、欧州王政は「支配象徴」として敬遠されることも

🧭結論地理的に「関心が生まれやすい条件」

地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的環境があるときです:

地理的条件説明君主制への関心との関連

周辺国現存する王政がある日本英国サウジなど比較対象メディア露出により関心が刺激される

王制が比較最近まで続いていた韓国イランバルカン諸国など記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る

欧州文化貴族文化への接触が強いラテンアメリカバルカン東欧王室格式伝統象徴として文化的憧れが根付

地政学的な比較意識がある韓国日本イラン湾岸諸国など政治的文化的隣国と比べて「自国過去」への再評価が進む

希望であれば、特定地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます

あなた:

隣国王室存在するから自国立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。

ChatGPT:

ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。

まさに**「近隣に王室がある」という地理的心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。

✅ この現象を支える心理社会メカニズム

1.比較意識競争意識

隣国王室があり、その存在文化的国際的に注目されている場合(例:日本皇室英国王室)、

国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。

2.メディアを通じた王室の「輸入」

隣国王室報道戴冠式結婚式葬儀など)は国際ニュースとして流れる

→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。

3.相互影響的なコンテンツ消費

例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ

→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本皇室があるのだから韓国だって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的空想が土台にある。

🌏地域別にもう一度整理すると:

地域隣国王室自国の関心度コメント

韓国日本皇室) 高い 『宮』などで自国王室がある想定が人気。

中国日本タイなど 高い(主に歴史もの清朝ドラマ大人気。過去の王制を美化しがち。

イランサウジヨルダンなど 中〜高イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。

トルコヨルダン湾岸諸国オスマン帝国ノスタルジーと近隣国との比較

東欧バルカンスペイン英国モナコなど 中王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。

🧠社会心理学的に言えば…

これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象文化バージョンです:

自分の国にはないが、隣の国では保たれている“伝統格式”が、むしろ鮮やかに見え、それをフィクションで補おうとする。

この傾向は、特に以下のような社会状況で強まりやすいです:

国内政治に対する不満が強い

社会ヒエラルキーや美意識が揺らいでいる

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2025-06-20

アメリカイランにこだわる主な理由

イスラム革命によってアメリカ石油メジャーが持っていた油田を全て国有化してしまたこ

これが、イランアメリカが決定的に敵対関係になった一番の要因である

Permalink |記事への反応(0) | 00:15

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2025-06-19

ガンダム

イランが注目を浴びてる今こそ

Vガンダムを見るべき

追放された親米パフレヴィ王党派リガミリティア

イランイスラム革命したのがマリア主義ザンスカール

アメリカ地球連邦政府

舞台中欧カトリック地域になってるけど

富野は明らかにイラン革命を意識して作ってる

Permalink |記事への反応(3) | 07:12

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anond:20250618154324

そもそも法律専門家政治やらせようって発想が前近代的王政時代は順調だった経済もズダボロ。ライバルだったトルコにも1人当たりGDPで2倍以上の差をつけられ、多少の圧政や窮屈さがあったとしても暮らし向きが良ければ我慢できるのに、庶民生活は苦しくなりインフレは止まらず、挙げ句の果てには隣国と友好を築くこともできず戦争を吹っかけられる。中東先進国になれるポテンシャルがあったのに、イランイスラム革命は失敗だと、国民もそろそろ総括し始めてるよ。迂闊な事を発言するとムショ送りになるうえ、国営放送プロパガンダしかさないから、国外情報は流れてこないけど

Permalink |記事への反応(1) | 01:44

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2025-02-05

Vガンダムってイスラム革命追放された側の旧支配者たちがアメリカの介入を求める話だよね?

Permalink |記事への反応(1) | 02:58

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2024-08-10

anond:20240810162009

イラン石油欧米のものなのに(欧米人の感覚ではね)、自国民のものって言われて逆ギレ

デモ隊アメリカ大使館占拠して、救出に特殊部隊を送り込んだら返り討ちにあってメンツ丸潰れ。そっちがメインで、イスラム革命あんまり関係ない。

南米石油がわくベネズエラも同じ理屈悪の枢軸扱いして国際社会から干してる。

サウジはそれをみて、欧米と近すぎず離れすぎずでビジネスパートナーとしての立ち位置を崩さない。

Permalink |記事への反応(1) | 18:24

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anond:20240810093540

核開発疑惑って言うけど、イスラム革命やって欧米に嫌われてるだけなんだから世俗化して堂々と作ればいいのにな日本国教名前付けてないじゃん

Permalink |記事への反応(1) | 16:20

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2022-12-27

[増田お嬢鯖部]

郵政博物館に行ってきましたわ!

押上献血ルーム献血した帰りなのですわ!ここでは何回か献血したことがあるけど寄ったのは初めてなのですわ。

郵便局で使われた車両や道具の模型がたくさんあって楽しかったのですわ。

郵便配達員用の拳銃もあったのですわ。日本では警察官よりも先に郵便配達員拳銃支給されたのですわ!

けどなんと言ってもここの見所は大量の切手コレクションなのですわ!

世界各国の切手が引き出し式の棚の中に大量に展示されているのですわ!

いたこともない植民地独自切手があったり、二次大戦前夜の欧州では露骨国威発揚ムードになってるのですわ!

ドイツ戦時中ちょび髭おじさんの横顔でいっぱいだったり、イランはパフレヴィー朝時代科学王室進歩!って感じだったのがイスラム革命後にはイスラムモチーフ全開になってたのですわ!

鯖の切手もあったのですわ!昭和41年の魚介シリーズらしいですわ!これ探すために15分ぐらい使ったのですわ!排泄物ですわ!

鯖と言えばノルウェーかと思ってそっちも調べましたけど、お魚は見つけたけど多分鯖じゃなかったのですわ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

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2022-11-25

anond:20221125225630

中東は長らくオスマン帝国の巨大帝国の一部だった。民族主義というもの自体近代産物なので、イスラム色の強い中世国家オスマンから独立するという格好で近代的なアラブ人国家がいくつも生まれた。西欧植民地ではないにしても、傀儡的な性格は有していた。もしオスマン帝国の瓦解が数世紀早かったら西欧植民地になっていたかもしれないが、もうそういう時代ではなかった

イランイスラム革命以前は親欧米国家だったし、サウジ親欧米から人権問題かいろいろ見逃してもらってる

Permalink |記事への反応(1) | 23:18

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2021-08-16

anond:20210816143943

西側メディア取材民主主義自由サイコー!と答える都市インテリが思ってたより少なかったのかもな。

仮に人口2000万のうちたった5%の100万だけとしても100万人が逃げ出して空港に押し寄せれば市民の大半がタリバンを恐れ嫌ってるような絵が撮れるし。

イラン革命の時も自由享受していた都市住民でさえホメイニイスラム革命世間の腐敗をただす良い物と捉える人が多かった、子供だった私自身も親や周囲の大人もそう考えていた。

イラン出身女性作家が書いてた。名前忘れちゃったんだけど。

アフガニスタン人全員が、タリバンが正しい、政府はクソだと思ってるなら、分かるけど

大都市民主主義を歓迎していた人々は国から逃げ出すほどタリバンを嫌がってるのに

それでも戦闘らしい戦闘もない。不思議

Permalink |記事への反応(0) | 15:35

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2021-04-03

女性制度なつらさが減ると男性実存的なつらさが増えるのでは?

僕は「弱者男性」と聞くと田舎実家で親と同居して未だに結婚してない「こどおじ」に成り果ててしまった小中高時代の友人たちを思い出す。

彼らのほとんどはちゃんと働いているものの、なにせ田舎なので低所得だろうし、何より親と同居という点で婚活市場女性から嫌われる不利な立場にあるのは間違いない。

でも、女性仕事の機会が「制度的」に制限されていて独身で生きていくのが今よりも難しい時代であれば、彼らの多くは結婚できていたのではないかと思う。それこそ彼らの父が見合い結婚したり、男性社員のお嫁さん候補として雇われ25歳までに寿退社することを強く望まれていた女性社員と「恋愛結婚」したりしたように。

フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81804?page=7

女性に比べると、男性のつらさは制度的なものというよりも実存的なものである側面が強い。たしか男性のつらさのなかにも、再分配を手厚くするなど制度によって軽減できる種類のものもあるだろう。しかし、女性パートナーがいないことによる孤独承認問題は、少なくとも近代的なルールを前提するならば、制度をどう変えても対処することは難しい。個々人が自分人生に向きあいながら対応せざるを得ないものだ。

かつて「制度的」に就労制限され、子産み育て機械家事機械・農作業手伝い機械・義父母介護機械になることを強制された女性の多くが独身でも生きられる所得を手に入れ、苦しみから解放されたのは、リベラリズムフェミニズムの偉大な勝利なのだが、

その分だけ結婚できない「こどおじ」が発生し男性の「実存的」な苦しみが増えてしまったのではないだろうか?

現代民主国家で「近代的なルール」を引っ繰り返すというのはまず無理なんだけど(ジーンズ姿の女性達にヒジャブ強制したイランイスラム革命のようなものでも起こさない限り)、だとすれば「こどおじ」ができることは子供部屋から世界を呪うことだけじゃないかなあ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:43

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2021-02-13

anond:20210213021547

そういう 子あり>子無し みたいなのは差別ってことでもうレギュレーション違反なんスよ。

日本欧米キリスト教みたいなカップルになって産めよ増やせよ圧力も弱いし、どうしようも無いね

イランイスラム革命なみの保守回帰でも起きない限り。

Permalink |記事への反応(0) | 02:25

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2020-09-29

anond:20200929120827

ポルノ脳の男は嫌になるよ。

女性の体は大切で簡単晒してはならないもの

尊重すべきもの

特にイスラム教圏ではずっと尊重してきたことなのに、ヒッピーかぶれが都合良く女性を消費する露出フリー文化を広めようとした。

どうにかイランでは女性消費文化蔓延イスラム革命によって食い止めることができた。

次はトルコ見直し段階に入っていきそう。

EUかぶれてると、売春すら女性の権利だとほざくオランダあたりの価値観まで認めなきゃならなくなるからね。

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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2019-06-17

イエメン情勢

こんにちは、皆さんが一切興味がないであろう話をします。

2014年から今にいたるまでイエメンではずっと内戦をしています。この内戦にはサウジアラビアUAEイランが関与しており、現在中東情勢理解するためにはこの内戦概要を掴む必要があります。なのでその話をします。

イエメンでは以下の勢力内戦をしています。すなわち

です。大まかにいって国土の北西地帯をフーシ派が、南部東部をハディ派が支配していますイエメン部族社会という色が濃く、各部族はそれぞれに思惑をもって活動しており、フーシ派にもハディ派にも属さないという地域も増えてきています

内戦の背景について理解する必要はあまりありません。部族の利害や宗派の違いといったものから発生する、正直いってしまえばよくあるアレです。ではそのよくある内戦がなぜ泥沼化しているのか、そして何故誰も知らない戦争になっているのかを簡単説明したいと思います

内戦きっかけはフーシがイエメン首都占拠クーデター成功したことです。これにより当時大統領を務めていたハディは首都を追われ、サウジアラビア亡命しました。サウジアラビアはこれに危機感を抱きました。なぜならサウジアラビアスンニ派勢力事実上盟主であり、イラン以下のシーア派勢力敵対しているからです。イエメンサウジアラビア国境を接しており、ここに親イラン勢力が根を張ることはサウジ安全保証根本的に脅かすと懸念されたわけです。そして実際その懸念現実のものになります

サウジUAE連合しハディ元大統領支援に乗り出します。サウジUAEは優勢な空軍力を活用しフーシ派から南部要衝アデン奪回することに成功します。そしてここにハディ大統領傀儡として送り込み、フーシ派討伐に乗り出します。これが 2015 年 7 月までの流れ。

しかサウジの勢いがよかったのはここまでの話で、以後内戦は泥沼化の一途を辿ることになります。泥沼化の理由として以下の要因が挙げられます

要素毎に説明していきます

まずハディ派やサウジ空軍が弱いという問題についてです。一般にいってアラブ軍隊は非常に弱いのです。それはなぜかというと、クーデターを恐れるあまりにまともな訓練をつめておらず、特に大隊以上の連携の訓練などはろくにおこなわれていません。

例えば、空軍力を適切に発揮するためには地上の部隊との高度な連携必要です。地上の部隊空爆目標地点を捜索し、適切に爆撃機誘導してやらなければ効果的な爆撃はできません。また、航空偵察の成果を総合的に検討して情勢を判断する高度な情報組織も求められます。そういった高度な機能サウジ空軍には備わっていません。では、サウジアラビアはこの問題をどのように解決していたかというと、大量の物量を投入して無差別爆撃を繰り返すという方法解決をしようとしました。これには二つの問題があります。まずは人道上問題です。実際サウジはこの問題で 2018 年ごろから大きな非難をうけるようになり以後無差別爆撃封印しています。そしてこちらの方がより実践的な問題なのですが、コストパフォーマンスが極度に悪いという問題がありますいくらサウジ油田をもち金満国家からといって爆弾をあまりにも大量に無駄弾にしていれば負担になります。あまり知られていないことですが、実際サウジアラビア中国について世界三位軍事費支出大国になっています。これは上記のような非効率作戦が原因で、サウジアラビア財政は痛みつつあります(そうしたサウジの苦境を悪用しているのが孫正義というわけです)。

ハディ派の弱さについては、元々弱いとかそもそもサウジ傀儡でありそこまでやる気がないとかそういったこともありますが、また別の事情もあります。その別の事情というのは「フーシ派は強い」という問題と裏返しでもあるのです。

それはつまりどういうことか。フーシ派はあくまでも奪う側であり、ハディ派は守る側であるということです。ハディ派はもともとの正統政府ですからイエメン国土財産防衛する戦いを展開する必要があります。一方フーシ派の根本地方の小さな民兵組織ですから「守るべき既存リソース権益」を持っていません。なので彼等はハディ派と戦うにあたって都市がどれだけ破壊されようが民間人にどれだけ死者がでようが一切考慮することがありません(宗派も違いますし)。こうした姿勢の違いは戦闘力の違いに直結し、地上戦闘でハディ派がフーシ派を圧倒するという局面は初期におけるアデン奪還作戦以外で殆ど見られません。

ハディ派は強いフーシ派を攻撃するにあたって、地元部族を懐柔しフーシ派を攻撃させるといった戦法をとることがありますが、フーシ派はこうした敵対部族容赦なく殲滅してしまます

また、フーシ派が山岳民族的性質もつという点も重要です。一般に山岳民族というのは強いものです。グルカ兵などの事例にもある通りです。また、山岳民族である彼等は平地民との価値観をあまり共有しておらず、そうした点も彼等の強く残酷な戦い方を支えているだろうと思います

次にUAE背信という問題についてです。サウジ国内ではこの点がかなり問題視されているようです。UAE内戦介入開始当初からイエメン侵略を目論んでいました。ハディ派首都アデンでもUAE特殊部隊がうろついているだとか、イエメン南部離島ソコトラ島UAE侵略領土事実上組み込んでいるといった話がありますUAEのこうした態度は情勢を著しく混乱させ内戦を長引かせる要因になっています。またサウジ内では「UAE漁夫の利を得るために内戦の泥沼化を積極的に目論んでいる」といった観測もあるようです。

そしてイラン革命防衛隊の介入という問題ですが、上記の通り内戦の初期においてイラン革命防衛隊はあまりイエメン内戦に興味をもっていませんでした。しかサウジUAEによる介入が頓挫すると革命防衛隊による介入が本格化しはじめます。すなわち、フーシ派の占領地域拠点にしてサウジアラビア領土への直接攻撃企図しはじめたのです。このことの背景を理解するためには、イラン革命防衛隊という組織の成り立ちを理解する必要があります。先述の通りアラブではクーデーターを抑えるために軍を弱くするのが普通統治法です。これには例外がいくつかあり、たとえばエジプトでは軍が国家統治しているのでクーデーターの心配は少ないので精強な軍を維持することができていますイラン例外の一つで、イランはかなり独創的な方法でクーデーターを防止しながら軍を強化することに成功しました。それはすなわち

というものです。一つ目の対策については軍の指揮権天皇に直属させた大日本帝国軍とほぼ同様のものと言えます。故に、日本軍と同様のデメリットが生じることにもなりました。創業の功臣と君主が存命の時代は彼等のバランス感覚によって軍を適切に維持することができたのですが、君主が交代し創業世代もいなくなると軍を誰も統制できなくなってしまったのです。ようするにホメイニ明治天皇ハメネイ昭和天皇理解すればよいわけです。

二つ目対策について、革命防衛隊をつくるにあたって「イラン防衛ではなくイスラム革命防衛革命の輸出」を任務と定めてしまたことが問題になりました。彼等は事実上の外征軍となり、中東各所で怪しげなテロを繰り返す組織になってしまったわけです。さらにタチが悪いのが革命防衛隊が軍の能力を流用し建設会社物流企業を多数直接経営しているという点です。これにより、彼らは財源や物資の点でも政府への依存殆どなくなり極めて独立性の高い組織になっていますイラン政府の財源はかなりの部分石油に負っていますから政府本質的には戦争回避しようとします。一方建設業により資金を得る革命防衛隊にしてみれば石油産業が停止したところで知った話ではないので積極的に「革命の輸出」を手掛けるというわけです。

こうした性質もつ革命防衛隊イエメンに介入を開始すると積極策を採用することになるのは自明のことでした。イエメン派遣された革命防衛隊ほとんど中央の統制を受けていないと見られており、これは要するに日本軍における関東軍匹敵します。

こうした情勢のなかでイエメン内戦象徴する戦いであるホデイダ攻防戦がはじまります。ホデイダイエメン有数の港湾都市で外部から物資の輸入をほとんどひきうけています。この都市占拠することはすなわち外国物資を全てコントロールするということでフーシ派もハディ派もこの都市の攻防に全力を投入することになります内戦当初からこの都市はフーシ派が支配しており、ハディ派はサウジアラビア支援のもとなんとかこの都市を奪還しようと試みました。ホデイダの攻防が本格化したのは 2017 年ごろからで、以後ホデイダは激しい戦火に見舞われ物資の輸入は途絶えイエメンでは難民が大量に発生することになります

先述のとおりハディ派は弱く、サウジアラビア軍は動くものはなんでも爆撃する式の粗雑な無差別爆撃を加えることでなんとかフーシ派に対抗するといった情勢が続きました。こうしたフーシ派有利の情勢をみたイラン革命防衛隊2017年末ごろより弾道ミサイルをフーシ派に供与(といっても操作する人員革命防衛隊から派遣していたことでしょう)しサウジアラビア国土への直接攻撃を開始します。

こうした事態に至って危機感を表わにしたサウジ軍は 2018 年にはいってさらに爆撃を強化しますが成果はあがりません。そして彼らはついに致命的な誤爆事件をおこします。サウジ軍はスクールバス誤爆し何十人もの子供を死亡させてしまうという事件をおこしてしまったのです。これにはさすがに各国から非難が止まず以後サウジ軍は爆撃の対象前線ではなく後方のフーシ派の基地に切り替えることになりますが、これによりホデイダ攻防におけるフーシ派の勝利事実上確定しました。

2018年末ごろより国連によるホデイダ停戦工作が開始されます停戦調停中にも激しい戦闘応酬が続きますがフーシ派有利という情勢は変化せず、国連監視団は「フーシ派の勝利」という現状を事実上認める形の停戦を成立させました。これが去年末から今年4月ごろの話。

こうした状況のなかで革命防衛隊はあらゆる手段サウジアラビア国土への直接攻撃を続けていました。その攻撃の主力となったのが弾道ミサイルドローンによる空爆です。弾道ミサイルによる空爆サウジアラビア首都リヤドにも降り注ぎ100人以上の民間人犠牲になっていると報じられていますドローンについては、クアッドコプターのようなものではなくジェットエンジンを積んだ比較的大型の爆撃機で500kg程度の爆弾を積載し 300km の半径を攻撃できるとされています。これによる精密爆撃はイエメン内部でも利用され、ハディ派側の軍幹部ドローン爆撃によって多数殺害されるといった事件も起きています

そしてホデイダにおけるフーシ派の勝利が確定すると、フーシ派は国連との合意にもとづきホデイダから兵力の引き抜きを開始します。少数の警備兵力を「憲兵」と偽ってホデイダに残置するとフーシ派は主力をサウジアラビア侵攻にふりわけます。これが今年の 4 月から今にかけての話で、フーシ派とイラン革命防衛隊の猛攻をうけてサウジアラビア/イエメン国境要衝都市ナジュラーンが陥落寸前であると報じられています。またサウジアラビア空爆にあたってあらた巡航ミサイルによる爆撃も開始され、先日のサウジ南部空港爆撃ではインド人など外国人にも負傷者がでています

今、サウジアラビアは確実に敗北しつつあります







ではこのような酷いことになっている内戦がなぜあまり知られていないかというと、田舎内戦など誰も興味がないという問題もあるのですが、サウジの劣勢というのもその原因です。というのもサウジアラビア北朝鮮以上の独裁国家、統制国家なので自国イラン勢力との戦争で敗北しつつあるという事実隠蔽しているわけです。「イランの爆撃により100人以上の犠牲者がでている」という事実最近になってようやくサウジ政府メディアによって報じられました。以前は「イランミサイル迎撃した」だとか「フーシ派に猛爆撃を加えて戦果をあげた」だとかいった威勢のいい情報が散発的に報じられているだけでした。今少しづつですが苦境の真実サウジアラビア側が報じるようになってきています。それだけ事態悪化を隠せなくなったということでもあり、また危機感を醸成しようという思惑もあるのでしょう。

更に加えてですがサウジアラビアには「事態をこれ以上大事にしたくない」という思惑があるようにも見えます現在おきていることは事実上サウジアラビアイラン革命防衛隊総力戦」なのですが、サウジとしてそれを認めてしまうとイラン本土とも戦わなくなければなります。「イエメンのフーシ派という軍閥との小さな戦い」というフレームを維持することでなんとか大事にせずどうにかしてフーシ派だけを倒したいという希望が、事態矮小化させ報道管制するインセンティンブになっているように思われます

サウジのこの失態をみて「イエメンサウジベトナム」と評する人もいます。ただベトナムのように「やらなくていい戦争で消耗している」というよりは「強力なイラン革命防衛隊とフーシ派の前になんとか国土防衛しようとしている」というのが実態としては近いのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(20) | 15:53

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2016-10-15

少子化は、いわゆる西側諸国のどこであっても凄い下落スピードで進行したんだな

図録▽合計特殊出生率の推移(日本と諸外国

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.html

どの国も2切っててヤバい。維持できそうなのはフランスぐらいか

一方イスラムは圧倒的に高出生率。が、やはり下降傾向は続いてる

http://www.tabletmag.com/wp-content/uploads/images/goldman-chart-380.jpg

世俗化を進めたトルコ以上に、イスラム革命が起こったイランの方が急減してるのはよく分からん

ユダヤ教イスラエル比較的安定している

まぁしかし、こうやってみると少子化は近現代化の宿命なんだろうな、と

ところでじゃあどこで増えてんねん?と言えばナイジェリアインドあたりで、

中国含め、これらもピークアウト後にとてつもない勢いで高齢化に向かう

少子化は不可避。日本だけで見るのも下らない。

何とトレードオフで起きてる現象かを論じるべき。

誰か(何かの属性)のせいにしてる様な幼稚な言説は、さっさと滅びてほしいもんだ。

またこれらを今更の常識からと言って直視しなくなるのも、思考停止である

Permalink |記事への反応(0) | 20:46

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2015-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20151119210615

そりゃ北朝鮮中国にとって(これからは知らんが)いままで多少の利用価値はあっただろうし、

イスラムっても、インドネシア辺りは別に叩き潰す必要もないし、

中東に関しては、石油欲しさにサウジアメリカが結びついたりしているからだろう。

叩き潰しにはそれなりに金も人も必要だし。

かつて傀儡政権つかってイラン西洋化を進めたら、イスラム革命おこっちまったりした過去もあるしな。

Permalink |記事への反応(0) | 21:11

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2012-01-03

訳してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded

1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。

1912年4月14日 タイタニック号沈没

1913年 フォード、流れ作業方式を導入

1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発

1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用

1916年2月16日1916年12月20日 ベルダンの戦い

1917年11月7日 ロシアで10月革命

1918年11月11日 第一次世界大戦終結

1918年11月9日 ヴァイマル共和制の樹立を宣言

1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点

1920年12月16日 寧夏、海原地震

1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞

1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニローマ進軍

1923年 ドイツでハイパーインフレ

1924年1月21日 レーニン死去

1925年1月~2月 ノーム犬ぞりバルト)疾走

1926年 アル・カポネが権力の頂点に

1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行

1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)

1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日

1930年3月12日 ガンジー、「塩の行進」

1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップウルグアイにて)

1931年5月1日 エンパイアーステートビル開業

1932年 ワイマール共和国崩壊

1933年1月30日 ヒトラー内閣発足

1934年10月27日 毛沢東の長征

1935年9月15日 ニュルンベルグ法制定

1936年6月~1936年4月 スペイン内戦

1937年5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故

1938年3月12日 オーストリア併合

1939年9月1日 第二次世界大戦勃発

1940年6月14日 パリ占領

1940年 ヒトラー権力の頂点へ

1941年6月22日 ドイツ、ソ連へ侵攻

1941年12月7日 真珠湾攻撃

1942年9月13日1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い

1943年2月13日 「全面戦争するか?」演説

1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦オペレーションオーバーロード)決行

1945年5月8日 第二次大戦ヨーロッパでの戦い終結

1945年8月6日 広島に原爆投下 同9日 長崎に原爆投下

1945年11月20日~1946年10月1日ニュルンベルク裁判

1947年8月15日 インド独立

1948年6月24日~1949年5月12日ベルリン封鎖

1949年10月1日 毛沢東、中華人民共和国の樹立宣言

1950年6月25日1953年7月27日 朝鮮戦争

1951年 朝鮮の人口?

1952年10月31日 初めて水素爆弾が炸裂

1953年6月17日 東ベルリン暴動

1954年6月4日 西ドイツワールドカップ西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」

1955年5月14日 ワルシャワ条約制定

1956年10月29日1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争

1957年10月4日 スプートニク・ショック

1958年10月19日 中国で大飢饉の始まり

1959年1月1日 キューバ革命の勝利

1960年 モハメド・アリ ローマ金メダル

1961年8月13日 ベルリンの壁構築

1961年10月27日 チェックポイントチャーリーでの対峙(ベルリン危機)

1962年10月14日~28日 キューバ危機

1963年6月26日 「私はベルリン市民である」演説

1963年11月22日 J・F・ケネディ暗殺

1964年8月2~4日 ベトナムアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)

1965年 ベトナム戦争拡大 地上戦力投入

1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争

1968年1月30日9月23日 テト攻勢

1969年7月20日 初めて月に着陸

1970年4月 カンボジア侵攻

1970年4月29日ワルシャワ礼拝?

1971年10月14日 グリーンピース設立

1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件

1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争

1974年8月8日 ウォーターゲート事件

1975年4月30日 ベトナム戦争終結

1975年4月17日クメール・ルージュ プノンペン制圧

1976年6月16日 ソヴェト蜂起

1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

1978年10月16日 法王パウロ二世 パウロ一世を嗣ぐ

1979年9月8日 「暗黒の金曜日」 イスラム革命頂点

1980年5月18日セント・ヘレンズ山噴火

1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発

1982年4月2日6月20日フォークランド紛争

1983年4月18日 アメリカ大使館爆破事件(ベイルート

1984年12月3日 ボパール化学工場事故(インド

1985年3月11日 ミハエルゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任

1986年1月28日 チャレンジャー事故

1986年4月26日 チェルノブイリ事故

1987年6月12日 「この壁を壊せ!」演説

1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1990年8月2日1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争

1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1993年10月3~4日 モガディシュの戦闘

1994年4月6日7月15日 ルワンダ虐殺

1995年4月19日オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

1996年1月21日 フランス、最後の核実験

1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸

1998年8月 モニカ・ルインスキー 不倫スキャンダル

1999年5月3日~6日 オクラホマ州で竜巻被害

2000年1月1日 ミレニアム

2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件

2002年1月1日 ヨーロッパユーロ発行

2003年3月20日 イラク戦争勃発

2004年12月26日 インド洋大地震と津波

2005年8月29日 ハリケーンカトリーナ ニューオリンズを破壊

2006年6月12日8月14日レバノン侵攻

2007年6月ヨーロッパ熱波

2008年10月 金融危機

2009年1月20日 バラク・オバマ大統領就任

2010年1月12日 ハイチ大地震

2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故

2011年 アラブの春

2011年3月11日 東日本大震災と津波

2011年3月 福島第一原発事故

2012 ?

10分どころか、6時間くらいかかったorz

それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。

(調べてみたら、どちらもM7クラス

Permalink |記事への反応(0) | 01:37

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2011-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20110130164712

今までの歴史的な前例でいえば、新米独裁が倒れたあとには大抵は民族主義独裁宗教主義独裁軍事独裁が待ってるから民主主義が訪れるとは思えないな。

インターネットは体制を破壊する原動力にはなったけど、人々をまとめる求心力はなりえるのか?

ならんよなぁ。

ムスリム同胞団の動きが活発みたいからイランたい宗教政権が握りそうな予感。

イラン革命共和派の動きに便乗してイスラム革命派がのっとってしまった。

現地ニュースは入ってこないからわからないけど、歴史遺産をぶっ壊してるあたりからもそういう空気っぽい。

たとえ独裁が去って民主主義が広まったところで、民意は反イスラエルからおっかないところだ。

イスラエル問題が緊迫化した第三次世界大戦が見えてくるし、中国ロシア革命の波が広がったら世界経済崩壊が見えてくる。

Permalink |記事への反応(0) | 17:04

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2010-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20101118121128

横だけど、このあいだイラン人と話したんだ。

シーアとスンナというより、アラブ人をそもそも蔑視してた。

日本語が達者な人で、イラク人とトルコ人を「彼ら」、アラブ人を「やつら」と呼んでた。

イラン古代からの文明国、アレクサンドロス大王が広めたのはギリシア文化じゃなくてペルシア文化、くらいに思ってる。

イラン人>ヨーロッパ人>>>>越えられない壁>>>>>>アラブ人>>>アフガン

って感じ。

イスラム文化もヘレニズム文化も、中身は全部ペルシア文化。」

軍事国家に征服されはしたけど、ソフトペルシアのものが採用された。

イスラムだってモンゴルだって、官僚学者イラン人。」

って具合。

で、イラン人以外のあのへんの民族は、国なんていう概念もなく、馬に乗ってテント生活してる非文明人。

物資がなくなるたびに文明国(イラン中国インド)に略奪しにきてた野蛮人と思ってる。

トルコイラクあたりまではまああまあ認めてるみたいだけど、

アラブ人最近石油が出て勘違いしてる」

アフガン人は頭の中身が500年くらい世界標準から遅れてて救いようがない」

とまで言う。

シーアとスンナについては、一言でいえば

アラブ人宗教なんか信じてたまるか!!」

ということみたい。

コーランなんてさっぱりわからん

と。

結婚式葬式のときにくるくらいで、普段は土着の民間信仰メインだとか。

アラビア語ペルシア語を一緒にしないでくれ。

しかも1000年以上昔のアラビア語だよ?源氏物語を原文で読んだってわからんだろ?

シェークスピアの原文のほうがまだわかるわ。英語学校で習うし。」

なんで政教一致イスラム国やってんの?

って聞くと

イスラム革命共和国を目指す革命が同時進行して、いいタイミング坊主たちが実験を握っちゃった。

最初革命を起こした連中は頭に布なんかかぶってない共和国派だったんだよ。

坊主たちは○△ばおうあf@ふじゃ○ばおういあsr!!」

なかなか面白い体験だった。

イラン旅行に言った人もガイド

最初に言っておきたいのですが、私たちはアラブ人ではありません!イラン人です!」

と言われたとそうな。

最後に、そのイラン人が

宗教色が薄い国ほど、カルト共産主義も含めて)が政権を握っちゃうから日本も気をつけるべき!」

と。

Permalink |記事への反応(2) | 13:09

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2009-04-06

テロの温床=スーダンにある「もうひとつの闇」

中国武器のほかにイランが提供したロケット砲の工場が稼働

アフガニスタン軍事基地や施設が米軍によって空爆され、タリバン政権が崩壊、アルカィーダはイェーメンからスーダンへ逃げた。2001年暮れのことである。

どうやらテロリストらは陸路、イランへ潜入し、イランイスラムコネクションを経由して次の拠点に向かったらしい。

それはスーダンだった。

昨年来、イスラエルガザから打ち込まれるロケットの襲撃に悩まされた。

4月5日、北朝鮮が発射したミサイル日本の上空を通過した。あれが日本ばんばん打ち込まれたらどうするか。実際にイスラエルは、毎日のようにガザからミサイルを撃ち込まれた。

報復にでたイスラエル戦車を投入したのも主権行為として当然だろう。

ハマスが撃ち込んだミサイルは、エジプトから秘密トンネルを通じて大量の武器ガザに持ちこまれていたものである。

イランからイェーメンを経由してスーダンの沿岸部ポート・オブ・スーダンに集荷され、そこからエジプト密輸されていた事実イスラエル情報機関「モサッド」が把握した(英誌『エコノミスト』、09年4月4日号)。

一月下旬、ポート・オブ・スーダンを出航した23隻の小型船が、おそらくイスラエル空軍機によって爆撃され、沈没した。

これらの船舶にはイラン武器が大量に積まれていた。

イスラエル空軍機の練度の良さは世界がしっているように、81年にはイラクオシラ原子炉を襲い破壊した。2007年にはシリア建設途中だった原子炉北朝鮮技術)を破壊した。

この武器密輸船舶の沈没事件以後、ハマスロケット砲攻撃は数週間、なりを潜めた。

イラン製ラジャ・ロケットは射程距離40キロ。

スーダンイスラム革命政権の後ろ盾はテヘランだった

ここで歴史を振り返る。

スーダンのバシル独裁政権は、背後にイランの策動があった。1989年、スーダンは、イラン革命防衛隊にクーデタの方法を学んだハッサン・アル・ツラビ師によって策定され、バシルは軍事権力を、ツラビ師はアヤトラ・ホメイニ師スーダン版になる予定だった。

スーダン革命成功後、当時のラフサンジャニ(イラン大統領は157名の大型使節団を率いてハルツームを訪問した。1991年だった。

「テヘラン―ハルツーム枢軸」が形成された。

レバノンヒズボラに軍事訓練を施してきたハッサン・アズダが、以後、ハルツームに送り込まれた。ハルツームの北側にはイランの肝いりで武器工場がつくられ、いまやスーダンアフリカ第三位の武器大国ともなっている。

08年にはイラン国防相がハルツームを四日間にわたって訪問し軍事技術協力、軍事訓練などの協定に署名した。国連イラン制裁に断固反対する側にスーダンがおり、スーダンのバシル大統領国際法廷喚問にはイランが断固、反対票を投じるという両国の蜜月関係は密接に続いている。

ダルフールの虐殺に武器供与して間接的に手を貸したのは北京だけではなかった。

中国イラン存在は、スーダン独裁政権の背後に拡がる闇に透けて見える。

Permalink |記事への反応(0) | 22:50

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