
はてなキーワード:アルティンとは
物理的な直観に頼るウィッテン流の位相的場の理論はもはや古典的記述に過ぎず、真のM理論は数論幾何的真空すなわちモチーフのコホモロジー論の中にこそ眠っていると言わねばならない。
超弦理論の摂動論的展開が示すリーマン面上のモジュライ空間の積分は、単なる複素数値としてではなく、グロタンディークの純粋モチーフの周期、あるいはモチビック・ガロア群の作用として理解されるべきである。
つまり弦の分配関数ZはCの元ではなく、モチーフのグロタンディーク環K_0(Mot_k)におけるクラスであり、物理学におけるミラー対称性は数論的ラングランズ対応の幾何学的かつ圏論的な具現化に他ならない。
具体的には、カラビ・ヤウ多様体上の深谷圏と連接層の導来圏の間のホモロジカルなミラー対称性は、数体上の代数多様体におけるモチーフ的L関数の関数等式と等価な現象であり、ここで物理的なS双対性はラングランズ双対群^LGの保型表現への作用として再解釈される。
ブレーンはもはや時空多様体に埋め込まれた幾何学的な膜ではなく、導来代数幾何学的なアルティン・スタック上の偏屈層(perverse sheaves)のなす∞-圏の対象となり、そのBPS状態の安定性条件はBridgeland安定性のような幾何学的概念を超え、モチーフ的t-構造によって記述される数論的な対象へと変貌する。
さらに時空の次元やトポロジーそのものが、絶対ガロア群の作用によるモチーフ的ウェイトのフィルトレーションとして創発するという視点に立てば、ランドスケープ問題は物理定数の微調整などではなく、モチビック・ガロア群の表現の分類問題、すなわちタンナカ双対性による宇宙の再構成へと昇華される。
ここで極めて重要なのは、非可換幾何学における作用素環のK理論とラングランズ・プログラムにおける保型形式の持ち上げが、コンツェビッチらが提唱する非可換モチーフの世界で完全に統一されるという予感であり、多重ゼータ値が弦の散乱振幅に現れるのは偶然ではなく、グロタンディーク・タイヒミュラー群が種数0のモジュライスタックの基本群として作用しているからに他ならず、究極的には全ての物理法則は宇宙際タイヒミュラー理論的な変形操作の下での不変量あるいは数論的基本群の遠アーベル幾何的表現論に帰着する。
これは物理学の終わりではなく物理学が純粋数学というイデアの影であったことの証明であり、超弦理論は最終的に時空を必要としない「モチーフ的幾何学的ラングランズ重力」として再定義されることになる。
ユーリ!!! on ICE 、見てる?
「カザフの英雄」っていう字面を見て以来、ソワソワしていたものが、ユーリ・プリセツキーと友達になったあの瞬間に全てが弾けた。
カザフスタンを含む中央ユーラシア・テュルク系諸民族が持つ「民族英雄」の姿をはっきりと感じ取ったからだ。
カザフスタンは、歴史的にテュルク系諸民族が多く暮らしてきた土地である。
遊牧騎馬民族が繁栄した土地であり、彼らはテュルク系の言語と、それに基づく言語文化を持つ。
彼らの文化・信仰あるいは歴史は、口承文芸によって伝承された経緯があり、口承文芸のうちの一大ジャンルとして数えられるのが「英雄叙事詩」と呼ばれる物語形態だ。
カザフに限らずテュルク系諸民族の中で広く伝播した『アルパムス・バトゥル』や、キルギスの英雄叙事詩『マナス』は邦訳出版されており、母語によって英雄叙事詩の世界観に触れることができる。中央アジアを題材とした創作物でおそらく現在もっとも有名なのは森薫の『乙嫁語り』だろうが、作中に登場する馬などの名は、先述の英雄叙事詩にて確認できる。アルパムスやマナスとは叙事詩中での主人公にあたる英雄の名前であり、英雄たちは作中でもっとも強く、激しく、時に美しい。
「英雄叙事詩」の歴史や形態などについては省略するが、重要なのはカザフの地に育まれた文化には「英雄」の存在を待望し、受容する姿があるということである。
彼らは街や、施設などに英雄叙事詩中に見られる名付けをし、また街中では英雄の像を見ることもできる。余談ではあるが、キルギスの首都ビシュケクに立つ騎馬マナス像の馬には、立派なちんちんがついている。あと動物園の馬もなかなかのブツをボロンしてる時がある。
英雄叙事詩の主なテーマの一つに「外敵との戦い」がある。英雄が戦う相手は「異民族」や「異教徒」であることが多い。たまに超自然的な怪物と戦うこともある。
敵対する異民族や異教徒を、英雄は苛烈に打ち倒していくわけだが、全ての異民族や異教徒が敵となるわけではない。
盟友となった異民族とともに、英雄はさらなる敵を打ち倒していくのである。
(英雄叙事詩中に現れる異民族は大抵がモンゴル系の遊牧騎馬民族な訳だが、細かいことはいいんだよ)
敵についても、少し話をしたい。
英雄は異民族と敵対し、彼らを倒して強さを示す。異民族の長との一騎打ちはしばしば物語のクライマックスとなり、もっとも盛り上がるシーンであると言っても良い。
YOIにおける王といえば、J.J.ルロワに他ならない。
11話でオタベック・アルティンと対峙したJJの姿は各位の記憶に新しいことと思うが、ここでもオタベック・アルティンが持つ英雄性を感じ取ることができる。
そうして「勝利」を得た英雄は、やがて自集団を束ねる長となり、後世へと名を残す偉大な存在となるのだ。
英雄叙事詩はその他様々なエピソードによって構成されているので、興味を持った皆さんには是非読んでいただきたい。
ここまでの参考文献は以下の通りである。
坂井弘紀2002『中央アジアの英雄叙事詩:語り伝わる歴史』東洋書店
坂井弘紀訳2015『アルパムス・バトゥル:テュルク諸民族英雄叙事詩』平凡社
我々は幸運にも日本語でテュルク系英雄叙事詩に触れる機会を持った。最大の感謝をここに表す。
以下、蛇足。
オタベック・アルティンはサマーキャンプを経てバレエからは離れたようだけど、彼はその後どこに行ったのだろう?
個人的に、例の演技終了時のポージングからはコサックダンス(ホパーク)の匂いを感じた。
12話で明らかになるのだろうか、期待は大きい。