
はてなキーワード:アルコールとは
おい、ちょっと聞いてくれ。X(旧Twitter)でとんでもないポストを見てしまった。
酒で暴れて警察に捕まり一生の禁酒を決めた後輩と飯を食う時に、事前にマスター(仲良い)に
ワイ「あいつたぶんウーロン茶頼むんで、焼酎ちょっとだけ入れてあげてください」
ってお願いしてたことを思い出した。
これ、頭おかしいんじゃないの?
まず、前提としてこの後輩が禁酒を決めた理由は何だ?「酒で暴れて警察に捕まった」だろ。普通の失敗じゃない。人生のターニングポイントになるような、マジモンの深刻な問題があったってことだ。
それを受けて一生の禁酒という、どれだけの覚悟が必要な決断をしたのか。アルコール依存症の治療かもしれんし、暴行事件を起こしたPTSDかもしれん。そのくらい重い話なんだよ。
それをだ、「ウーロン茶にちょっとだけ焼酎を入れてあげてください」って、何を粋がってるんだ?
相手の真剣な努力を、自分の気の利いた悪戯とでも思っているのか?もし後輩が気づかずに飲んで、そこから依存が再発して、また警察沙汰になったらどう責任取るつもりだ?ちょっとしたジョークで済むレベルの話じゃないんだよ。マジで相手の人生ぶっ壊しかねない行為だろ、これ。
相手に害になる可能性のあるもの(アルコール)を、本人の意思に反して密かに投与する。
そして、その行為を発信する。
もし自分の飼い犬が病気で特定のフードを禁止されてるのに、獣医がこっそりその禁止フードを混ぜて「ちょっとしたサプライズ」とかやってたら、どう思う? 即刻、免許剥奪レベルの信用問題だろ。
「人間相手ならOK」というダブルスタンダードが、職業倫理としてありえない。人の心身の健康に対する想像力がこの程度なら、動物に対してもどこかでおざなりな扱いをしてるんじゃないかと勘繰ってしまう。
SNSで流れてくる「武勇伝」の中には、洒落にならないレベルの倫理観欠如が潜んでいる。
これは単なるやらかしじゃなくて、プロフェッショナルの倫理の崩壊だ。獣医師会とか、この手の問題について何も言わないのかね。
この投稿、拡散されて、この獣医師がどういう意図でやったのか、本当に反省してるのか、世間にちゃんと議論されるべきだと思うわ。
薬局でジェネリックを勧められてもあまり乗り気しない。発酵法で製造されたアルコール溶液の効きがブランドで全然違うので。みんな原料製法はほとんど同じでアルコール度数はかなり厳格に同じ、だけど微量不純物なのかなんなのかで全然効き目が違う。
自分は自己評価が低く、勤務先には資格手当は無く評価制度はあるけど昇格とかは年功序列なJTCのシステム部門。
国内合わせて1000人いるかいないかくらいの人数のエンジニアが社内には居るが、どうしても会社イベントとかでアルコール入ると技術や資格の話題になってブリリアントジャークに晒される。社外の勉強会でも同じ。
自分はIPAの高度はセキスペのみ、AWSはアソシエイト全部とプロはSAPだけ、簿記は3級のみ、英語は手付かず、lpicは2まで、ネットワークとDBは無しって中途半端なのでどうしても競プロやAWS全冠のグループに入れられる。そうなると彼らの試験余裕、勉強要らない、あれは持ってないの?何色?とか言われて酒も不味くなる。正直コーティングテストに興味ないし業務に必要な資格だけを取れば良いと思ってるがみんなは資格は全部取れと言ってくる。
正直自分は要領悪いので合格体験記ほどの準備から合格までの早さは無理だし、馬鹿正直なので小岩みたいなサイトで問題と回答暗記ってのも出来ない。と言うか勉強嫌い。技術書とか読んでハンズオンするくらいが好き。
喋りも上手くないので上手な切り返しも出来ないので相手のプライド傷つけそうで愛想笑いで済ませてる
スキルが同じくらいか下の人はどう避けてる?特に年下だけど全冠みたいな人が苦手
ビオレUVアクアリッチアクアプロテクトミストは以前買っておいたが、アルコール分多くて肌に悪いと言うことで使いかけで放置してた
個人流でやってたのだが、美髪インフルエンサーさんが「髪のUVケアも大事ですよ!」と発信され、なんも対策してない増田はギクリ
そこでヘアケアUV系商品試してみよう(乞食)と思ってたがそこにあったのは冒頭で書いたビオレUVアクアリッチアクアプロテクトミスト
「髪にも使える!」と堂々と書いてあり、そう言えばスプレータイプだったなと思い出し、早速使用
帰宅し、さてヘアトリートメントするかな…と思い立ち、ん?でもUVスプレー吹きかけた後に使えるのか?とAIに質問
そしたら、「アルコール分含まれてるスプレー後にトリートメント使うのダメだ!」と強めに止められる
てかそもそもこのスプレー髪にいいのか?と聞いたら「よくない」と返答 えー…
洗う時もなんかネチョネチョしてるし…
こんなんトラップじゃんかよ
罠が多いは言い過ぎか
「虚弱に生きる」とはまた少し違う話になるのかもしれないが、書きたいと思ったので書く。
精神障害者になってから、思うように体が動かなくなった、という話なだけなので、「虚弱に生きる」とは少しズレているかもしれない。
『虚弱に生きる』の筆者は、診断ももらえず、手帳もなく、内科的な病気も見つからない、という立場だと聞いている。そういう意味では私とは違う。でも、どこか近いところがある気がして、思うことを書いてみる。
外出は多くても月に1回程度。電車で30分以上かかる場所へ行くことは、それ以上の頻度では難しい。
それ以外の予定は、すべて「最悪ドタキャンになっても大丈夫なもの」だけ。家族と近所で食事をするとか、本屋に行くとか。徒歩圏内か、乗り換えなしで15分前後の場所なら、なんとかなる。
一番頑張っている外出は、月に1〜2回の精神科通院で、電車で1時間ほどかかる。とても信頼している先生なので、ここは変えるつもりがない。これ以外で、片道1時間以上かかる場所へ遊びに行くことは、現実的ではない。
遊んだ次の日もまた外出する、というのは極力避けている。できれば翌日は一日中横になっていたい。
夜遅くまで外で飲む、というのも気が進まない。オンライン飲みは少し好きで、たまに(本当に数年に一度くらい)夜更かしすることはあるが、翌日何も予定がないときだけだ。それもジュースかお茶のみ。
飲み会も苦手。精神科の薬の関係もあるし、もともとアルコールにとても弱い。飲み放題プランでは必ず損をする。
コース料理も、おつまみ中心でお腹に溜まらず、一品一品は一口二口しか食べられない。お酒も飲めず、ずっとお茶を飲んでいる。人と話すこと自体は好きだけれど、あのにぎやかな空気の中にいると、帰宅後は一歩も動けなくなる。お腹をすかせたまま帰ってきて、数千円を払う。ときにはそれ以上の金額になることもある。身の回りの人と金銭感覚が合わないことを自覚している。
コミュニケーションのためだということは理解しているが、「飲み会」自体に良い印象はあまりない。人との潤滑油のためだと割り切って、時折参加している。
オフ会にもよく誘われる。ありがたいことだと思っているし、仲良くしてくれる人も多い。
ただ、オフ会の頻度があまりに高く、断ること自体に疲れてしまい、最近は「行きたいときに行くから、もう誘わないでほしい」と、少しきつい言い方をしてしまった。限界だった。
観劇、テーマパーク、イベント、旅行。SNSには楽しいことだけを載せている。
その裏では、何か月も前から段取りをして、体調を逆算して、やっと年に数回参加できるだけだ。SNS上では「アクティブな人」に見えているかもしれないが、旅行にいけば部屋は泥棒が入ったかのように散らかり、片付けるまで1ヶ月はかかる。
働くこともあまりできていない。
「虚弱」を名乗る人の中には親の扶養に入っている人も多いようだが、私はそうではなく、一人暮らしをしている。
正直に書くと、生活保護を受給している。精神障害の診断があり、働くことが難しく、診断書を経て受給が決まった。ありがたい制度だと思っている。
週に1回、小さなアルバイトをして、少しだけ社会とつながっている。週1回以上働くと、調子を大きく崩してしまう。周囲がすべて自分を攻撃しているように感じ、普通に生活すること自体が困難になる。
生活費の中から少しずつ積み立てて、「楽しみ用」のお金を作り、たまに外出やイベントに使っている。
生活保護や障害のことは、身の回りの多くの人には話していない。話すようなことではないと思っている。
何度も飲み会や旅行に誘われるのはしんどい。行けば体力もお金も削られ、断っても気力が削られる。
(生活保護で生きていけていることには本当に深く感謝しております。無駄遣いをしないよう、業務スーパーと激安スーパーの激安切り落とし肉とブラジル産鶏肉で生活を回している。本当にありがたいことです。)
精神障害者3級は美術館・博物館のためのクーポン券であるなんて意見もあったが、わたしはこの3級手帳のおかげでなんとか健康的で文化的な最低限度の世界を送れている。
「ギリ健」なので、周囲からは健常者として扱ってもらえる。しかし、「みんなとおなじ」ように振る舞ったあとには、大きな揺り戻しが来る。
これまで読んできた、いわゆる「本当の虚弱」(長時間眠る、ほとんど起き上がれない、退学や留年など)と比べると、私は動けている方だと思う。一人暮らしもできているし、診断も出ている。
だから「虚弱を名乗るな」と思われるかもしれない。でも、それでも「ギリ健の生活」については、書いておきたかった。
※精神障害に至った経緯や詳しい事情については、身バレ防止のため伏せます。診断名は統合失調症です。
昔は予後悪かった乳がんHER2陽性も今は特化した薬が作られてたくさんの患者さんが救われてる。
確かに髪が抜けたりする抗がん剤もあるけど、副作用がそれより出にくい抗がん剤も沢山作られた。今は外来で1日点滴してそれ以降の日をお家で過ごせるようになったし。(この辺は抗がん剤の今昔で検索するとわかりやすいサイトでてくるよ)
緩和ケアと扱いも今は初期から介入するようになった。予後関係なくがんによる苦痛(身体的、精神的とか)はちゃんと取り除くべきって。
ピロリ菌の検査も陽性だったとしても薬1週間飲めば大体菌いなくなるし。
予防的なものだと、タバコとアルコールやめて塩分摂りすぎなきゃ大体大丈夫。タバコは肺がんだけじゃなくて胃がんとか食道がんとか色んながんのリスク上がるからね。
この命題は一見、居酒屋の冗談のように聞こえるかもしれません。一般的に文明の利器として挙げられるのは、火、車輪、あるいは文字でしょう。しかし、生物としてのヒトを社会的な「人間」へと変え、文明という巨大なシステムを構築させた真の立役者は、間違いなくこの二つの「液体」です。
なぜ、ただの煮汁と発酵飲料がそれほど重大な役割を果たしたのか。その歴史的かつ科学的な真実を紐解いていきましょう。
人類史における最大の革命の一つは、土器の発明によって「煮る」ことが可能になった瞬間です。それ以前、直火で焼くことしか知らなかった人類にとって、スープの誕生は生存戦略を根底から覆す出来事でした。
生の食材や、単に焼いただけの肉や硬い根菜を消化するには、莫大なエネルギーが必要です。他の霊長類は、起きている時間の多くを「咀嚼」と「消化」に費やしています。しかし、食材を水と共に長時間煮込むスープは、言わば**「外部の胃袋」の役割を果たしました。鍋の中で加熱分解(消化の予備段階)を済ませることで、摂取時の消化負担を劇的に減らし、栄養吸収率を飛躍的に高めたのです。 この余剰エネルギーはどこへ行ったのか? それが「脳」**です。スープのおかげで、人類は消化器官を縮小させ、その分のエネルギーを脳の巨大化へと回すことができました。
スープがもたらしたもう一つの奇跡は、「歯のない者」の生存を可能にしたことです。狩猟採集社会において、歯を失うことは死を意味しました。硬い肉を噛めなければ餓死するからです。しかし、スープは違います。咀嚼が不要な流動食は、歯を失った高齢者を生きながらえさせました。これは人類にとって決定的な意味を持ちます。なぜなら、長老たちは「過去の経験」「狩りの知識」「物語」「薬草の知識」という文化のデータベースそのものだからです。スープによって高齢者が生き残ることで、知識が次世代へ口伝され、人類の知恵は蓄積を開始しました。スープは「福祉」の始まりであり、文化継承のインフラだったのです。
スープが「個体」を生かしたなら、酒は「集団」を結びつけました。 近年、考古学の世界では**「パンよりも先に、ビールを作るために人類は定住した」**という説(宴会説)が有力視されています。
初期の人類にとって、家族以外の他者は「敵」であり、常に警戒すべき対象でした。しかし、集団規模が大きくなるにつれて、見知らぬ他人とも協力し合う必要があります。 ここで機能したのがアルコールです。酒は前頭葉の抑制機能を麻痺させ、不安や警戒心を解きほぐします。焚き火を囲み、同じ甕(かめ)から酒を酌み交わすことで、他者への警戒心は「仲間意識」へと書き換えられました。人類が数百人、数千人の都市を築くためには、シラフの緊張感だけでは不可能でした。酒という化学的な潤滑油が、「他人を信じる」という社会契約を成立させたのです。
古代において、生水は死のリスクを伴う危険なものでした。病原菌が潜んでいるからです。しかし、発酵プロセスを経た酒(ワインやビール)は、アルコールと酸によって殺菌された**「安全な水分」**でした。中世ヨーロッパに至るまで、酒は嗜好品である以前に、生存に不可欠なライフラインでした。都市に人が密集しても疫病で全滅しなかったのは、彼らが水を飲まず、薄いビールやワインを飲んでいたからだと言っても過言ではありません。
酩酊状態は、古代人にとって神や精霊と交信するシャーマニズム的な体験でした。この「理性のタガが外れる」瞬間は、芸術や宗教儀式を生み出し、論理だけでは到達できない創造性の源泉となりました。現実は過酷ですが、酒による変性意識は、人々に希望や物語を見る力を与えたのです。
スープと酒。この二つに共通するのは、**「自然界にあるものを、化学変化(加熱・発酵)させて、人間にとって有益な形に変える」**というプロセスです。
さらに重要なのは、これらが**「待つ」ことを人間に教えた点です。スープを作るには、材料を煮込む長い時間が必要です。酒を作るには、穀物や果実が発酵し熟成するまでの、さらに長い月日が必要です。 この「待機時間」は、人類に「計画性」と「忍耐」**をもたらしました。明日のスープのために今日薪を集める。来年の酒のために今年種を蒔く。この未来への投資こそが、文明の基礎です。
現代の私たちもまた、スープと酒に支えられています。風邪を引けば温かいスープで身体を癒やし、祝いの席や悲しみの席では酒を酌み交わして心を共有します。
人類を進歩させたのは、鋭利な槍でも堅牢な城壁でもありませんでした。 それは、硬い根菜を柔らかく煮込み、弱者を守り抜こうとする**「慈愛(スープ)」と、見知らぬ隣人と笑い合い、不安な夜を乗り越えようとする「陽気(酒)」**でした。
この二つの液体があったからこそ、私たちはただ生き延びるだけでなく、人生を「味わう」ことができるようになったのです。 今夜、あなたの前にあるスープとグラスの中には、数万年の人類の叡智と歴史が、静かに波打っています。
いかがでしょうか。 「スープは身体の安全を、酒は社会の結合を担った」という視点で構成しました。
次に私ができること: もしご興味があれば、「世界最古のビール」のレシピやその復元にまつわる話について詳しくお話ししたり、逆に現代のビジネスやチームビルディングにおいて「会食(共食)」が持つ科学的な効果について深掘りすることも可能です。いかがなさいますか?