
はてなキーワード:アニメージュとは
ほんこれな
最近の日本じゃ The Alters やスパイダーバースのフレイバーレベルの反体制描写ですら、
なかなかお目に掛かれないからなぁ
ただまぁ下記のようには思う
描写が過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ、
パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな
というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、
今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプのインテリ・エリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家だからな
答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、
ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、
難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解・共感できるけど、
⭐️主人公の資格がない人物を主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️
私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。
しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。
そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。
マルコを取り巻く人々は悪人であってもときに良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、
常に人生と社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。
⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️
日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。
これは、(公開)当時とても意外でした。
というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。
「お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。
それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。
(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――
そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。
こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。
その――人々と、なんとか折り合いをつけて。
もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。
なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから。
それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。
お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。
で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。
お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。
実際に、僕自身が知っているわけで。
それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。
ところが、清太という子は、それを耐えることができない。
耐えないで、なんとかやっていけると思った。
子どもなんですね。
自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプの人間)になるけれど、
でも、清太側にいれば、
という風に見てくれる人がいればよかったんですが……
そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。
そうなっていたような気がしますね。
それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。
取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――
という風なことを、
清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。
お向かいの娘に「うちらも2階の教室やからけえへん?」と誘われても、
「ぼくらあとでいきますさかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。
置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。
清太はそれを我慢しない。
「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」
そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。
そんなことが可能か?
心情的には、べつに現代の青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。
マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
大人もみんな清太になりたがり、
自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。
それが現代です。
それが、ある程度可能なんですね。
清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います。
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。
清太と節子が生きた時代というのは、
それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、
ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。
社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。
清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。
"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。
現代の青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、
時代の方が逆転したせいなんです。
こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。
ぼくは、おそろしい気がします。
あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。
見た人はそこに怯えて欲しいんです。
今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、
常に孕んでいるということ、その心配とか。
もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、
いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。
同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、
言いたいことも言えないっていう状況を招く。
どっちに転んでも難しいよね。
いやマジで気分悪いんですけど?
話が噛み合わなくて相互に不愉快な気持ちをぶつけあう光景を見せられるのしんどいだけじゃない?
スッキリ要素なしでず~~~~っと重アスペと中アスペがぶつかりあってるだけじゃん?
んで基本的に重アスペが超アスペパワーでいつも通り世界に余計なコミュニケーションコストを振りまく様子が俯瞰視点で「赤の他人として見るとズレてて笑える」っていう貶しメインの笑いとして消費される感じ。
いやマジで気分悪いんですけど?
要するに珍獣扱いしてるわけじゃないですか、日常空間に現れる人間のアスペ的コミュニケーションの瞬間を束ねて「たまにある程度のアスペムーブをずっと繰り返すたまにいるマジでアスペな奴」っていうコントなんでしょ?
要するにジャルジャルアイランドってのは「割といるタイプのアスペの中でも最高レアにガチでアスペな奴」っていう芸の詰め合わせなんでしょ?
いやマジで気分悪いんですけど?
重アスペの究極アスペムーブに侵食された中アスペが釣られてアスペムーブ引き出される瞬間の「あーあ重アスペの世界で皆のリズムが狂っちゃったよ~~~」というやれやれ感エグない?
いや「観察力が凄いよね天才じゃん?」という意味の「エグない?」じゃなくて、「これを『お笑い動画』として世の中に出しちゃうこと自体がアスペを笑い者にしてくるクラスの人気者系中学生みたいな態度すぎて倫理観義務教育未満じゃない?」って意味の「エグない?」だからね
いやマジで気分悪いんですけど
ジャルジャルアイランドってのはひたすらどこまでも「なんかたまにいるアスペな奴」っていう動画の集合体なんだけどさ、これが「自閉症の真似しま~~す 」と何も違わないことを理解してるの?
じゃあお前らは「駅のホームでよく見る奴」ってタイトルで「(^p^)あうあうあー ぱしろへんだす~~~ (^p^)まもなく 4ばんせんにでんしゃがまいりまいりまいまいままままますきいろいしろいせんからうあああああああああああああああああああああ」みたいな感じの動画上がったらクソワロ爆笑なわけ?
無理だなあ・・・誰もが必死に生きているこの地球という星の人という命一つ一つの輝きに対する許されざる侮辱行為としか俺には思えないなあ・・・。
いやマジで気分悪いんですけど?
あのね、ジャルジャルがこういう芸で飯食ってること自体はもう仕方がないと思う。
走り出した芸人というレールから今更降りてただのフリーターになりなさいなんてとても言えない。
でもこれで笑ってる人達が「これこそ人間観察だ!」みたいに言ってるのは凄く駄目だと思う。
これさあ、イジメでしょ?
ある種の人種に対しての「こういう奴マジでうぜ~~~~でも旗から見てると面白いわwwwwww」ってことでイキってるグリフィンドール生みたいなノリでしょ?
いやあのさあ、しょうがないと思うよ学生時代ならさ、学生ってそんなもんだし。
俺も学生時代に偏差値60の高校通ってたけどそこでもこういう感じでグリフィンドールとスリザリンがカースト最上位から「BLEACHの話題載ってるからアニメージュ買っちゃったw」「ちょwwオタクじゃんww」「いやでもこれ逆に面白いでしょww」「でも買う必要あった?オタク君に借りればいいじゃんw」「駄目だよwオタクくん俺等が「貸して」と言っただけなのに「(^p^)あっ、(^p^)あっ、(^p^)よよ読み終わってるからもうあげまちゅっちゅっ」とか言って渡してくるからカツアゲになっちゃうもんwwww」「あるあるwwww」みたいな感じでハッフルパフを被差別部落の如く扱ってるの見てきたから。
まあ画面の向こうにいる人の年齢なんて見えないんだけどさ俺には死神の目みたいなのないけど平均年齢はうっすら分かるじゃん?
つうかジャルジャルに関してはもう明らかに社会人の年齢じゃん本人らも肌見れば分かるみたいなこと言う取ったけどまあそうやなって思うよ。
いやマジで気分悪いんですけど?
これを「アスペの学習資料として素晴らしいよ」みたいに言われるの本当おかしい。
ネタに走りまくったあとの健常者エミュレーターみたいなもんじゃんこんなの?
本当にアスペが必要なのは「じゃあこういう時どうしたら良かったの?」なんだけど、それがないじゃん?
あるのは「アスペくんは世界の笑いものだよ。醜いアヒルの子や赤鼻のトナカイみたいな救いなんて無いよ。お前が生きている事自体が迷惑なんだよ。」ってメッセージだけでしょ?
なにこれ?
珍獣扱いを受け入れながら珍獣ネタで誤魔化して暮らせってこと?
俺も学生時代に多くのハッフルパフ生がそれをやって生き延びてきたのを横目にしてきたが、あれだけが正解で「人間のふりをして乗り切る」なんて不可能ってこと?
「人外の化け物は一生笑われものなんだよ!」のメッセージ頂きました!最高に勉強になります!ありがとうございます健常者様!今日もつつましく「俺は死ぬべきなのに生かしてくれてありがとうございます」と思いながら暮らします!ってこと?
はあぁ?
マジで気分悪いんですけど?
「あげてる」ってなんだよ、オイ?
ありがとうございます。「昇華して頂いている」おかげで、アスペの罪が軽くなるなら怒られ続けるよりはまだマシなので感謝しまーす。
クソが・・・たまたま親の股から常者に産まれただけでよくそんなエバれるよな。
お前の親がお前を孕んでる時に健康的な暮らししてくれただけであって、お前が偉いんじゃなくて偉いのはお前の母親だけだろ。
いやマジで気分悪いんですけど?
雨穴・梨・背筋・澤村伊智、全員小説を買ったことがある。おうみは気になってたけど結局買ってなかった。大森時生のコンテンツも見てる。
ホラー好きで漫画も読むしアニメも見るしゲームもする。好きなアーティストもいる。映画やドラマも見る。
それと同じように広義の「創作物」のひとつだと思ってるからバラエティ番組や漫才やコントも大好き。
だから今回の件は好きな界隈が燃えていて残念に思うと同時にちょっとざまあという気持ちがある。
おうみの件もそうだけど「いちばん美味しいゴミだけ食べさせて」が燃えた件もずっとアーティスト・俳優・芸人といった三次元界隈の人間がやられてきたことなんだよね。
昔のインタビュー記事・テレビ番組を引っ張り出してきてタレントを叩く→過去に差別的なツイートをしていたことを引っ張り出してツイッタラー作家を叩く
深夜放送の番組内の下世話な発言が書き起こされてYahoo記事に載り、深夜放送ということを把握していない人たちが「ゴールデンタイムに老若男女に向けて大々的に見せつけた」と勘違いして「子どもへの悪影響が!」などと叩く→Steamのインディーゲームの宣伝記事が大手企業アカウントに取り上げられ、Steamのインディーゲームがどういう位置づけの作品なのか知らない人たちが「Switchで発売されようとしている」 「任天堂がマリオやスプラと一緒に大々的に宣伝した」と勘違いして「子どもへの悪影響が!」 「差別が!」と叩く
タレントがやられてきたことがこれからどんどん二次元クリエイターに適用されるようになっていくよ。
芸能畑の人間が燃やされた時に、こんな奴らに品行方正さを求めるのはやめようとか、見出しで釣ろうとする恣意的なコタツ記事に惑わされるのはやめようとか、そういうことをしてこなかったどころか「こんな奴らどうでもいい、潰れとけw」とキャンセルカルチャーに加担してきたツケを支払う順番がやってきた。
商業作家になる前から同じTwitterアカウントを使い続けているカクヨム発の作家だとか、
昔の声優ラジオとか、アニメディア・アニメージュのスタッフインタビューとか、二次元オタクの好きな人たちの過去の発言が掘り返されて今の価値観で測られて燃えていくのはこれからどんどん増えていくだろう。
そして自分のSNSでは公的な立場としての発言のみしか許可されず、露悪的な5chノリを出すと糾弾される。
え?なんで?私は/俺は普通の人間なのに?たかがネット発の新人創作者がなんでお行儀よくしてなきゃいけないの?なんでそんなもの求められなきゃいけないの?
それだってミュージシャンや芸人がずっと言ってきたことだよ。印税もらってるプロのくせに何で自分たちは逃れられると思ったの?
オモコロも星野源とコラボしたり雨穴やみくのしんの本がヒットしたりして大きなコンテンツになってきているのに、つい最近の動画では、セブンで買ったせんべいをボロクソにこき下ろしててびっくりした。
増田の言うようにいつまでも内輪ノリ。自分の立ち位置がどういうものかとか自分の発言に対する責任だとか世間に対する意識が薄い。
本当なら「深夜番組/Steamなんだし露悪とかも好きに表現すればいいじゃん」 「たかがタレント/クリエイターに人間性なんか求めるなよ」という風潮になっていくのが理想だけど
今はネット民が一方的に前者だけ燃やして後者だけ庇いだてして正義ぶってる気持ちの悪い状況になってるからどっちも燃えていいよ。
イキりオタクじいじ湧きまくってて草
何が困難だったか皆目わかりません。60代ですが、SF研は全員ビデオデッキ所有しており視聴に困難はありませんでした。変な煽りはやめましょう。
https://x.com/sssniania/status/1933895872678592589
やれやれ。1995年なんかレンタルビデオ全盛期で、今以上に知識があることが重要とされたし、情報は足で稼いだ。映像も音楽も本も今より遥かに手間をかけて文字通り足を棒にして入手するのを厭わない人間ばかりだった。ましてやエヴァ以前のガイナックス作品なんてレンタルビデオ店に幾らでもあったよ。
https://x.com/KawamotoNao11/status/1934043825791701378
これは騙しのテクニックとしては無理筋ですよ。今の40代・50代はレンタルショップなどをめぐって、必要な情報をかき集めるのが当たり前だったし、そこがスタートラインだったんですよ。当時を知るものとして、この辺りを改竄しようとする輩には断固として拒否を伝えていきたい
https://x.com/otumami_sun/status/1933828486407606586
それとも、この人はレンタルビデオ店とかLD-BOXとか再放送とかが存在しないパラレルワールドで生きていたんだろうか?
https://x.com/Saburo_Haji/status/1934067178099314708
インターネットでなくでNiftyとかパソコン通信があって、フォーラムでは回線落ちそうな勢いで徹夜でやりあってたわ。
1stガンダムは地上波夕方くり返し放映されてたし、そもそもZガンダムに至るまでの時期で「皆殺しの富野」の洗礼はザブングルを例外としてイデオンダンバインで散々に浴びてた。
エヴァに嵌った層はガイナックスの他の作品に元々親しんでいた人が多く、ナディアどころかプリンセスメーカー、電脳学園までやっている人も良くいた。
その流れでトップも見たし、庵野監督は王立宇宙軍オネアミスの翼でカルト的な人気を確率していた上でのエヴァだからこそ期待が膨らんでいった。
うーん。当時実際に経験していないとしか言いようがない。もしくは陽キャなパリピでこの界隈に縁がない世界にいたとしか。
https://x.com/shiro1go/status/1933853315483517338
歴史改変ゴッコでもしてんの?
ガンダムの映画とかイデオンの映画はBSとかでたまにやってて録画したよ
サブスクはないけど90年初頭ならパソコン通信があって草の根BBSになって、90年代初頭はテレホーダイでネットしてた
https://x.com/GarageHouse2/status/1934049654406258854
ガンダムのメディアが1998年までなかったのは事実なんだけと、夏休みの午前中とか、早朝とか、テレビ埼玉とかで死ぬほど再放送やってた気がするんだよね。あと当然漫研の部室にはビデオがあった。
だからエバーの頃はガンダムに触れるの難しかったというの、オタクエアプか知ったかのような気がする。
https://x.com/t__k__n/status/1933833557732172232
その程度のことなら、当時でもアニメージュやNewtypeは相応にフォローしていたと思うが。
テレビ版第13話「再会、母よ」および最初の映画版で、アムロと母の別れの場面でおっさんがいて、「間男」と呼ばれている。
昔の記憶をたどると、アニメージュのインタビューで、冨野監督が間男呼ばわりしていて間男と呼ばれるようになったんだと思う。
しかしテムとカマリアは、10年も別居している。宇宙と地球に分かれて生活していて、婚姻関係は当に破綻していて交流している気配もない。
通常の夫婦生活を送っている妻が、夫の目を盗んで浮気するなら「間男」だと思うが、10年もずっと離れているなら恋人ができても不思議はなかろう。
Permalink |記事への反応(10) | 21:21
自分の叔母が初代マクロスにハマってた(叔母実家から当時のアニメージュ?が見つかった)し、母親は平成ライダーにハマってた(ていうかベルト買ってた)。
シンジと同い年の都内の中学生だったけど、ナディアを作ったガイナックスの新作!!!アニメ雑誌の書き下ろしもめっちゃ格好いい!!!!ということでテレビ前に待機していた
1話は単にとても面白いアニメが始まったなという印象だったけど、2話の戦闘シーンがいきなり中断された演出から(これはとんでもない作品だぞ…)と今までの人生で観たことのないアニメ視聴体験が始まったことに気付いた
1話目は録画し忘れてしまったので2話からはテープをデッキに入れて待った ビデオの1巻だけ安かったの助かったな
昭和の古い雑誌の巻末のほうには、しばしばペンフレンドコーナーというのがあった。
ひょうんなきっかけで、クラッシャージョウを特集していた80年代前半のアニメージュをふと手に取ったことがある。あれはたしか震災前の石巻市内の旅館だ。
ペンフレンドコーナーでアニメ愛を語り、連絡くださいと住所連絡先を書いていたあの頃の若者も、今はおじいさんおばあさんなんだろうな。
とにかくお手紙を書く時代だった。日ペンの美子ちゃんの黄金時代だ。
話はかわって学生の頃の話。
「あの、どこの山に登ってきたんですか」
1泊2日、残雪の単独登山の帰りだった。ほどなくして列車は富良野へと向かった。
「へえ、富良野って登山できるんですね。私、今富良野に住んでるんだけど、ほとんど町から出たことがなくて。今日、初めて列車で富良野から出てみたの」
聞いてみると出身は博多だという。看護学校に通うために、春に、富良野までやってきて寮にいるけれど、まだ友達がいないんだと寂しそうにいった。
「繁華街?、ああ中州ね」と彼女は笑った。鼻に寄ったしわの可愛さにすっかりやられてしまった。
富良野までの30分、音楽の話や地元の話、いろいろなことをお互いに話した。
やがて富良野が近づくとき、彼女は急いでメモ帳の切れ端に住所を書いてくれた。
今まさに一組のカップルが誕生しようとしている瞬間、周囲の乗客のくすくす笑いを今でも忘れられない。
俺の下宿の電話は(呼)だった。大家の部屋で親機で電話をとって、子機の部屋を呼び出す、という意味。
「え、なんで。すごく優しいおじいさんだよ」
「わたし、間違えて、呼び出しだって思わないで、もしもし、昭和くん?ってかけちゃったの。
そしたら大家さんがね、”ここは昭和さんのお宅ではありません。昭和さんが住んでいるアパートです!”っていってガチャって切られちゃったの。何も切ることないじゃない」
「ああ、それはきっと最近、大家さんとこに、そういう電話が多かったからイライラしていたんだと思うよ」
「もしもし、札幌商事の・・という者ですが、技術部の昭和さん、いらっしゃいますか。お見積りの件でお電話差し上げております」
昭和さん、札幌商事様からお電話です~、と取りついてもらったところ、
「はい、昭和ですが。いつもお世話になっており、、あ・・・小声で(おい会社にかけるなってあれほどいっただろ!)」
「はい、見積の件ですね、承知しております。20(時)部に変更ですね、例の物件(お店)ですよね。引き続きよろしくお願いいたします。」
などといって、彼女と待ち合わせをしたりした。
「昭和さん、お疲れ様、うふふ」といって電話を取り次いだ子が背中をポンと叩いて通り過ぎた。
待ち合わせをするだけのことで、このもどかしさ、このスリル。
ポケベルが登場するのはそれから平成に入ってしばらくのことだった。
こと、通信事情においては、昭和のエモさは半端ないものがある。
なのでおっさんたちが懐かしむのはよくわかる。
交通事情で書いたタバコの匂いはとてもひどい時代だったけれど、こんなふうに人と人がつながっていけた社会はもう二度と来ないだろう。
360:名無しさん:2024/01/13(土) 14:08:05ID:cJze4gm2
これ言うと兄弟腐扱いなのが謎過ぎるんだが、普通に彼女だかの後輩を執務室に入れてるラウダ気持ち悪くないか…?
どれだけ色ボケしてんだコイツ…ってひいてたんだが、ラウダは辛い時期だったの!ラウダは可哀想なんだからそんなこと言うな!そんなこと言うやつは腐だとあにまんでキレられて謎過ぎた
363:名無しさん:2024/01/13(土) 14:12:30ID:KAQnJuZM
>360
いや大分変だと思ってたよ
経営戦略科ならともかくメカニックだしシャディクは大人連れてたから余計変に見える
379:名無しさん:2024/01/13(土) 14:53:06ID:PqVJ/chQ
>360
ジェターク一般社員から見て高校生がCEOになり彼女が秘書になったと聞いたら普通にこの会社終わりだと思うと書いても腐扱いされて謎だった
ラウダの色ボケ人事きもいなあ、職権濫用オエー、シナリオの企業パート雑すぎ、まで全部兄弟腐のラウペトアンチ愚痴に透視されるのアルミホイルすぎるわ
384:名無しさん:2024/01/13(土) 15:03:17ID:0mG/cG6g
ラウダがペトラに対してもグエルに対しても駄目だったって言ってなぜ「腐だからラウペトアンチしてる認定」されたんだろ理不尽すぎる…
385:名無しさん:2024/01/13(土) 15:04:10ID:zgec7SOU
>379
386:名無しさん:2024/01/13(土) 15:06:15ID:bnAEOiGc
ラウダ批判は兄弟腐もラウペトも刺すから逆の勢力扱いされる事もあるのはダルいな
387:名無しさん:2024/01/13(土) 15:07:29ID:NJpMeyvw
腐ばっかが話に上がるけど、ぶっちゃけ過剰反応しすぎなラウペト推しとノマカプ勢もいたから、ラウダとペトラのことを少し言うだけであにまんでは腐扱いで暴れるやつもいるのがめんどい
どう言い訳しても普通にいち大企業の部屋に戦力にもならないメカニック科の後輩連れて私情的な秘書やらせてるラウダ気持ち悪いわ
388:名無しさん:2024/01/13(土) 15:08:55ID:c00o3Qg.
ペトラはグエルが帰って来た時もグエルがいなくなってラウダがいかに苦労して可哀想だったかを訴えるだけで様子のおかしいグエルをまったく気にしないし相当恋愛脳なキャラに描かれてる
と思っていたんだがラウダ可哀想文脈で話が進んでいったのでペトラのこの態度が正常で物語としても共通認識だったんだなと
389:名無しさん:2024/01/13(土) 15:08:57ID:I.U6/QbU
391:名無しさん:2024/01/13(土) 15:12:14ID:k.VmmmSU
ラウダはアニメージュの投票にも選外だしライト層やガノタなどボリュームゾーンにシュバルゼッテ無駄遣いを真面目に嫌われて叩かれるか嘲笑ネタ扱いされてたキャラだから
ラウダは兄弟腐とラウペト厨が必死で取り合いしている大人気イケメンという見方は狭い界隈の中の非常に特殊な解釈なんだけどラウダアンチ要素強めペトラ可哀想強めのラウペト批判ですら腐認定するのは本当にやばい
392:名無しさん:2024/01/13(土) 15:14:47ID:Py.x8FlU
どっちもヤバいけどあにまんでは初期から空気読まない兄弟腐が一般スレにのさばってたからその不満で兄弟腐は嫌われてるって前提がある
393:名無しさん:2024/01/13(土) 15:16:52ID:2sZZGeEY
ラウダ可哀想だけど彼女隣に置いて秘書させてんのすげえ気持ち悪いって言ったら腐認定されたことあるわ。メカニック化の生徒に何できんだよ、優秀だろうがなんだろうか畑違いすぎる。しかもその後秘書室でヤるラウペトとか出てきて「いや親父の部屋だし親父死んでるだろ?倫理観は?AVかよ」ってなった
394:名無しさん:2024/01/13(土) 15:17:14ID:RLwb4NLE
ラウペト推しはグエルスレを乗っ取っているのを見てから嫌悪感しかない
395:名無しさん:2024/01/13(土) 15:18:13ID:XuHHanSQ
結局ジェタークの機体でシュバルゼッテだけガンプラ買わなかったなあ
見た目やギミックは良かったから悩んだんだけど23話を思い出しそうでやりたい本編再現もないし胸糞な気分になるだけだなって買うの控えたわ
397:名無しさん:2024/01/13(土) 15:19:50ID:XuHHanSQ
>394
グエルの話してるのにラウダなら~とかいきなり言い出すのウザかったわ
400:名無しさん:2024/01/13(土) 15:22:47ID:A9vkKXnk
親父死んで会社が潰れそうな中、CEO室でJK秘書連れ込みプレイしててラウダくん本当可哀想…
全部グエルが悪い👎
401:名無しさん:2024/01/13(土) 15:23:42ID:CABgMBpk
即腐認定して腐なんだったらいくらでも攻撃して良い扱いしてきてスレが荒れる
迷惑なんで
404:名無しさん:2024/01/13(土) 15:27:39ID:YagwIkrk
もうええて
あっちのスレでやってくれ
「なろう小説はオッサンしか読んでなかった!学生が読んでいるのは一般文芸!中高年は脳みそキッズ!中高生は大人の読書!」みたいな話題ちょくちょく聞くからソース探してるんだが全然見つからねえ。
文芸雑誌がやった母集団がクソほど偏りまくってそうなアンケート(これってアニメージュ読者に好きなアニメ聞くようなもんだろ)ぐらいしか見つからん。
購入者の年齢情報とセットになった小説の売上資料がねーんだな。
ジャンプみてーに読者アンケハガキがあったら大まかな購買層とかわかるんだろうけど、そういうのがないんだろうな。
「中学生 人気 小説」で検索してもGoogle先生は「中学生にオススメの小説ランキング」とかいうクソみてーなアフィ記事しか出さねえしな
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。
嫁のはてブが閉鎖して1週間が経った。変わらず手癖でGoogleに「嫁のはてブ」と入れてサイトに飛んでしまうのが悲しい。
[補足]嫁のはてブ関連のブコメで「嫁のはてブって何だ?」というコメントを見かけたので、もし嫁のはてブを知らない人は以下ページを見てもらうといいと思う。■「はてブ」をリニューアル前風デザインで 個人が一晩で開発 -ITmediaNEWShttps://www.itmedia.co.jp/news/spv/1301/09/news089.html
嫁のはてブの閉鎖が決まってからはてなブックマーク公式サイトを使おうとしてみたが、正直キツい。
アプリの方はまだ見た目には良さそうだったのだが、自分は気になった記事ページとブクマページを一旦タブで全部開いて、開ききってから読んでくというスタイルなのでアプリは合ってなかった。
Hatebu::Classic を試してみたがこちらもあまりしっくり来ず。
結局求めているものは嫁のはてブだったので、見た目ほぼそのままのなれのはてブ を作った。
(ちなみに作ったあとにはてなフィルター の存在を知った。もし作る前に知ってたら、なれのはてブは作らなかったかもしれない。)
500を超えるブックマークと、多くの人に利用していただけて大変感謝です。
また嫁のはてブと作者の後藤基史氏には感謝してもしきれない。約10年間本当にありがとうございました。
なれのはてブを作ってる時にふと思い出したのが、昔地元にあった十一屋という本屋のことだった。
近所にあった本屋で、物心ついた4歳頃には絵本を立ち読みしていた記憶がある。
小学校低学年の頃はマリオの攻略本や文房具を買い、高学年の頃はファミ通を立ち読みしたり大技林を買ったりしていた。
エヴァブーム後はアニメージュの綾波レイ、ホシノ・ルリ、リナ・インバースの熾烈なランキング合戦を毎号チェックし、電撃王のふりをして電撃姫を買うなど、まさに自身の成長とともにあった本屋だった。
小6か中1の時に閉店となり、文字通り泣くほど悲しかった。自分の中で最初の大きな喪失だった。
当時、再び同じ場所に十一屋という店名で本屋を開くことが少年の夢だった。
(残念ながら本屋は開けてはいない。またその場所に同じく思い出の地であった総合スーパーの清水屋の狭小店舗が移転してきたのもあり、現状同じ場所は難しそうである)
嫁のはてブができた頃、自分は新卒で入った会社を辞め、社員2人の会社で1人プログラマーをしていた。
Webサービスを作っていたのだが、当時の自分は学生時代にC言語とJavaを書いたことがある、新卒で入った会社ではABAPという謎言語を少し書きあとは専ら神エクセル作りとパワポに画面キャプチャを貼る仕事だったのでWeb開発経験はゼロ。
そんな自分を救ってくれたのはインプレスの基礎Ruby on Railsと、そして嫁のはてブだった。
はてブでRSpecを書くことを覚え、いいgemを知り、FontAwesomeを知り、いい感じのjQueryを見つけ、Reactを知り、AWSの使い方を覚えetc…
この約10年間のプログラマーとしての成長はまさに嫁のはてブとともにあった。
いまもまだ閉店した本屋は復活させられないが、閉鎖したWebサービスは復活させたよと当時の自分に言ってあげたい。
今後も見た目のシンプルさはそのままにちょこちょこと機能追加していけたらと思っている。
もしよかったら使ってみてもらえると嬉しい。
写真家の今森光彦氏が、段々畑のある里山に土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。
写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本。
私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈りの必要性についてだ。
年に数度の下草刈りが必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山の生物多様性は人の手によってつくられるのだ。
昔、映画『もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビューで宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山の風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。
人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのままの自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物や昆虫、小動物など生物にとっても住みやすい環境なのだ。
蝶は、それぞれごく限られた種の植物に依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地に暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地の生物多様性の指標としてはもってこいなのかなと思った。
30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園。楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業や園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ。
自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木だけが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々は老いや共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。
人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異の再現であり、しかも計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしまう草木を残し、土地の養分と日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。
環境保護というトピックにおいてはつい人間の存在を不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間は自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話からは脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。
裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系のベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性や共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分の繁栄だけが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。
まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山の風景や草木や蝶をはじめとする昆虫の写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。
それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからあまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキに依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。