
はてなキーワード:アニポケとは
今年の3月にサザエさんが日本全域での放送からついに陥落したので、ついでに他のアニメでも調べてみることにした
| タイトル | 空白地帯 | 備考 |
|---|---|---|
| サザエさん | 徳島県 | 前述したように四国放送が放送を打ち切ったため、実際は見れることが多い |
| ドラえもん | 徳島県・佐賀県 | どちらも民放1局の地域、なのでどちらも特例で隣の県放送で見れること多し |
| それいけ!アンパンマン | 佐賀県 | 福岡放送や長崎国際テレビが視聴可能なことがある |
| ちびまる子ちゃん | 青森県・山梨県・徳島県・山口県 | 山梨はケーブルテレビで本局視聴が可能なことが多い |
| クレヨンしんちゃん | 山梨県・富山県・福井県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県・佐賀県・宮崎県 | |
| しまじろうのわお! | (多数) | コロナなどの影響で放送している方が珍しい時期があった |
| 名探偵コナン | 佐賀県 | アソパソマソと同じ |
| ポケットモンスター | 兵庫県 | アニポケ不毛の地、TVerでそれが解消された |
| ONE PIECE | 青森県・山梨県・大分県 | |
| プリキュアシリーズ | 山梨県・富山県・福井県・徳島県・高知県・佐賀県・宮崎県 | キボウノチカラはEテレなので全国放送達成 |
| パウ・パトロール | (多数) | テレ東系列なので放送している方が珍しい |
・ひまてん
ドーブル。化粧品メーカーの社長なので絵の具を使うドーブルを活用できそう。
・しのびごと
ゲッコウガ。忍者。(忍者はゴルバットかアーボックだろって思うですがまあ流石に)
・サカモト
・魔男
・カグラバチ
ダイケンキ(ヒスイのすがた)。刀を持つポケモン少ないねんね。ストライクかエルレイドかキザンか。
・あかね
・双子
プラスル。双子の兄。(いやプラマイにそんな設定ないけどイメージね)
・逃げ上手
・カエデガミ
ミルタンク。おっぱいを取り戻して授乳手コキする回がある(ない)から。
・エキデン
ドードリオ。ポケモンにマランソンランナーが割と出るんだけどドードリオをよく使うから。
・鵺
・ピングポング
エテボース。卓球ポケモンはアニポケの活躍踏まえてエテボースしかなくない?
オニゴーリ。鬼なので。
・キヨシ
・キルアオ
・オテル
・プリズン
ドドゲザン。悪の親玉。
よくソニーはパルワールドと手を組んだ!って話する人多いが、ソニーはソニーでもソニーミュージック(SME)だからプレイステーション関連のソニーインタラクティブエンタテインメント(SIE)とは別な会社。
同じソニーだろ!?と言うかもしれんがSMEはアニポケの音楽に関わったりしてて事業的には別な動きしてることが多い。「ソニーがケツ持ちしてる」は間違ってはいないけど言葉が足らない(誤解を与える表現)だと思う。
まあPS5版が出るんじゃないかみたいな話があったからSIEも関わろうとしていた可能性があるけど、それなら先にゲーパスに入れたりしてるマイクロソフトのほうがスジを通すべきじゃないかな。
アニポケだとソーナンス等がモンスターボールから自由に出てきます。
もしそうだとしたらなぜマスターボールは絶対捕まえることができるんでしょうか?
どんなボールを当てられても自由に出てこられるなら、そもそもボールごとの捕獲のしやすさなんてものも存在しないことになっちゃう気がするんですけど。
なんかボールには、そのボールに初めて入るモンスターかどうかを認証・登録する仕組みがあって、未登録の(まだ捕まえていない)ポケモンに対しては、特にマスターボールだと大人しくなるまで絶対出てこれないようになってるんでしょうかね?
そして大人しくなると、ボールの中で、そのポケモンが捕獲済みということになって、自由に出られるようになるということなんでしょうか?
だとしたらボール当てられたらそのときは大人しく従順なふりして、ボールに登録されたらすかさずボールから出て脱走ってすれば、たとえマスターボールであってもそこから脱走することは可能ってことなんですかね?
自分は93〜97のどこかで生まれた(無駄な年齢フェイク)人間。初めてのポケモンはピカチュウ版。幼少の頃、アニメポケモンは空前の大ブームで友達も兄弟も皆ポケモンが好きだった。
勿論自分も例外ではない。特にアニメの世界観、サトシとピカチュウそして仲間達がポケモンの世界を旅する姿を見ているのがとても好きだった。
ポケモンアニメを見た夜は、布団の中で自分もポケモンアニメの世界でポケモンと一緒に旅をする夢想をしていた。欲しいドラえもんの道具はもしもボックスで、理由は「ポケモンの世界」を現実にしたかったから。
ポケモンという存在は、ポケモンアニメでは動物としていうにはあまりに人間に都合がいいほど、人間の言葉を理解し、友達でいてくれる。まさに、自分にとってサトシとピカチュウは子供のための夢の世界だったのだ。
しかし、子供は成長する。ポケモンアニメはAG中盤くらいで自然に卒業した。
しかし、生まれた時からクソオタクだったのと、ポケモンコンテンツが巨大な供給力をもっていたことにより、ハマり具合に波はあるものの、なんだかんだゲームは大体全部プレイするなどして、ずっと自分はポケモンという存在と付き合うことになった。そして、歳を重ねるごとにポケモンとの思い出も増えた。
ポケモンシリーズをプレイした時の楽しかった記憶、交流サイトでポケモンの絵を描いたら褒められた思い出。ポケモンの漫画を友達に借りた記憶、友達とゲームの感想を語ったり、交換して初めて自分のゴーストを進化させた記憶……。
気づけばポケモンアニメもサン&ムーンシリーズから見出していた。たまたま観た回が面白く(21話)、その後の話もキャラとポケモンがわちゃわちゃして楽しい話が多く、飽きずに見続けていた。けれど、ジャンルとしては「日常学園もの」となっていたので、初代とは大きく雰囲気が異なっており別物として見ていた。
ポケモンのアニメにどうしようもない「懐かしさ」を感じ、自分の中の温度感がおかしい感じになったのは、初代ポケモンアニメのリメイク映画「キミにきめた!」がきっかけだ。
上映時、仕事で大きな報告会があり疲労困憊だった帰り道のたった1回見たっきりなので内容をあまり覚えていない。観た理由も、ポケモンが好きだからなんとなくだ。
けれど、所々の初代でなんとなく見たシーンのリメイクに懐かしさを覚え、ピカチュウがサトシに何かを伝えるシーン(数年経った映画のネタバレ防止)にグッときた。そして何より、「サトシがポケモンのいない現実世界、という夢を見るも最後は夢から覚めてピカチュウと共に旅を続ける」という展開に無性に心が揺さぶられ、上映後ぼろぼろと泣いてしまった。
このサトシがポケモンがいない現実世界に存在行く話は、今は亡き初代アニメのシリーズ構成の方がアニメ最終回の時に考えていた案だ。(そのシリ構さんが書いたブログも随分前に読んだっきりなのでうろ覚えなのだが)このポケモン映画はその案を部分的に取り入れている。
シリ構さんとしては、子ども達が夢の世界からちゃんと大人になれるように…みたいな意図があって考えてた案らしいのだが、まあこの映画ではそれを取り入れつつも最後にサトシとピカチュウの旅は続く。
この時、なんとなく「自分はまだポケモンや他のコンテンツを拠り所にしていいんだ」と安心した記憶がある。社会人になりたてで、仕事も会社が辛くてしょうがなかった時だった。この会社は一年後くらいに辞めた。
それくらいからか、たまに無性に昔のポケモンのアニメが見返したくなる衝動に陥り、ミュウツーの逆襲〜ジラーチ辺りの見たことある映画を見て懐かしさに浸っていた。時にはそれじゃあ飽き足らず、観てない映画を開拓しては、やっぱり自分が1番観てた頃が面白いよなあとか思う夜もあった。
劇場版も、みんなの物語やココと言った作品は映画館で観るようになった。
過去の映画や、キミきめ以降の映画を見ていた時は大人になっても楽しむと同時に、子ども時代の楽しかったあの頃を思い出すように観ていたんだと思う。
そんなことをしては、もう2度とその時間には戻れないという現実に直視して憂鬱と諦観に苛まれるのだが。
逆にサンムーンのアニメは楽しく観ていたのだが、終盤チャンピオンリーグに差し掛かる頃から話が当然日常系ではなくなり、同時期に仕事のストレスがMAXとなった結果、観る気力がなくなってしまった。今では非常に後悔している。いつか観たい。
新無印は序盤がなんだか面白くないな…(個人の感想)と思い早々に見なくなった。
そしてつい3ヶ月前ほど、サトシとピカチュウがポケアニの主人公ではなくなるということが発表された。
この発表を知った時は、「そうか…」という微かな寂しさも感じたが、「まあそりゃそうだよな。長くやってるし、何よりよく知らないけど凄い最終回みたいなチャンピオン戦やったらしいしなあ」という納得のが大きかった。
しかし、それを機にサトシとピカチュウの冒険を締めくくるシリーズ「めざせ!ポケモンマスター」を見始めたこと、そしてなんとなく初代アニメを見返し始めたことで再び温度感の狂った懐かしさが爆発し始めた。
子供の記憶力とは恐ろしい。昔の回を見ているだけでリアタイ時の感情が生々しく蘇る。
また、配信も恐ろしい。本来記憶の中で朧げに美化され遠くなり、いつかは思い出という存在になっていくはずの現実に、いとも容易く触れられる。
そのせいで時間感覚が一瞬バグった。初代アニメをこんなに見返して、その時の感情も覚えているのに、もう20年以上も経っているだなんて……。
クレヨンしんちゃんのモーレツ!オトナ帝国でひろしが「懐かしさで頭がおかしくなりそうなんだよ!!」と叫ぶシーンがあったがそれに近い。流石にあそこまで切羽詰まってはないが。
そう、あそこまで切羽詰まってはいない。社会人になって数年経ち、仕事も転職し、今はキミにきめた!の時よりかは精神状態は落ち着いている。
でも、凄まじく人生が好転したワケでもない。仕事は毎日疲れるし、けれど稼いでるわけでもない。人生に目標があるわけでもない。夢もあったが、自分の限界に数年前に気づいてからは一層やる気がなくなった。自分には才能も、努力できる根気もなかったのだ。
趣味は程々に楽しいが、そもそも週5・8時間くらい働かないといけないのでそれにずっとかまけてもいられない。
数少ない友人はそのうち結婚や仕事等で自分から離れていくんだと思っている。
結婚願望はそもそも24時間人と関わりつづけたくないという思いから、特にない。
動物好きでペットは飼っていたが、数年前に看取った時とても悲しかったのと、また再び世話をする気力がわかなくて手を出せないでいる。
精神状態は落ち着いてはいるが、停滞した人生に倦んでいるだけかもしれない。宝石の国の月人みたいだ。(月人の説明をしようと思ったけどネタバレになりそうなので読んでください)
父親は定年退職して趣味に謳歌して楽しそうだが、コロナ禍とか物価高とか少子高齢化とか世界情勢も相まって、自分の明るい未来など想像できない。
別に死んだって構わないが、死の恐怖を乗り越えられるほど劇的な実行理由もない。
こんなうだつのあがらない自分の諦観に包まれていると、一層ポケモンアニメに浸っていた頃の自分が眩しくなってしまうのだ。
しかし、無情にも時間は進み、サトシとピカチュウの冒険はアニポケのカメラからは姿を消す。
大人の世界に辟易し、虚構の世界と思い出に夢想する人間だけを置いて。
サトシとピカチュウというキャラクターに凄まじい愛着があるわけでもない。
それでも彼らの別れが辛いのは、ただ、自分の子供時代が本当に遠くなるという事実、結局昔からほとんど変わっていないという現実が突きつけられることがやるせないからなのだろう。
多分、ひろしみたいに今が充実している人間はこんな気持ちにならないんだろうな。
いやでも最近アニメを見ていたらピカチュウが一周回ってすごく可愛く思えてきたので、それがいなくなるの普通に辛い。新しいシリーズにも別ピカチュウが出るみたいだが……。
ゴウがいなくなるのかな?と思ったらサトシとピカチュウ がいなくなるとのこと。
小学3年生くらいの時に初代ポケモンが流行って、私ももちろんやっていた。
アニメはロケット団のムサシとコジローがなんか好きだった。やってきれば見ていた。
ゲームは好きで金銀、その次のあたりまでやっていた。
アマプラに新作のポケモンアニメがあったので何となく夫と見ていたら息子が食いついたので3人で見ることにした。
そして2歳4ヶ月のクリスマス、初めて息子は歌を歌った。
「わんつーすりーでこめー、みらきがー、ぼくのー、ぽーけとにーあるーからー」
あんなに童謡を聴かせても歌わなかったのに、ポケモンを突然歌った。
3歳の頃は散歩中、ミュウが隠れてるかもしれないと雑木林に入ったりポケモンいないかなとソワソワしていた。
4歳4ヶ月の今日、サンタさんに何お願いするか聞いたら、「本物のモンスターボールがいいな、でもぼく、強いポケモン捕まえたいからやっぱりスーパーボールがいいな」と言っていた。
息子はキャップを反対に被り、ジャンバーはサトシ君みたいでかっこいいからと前を開けている。ゲットだぜ!の歌もタイプワイ!の歌もポケットの歌も歌える私を尊敬している。