
はてなキーワード:アドレナリンとは
【追記】
皆さんありがとうございます。トラバもブコメも全部読みました。ご自身の経験を書いてくださった方も多く、参考になります。
大したことじゃないのに悲観しすぎかなとか、現状から目を背けようとしていたけど、だめですね。
仕事における責任を考えるなら、これ以上悪化しないうちに手を打つことが何より必要だと思うことにします(奴隷根性全開ですみません。でもそうして大義名分風にすることが、自分にとっては一番楽なので……)。
仮に休んだらキャリアはどうなるのかとか色々と不安はあるけど、このまま同じペースで働き続けて悪化させるよりは絶対に良い!はず!!!
皆さんにも、少しでも良いことがありますように。本当にありがとうございました。
【追記ここまで】
最近、ふとした時に涙が出るようになってきた。一人で作業中にぽろぽろ泣き続けていることもあるし、会議中はギリギリ耐えて、終わったあとトイレで嗚咽しながら泣く、みたいなこともある。
コンディション悪化➝時間内に終わらず残業増➝コンディション悪化……という負のループから抜け出せない。
メンクリとか行った方が良いんだろうなと思うけど、怖くて行けてない。
色々と任せてもらってる今のタイミングで休んだりペースダウンしたりは絶対に嫌だ。責任感を過剰搭載しているタイプの人間なので、多少元気なときはそう考えて、周囲の期待以上に働こうとしてしまう。
同僚は優しくて、負担を分担してくれようとしてくれる。だけど、アドレナリンがドバドバ出てるときはとにかく走り続けたくなってしまう。元気なときの自分に首を絞められていると思う。
ちょっと気を抜きたいけど、全力疾走を続けたい。数週間くらい休ませてくれ。いやだ絶対に止まりたくない……こんな感じで気持ちの整理がつかず、通院にも踏み出せない。
客観的に見て、今は医療機関を頼ってみることが、長期的に働き続けるために必要だと思う。けれど、弱い自分にはその勇気がない。
なんにもならない長文を読ませてしまってすみません。どなたか、一歩を踏み出すための言葉をいただけませんか。
Permalink |記事への反応(50) | 11:21
・乳首黒くなりすぎ
・会陰切開普通に痛すぎて絶叫した。誰だよアドレナリンが出てるから痛くないとか言ったやつ。だいたいその理論なんだよ。
・会陰切開の傷跡の痛みゆえに、産後二週間はトイレとお風呂とくしゃみと咳が拷問となる
・男、あまりに何も犠牲にしていなさすぎてムカつく。チンコすり潰してやりてえ。
・乳房伸び縮みしすぎて張りなくなった
・体型を戻すための運動をするための体力が出産で全てもってかれた
・骨盤の開きが治らず、タイトなズボンやスカートをいくつか手放した
・子を抱えて外いるときの神経のすり減り方は異常
・性欲なくなった。そもそも濡れなくなった。
・子を抱えて外出すると街の人々が実は優しいことに気づける
・どの妻も必ず夫を最低でも数回は埋めることになる
・子は可愛い。子のためにも世界平和を心の底から願うようになった
Permalink |記事への反応(14) | 20:52
麻酔はプロが管理しないと危ない薬で妊婦如きにポンポン使えるわけねーだろとのことなのでまず包茎手術とか尻穴に異物挿入したバカの処置から麻酔医節約していこうぜ
ずっと謎なんだけど麻酔ケチることで医者にメリットあるの????
麻酔ケチって金稼ぐくらいの理由がないと無麻酔の意味が分からない
ごめんだけどこの例え話に儲かる儲からないってリプ付けてるやつは帰ってな
会陰縫合処置に局所麻酔をしない正当な理由が見つからないから、医療や科学以外のとこに理由があるんじゃないかって話だからねこれは
車に跳ねられる痛みに比べたら縫合なんて大したことないよ
どうして産科ではこれが罷り通るんだ?
多分あなたが言ってるツイートこれだけど、この人が引用してるのは、裂けた性器を縫合する際の局所麻酔を何故しないのかって話をしてるよ。
あなたが誤解したのかそれをずらして話してる。
知り合いの高齢出産オバハンが凄まじい。
「私は産後で体がボロボロだから!」を武器にフルタイムで働く旦那が帰宅した後は沐浴、ミルク、夜泣きの対応など育児の大半をやらせていた。
そんなことをしていた旦那は鬱になってしまい会社に行けなくなってしまった。
そこからも特に反省した素振りを見せる訳でもなく、鬱が治り出社し始めた旦那が帰宅した後は子どもの風呂、寝かしつけを全てやらせて自分は楽しくソシャゲをしている。
お盆に義実家に泊まることになった時も、駄々をこねて旦那に子供二人無理矢理押し付け帰省させ、自分は家に一人で悠々自適に過ごしていたり。
旦那が熱を出して休めば「育児をするとアドレナリンが出て熱が下がるから保育園のお迎えに行け」とお迎えに行かせたり。
本人は自分が毎日どれだけ頑張っているか10個下の私に定期的に愚痴を言ってくるが最近はイライラしてしまって聞くのが辛くなってきた。
ブロックしようかなあ。
というかアクションゲームも苦手で、なんていうか頭使いながら操作してるとすぐパニックになって自分が何やってるのか分からなくなる。
昔から突発的に何かをやりたくなる衝動に走るんだけど、多分その一つ。よくいるよね、おとなしそうで行動力だけは変なとこでつき出るやつ。
ダンス教室はgoogle検索で地元の地名+ダンス教室で検索して一番上に出てきたところを選んだ。
正直社会人から運動始める場合、筋トレとかキックボクシング、マラソンとかが多いと思うんだけど、あえてダンスを選んでみることに。(多分逆張り癖がある)
こんな感じ。(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=bT8jhI79s0w
正直やった期間の割に上達してなくてたまに虚しくなる。
最初は100点満点中の0点だったのが、やっと15点ぐらいになったかなという感じ。
ダンスにおいて以下3が重要っぽいんだけど、どれもなかなか成長しない。
「止めができるか」
あと、ポーズというかシルエットがなんとなくダサくて、かっこいい身体の使い方がまだまだ分からない感じ。
来る人は毎回バラバラだけど、だいたい4人~10人ぐらいいる。
2024/12に入会して、週1で1コマ90分程度。夜8時半からなので仕事終わってからできる。料金は1回2000円程度。
これが一番かもしれない。周りは子供ばかりだけど大人の自分が圧倒的に下手という環境に居続けるのは結構つらい。
会社では中堅の立場で、部下や他部署に偉そうに(笑)指示を出したりしてるけど、ちょっと世界がかわるだけで自分のミジンコさを実感するので、世の中謙虚かつ強く生きなくてはという心構えがつく。
あと、全然上達しなくてかつ仲間がいなくても続けるって行為がメンタルトレーニングになってる感がある。
2.学生時代に戻った感じなる。
うちのダンス教室は、ちびっこが結構先生に注意されたりする。(さすがに社会人には対しては敬語だけど)
それがなんか昭和の部活っぽい感じがあって、学生時代に戻ったようなエモイ感覚を味わえる。
3.運動習慣がつく
言わずともって感じ。でも体力が全然つかない。10分ぐらいの基礎練習ですでに汗かいて息があがる。
週3ぐらいで、10分ぐらいの基礎トレをやってる(体の一部だけ動かすアイソレーションという練習だったり、リズム感を鍛えるためのトレーニングだったり)
あとは、ダンスの振り付けが毎週変わり、かつレッスン内では絶対振り付け覚えられないのでその復習。ダンス教室で許可をもらってスマホで撮影して、家で動画を確認して先生の振り付けを復習する感じ。これが一週間で2時間ぐらい。
1.ダンス教室前になると「あー行きたくない」という感情がたまに湧いてくるんだけどこれを乗り越えることを目標?生きがい?みたいのにする。表現難しい。
なので多少体調悪くてもいく。だいたい動いているうちに興奮してアドレナリンが出てきて自分の体調の悪さを忘れる。
2.自分の下手さと向き合わない。
具体的に言うと自分の動きをいろんな角度から撮影して、どこがダメとか研究してみたり、1対1で指導うけたりした方がうまくはなると思うけど怖くてやってない。
これが正直上達しやすさを阻害していると思うんだけど、自分の下手さと真正面に向き合うって結構精神に来るんだよね。
それでやめちゃうぐらいだったら、だらだらと続けた方が運動にもなるしいいよねって考え。でも上達したいという気持ちはある。
ここの加減って難しい。ネトゲでいうガチ勢とエンジョイ勢の葛藤みたいな。
どこでもいいから、なんか残して反応もらいたかった。ちなみにはてな匿名ダイアリーを使うのは初めて。
長文を久々に書いた気がする、なんかルールに引っかかってたらすみません。指摘してくれたら直します。
ダンスの技量目線でいくと、多分週1の頻度だと練習量が足りないので、大人が0からスタートして1年ぐらいで十分な成果を出すには週3ぐらいの頻度で習わないとだめだなと思った。
でもそこまでの気力は続くか微妙そうなので、3年ぐらいかけてちょっと動けるぐらいになれればいいのかな~。
それでもダンスの技量以外でも得られたものは大きいので、このまま続けるつもり。
何か新しいことを始めて続けるってだけで日常の楽しみ方が変わる気がする。
なんか初めての記事だったけどめっちゃ反応きてた!うれしい!!みんなありがとう!!
Permalink |記事への反応(21) | 16:40
アッパーマス層とは金融資産だけ(不動産資産は含まない)で3,000万円ある世帯のことらしい
アッパーマス層になって生活が変わったこととか変わらないこととか書いていこうと思う
とはいえ4分の1の人はアッパーマス層らしいので珍しいことはあまりないのかも
自分が変化に驚いてるだけで
ちな「アッパーマス層になったのでこうしました」ってわけではなく、徐々にそうなっていったというグラデーション感のあるやつです
・くだものをよく買うようになった
スーパーでも買うけどデパ地下のやつは果物のセレクトが美味しくて好き
定価プラス1000〜1500円で見れる席
座席が広くて隣の人が気にならない、超快適
前は二泊三日がいいとこ
部屋のグレードは変わらないけとLCCには乗らなくなった
罪悪感すらある
以下は変わってないこと
・見切り品をよく買う
・電車に乗る
これは家の立地もある
・お昼ご飯
お昼外で食べるとあっという間にお金なくならない?
具体的にどんな仕事をしているのかは守秘義務があるから書けないけど、とあるフランチャイズの小売店で販売のバイトをしている。
んで、何をやらかしたのかというとウーバーイーツを使ってお客さんに商品を届ける時に商品を1個詰め忘れた。忘れたことには短時間で気付いた。
そんで、お客さんの家が店からすごく近かったのとたまたまウーバーイーツの人が至近距離にいたために爆速で配達完了してしまい、ウーバーイーツに電話して戻って来てもらい忘れた商品を託すという事が出来なくなってしまった。
もちろん、お客さんは激怒した。基本的にはこういう場合は返金対応のみなんだけど、お客さんの強い意向がある場合は自力で配達することもありだが、それは店の方の判断ですることで絶対の義務ではないのだが、判断を下すのは店の責任者ではなくやらかした本人と現場の従業員。という訳。
失敗した時の状況はというと、ニッパチどころか年間を通してもありえないレベルで店が激混みし、しかもバイトは2人体制という地獄の状況でデリバリーの注文が連発した。
お客さん達の行列がどんなに長くても、待たされているお客さん達からどんなに罵声を浴びせられても、デリバリーが最優先という鉄則がある。昨日の場合は幸いにも怒鳴るお客さんはいなかった。外国人のお客さんが多く、彼らは混雑していても静かに待ってくれるのでトラブルになり難い。行列に静かに待機している人が過半数を超えたためか、すぐキレる日本人客もイライラしてはいても実際罵声を上げるという事がなかった。そこはラッキーだった。一人怒鳴り出すと収拾がつかず暴力事件にも発展しかねないというのは過去に経験済み。
デリバリーの商品を用意している様はお客さんから丸見えなのだが、といってもお客さんからは何をしているのかはたぶん分からないと思う。そもそも当店でデリバリーなんかやってる事を知らない人が多そう。実際、デリバリーの注文なんか普段はあまり来ないのだから。
とにかく、店内が激混み、会計にはクソほど人が並んでいるという状況なのに、二人しかいないアルバイトのうちの一人が会計業務を放棄して何かやってる。というのがお客さん達から見える風景だ。配達品の梱包をしていた自分としては居た堪れない状況だけど、一々ビビっていたら作業が速く終わらないので心を無にして、お客さんと目が合わないよう俯いて作業に集中するしかない。
忘れ物にはウーバーの人が店を出てわりとすぐに気付いた。たぶん2、3分といったところだ。その時は忙しいものの一瞬だけ会計待ちのお客さんがいなかった。
ところが問題なのは、自分たち従業員にはこれは「絶対失敗してはいけない仕事だから」と失敗のリカバリー方法が一切教えられていないということだった。商品を入れ忘れたらどうしたらいいのか分からない。それで相方のバイトとどうしたらいいと思う? と数秒話し合って、とにかくウーバーの人に電話すればいいんじゃね? ってなった。
幸か不幸か昨日の相棒は外国人のバイトだった。普段言葉での意思疎通に支障がありまくりなんだけど、ぼくを始めとする日本人のバイトと違いトラブルが起きた時には肝が座っており、「電話すればいいじゃ〜ん」と判断が早い。店長に電話して相談しようなどという余計な事は考えないのである。ぼくはしがない日本人アルバイトだから、その余計な事を考え、てウーバーに電話するのと店長に報告するののどっちを先にすればいいんだとテンパった。
で、幸か不幸かたまたまウーバーの人が相棒と同郷の人だったので、相棒が「おれが電話するほうがはやい」と言ってさっさと電話してくれた。
ところが、デリバリー作業専用端末の画面に記されていた電話番号は普通の携帯の電話番号っぽいのにウーバー直通ではなかったのである。そしてそのタイミングでまた会計の長蛇の列が出来てしまった。
同郷のブラザーが陽気に電話にでると思っていた相棒は、いきなり電話から日本語の早口が聞こえたのに驚いて日本語の語彙がぶっ飛んだ。死ぬほどレジを打ってるぼくに「ぼくさん!ぼくさん!」と言うしか出来ない。ぼくは訳が分からぬまま電話の子機を手渡された。電話の相手はウーバーのコールセンターだった。
ともかく事情を説明すると、コールセンターの人はこういう場合の対応について全体の流れと何をすべきか丁寧に教えてくれた。知らない事が沢山あった。その手順自体がそうだし、デリバリーを注文したお客さんの住所連絡先を見るための暗証番号もそうだ。
それからコールセンターの人はウーバーの人を呼び戻す為に連絡を取ってくれることになったが、配達は爆速で完了しており、この場合ウーバーのコールセンターから出来る事はもう何もないということだった。しかし、ここで突き放す事はせずに、当店フランチャイズのデリバリー専用コールセンターの電話番号を教えてくれた。これもぼくたち従業員には知らされていない情報だった。
コールセンターの人はあからさまに気が動転しているぼくをなだめ、この番号にかければ大丈夫だからと励ましてくれた。感謝しまくりながら架電終了。
それから、すぐに専用ダイヤルに電話を掛けたかったんだけど、最悪商品をお客さんに直接配達しなきゃいけなくなった場合、ウーバーのコールセンターの人は従業員の判断によって受けるか断るか決めていいとは言っていたものの、現場の独断に激怒しないとは言い切れないのがうちの店長なので、まず店長に電話して状況説明し、配達とお客さんから言われたら配達してもいいか聞いた。超怒られた。めちゃめちゃ説教されたあと配達しろと言われた。説教されてる間も刻一刻と時間は過ぎて行くので、やっぱ事後報告にすればよかったと思った。
やっと当フランチャイズのデリバリー専用の相談ダイヤルに電話。絶対やらなきゃいけない事は、気づいたら専用ダイヤルに電話することとお客さんに直接謝罪の電話をすることで、この二つは欠かせないということだった。で、お客さんの意向で分岐が生じるということだ。
規約では入れ忘れの時の対応は謝罪の電話と返金対応のみと決まっている。ところがお客さんの強い意向で商品の直接配達対応をするという事が裏技的に出来ることになっている。フランチャイズ本部としてはあまりやりたい事ではないというのが、電話相手の口調から察せられるが、暗黙の了解なのでそこは深掘りしないでくれ感もビンビンに感じられた。
とりあえずまずはお客さんに電話して謝罪し、今回はPayPay払いであったため、返金はPayPayアカウントに入ることになるが10日間かかる事を必ずお客さんに説明するようにという指示をもらう。直ぐに電話した。
お客さんはコール0回で電話に出てぼくが謝罪の言葉を述べるのもサクッとぶった切って「配達で。」と言った。PayPay返金絶対許さない強い意志が漲っていた。
直ぐにフランチャイズの専用ダイヤルに再度電話し、配達になったことを伝えると、スムーズにお客さんの個人情報を閲覧する為のIDと暗証番号を教えてくれた。それから、なんとフランチャイズの専用ダイヤルは実はトラブル発生時にかけなくてもいい番号だという事を知らされた。
実は当フランチャイズにはデリバリーのトラブル発生時にかけるべき店舗ーコールセンター直通ダイヤルというのがあって、ここにかければこちらは店名を名乗る必用はなく店番を教える必要もないし、コールセンターに繋がる前の自動音声による用件検索もスキップ出来るのだ。今後直通ダイヤルにかける様に全従業員に周知してくださいということで架電終了。
急いで商品を用意した。熱々でお届けするはずだったのに冷めてしまったので調理し直しだ。調理しながら店長に電話をかけて、まためちゃめちゃ怒られた後、店長がいまちょっと出れるかな出れないかなと悩み始めた。もしかして店長が配達に行ってくれるのかなとちょっと期待したけどそんな事はなく、はよ行ってこぉ!と架電終了。ですよねー。
調理が終わったので自分のスマホでGoogleマップにお客さんの住所を入力したら、そこはだだっ広い更地のど真ん中だった。詰んだかもしれないと思ったが、テンパリ過ぎてアドレナリンどばどばになっていたので注文者がヤンキーとかで商品を持っていたら集団で囲まれてボコられたらどうしようと想像した割には怖いと思わなかった。仮にボコられた挙げ句に河川敷に埋められたとしても悪いのはヤンキーなのであり、ぼくに罪があるとしたらうっかり商品を一個入れ忘れた事くらいである。
自分の車に乗り、Googleマップにナビられて車道に出た瞬間に目的地が店から至近距離にあると知った。走った方が速かったかもしれないが、真っ暗で街灯の少ない夜道なので車で行って正解だったかもしれない。
マップでは更地だった場所は瀟洒な住宅街で、あの更地を10分割くらいにした土地にみっしりと夜目に見ても建ったばかりの家々が建っていた。でもマップには土地が分割された事が反映されておらず、どれがお客さんの家だか分からない。仕方なくお客さんに電話で聞いた。すぐ横にある、親切にも表札にスポットライトを当てているお家のすぐ隣だった。
インターホンを押したらお客さんはすぐに出てくれた。そしてぼくが謝罪の言葉を述べるのを「そういうのいいから。」とぶった切って商品をはやく寄越せと催促し、お渡しするとさっさと家の奥に消えた。
詰んでる。とぼくは思った。わりとよく当店に来るお客さんだった。この時間帯は当店が混雑しているのをわかっていて注文してきている。試しに注文してみたかっただけなのか、注文されたのは温度管理帯がバラバラの小さな商品数個だった。たった数個の注文なのに入れ忘れが生じたので、怒鳴ったり表情を変えたりはしない人だったがめちゃめちゃ怒っていたのがわかった。
思うに、お客さんは再配達を要求してきたけど、それで自宅にやってきたのが週に一度は見かけるうだつの上がらないいい年してアルバイトのぼくなんて展開になるとは想像もしてないし、望んでもいなかっただろう。たった一つの商品を規約を破ってまで届けさせた結果、近所の店の糞店員に住所連絡先が割れるとは思っていなかったはずだ。
これはフランチャイズ本部にクレームを入れられてもおかしくない案件だが、しかし大概は追い込み過ぎて逆恨みされる事を畏れて何も言わず、ただ当店の利用をやめることになるのだろう。
店に戻ると激しく混雑していて、相棒が一人で忙しく働いていた。ぼくはすぐ通常業務に戻りつつ、起こった出来事を思い返して今回初めて知った事、たまたまウーバーの人と短い会話をして偶然知った事を整理し、今後同じ事をやらかした時に最短でリカバリーする方法を考えた。空いた時間でミスコピーの裏に爆速で店長宛に報告書を書いた。
当店はフランチャイズ店といってもオーナーと店長以外は皆パートとアルバイトなので、何か大失敗をこいて始末書や報告書を書かされるという事がない。だいたいの従業員は報告すらしないだろう。取り繕ってなんとかなったなら尚更だ。
ぼくは個人的に仕事中に何かが起きたら全部報告しないと気がすまない質なので、このように何でも書いて残す。店長は、その度にありがとうと言って受け取りはするが、読んだのかどうか不明のままその辺に放置されているのが常だった。
今回の場合とくに大失敗こいたのがぼく自身なので、失敗の原因究明と解決方法をまとめる事は出来るけど、店長にはおまいうで突っぱねられるだけだろう。
でも、ぼくたち従業員には知っていないといざという時に困る事が一杯あったし、ぼくが今後の自分自身とバイト仲間たちのためにまとめる意義はありそうだが、対策マニュアルを作って持ってても知らないうちにポイされるのがオチかな。
あー、何で当店は一々ざっくりとした口伝に拘るんだろ。
まあ、失敗したぼくが悪いんだけどね……。
■39歳女、初めてのTLエロ同人 〜そして晒されました〜
仕事中に流す適当な音楽がなく、たまたまNetflixで見れそうなものを探していたのがきっかけだったような気がする。
恐ろしいほどハマった。ハマりにハマった。
出産を3ヶ月後に控えて、連日掲示板で仲間たちと展開について、キャラについて語り合い、拙い考察(笑)を書き込み、夢中になってアニメ及びその原作漫画について毎日考えていた。
時に熱く激論を交わし、時に世代の違う仲間からの深い批評に膝を打ち、時には無邪気な感想に思わず微笑んだ。ひとつひとつが思い出深く、素晴らしい日々だった。
そしていよいよ出産予定日を1ヶ月後に控えた頃、とうとうアニメの最終話が放映された。
寂しい。あまりにも寂しい。
悶々としてどうしようもない思いを抱え、大きな腹を揺らしながらごろごろと寝返りを打つ日々。
一体この気持ちをどうすれば?
原作コミックはすでに完結済みで続編も内容的に望むべくもない。アニメは再放送の予定は当分先であると発表された。
掲示板で語り合った仲間たちもいくらかトーンダウンし、書き込みの内容も他作品との比較やネタ的な冗談が混じり始めていた。物足りない。寂しい。寂しすぎる。
頭の中で、不安定なホルモンバランスと作品への愛がドロドロに混ざり合い、ある結論に達した。
そうだ、同人を作ろう。
それは最終話が放映された夜、12時間ほどかけて一気に書き上げられた。
ずっと頭の片隅に構想はあった気がする。
しかし本当に形になるとは思っていなかった。
不思議な情熱が全身を突き動かし、5000文字の掌編小説が書き上げられた。
なんだこれは。
なんでエロ?
しかしエロだろうがグロだろうがギャグだろうがなんでもいいのである。大切なのは作品への紛うことなき愛。そしてそれが形になったことではないか。
そう結論づけると、漫画、アニメ好きの漠然とした知識から、同人を投稿するべき場所を求めてネットを彷徨った。pixivである。
自分が学生の頃にはすでにあった気がする。エッチでいかがわしいイラストを投稿するサイトではなかったか?今は小説も投稿できる?アプリも存在する?ほう、ではやってみるしかないではないか。
なんとなく感覚的に進めてみる。
とても使いやすい。
コピペをして、適当にタグ付けをし、もちろん18禁作品なので、ゾーニングは間違えない。投稿ボタンを押した。
みるみる閲覧数が増えてきた。ほう、さすが放送日の直後である。みな供給に飢えている。なるほど。
なぜ???
何かを間違えたのだろうか。慌てて編集ページに入り、とりあえず付けられたタグを消してみる。タグ編集不可に設定を変更。
そうしているうちにメッセージが続々と入り始める。
何件かのメッセージを読んでいるうちに漠然と概要を理解しはじめる。どうやらエロは公式のタグを付けてはいけなかったらしい。理由は不明。しかし恐縮である。急いで外す。
さて、これでいいのだろうか。閲覧は止まることなく伸び続ける。1時間ごとに20-30ビューは増えただろうか。増えすぎである。少し不安になる。
何が起きているのか…。
そしてあるメッセージが入った。
「◯◯役声優の××さんのXアカウントに作品のリンクが貼られていますが大丈夫ですか?」
とりあえずアカウントは持っていないが、見るだけ見に行ってみる。リンクはどこに貼られているのだろう。よく分からない。しかし閲覧は伸び続ける。どうすればいいのか。
連続で入り続けるメッセージを読む。pixivの設定を、全体公開のR-18から、ログイン限定のR-18に変更すればいいらしい。言われた通りに変更する。一安心である。
少し閲覧数の伸びが収まってきた。
またメッセージが入り始めた。
どうやらキャラクターの年齢が問題らしい。(*実はこれは問題ではない。既にこの頃、同じキャラクターの18禁イラストが大量にアップされているのだが、この時筆者は知る由もない)
晒しの被害に遭わない為には、そのように対策された専用のサイトに行かねばならないとのこと。
言われるままにそのサイトに行き、アップしなおしてみる。
誰も見ない。
というか、誰もいないのである。
極端に人口が少ない。
書いた作品を誰にも見てもらえないのなら、発表する意味はどこにあるのだろうか?
うーむ。
しかも、先程から何度も連絡を入れてくる人々、やけにメールの口調が同じなのである。
もしかして、たった1人の人間が複数アカウントで連絡してきてる?
そんな気がする。
何しろ、同人歴はホヤホヤでもこちとらネット歴は20年である。もうだめぽの時代から2ちゃんねるにはお世話になっている。なんとなくネットの勘どころは、少しはある、はずだ。
とりあえず無視してみよう。
えっちな小説はとりあえずログイン限定設定にしておいて、続編を書いていく。爆速で書き上がる。
いろいろと葛藤はあったが、ちょっと攻めた設定のSM小説である。濃い。
濃くてナンボやろう。どうせ商業ではないのだし、好きなシチュエーションで好きなキャラをアンアンさせたいではないか。
年端も行かない美少女を縛り上げて過激なセックスである。ぐふふ。楽しい。これ以上に楽しいことがあるだろうか。股ぐらがいきり立つ(ないけど)。
反応はまあまあである。読者はいきなりの方針転換にいささか戸惑っている様子が窺える。
女性読者が多いのかもしれない。そういう市場の場合、女性が男性に過激に責められて喜ぶようなシチュエーションや陵辱ものは受け入れられにくいという素地はあるだろう。
しかも好感度の高い善人キャラが責めである。これは戸惑う人もいるかもしれない。しかしこれはあくまで伏線。次の話で盛大な種明かしが待っている。急いで続編だ。
そして入り始めるメッセージ。
◯◯◯◯というタグは取り下げてください!
はあ?
何が界隈か。お前の個人的な趣味だろう。嫌ならミュートしてくれ。編集さんにわざわざメールしたのもお前だろうが。仕事を増やすんじゃない。
お気に入りのキャラが女性キャラクターと一対一でアンアンしているのが気に入らないのだろうか
(念のため書き添えておくが、この記事は腐女子全てを悪として告発するものではない。筆者の友人にもウン10年腐女子をやっている歴戦の兵がいるが、今回の騒動については多大な助力を得ることができた。この場を借りて感謝を伝えたいと思う)。
無視して続編を書いていると、pixiv事務局から作品の盗作疑惑で連絡がはいる。
第二話が余程お気に召さなかったらしい。
通報元の作品と見比べても、盗作の可能性が高いとのこと。また権利を主張しているとのこと。
しかし事務局に確認するが、あくまで第三者からの連絡であるとのこと。
けっ。
この時筆者は産まれたばかりの子供の世話でてんてこ舞いである。幸い玉のような女児であったので難は免れたが、もし男児であったら名前は「同人」(なおひと)になっていたかもしれない。危ないところである。
私は普段メールの下書き機能で小説を書いている。よって初稿が書かれた日時を証明するのはとても簡単な作業であった。
自分なりに納得のいかない描写もあったので、一旦小説を削除してしまったのである。思い出しても悔やまれる。
第三話を書き上げ、第二話のリライトを終えて、同時にアップしたのが、夫の故郷への里帰りの前日である。
翌朝、新幹線の車内でビュー数が伸びていくのをニヤニヤと見守る。
人気キャラクターがおしおきされている第三話は、人気のカップリングというのもあり反応は上々であった。
荒らしから途方に暮れたようなメッセージが入る。またこいつか。
分かりました。では第一話と第三話はこのままで大丈夫です。でも第二話はマイピク専用に変更してください。
はあ?
マイピクなんているわけねーだろ。こちとら無頼のエロ小説書きじゃい!!!!!!
根拠不明の謎の命令口調を無視する。再度第二話が事務局により強制的に下書きに入れられる。
が、今日は返事が来ない。
しかし第三話のビュー数は伸びている。焦る。
ううむ。小説の内容は同じだし、通報のログには何も残っていないのだろうか?それにしてもこれは間違いなく私の書いたものだし、なんなら裁判でも証明できる。
そのことと、虚偽の「複数アカウント使用」の嫌疑によって私の初めての同人アカウントは事務局により凍結の措置となり、未だにその件に関しては解決していない。
慌てふためく私に、夫は絶対零度の瞳で告げた。
「とりあえず家に戻ってからにして。旅行中はpixivしないでくれる?」
今回の件で私が学んだことは
・荒らしはうざいが、待っていればいつかはいなくなるので、とりあえず脅されたら作品は下げて嵐が去るのを待ったほうがいい。
・問題が起きたら、1人で悩まず、同じジャンルの人になるべく相談しよう。
この3点である。
いまもって私のいる界隈で、この独断と偏見に満ちたバカタレによる乱暴狼藉はおさまっていないが、いつか必ず光明が見えてくることを信じている。
また追加で書いておきたいことが2点。
・何があっても、一回アップした作品は死んでも削除するな。下書きに取り下げておくだけでいいから。
(pixiv事務局は作品URLごとにログを保存しているらしく、削除してしまうと経緯が辿れなくなる可能性が高い)
・アカウントの転生を恐れるな。いいねやブクマの数は確かに惜しいが、それもまた努力で取り戻せるし、名前が分かっているのなら、転生時にユーザーさんにお礼のメッセージでも送ればいい。
せっかくのアカウントが、ビュー数が…!と葛藤する気持ちはよーく分かる。でも考えてみて欲しい。今が原始時代で、目の前にバチギレしたマンモスがいたらどうだろうか?アルファツイッタラーも、100万バズも、イーロンマスクも、ウォッチリストも、フォロワー数も、500userおめでとうも全て宇宙の彼方まで飛んでいくではないか?
つまりそれらは全てアドレナリンが生み出した幻想なのである。諸行無常。
もしみんなの同人ジャンルで同じような中傷、妨害、晒し行為があって、身近に相談できる人がいなかったら、小生に相談してほしい。
すぐさま解決できるとは言えないが、一緒に悩み、解決方法を模索することはできるはずだ。
どうか1人で悩まないでほしい。
連絡先はこちら:sarashi.stop@gmail.com
・作品を作るのをやめろ
・イベントに参加するのをやめろ
明らかなハラスメント行為が、1人、もしくはごく少数の加害者の暴走により行われていることが確認できた。
・pixivからポイピクに移動したところ、そちらも追いかけられて晒されたので、鍵をかけざるを得なくなった。
・ネットで繰り返し嫌がらせをされたので、イベントに参加する際にリアルでも何かされるのではないかと恐怖を感じた。
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Xをはじめとした、鍵を付けることができたり、コピペや晒し、虚偽通報などの嫌がらせ対策がされているSNSやプラットフォームに避難する、といったところだろうか。新しいアイディアや解決法をお持ちの方がいたら教えてほしい。
偶然、特定のカップリングを指向した・愛したというだけで晒しの被害に遭われ、他のカップリングの方が享受している権利(創作する権利、発表する権利、交流する権利)を制限され、精神的苦痛を受けた全ての同人制作者に、心からお悔やみ申し上げます。
仕事中に流す適当な音楽がなく、たまたまNetflixで見れそうなものを探していたのがきっかけだったような気がする。
恐ろしいほどハマった。ハマりにハマった。
出産を3ヶ月後に控えて、連日掲示板で仲間たちと展開について、キャラについて語り合い、拙い考察(笑)を書き込み、夢中になってアニメ及びその原作漫画について毎日考えていた。
時に熱く激論を交わし、時に世代の違う仲間からの深い批評に膝を打ち、時には無邪気な感想に思わず微笑んだ。ひとつひとつが思い出深く、素晴らしい日々だった。
そしていよいよ出産予定日を1ヶ月後に控えた頃、とうとうアニメの最終話が放映された。
寂しい。あまりにも寂しい。
悶々としてどうしようもない思いを抱え、大きな腹を揺らしながらごろごろと寝返りを打つ日々。
一体この気持ちをどうすれば?
原作コミックはすでに完結済みで続編も内容的に望むべくもない。アニメは再放送の予定は当分先であると発表された。
掲示板で語り合った仲間たちもいくらかトーンダウンし、書き込みの内容も他作品との比較やネタ的な冗談が混じり始めていた。物足りない。寂しい。寂しすぎる。
頭の中で、不安定なホルモンバランスと作品への愛がドロドロに混ざり合い、ある結論に達した。
そうだ、同人を作ろう。
それは最終話が放映された夜、12時間ほどかけて一気に書き上げられた。
ずっと頭の片隅に構想はあった気がする。
しかし本当に形になるとは思っていなかった。
不思議な情熱が全身を突き動かし、5000文字の掌編小説が書き上げられた。
なんだこれは。
なんでエロ?
しかしエロだろうがグロだろうがギャグだろうがなんでもいいのである。大切なのは作品への紛うことなき愛。そしてそれが形になったことではないか。
そう結論づけると、漫画、アニメ好きの漠然とした知識から、同人を投稿するべき場所を求めてネットを彷徨った。pixivである。
自分が学生の頃にはすでにあった気がする。エッチでいかがわしいイラストを投稿するサイトではなかったか?今は小説も投稿できる?アプリも存在する?ほう、ではやってみるしかないではないか。
なんとなく感覚的に進めてみる。
とても使いやすい。
コピペをして、適当にタグ付けをし、もちろん18禁作品なので、ゾーニングは間違えない。投稿ボタンを押した。
みるみる閲覧数が増えてきた。ほう、さすが放送日の直後である。みな供給に飢えている。なるほど。
なぜ???
何かを間違えたのだろうか。慌てて編集ページに入り、とりあえず付けられたタグを消してみる。タグ編集不可に設定を変更。
そうしているうちにメッセージが続々と入り始める。
何件かのメッセージを読んでいるうちに漠然と概要を理解しはじめる。どうやらエロは公式のタグを付けてはいけなかったらしい。理由は不明。しかし恐縮である。急いで外す。
さて、これでいいのだろうか。閲覧は止まることなく伸び続ける。1時間ごとに20-30ビューは増えただろうか。増えすぎである。少し不安になる。
何が起きているのか…。
そしてあるメッセージが入った。
「◯◯役声優の××さんのXアカウントに作品のリンクが貼られていますが大丈夫ですか?」
とりあえずアカウントは持っていないが、見るだけ見に行ってみる。リンクはどこに貼られているのだろう。よく分からない。しかし閲覧は伸び続ける。どうすればいいのか。
連続で入り続けるメッセージを読む。pixivの設定を、全体公開のR-18から、ログイン限定のR-18に変更すればいいらしい。言われた通りに変更する。一安心である。
少し閲覧数の伸びが収まってきた。
またメッセージが入り始めた。
どうやらキャラクターの年齢が問題らしい。(*実はこれは問題ではない。既にこの頃、同じキャラクターの18禁イラストが大量にアップされているのだが、この時筆者は知る由もない)
晒しの被害に遭わない為には、そのように対策された専用のサイトに行かねばならないとのこと。
言われるままにそのサイトに行き、アップしなおしてみる。
誰も見ない。
というか、誰もいないのである。
極端に人口が少ない。
書いた作品を誰にも見てもらえないのなら、発表する意味はどこにあるのだろうか?
うーむ。
しかも、先程から何度も連絡を入れてくる人々、やけにメールの口調が同じなのである。
もしかして、たった1人の人間が複数アカウントで連絡してきてる?
そんな気がする。
何しろ、同人歴はホヤホヤでもこちとらネット歴は20年である。もうだめぽの時代から2ちゃんねるにはお世話になっている。なんとなくネットの勘どころは、少しはある、はずだ。
とりあえず無視してみよう。
えっちな小説はとりあえずログイン限定設定にしておいて、続編を書いていく。爆速で書き上がる。
いろいろと葛藤はあったが、ちょっと攻めた設定のSM小説である。濃い。
濃くてナンボやろう。どうせ商業ではないのだし、好きなシチュエーションで好きなキャラをアンアンさせたいではないか。
年端も行かない美少女を縛り上げて過激なセックスである。ぐふふ。楽しい。これ以上に楽しいことがあるだろうか。股ぐらがいきり立つ(ないけど)。
反応はまあまあである。読者はいきなりの方針転換にいささか戸惑っている様子が窺える。
女性読者が多いのかもしれない。そういう市場の場合、女性が男性に過激に責められて喜ぶようなシチュエーションや陵辱ものは受け入れられにくいという素地はあるだろう。
しかも好感度の高い善人キャラが責めである。これは戸惑う人もいるかもしれない。しかしこれはあくまで伏線。次の話で盛大な種明かしが待っている。急いで続編だ。
そして入り始めるメッセージ。
◯◯◯◯というタグは取り下げてください!
はあ?
何が界隈か。お前の個人的な趣味だろう。嫌ならミュートしてくれ。編集さんにわざわざメールしたのもお前だろうが。仕事を増やすんじゃない。
お気に入りのキャラが女性キャラクターと一対一でアンアンしているのが気に入らないのだろうか
(念のため書き添えておくが、この記事は腐女子全てを悪として告発するものではない。筆者の友人にもウン10年腐女子をやっている歴戦の兵がいるが、今回の騒動については多大な助力を得ることができた。この場を借りて感謝を伝えたいと思う)。
無視して続編を書いていると、pixiv事務局から作品の盗作疑惑で連絡がはいる。
第二話が余程お気に召さなかったらしい。
通報元の作品と見比べても、盗作の可能性が高いとのこと。また権利を主張しているとのこと。
しかし事務局に確認するが、あくまで第三者からの連絡であるとのこと。
けっ。
この時筆者は産まれたばかりの子供の世話でてんてこ舞いである。幸い玉のような女児であったので難は免れたが、もし男児であったら名前は「同人」(なおひと)になっていたかもしれない。危ないところである。
私は普段メールの下書き機能で小説を書いている。よって初稿が書かれた日時を証明するのはとても簡単な作業であった。
自分なりに納得のいかない描写もあったので、一旦小説を削除してしまったのである。思い出しても悔やまれる。
第三話を書き上げ、第二話のリライトを終えて、同時にアップしたのが、夫の故郷への里帰りの前日である。
翌朝、新幹線の車内でビュー数が伸びていくのをニヤニヤと見守る。
人気キャラクターがおしおきされている第三話は、人気のカップリングというのもあり反応は上々であった。
荒らしから途方に暮れたようなメッセージが入る。またこいつか。
分かりました。では第一話と第三話はこのままで大丈夫です。でも第二話はマイピク専用に変更してください。
はあ?
マイピクなんているわけねーだろ。こちとら無頼のエロ小説書きじゃい!!!!!!
根拠不明の謎の命令口調を無視する。再度第二話が事務局により強制的に下書きに入れられる。
が、今日は返事が来ない。
しかし第三話のビュー数は伸びている。焦る。
ううむ。小説の内容は同じだし、通報のログには何も残っていないのだろうか?それにしてもこれは間違いなく私の書いたものだし、なんなら裁判でも証明できる。
そのことと、虚偽の「複数アカウント使用」の嫌疑によって私の初めての同人アカウントは事務局により凍結の措置となり、未だにその件に関しては解決していない。
慌てふためく私に、夫は絶対零度の瞳で告げた。
「とりあえず家に戻ってからにして。旅行中はpixivしないでくれる?」
今回の件で私が学んだことは
・荒らしはうざいが、待っていればいつかはいなくなるので、とりあえず脅されたら作品は下げて嵐が去るのを待ったほうがいい。
・問題が起きたら、1人で悩まず、同じジャンルの人になるべく相談しよう。
この3点である。
いまもって私のいる界隈で、この独断と偏見に満ちたバカタレによる乱暴狼藉はおさまっていないが、いつか必ず光明が見えてくることを信じている。
また追加で書いておきたいことが2点。
・何があっても、一回アップした作品は死んでも削除するな。下書きに取り下げておくだけでいいから。
(pixiv事務局は作品URLごとにログを保存しているらしく、削除してしまうと経緯が辿れなくなる可能性が高い)
・アカウントの転生を恐れるな。いいねやブクマの数は確かに惜しいが、それもまた努力で取り戻せるし、名前が分かっているのなら、転生時にユーザーさんにお礼のメッセージでも送ればいい。
せっかくのアカウントが、ビュー数が…!と葛藤する気持ちはよーく分かる。でも考えてみて欲しい。今が原始時代で、目の前にバチギレしたマンモスがいたらどうだろうか?アルファツイッタラーも、100万バズも、イーロンマスクも、ウォッチリストも、フォロワー数も、500userおめでとうも全て宇宙の彼方まで飛んでいくではないか?
つまりそれらは全てアドレナリンが生み出した幻想なのである。諸行無常。
もしみんなの同人ジャンルで同じような中傷、妨害、晒し行為があって、身近に相談できる人がいなかったら、小生に相談してほしい。
すぐさま解決できるとは言えないが、一緒に悩み、解決方法を模索することはできるはずだ。
どうか1人で悩まないでほしい。
連絡先はこちら:sarashi.stop@gmail.com
・作品を作るのをやめろ
・イベントに参加するのをやめろ
明らかなハラスメント行為が、1人、もしくはごく少数の加害者の暴走により行われていることが確認できた。
・pixivからポイピクに移動したところ、そちらも追いかけられて晒されたので、鍵をかけざるを得なくなった。
・ネットで繰り返し嫌がらせをされたので、イベントに参加する際にリアルでも何かされるのではないかと恐怖を感じた。
-------------------------------------
Xをはじめとした、鍵を付けることができたり、コピペや晒し、虚偽通報などの嫌がらせ対策がされているSNSやプラットフォームに避難する、といったところだろうか。新しいアイディアや解決法をお持ちの方がいたら教えてほしい。
偶然、特定のカップリングを指向した・愛したというだけで晒しの被害に遭われ、他のカップリングの方が享受している権利(創作する権利、発表する権利、交流する権利)を制限され、精神的苦痛を受けた全ての同人制作者に、心からお悔やみ申し上げます。
日中の生産性は、夜の過ごし方、特に「就寝」というクリティカルなタスクをいかに成功させるかにかかっている。本記事では、つい夜更かししてしまうエンジニアのために、早寝を「技術」として体系化し、再現性のある形で実践するための具体的な手法を探求する。これは精神論ではない。あなたのQoLと生産性を向上させるための、実践的なスリープエンジニアリングだ。
我々エンジニアにとって、夜は不思議な魅力を持つ時間だ。日中の喧騒から解放され、思考は冴えわたり、ゾーンに入りやすい。しかし、その魅力的な時間は、往々にして「早寝」という、人間の生存に不可欠な基本プロセスを犠牲にすることで成り立っている。
「リファクタリングが楽しくなってきた」
これらの探求心はエンジニアの美徳であるが、同時に我々を「睡眠負債」という深刻な技術的負債へと導く。本稿は、この負債を返済し、持続可能な開発(と生活)を実現するための「早寝」という技術に焦点を当てる。
早寝を実装する前に、まずは現状のアーキテクチャに潜むアンチパターンを特定しよう。
就寝前のスマートフォンは、まさに同期的なブロッキングI/Oだ。SNSの無限スクロール、動画プラットフォームの自動再生、チャットアプリの通知。これらは我々の意識というシングルスレッドを完全に占有し、本来実行されるべきsleep()プロセスへの遷移を妨げる。
深夜まで続くコーディングや問題解決は、脳を極度の興奮状態にする。ベッドに入っても、アドレナリンやコルチゾールといったホルモンがCacheに残り続け、CPUがクールダウンしない。shutdown -hnowを叩いても、プロセスが終了しないのだ。
「夜更かしの供」として注入されるカフェインやアルコールは、一見するとパフォーマンスを向上させるように見える。しかし、これらは睡眠の質という重要なmetricsを著しく劣化させる、誤った依存関係だ。特にアルコールは、入眠を助けるように見えて、実はレム睡眠を阻害し、睡眠のアーキテクチャ全体を不安定にする。
不規則な就寝・起床時間は、体内時計という最も重要なCronジョブを破壊する。毎日異なる時間に実行されるジョブが安定した結果をもたらさないのと同様に、不規則な睡眠スケジュールは、日中のパフォーマンスを予測不可能なものにする。
では、どうすればこれらのアンチパターンを排除し、安定した早寝pipelineを構築できるのか。ここではSleepas Codeの概念に基づき、具体的なプラクティスを紹介する。
毎晩、同じ手順で就寝プロセスを実行することで、入眠を自動化する。
-PC/スマホのシャットダウン: 最も重要なステップ。物理的に電源を落とすか、手の届かない場所(別のコンテナ)にdeployする。
- 入浴: 38〜40℃のぬるめのお湯に15分ほど浸かる。これにより深部体温が一時的に上昇し、その後の下降とともに入眠が促される。これはHot-swapならぬHot-bathによるクールダウンだ。
静的コンテンツの消費: 激しい思考を伴わない、静的な情報(紙の読書など)に切り替える。電子書籍ではなく、紙媒体が望ましい。
ストレッチ: 軽いストレッチで、日中のcommitで固まった体をreleaseする。
すべての準備が整ったら、ベッドという本番環境にデプロイする。余計な思考はgitclean -fdで強制削除し、呼吸に集中する。
例:「夕食後のコーヒーが原因だった」→「カフェインの摂取は15時までというSLAを設ける」
早寝は、単に体を休める行為ではない。日中の高いパフォーマンス、明晰な思考、そして創造性を維持するための、最も効果的で再現性の高い「技術」だ。
我々はインフラをコードで管理し、CI/CDでデプロイを自動化するように、自身の睡眠もまた、技術と工夫によってコントロールできる。今夜、あなたのwhile(true)なループをbreakし、持続可能なパフォーマンスを手に入れるための第一歩を踏み出してほしい。
Happy sleeping!
日中の生産性は、夜の過ごし方、特に「就寝」というクリティカルなタスクをいかに成功させるかにかかっている。本記事では、つい夜更かししてしまうエンジニアのために、早寝を「技術」として体系化し、再現性のある形で実践するための具体的な手法を探求する。これは精神論ではない。あなたのQoLと生産性を向上させるための、実践的なスリープエンジニアリングだ。
我々エンジニアにとって、夜は不思議な魅力を持つ時間だ。日中の喧騒から解放され、思考は冴えわたり、ゾーンに入りやすい。しかし、その魅力的な時間は、往々にして「早寝」という、人間の生存に不可欠な基本プロセスを犠牲にすることで成り立っている。
「リファクタリングが楽しくなってきた」
これらの探求心はエンジニアの美徳であるが、同時に我々を「睡眠負債」という深刻な技術的負債へと導く。本稿は、この負債を返済し、持続可能な開発(と生活)を実現するための「早寝」という技術に焦点を当てる。
早寝を実装する前に、まずは現状のアーキテクチャに潜むアンチパターンを特定しよう。
就寝前のスマートフォンは、まさに同期的なブロッキングI/Oだ。SNSの無限スクロール、動画プラットフォームの自動再生、チャットアプリの通知。これらは我々の意識というシングルスレッドを完全に占有し、本来実行されるべきsleep()プロセスへの遷移を妨げる。
深夜まで続くコーディングや問題解決は、脳を極度の興奮状態にする。ベッドに入っても、アドレナリンやコルチゾールといったホルモンがCacheに残り続け、CPUがクールダウンしない。shutdown -hnowを叩いても、プロセスが終了しないのだ。
「夜更かしの供」として注入されるカフェインやアルコールは、一見するとパフォーマンスを向上させるように見える。しかし、これらは睡眠の質という重要なmetricsを著しく劣化させる、誤った依存関係だ。特にアルコールは、入眠を助けるように見えて、実はレム睡眠を阻害し、睡眠のアーキテクチャ全体を不安定にする。
不規則な就寝・起床時間は、体内時計という最も重要なCronジョブを破壊する。毎日異なる時間に実行されるジョブが安定した結果をもたらさないのと同様に、不規則な睡眠スケジュールは、日中のパフォーマンスを予測不可能なものにする。
では、どうすればこれらのアンチパターンを排除し、安定した早寝pipelineを構築できるのか。ここではSleepas Codeの概念に基づき、具体的なプラクティスを紹介する。
毎晩、同じ手順で就寝プロセスを実行することで、入眠を自動化する。
-PC/スマホのシャットダウン: 最も重要なステップ。物理的に電源を落とすか、手の届かない場所(別のコンテナ)にdeployする。
- 入浴: 38〜40℃のぬるめのお湯に15分ほど浸かる。これにより深部体温が一時的に上昇し、その後の下降とともに入眠が促される。これはHot-swapならぬHot-bathによるクールダウンだ。
静的コンテンツの消費: 激しい思考を伴わない、静的な情報(紙の読書など)に切り替える。電子書籍ではなく、紙媒体が望ましい。
ストレッチ: 軽いストレッチで、日中のcommitで固まった体をreleaseする。
すべての準備が整ったら、ベッドという本番環境にデプロイする。余計な思考はgitclean -fdで強制削除し、呼吸に集中する。
例:「夕食後のコーヒーが原因だった」→「カフェインの摂取は15時までというSLAを設ける」
早寝は、単に体を休める行為ではない。日中の高いパフォーマンス、明晰な思考、そして創造性を維持するための、最も効果的で再現性の高い「技術」だ。
我々はインフラをコードで管理し、CI/CDでデプロイを自動化するように、自身の睡眠もまた、技術と工夫によってコントロールできる。今夜、あなたのwhile(true)なループをbreakし、持続可能なパフォーマンスを手に入れるための第一歩を踏み出してほしい。
Happy sleeping!
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生とコーチに虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし貯金も聞く限りなさそうだったし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下に生まれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
■
受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
清掃バイト先でもふんわりとイジメというか嫌味を言われることが多かったです。寡黙でキョドキョドしているので「昔いじめられてたんじゃない笑」「空気悪くなる」「顔可愛いよね(お世辞でも言わないレベルで奇形です)」優しいおばあちゃんが場を仕切っていたので業務に差し支えはありませんでしたが。
■
自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
オーバーウォッチに出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。
エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。
ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
■
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
■
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。
その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
■
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。動ける認知症だったのでかなりハードな介護で母親はノイローゼ気味で、統失の症状も増えていたように思います。介護期の自分は抑鬱が酷く判断力も低下しておりあまり手伝えていませんでした(まだ鬱とかの自覚がなかった)自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
■
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
常にフラバに怯え、特発性傾眠に怯え、虚無感と希死念慮に怯えて覚醒時間を過ごしています。過眠症で10〜20時間寝るので生産的なことがまるでできません。眠剤が上手く作用しない時は悪夢が来るので寝るだけで疲れます。
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
■
みんなみたいに友達がほしい
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
ぼんやりつらいなーと、人格否定されたり不幸が続いて思ったので人生をまとめて現状を言語化してみた
まだ記憶が曖昧な頃ですが、保育士に備品に傷を付けた件で猛烈に叱られたことを覚えており、今でも思い出して身体が固まります。
「死」という概念を知りどうしょうもない恐怖に苛まれ、家族も自分もいずれ何もかも死ぬんだ、どうせ苦しんで死ぬのに勝手に生み出すなんて酷いと両親を呪い始めたのがこの頃からだと思います。
母親が育児ノイローゼになり、仕事を辞め、家賃が安いエリアに引っ越し幼稚園へ行くことになりました。
特にイジメなどは自分の主観ではありませんでしたが、遅刻癖とぼんやりとした不快感不安感を抱えて過ごしていました。
区域が近い女子生徒3人と登校することになりました。ウマが合わないのか失言をしたのか(1人が父親不在家庭だったためそれを聞いたのが引き金かな?と思いますが幼少期なので理由はわかりません)ハブられを受けました。登校時は親の目があるので特になにもしませんが帰宅時は先に進んでニヤニヤしながらこっちを見てきて自分が近付いてきたらまた遠ざかってうわ来たwみたいなことを言ってくるタイプのハブられでした。ある日限界になって泣いたら収まりましたが、当時の自分はまた友達に戻れたと馬鹿正直に思っていました。
休み時間に遊ぶ仲良しグループでハブられました。態度が偉そうだからクビとリーダー格の女子に言われ、行く場所がないので毎日休み時間は下駄箱の前で泣いていました。
高学年になるとそれまでよりも上手く立ち回れるようになり、中学受験組が内申を気にし始めたのか目立った奇行をする子供も減りなんとか他人と談笑したり図書室や階段の踊り場に避難したりするようになりました。それでも学校にいるのはつらかったので定期的にトイレで泣いていました。
しかしこの頃から父親がアルコール中毒の片鱗を見せ、母と常に深夜まで喧嘩していました。DSで見れるインターネットのアニメ・マンガの二次創作サイトだけが心の拠り所でしたが、定期的に没収されたり壊されたりしました。居場所はありませんでした。
親がうるさくて気が滅入る、なんだかめんどくさいという抑鬱症状であまり風呂に入れなくなり担任に度々注意されました。
地域の繰り上がり中学校に入学。制服は買ってもらえましたが入学して校章のピンズ500円かかることが判明しました。祖父母のお年玉以外のお小遣いをもらったことがないので買えませんでした。校章をつけてない自分は担任に指導室に呼び出されました。結果的に教師からピンズを貰ったのですが、それから発達かボーダー?で1日1回は歩き回ったり暴れたりして授業がおじゃんになるような生徒が何回席替えしても近くに配置されました。この中学校には支援級のようなものはなかったです。
このストレスで過敏性腸症候群を発症し学校にいる間はおならが止まらなくなるようになりました。病院には行かせてもらえなかったです、金が無いらしいので
ある時休み時間に走り回る他害くんが近付いてきたので怖くて反射で突き飛ばしました 暴力沙汰として指導室に呼び出されました。一方的に詰められあの生徒に配慮をしろと言われしんどくなって泣きました。
多分そこで明確に学校側からの監視対象になったんだと思います。
父親のアル中が悪化し家庭内は荒れに荒れました。なんかずっと物が飛び交ってた気がします。同時に母親も現在ネットでよく見るような陰謀論、統合失調症のような言動が増えました(盗聴器、車が追いかけてくる、創価の集団ストーカー、盗撮されてる、喋った言葉が迷惑メールに反映されてるなど)かなり社交的な人でしたが段々と塞ぎ込んでいきました。
あの頃からずっと離婚したい離婚したいと叫んでいる母親の姿を鮮明に思い出せます。死ぬ間際まで同じことを言っていたので。私の存在のせいで離婚に踏み切れなかったのか、経済的に不可能で諦めていたのか、もう死んでいるので聞けません。
最終的に小便を撒き散らしながら外で暴れた父は警察を呼ばれ閉鎖病棟行きになりました。
この時期は精神が限界だったので正直仔細をよく覚えていません。
同時期に自分は軟式テニス部で先輩と同級生に虐められてました。仲良しグループと一緒に入部したので抜けられなかったです。(今思えば自分にだけ強い球を出しからかわれ雑用にこき使い物を隠されたりしてたのを静観してただけのあの人たちは仲良しでもなんでもないな)でも当時はその人たちしか人間関係がなかった。3年になってやっと登校を共にしていた人と一緒に部活を抜けられました。その人と一緒に美術部に入りましたがその人は先に男女グループに入り、自分は既存グループや後輩グループにも入れず一人で下手な漫画絵をカリカリ描いてるだけの時間を過ごしてました、結構つらかったです、自分にだけ男女グループで付き合ってるとか遊びに行ったとかの情報回ってこなかったし、校外部活動は一人だったし
同級生と話を合わせるために好きな人がいる設定を作ったり流行りの漫画を履修するためにブックオフに通ったりの努力をしましたが居場所はなかったです
常に疲れており、死にたかったです。
両親に生活保護の申請を打診しましたが謎のプライド発揮して申請してなかったですね。自営で年収300万に届いていなかったし世帯主は閉鎖病棟ぶち込まれたし入れ違いに働き始めた母親もそんなに貰ってなかっただろうし通りそうでは?とは思うんですけど今でも。
頑張って揃えた漫画を全て売られていた時はもうそういう星の下にうまれたんだなと何も感じませんでした。
3年になって受験のために塾に通う必要が出てきましたがそんな金はないため、市の「志望校に受かったら助成金返済不要」制度を使って通いました。同級生がいそうな地元の塾に行くのはいじめられそうで怖かったので2駅先の塾に自転車で通いました。落ちたら終わりなので退路がなくてつらかったです。塾は進学校コースに女子4人クラスになりましたが自分だけ明らかに浮いてて会話についていけてませんでした。担当の若い男性教師にはオタク趣味を開示してないのに「◯◯さんって腐女子?(笑)」と言われました(その時代の腐女子は汚い芋女オタクみたいな意味が強くあった)他クラスも混じっての談笑の場でも会話に入れず浮いてましたね。
受験の時期に謎に担任に呼び出されて素行不良で内申を下げると言われました。意味が分からなかったしこのままでは中卒になると絶望して号泣発狂しました。後から聞きましたが担任は自分の周りの生徒にあいつは危険だから関わるなと触れ回っていたらしいです。高校は受かったから内申はなんとかなったんですかね
そういえば中学時代学校以外で誰かと遊びに行ったとか1回もないな〜
結果的に都内で偏差値60程度の平均よりちょっとマシくらいの公立高校に進学しました。これも自転車で20分だったのでまた私立高生や電車通学生より圧倒的に「金がかからない」人間になれました。学費は出してもらえることになりました。お小遣いはないのにバイトは禁止されました。
周囲は"つまらない学校"と自虐する風潮がありましたが自分にとっては義務教育動物園より治安が圧倒的に良く陽キャが褒めそやされるわけでもなく陰キャがイジメられるわけでもない"そこそこの知能と常識を持つ者のつまらなさ"が集う場所は今までで2番目にマシでありがたかったです(1番は現状、年単位で人と会話しなくてもいい引きこもりのこの現状です)自分のようなつまらない人間がいてもいい場所でした。陰キャなりにオタクっぽいグループにも属せて、美術部に入ってオタクの話をして、ただ会話してくれる人間はいましたが1番の友達になってくれる人はいませんでした。みんなそれぞれ楽しくて面白くて魅力のある人間関係を既に築いており、自分のような低能の入る隙はどこにもなかったです。
同時に入学頃からもう発達が炸裂し始め、(入学前の必須勉強をしない、遅刻、傾眠、易疲労、無断欠席)帰宅後即疲労で寝る生活を繰り返し全く勉強も出来なくなりました。 無事呼び出しをくらいまくる劣等生と化しました。3年の単位は本当は赤点だし追試や追加レポートも出してないのに何故か卒業したので謎の慈悲をかけられたのだと思います。職員室の前であいつはもうどうしようもないと言っているのが聴こえました。
受験は入学金を期日までに払い忘れ(そもそも私立に行く金はないと言われ国公立に行く学力もあのありさまなので無く)他県の公立を受験しに行き遅刻して当然落ち、浪人し、バイトして金を溜めましたが毎日疲れて寝ていたので勉強は全くせず見かねた父親が通信制大学(学費が30万くらいで安い)を勧めてきたので仕方なくそれにしてまた「金のかからない」人間になりました なんで子供にせめて大卒資格は取れと言うのに大学の金出さないんだろうとは思いましたがどうせ元アル中の他責の未診断ASDで話が通じない相手だし暴れられてもダルいしどうでもよかったです 自分は私立の大学に親金で行ったくせに。
キラキラ大学生活を見るのが苦しくて数少ない高校の知り合いのいるリア垢からログアウトし、誰とも連絡を取らなかったのでその後10年ほど誰とも会いませんでした。特に声をかけられるわけでもなかったのでつまらない人間性を強く実感しました。
自由な時間と金ができたこのタイミングでスプラトゥーンに出会いました。はじめてつらい現実を忘れ熱中出来るものに出会いました。1000時間くらいやりました。実況配信も見始めました。好きなものを楽しそうにやっているコミュニティは煌めいて見えました。勉強はしませんでした。
オーバーウォッチに出会いました。5000時間以上やりました。1日10時間以上やってました。
エーペックスに出会いました。その後上に同じくです。
ヒプマイの流行経由でハイローを観ました。数年ぶりにバイト以外で外出し映画を見に行きました。5年ほどROMだったツイッターを作り二次創作をはじめました。
その後熱が冷めてきた頃に母の様子がおかしいことに気づきはじめました。
3年前母親が腹水の溜まった状態でみつかり余命一ヶ月と言われ、介護が始まりました。
妊婦のように膨れた奇形の姿はフラバする都度目眩がし視界が暗くなります。
自分は同じ部屋で暮らしながら何となく気付いていながら何もしなかったので、自分が殺したようなものです。
その頃自分はずっと寝続けて週一でバイトしてゲームで現実逃避する生活だったのでトイレ飯風呂以外で部屋から出ずエンカウント頻度はあまりありませんでした。
母の部屋は壁や家具が糞便に濡れゴミ屋敷だったと掃除した父親が言っていました。自分の部屋もゴミ屋敷なので認知が歪んでいて良く分からなかったです。
救急車で運ばれ余命宣告された日に凄まじい感情の波に襲われ(今思うとあれが人生で1番の発狂だったと思う)次の日はじめて精神科へ行き抗鬱剤と抗不安剤を出されました。
母が死ぬ、世話をせねばならないのに傾眠は治まりませんでした。近くで痛い助けてと叫ばれたり父に揺すられても起きれません。ケアマネの人には合鍵で入ってもらってました。
介護は主にオムツ替え、薬の処方、身体の清掃、食事提供、絶叫が聞こえたら医療用麻薬の貼り付けなどです。非力なので腹が膨れた人間の体勢を変えられず何度も本人から使えねえと言われ突っ張り棒か何かで叩かれました。
自力で介護用ベッドから這い出ようとして落ちた母親をどうしても持ち上げられず、そのまま放置した時は酷い罪悪感に苛まれました。
母が死にました
翌日喪服のまま同人誌即売会に行きました。その頃よすがにしていたカプのオンリーでした。絨毯買いしましたが今も大半は読んでません
多分ハマっていると思い込むことで全てから逃げていました 人生の己の選択全てがそうなので、そうなんだと思います
半年ほど寝たきり半絶食状態になり体重が33キロとかになって肋骨が浮いててウケました。常に悪夢を見るようになり寝るだけで疲れ、起きてもフラバが続き、全てが恐ろしくなり、不眠と過眠を同時発症しました。
眠剤が出され始めました。
母本人は骨は海に撒けと言いましたが娘が父方の親戚との縁を切らさないためにと骨は秋田の墓に入れることになってました。骨壺ごとではなく骨は他の人と纏めてザラザラと同じ墓に入れる風習だそうです。あんなに憎んでいた父といずれ一緒くたにされるのはあまりにも憐れだと思いました。
なので骨壺から全部骨を出して畳に並べて全てに紫のペンでマークをつけました。途中で帰宅を早めた父に見つかり死人を侮辱するなと怒鳴られました。生きてる間はなにもしなかったくせに。
その後誰もいない時また骨壺を開けて形のいい
納骨時に最後に入れるはずの喉仏の骨(あれ本当は喉仏じゃないらしいですね)が中にはいってないのに気づいたお坊さんの怪訝な顔は面白いので今でも思い出せます。
骨は硬いカルシウム剤の味がしました。しまってその後は開けてないので今見たらカビてるかもしれません。海に撒けと言っていたのに、憎んでいた父方の墓に入れられたのに今はタッパーに入れられてるなんて哀れであとちょっと胸のすく思いがします。
寝たきりのままですが1ヶ月ほどして少しずつ絵を再開しました。ゲームをすると親を見殺しにしたのにお前はのうのうと遊ぶんだという思考に飲まれドーパミンが出なくなったから仕方なくでした。手を動かしているとある程度の頻度で過集中しフラバが来づらくなり、あと絵を描くことは別に楽しいと思わないから、体力も消耗しづらいから、仕方なくです。本当に絵ってつまらないし出来上がったものもつまらない
waisを受けました。結果凹凸ありボーダーな感じでその時確定で発達とは言われませんでした。
その後機会があり診断書を書いてもらいました。鬱ASDADHDでした。過眠不眠が無いのが意外でした。
同時に提出用の自分の人生と症状を書き連ねる作業をしました。客観的に見る人生はあまりにも無価値で無様で半狂乱になり泣きました。
1年後祖母が死にました。元々北海道にいた徘徊認知症で、トラブルを起こす度に母が飛行機に乗って処理して手を焼いていたので東京に越させ母親と自分が自宅介護していましたが母が死んでから叔父のもとで施設入居していました。それ以前はかなり地域支援センターにお世話になりました。自分の気力がわかず外に出れず母の葬式の時から一度も会えずに、死にました。後悔しています。
ここまで来てようやく己の弱者性と未来のなさを本当の意味で受け入れ始めました。
同時にもうどうでもいいやと非常に破滅的で反社会的な行動を繰り返すようになり、そういう自分を良心に苛まれながらも開きなおって肯定しようとしています(詳しくは書けません)
特に何も楽しくないです。何かを楽しいと思ったこともないです。母親が死んでからゲームを人生から奪われたのでドーパミンもアドレナリンも意識して出せません。何かの虚構コンテンツに熱狂するふりをして生の苦痛と覚醒している時間を誤魔化しています。
"みんな"が楽しそうにしていることの中で一人で出来るものを真似して自分は今快楽を得ているんだと思い込もうとしています。
絶っていた人間関係を少し回復させて"交友関係のある健常者"になろうと努力するフリをしています。
核兵器になれないなら早く殺せよ。
生きたくないというより苦痛はもう要らない
お前たちは何が良くて生きてるの?気持ち悪いんだよ
己が裁かれますように。
突然、顔面が熱くなった。体は寒くて仕事中だったためアドレナリンが活発なのか?程度で過ごしていたが、生理が不規則になるし、もしかしたらと思い婦人科に受診。そこで更年期障害と告げられた。
そのあとは漢方で乗り切る形で過ごしているがホットフラッシュ、イライラする、突然不安になる、体は疲れているのに落ち着かないなど症状は身体症状より精神症状が強い状況。
当然、周りの家族も距離を置き始めてしまい、迷惑をかけてしまう一心で私も距離を置いてしまう。
まずはウオーキングを開始してみた。一人で1時間程度から始めてみた。
そして今思っていること、やりたいことなどを紙にかいて常に整理することをしてみた。