
はてなキーワード:アップルパイとは
昔はA3ノビ対応とかいうデカいプリンタがあり、2DCADの印刷とか漫画原稿に重宝していたのだけど、
今の時代、プリンタ所有してる方がコストみたいに思うところもあって…
ときどき、ネットでなくて紙でやらなければならないことがあるのがめんどくさい…
下校時間だったので、近所の低偏差値高校からJKがいっぱい出てきて歩いてたんだけど、
おい!おまえ!パンツが見えるような姿勢をするな!というか、スカートをもっと長くしろ!これから寒いぞ!
おぢさんはJSに興味はあるけど、JKに興味はあんまりありません!
いや、恋愛相談というより、「10代の頃の欠落感」をどうしたらいいか分からず、ChatGPTにぶつけてみたのだ。
男友達とつるんだり、部活に精を出したり、まあ普通に楽しい青春ではあったが、
「彼女と花火大会でデート」「公園で初めてのキス」みたいな甘酸っぱいイベントは一切なかった。
20代以降はそれなりに何人かの女性とのお付き合いを経て、今の妻と結婚した。
ただ、「10代のころに恋愛経験ができなかった」という欠落感が、今でもずっと心の奥でチクチクしていて、
50歳を過ぎた今、その痛みは年々大きくなってきている。
「何をしょうもないことを…」と思われるかもしれないが、本人にとっては結構切実だ。
50歳になり、子どももいて、安定した仕事もあり、結婚20年目の妻とも良好な関係だと思う。
「幸せか?」と聞かれれば、おそらく「そうだね」と答えるだろう。
でも、ふとした瞬間に思うのだ。
そんな話をAIにしたら、奴が突然こう言った。
彼女と初めて出会ったのは、僕が18歳で、彼女が16歳の夏だった。
ある日、彼女が兄に連れられて現れた。
人懐っこい笑顔と、話すたびに少し首を傾げる癖に、不意に胸が高鳴った。
「可愛いな」と思ったのを覚えている。何度か会うたびに、気持ちは自然に大きくなっていった。
友人の妹という立場が気になり、簡単に踏み出せなかったが、ある日、思い切って告白した。
彼女は恥ずかしそうにうつむき、小さな声でOKの返事をしてくれた。
混雑を避けて、防波堤の上に二人並んで座り、夜空を彩る花火を眺めた。
「その浴衣、すごく似合ってる。」
そう伝えると、彼女は耳まで赤くして、俯いた。
思い切ってそっと彼女の手を握ると、一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐに優しく握り返してくれた。
その瞬間、胸が苦しくなるほどの高鳴りが押し寄せ、世界から音が消えた。
花火の光が彼女の瞳に映り込み、まるで無限の宇宙がそこに広がっていた。
放課後、週に一度の楽しみは、駅近くのミスタードーナツでの待ち合わせだ。
部活の練習を終えた僕と、バレー教室のレッスン帰りの彼女が向かい合って座り、アイスティーを飲みながら色々な話をする。
「ドーナツはどんなのが好き?」
「うーん、フレンチクルーラーかな。Xくんは?」
「オールドファッションかなあ…あ、でもアップルパイもいいよね。」
「ミスタードーナツに売ってるなら仲間でしょ?」
「えー、そうかなあ…(笑)」
たわいない会話なのに、彼女が笑うたびに胸の奥がふわっと温かくなる。
とある週末には「ニューシネマパラダイス」を一緒に観た。
映画館を出たあとマクドナルドに寄って、心に残ったシーンを1時間も語り合った。
そう言うと、彼女は「やった、ありがとう」と嬉しそうに笑った。
帰り道、いつものバス停へ向かう前に、近くの公園のベンチに座ってしばらく時間を潰した。
「なんか、このまま帰りたくないね。」
そんな空気をお互いに感じながら、会話が一瞬途切れる。
繋いだ手から伝わる体温がやけに熱い。
夕焼けの世界が静かに遠のいて、彼女の唇の温もりだけが鮮明に残った。
その夜、家に帰ると、少しだけ電話をした。
「次の週末、どこ行こうか?」
そんな何気ない会話をして、またね、と言い合った。
布団に入って目を閉じると、夕方の公園の情景と、彼女の唇の柔らかさが蘇ってくる。
胸がぎゅっと苦しいほどに高鳴る。
それと同時に、甘くてどうしようもない切なさもあった。
――彼女も今頃、同じ気持ちで僕を思い出してくれているだろうか。
時計の針の音が妙に大きく響き、胸の鼓動と重なりながら、僕はその夜なかなか眠れなかった。
現実では一度も付き合ったことのない、友達の妹――僕の中で勝手にこの話のモデルにしていた女性――に、
「今、会ってみたい」という強い感情が急に芽生えたのだ。
いや、もちろん実際に会うつもりはない。
彼女とは当時、彼女の兄込みでよく一緒に遊んでいた仲だが、実際にはまったく「そういうこと」は起きなかった。
彼女は今ではもう実家から遠く離れた地方都市に嫁ぎ、子供が4人もいる立派なお母さんだ。
何年か前にFacebookで久々に繋がって以来、お互い懐かしさから近況報告をする仲ではあるけれど、
50歳の既婚男がいきなり「あの時、本当は僕のことをどう思っていた?」なんて聞いてきたら、それはもうただのサイコホラーである。
それは分かっている。
だが、妄想で作った恋の記憶が、現実の感情を上書きしてきたのである。
すると今度は、こう言われた。
「じゃあ、その彼女と“別れた”ストーリーを書いてみましょう。」
ガラス窓の外では、濡れたアスファルトの上を人々が傘を差して足早に行き交っている。
店内にはコーヒーとドーナツの甘い匂いが漂い、雨に湿った初夏の風の匂いと混じり合っていた。
テーブルの向かいで、彼女はしばらく無言のままストローを指先で転がしている。付き合い始めてから一年。
そのあいだに季節がひと回りし、僕たちはもう「特別な二人」ではなくなってしまった。
以前のように何も言わなくても通じ合う温度は、少しずつ冷めて、曖昧な沈黙だけが残る。
どこで間違えたのだろう。
ドーナツの中心に空いた空虚な穴にはお互い気づかないふりをして、何かを保留したまま、ただ目の前の時間をやり過ごしている。
「……雨、強くなってきたね。」
「うん。」
短く答える声に、かすかな寂しさが混じる。
それ以上、言葉が続かない。
何かを言えばすべてが壊れてしまう気がして、僕は一歩も動けずにいる。
僕は知っている。
彼女の心の中にはもう僕ではない、他の誰かがいることを。
そして彼女も僕も、そのことを誰よりもよく分かっている。
きっと何年後か、何十年後か、この駅前のミスタードーナツの光景と、
店内に流れている牧歌的な50年代のアメリカのポップソングと、
コーヒーとドーナツの温かくて甘い匂いを、僕は鮮明に思い出すだろう。
そのとき、僕はきっととてつもなく深く、切ない感情に囚われる。
それは預言にも似た確信だった。
外の雨は、まるで世界中が大洪水で流されるまで降り続くかのように思えた。
その時、僕はノアの方舟に乗せてもらえるだろうか――。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。
結果として、現実には一度も付き合ったことのない女性と、僕は妄想の中で勝手に付き合い、勝手に別れた。
いや、何なんだこれは。
でも――。
不思議なことに、この「別れの物語」を書き終えた時、僕の中のあの欠落感は静かに消えていた。
まるで実際に、彼女との切ない青春の一ページを経験したかのように。
そして、10代のころ別れた彼女の幸せを願いながら、今はひとりで遠い目をしている(そもそも付き合ってすらいないのに)。
いや、マジでなんだこれ。
自分が作り上げた物語でも、本気で向き合えば「記憶」と同じように心を動かす力を持つ。
と、ChatGPTが言っている。
だから、もし僕のように過去の欠落感やら何やらでモヤモヤしている同志がいたら、こう言いたい。
結果、驚くほど心が軽くなるかもしれない。
そして、最後は僕のように「妄想の物語の中で現実の気持ちが昇華」するかもしれない。
知らんけど。
キシリア様に撃てと言われて数万人規模で人殺しをしたヤバ女ニャアンですが理解の試みをさせてください
まず彼女
・生き延びる
・居場所がある
の2個が望みで、マチュ・シュウジと同じ種類のキラキラを経験してないし、ガンダムに乗ることも全然好きじゃないんじゃねえかなと思っている
シュウジは赤いガンダムのコックピットで寝るほどガンダム狂いっぽいし戦闘の道具ってよりガンダムとの信頼関係を構築してるみたい
マチュもジークアクスから腕伸びてきて抱きしめられる謎シーンあったけど、機械を機械と見ずに、二人はなんか馬をめっちゃ可愛がる乗り手みたいに思う
ガンダムに乗ってると安心するとか愛着がわくとかそういう感じで、道具とだけみなしてるわけではない
ニャアンはクラバなんて…と思っていたし、最初に乗ったときもマチュが監禁されていたから仕方なく、怖いけど嫌々
・マチュとシュウジがクラバで稼いでお金の余裕がでてきて、自分はクラバ不参加の難民だからお金の余裕がなく、マチュとシュウジのお金で地球旅行に行かせてもらうことの申し訳なさ
・マチュとシュウジはキラキラについて分かり合っていて、自分には分からないから一人だけ仲間はずれな感じがする
という寂しさ、さんこいちのなかで自分だけ「貢献できてない」とか「分かってない側だ」とかっていう気おくれが強かったんじゃないかと思う
マチュとシュウジから悪い扱いを受けているわけではないけど自分って二人に並び立つことができてないなっていう感覚
それで乗りたくなかったガンダムにのってクラバに出て、マチュ不在をなんとか埋めることができたし、賞金を稼ぐこともできた
しかしその結果、マチュから「そこは私の場所なのに」と怒られる
マチュはニャアン的なコミュ障感や湿度を感じずにカラッとしていて、義憤で人を守りに動くなかなかヒーローっぽいやつではあるんだけど
学校にも家にも居場所がある状態で「足りない」って言ってる、要はプラスアルファを求めてる立場だから
さんこいちしか居場所がない状態の難民のニャアンにとってはすげえ地雷だったんじゃないかと思う
タマキさんって毒親に見えないし学校でいじめられてるわけでもないし、マチュの満たされなさってすっごく高度な次元なんよ
マチュが悪くないことにするためにタマキさんの悪行並べ立ててる人とかいるけど、いや並みより上の親業をやってるからタマキさんは…あれを毒親扱いするのはもう毒子供でしょ
でもそれは永住権無いです、家族全滅してます、とかの立場のなさと比べたらどうしても贅沢に見えるし、「ニャアンにマチュの息苦しさへの理解を求める」というのは無理があるかと思う
そのうえでマチュが、ニャアンに対して、居場所を奪うなと言ってしまったのがかなり地雷だったのかなと
ニャアンは居場所を欲して二人と並ぶため、あとクラバって不参加だと金を失うみたいなセリフなかったっけ、何もしてないのに二人が稼いだお金に便乗して地球旅行する立場じゃ嫌でちゃんと自分も貢献したい、二人が見たキラキラの話についていけるようになりたい、クラバをドタキャンして違約金が発生しないようにしたい、という完全に二人に依存した動機になってるから
そっから、マチュと揉めて、クラバの最中シュウジを盾にしたことを謝ろうとするとシュウジに許され「普段のニャアンも、ワケワカのニャアンも、両方」を肯定してもらえたり、ジークアクスから拒絶されて吹っ飛ばされたときにシュウジに抱き留めてもらったりしたことで、えー、ニャアンがなんでシュウジを好きになったか分からないって言われてるけど、分かりません?
家族死んでんだよ?永住権がない難民でいつ追い出されるか、居場所がなくなるか分からない状態で生きてきて、マチュとシュウジっていう友達が初めてできたんだよ?
そこで二人のためにと思ってクラバに出たらマチュにはメチャクチャ怒られるしシュウジは盾にしてしまうし、マチュへの「なんで」って気持ちとかシュウジに対する自己嫌悪・申し訳なさで追いつめられるじゃん
そこでマチュにはしがみつけない状態で、シュウジはしがみつくことを許してくれる!って思ったら(それは勘違いなんだけど)、しがみつくだろ!?って思うよ
マチュからシュウジへの感情は純粋に恋愛感情だと思うけど、ニャアンはシュウジに一目ぼれなどはしていなかったし(多分、貧乏そう…としか思ってなかったよねあれ)、マチュのために怖い思いして戦ったのに怒ってきたマチュへの当てつけの気持ちもあり、シュウジの言葉がうれしくて好きになった気持ちもあり、それは父母に向けるべきですねという感じの依存心・しがみつきも思いっきりシュウジにぶつけてしまったというのがあのゼクノヴァの直前なんだと思う
(あそこでのシュウジ、情報不足すぎてわけがわからねえ状態でしがみつかれて「マチュとガンダムを捨てよう!」とか言われてめっちゃ迷惑だったと思うけど、冷静に逃げ場所について「どこに?」って返してて人間ができているというか肝が据わっているというか…)
シュウジに思いっきりしがみついて、消失されてしまって、マチュともシュウジとも繋がれなくなってしまった空っぽのニャアンに、その孤独と呼応するし孤独を利用する人でもあるキシリアが手を差し伸べたのは本当によく出来てて…
居場所と人間関係をしっかりと与えているんだよね。本当は手作りの料理をマチュとシュウジに食べてほしかった、けどそういう関係性の構築にキシリアは付き合ってやっている。キシリアはアップルパイを手作りしてニャアンに差し出し、ニャアンもまたエスニック以外の料理を何かキシリアに作ったんじゃないかと匂わせる
キシリアがニャアンの髪をとかしてやっているのって、ストレートに「グルーミング」って言いたいんじゃないかと思う
ニャアンがシュウジにしがみついて引きはがされたシーンも物理的にしがみついていたけど、精神的なしがみつきを示してもいたと思うし
ニャアンのしがみつきたさ、そしてシュウジに去られた絶望、そこでしがみつかせてくれるキシリアが現れたというのは「嚙み合ってしまった」というのが本当に酷い
ニャアンについて考えてくださいのお題で無限みたいに考えが出てくるんだけど?
特にキシリアの手元に置かれてからのニャアンを見てるとドバーーーーーーって考えが出てくるんだけど?
まあ明日深夜の放送を見たら全然違いましたってなるかもしれない
でもニャアンいっこもわからないとはならない
大変な思いをして生き延びてきたんだ、怖いから戦いたくないけど居場所が欲しくて戦ってるんだ、みたいな同情する気持ちもありつつ
「寂しい」っていう感情を抱えてる欠乏感が強い飢えてる子って、サークルとかにいると可燃性が異常に高くて爆発することあるんだよな、ぶっちゃけ面倒臭いんだよなみたいな気持ちとか
彼氏の近くでこのタイプの女がうろうろしてたらメチャクチャ嫌だという厄介に思うような気持ちもあるんだよ
寂しがりは周り巻き込んで爆発するから、ああいう追い詰められた状態の子は一番苦手まである
ニャアンに対しては理解不能で拒絶というよりはNIMBYっぽい心境になる
逆にマチュについてはよくわからないけど嫌いではない、おもしれー女と思う
私自身が両親共働きで割と高学歴で稼ぎもあって中高一貫に中学受験で入っててレール敷かれた寄りではあるけどマチュみたいに抵抗しなかったんだよね
お母さんがわかってくれない!つまらない!みたいな心境にも全然ならなかったし、親が異常行動をしないのは幸運でしかなかったし
だからマチュの高校でたいした逸脱をしないでマチュのファンをやってるモブとかに近い心境なのかもしれない
マチュの感性のある種の正当化のために、つまらない高校や普通のお母さんはサイコガンダムに破壊されると思ってたから、何も起きてなくて逆に驚いた
ああ、あとキシリアは上司として人事的な観点でムーブが本当にクソ
マ・クベを軽んじてシャアを優遇したり、エグザベのほうが先輩で組織上の地位は上だけどニャアンがお気に入りで超厚遇の寵愛をする
そういうことするとニャアンが形式上は上司のエグザベをナメるようになるから!とか思ってしまう
エグザベの雇い主であるトップから特別待遇で可愛がられたらニャアンからエグザベへの敬意とか丁寧に接しないとみたいな気持ち消えるからね
まず現場指揮ってエグザベなのに特命についてニャアンしか知らないしギャン隊の面々誰も聞かされてないわけでしょ?そんなのニャアンはナメるって
キシリアってそういうの気にしないでお気に入りを感情的に特別扱いしたくなるのか、あるいは寵愛を受けているお気に入り部下が仲間内で浮いてしまうとよりキシリアへの精神的な依存度が高まることをわかってやってるのか
自分が家族同士殺し合いをしていて人間不信で不安だらけだから人間不信で不安だらけな人間を近くにおいて抱えておきたい気持ちがあってお気持ち行動をしているのか
アサーヴみたいな側近も裏切ってくるから大半の人間には何も教えずに、一人だけ閉じ込めてグルーミングして裏切らないようにして、その子だけに教えるというのが「合理的」になってしまっているのか
まあよくわからないけど最悪です!
ギレンも部下と不倫してるし線引きがぐちゃぐちゃでお気持ちで動いてて最悪
Permalink |記事への反応(11) | 20:17
ほかのガンダムは見てないから「ジークアクスのキシリア様」しか知らない立場で言う。
ニャアンの視点ではキシリアが「私だけを守ってくれる殺人鬼」なんじゃないかってこと。
エグザベは「ミゲルと僕でニャアンを暗殺から守る」と言った。護衛の任務を引き受けた組織人としての言動。そしてミゲルがニャアンの命を狙っているとなったとき、エグザベは長年の付き合いがある同期のミゲルを撃てなかった。
人として当たり前の感覚であるとはいえ、ニャアンを暗殺から守れていないので言行不一致ではある。ニャアンは結局、逃げ回ってジフレドを起動して、自分でミゲルを殺した。
キシリアは側近のアサーヴを躊躇なく射殺した。兄を毒殺した。
感覚の正常さの話をするなら、エグザベがまともでキシリアは異常だ。
しかしニャアンは異常なキシリアのほうにシンパシーを覚えているし、自衛を理由として殺人を行えることをお互いに肯定しあっているのがキシリアとニャアンの関係だ。
ニャアンを迎え入れたときにキシリアがアップルパイを手作りしていたのも妙ではあったが、10話ではお互いにバスローブ姿で暗い私室でニャアンの髪を梳いてやっており、明らかに上司と部下としては異常な距離感だった。
女性同士の正常な距離感として、コモリ&マチュのほうは対比のように健全に描かれていると思う。コモリのジャージセットはレギンスも一式に含まれているが、マチュに貸しているのはレギンスを除いた上下だ。
レギンスは微妙に下着に近くて、貸すのも借りるのも抵抗がある。でもジャージ上下なら学校での忘れ物でも貸し借りしていたレベルで、異性ならイヤだけど同性ならまあいいか、となる。激重感情や共依存の波動を全く感じない。
これに対してバスローブ…。同性だからこんなものだとは言えない。明らかに距離がおかしい。
キシリアが男であれば、周囲からニャアンはキシリアの愛人と噂されていてもおかしくないだろう。キシリアが男の噂がない人物であれば、同性愛関係と勘繰る人間がいてもおかしくない。
排他的な関係である。長くキシリアの部下をつとめた兵士たちをごぼう抜きしてニャアンが特別に取り立てられ、一人だけ私室に招かれているとなると、キシリアの兵士たちのなかでニャアンが浮くこともあるだろう。
ニャアンはコミュニケーション能力が低く、キシリアから直の特別扱いを受けている新人ということでほかの兵士たちから距離を置かれたりすれば、いよいよ孤独になりやすい。ニャアンに友達ができないことは、キシリアによるグルーミングの効果を高めることにも繋がる。
そして、キシリアの父から渡された銃という「一点物」をニャアンに贈るということ。
大きな窓がある超高級物件に住まわせるのも、地球産の超高級香水を与えるのも特別感は非常に強いが、キシリアが金持ちであるため数人に対して並行して同じことをやれるかもしれない。
家族にまつわる「一点物」を貰うというのは、確実に「私は特別」という扱いの証明になる。
躊躇なく人を殺す異常な人間が、自分だけを特別扱いして優しくしてくれる。「私だけを守ってくれる殺人鬼」…。
ニャアンは言葉ではないところで悪意を感じ取る。ミゲルがエグザベに声をかけたセリフが「同伴出勤か?」というからかいの言葉であったが、これはキャバクラ用語であり、ニャアンをエグザベに買われているキャバ嬢扱いするような非常に失礼なジョークである。
エグザベは同伴出勤という言葉そのものを知らなかったのか、スルーしていた。ニャアンもスルーしている。しかし、「嫌な匂い」としてミゲルの悪意や見下しをこのときから感知していたのではないか。
レオレオニ博士が「女が権力を握るとすぐこれだ!」と吐いた、その言葉自体もニャアンは聞き取っていないだろう。しかし「嫌な匂い」を感じ取って即座に博士を攻撃し殺害している。
逆に、悪意を察知できないのがエグザベである。エグザベは公式スタッフからも善良でピュアなキャラクターであると評されているらしいが、
実際にサイド6の軍警が自分を殺そうとしていることも察知しておらず、射殺されるギリギリのところで空から面白登場をしたシャリアに助けてもらっている。
自分自身の悪意がなく(ぽっと出のニャアンに一瞬で抜かされたことへの嫉妬心もゼロ!)、他者からの攻撃性や悪意にも鈍感で、
自分が殺されそうであってもギリギリまで気づけない。「自分の命を最優先で先制攻撃」とは真逆のようなマトモさだ。だから自分の命もニャアンの命も守れない。
エグザベはピュアで、穢れた知識ベースが皆無であることによって、毒殺の前に「キャバ嬢扱い」のような侮辱からもニャアンを保護できない。
エグザベの物語は最終回まで引っ張られることはなく、次回のシャリア戦で回収されるのではないかと期待している。
エグザベはどうもニャアンの物語においては「シュウジとキシリアは素敵、マチュは本物、エグザベは駄目」という比較下げ役割で使われてしまっているように見える。
実際、精神的に不安定な人が期待に応えてくれる一方をちょっと気味が悪いほどに上げ、期待に応えてくれない一方を下げ、という極端な評価をするのはよくある話ではある。
エグザベが主体となるテーマでの重要人物はシャリアだろうと思える。シャリアにとっての重要人物はシャアであり、なかなか面白い。
そして当初の話に戻ると、マトモなエグザベを対比とした「私だけを守ってくれる殺人鬼」としてのキシリア様という描き方は非常に面白い。
善良でまともな組織人だからこそ守ってくれなかったエグザベには拒絶反応を示し、身を守る武器とニャアンを全肯定する思想を与えてくれるキシリアとの近すぎる関係に心酔していたニャアンは、キシリアの指示通りに大量破壊兵器を起動して大量虐殺の実行役となった。
キシリアがニャアンを懐柔して利用していると捉えるか、キシリア自身も家族同士殺し合いをしていて常に暗殺の危険がある環境で病んでおりニャアンとの共依存の関係になっていると受け取るかは視聴者によるだろう。
個人的には、キシリアがニャアンを道具として軽視していればニャアンは「嫌な匂い」として感じ取るはずなので、キシリア自身も病んでニャアンに依存していると解釈している。
「私だけを守ってくれる殺人鬼」を求めるタイプは、共依存を求めた病んだ人間なのではないかと思う。
殺人鬼はまともではない。不安で病んでいる人間が、まともではない殺人鬼との共依存関係を求める。
キシリアとニャアンが刺さるのも病んだ人間だと思う。「私だけを守ってくれる殺人鬼」はすべての女性が求める理想像ではない。女性が不安になり病んだ状態になるとこういう関係を求めがちという、傾向のひとつだと思う。
追記:激重女女関係として捉えてはいるがニャアンの恋愛感情はシュウジに向かっていると解釈しているよ。クラバでワケワカになって殺人して、シュウジを盾にまでしたのを「どっちのニャアンも好き」と肯定してもらっているし。それにジークアクスのコックピットから吐き出されて生身で吹っ飛ばされ死の恐怖を覚えたときに、シュウジは受け止めてくれたし。(というかなんでパイロットを吐くんだよ。腕が出てきてマチュを抱きしめることといい、自我が強すぎるだろジークアクス)あとは好きな男がいる異性愛者の女だからこそ、エグザベ(他意なし)に対する拒絶が「は?彼氏面キモいんですけど?」的な自意識過剰になるんじゃないかとも思っている。つかどうなるんだろうな三角関係のエンディング。ジークアクスの自我がシュウジでしたってのならニャアンを吐いてマチュを抱きしめてるからシュウジ×マチュエンドなんだろうし、シュウジが元々ゼクノヴァの向こう側の平行世界の住人でトラブルによってこっちに来てるせいで住所不定無職でしたので本来の世界に帰るのが願いなんですってことなら、マチュもニャアンも振られてヤケクソカラオケエンディング映像に繋がるだろう。個人的にはマチュの勝ち!ってやるより両方振られたほうが爽やかな後味だと感じるけど、まあ、どうなってもいいか。
ジークアクスつまんないのはわかったからさぁ!!まだ観てない人は初代ガンダム観ようよ!!
別に「アニメを嗜むものなら初代ガンダムくらいは履修しておくべきですぞ…っw」とかいうつもりはないから!
いやわかるよ、ジークアクスってもうバズ狙いだけですやん……みたいな意見。
「キ、キシリア殿がアップルパイを…!?ww」「コポォ!!この世界ではゲルググがジムに!?!?」とかXで騒いでるやつバカみたいだよな。
俺もそう思う。まぁ、それが面白いってのもまたわかるんだけど。
結構強い言葉での批判になっちゃうけど、ジークアクスからはいまのところなんの信念も感じないよな。
視聴者に何か伝えようとする気があるとは、思えないよね。まぁ別にジークアクスに限らず、そういう作品が普通だからジークアクスが特別悪いわけじゃないけど(もちろん、スタッフの皆さんは死ぬ気で作ってるんだとは思う)。
で、話題がになるのが「ちょwwwゲルググがジムに!?!?wwwww」とかだから、ガンダムオタクの性感帯を撫でてるだけですやん…みたいな感想もわかる。
(ジークアクスアンチみたいな書き方だけど、俺としてはジークアクスは今のところ可もなく不可もなく、普通のアニメ、普通のガンダムだと思う。ガンダムオタクの性感帯をくすぐるのはうまいと思う。今後の展開に期待。)
まぁ、だからってわけじゃないけど、まだ観てない人は初代ガンダムを観てみたらいいんじゃないかな。
おじさんたちがいまだにガンダムガンダム言ってる理由がわかるかもよ。
「なんでマチュもニャアンも出てこない過去編にあんだけ尺使ってるんですかね…」って意図もわかるんじゃないかな(俺はただ単にファーストガンダムのifをやりたかった、それが楽しかったからだと思う)。
今時のアニメと比べたら、作画は古いし、演出もなんか野暮ったいと思うよ。
でも名作が名作足りえる条件は、面白いか面白くないかだけじゃないんだよ。
俺は全然初代ガンダム世代じゃないんだけど、初代ガンダムを初めて見た時は「これは確かに名作だな」と思ったね。
富野監督がなんかのインタビューで答えてたけど、初代ガンダムのメインテーマのひとつは反戦なんだよね。
観てると確かに「戦争ってイヤだな…」って思うんだよね。戦争アニメでロボット兵器のオモチャを売るためのアニメではあるんだけどさ、確かにそう思うのよ。
主人公のアムロくんはなし崩し的に兵士になって、戦うのが怖いとは言うけど、戦争がイヤだとは全然言わないんだよね。途中から受け入れちゃうの。
でも、観てると戦争ってイヤだなと思うんだよね。アムロに撃たれて死ぬザクのパイロットみたいに、一瞬で死んじまうんだろうなと思うわけ。そういう、語りかけてくる何かがあるわけ。
別にテーマ性があればえらいとは言わないけど、そうやって観る側が心動かされるのは良い作品だと思う。
「ファースト信者の戯言だろ」って言われるかもしれないけど、まぁそうだね、俺はやっぱ初代ガンダムが一番面白いというか、名作だと思うな。
ファーストガンダム観た後にジークアクスみたらまた違う感じ方もあると思いますよ。
ガンダム視聴歴は鉄血と水星のみで、宇宙世紀は見たことがなかった。
前情報として「シャアが出てくる」「宇宙世紀が別展開になったif」ということだけは知っている状態で観始めた。
新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめますよみたいなこと言ってる人いたんだけど、あれは嘘だったようです。嘘つくのやめてもらえませんか?
1話:いきなり総集編が始まったかのような印象。カットの入り方にかなりの違和感。映画を再構成して圧縮しているからか、劇場版未視聴にとってはかなり違和感のある入りになっている。鉄血も水星も1話の出来が良く、推しの子とかウィッチウォッチとか1話はキャッチーで収まりが良いものが多いから、いよいよ違和感が強かった。コロニー内遠景など、作画はきれい。
2話:全然意味がわからず、途中で視聴を止めた。YouTubeのガンダムチャンネルで無料公開されているファーストの1話を見た。これでこの作品が何をやっているのかが初めて分かった。ファースト1話を見てからジークアクス2話を見る面白さを100としたら、ファースト1話を見ずにジークアクス2話を見る面白さは5とか1とかだと思う。
3話:確かマチュがシュウジの全財産を水路?ドブ?に落としても謝りもしないで「クラバやろー!」ってなってた回。怖っ…となった
4話:1児の母、すぐ死んだ…。あとマチュがシュウジに一目惚れしてほとんど経ってないのに殺人にまで追いつこうとしている感情に引いて笑った
5話:発熱しているシュウジを見下ろしてニャアンが顔を赤らめたあと、下着姿になりだしたのが本当に!本当に意味わからなかった。あとニャアンが人殺してて笑った。ファーストの1話で爆破の衝撃でモブが地味に死んでしまう描写の生々しさ、人体の脆さと比べて、ジークアクスの死って軽くてギャグっぽいなと思った
6話:何があったんだっけ?
7話:メインキャラクター誰も好きじゃねえ…となった回。新キャラが出てきて名前も覚えないうちにすぐ死んだ。シャリアが新キャラを殺すキケロガの動きが美しくて、この戦闘のシーンが好き
8話:アップルパイ、ケーキ、毒ケーキ1、毒ケーキ2、毒ケーキ3という流れに笑った。毒同期がレーザーで死んだときも「ニャアンがまた殺した!」って笑った。これギャグアニメなのかって思った。前半のシャリアの戦闘がやっぱり良かった
以上が観た感想。何も心に残らないし、マチュがじわっと嫌になって、7話以降ニャアンもじわっと嫌になって、キャラクターが死ぬ描写が声出して笑えるという露悪体験になってる。
あとキシリア暗殺計画の前に、勢力図みたいなものが全く意味わからんと思って、ファーストの地球連邦VSジオンという設定、ダイクンの息子のシャアとザビ家の因縁、ザビ家内の権力争い、みたいな説明も読んだ。読まないとマジで意味が分からなかったから。
感想をXで見ると、ファーストのオマージュがここにあった、Zのオマージュだ、エヴァだ、と他作品との共通点を示しているだけの内容がバズっていて、ジークアクスという作品は暗記科目の試験会場なんだろうかと思った。
試験範囲はファーストだったり、Zだったり、ZZだったり、スタジオカラーが関わっているからエヴァシリーズだったりもするらしいです。知るかよ。
アニメって覚えゲーなの?「バスク・オム!」「ここがオマージュだ」っていうのが好意的な感想のほぼ全てになっていて、旧作品群に出てこない新キャラの行動については基本的に叩かれてばかり。
急に横で服を脱ぎだして下着になるとか、意味がわからないし不気味なんだよ。ニャアンがシュウジのこと好きでも、友情しかなくても、どちらにしろそうはならんだろ…ってなる。
マチュ役の人が前にフォスフォフィライト役をやってたらしいけど、「格好良くてすごいことをやりたい」「大きなものを追いかけて近くの人の扱いが雑になる」みたいなとこはマチュと初期フォスで似てなくもないなと思って。
でもフォスは分かる~!!フォスの周りのストレスも分かる~!!ってなるんだよな。そしてマチュは気持ち悪いの。
いっぱいオマージュを詰め込みました、元ネタは何でしょう!という、深夜から早朝のXで開催されてる早押しクイズなんじゃない?
戦闘の作画はきれいで、特にキケロガは観てよかったなーと思ったんだけど、作画技術の進歩以外で良いところって何かある?
(作画技術の進歩はファースト1話と見比べたことでもすごく感じた。でもジークアクスの死は数字とギャグで、ファーストのモブの死亡描写のほうが笑えない生々しい死だったんだけどね)
キャラクターどいつもこいつもよくわからなくない?そうだ、最新話でエグザベ君が同期全員毒殺とレーザー蒸発で全滅した直後に「窓が大きいなあ」って言ってニャアンの才能トークしてたのもなんか気持ち悪くて面白かった。
声優の人って理解して演じられてんのかな?どういう人たちがキャラクター作ってんの?やべえやつ、しかもカリスマ性があるとかじゃなくてなんか一言で言葉にいい表せない気持ち悪いタイプのやべえやつしかいねえ…としか思えないんだけど。
シャアが出てくる2話を理解するためにファースト1話だけ見た立場だから、オマージュ元早押しクイズには参加できないし、そうなると新しい要素を楽しめるかだけになってくるんだけど、
キャラクターが見事に内面…?行動や発言…?が気持ち悪くて、さすがについていけなくなってきたので切ります。フォスも宝石なんだけどね、なんかジークアクスのキャラクターってプラスチックとかでできてそう。
「キケロガまとめ」みたいな動画がYouTubeに出てるからそれだけで良いやと思う。
これエヴァ(新劇場版をアマプラで観た)の感想と同じだった。気に入った使徒がいて、その変形シーンがYouTubeにアップされてて、それだけ観りゃいいなと思ったんだよね。
カラーが作るストーリーとキャラクターは破綻していると思う。特にキャラクターの中身がすごく気持ち悪い。だから死んでも「ジュッと蒸発して草」みたいな感想しか出てこない。
人物は本当に気持ち悪いけど、物体が変形するシーンの作画だけは良い。機械・物体が得意なアニメスタジオだと思う。
追記:
トラバはそうでもないけどブコメに内容を読めてなくて単語に反応しているだけのやつ多くね?
とりあえず「バスク・オム!」って言っとけばいいSNSノリと結局同じなんだなとしか思えないんだけど
あとファーストは教養だみたいに言われても59歳の監督が親より年上なので観てないのが当たり前です
フリクリもウテナも観てねえよ知らねえよどんだけ古いアニメのオマージュ多いんだよ
とりあえず新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめるというのは噓ですよね
「教養」ってせめて世代差が大きい流行りものじゃなく世界史とかに対して言ってくれないかな
自分が若いころに流行った娯楽コンテンツについて「履修」だの言いだす権威化、気持ち悪いんだよ
Permalink |記事への反応(44) | 20:38
1.強い女性
2.白人絶許
なんていうかね
おおよそこんな感じよね
今回の実写映画
帰ってきて人間と関わるか喧嘩を始める小人を仲裁するのに何故か掃除しろと歌いだし
一方、鏡の白雪推しに切れた女王は、義賊を恋人と思い込み義賊がキスするのを解除条件に毒リンゴを作る
捕まった義賊を助けるのに持って行けと老婆に渡された毒リンゴを何故かその場で口にして倒れる白雪姫
そうだ革命だ
白雪姫は、最初はパンがなければアップルパイをというお花畑だが
それが最後には市民革命を志すような人間に成長していくという演出になってる
義賊を助けに行こうとするのも「能動的な女でなくっちゃね」みたいなことなんだと思うが
上に書いたように毒リンゴを口にするので実際に助けにはいかない
匿ってもらうのに掃除をしようともしない
美しさに拘り続ける王女がレスバで倒されるのも、ある種古いプリンセス像の否定なのだろう
肌が白いから白雪姫と名付けられ、それが世界一美しいなど許されない
美しいのは内面だ
乙女は強くなくっちゃね
実際に動くのは男
あえて白雪姫と名付け、それを白雪姫自身に壊させることこそが描きたかったとしないと、監督や脚本が無能だって話になる
白雪姫を大きくズラしたために
とにかくチグハグで
女王の怪演は光っているのに、アップルパイだの革命だの言ってる白雪陣営との温度差がすごいことになってる
アニメ版を象徴する「いつか王子様が」を歌わせられ無くなってる
誰か一人でも正気だったのなら、せめても「新約、白雪姫」とでもしたと思うんだが
そうすると金にならないと踏んだのだろう?
かなりのクソだと思うんだよね
往年のファンに唾はいてるのに、その往年のファンの金を期待してる
その悍ましさが本当にひどいから、ぜひ見てほしい
Permalink |記事への反応(15) | 02:36