
はてなキーワード:アクシデントとは
高市早苗がワークライフバランスを捨てると言った事でなぜか本当に落ち込んで鬱スイッチが入ってしまった。
今の日本を見ていて、正直本当に子供を持たなくてよかったと思っている。
今の社会でもし子供がうまく育つタイプではなく障害持ちだったりしたら成人するまで充分な環境で育てて守り切れた自信がない。
金銭的にもだが、何より社会がもう五体満足で心身共に強い男じゃないとまともに生きていけないような方向に曲がりすぎてる。
コロナ禍で鬱が進み社会からドロップアウトして40代に突入した。
現在は週3日たまたま雇ってもらえたアルバイト先で働くのが限界の状態が続いている。
妻の収入と合わせてなんとかやっていけてはいるが、老後を考えると暗い気持ちになる。
今の高齢者バッシングの流れが続くと自分が高齢者になる頃には高齢者は殺処分という事になっていそうだ。
30代に突入する前後、世間一般のみなさんと同じように焦りがあり子供を持つ事について考えた時期があったが、
当時まさにワークライフバランスが崩れかけていた自分たち夫婦はどちらも消極的だった。
この状態では子供なんてまともに育てられなかっただろう。本当に持たなくてよかった。
これまでの人生色々判断ミスったなということはあったがこれだけはナイスな判断だったと思う。
出生率回復のため、社会に一人でも働き手を増やすために妻に産ませておけばよかったのにという
幻聴が脳内に響いたこともあったが、今は心底この社会に子供を増やさなくてよかったと思う。
この社会に生まれてくるのはほぼ確で不幸だ。少なくとも自分は今この社会で生きていくことを幸せだと思えない。
それこそワークライフバランスのライフの中に幸せのかけらを見つけることはできても、
働いて働いて働いて成長して成長して成長していく社会についていく事は自分にはもう無理だ。
そしてその社会に巻き込まれる人間をもうひとり増やす事が全く良い事だと思えない。
本当に社会は五体満足で心身共に強い男を基準にしてつくられすぎている。
そして世の中のほとんどの男はアクシデントで大きな転倒でもしなければ
自分が心身ともに健康で強い側の男だと信じている。かつての自分のように。
心身共に健康で強い(と思っている)人間にはそうでない人間の姿は見えない。
大学生から20代の間冷笑してきた数々のトピックの中に今の自分が当事者となっているもの、
それらが達成されていれば間接的にでも今の自分を助けたかもしれないもの、
そういったものがたくさんあっただろうと思うけど時間は巻き戻らないし、
戻ったところで社会の突き進む道は同じだっただろうとも思う。
自分が弱る前は偽善だの甘えだのと思っていたみんなに優しい社会という言葉がどれだけ目指すべき社会の姿なのか、今になってよくわかった。
でも世の中の大半の人間はどうやらみんなに優しい社会なんか求めてないらしいという確信だけが日々強まっていく。
ちなみに自分のワークライフバランスにおけるライフの部分に宿る喜びは趣味だった。
コロナ禍で即売会が中止延期続きだったことで趣味が制限されたのが鬱悪化の原因のひとつだと思っているのだけど、
そもそもそれより以前、30代突入の頃からワークに追い回されて
思うように趣味活動に時間を割けなかった時点で鬱傾向だったんだからどうしようもない。
若い頃は働いて働いて働き詰めて成長して成長してそういう社会に適合して、
そうしていればワークライフバランスのライフだって自然と満喫できると思い込んでいたが、
これは仕事で疲れ果てて趣味にまで体力が回せなかった身体を持って生まれた事が悪いんだろうか?
それとも趣味を楽しめる程度の働き方でいい仕事に就くことに頭が回らなかった知能の低さが悪いのか?
それともいい年して趣味を、生活を、ワークとバランスを取りたいと願ってしまった事が失敗なのか?
どこが間違いで失敗だったのか何年も考えているけどここ最近の結論は生まれたのが失敗という結論で終わる。
やはり子供は持たなくてよかった。
自分がこうしている間にも奈良ではへずまりゅうが議員報酬を得ているらしい。
もしかして日本ってずっとへずまりゅうみたいな生き方が正解の国だったのか?
生きるって、働くってなんでしょうね。
ワークライフバランスってライフってなんですか。
Permalink |記事への反応(43) | 19:58
いつか空から札束が降ってきましたら、わたくし、歌だのキャラデザインだの動画だのを片っ端から外注して、豪華絢爛なミュージックビデオをお作りあそばせようと思っておりましたの。
……ところがどっこい、AI様がその夢を叶えてくださる時代が来たのですから、これはもうやらねば詐欺ですわよね!?ということでJust Do Itいたしましたの。
https://www.youtube.com/watch?v=Znw6q9o3Ssw
長年わたくしの脳内という狭苦しい檻でカビていた世界観が、ようやく陽の目を浴びましてよ……あぁ、涙でモニターが見えませんわ。
でも、この魔法のような力にもすぐ慣れてしまいそうですので、今のうちに自慢と感想を置き逃げいたしますわ。
お試しにボカロ風の楽曲を作ってみたくなりまして「ボカロといえばメンヘラ曲ですわよね?」という根拠不明な偏見をフル装備。
じいやに出してもらった狭心症のお薬をガン見しながらデカフェコーヒーをがぶ飲み、心臓をテーマにした歌詞をSuno様にえいやっと投げ捨てましたの。
ジャンルは「心拍ビートの憂鬱アンビエント+ウィスパー女子」でしてよ。ええ、きっとアンビエントですわ。
出来上がりは……もぅ最高❤
文字数てきとーな歌詞なのに完璧なリズムで歌い上げ、吐息混じりで耳に直接ささやいてくるんですのよ。わたくし、思わず「結婚して」と言いかけましたわ。
しかもこのボーカル様と作曲者様、実在しないのですって! この世にいないのにわたくしの脳を直撃してくるとか罪深いにも程がございますわ。
テクとしては、漢字は時々お中国語読みをしでかしますので、怪しいところは平仮名に開くのが吉ですわ。
再生成で微修正もできるので、間違えても泣く必要はございませんの。
複数キャラ並べるのは大変ですって? あら、そんな面倒なこと庶民にお任せあそばせ。
わたくしは「少女!天使!羽!骸骨!心臓!」という王道厨二キャラ一択で、niji・journey様に丸投げいたしましたの。
余計な物を切り捨て、体を差し替え、お着替えさせ、全身を拵え、Midjourney様の背景と合体……もうモデルさんもビックリの撮影会でしてよ。
実写背景に二次キャラを置くのって、本当に背徳的で大好きですの。アクスタで世界旅行してるみたいでウフフ。
さらにちびキャラ、線画、油絵風まで取り揃えて、MVを宝石箱のように彩って差し上げましたの。
物語の都合上、世界中に心臓が溢れ返ったのでキャラと同数くらい心臓を量産いたしましたの。
洞窟から覗く巨大心臓を巡って兵士が撃ち合う? 意味不明ですわね。でもAI様は文句も言わず描いてくださいますの。
なお「heart」だけですとハートマーク祭りになるので、「heartorgan」や「humanheart」で命を吹き込むのがコツですわ❤
まさか画像生成から動画生成の時代にワープするとは……技術革新って怖かわですわね。
ノンアルビールをたしなみつつ、Kling様にスチルをぶん投げて延々ガチャ。
実写背景二次キャラも線画も油絵も全部動きますのよ。ええ、怖いくらい。
とはいえ破綻は盛りだくさん。空と海の速度がバラバラ、傘の骨が頬骨を貫通マジックして、宙を舞う金魚がフュージョンしては分裂……まるで深夜のテンションですわ。
こういう時はプロンプト調整沼に沈むより、編集でマスク抜きやエフェクトで誤魔化すのが勝ち筋。そもそも生成させるシーンがおかしい? それはもうお約束ですわよ❤
裏技として、背景とキャラを別々に当たりガチャし、合成してから中割りさせる方法もございますの。
AI生成なのにグリーンバック? ええ、わたくしも笑いましたわ。けれど抜きやすいのですもの。
年初に歌を生成、「あらこれイケますわ!」と確信してGWに仮完成。
そこからワインのように「寝かせて熟成させましょう」と思ったら、お盆になっておりましたの……。
言い訳はございますのよ? 幾度も引退したソシャゲに復帰してしまったり、ギックリ腰になったりと、庶民的アクシデントに見舞われまして。
気づけばAIモデルが一世代前に……うふふ、時代はお待ちくださらないのですわ。
それでも、この虚弱体力でも四半期に一本くらいは作れそうな手応えがございますので、今後も優雅に量産して参りますわ。おほほほほ……
一社目…上司が毎日きっかり30分怒鳴ってくる。自分の仕事を責められるのはまだ分かるが、子がこれなら親の程度も知れてるwと言われてさすがに辞めた。そこまで言われる筋合いは無い。一年。
二社目……社長が宗教をやっていたが勧誘はしてこなかったので六年くらい居た。支店は気楽でよかった。部署異動で本社に行ったら愛人のなんというかそのぼかして言うと貝的な部分の写真を社員に整理させててさすがに引いて辞めた。アカンやろ。
三社目……社長が契約書の数字なんか後で修正すればいいんだよとか言っていたので慌てて逃げた。資格持ちとして契約書に押印するの俺俺俺。なんかあったらヤバいの俺俺俺。一ヶ月。
四社目……出社して挨拶したらフロア全員の目が死んでて、オッしくじったぞこれ!と直感した。案の定、何度言ったら分かる同じこと言わせるな何回間違うんだみたいな激詰めされてる人がいてすぐやめた。三日。
五社目……今までの人生になかった連休とかいうすごい制度があるし周りみんな頭いい。みんな頭いいので俺が一番馬鹿で落ち込む。あと業務内容が思ってたのと違う。俺の好きな業務はサブでやりたくない事がメイン。今もいる。
好きじゃない業務がマジで嫌で転職しよかな~の気持ちがふつふつと湧き上がってるんだけど、転職歴多いマンだしもう歳もくってきたのでここに居るべきなんだろう。
でもアクシデントがあって落ち込んで辞めてぇ~!ってなるのはいいとして、平和な日常の定時帰り通常業務でしみじみ辞めてぇ……ってなるのなら辞めた方が健康にいいのでは?
この話題はきっと、そこから話さないとダメか?という内容から積み上げて説明せんといかん層が忘れた頃に湧いてくるので書いておこう。
まああくまで僕の感覚だから間違いもあるだろうけど、この見方については自分ではバランスある方かなと思ってるよ。
まず、一番の大前提として、
我々は公序良俗に反しない限りはどんな服を身に着けていたっていい。
(公序良俗に反していようと警察の御用になるだけなので、すること自体は自由。)
誰かの尊厳や財産を不当に脅かすようなことがなければ基本的に自由なのである。
しかし、そこかしこでコスプレしてもらっては困るのである。困る理由はいくつかある。
コスプレは多くの場合、時限的なパフォーマンスだから、更衣室が必要になる。公共の場でコスプレをする、となったときに、
・腰を据えてメイクができる
・小物の用意が安全にできる
これらを満たす空間、しかも複数人での利用も考えると相当な広さが必要になる。
そんな場所、ある?
それからコスプレは着替えだけじゃなくてしてるときも場所をとる。長物持ってるケースはさらにそうだけど、単にポージングするスペース、そしてカメラマン、カメラマンとレイヤーの間、なんかしてるから近寄らんとこ……が総合されると相当な広さになる。
コスプレってどうしてもイベント、お祭り、ハレのニュアンスがあるよね。集まってワチャワチャするよね。周囲の耳目集まる可能性あるよね。一般の人が勝手に撮ったりする場合や他いろんなアクシデント生む危険性あるけど、責任とる人やその場を納められる人いる?
我々は衣服の自由を奪われている!オタクは差別されている!と被害者面するのはやめよう。自ら進んで自分の文化を守るためにマナーを意識した結果がこれなんだよ。
いっぱいコスプレイベントあるよ?スタジオだってあるよ?それら活用したらいいじゃん。そこまでアンテナ伸ばせないんならもうやめたほうがいいっす。
春からここ4ヶ月ほど、仕事が山場を迎えてしまい、月金はほぼ24時前後の帰宅という状況だった。
で、まだまだあるものの、一山超えて休暇が取れそうだったので、この3連休に1つ足して4連休として、そのうちの3日を二泊三日の旅行に充てることにした。
自分はJREバンクに口座を持っており、どこかにビューーーン!の割引優待があるので、行き先はJR東日本に決めてもらう。
どこかにビューーーン!は自分で選んだ4候補の中から最終的にJR任せになるのだけど、東北、秋田、山形、上越、北陸のうち、上越・北陸の候補に当たりやすい配分になっているらしく、今まで2回して新潟・長野だった。
なので、今回も新青森、秋田、盛岡、上田の候補で応募したときに上田になるかもと思っていたが、果たしてそうだった。
まあでもこの候補も「どれが当たっても観光できそうだ」というところだったので、割引率とかは深く考えずに上田を楽しむことにした。
とはいえ、上田に関しては真田幸村と別所温泉くらいで自分的に刺さる「コレ」といった目標がなかなか出てこない。
長野の人は真面目だそうだが、新潟の「バスセンターのカレー」とか長岡の「松田ペットの謎看板」みたいな、ちょっと変な名所を面白がっていくようなところはあっても良いように思う。
まあともかく、1日目は上田城と柳町を見学、2日目は別所温泉、3日目は街ぶらしながらお土産選びでもしようとなった。
東京駅から新幹線に乗り、12時頃に上田駅に到着、7月の上田は低温サウナのような蒸し暑さだった。
現地の温度計を見ると36℃。
あまり動き回りたくもなくなるようなとんでもない暑さだけど、昼食は上田でとるつもりで駅弁も食べてなったので、当地の名物であるあんかけ焼きそばをたべに日昌亭に向かう。
さすが上田は山間の街である、遠景には緑の山が聳え立っている。
14:30ランチタイム終了の日昌亭に13:30に到着したのだが、住宅街の中にあるのに、店内は待合が5〜6組ほどいて、「暑すぎで街では人見かけなかったのに、みんなこんなに焼きそば食うために外に出てきたんか」という光景であった。
しばらくして席に着くと、あんかけ焼きそばが出てくる。
柔らかさを残しながら揚げ焼きにしたような麺に、野菜とチャーシューが乗った餡がオン。
味は一口食べて「めちゃくちゃうまい!!」という感じではないが、毎日食べても飽きそうにない優しい味であった。
ご当地焼きそばというのは結構面白いので、あったら食べるようにしている。
腹ごしらえもすんで上田城へ。
上田の駅に降りてから至る所で六文銭を見かけるので、上田の人たちにとって真田氏は大きな存在なのだなあと感じる。
あまり戦国マニアではないので、楽しみ方がわからなかったのだが、だいたい土足厳禁なことが多いやぐらに靴のまま気軽に上がれるのは良かった。
上田城は戦国時代、城の東に川が流れており、攻撃しずらい立地であるようだった。
上田城内は今は真田神社となっていたので参拝。別に勝負事をしているわけではないが、もしもの時、日本一の武士のご加護があるやもしれない。
日本家屋が並ぶ風流でこぢんまりとした通りなのだが、ここには日本酒ランキングサイトSAKETIMEで3位に輝く信州亀齢の酒蔵がある。
あまり全国に流通しないそうで、安定して買うならここなのだそうだ。
お土産にカップ酒でもあれば買いたいところだったのだけど、カップ酒はやめてしまったそう。
自分で瓶を買うほど飲むタイプでもないので、ここは見学だけして帰ることにした。
お土産や兼観光センターのようなところで休んでいたら、見たことあるキャラクターの木彫りが。
そういえばという感じなのだが、上田は映画サマーウォーズの舞台となったところらしい。
映画で描かれている日本の夏の原風景のような田舎町ってこの辺りなんだな。
一旦、ホテルルートイン上田グランデにチェックインして、夕食は上田名物の美味だれ焼き鳥にすることにした。
にんにくと野菜と醤油ベースのタレにドボンと漬けて焼き鳥を食すもので、ネットで調べたら、うまい店は上田駅構内にあるとのこと。
ホテルも近いし良いじゃないかということで素直に上田電鉄脇の焼き鳥屋に。
五本串を頼んだのだが、美味だれという振りかぶったネーミング、駅ナカという立地でありながら、ちゃんとうまい。
上田の暑さで汗をかいたので、塩味がしっかり効いている鶏肉が舌に嬉しい。
さらにここでは地酒が飲めるので、先ほど見送った亀齢を飲むことに。
甘さがあってしっかりした味わいだけど、不思議と飲み飽きることがなく、優しくバランスの取れた味わいだった。
上田に行ったら是非飲んでみるべきだと思う。
日本酒ずきは買ってもいい。
この上田電鉄ホームもサマーウォーズにバッチリ描かれがれている。
ローカル線の車窓から見える青と緑の光景は「イメージの中の日本の田舎」という感じで、これが見れるなら上田に来るなら夏の方が面白いのかもしれない。
本当に暑いが。
多分43℃以上は確実にある。
あつい中で熱い温泉に浸かって結構タフだったので、日の出食堂で馬肉うどんを食べることに。
馬肉の味もしっかりしているし、卓上の七味唐辛子ともよく合う。
この別所温泉では外湯3つを制覇するつもりだったので、日の出食堂すぐ向かいの石湯に直行。
別所温泉をでて温泉町の方を歩いていくと、遠景の山の中に日本家屋の壁が1枚だけ起立しているような不思議な構造物が見えるのだが、これは常楽寺隣にある別所神社の神楽殿であり、ここから別所温泉の街を一望できる。
都会暮らしではなかなか見ない立派な藁葺き屋根の常楽寺を見た後は下山して、最後の外湯である大湯へ。
3つの外湯の中では最も大きく、内風呂と露天の2つの湯船があるのだが、果たしてここもしっかり熱湯なのだった。
炎天下で歩き回った上に熱湯に3連続で浸かるのは、かなりの荒業だったようで、筋トレしすぎた時みたく膝の力が抜けたような感じになってきた。
エネルギーの枯渇を感じたので、上田駅に戻ってガッツリしたものを食べて栄養補給をすべく、駅前の上田から揚げセンターへ。
ここでもやはり美味だれがバッチリかかった唐揚げ定食をいただいた。
最終日の3日目は特にやることがないが、お土産探しと、地元のスーパーなどを見学すべく街ブラ。
地元スーパーのツルヤはフロアがだだっ広く、キノコの種類が豊富。
お土産はというと、駅前の大正ロマン溢れる門構えのみすず飴本舗でみすずあられと、自分用にジャムをいくつか。
前回、長野に来たときにみすず飴は一度買ってきていたので、もう一品気の利いたものがないかと調べると、エトワールという洋菓子店のものが良いらしく、向かってみる。
店内に入ってリーフパイなどを物色していると、マダムがアロンディールというくるみとアーモンドの焼き菓子を激推ししてくる。
ちょっと圧倒されながら、そこまでいうならと購入。
マダム曰く「宣伝に余計なお金を使ってないのよ」ということらしく、なので知る人ぞ知るという感じなのかもしれない。
その後、地元の銭湯に入ってみたく、街を歩いていると、坂道でチャリの脇におっちゃんが警察に囲まれており、「転けたんかな」と思いながらそばを通りすぎるとおっちゃんが警察に囲まれながら「何みてんだメガネ、◯すぞ!」といきなり音を出すなど、不思議なアクシデントがあってちょっとびっくりした。
空が少し曇って暑さが和らぐ中、地元の銭湯で熱めの湯に浸かり、最後にあまりの美味さに駅ナカの美味だれ焼き鳥をリピートして新幹線に乗った。
出発前はどう楽しんだものかと思ったり、暑さにやられたりしたが、目に沁みるような夏の自然と、食べ物の旨さ、上田はなかなか良い街であった。
皆さんも機会があったら夏の日本の原風景を見に、ぜひ上田を訪れてみてはいかがでしょう。
以上となります。
「親ガチャ」という言葉が定着してもうだいぶん経つだろうか。これは子どもの目線からの言葉なので、ずいぶんヘンな表現だ。どちらかというと「ガチャ」っと母親の股からひりだされたのは自分なのであって、これは言うならばガチャで出てきたスマホゲームのキャラクターがちらりと画面外のこちらを見て「持ち主ガチャに成功(あるいは失敗)したわい」などと悪態をつくようなものである。まったく論理的ではないが、そもそもこの国はもうずいぶん前から論理を手放してしまっているので、近頃の若者は日本語を知らんなあなどと馬鹿に出来やしない。大人だって馬鹿ばっかりだろう。私も含めて。
この馬鹿の国はもう底が抜けている。論理も倫理も道徳もひどいものだ。外国人と老害のせいにしておけばとりあえず心の平穏は得られるから、みんなそのようにして、で、少しずつ死んでいくのだろう。それはそれで幸せなのかもしれないが、まだ若い人、10代とか20代の子たちは気の毒だ。こんな国に生まれて自己責任だ、ざまあみろと嗤おうか。それとも、こんな国と心中することはない、勉強して国を出なさいと激励しようか。しかしこの国は若い人の勉強や研究に投資しないからなあ。まあ他人事である。頼むから「無敵の人」なんかになってなんの関係もない私を外ですれ違いざまに包丁で切りつけたりしないでくれたまえ、くらいのことを思うだけだ。かける言葉なんてない。私だってもはや自分と自分の家族を生かすだけで精いっぱいなのだ。
ネトウヨと呼ばれる人たちがいるだろう。もちろんそう呼ばれる人たちにもグラデーションがあり、一概に言えることではないのだろうが、それでも私は思う。彼らはまったく幸福だと。
なんせ、素晴らしき日本を信じてさえいればいいのだ。そこには何の葛藤もない。魂の苦悩がない。「日本人に生まれたのだから日本が好きで当たり前、日本は良い国、日本最高」と、誰でも到達できる場所で無難に遊んでおけばいいのだ。自分たちの姿勢を嗜めてくる人間はすべて「左翼」と憎み、彼らのいうことなど聞くに値しない。幸せだ。そんな人生を送れるだけの余力を、まだかろうじて日本はネトウヨ諸君に与えることが出来ているのだろう。
しかし、これからの時代、ネトウヨには辛いかもしれない。日本経済の衰退は止まらない。もちろん経済がすべてではない。しかし例えば、今後、老朽化したインフラがどんどん顕在化してくるだろう。八潮市でのアクシデントは何も特殊なことではない。ああいうことがこれからどんどん起こってくるはずだ。人死にも、一人や二人で済まないかもしれない。有事でもないのに米が不足しているのも見逃せない。「そもそも米の値段は安すぎたのだ」という意見に頷きはするが、国の主食の売価が1年で倍以上になるというのは先進国の話とは思えない。普通に生きてれば「おいおいこの国、大丈夫なのか」と思うのが普通。無難だ。
そこを、ネトウヨは「大丈夫だ! この国がやばいとかいうのは左翼だけ!」と、元気に叫んでくれるわけだ。普通に生きてれば「この国大丈夫か」と思うのが楽なのだ。しかしネトウヨはそんな楽な道は選ばない。そこには多少なりとも苦悩や葛藤がついて回るに違いない。もちろん知性の欠如というものが要因になるということも考えられようが、いずれにせよ彼らはいばらの道を選ぶのだ。
ここは馬鹿の国。あなたも私もみな馬鹿だ。ネトウヨなど、馬鹿も大馬鹿、形容しようのない馬鹿である。しかし、亡国の極みで彼らは光り輝くのかもしれない。彼らは知性を持たない。恥も知らない。だからこそ、生の炎が強く燃えている。なぜなら、今後、多くの日本人は、馬鹿は馬鹿なりに知性と恥を取り戻そうと動き始めるだろう。80年間自民党に預けていた知性と恥を。そんな中で、それに抗うネトウヨの勇猛心はとても強いものになるはずだ。その強い何かが、新しい日本を作るうえで必要になってくるだろうと私は思う。きれいごとを言っていてはいけない。ヘドロだってなきゃ困るのだ。というか言ってみれば人間なんてみなヘドロだ。ヘドロはヘドロなりに生きていくしかないのだ。日本国憲法、皇室、みなヘドロだ。「すき、かわいい、おいしい」であふれても、みなヘドロだ。人権、合理的配慮、ヘドロだ。ヘドロの中でも特急ヘドロがネトウヨだ。彼らは自ら汚泥にまみれ、堕ち切ったところで息絶え、花を咲かすだろう。拍手も称賛も必要ない。そこには馬鹿がバカとして生きたという、墓石のみあればいい。どうせこの国はそんな墓石の集まりだ。
話は母がガンになったところから始まる。
就職と共に家を出て2年ほどして、母がガンにかかっていることを知った。最初はガンと言ってもピンキリだろうと呑気に構えていたら、余命半年も無いらしい。
母が心配していたのは、典型的な昭和世代の価値観をもつ父のことだった。今でこそ男性も家事をするのが当たり前の風潮があるが、私の親世代は全く異なり、母は専業主婦で父は家のことは何一つ出来ないような人だった。
医者の話によると母は半年以内には亡くなる。その後、父がどうなるかを想像すると、
・二人暮らしから一人暮らしになる(下手したら後追い自殺するんじゃね?)
・酒に溺れる(弱いくせに酒飲み)
・まともに食事をしないので体調を崩す(仕事が忙しいと昼食を取らないなどのため痩せ型)
と、ろくな未来が想像できないため、仕事を辞めて実家に帰ってきた。
まだ社会人3年目だったため、不安もあったが、「親の余命が残り少なかったので親と過ごすため仕事を辞めた。親は死んだ」となった場合に次の仕事を探す時に「家族思いの良い人」になるし、たいして不利にもならないだろうという計算もあった。「自分の人生の時間のうち、1年位を母のために費やしてもいいか」という気持ちがあったのも確かだ。
結局、実家に戻ってから2ヶ月ちょいで母は亡くなってしまった。
母が亡くなってからは「やるべきこと」が多くて悲しんでいる暇はなかった。保険やら役所やら銀行やらの手続き。抜け殻になってる父は役にたたないので、全て代行した。その後、実家の片付け。母が居た痕跡を消したい訳では無いのだが、とにかく”母が居たそのままの家”は良くない。父には生き続けてもらわないといけない。時々思い出すのは良いが、感傷に浸りすぎない環境を整えないとまずい。母に思い出の中で生きてもらうのは良いが、父には今を生きてもらわないと困る。このため二人暮らしで家事の分担を決めて、家計の管理をどうするかなどを父に相談し、実際に家事を分担することで、今後、私と二人で生活していくことを想像させた。運動不足の父に散歩を促すように犬ももらってきた。文句を言いながらも犬にねだられて毎日散歩するようになり、身体的には母と暮らしていた頃より健康になった。
生活を立て直している最中に父方の祖父が亡くなった。祖父は母が無くなる前から寝たきりで病院でただ寝かされて”生きているだけ”の状態だった。父は「できる限りのことは行ってほしい」と望んだため、いわゆる延命治療を行っていた。意識もなく寝たきり。胃ろうを行い、無理やり栄養を流し込まれててただ生命を維持されているだけだった。そんな祖父を見て思ったのは「自分はこうはなりたくない。ここまで延命してほしくない」という事。父は普段から「わしは70歳くらいでころっと逝くわ」と言っていて、延命治療などは望んでいない。ただ、それでも自分の親には長く生きていて欲しいらしい。本人がどうしたいかと、自分の親に対する対応のずれに違和感を感じたが私が口を出すことでもないので、何も言わなかった。
あとから考えると、この頃は色々と大変だった。父と二人暮らしになったのだが、私は父の事をそれほど知らない。とにかく仕事人間だったため、子どもの頃の記憶に父が居ない。平日は私が寝てから帰ってきて、起きる前に出社する。日曜は家には居るがとにかく寝ている人だった。小中高と大きくなるにつれ、家族より友人との付き合いのウェイトが大きくなり、父への興味は薄れ、父の事を知らないまま育った。1つ父に関して大きな出来事というと、リストラされたこと。銀行員だったのが関連会社に飛ばされた。何年かは銀行に席を置くが、その後は関連会社の在籍になり、給料がかなりダウンするとの事。私が高校生の頃だったた、家計の心配などに回す頭はなく、落ち込んでいた父を見て、単に「でかい会社は信用できない」という印象だけが残った。この頃から"絶対的な親"というより"それほど強くない一人の人間"として父の事を見ていたように思う。
母が亡くなってからはとにかく父に話しかけた。幸いにも私は仕事で独立できたので、その話。ひとり社長の会社だが、父は独立したことを喜んでくれた。父はとにかく新聞を読んでいた印象だったので、私も日経新聞を読み時事の話などをふった。銀行員だったから経済には詳しいだろうと経済の話をふったら思ったほど知識が無くて驚いたこともある。父との関係は成長過程で作られたものでなく、母が亡くなってから作った割合が大きい。二人で暮らしているので、調理が面倒になると頻繁に二人で飲みに行った。週1ペースでは飲みに行ってたので結婚するまでに父とサシ飲みしてる回数は200回は超えるんじゃないかな?
そこから私が結婚して家を出るが、実家に作業場を残し日中は実家で仕事をしていた。一緒に昼飯を食べにくことで父が一人にならないように気をつけてた。趣味がなく、人付き合いもない父。一人にすると間違いなくボケる。とにかく人と関わらせなければならない。それを言い訳に子育てに使いまくった。自分の仕事が忙しいときは子どもの面倒を頼み、余裕があるときは父と一緒にあちこちに出かけていた。
母が亡くなってから15年経った頃、父の様子がおかしくなった。トイレでしょんべんを撒き散らしていてズボンがしょんべんで濡れている。外出した際に赤信号に気づかずに渡ろうとする。認知症だった。
父に言われていたので、すぐに施設を探した。区の相談窓口に行きケアマネージャーさんを紹介してもらい、入所可能な施設を探してもらう。幸いにもすぐに施設は見つかり入所させた。ここから父の電話攻撃が始まる。自分がどこにいるかわからない父はすぐに私に電話をかけてくる。「なんか部屋が変わってるねんけど」「飼ってた犬がいないけどしらんか」話す内容は毎回同じ。1ヶ月の電話の回数をカウントしたら150回を超えている。1日5回のペース。精神的にかなりきつい。余裕がある時は普通に話せるのだが、仕事が詰まっている時に電話がかかってくると本当に切れそうになる。こちらがまいってしまい一時的に父の電話を着信拒否したら、施設を出ていき行方不明。幸いにも警察に保護されて無事だったが、電話の拒否もできなくなる。結局、電話攻撃が落ち着くまでに1年以上かかった。
定期的に見舞いに行き外食に連れて行っていたが、認知症が進むと父を外に出せない。ランチで寿司屋に連れて行ってる時にゲップ、屁をこく、しつこく酒をねだるなど、行動が制御できなくなっていく。医者に酒量をコントロールするように言われているので、日本酒1合で止めるが、我慢ができない父。大将に「飲ましたりーや、可愛そうやで」と言われたのには本当にムカついた。結局、コロナの流行もあり、外食するのも止めた。このあたりで「父はなんのために生きているんだろう」と考えることが多くなる。妻をなくし、好きだった酒もタバコも私が止めさせ、美味しいものも食べに行けない。残っている楽しいことは、正月などに孫と会えるくらいだろうか?ただ、認知症が進むに連れ、会話ができなくなる。短期的な記憶ができないため、会話が続かない。「(孫の名前)、もうこんな大きくなったんや」という話が10分おきにループする。孫側からしても会話に付き合うのが大変だと思う。それでも家族が集まって賑やかな状態の中に居ることが楽しそうには見えていた。楽しませることが出来て良かったと思ったまでは良いんだけど、施設に戻るのを本気で拒否して声を荒げられるのは勘弁してほしい。
この後、脳梗塞、大腸がんなどがあり、その都度「ああ、もう寿命かな?」と思いつつもなんとか生きていたのだが、少し前に大腿骨を骨折して動けなくなった。肺炎などを併発してなかなか骨折の手術が出来ず、ベッドに寝たきりになってる間に筋力が極端に落ちた。肺炎が収まり骨折の手術は出来たが、食欲が戻らずほとんど食事をしていない。延命治療を拒否し胃ろうは行っていないため、現在は点滴にカロリー摂取を頼っている。点滴の管が太いために腕からではなく、首に点滴の針をつけている。認知症の父に状態が把握できるわけもなく、意図せず外そうとしてしまうため、手を拘束せざるをえない。見舞いに行くと部屋に入る前から「助けてください、助けてください」と父の声が聞こえる。自身の状況が把握できず、拘束されているのは本当に怖いと思う。非人道的だと思うが、看護師さんからしてもどうしようもない。説明をしても5分すれば忘れる。誰かが立ち会っている間は拘束を解いて問題ないため、見舞いに行き拘束を解いて状況を説明しているが、私が帰って5分すれば忘れてしまうのだろう。何年かの間に、私も同じ話をすることにすっかり慣れてしまっていた。
父の状況を見て、自分が将来、安楽死する方法を調べていた時に知ったのだが、日本でがん患者などが自死しようとする場合は餓死する方法があるようだ。水分だけを取り、食事をしないと体を動かすためのエネルギーが足りず、緩やかに亡くなるらしい。
「食えなくなったら終わり」と父本人が言っていて、今すでにその状況にある。何らかの病気の対応のための一時的な絶食ではなく、本人が食事を拒否している状態。カロリー摂取のための点滴を止めれば、父は緩やかに亡くなるだろう。
もう死なせてあげて良いかな
追記:
認知症になった後の治療行為が全て延命か?と問われると難しいです。
大腸がんになった際にかかりつけ医に相談しましたが、そのまま放っておくと腸閉塞になり苦しむことになると聞きました。今回の骨折も、理想的な話をするのであれば、すんなり手術が済み、リハビリが順調に進み、骨折前の生活に戻る可能性もあったと思っています。尿路感染もあったため、救急で運ばれた病院で「延命治療を望むか?」の確認をされ、本人も家族も望んでいないことを伝え、胃ろうはしないで欲しいことを伝えました。その際に「途中で止めれない治療、止めることが殺人になってしまう治療は行わないで欲しい」ことは明確に伝えています。骨折の手術のため、一時的に食べれなくなる事はあると思いますし、その間に栄養を点滴に頼ることもおかしいとは考えませんでした。点滴を取る可能性に関しては担当医に相談し「医師としては勧めれないがそういう判断もおかしいとは思わない」と回答を頂いています。このため、法的に点滴を外すことは可能と考えています。(このあたりは対応してくれる医師とそうでない医師がいるのでは?と推測しています)
両方ですね。自身の判断が客観的にどのように見られるんだろうというのを知りたかったので、ある程度目に止まるようにキャッチーなタイトルを付けました。ただ、自身の判断や行動が人の命に関わるのに、それを直視せず、柔らかな言葉に変えて誤魔化そうとする事が単純に嫌でした。母の時は気づいた時には手遅れで、運命だとか、体調が悪いのにきちんと病院に行かなかった自己責任だと思いながらも、ほとんど恩返しのような事が出来なかった心残りがあります。父に関して単純に流されるままに医師の指示に従うということもできるとは思いますが、最後まで向き合い続けるほうが、自分の心残りが少なくなるのでは無いかと考えています。
心配頂きありがとうございます。ただ家の事は何も出来なかった父ですが、そういう時代に生きた人なので、そこに対して何か不満もなく、搾取されているとも思わないです。介護の話だけを取り上げて書くとしんどい話ですが、子どもが生まれた事を喜び、友人と飲み会にも行っているので、自分の人生にはそれなりに満足はしています。
しんどくて、やりたくないならやらなくて良いと本気で思っています。実際に動いてみて思ったのですが、幸いにも今の世の中それなりに福祉サービスは充実しています。関与したくないならできる限り関与しない方法を探せば良いです。例えばですが、私はシモの世話はやりたくないですしアクシデントを除いて対応したことはないです。目の前のことにいっぱいいっぱいになってる人には、周りが逃げる方法を教えてあげてほしいです。あとできれば、介護している人に対して「かわいそう」、「ちゃんと面倒みたってな」というような言葉は本当に心をえぐるので避けて欲しいです。
優しくかわいい娘と思って読んでた方、すみません。中年のおっさんです。意図的に男女をわからなくしたつもりはなかったんですが…
https://anond.hatelabo.jp/20250610200055
こちらは人かAIかの創作だと思いますが、ある意味救われます。こう考えていてくれた良いなと
追記2:
救命救急の病院から療養型の病院へ転院し、1週間様子を確認しましたが、回復の見込みは無いと判断し、点滴(中心静脈栄養)を中止しました。
末梢静脈栄養への切り替えも考えましたが、父を長く苦しめることになるだけだと判断し、何もしない状態で父を見送ります。
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車に乗っててさ、
しかもよ、
走ってる途中に!
え?って思うじゃない。
でも一旦鳴り止んだから走り続けたの!
またしばらくしたら一瞬だけ警告音がなるのピーって。
これこそマジちゃんと対応しないと爆発してしまうそれこそバスガス爆発級のビッグアクシデントになってしまうわ!って
バスガス爆発を
途中の文節を「バスが酢爆発」って思って言うと言いやすいとかなるらしいわよ。
でもバスの酢漬けって酸っぱくてとても食べれそうになさそうな勢いの酢の爆発感!
美味しいのかしら?
まあそんな私が走っている車がそんな酢漬けになったら、
いや違う違うそうじゃないの。
走っている途中に爆発してしまったら困るので、
ちゃんと警告音のもとを調べてたの。
そしたらそしたらよ。
助手席に置いている鞄の重さで、
車は人が載ってると思ってでもシートベルトしてないから警告しましたからーって事だったらしいの。
私は知っていたわ。
確かに助手席の座席の中央くぼんだところを押し込むとセンサーみたいなのがあってなんてセンシングなの?って思うぐらい、
ああ、
この鞄が重たかったのね!って
そんな人が乗って警告音が鳴るぐらいの重さ?って不安になったけれど、
鞄の角が過度にピンポイントでそのセンサーをセンシティブに押していたみたいなの。
まあ原因が分かったのなら
私もまたご機嫌に車を走らせることができるので、
車の警告音と税務署からのメールと電話はちゃんと真面目に対応しないといけないのは世の常よね。
そう与野ツネさんも言っていたわ。
私がまたご機嫌に車を走らせて
ジャスコいやサティーいやもうすっかりそんな名前も忘れてしまったぐらい一周して過去の名前を忘れてしまったけれど、
きっとスナックでは昔の名前で出ていますって感じの
近所のイオンに寄ったの。
そしたら誰も店員さんが居ない無人のフロアで会計が全てセルフレジで、
会計を済ませてレシートを受け取りそのままセルフレジから立ち去るのだけれど、
なんか角度によっては見方によっては
私が会計もせず袋にも入れずに、
そのまま商品を持ち去ろうとしている人に映らないかなって防犯カメラに映ってないか心配したの。
その監視カメラに掲げて、
ちゃんとこの商品買いましたから!ってアピールをめちゃしたの!
そして
ただ単にカメラに写しているだけじゃ意図分からないと思ったので、
手を振って呼びかけて私ちゃんと買いましたー!って
残念なことにこれが本当に買った衣料品が割烹着じゃないってところが唯一残念なところだったけれど。
私のアピールが功を奏したのか、
やっと緑のランプが点灯してゲージが開いたの。
やれやれ、
セルフレジって大変ね!
カメラに向かってちゃんと買いましたからアピールをしなくてはいけなくなったこの世の中。
便利になったのかしら不便になったのかしら?
全くどっちか分からないわよね。
カメラの中の人が気付いて緑のランプを付けてくれるまで必死に買ったアピールを手を振り続けてやるだなんて。
良く考えたらあの天井ウニついたカメラから私の手もとを捉えて写しているレシートの文字って分かるのかしら?
衣料品とレジしたあとのレシートって辻褄合ってるかどうかまで見てんのかしら?
ダミーレシートでもカメラアピール審査通るんじゃないかしら?って
このディストピア感を感じてやまないのよね。
試してないけれど。
まあ試すつもりもないけれど。
でさ、
このお店にかかわらず、
なんか万引きしてる感が漂ってお店を出る瞬間緊張するわよね。
スーパーマーケットで買い物カゴ食品を入れてお買い物ルンルンに決めていたの。
そしたら、
ああ!店内だと会話しちゃったらエチケットに反するのでマナー違反になるわ!ってことで、
慌てて店内からお店の外に出たの。
もちろん、
鳴った携帯電話にでるのに夢中で買い物カゴも持ったままお店を出ちゃったの!
会話が終わってから私気付いたけれど、
これ一回お店から出ちゃってるからカゴの中身堂々と全万引きしてない?
なにも咎められることはなかったわ。
思わぬセーフともアウトとも言えない行動に自らヒヤッとしたハッとしてハットを被り直したぐらいなのよ。
焦ったわ。
誰も見てないのかも知れない正に監視室もディストピア感ともなう、
じゃ誰が管理しているの?
この世の中に鋭いメスを入れ社会を切った感があるわね。
ちゃんと緑のランプが付いてゲートが開いたのは確かなのよ。
まぐれだったのかしらね?
でもまぐれって何よ?っても思っちゃうわよね。
うふふ。
そんで、
ややこしいわ。
非なる似ているものなのかしら?
定かではないわ。
またまた久しぶりに寄ったからってピンクグレープフルーツを1玉買ってきて、
ピンクグレープフルーツウォーラーよ。
よく冷えてるので美味しくできたわ!
しっかりと水分補給をね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
チャットGPTにプロット覚えてもらって、詳しいイベントはお任せしてTRPGみたいなゲームをやってる
覚えてもらったのはこれ
これからRPGやサウンドノベルのようなゲームの進行をして欲しいと思います。
あなたはTRPGのゲームマスターのように、物語を話して進行しながら、要所要所でこちらの行動を聞きます。
その返答に応じて、ディテールを作って話を展開させてください。
このプロットをしっかり覚え、このプロットに沿って話を進めてください。
もし私の選ぶ行動がプロットと噛み合わなくなりそうなときは、強引にでもアクシデントなどを起こしてプロットに引き戻してください。
ゲームは1時間程度で終わるのが望ましいですので、各プロットはほどほどで決着させてストーリーを次に進めていってください。
以上がお願いです。しっかり覚えて、ゲーム進行をお願いします。
1. 始まりの町、マサラタウン。18歳になり成人した私は、幼馴染のニコと一緒に、隣の研究所に行き、最初の動物をもらう。これは犬か馬ですが、犬種や血統など選択肢があってもよい。動物にはスピード、スタミナ、パワー、敏捷性、賢さ、ジャンプの上手さ、従順さ、忠誠度、などの特徴がある。
2. もらった動物の信頼を獲得しつつ、調教を積みつつ、冒険へ出発。道中、出会いがあれば仲間の動物を増やすことも可能。今後も含め、動物の所有可能上限は6匹まで。超えるなら、超える分を逃がすことは可能。
3. 隣の町はニビシティ。ここのジムリーダーはイワタイプのタケシ。パワーの必要な深い砂での短距離レースで勝負。スピードタイプは不利。タケシの相棒はイワークという名前のパワータイプの馬か犬。勝てば次の街に進める。
4. 次の街はハナダシティだが、道中、迷いの森か洞窟かがある。可愛い動物が手に入るかも?
5. ハナダシティに到着。ここのジムリーダーはカスミ。相棒はスターミーという名の犬、犬種はパピヨン。シンプルにコマンドをよく聞けるかどうか、命令に従う信頼感があるかの勝負。アジリティやフリスビーなど難しい競技はまだやらない。勝てば次の街へ向かう。
6.冒険をしながら動物を育てる。道中、出会いがあれば仲間の動物を増やすことも可能。
7. 次の街、クチバシティに到着。ジムリーダーはマチス。サンデーサイレンス系の末脚鋭い馬が相棒で名前はライチュウ。広いレース場で、スピードと末脚の鋭さが生きる条件で芝の競馬勝負。スタミナタイプは不利。犬の勝負はない。勝てば次の街へ。
(中略、普通に上記みたいなジム攻略の順番とジム戦内容をプロットにしている)
22. 勝てばチャンピオンとなり、ニコと結婚してエンディング。
以上です。
で、どうなったかというと、
相棒貰えて、ニビに向かってタケシと戦うところまではすごくよかった
でも、タケシとレースした後、ハナダでカスミと、犬とスターミー(ポケモン)がフリスビーをぶつけ合うバトルをして、
そのあとクチバシティに向かおうとした後ハナダシティに戻ろうとし、
指摘してハナダに行かずクチバシティに向かえたと思ったら、
もちろん食べてる女性にスポットを当てるのは、商品の魅力を増す結果に繋がるとは限らない。
グルメ漫画の性表現と違うのはそこだが、しかし達成目標をどこに置くかは自由だ。
プロジェクトの目標として定量化しにくい商品の売り上げでなく、CMの再生回数を計るのは妥当。
だから女性性の性的消費に加担しても、コマーシャルの魅力を増すのは意図通りだった。
不運は、外部の事情によって偶然に男女の差異が出てしまいグロテスクさが具現化したことだ。
顧客は、アクシデントによる錯覚であることを考慮して、非実在の女性差別に憤らないこと。
事情を知らない人にはそれを教えてあげること。
性的消費に加担した咎はあるものの、それを指摘するならばグルメ漫画など他の性的消費材も問題視しないとダブルスタンダードになる。
足出してのスニーカーはダメ。ロング丈のスカートからちょこんと出てるスニーカーこれが至高。
なんでこんなに可愛く見えるの?というくらい狂おしく可愛い。
年齢関係ない。強いて言えば子供だとこれはそんなに可愛くないくらい。
デカいほどいい。服装次第ではあるけど基本リュック背負ってる女子はかわいい。
ちょっと伏し目がちで横からのアングルとか最高。できればバッグなしで。あっても小さいの肩がけくらいまででお願いしたい。
鉄板。あざとくても全然OK。髪長い子が後ろ髪のまとめちょっと失敗してるときもいい。
普段隠し気味でチラっと見えた時の色気
謎の主張を感じて愛らしい。
美人が深く被ってて顔上げてくれた時男はたいてい恋に落ちる。
どっか出かけてて疲れてぼーっと一点を見つめてる状態、ずっと見てられる。
どしたって聞いても無視してほしい。いやしてください。
普段前髪作ってるけどなんらかのアクシデント、洗顔などによりデコ全開状態の時。
なんで女子ってデコそんなに恥ずかしいの?の不思議さでかわいい。
中居も松本も紳助も、なにが真実であるか、なにをやらかしたのか、どうでもいい、関係ない
みんなで石を投げて苦しむ様を眺めるのが楽しいのです、それが現代のテレビの役割です。ストレス社会のサーカス
日々、ドラマ、ニュースを流し、出演させ、その誰かが吊橋から落っこちる
次は誰が落ちるか舌なめずりして眺める、品定めするのがテレビ、大物が落ちるほうが楽しい、だから大物を育てる
ドラマ主演させ、バラエティのメインMCに立たせ、コントをやらせ、美人にニュースを読ませる
主題は石投げ、こっちがメイン、感動のドラマだの、ニュースだの、どうでもいい、ただの演出
昔の吊橋は頑丈だった、かつゲーム参加には厳しい資格と審査を経て能力が認められた者だけがスタートラインに立てた
ところが昨今は吊橋は経年劣化でボロボロ、穴だらけ、手すりも壊れたまま、テストは形骸化し芸の無い人間でもお試し参加できる
だからボロボロ落ちる、愉快愉快。アホだ。時には優秀な選手の足を引っ張って共倒れになったり、それも愉快、そこにはストリーがありドラマがある
嫌なら参加しなきゃいい、強制はしていない、労働選択の自由、全て自らの意思じゃねぇか
そんなテレビの正しい役割も認識せずにカワイイ、カッコイイだけでゲームに参加するアホがあっさり落っこちるのもこれまた愉快
なおかつ、物知りしたり顔で、中居事件の真実だの、A氏関与の真実性だのを俎上に載せて議論するバカまで現れる
どーでもいんだよそんなこと、引っかかった時点で負け、偶発的不運で不条理なアクシデントだろうが、それを含めたゲームなんだよ
納得できなきゃ最初から市井のサラリーマンやってりゃいいんだよ、安心安全、無責任にピエロを叩くだけ
ねぇよ間抜けw
私がSMAPというグループと出会ったのは、小学生の頃にテレビで偶然見た音楽番組がきっかけでした。最初に目に留まったのは、センター付近に立って元気に歌い踊る5人の姿。その中でもひときわ明るい笑顔で、パフォーマンス中にも関わらず絶え間なく周囲にツッコミを入れたり、メンバーをいじったりしていたのが中居正広くんでした。当時は「歌っている最中なのに、こんなにしゃべっていて大丈夫なのかな?」と幼心にも不思議に思ったのを覚えています。けれど、その自由奔放な雰囲気がとても面白くて、気づけば私はすっかりSMAPの番組を追いかけるようになっていったのです。
バラエティ番組での中居くんは、他のアイドルとはひと味違う存在感がありました。いわゆる「アイドルらしさ」よりも、芸人さん顔負けの切り込み方や、気の利いたコメントで場を盛り上げる姿が際立っていたのです。もちろん、格好良く歌い踊る姿も素敵でしたが、それ以上に私が惹かれたのは中居くんが見せる“MC魂”のようなもの。言葉で人を笑わせ、安心させ、時には厳しく指摘もするけれど、最後にはその場にいるみんなをちゃんと大事にする。その姿勢がSMAPというグループの垣根を超えて、多くの芸能人や視聴者から愛される理由だと感じていました。
SMAPを語るうえで欠かせない番組のひとつが、やはり『SMAP×SMAP』です。バラエティとコント、トーク、そして料理コーナーの「BISTROSMAP」と、まさに総合エンターテインメント番組と呼べる内容でした。そこでも中居くんは、進行役やツッコミ役として重要なポジションを担っていました。毎回ゲストを交えながらのトークパートでは、中居くんならではの話の引き出し方が際立ちます。ゲストの経歴や最近の出来事を聞きだしながら、時にはメンバーを巻き込んで笑いを作る。そして相手のちょっとした仕草や失言を絶妙につつきつつも、どこか愛情を感じさせる口調でまとめ上げる。そのやり取りを見ていると、ゲストも居心地の良さそうな雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。
さらに印象深いのは、メンバー間の関係性です。木村拓哉さんがグループの顔としてクールなオーラを放ち、草彅剛さんが少し天然めいた穏やかさで空気を和ませ、稲垣吾郎さんが知的でスマートな振る舞いを見せ、香取慎吾さんがアーティスティックかつお茶目なアイデアマンとして盛り上げる。その中心で、中居くんはまるでお兄ちゃんのように全員の特徴を把握し、それぞれに合わせた的確なツッコミやフォローを入れていました。SMAPのバランスを保つ“司令塔”というか、“まとめ役”としての役割があったからこそ、あの自由奔放な個性派の集団が一つの大きなエンターテインメントを生み出すことができたのだと思います。
中居くんの思い出を語るなら、『うたばん』も外せません。石橋貴明さんとタッグを組み、ゲストアーティストを迎えてのトークは、時にアイドル番組とは思えないほど鋭いツッコミとボケが炸裂し、毎回手に汗握るような面白さがありました。アイドルなのに、ここまで突っ込んで大丈夫なの?と心配になるほどの攻めた展開。でも中居くんも石橋さんも、相手の魅力を引き立てるために全力で盛り上げているのが伝わってきました。ゲストとの絡みの中で、ちょっと厳しいことを言っても笑いに変える技術や、相手が負担に感じないように言葉を選ぶバランス感覚は、まさに“番組MC”としての腕前そのもの。多くの人気アーティストが『うたばん』に出たがる理由の一つに、中居くんとの掛け合いが生む“ハプニングからの面白さ”を求めていた、というのも納得でした。
また、『FNS歌謡祭』や『NHK紅白歌合戦』など、大規模な音楽特番でも中居くんはMCや司会として活躍してきました。特に長時間の生放送において、時間管理や進行、そして突然のアクシデントへの対処など、さまざまな能力が求められます。そんな状況でも、中居くんはほとんど動じることなく、次に話を振る相手を見据えて瞬時にコメントをまとめあげる。その柔軟性と仕切りのうまさは、幼い頃にバラエティで見せていた“自由さ”と表裏一体だったように思います。即興のやり取りが求められる中でも、彼が必ず忘れないのが「周りへの気配り」。カメラに映っていない場面でも、共演者に小声で指示を出したり、笑顔でフォローしたりと、その人柄がにじみ出ていました。
そして、一ファンとして忘れられないのが、ライブでの中居くんの存在感です。ダンスや歌のスキルに関しては、他のメンバーのほうが得意とされることも多かったかもしれません。だけど、中居くんがステージの真ん中で煽りの声を出すと、会場全体がぐわっと盛り上がるのを肌で感じた瞬間が何度もありました。MCタイムでは、時にメンバーをからかいながら、時に客席に向かってユーモアたっぷりに語りかけながら、あっという間に空気を一つにしてしまう。あの空気感は、リーダーとしてファンとの距離を一番近くに感じさせてくれる、特別なものだったと思います。
また、中居くんは時に“ヘタレキャラ”を自称することもありました。運動会やスポーツ番組などでほかのメンバーに比べて活躍が今ひとつだったり、本人が「オレ運動苦手だから」と照れながら言い訳をしたりする場面もしばしば。でも、そういうところも含めて、ファンとしては親しみを感じるポイントでした。完璧すぎないところがまた魅力で、「自分を落とすことで周りを立てる」というサービス精神が根底にあるように思います。
バラエティの場面だけでなく、人をサポートする姿勢はSMAP全体にも影響していました。メンバー同士がバラバラの仕事をたくさんこなす中で、それぞれが様々な経験を積み、時に悩んだり迷ったりすることもあったはずです。そのときに「チームとしてどう進んでいくか」を考える上で、中居くんがリーダーの立場から柔軟にメンバーを受け入れ、必要に応じて背中を押したり、時には厳しく叱咤したりしてきたのではないかと感じます。表向きには冗談混じりで「俺がリーダーだって言ったことは一度もないんだよね」なんて語ることも多かったですが、実質的には最年長としてグループをまとめる心配りを常にしていたように思えました。
個人的に好きだったエピソードの一つは、番組収録の合間や楽屋で他メンバーと何気ない会話をしているときの話。メンバーが新しく始める企画やドラマに対して、中居くんは「それ、いいねえ!」とすごく興味を示しつつ、具体的にどう盛り上げられるかを一瞬で考えていたというエピソードです。それを聞いたとき、「ただ楽しいねって言うだけじゃなくて、どうやったら番組として面白くなるか、どうやったら視聴者がワクワクするかを常に考えているんだな」と感心しました。アイドルでありながらプロデューサー的視点を持っている、そんなところが中居くんのかっこよさの一つだと思います。
SMAPが多くのヒット曲を世に送り出し、国民的なグループとして君臨した理由はさまざまあるでしょう。メンバー一人ひとりのスター性や楽曲の良さ、ドラマや映画での活躍などの要因が重なり合っての成功だったと思います。でも、その大きな渦の中心にいたのが、中居くんの存在ではないでしょうか。ライブや番組の構成を考え、グループの方向性を冷静に見極めながら、必要なときに自分が矢面に立って場を和ませる。その絶妙なバランス感覚が、SMAPを一つにまとめる大きな支柱になっていたように思います。
長い年月を経て、SMAPというグループは大きく形を変えました。それでも、私たちの中にはSMAPが残してくれた多くの思い出や楽曲、番組での名シーンが色あせることなく生き続けています。特に、笑顔あふれる中居くんの姿は、当時のファンにとっては鮮明に焼き付いているはずです。自分たちが楽しむだけでなく、視聴者やファン、そして一緒に仕事をする仲間を思いやる彼の振る舞いは、バラエティ番組を中心にした日本のエンターテインメント界にとって一つの理想像だったといえるのではないかと思います。
もちろん現在の活動でも、その経験値をフルに活かして、さらに磨かれたトークスキルを見せてくれています。しかし、私たちファンが時々思い出すのは、まだ若くて少しやんちゃさもあり、どこかいじられキャラでもあった“旧SMAP時代”の中居くんの姿。テレビの前で腹を抱えて笑ったり、ライブ会場で一緒に声援を送ったりしていたあの頃は、私にとっても青春の一部でした。彼が楽しそうにメンバーとの掛け合いを見せてくれるたびに、「ああ、SMAPって本当に仲がいいんだな」と感じられて、それだけで明日からの元気をもらえたものです。
今振り返ってみても、あれほど多種多様な才能を持ち寄りながら、しかもバラバラな個性をしっかりまとめ上げるグループはそう多くないように思います。中居くんはその中でも特に、「自分が楽しいと思うこと」を軸に、周りの人たちにも楽しさを広げる才能があるのだと感じます。彼が時折見せる優しい表情や、言葉の端々ににじむメンバーへの思いは、画面越しでも十分に伝わってきました。だからこそ、笑いにあふれたSMAPのバラエティやコンサートを思い浮かべると、自然とこちらも笑顔になるのだと思います。
旧SMAPの中居くんを思い返すとき、私が一番大切にしているのは「温かさ」と「笑い」です。さまざまな番組やライブの中で、彼がファンや共演者、そしてメンバーに注いでいたものは、アイドルを超えた一種の“人間らしさ”のような気がします。ステージの上でギラギラと輝くだけではなく、どこか隣にいそうな親しみやすさで、でも気づけばしっかりと中心に立って場を回している。そのギャップこそが、中居くんを唯一無二の存在にしている理由ではないでしょうか。
私にとってSMAPというグループは、思春期から大人になっていく過程で、たくさんの楽しみや感動を与えてくれた存在でした。その中心でいつもバラエティ豊かな笑いを提供してくれたのが中居くんです。リーダーでありながら「リーダーらしくない」態度を取りつつ、それでも大事なところでメンバーを一つにまとめる。そんな中居くんの姿に、今でも私は元気や勇気をもらいます。たとえ環境が変わり、活動スタイルが変わっても、あのころの明るい笑顔と思いやり溢れるトークは、ずっと色褪せずに心に残り続けるのだと思います。
こうして改めて振り返ってみると、“旧SMAP”という一つの時代を象徴する存在の中で、中居正広くんがどれほど重要な役割を担っていたのかを再確認することができます。彼が築き上げてきたバラエティでのポジションやメンバーを支えるリーダーシップは、簡単に真似できるものではありません。これから先、さらに活躍の場を広げ、より自由な形でエンターテインメントを創造していく中居くん。その姿に触れるたびに、私は「やっぱりあの頃のSMAPは最高だったな」と、懐かしさとともに温かい気持ちになるのです。今でも繰り返し見たくなる映像やライブ音源がたくさん残っていることを幸せに思いつつ、これからもずっと、あの輝かしい記憶を大切にしていきたいと思います。
増田は妻が何らかのアクシデントや体調不良の時に「大丈夫?」とか
奥さんが普段その何らかのときに取ってる対策を指して「〇〇持ってこようか?」とかの
「私は気遣っています」「心配しています」はきちんと口に出してるのか?
奥さんは言わないのか?
俺も言うし妻も言うよ。
妻の体調は気にかけてるし、具合が悪そうならまず病院に行くように促す。
辛そうなら大丈夫?とは言うし、心配な状況なら心配とは言うけど、
咳があまりにも続くとか吐血したとかなら心配だし、病院連れていくけど
程度問題だよ ちょっと頭痛い、熱がある、だけならあー風邪かな、でそんな心配なんかしないだろ
仕事してたら仕事先でもこういう声かけが一般的とされる状況はあるはずだが
増田と周囲の同僚などの態度に差はあるのか?
つまり周囲の社員が「だいじょうぶ~?」とか言いあっている時に増田は言わないとかの差だ。
はっきり言って、上司とか同僚に「お大事に」と言ってる瞬間は、気持ちはほぼ無だね
仲いい同僚は別で「風邪かよ大変だな、ドンマイ」くらいは思うが、
いちいち心配するか?大人だろ。ガンだっていわれたら心配するが。
勝手に治してまた出社してくるだろ。
それから子どものころ看病してもらってうれしい気持ちは理解するとあったが
成人が成人にやったとしても「看病する側は親になったわけじゃない」のは理解してるんだよね?
ただ俺は成人が成人を看病する必要があるのはそもそも結構な状況じゃね?とは思うかな。
少なくとも、40度くらい熱があったって自分でトイレ行ってポカリ飲んで冷えピタ代えるくらいはできるよね。
もちろん外に出るのは厳しいからinゼリーとかヨーグルトとか買ってきてもらえたら嬉しいよ。
でもそれこそ遊んだ帰りのついででいいわ。つきっきりで看病してもらう必要性なんか全くないし、
何度も言うけどむしろ移すリスクの方が高くてやめてくれーと思う。
唯一、子供に対してだけは「全然移されてもいい、とにかく側にいてやりたい」と思うし、
そうすることの意味も大きいと思う。子供だから許せるところは正直ある。
自分で今書いてて思ったけど、これって妻を自立した人間として捉えたいと思っているからなのかもな
それこそ家父長的価値観で「女子供」って捉え方をするなら、妻にも子供と同じように
「全然移されてもいい、とにかく側にいてやりたい」って思うのかも。
そういう庇護するような目線で見られないってのが、「親になったわけじゃない」ってことだけど、わかる?
最大の疑問、
奥さんが風邪で寝込んでいるとして、増田が自分の趣味で外出しようとする、
その間娘さんはどうしてるわけ?
当然、娘も連れていく。
返信無視してすまんが2つ疑問がある。
増田は妻が何らかのアクシデントや体調不良の時に「大丈夫?」とか
奥さんが普段その何らかのときに取ってる対策を指して「〇〇持ってこようか?」とかの
「私は気遣っています」「心配しています」はきちんと口に出してるのか?
奥さんは言わないのか?
仕事してたら仕事先でもこういう声かけが一般的とされる状況はあるはずだが
増田と周囲の同僚などの態度に差はあるのか?
つまり周囲の社員が「だいじょうぶ~?」とか言いあっている時に増田は言わないとかの差だ。
仮に上司が「頭痛がひどい、どうも風邪っぽいので早退する」とか言い出した時に
業務連絡の後で「大丈夫ですか?お大事に」とかつけたす文化はない?
それから子どものころ看病してもらってうれしい気持ちは理解するとあったが
成人が成人にやったとしても「看病する側は親になったわけじゃない」のは理解してるんだよね?
最大の疑問、
奥さんが風邪で寝込んでいるとして、増田が自分の趣味で外出しようとする、
その間娘さんはどうしてるわけ?
2024年11月2日syrup16g「遅死11.02」@日比谷野外音楽堂
天候的に新幹線が遅れるかもしれないと思って早目に乗ったは良いけど途中で止まってしまい新幹線の中に閉じ込められる等のアクシデントがありつつも何とか辿り着けたまでは良かったけど、野音の最寄り駅に着く前にトイレ行っておこう〜って思ったら駅で迷って到着がギリギリになるポンコツ振り。そして帰りも新幹線遅延で1時間半デッキに立って帰りました…(少しでも早く動き出すのに乗って帰らないと家に辿り着けない為)まぁ無事にライブが観れてその日の内に帰れたので結果オーライ。
雨に関しては始まる前が一番ピークだったかも。公演始まったら割と気にならないレベルで観れた。でもこれはRSRで揃えた雨具が大活躍してほぼ濡れずに済んだ(手のひらがちょっと濡れたぐらい)お陰もあるかも。大荷物になったけど雨とか寒さは全然気にせずにライブに集中出来たから色々持ってきた甲斐があった。
席は五十嵐さん寄りだったので五十嵐さんと中畑さんがよく観えて頑張ればマキさんも観える感じ。なので今回は沢山五十嵐さんを観ました笑
以下、曲の覚え書きと感想。
·2曲目前頭葉。前頭葉、普通に音源として聞く時はそうでもないけど笑ライブで聴くとめちゃくちゃカッコ良いんだよなぁ。ギターソロ完璧に近くてすごい(って言うのも失礼だけど)
·4曲目 もういいって。もういいっては音源発売当時に鬱屈した気分の時によく聴いててその思い出が脳裏を過る。あの時はまだ若かったなぁ…。ギターがめちゃくちゃ良い。ラストの所もういいって〜の所中畑さんが歌ってなかった?記憶違いか…??
·5曲目 翌日。やっぱ美しいメロディだよなぁと思いつつ聴いてた。晴れてたらもっと美しかっただろうなぁ〜!!中盤に持ってくるの珍しい気がする。中畑さんのハモリが美しい曲。
·6曲目生活。始まり方で生活だなと分かった笑定番曲なので個人的にお腹一杯な感じだけど、何やかんや聴くとテンション上がる曲。ソロが完璧ですごい(?)
·7曲目真空。真空も定番曲だけどドラムがカッコ良いんだよなぁ〜!!あとベースの入りがいつも激カッコ良いです。中畑さんのロックンロールー!!とイェイェイェイェ〜!!でテンション上がらない人いない説を唱えます。
·8曲目Breezing。珍しい曲だからちゃんと聴かなきゃ!!と思ったけど気付いたら終ってた…笑
·9曲目エビセン。エビセン初めて生で聴いた気がする。照明が紫のうねうね(?)したやつで綺麗だった。あとメロディがめちゃくちゃ美しくて今回聴けた中でも上位に入る良さだった。エビセンの中畑さんのハモリ良すぎる…!!この曲聴けただけでも元取れたなと思う。
·10曲目明日を落としても。明日落としても大好きなので野音で聴けて嬉しい。いつ聴いても名曲。ベースがアレンジしてあってマキさんがそう言う工夫をしてくれてるのが嬉しい…。
·11曲目 赤いカラス。赤いカラスも好きだから嬉しい。(僅かばかりの未練に)「しがみ付いてみたのです」って歌詞変えてた。もしかしたら普通に間違えてただけかもだが…笑 この歌詞、再始動前の五十嵐さんって感じがして聴く度に胸がぎゅっとする。ラストの所のドラム最高に好き!
·12曲目 IHateMusic。この曲も初めて生で聴いたかも。中畑さんのハモリが美しい!!あとベースが素晴らしい!!やり慣れてない曲だけどかなり良い感じだったしまたの機会に是非やって欲しい一曲。
·13曲目 In MyHurtsAgain。まさかレミゼの曲でこの曲を持ってくるとは…!!でもレミゼの曲聴けて嬉しい。この曲の照明綺麗だったなぁ。レミゼの曲もっと積極的にやって欲しい!!!
·14曲目変拍子。この曲野音で聴けてめちゃくちゃ嬉しい!!「分かりあえた日々が眩し過ぎて見れないだけ」って歌詞、本当に好き…。ギターソロもめちゃくちゃ良かった…。本当やってくれてありがとう…。
·15曲目 光なき窓。この曲も野音で聴けて嬉しい〜!!照明もすごく素敵で天気が良かったら最高に美しかっただろうなぁ…。「そばにいてくれ ふらっと隣に」って歌詞が大好きなので聴けてじーんとした(この感想書いた後に中畑さんのポストが流れてきたのだがそれに影響されたとかではないです!!私の方が先に感想書いてた!!と言う謎の主張をしておく笑)あとドラムが曲に寄り添ってる感じがして好きなんだよなぁ…。アウトロの部分が美し過ぎる…。この曲終わった時点で1時間半ぐらいはやってたんだけど本当にあっという間でマキさんがベースおろして手に持ってそのまま去っていったの見て後ろの人が「えっ?(早くない?)」って声出してて気持ち分かる〜!!ってなったし私も「早っ!?」って思った笑
E.N 1曲目はSonic Disorder。マキさんが最初に1人で出てきてベースを弾き出して中畑さんが出てきて、最後に五十嵐さんが出てくる構成だったんだけど五十嵐さんが出てきた時にマキさんに「わ〜(両方の手のひらをひらひらさせて皆注目〜!って感じの動作)」ってしてから手拍子煽ってた。そしてこの曲が走る大きな要因は中畑さんのドラムだな〜と改めて感じるなど笑ソニックでぐわって入ってくるベース本当大好きだしマキさんがこの日いち激しくノッてた感じがした。
E.N2曲目は神のカルマ。アンコールの流れ、定番過ぎる!!笑 でも大好きな曲なので結局は嬉しいと言う…笑
E.N3曲目は落堕。五十嵐さんがハンドマイクで前まで出てきて「結構降ってる〜」ってヤンキー座りしながら言ってるの笑った。あれカメラにアピールしてるのかと思ったけど違ったのかな?(遠巻き過ぎてよく見えなかった…)そのままギター弾かずにドラムとベースに合わせて歌ってた。「寝不足だって言ってんの」の所で客席にマイク向けててお客さんの声に「ありがとう」って言ってて何かじーんとする。この日今までライブ行ってきた中で初めて「寝不足だって言ってんの」って叫んだ笑(今まで一回も叫んだ事なかった)記念的な気持ちも込めて。落堕も飽きる程聴いてるけど本当〜に演奏がカッコ良い!!特にドラムとベース!!最高です。
E.N4曲目はcoup d'Etat〜空をなくす。ド定番とわかっていながらも嬉しい笑ベースもカッコ良いしドラムもカッコ良いしリズム隊がとにかく最高なんだよなぁ…。そう言えば照明がポケモンフラッシュじゃなかった気がする…。
WE.NでReborn。出てきた時に中畑さんが前まで出てきて隅から隅まで歩きながら全方向に挨拶してて暖かい気持ちになった。
Reborn、昔程は特別視してない曲だけど、やっぱり私の中で武道館の演奏が一番心に残ってて、その後何度も聴いてきたけど、この日の野音でその悲しい記憶を塗り替えれたような感覚がしている(生還の時も感動したけど、あれはシロップとしての演奏だったかと言われると個人的に複雑な気持ちなので…)今のシロップが鳴らしてくれたRebornをようやく手に取れた感じがした。悲しみではなく希望を鳴らした音楽を。
以下MC覚え書きと雑感想。ニュアンスなので所々間違ってると思われます。
·五十嵐さんの第一声が「(雨で)ごめんね〜」なの、やっぱ気にしてるのか〜って思った。その後も何度もごめんねって言ってたけど皆シロップの音楽が聴きたくて集まってるので気にしないで演奏してくれ〜と思っていた。
·「よく来た、よく来たね」って言ってくれる中畑さんLove…。「こんなバンドを観に来たばっかりに…笑 皆大変ね〜。この後、雨強くなるみたいだけど笑 無理せずね。最後まで楽しんでってくれたら嬉しいです。こっちは無理してもやるので。」
·五「(客席を見て)野戦病院みたい」「楽しい時間にしたかったんだけど…今も楽しいんだけど💦」って焦ってて笑った。
·五「(明日を落としても終わりで)辛いことばかりって…ねぇ…辛いのはこっち(お客さん)だよって…(少しの沈黙)…すみませんでした…」って自己完結してて笑った。こちらは好きで来てるので大丈夫です!
五「雨弱まってきたんじゃ…?ねぇ…」
中「前に出てみれば分かるんじゃない?笑」
五「あ、そ、そうね…失礼しました…」って五十嵐さんに対してちょっと鬼畜な中畑さん笑う。
·何の曲か忘れてしまったけど、足を蹴り上げる五十嵐さん新鮮過ぎる。定番(?)の左足も上がってた。
·曲が途切れるとこまめにベース拭いたり捌ける時は必ず手に持って捌けていくマキさん、楽器大切にしてるんだなって思ったと同時にやっぱステージ側に雨かかってるのかなと心配になった。
·今年初めてのワンマンライブ…と言うか今年はこの一回だけなんですけど…ってのに笑い起こってたし私も笑った。また来年会いましょうって言ってくれたので期待して待ってます!!
·照明が明るくなると雨が照明に照らされてこちらから観てる分には綺麗だったけど、風の向き的にステージ方面に割と雨流れてる様に見えたのどうだったのかな?濡れたりしてないと良いけど…。
·最後全員で前に出てきてお手振りしてたけどマキさんが何回かお手振りして「これ(終わり方)どんな感じ…?」的な風に2人の動向見てたけど他の2人は全く気にしてない感じでずっと手を振り振りしてて可愛かった笑
·途中、雷ピカピカ·ゴロゴロしてて色々な意味で貴重な体験だったし、雨の中で演奏するシロップ幻想的で綺麗だったな。滅多に観れない光景だし。ダイマスさんが言うように伝説の一日になった気がする。良くも悪くも記憶に鮮明に残る野音になった。
·中畑さん、シロップのライブについては終わった後に必ずXなりインスタなりで気持ちを伝えてくれるので嬉しい限り…(もしかしたらファンの気持ちに応える為にやってるかもしれないけど)シロップの事を大切にしてくれてるんだなと思えて嬉しい気持ちになる。
あと近年一番嬉しい事はマキさんとシロップとの距離がぐんと近付いた感じがしてるのを体感出来てる事で。昔は一線引かれてる感じがしてたけど今はsyrup16gのメンバーでいてくれてるのがちゃんと伝わってくる。私の思い込みかもしれないけど。バンドの暖かい空気ってこの事も大きく関係してると個人的に感じてます。本当にそれが嬉しい。
正直、個人的に遅死や野音に関してそこまで思い入れないけど3人だけで野音で演奏する姿が観れたのすごく嬉しかったな。あと今回、五十嵐さんのギターが全体的にすごく良くてそれが野音で聴けたのも嬉しかった。今回、今の身体的に雨の中でライブを観ると言う行為に不安がなかった訳ではないけど、行きたいと思ったライブには少し無理してでも行くと決めたので行って本当に良かったと思っている。あの時行っておけば良かったなってこの先思いたくないので。
·服装→足元はロングの長靴(折りたたみ式で荷物のコンパクト化をはかる)雨が酷そうだったのでレインスーツ(小雨だったらポンチョにしようと思って持っていったが今回は出番なし)フードだと音の聞こえが若干悪くなるのでレインハット、寒そうな予感がしたのでレインスーツ内にウルトラライトダウンを着込む。この仕様で寒さ·濡れ共にほぼなし且つライブに集中する事が出来た。大荷物にはなったけど、どれも持っていって損はなかったので持っていっただけの価値はあったなと思う。
·荷物→ゴミ袋に全てを突っ込んで足元に置いておく。ゴミ袋は2重に出来るとなお良い。会場に向かう前に駅の構内で濡れたくない荷物はとりあえずゴミ袋等に突っ込んでおいて席に着いてから完璧にすると全く濡れずにすむかも。
1.クロール
2.前頭葉
3.Heaven
4.もういいって
5.翌日
6.生活
7.真空
8.Breezing
14.変拍子
15.光なき窓
E.N
1.Sonic Disorder
2.神のカルマ
3.落堕
4.coup d'Etat〜空をなくす
E.N2
1.Reborn
便乗便乗ゥ
1.ソード・ワールドRPGリプレイ集〈1〉盗賊たちの狂詩曲(ラプソディ) 著:山本弘 初版1989年
これがなければ、TRPGリプレイが多数書籍刊行されることにはならなかった可能性があるくらい、歴史上はとても重要な作品。
さすがに今読むと古臭い部分は否めないが、TRPGに初めて触れた人にも楽しさが伝えられる教科書的な作品ではあります。
2.新ソード・ワールドRPGリプレイ集」シリーズ、通称「へっぽこーず編」 著:秋田みやび 初版2001年
MtGなどのTCGに押されまくってTRPG専門誌が次々と休刊していく中で、TRPGリプレイ書籍の復権に貢献した作品。
駆け出し冒険者が地道にお使い任務を繰り返して実績を重ねて成長し、最後は国家の危機に対抗するほどの力をつける成長譚。
冷静に考えると活躍自体は地味な部分が多かったですが、それを面白く魅せる筆致は確かなものでした。
9巻でアクシデントが起こったせいもありますが、合計10巻は当時のリプレイ作品では最長の巻数。
著者の秋田みやび氏は、経理担当でグループSNEに入社しながらもWeb担当を経て本作品のGM及び執筆を任された異色の経歴。
3.ナイトウィザードリプレイ 紅き月の巫女 著:菊池たけし 初版2003年
実は初出は成人向けゲーム雑誌「E-LOGIN」での連載作品である。
声優の矢薙直樹氏と小暮英麻氏をプレイヤーに迎え、インターネットラジオも同時に配信していたという何から何まで初物尽くし。
声優をプレイヤーに迎えるのは当時は前例がない(推定)ことであり、以降たくさんの作品で声優が起用されていくことになるきっかけとなった作品でもある。
なお、ナイトウィザードは2007年にアニメも放送されたが(このリプレイのキャラの一部も登場)、その前の2004年にアダルトゲーム作品も発売されている(こちらはリプレイとは世界観以外は関係ない)。
4.ご近所メルヒェンRPGピーカーブー 著:河嶋陶一朗 初版2008年
河嶋氏が考案した汎用のTRPGシステム「サイコロ・フィクション」の第1弾。
子供とお化けがコンビになってプレイする設定のTRPGのため、実際の小学生がプレイに参加している。
歴史上重要なのはその点ではなく、本書はTRPGルールブックの扱いながら、その多くがリプレイに紙面を割かれている点にある。
数頁~十数頁程度のリプレイが掲載されているルールブックは珍しくはなかったが、紙面の半数以上がリプレイパートになっているというのは異例であった。
これ以降、サイコロ・フィクション作品では多くがこの形式をとり、ページが半数以上とまでいくものは多くないが1/4程度以上を占めるものだと、同じ冒険企画局の「艦これRPG」や「幻想ナラトグラフ(東方project二次創作)」だけでなく、F.E.A.R.の「オクトパストラベラーTRPG」等や、グループSNEのソードワールド2.5関連のサプリメントでも同様の形式がとられるようになっている。
5.ダブルクロス The3rd Editionリプレイ・デザイア 著:加納正顕 初版2010年
TRPGリプレイとしては珍しく、「悪役」側をPCに据えた作品。
ダブルクロスはダメージインフレの激しいTRPGで、PCがHPの2倍以上のダメージを受けることも珍しくないため、防御特化型のPCは成立しづらいと思っており、これ以前のダブルクロスのリプレイ作品でもそのようなPCは一人も居なかったのですが、このリプレイで登場したPC「大門寺朱香」がそのイメージを完全にぶち壊していきました。
なお、PLは声優の若林直美氏。ダブルクロスは初プレイとのことでしたが、別のTRPGのプレイ経験はあったとのことでした。
TRPGリプレイの人気としては、観測比でほぼ最高クラスなのですが、別に証拠はなくやや趣味枠的な扱い。
(次点)
本来はこれを選ぶべきなのでしょうが、執筆者が全く目を通すことができていないため選外に。他にも旧ウォーロック誌上のリプレイとかも挙がるかとは思います。
これも挙げる人が多いかと思いますが、SNEだらけになってしまうこともあり敢えて外しています。リプレイを基にルールが改定された作品としては先駆者と言えるかと思います。
・クトゥルフ神話TRPG るるいえシリーズ 著:内山靖二郎
表紙に狐印氏を起用するなど明らかに狙っていますが、普通にホラー作品としては面白い。ただ、CoCブームに微妙に乗れなかったようにも見えます。
なお一部リプレイ登場キャラは、アニメ「這いよれ!ニャル子さん」SAN期にこっそり登場してたりする。
・アリアンロッド・サガ・シリーズ 著:菊池たけし
表題の通称「無印」以外にも、A-Mまでの派生(作者はきくたけ氏一人ではないが)でリプレイだけでも計40冊以上ととんでもない分量を誇る作品群。
同じ菊池氏なら、歴史上はナイトウィザードの方が重要と考え残念ながら落選。
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