
はてなキーワード:アイドル映画とは
青春モンスターパニックホラーの凡作。良くもなく悪くもなく。56点。
故ポール・ウォーカーがキラキラのハイティーン(なお撮影当時26歳)として登場していてなんだかシンミリしてしまった。しかもポールが車を買うところから話が始まるので、逆にノイズやわ~って思っちゃった。CB無線じゃなくてニトロを積んでいれば勝てたのに。
話としては
気になる女の子に「車買ったよ!」とウソ自慢してしまったポールは帰省のための航空機チケットを売り払い中古車を購入。車で帰省する途中で彼女を拾ってロードデートの計画を立てる。しかし途中で喧嘩で逮捕された兄の身元を引き受けることとなり二人旅に。勝手にCB無線を取り付けた兄の提案でネカマでその辺のトラック運転手をからかっていたところそいつがモンスターで彼を怒らせてしまう。合流した彼女も巻き込んだ逃亡劇が今幕を開ける。
一昨日アオラレを見たんだけどモンスターを怒らせるトリガーがほぼ一緒で笑っちゃった。
ボイスオカマで運ちゃんをからかっていたポール兄弟はモーテルで出会ったいけ好かないオヤジに怒り、運ちゃんに「私は今そのオヤジの部屋にいる」と嘘情報を教えてしまう。結果的にオヤジは下顎をえぐり取られ重体。警察にこってり絞られた2人はしょんぼり運転しているとまた運ちゃんから連絡が入り、ポールはネタバラシをしていたずらのつもりだったと弁明。「謝れ」と迫る運ちゃんに謝ろうとするポールからトランシーバーを奪ってクズ兄貴が全力煽りをカマしてしまう。
昨日見たやつ~~~!!!これ昨日見たやつや~~~~!!!ってなったけど20年前の映画なんだよな。
俺の中で邦ドラはバカばっかり出てきて、洋ドラはクズばっかり出てくるっていう固定観念があるんだけど、アメリカの(広義の)ドラマって必要以上にクズばっかりでてくるよな。今作の兄貴は必要以上にクズなのでめちゃくちゃムカつくんだけど、アオラレの主人公に比べると明確に「根はいい奴のポール」と「どうしようもないクズの兄貴」という描かれ方をしているので、こいつはクズとして嫌って見ていいんだなと割り切って見られるのはプラス。あと、演者の人が目が意外とクリクリしてて憎めないバカの演技がうまくて若干相殺できてるのはよかった。
あとは無関係のオヤジとモーテルの店員は巻き込まれて殺されちゃうんだけど、ポールと彼女、あとなぜか誘拐されてた彼女の友人は無傷で救出されるんだけど兄貴だけは太ももに杭が刺さる上に、その後その穴にパイプを通されるという拷問を受けるのでスッキリポイントが整っているのもよい。
アオラレとの比較が多くなって申し訳ないんだけど今作ではモンスターはより人間性をはく奪された"道理の通じない怪物"として登場する。終盤のモーテルでの格闘シーンでちょろっとだけ登場するんだけどその姿も怪物的。それ以外は終始、無線から聞こえる声とクソデカコンボイトラックという暴力性の化身としてしか登場しない。なのでアオラレのような社会派スリラーっていうよりはモンスターパニックホラーとして楽しめた部分はあるかな。
特に途中で全然関係ないトラックの運転手を犯人だと思い込んでチェイスになるシーンがあるんだけど、それが勘違いだとわかってホッとしてるところにそのトラックの荷台を突き破ってコンボイトラックが突っ込んでくるシーンは大爆笑しちゃった。モンスターすぎるだろ。
もろちんモンスターものにしてもこいつ、いつどうやって主人公たちを見張ってるねんとか情報をどこで仕入れてるねんみたいなロジックがめちゃくちゃ弱くてっていうかなくて、何でもできる系モンスターになっちゃってるのでそこが気になる人にはマイナス。なのでマイナス(小泉進次郎)。
シチュエーションも高速道路、牧場、トウモロコシ畑などでのバラエティ豊かなチェイスからモーテルでのサスペンスに格闘、犯人に脅されてポール兄弟が全裸でハンバーガーを買いに行くサービスショットまでぬかりなく配置されていてエンタメやったるでって気概は感じた。
ただ俺は吹き替えで見てたぶんちゃんとした声優さんを使ってるんだけど吹き替えがめっちゃ下手っていうか、常に台詞が映像を上滑りしててヘンな感じだった。特に彼女役の人がマジで「映像の上から音声被せてます」って感じになってて、演技じゃなくて吹き替え処理がこんなへたことある!?って思っちゃったのでそこもマイナス。いや字幕版で見ろよ。
そんなこんなで特に社会的メッセージもなければ学びもない、いや学びがないは言いすぎか。若者だからってハメを外すと痛い目を見るぞというあらゆるホラー映画に言える盆百の学びはあるモンスターパニックホラーの凡作。よくわかんないけどポールと兄貴、彼女をよく撮ったろうってのが透けて見えて日本でいうところのアイドル映画っぽい感じがしたかな。なのでキラキラアイドル映画だと思って見たら、意外とめっけもんみたいな感じで楽しむといいかも。
まぁ上にも書いたけどエンタメとしての戦闘力は普通にあるので見て損するような作品ではないので、今週の金ローマジで興味ない映画だけどなんか金ローでかかるような映画見たいな―って時にオススメ。
面白さは辛めにつけて60点。
アイドル主演のホラー映画は80点満点みたいなところがあるので80点満点中60点ということで
よかったところは映画として話の軸がわかりやすくスッキリしていたこと。
悪かったところはヴィジュアル。
これ公開時に田舎住みの俺増田氏が都会の駅に行ったら見渡す限りの壁一面がこの映画の宣伝でジャックされており
逆にうわ~これダメそ~~~と思ったのを強く覚えているが、その印象よりはだいぶよかった。
まずよかったストーリー面だがいわゆる「心霊映画」としての整理のされ方。
霊が見えてしまう主人公だが、しかし霊が見えていることが霊に気づかれると憑かれてしまう。
なので何とかかんとかそこらへんをウロウロしてる霊を見て見ぬふりする様をコメディテイストで描く、というのがこの作品の一種の面白どころだと思う。ぶっちゃけ私的にはここはあんま刺さらなかった。コメディにするならもうちょっと徹底的にやってほしい。怖がらせるのか笑わせるのか中途半端で逆にシュールだなと感じた。
しかし引き寄せ属性の友人が霊に取り憑かれてしまったことから見て見ぬふりするのではなく、霊に対峙していくことの重要性に気づいていく。
その中で臨時教員であり超強力な霊に憑かれている遠野が現れ、その霊にまたも祟られてしまった友人を救うために決死の戦いに挑む。遠野に取り憑いていたのはウルトラ過保護な彼の母親で生前から病的なまでの執念で彼を「見」守り、洗脳に近い形で彼を支配していた母親は死してなお霊になって彼の人生を縛っていた。
主人公とその友人の霊感女の助けを借り、支配される対象ではなく一人の人間として母親を見ることで対峙し母親の呪縛から解き放たれる遠野。
そして主人公パートで度々登場するも無視されていた主人公の父親が、喧嘩して無視という形で反抗を続けているうちに死んでしまった霊で実はこの映画がシックスセンスだったことが判明し、主人公はそのことを受け入れブルース・ウィリ……父親を無視しながらも(霊だからね)謝罪し父親は成仏するのでした。
見てはいけないものが見えるというワンアイデアから、見るってどういうことか、見て見ぬふりするだけでいいのかという普遍的な問いを浮かび上がらせる手腕はフーンやるじゃんって感じだった。「心霊」と「見る」は切っても切り離せない関係だしね。
この作品には複数の幽霊的なサムシングエルスが登場するんだけど、こいつらが「どう見ても生身の人にしか見えない奴」と「超高速振動しているとしか思えない輪郭がぼやっとした奴」の2パターンに分かれる。どうやら原作では「めっちゃバケモノ」が見えることで、それを無視するというシュールギャグみたいな部分があったらしいが、実写でそれをやるとシュールになりすぎるし金もかかる。
それを回避するためにこの表現になったと思うんだが、この超高速振動人間はまぁ怖くはねぇわな。
見るからにわかるし。霊かと思ったら人間でしたの展開にも活きないし。
しょっぱな、クラスで挙手を採るときに本来はいないクラスメイトを数えちゃって……という展開でもそいつが超高速振動しているので「いや、一目見たらわかるやろ」となってしまう。この表現、よくなかったんじゃない?
最後の神様が降臨するシーンもふわーっとしたもやがふわーっと通り過ぎると遠野の母親が超高速振動がさらに激しくなっていくっていうさすがにシュールすぎない?て感じで、今作のホラー表現はもっと頑張れたはず。LDH主演のミンナノウタはLDHファンガ失禁レベルで頑張ってたぞ!
あと、生身の人間にしか見えない奴とそうじゃない奴の違いはなんやねん。都合良子ちゃんか?という気持ち。
異能青春ものとしてある程度の出来の良さは担保しつつ、異能の部分がホラー調であったがゆえにそこが微妙だったので点を引かざるを得ないという悲しきモンスター。
あとはアイドル映画だからしょうがないけど演技回りがね……まぁここは元から20点ひいてるからいいんだけども。
ここ数年の日本のホラー系映画だったらミンナノウタ、きさらぎ駅Reに続いてよかったかな。
結論からまず言うんだけど、トラペジウムのジャンルがアイドル映画だと思ってる時点でお前は何も理解できてない。
「禁忌肢」って知ってるかな?「これ間違えたら他の部分で頑張ってても不合格にします」っていう選択肢のことなんだけど、「トラペジウムはアイドル映画である」は大間違いなの。
まずここで躓いてる奴が多い。
ハッピーエンドの構成が「まずは溜めて、中盤下げて、最後に盛り上げて、しめやかにエピローグ」しか無いと思ってるうちはトラペジウムを理解できない。
トラペジウムは「序盤にクライマックスが来て、その後溜めて、それから下げて、最後だけしめやかに終わる」という構成を取ってる。
これを聞いて「それは悲劇の類型や!」となってしまう人、物語に対しての受容体が貧弱すぎます。
もしかして、トラペジウムは[ハッピーエンド]なのに[序盤にクライマックスが来る形]だから[理解するのが難しかった]のかも!うん!きっとそう!
どちらでもありません。折り返し地点であり、合流ポイントです。
主人公にとってはアイドルになりたいという夢を見た所がスタートですし、そこから逆算して東西南北を結成したわけですからそこがゴールでもあり、そして夢を叶えた先のウィニングロードでした。
じゃあ他の3人にとっては?そう、どちらでもないんです。
ただ成り行きの中でたまたまその場所にたどり着いただけです。3人にとってのスタートは東と出会った所ですし、ゴールは「いい思い出だったねー」となってる所です。
そして主人公にとってのスタートとゴールも切り替わっていきます。「人が輝いている姿を見たい。輝ける人が輝いて欲しい」というのが主人公の本当の願いでしたが、それはアイドルという上辺によって隠されていました。ですが4人で過ごした日々を振り返った結果、最後には自分の本当の願いが分かるのです。
[トラペジウム]が光って見えたのは、[そこに映っていた4人」が輝いていたことに、[主人公が気づいたから]だったのかも!うん、きっとそう!
ここまで言えば分かりますよね?
結局主要4キャラの中で刺さったキャラがいる人がいいね連打してただけのよくあるアイドル映画なんかなって。
主人公の東はオーディション全落ちという設定だけあってそこまで可愛くなかった。水死は辛いよなって言いながら味噌汁捨てるシーンの意味不明さがこのキャラの底知れないように見せかけて底を黒く塗ってあるだけっぷりの象徴だろう。何故トップアイドルの卵ではなく、凡人にしたのか、原作者は何を描きたかったのか。何もかもが意味不明だ。この意味不明さが面白いという人はいるだろうが、俺にはよく分からない。俺だけはこの魅力がわかるよとか抜かすヤバイオタクが支持しそうである
最初の仲間、南。後に出てくる西との接点を強めるためのプールゲットイベント用に作られたと思しき金持ち設定の都合の良さが凄い。なんでこんなに金持ちなのか、こんな金持ちの家のガキが自由に世界を飛び回っていいのか、お蝶夫人に憧れているという設定は何なのか。あらゆる所に作品都合が見え隠れする女である。主人公と比較すると二周りほどルックスもよく、良い育ちをした人間特有の気持ちの余裕もある。無難にまとまったキャラであり好きになる奴も多少はいるだろう。
西は分かりやすく「オタクが好きになりそうな可愛い系のロリキャラ」である。この女がオタクから高い評価を受けることは明らかである。アイドル業界の闇(ニチャァ)だの可哀想は可愛い(ニチャァ)だのと言ったオタクが盛り上がりそうな要素も盛り込まれている。この如何にもオタク受けしそうな女から見て周囲の男たちが友達と呼ぶに値しない存在であったということに妙なリアリティがある。きっと多くのオタクが彼女を姫として扱って、ワンチャンを狙う騎士でしかなかったのだろう。オタク受けしそうなキャラなので作中の人気は一番高いだろう。
北は東の物語を肉付けするために作られた感が凄すぎる女だった。設定上の理由もありルックスは最もいい。性格もいい。実は彼氏がいたというのも天然っぽさがあって好きな奴もいるだろう。普通にバリキャリっぽさがあるから女人気もあるのかも知れない。問題があるとしたら彼氏がいるのを隠していたことぐらいだが、これを問題扱いするような気持ちの悪い奴らはどうせ西のファンになるだろうからトータルでは問題ないと思う。
ストーリーがどうだったとか語ろうとする気にならない。
このキャラのこういう所が良かったよねで終わりだ。
俺は文化祭に出てきたノリのいいオカマが好きなんだが、アイツラが面白いと思えたのは画面の向こうにいたからで、実際に文化祭でああいう輩に絡まれたらグイグイ来る陽キャの悪乗りに耐えられずに逃げ出していただろう。
トラペジウムは総じて言えばキャラ人気に頼った安直なアイドルモノの域を出てないと思う。
最後の10years afterでsecretbaseなオチについても露骨さがありすぎて、ここまでやらないと作品のコンセプトが伝わらないんだろうなって客に対する不信感を信じたスタッフの判断力は大いに評価するが、そこまでやらないとついていけない客向けに作られた底の浅い仕掛けについて過剰に評価してるオタク共はいつまでもプリキュアやライダーばかり消化してないでトルストイとかにもちゃんと挑戦すべきだったんだろうなと哀れになってくる。
特等席で東西南北の一番幸せな時期を観察して、自分の方はヤバくなる前に離脱して将来に繋がる時間を過ごしたわけだから。
でもそんな奴がいた事自体が「アイドルの輝きが皆を幸せにする」って東の理論を否定しているというか、「アイドルなんぞやってなかった時の輝きこそが皆を導いてるじゃね—か」という気持ちにさせてきてしまう。
つーかさ、「男といる様子があとで見つかったら」って会議を男と一緒にやってる時点でもうそういうギャグな気がしてくるんだよな。
おい考察マニアのオタク共、お前らのしょーもない学会はこの辺りどうやって処理してんだよ、おい。
Permalink |記事への反応(10) | 23:36
・胃が痛くなるような映画だった
・「主人公」として入れ込めるか入れ込めないかの天秤がずっと揺れ続けて本編のストレス(否定ではない)と相まって彼氏いるなら〜までネタバレしてて観てるのに頭がずっと忙しかった
倫理的には「よくない」けど他の人がウルフオブウォールストリート主人公アイドル版と書いていたような法律的にアウトな事はやってないし社会人になったらこの行動力とか人を巻き込む力は間違いなく武器になるしもうストレスフル(否定ではない)すぎて途中から「これは社会人になってアイドルの夢は叶わなかったけどその後倫理感あかなりアレだが超敏腕レジェンドアイドルマネージャーになった主人公ちゃんの学生時代回想映画なんじゃ…」と自分に言い聞かせながら視聴してた 最後アイドルとしてやっていける所は少しご都合に感じた 主人公ちゃんは他の人の感想で見たような「カスの蛭魔妖一」的な魅力はあるけどアイドルとしての華とかわかりやすいキャッチーさは少し他のアイドルと比べると欠けるから裏方として異常な行動力とバイタリティで名を轟かせる方が将来解釈としてしっくりきた
いや夢が叶えられた「10年後」だからこそ振り返って「トラペジウム」というラストだからそんな事言っても公式のラストがそうならそうなんじゃろ!なんだけど
・理系女子はあのメガネ写真男子が好きだったということでおk? あのプールの笑顔→主人公ちゃん出てきてのムスーとかラストの写真展の感じ(久々に会ってあの手を振ってツーカー感は出んやろ)とか
理系男子空間にあんなに可愛い子がいたら100%好きに…なっちゃうだろうが!!!
・あのメガネ写真男子初見の「なんか受けっぺえ男子出てきたいや逆に攻めか?」感と「主人公ちゃんにぬいペニすんなよ…いや主人公ちゃんの自我の強さに押しつぶされそうだけど」という相反する気持ち あ、赤いドレス??!口紅???エッッッ こちとらギャグとして受け取る感性じゃねえんだわ
・偶然でも流れでもないんだ…全て主人公ちゃんに仕組まれたものなんだ…
・最初の「こっからアイドルグループメンバー集めるの…?覚えられるかな…?」からあまりに手際よく集められ頭にいれさせて頂いてほんまこの手際の良さ天才の所業すぎるだろ あの隠れてやる指の「〇人目確保」が特に天才全ての「示唆」的すぎる
・田舎でアイドルものあるある「田舎にこんな美少女が集まるかよ」
・これは観終わったあと感想書きたくなる作品 賛にしろ否にしろ
・元アイドルグループの人が書いただけあってアイドルグループの闇描写のエッセンスが的確なんやろなあ…→的確すぎて胃が痛くなりそう(否定ではない)です
特にエグすぎてかなり薄めてあったけど「一人だけ歌う→私だけ〜」とかがなんか色々生々しかった 口パクというかなんかそういう運営の機微的に対する感情の鬱憤蓄積 オタクが泣き出さない程度にかな〜〜〜り薄めてくれてるけど目茶苦茶色々あるんやろなあと思いました
・ラスト10年後の彼氏いた子が妊娠(2人目)してるのもよかった あの絵柄とか流される他映画予告から察されるメインターゲット層は男性のアイドル映画で女性の人生の選択肢の1つとして「結婚して妊娠する」っていうのをドン!って提示するのはかなり度胸がある選択をしてスゲェ〜!ってなった バービーのラストみたいな感動があった
しかし女萌え豚の自分が逆やられたらあたまがおかしくなりそう…
でも初見で「男好きそう」とか「彼氏いるなら〜」とか微妙に平成モテ意識女子みたいな制服着こなしとかこの子は相手いますを存分に知らせてもらってたから今回は心の受け身を取れた 己の中の矛盾…所詮処女厨
・上記の描写とか「君は…女の子が好きなの?」とか令和の映画だ…
みんなスーツとか大人っぽい服きて「顔老けてねえ!服以外変わってねえ!」じゃなくて時間の経過とライフステージの変遷を感じさせてくれる
適応しようとする心つよい 必要な時に他人をフォローしたりすき
・おじいさん×2の声は無理があるだろ!!
・カナダで〜英語話者〜とかは原作者?のアイドルの人からなのかな
・アイドルになれるけどならないなりたくないという強者の余裕 しかもロボコンで銀賞…?才色兼備すぎるだろ…
・予定が後に入ってる状態だとそこに若干意識取られてクソ〜ってなった 完全フリーの時に観たかった けど今日しか見れる日なかったんじゃ
MEG2:
もうマッチョなハゲとデカいサメと恐竜とデカいタコがくんずほぐれつしてる映像を見たいだけなんだ。
でも中国人の女がすげーブスで出て来るたびにチャイナマネーを意識してしまうんだ。
みたいな気分の時に見る作品としては70点満点中85点くらいつけていい。
魔女2:
1作目は主人公が超能力者のイコライザー1みたいな話ですげー面白かったんだけど
2作目はドラゴンボールを実写化しましたみたいな作品になっててこれはこれでデリシャス。
1作目の人間ドラマの部分を圧倒的に薄めて、アクション面を大幅にパワーアップさせている。
確かに1作目の続きではあるんだけど韓国副題の「otherOne」の通り、どっちかっていうとスピンオフ感が強い。
3作目まではあるのが決定しているのでとても楽しみである。
ミンナのウタ:
GENERATIONS(2代目EXILEみたいなやつ)が本人役で登場するホラーアイドル映画。
監督が呪怨の清水崇監督で突然カラオケが流れたり、あからさまなサービスショットがある以外は
わりと真っ当なJホラーになっていて、思わぬ拾い物だったなって感じ。
これ「なんか怖くない監督って話だし、GENERATIONS好きだから見に行こうかなw」って感じで見に行った
アマプラでホラーを発掘していると、たまにアイドルの可愛らしさを堪能する目的なんだろうなぁって感じの、驚くほど安い低クオリティアイドル映画にぶち当たる。
知らないけどアイドルホラーみたいなジャンルでもあるのだろうか。
今実写版がっこうぐらしを見ているが、このアイドルホラージャンルと萌えホラージャンルはとても相性が良いように感じる。
女の子の可愛らしさだけを堪能したいから男のメインキャラは出さない。
ゾンビまみれの中籠城をしているが、食料も豊富で電気も通って水道水も出るし洗濯も出来るので、女の子達は薄汚れずサラサラの髪にピカピカの制服のままで可愛く生活をしている。
女の子達は可愛い言動をするし、程よくゾンビにキャーキャー言う姿も楽しめる。
ゾンビ物としてはヌルいが、これの主目的は女の子に萌える事なのだから問題はない。
とんでもない役者たちが凄まじい演技でしのぎを削ってる
ただここまで遡らないとマトモな映画が出てこないのは暗澹たる気持ちになる
で、70年代に映画がテレビに負けて階段を下りるようにレベルがガクガク下がってく
80年代に入るとアイドル映画やジブリ映画といった演技のえの字もない稚拙な映画に支持が集まるようになる
これに加えてバブル崩壊以降はテレビでたまたま当たったものの劇場版が粗製乱造されだすようになる
この頃に邦画は完全に死んで今も死んだまま、失われた20年じゃなくて失われた30年だな
今も変わってないでしょ?年間興収ランキングはアニメ・アイドル映画・テレビシリーズの劇場版ばかり
ドラマはシラネ
実写版ちはやふるは面白かった。実写化の噂がある氷菓もちゃんと丁寧に作れば面白くなりえると思う。
でも実写版咲-Saki-は何をどうやったら面白くなるのか見当がつかない。
例えば、忠実にっつってピンクや赤や紫のカツラをかぶってカラコン入れた超ミニスカートの女子が目にCGの炎を浮かべながら麻雀を打つ図というのを想像したら、これはもう何をどう頑張っても寒い。
個人的な好みだけど、現実的じゃない髪色や髪型のキャラが現実世界を歩くのが好きじゃない。ワックスでがっちり固めて原作と同じ髪の形にしたりとかも。
別に髪の色とかを原作そのままにしなくても、そのキャラらしさは出せると思う。漫画やアニメだから成立するものというのは確かにある。
髪や語尾等は突飛な感じを抑えて、部活にかける思いとか仲間との交流とか試合の緊張感の雰囲気なんかを前面に出して、部活青春群像劇として描くのがいいかもしれない。
咲-Saki-本編というよりもシノハユっぽい感じで。けどその場合、麻雀の試合をどうしたものか。
地味な競技であっても、たとえばポーカーの勝負をスリリングに描いた名作映画なんかもあるにはあるので、面白く描くのは不可能とは言わないが難易度はかなり高い。そもそも麻雀のルールの認知度が低い。花や炎や電気やアバターのようなケレン味あふれる演出は、麻雀を知らない人にもどちらが優勢か、どれくらい相手が強いのかを分かりやすく示す役割も大きい。観客やチームメイトのリアクションでどうにかなるだろうか。不可能ではないとしても、作る上での難易度はさらに上がりそうだ。理想を言うなら、実写版るろうに剣心の殺陣くらいのケレン味のバランスが望ましいのだけど。
あれこれ書いたけどまあ無理だろうなとは思う。きっとコスプレアイドル映画だろうなとも思う。B級映画も嫌いじゃないのでそういう楽しみ方もできなくはないかもしれないけど、原作が好きだとちょっとキツい。
いちおう公式サイトは時折チェックするつもりではいるけど実写版を見るかっつったらたぶん見ません。
実際に見て面白かったりしたら教えてください。
終わろうと思ったところで1つ思いついた。ドラマを4話の後に劇場版というのが、4話のドラマがそれぞれ清澄編・龍門渕編・風越編・鶴賀編で劇場で決勝戦とかだったらちょっと面白そう。そしたら見る、かも。
もしかしてテーマっていうものを勘違いしてない? いや勘違いは言いすぎかもしれないけど、自分で範囲を狭めすぎてない? ケチをつけたいんじゃなくて、もったいないと映画は娯楽派の自分としては思います。なのでテーマ部分の内容について余計なおせっかいなどを書いてみる。
まず、映画に限らず、テーマっていうのは観客・読者が自身で見つけ出すもので、○○をテーマにした映画だからそのテーマを楽しまなくちゃ理解しなくちゃダメ! て法はない。
そして物語作品は何もワンテーマ・ワンアイディアに限定して作られてるわけじゃないのだから、見出しうるテーマは多様に潜在している。だからもっと自由に好きなように観ればいいのでは?
初代ゴジラなんて設定からして明確に反戦・反核がテーマなんだけど、街を破壊し人々を殺戮するゴジラを観客が応援することは間違ってない。いや矛盾してるし間違ってるかもしれないけど、それでかまわないっしょ。
例えばゴーン・ガールを楽しんだ独身の自分からすると、あれは結婚生活の話としてではなく性別すら関係なく「他人をコントロールしたがる人」の邪悪さの話、人間に対する興味の話としてみてた。羊たちの沈黙や冷たい熱帯魚みたいにある種のヒーロー・アイドル映画的な楽しみ方というか。もちろんこの見方を強要するわけじゃないよ。
そもそも作品におけるテーマ至上主義は行き過ぎると、不謹慎・不道徳な作品をそれに理由に批判することになる。ファイト・クラブはテロリスト肯定の話で許せない!とかにいっちゃうわけ。そりゃテーマで善し悪しを決めるんだからそういう視点にもなりかねないよね。そうやってテーマを中心に考えると、結局はテーマの正誤を考えることになってしまう。ゴーン・ガールが結婚生活の話だから面白くない、という考え方で、ネタバレまで検索しながら作品を探してるともしかして結局はそういうところに行き着いてしまうのではないかなあ、と。
もちろん内容が思い出せないとかつまらなかったのは好みの問題なので仕方ない。けどそこで(メインで扱われていると思われる)テーマが切実でないから意味がない作品、と考えを限定する方向に向かうのは結局は行き詰まりなんじゃないの、ということね。例えば増田的な見方で考えれば、他人の人生まで消費し着飾った自分を演出するゴーン・ガールの主人公は究極の反消費社会・反資本主義の反面教師と捉える余地もあるのに、自分でそれをオミットしちゃっているのではとか、お節介ながら思ったりしました。(こんなこじつけはやろうと思えばいくらでもなんにでもできるのであまり意味はないかもしれないけど)
自分にとって切実なテーマを追い求めるのは重要なことだろうけど、それ以前に物語はテーマを語る説教じゃなくて物語そのものを楽しむものなんだから、優先順位を変えた方が楽なんじゃないかと思う。
もう虚構の物語に興味が持てなくなってるとかだったら仕方ないけど、ネタバレを検索して映画を探すくらいだからまだ物語自体を欲求してるんだろうから、どうせならたくさん楽しめた方がいいんじゃないかなあと思うわけです。そうじゃないなら、嫌味ではなく素直に実用的な情報を得る方がいいんじゃないかと思います。
僕が上京したいと思うようになった原体験は中学時代にあると思う
当時オタクの世界に浸かり始めた僕の住んでいた地域では民法が2局、フジと日テレしか映らなかった(今もケーブルテレビに加入しない限り2局のままだが)
当然深夜アニメなんてまったく観れないので
書店で取り寄せてもらっていた月刊のアニメ雑誌の中にある「○○アニメ化!」なんて記事は遠い世界のものだと諦めていた
今のようにネット上で気軽にアニメが見れるサービスは普及していなかった、もしくはあっても知らなかったし、我が家はスカパーにも入っていなかった
そんな日々を送る中購読しているアニメ雑誌のひとつの記事が目に飛び込んだ
やったぞ!フジテレビならうちの県でも映る!
もうかれこれ15年くらい前の話になので正確に覚えてはいないが
そのアニメは別に原作が好きだったわけでもないし、内容に興味があったわけでもない
アニメ雑誌やネットで話題になっているあのキャラやこのキャラの「現物」を見ることができなかった僕にとって、そのフジテレビ系列てで放送する深夜アニメは、(オタク)社会と自分を繋ぐ蜘蛛の糸のような儚い希望だったのだ
で、迎えた放送当日
だいたい予想つくと思うけど
新聞のテレビ欄に載ってなかったのを「アニメだから載せないんだろう」と超解釈して夜更かししていた僕の目の前に突きつけられたのは
その後「いや…全国の小学生が夢中になったポケモンやデジモンですら再放送しかやってなかったじゃないか…きっと一週遅れでやるに違いない」
そしてうちの県ではこのアニメはやらないんだと気づいた時僕に残ったのは強烈な憎しみだった
うちの県で放送してくれないフジテレビ?アニメ会社?側に対する憎しみもあったが
それ以上にフジテレビの電波に乗って確かに来ているはずのアニメをあえてカットする地元に対しての憎しみが強かった(現実的にはそんな単純な理屈ではないが当時の僕にはそう感じられた)
そう言われている気がした
その反面簡単にオタクコンテンツを浴びるように触れることができる東京には
僕みたいなキモヲタでも存在を許される場所として強烈な憧れを抱くようになった
あのときの想いは、見きれないほどの深夜アニメが放送されている東京や関西に住んでも、ネットでアニメ見放題の時代になっても、そしてなんだかんだで地元に戻ってきてアニメなんかまったく観なくなった今でも残っている
アニメの経済効果が無視できなくなり、町おこしアニメなんか作ってアニメに媚びたり
放送してないアニメの映画が田舎ではまずありえないほどの観客動員数を記録しブッチギリで映画ランキング一位をとっていたりするのをみて
「ざまあみろ」
という気分になっている
(そもそも15年前だったら県内の映画館では例のアイドル映画は放映されることはなかっただろう)
…とまあ長くなったけど
とにかく僕の「東京コンプレックス」といってもいい東京への憧れは
平日仕事終わりの劇場だったからか、男性客が数人。おそらく皆、主演の早見あかり(元ももいろクローバー)目当てで来た客だろうと思う。
大多数の事情しらない方に簡単に説明すると、早見あかりとは、今をときめくアイドル「ももいろクローバーZ」の元メンバーである。彼女が「女優になりたい」と言って脱退した後、「ももいろクローバー」は「ももいろクローバーZ」に改名し、あっという間にブレイクした。
その、早見あかりの、女優としての初主演映画が、この「百瀬、こっちを向いて。」である。バラエティで番宣はしているものの、TVCMもない、露出もそれほど多くはないこの映画を観るために劇場にやってきた片手で数えられそうなぐらいの男性客が、すべて彼女のファンであることは疑いようがない。
私もそうだ。というか、私こそがそうだ。
「早見あかりがかわいく映っているシーンが1つでもあれば、すべてを許そう」
これぐらいの、かなり後ろ向きな姿勢で、お布施のような1,800円と2時間弱を投じた。
結果。
私は、この低予算の「アイドル映画」に、まんまと心を揺さぶられてしまった。
恥を忍んで告白するが、少しだけ泣きもした。
主演の早見あかりのファンであるということを差し引いて観ても、見どころのある映画だったと思う。
私は、映画館には月に2~3回足を運ぶ程度の「普通の人よりは少し観ている」レベルの映画ファンだ。今年観た映画の中では、「ダラス・バイヤーズクラブ」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「アクト・オブ・キリング」の3本が良かった。この3本は、誰にでも「一見の価値あり」と勧められる、いわゆる「名作」だったと思う。なんだか上から目線で話しているような気分になってむず痒いが、他に言いようがないから許してほしい。
上から目線ついでに、さらに不遜な言い回しを続けさせてもらうならば。
今回観た「百瀬、こっちを向いて。」は、正直に申し上げて、今、例にあげた3本の映画のような「名作」ではなかった。
「そんなことは観る前からわかっている」
と言われるかもしれない。
「そもそも、アカデミー賞にノミネートされるような映画と比べること自体、間違っているじゃないか」
とも。
確かにそうかもしれない。
私の目で見てもわかる、演者の若さゆえの演技の拙さ。不必要に思えるカメラのブレ。
また、簡単にあらすじを説明すると、「恋人はおろか、同性の友人すら少ない引っ込み思案の男子高校生が、ひょんなことから、百瀬という同級生と、恋人のふりをすることになる」というところだろうか。
ネタバレなるかもしれないが、この後の話の展開は、あらすじを読んだときに「きっとこんな話になるんじゃないか」という予想を超えることはない。名作と呼ばれる低予算映画やインディー映画にあるような、驚くような展開も見られない。
大好きだ、と言ってもいいと思う。
作中。主人公は、早見あかり演じる百瀬陽の、物憂げな、どこか捨て鉢のような横顔を眺めながら、恋人のふりを続けるうち、少しずつ、彼女のことが本当に好きになってしまう。
私は、その姿を見ながら、どこか懐かしい気持ちになっていた。月並みな言い回しを重ねるならば、
「浸っていた」
と言い換えてもいいかもしれない。
ここで述べておきたいのが、私が「懐かしい気持ちになった」というのは、主人公が「いつの間にか百瀬を好きになってしまった」という主人公の心の動きについてではないということだ。
確かに、若い時分は、青年期や壮年期にくらべ、幾分恋に落ちやすい傾向にはあると思う。人は突然恋に落ちる。それも、深い穴の中に落ち込んだ後、見上げるような形で、いかに自分が深みにはまっているのかということに気付く。
しかし、それはいくつ年を重ねたところで同じことだ。異論はあると思うが、私は「いくつになろうとも、いつの間にか人を好きになってしまう」ものだと思っている。例え恋人や家族がいたとしても。まあ、これは余談だが。なんにせよ、この点に関して「懐かしい気持ちになった」わけでは、決してない。
私が「懐かしい気持ちになった」のは、主人公が「ただただ横顔を眺め続けることしかできない」ところについてだ。
年を重ねれば、女性を1対1のデートに誘うことも、「かわいいね」とお世辞を言うことにも慣れる。けれど、最初は誰だってそうではなかった。
好きな女性の顔をまっすぐ見ることができない。話しかけることができない。手を握るなんて、もってのほか。ただただ横顔を眺めている時間だけが過ぎていく。そして、彼女は私のほうを向いているときでも、どこか遠くの、誰かのことを考えている。
「百瀬、こっちを向いて。」は、恋する女性の、美しい横顔を眺め続ける映画だ。
横顔を眺めながら、彼女の気持ちを推し量る。
もちろん答えなんて出ない。
それでも、その横顔の美しさに惹きつけられて、目を離すことができなくなる。
この主人公はまるで僕だ。
つないだ手を握り返すこともできない。涙を流す女性の肩を抱きしめることも、追いかけることもできない。憎むべき相手に殴り掛かることもできない。引っ込み思案の少年。
そんな少年が、なけなしの勇気を振り絞って、自分の思いを伝える瞬間が美しい。
もっとも、現実の私には、そんな瞬間はついぞ訪れたことはないけれど。
いや? あったか?
あったかもしれない。
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最後にいくつか。またも不遜な言い回しになるがご容赦願いたい。
「物語に驚くような展開は見られない」と書いたが、抑制のきいた台詞回しや、いくつかの場面における演出については、思わずニヤリとさせられた。また、原作にないいくつかの要素やディテール、終盤の展開については、どれも物語をプラスの方向に向かわせる気の利いたものだったと思う。
そして、何よりも早見あかりについて。
「彼女の表情、わけてもその横顔の美しさが無ければ、凡百の青春映画にしかならなかったのではないか?」とすら思わされるほど、彼女の魅力こそがこの映画の推進力・吸引力にだったと思う。私は映画を観ている2時間弱で、完全に魂を持っていかれ、引ったくりにあったような心境で劇場を後にした。
文中、やや蔑称のような形で括弧つきの「アイドル映画」という表現を使ったが、これは、「登場人物の美しさこそが物語の屋台骨であって、これが欠けると作品自体が成立しない」という広義の意味合いを色濃く含むことを強調しておきたい。
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最初に表示される早見あかりの横顔を美しいと思ったなら、この映画には劇場で観るだけの価値がある。
「早見さん目当てで見始めたが、途中からすっかり百瀬のファンになっていた。」というのは、画家の山口晃のコメント。早見あかりが、現代日本において5指に入るであろう美術家が「今、一番美しいと思う女性」と評する女優であるということを末尾に指摘しておきたい。
クソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。
一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。
が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。
だいたい綾瀬演じる市は
極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて
ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。
こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。
(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。
静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。
あまりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、
視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。
他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。
眠くなるのとも違う新感覚。
悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、
この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で
万鬼党は狂気と破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。
経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり
唯一の寄生先である宿場で無意味な殺戮を始めるようなアッパッパーだから
話の溜めもクソも何も無い。
悪い親分のところに市が上がりこんで行って
下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。
ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。
日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで。
(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが
全てが意味不明な『ICHI』ワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。
この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)
・八州周りが宿場にやってくると街道の民衆が総出で土下座。大名か。
・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。
よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。
「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら
血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」と恐喝。
無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、
田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。
脚本書いてる奴〇ね。
綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。
盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、
2「その上で自分なりの市の癖を作る」
だとして、
1すらやる気が全く無い。
歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。
一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが
内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。
平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。
市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。
というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか?
なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。
(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。
また、斬り合いだったら斬り合いで、
息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。
クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。
こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。
ダイジェストでレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ)
酷すぎる。
下手とかじゃなくてもはや意味不明。
監督は剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。
動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが
『ICHI』ではそういう酷さが悪化している。
その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので
もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。
手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し
どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。
時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし
(スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、
市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。
何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)
市が能動性皆無なので
「稽古中の事故で母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という
万鬼の顔面コンプレックスに匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で
万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。
毎度渾身の力で刀を抜こうとするが
いや、「真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。
この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。
一応筋を最後まで書くと
それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、
でもなんか心が動いて戻ってきて
宿場は救われた!終わり。
だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に
フラッシュバック的に大沢たかおの笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが
盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。
そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じますが
前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。
根本的な間違いとして、
更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。
なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、
腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。
これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。
主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)
中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的な性格で
こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。
おわり。