
はてなキーワード:わだかまりとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
---
この週のオープンチャットは、生活・仕事・家庭・技術が自然に交差する現代生活のスナップショットとなった。
AIや経済への高い関心とともに、家族・子育て・住宅など身近な現実的テーマが根強く語られているのが特徴。
テクノロジーが進化しても、最終的に焦点は「人と人の関係」「生活の実感」「安心して暮らすこと」に戻る流れが一貫して見られた。
全体として、情報感度の高さと共感力の両立が感じられる成熟したコミュニティの会話であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、
「原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである。
言葉の枝葉末節はあれど、吉田のスタンスは基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作・アニメとも未見のため、細かな表現そのものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう。
その上で言うのだが。
「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。
(ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作のノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)
「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、
穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまりに唐突だった。
父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。
その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、
スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、
贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下で穂高教授に激高するのである。
「なんだこれ?」と。
ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。
寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。
ところが、そんなエピソードは、ない。
(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)
公の場であんな事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。
これは自分だけではない。旧twitterのタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。
その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回の最後の最後は、「雨垂れの一雫を強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかしな言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。
で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。
吉田はこう書いている。ちょっと長いから、引用は飛ばしてもOK。
寅子「どうもできませんよ! 先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」
(略)
寅子の人生について、妊娠したとき、勝手に彼女の一人称を「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。
(略)
私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意で自分を排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。
(略)
寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。
(略)
寅子と穂高先生の関係については、自分を女性最初の弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。
それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中の女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。
(略)
本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性だから」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。
ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠し弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから、彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。
https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)
最大のポイントは、
式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。
史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である。
ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田の意図は何か。
それは、
吉田が穂高教授という“古い男性の象徴”を、「公衆の面前で」辱めたかったから
だと推察した。
そうでなければ、意図が取れないのだ。
(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性だから」花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)
ただ、吉田の意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか。
この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か
「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」
といったことを言っていたはずだ。
確かに、穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。
だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本で指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。
あえて吉田の意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。
名優の小林でさえ、吉田の意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田の意図を理解できていなかった傍証である。
NHK公式サイトの伊藤のコメントはすでに削除されているので、引用した記事からの孫引き。
演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ちを監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高に愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手や師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点で脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生のあいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生を尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html
前述の通り、吉田が意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。
結論を言うと、
「自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場も視聴者も混乱させた吉田が『ノイズを排除』なんて言うな」
である。
最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメントを引用したい。
穂高先生と寅子のわだかまりは最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
「母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。
あと、
台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
吉田の意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。
「男性(性)を公衆の面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実をねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。
yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死に否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。
あのさあ。
その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者のほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回に言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。
盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。
そもそも、引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。
dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。
言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。
なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの。
また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。
いずれにしても、ないものを証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。
当然、史実も創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実の面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。
ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。
むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さだから。
で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所で穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソードを創作する必要があったのか。
それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。
segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実とフィクションの区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない
せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。
todomadrid 脚色加えるのはノイズ、ベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作や歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーターが自分の思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ
最初に書いているだろ。
「原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。
脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。
ブックマークしたのはかなり後だから、追記を読んでいるはずだけど、
「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さ」と書いているだろ。
花束贈呈拒否事件は、あまりに唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたからノイズだと言っているの。
kura-2原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田が結論ありきで書いてるだけ。
いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。
いやまあお前のブックマークだから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。
「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手(ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。
ええーっ…。何これ…。
いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。
でも、これは誤読以前じゃん。
煽りにしてもひどすぎる。
冒頭に書いてるだろ。
見たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだって。マジで。
あと、「吉田のスタンスは基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。
自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。
このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、
覇権を取るために風呂場の裸というノイズを排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。
なあ、id:hate_flag。
あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。
書いていないこと、しかもこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。
ー
魚拓をと思ったらすでに取られてた。取ったのは増田じゃないよ。マジで。
Permalink |記事への反応(31) | 07:34
この記事の続き、なぜか保存はできるのに表示はできなかった。(文字数制限がDB側とビュー側で違うのかな)
今更だけど続きを入れておく。(色々反応もらえて嬉しいのもある)
https://anond.hatelabo.jp/20250604003003 の末尾の行から続ける。(当時書いたものをそのままコピペしただけです)
====================================================
遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも極めて悪い。
遊びは1件目→2件目→ホテルを奢ることを考えると優に1回あたり3万程度は消える。飲みももちろんだが、ラブホの宿泊もかなり高い。
性行為できるまでの時間的な意味でも、風俗と比べて比較にならないくらい時間を要する。
心の限界を感じた。
最後の1ヶ月は新規で人と会ってなかったので実質5ヶ月くらいヤリモク男をやっていた。
マッチが平均日に3~4人程度だったので月100人マッチしたことになる。5ヶ月トータルでは500人マッチくらい。
その中で電話まで行けたのが週4~5人程度。これも5ヶ月トータルで100人くらい。
さらにその中で会ったのは週1,2人。5ヶ月トータルで30人くらいな気がする。
世のマッチングアプリの男性会員の7割は一人とも会えずに終わると言われている。なんなら内閣府が発表しているデータで20代独身男性の「これまでにデートした経験が一人もいない」人は全体の40%を占める。
それを踏まえると世間的に見て5ヶ月で500人マッチ、30人とデートという数値だけ見れば相当良い数値らしい。定量的に見て20代のデート経験としては上位数%にあたる。
予定のドタキャンや途中のブロックは当たり前だし、仲良くなったあとでもいきなり連絡が途切れることが当たり前のようになる。
正直「遊び」という名目だったからこそドタキャンや人間性のない対応に耐えれていたが本気で恋愛をするときにこれだと耐えられないかもしれない。
そういった意味で事前に遊びであることを伝えるのは極めて重要である。相手にこの辛さを味合わせてはいけない。
まだ過去の感覚が残っているうちは良いが、これが壊れると本当に人格が終わるリスクがあった。
人をスペックと見た目で判断し、だめだったら次に行くという行為が当たり前になると、シャバでの人付き合いや付き合ったあとの関係性を大切にできなくなるリスクが大きい。
お持ち帰り用の会話と、同性や仕事での会話は根本的に異なるものである。
標準語で喋り続けると方言を忘れるのと同じで、ずっと遊びばかりやっていると仕事能力とか、同性とのコミュニケーションができなくなる怖さがあった。
よく言われる遊んでいるやつは仕事できるは間違いである。遊びと仕事で使うコミュ力は根本的に異なるためである。
仕事できるやつが比較的遊びもやりやすいというのはありうる。そういう意味では「遊びできる→仕事できる」は必要条件だが十分条件でない可能性が高い。遊びは得意だけど仕事が下手な人を知っているという、あくまで周囲を見た個人の統計だが。
ちなみに社会人で遊ぶのはスケジュール的に相当厳しい。仕事終わりに1時間単位でGoogleカレンダーで枠を取って3人と電話する日もあれば、週5日毎日女性と飲み会を入れる日もあった。
高度なタスク管理が必要である。上長のGoogleカレンダーが1on1スケジュールを隙間なく詰めっている状態に近い。
ごめんなさい。正直これが大きいです。
まとめると主体性になりそう。仕事では主体性を発揮できていたが、人間関係は受け身人間だった。
お持ち帰りを向こうから誘われることは何十人と会って一度もない。必然的に主体性を持つことになる。我が強くないと舞台にすら立てない。
正直、明確にお持ち帰りには再現性のあるコツが存在する。それだけでお持ち帰りできるわけではないが。
お持ち帰りのためには会話の流れ、会話比率の変化、ホテルまでの道筋、想定外が発生したときの対応を状況に応じて柔軟にコントロールする必要がある。
女性にどこ行きたい?何食べたい?と聞くのは優しさだと思っていた。でも実は必ずしもそうでない。
これはお持ち帰りで絶対してはいけない常套手段である。女の子のせいにするような行動はしてはいけない。
言ってしまえば女性にとって理由作りが必要である。(一方で嫌がることは不同意性交になるので見極める力と倫理観が大変に重要である)
いかに相手に責任を押し付けずに自分に責任を押し付けるがお持ち帰りに重要であり、そういった経験を増やすことで責任感をより持てるようになった。
理系科目と違って意図しないことが常に発生するし、再現性も論理性もないことが多々起きる。
そういったことに対応できないとホテルというゴールは絶対にない。
百合展開する美少女アニメが好きなオタクだったので、正直女性に幻想を抱いていた。
大学時代に恋人が出来てからそれは減ったが、それでも世の中には美少女アニメのような女の子がいると自分では気付かない深層心理レベルで思い込んでいたように思う。
女の子に純粋さとか潔白性を求めてたし、なんなら処女厨だった。
少なくとも自分が会った範囲で純粋無垢な存在なんていなかった。
誰だって後ろめたい過去は大なり小なりあるし、完璧なんて存在しない。
服装とか見た目で判断したり、過去の経歴で判断をしてはいけない。
実際深掘ってみると見た目や雰囲気と人格が違うことは多々ある。
偏見を持った状態でお持ち帰りはできないので、偏見を持つ量が必然的に減った。
というよりある程度話すまでその人の印象判断を保留することができるようになった。
圧倒的にコミュ力が磨かれた。
複数人の第三者評価として、遊ぶ前と比べてコミュ力が上がったことを言われたので、客観的にこのことは正しい。
遊ぶ前ぶりに会った人からはもれなく「なんか変わった?」や「xxくんだと気付かなかった」と言われるような状態だった。(これは見た目の変化も大きいが)
マッチングアプリでは雑談力が磨かれた。初対面の相手と何時間も話すことができるようになった。
クラブナンパは回数こそしてないが、クラブで知らない人に話しかけて仲良くなるという経験をした、という事実が男としての自信に繋がった。(名前を呼ぶときのちゃん付けもここでできるようになった)
仕事の会議で重要な論理的構造で話すとか多分は向上していない。そこはやるうえで重要じゃないしむしろ邪魔になるから。
もともと清潔感には気を使っていたが、遊びにおいては清潔感に気を使ってもマイナスがゼロになるだけでしかない。
遊びによって
を新たにするようになった。
服装や髪型に関しては美容系インフルエンサーを参考にし、流行りを取り入れるようになった。
なお等身大の関係性を求める恋人がほしいとかであればこれらは不要である。
大人になってから友達を作ることは難しい。それなりに大きい企業で新卒同期が3桁以上居るような場所であればある程度は回避できる。
でも新卒で上京したりとか、大学卒業してフリータだったりする立場にとって友達を作るのは難しい。
例えばTinderは貞操観念がゆるい遊び歩く女性だけがやるものだと思っていたが実際そうじゃない。
女の子が女の子の友達欲しくてやってるケースとか、性行為に興味なくTinderをしている人も居る。
なんならマチアプ自体がドラッグである。恋人ほしいとか致したい関係なくハマってしまうものである。
どこかの研究でマチアプのスワイプに報酬系が働き依存性があるというのを見たことがる。
一方でヤリチンという不純な立場が、明らかに相手にとって何でも打ち明けられるオアシスの場になっていた人もいた。
それくらい都会は友達作りとかと相性が悪いし、冷淡。
ここをうまく解消できたら世界はもっと良くなると思いつつも、例えば友達作り用のマッチングアプリを作れば解決するみたいな、そんな簡単なことはない。
女の子の家にお泊りなんて恋人を除いてありえない。だけどセフレという関係はそれを裏ルート的にたどり着けてしまう。
純粋に他者の家には興味があったし、住む場所とか家賃感とかレイアウトとか、すごく純粋な面白さがあった。
ちなみに誰かの家にお邪魔するときは絶対にお土産を持っていくこと。それは同性の友達でも大事。
本当に人が信頼できなくなった。
どれだけ好きと言われても、絶対この人明日にも裏切って俺を捨てるんだろうなとか普通に思ってしまう。実際経験しているから。
これはヤリチンをやめて本気で人を好きになったときに、とんでもない足枷となった。
ずっと不安になる。ありえないくらい自分自身がメンヘラになっていた。LINEが10分帰ってこないだけで、定番のブロックパータンかなと不安になる。
ヤリチンをやっていた時期はその不安を同時に複数のセフレがいることで
性行為前提で女性を知るようになってしまったせいで、性行為無しで付き合うのが怖くなった。
一方で付き合う前にそういうことしてしまう女性は無理という価値観も残っていて、デッドロック状態になった。
今付き合っている相手には全部このことを話して受け入れてもらっている。
私は嘘を貫き通せないので、全部言うしかない。
当たり前だがヤリチンをしていた過去は、人によっては嫌悪感を極めて抱くものである。
両思いで付き合えたあとに過去ヤリチンだったことが知られるだけで破局するリスクは十分にある。
男側から見たとき、過去に風俗で働いていた女性と付き合うことに抵抗があるみたいなのに近いかもしれない。
一度水に垂らした墨汁が取り除けないように、ヤリチンをした過去は絶対に取り除けない。それまでとこれからがどんなに真面目でも。
遊んでないやつはキモいだとか、結婚するなら遊び終わった男がいいとか、そんなものはヤリチン・ヤリマンの立場を捨てられない人間のまやかしが多分に含まれる。信じてはいけない。
貞操観念が壊れた女の子をお持ち帰りできることと、しっかりした女性と付き合うことは全く訳が違う。前者を100回できたら後者が手に入るほどこの世界は単純じゃない。
(一方で遊び側の価値観を知っておくことで浮気防止になる可能性は多分にあるが、浮気をしてしまうような状況を作らないことや浮気を安易にしないタイプを見極めて付き合うことでそれは回避できるので遊ぶ必要性はない)
ホストをやられている方には大変失礼なのは承知だが、ホストはずるいなと思った。
仕事であるという理由で色恋営業が許される。ヤリチンがやったら刺される。
書きながら気付いたが、なんで変わってないんだ???
多分女の子と遊べても、自分なんかと遊べる女の子は誰とでも遊んじゃうんだという気持ちが先行していた。
一方で紛れもなくコミュ力も上がっていることが客観的評価からわかる。
この矛盾を考えたときに考える仮説は、遊びで得た自己肯定感と、遊びで得た自己否定が釣り合っているのではないかと考える。
たしかに女の子と遊べたが、関係性を切られることもそれ以上にあったためである。
また一方で自己評価は遊び程度では変容しないとも考えた。
刹那的なやりとりでなく、長期的な関係性の構築で初めて手に入るのではないだろうか。
責任感や主体性は持てるようになったが、根の真面目さとかは変わっていない。
具体、といっても細かいことは書かない。相手のプライバシーもある。
再現性のない話である。正直人生2周目したらうまく遊びで自己効力感を見いだせず死んでいた可能性が高い。
そう言えるのは、マッチングアプリ初めて最初に出会った相手とホテルに行けたことが大きい。
マッチングアプリを始めた時点でクラブナンパや相席屋を試した後だったし、マッチングアプリの各種コツは知識として持っていた。
たまたまマッチングアプリでマッチし、トントン拍子で電話まで進み、翌日会うこととなった。マッチングアプリ初日の出来事である。
当日はおやつ時間に集合しカフェで時間を過ごしたり街を一緒に散策したりした。夜になって帰るときに実は遊びでやってるんだよねという話をした。
これができたのには理由がある。元カレとレスになって別れたという話を聞いていたことが大きい。
それ以外にも色々と付き合う前にしちゃうタイプの要素が垣間見れた部分もあり、そういう話をしても良いという暗黙知が形成できていた。
ホテル打診をし、結論としては「今日するつもりなかった」と言われつつホテルに行くことに。結局向こうがヤリモクだったが……
行為自体は微妙だった。というのも向こうが挿入以外にあまり興味がないタイプだった。
彼女としていたそれと、遊びのそれは根本的に別物なのだと思った。
しかし彼女とする性行為と遊びでの性行為は抜本的に異なる。好きな人とする性行為には絶対に幸福感や満足感で勝てない。雲泥の差である。
逆に言うと以後ヤリモクタイプには一度も出会っていない。ヤリモクが嫌で避けていたというのもあるが。
この偶然的な初回の成功体験が遊びに対する自己効力感を上げた。
その後はうまくいかないことが1ヶ月ほど続いた。本当にもう限界というタイミングで、またうまくいった機会があり、なんとか持ちこたえた。
以後もそのような希望と絶望が交互に続く。後半は以上に成功率が高くセフレが複数人いる状態だったが、最後には仇となった。
「好きな人ができたからごめんね」と伝えることにはかなり辛さがあった。
好きな人がいるのにセフレと関係を切るのが辛いは矛盾しているように見えるが。
いろいろな体験を通じせっかく仲良くなれたのに、みたいな部分も正直ある。
まだ解決してあげたい相手のコンプレックスとか課題が残っていたこともわだかまりの1つだった。
でも一番は、せっかく自分に期待してくれているのにそれを裏切るのが嫌だったということである。自分は弱い。
ヤリチンになることで、得たものは紛れもなくあったし、真面目な自分という根幹をぶち壊せたのは大きい。
社会に対する課題感もほんの少し分かったつもりになれたし、いろいろな職種のいろいろな事情を知れたことも大きい。
それにヤリチンが淘汰されない事情も極めてわかった。女性が必要としているケースが結構ある。
それに遊んだ経験量と恋人や結婚での幸せに相関はないように感じた。
第4次フェミニズムで荒唐無稽なラディカルフェミニズムをここ(はてな)で唱えられてたのも手が回っていると思う
韓国は最も民主主義が成り立っているところだからロシアにとっては潰しておきたかった
ただロシアだけじゃなく、旧安倍派もこの動きは乗っているのではと思う
日本で80年代に少女ポルノ雑誌を一般流通させてその後廃刊に追い込み、今単純所持で違法とさせているのの女性版をやろうとしている
上のときは女性の恐怖を煽って、女性保守層をあぶり出して票田にしていた
子孫は潰える
80年代にトレンディドラマとかで理想の女性を演出していたのは主にテレビの何番だったか
8番だったでしょう?
8番はフジテレビ、フジサンケイグループ
まだあるよ
2chだったんじゃないの?
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/2002_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97
2002年日韓ワールドカップ、2chずっと見てた人ならこの辺よりちょっと前がネトウヨ勃興の時期だったの覚えてるよね
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E9%96%A2%E9%80%A3
若者の心を掴んで巧妙に右へ右へと引き込んでいたんだと思う
テレビで
2chで
そんな旧支配者層(旧安倍派・自民党清和会)が次の世代を逃すわけないよね?
tiktokだよね?
tiktokで何が流れてる?
「切り抜き動画」が選挙を動かす時代へ!参政党躍進から読み解く、ネット選挙の光と影
ttps://go2senkyo.com/articles/2025/07/21/119019.html
若者に寄り添う、というか、若者の流れを追えてる、監視・把握できているというのが右派の狡猾なところ
左派が考えているような旧来の右翼のイメージではずっと後手後手になるよ
というかコントロールしてゴールポストを動かす側が支配側になっているから、次何が流行るかを予想しやすいんだと思う
もはやフェミニズムが左派のものであり忌み嫌われるものになった
左派がフェミニズムを唱えるように行動し、「我々は女性の味方だ!」と訴えるようになったところで、
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E7%9F%AF%E9%A2%A8%E4%BC%9A
それでいてバックラッシュの表現規制反対派の表も上手いこと自民に集めているよね
世界の流れが右派に傾いて、世界中戦争が起きて、何でこんな世の中になっちゃったんだと思うよね
でもそこで思考停止しちゃってない?なんで?
トランプの秘密を知る男とは?! Naokiman 2nd Channel
ttps://youtu.be/0fGMEwQ-PSQ
あえば 浩明
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%B0%E6%B5%A9%E6%98%8E
陰謀論で救世主に日本の誰かが選ばれる、みたいな動画も過去にあった
【町山智浩×武田砂鉄】“独裁者”トランプはどこへ行く?|「反キリスト教」を取り締まる“信仰局”の正体|お金持ちは「神様の国へ行ける」|トランプが...
ttps://youtube.com/watch?v=Ggco11OD-B0?t=17:23
トランプは息子バロンに勧められてYoutuberとただ駄弁るということをやった
トランプを推しにした最も政治に興味がない20代男性を票田にして勝利した
アメリカ20代男性が共有している意識をうまくすくい取った結果だと考えてる
ttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1ee1b4d48c73d60738b2398ff6dd7e39e0fee175
ttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44153194
(2018年の記事<-分かりやすいから少し過去の記事だけど)
(・女性が比較的簡単なことを行うから男性にはきつい仕事しか来なくなった)
(・女性は基本的に上昇婚をしたいため女性に選ばれない男性が増加)
(・変な事をしたら直ぐに社会に晒される)
(・マッチングアプリ等で青天井に選択肢が増え、並の男性では見向きもしなくなる)
男性の基本的な生物学的役割は、誰かに認められて、自分の遺伝子を後世に残すこと
大多数の男性は、女性とセックスし、子孫を残すことが生きる目的になる
自分は該当しない、という男性もいるかも知れないけど、半分以上の男性は、二次性徴前までに、女性と比べて、社会の構造に気づいて一端軽く絶望する
俺達には自由がないんだ、って
そして止めどない性欲がやってくる
この先何とかそれをコントロールしながら生きて行くことになる
このわだかまりが解消されるには、誰か女性に認められ、セックスしなければならない
しかしセックスまでのハードルは、先程の理由から凄まじく高くなってしまった。
「周りに愛情を示したら、愛情を返してもらえる。女性に対して否定的な態度だったら、仲良くなりたいと思う女性は絶対現れない。だからたくさん内省することが必要。世界は憎しみばっかりじゃない。人はフレンドリーで、あなたは醜くない。あなたには価値がある」
良い言葉だと思うけど、この気持ちで女性に優しくしていたとしても、女性には袖にされる
そんな時にはてなに過激でラディカルなフェミニズム記事が出てきたら?
ttps://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20250612/3030028254.html
💉【閲覧注意】警察にバレないからといって旦那をジリジリとさりげなくブッ殺す方法は絶対にやってはいけない-旦那デスノート
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/danna-shine.com/post-82572
愛情を示したとしても、相手から愛情を示して貰えることもなく、目線は品定め、常に減点評価
結婚したとしてもセックス出来ない(セックスするために自殺率上昇するくらい努力してきたのに!)、もしかしたら不凍液で◯されるかも…?
という時代になっていると考える
貧困にあえぐ国から世界中に移民が散らばり、国の没落や物価安政策によって海外からの人が増え、満たされないセックスのわだかまりを持ったまま、どうしてこんな世界になっちゃったの?と混乱する。
そこで政治家がささやく、「ガイコクジン(あいつら)のせいだ」
男女平等は資本家と政治家が推進したもので、女性も働きに出ると少子化が進むのも把握はしていたのだと思う
そしてその先のことも
やがて戦争が起き、資本家は儲かり、政治家は人を減らすことが出来る。
(過去の太古の人間同士の争いが起こった結果、男性のDNAが殆ど残っておらず、女性のDNAが続いていたというニュースを最近見たのだけれど探す事を断念した)
そして生き残った人間は文化を再興させ、人口が増え、行き詰まり、戦争をして、生き残った者同士がセックスする。
女性は、生物学的的役割から、強い遺伝子と番になって子を残す事が動物的使命になっている。
言葉が悪いが、男が戦争をする性なら、女は戦争を望む性(より強い男性のDNAを残せるから)とも言えるかもしれない
パレスチナ解放を叫ぶ女性を何人も見てきている。個人ミクロには当てはまらない)
大資本家は、女性の活躍が叫ばれた時代から、これからどういった事が起きるか知っていて賛成したのだと思う
これは完全に憶測だけど、
このままの状態では、今後5年はまだ完全に固まってない時期だけど、その後の30年間は、右派は男性の味方としてかっちり固まって動かないと思う。
女性の社会進出と共に、構造の変化により弱者の対象の考え方も変化しつつある(ここについては資本家も面倒を見て欲しいが)
少なくとも、男性の本来備わっている性欲が社会的にきちんとあるものだ、と認知され、
社会通念上当然あるものとして扱われなければ、戦争の緊張は続くだろうと思う
人類が起こす愚かなループの上で、戦争を起こしてしまうのが自然なことなのかと絶望する
逆に言えば、女性と男性の特性を利用して政治家と資本家が操っているのであれば、
それを逆手に取り、セックスポジティブな社会の実現を叫べば、少なくとも男性の半分以上の支持は得られると考える
男が産めるのうん◯だけ!?フェミニストによる男性差別に反対します!【港区議会議員】新藤加菜
ttps://youtu.be/osw5JDbN8LE
上の方で書いたけど、敵国の愚かなループの中にいる人の背中をぽんっと押してやれば良いだけ
ロシアが介入しているとすればここだろうと思う
また、やはり左派は遅れを取るのだろうと考える
ttps://www.asahi.com/sp/articles/ASP7W6SKJP7WUTFK00T.html
また、
共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか -紙屋研究所
ttps://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2021/10/18/222106
男性の最後の砦、代用としての創作物を規制すること、過去に表現弾圧に遭った党の叫ぶことだろうか。
また、世論としては
ttps://www.dlsite.com/modpub/lp/maniax/dlsite-nation-survey-result/
【男性向け編】DLsiteジャンル国民投票結果発表|DLsite
それとも何か、つるぺたと男性受けと寝取られを(アメリカがしたように)ドラゴンカーセックスに練成するのだろうか
最近、仕事が重すぎる。いや、仕事ってか、人の「責任」を全部背負わされる感じ。
私が関わる場所じゃ、なんかトラブルが起きるたび、みんな揃って「〇〇さんが決めてください」「〇〇さんが悪い」って目で私を見る。誰も自分のケツ拭こうとしない。まるで、私が全部の火事を消す消防士みたいにさ。
正直、疲れる。なんで私が? なんでいつも私が? って、心の奥で叫んでる。
でも、叫んだって誰も聞いてくれない。だって、私が「トップ」なんだから。トップって、結局、全部のドロドロした問題のゴミ箱なんだよな。普段はそういうものだと思って対処しているが、何から何まで放り込まれると流石にイラついてくる。
たとえば、ある部署の誰かさん。問題が起きても「それは私の管轄じゃない」「上に決めてもらわないと」って、スルスル逃げる。で、結局、私のとこに話が回ってくる。
その人、普段は笑顔で「チームワーク!」とかほざいてるくせに、いざってときは影も形もない。ほんと、腹立つ。
そんなやつの顔見るたび、心の中で「てめえ、いい加減自分でなんとかしろよ」って毒づいてる。なのに、表面上は冷静に「じゃあ、こうしましょう」なんて指示出してる自分が、なんか情けない。
部門長が自分の部門の決定もできないで上に上げてくるクソみたいな案件のなんと多いことか。組織を大事に成長していこう、と言いながらこの組織に絶望して「ダメだここ」とずっと思ってる。
この二面性が、余計に心をドス黒くするんだよな。この間、ちょっと気分変えようと思って、誰かに「この黒い気持ちを抑えられるなんか面白い話して」って言ってみた。そしたら、なんか人事の「あるある」とか、私が飯のメニューすら決められない話とか、軽いネタで返してきた。
一瞬、笑ったよ。確かに、私、忙しすぎて「何食うか」すら他人に丸投げしたいときあるし(笑)。でもさ、結局、心の底の重いものは消えない。
ドス黒い気持ちは、ちゃんと向き合わないと、どんどん膨らむだけなんだって、嫌でもわかった。なんでこんな気持ちになるんだろう。
このドス黒い気持ち、なんなんだろうな。
たぶん、全部自分で抱え込む癖が悪いんだ。信じられる右腕が欲しいとか、もっと人に任せろとか、それっぽい理由は頭ではわかってる。
だが結局は「どんな些細なことでも結局自分で決めてる」事態に陥っちゃう。
それに、人の無責任さとか、ズルさとか、見るたびに心がザラつく。ほんと、人間って面倒くさい。自分も含めて。
本当はわかってるんだ。その無能な部門長たちをクビにさえすれば全てうまくいくって。
だって組織のためじゃなくて自分を守るために動いてんだもん。組織のために自分に不利な決断できない人たちには何も決められないよ。
とはいえ組織ってのはそういう構成員も含めて組織だよね、だから今日もそいつらと「今後の組織の健全な成長」について前向きで、後向きな議論を重ねている。
結局このわだかまりをきっぱりとける正解は今のところまだ存在しない。あったら教えてくれ。
この気持ちをこうやって書き殴ってると、ちょっとだけ軽くなる気がする。誰かに見せるためじゃない。ただ、自分のために吐き出すだけ。それでいいよな。最後にこんなドス黒い話、普段は絶対人に言わない。だって、こんな弱音吐いたら、余計に「〇〇さんでもそんなこと思うんだ」って、変な目で見られそうだから。
読んでくれたあなた、もし同じ気持ちになったことあるなら、こっそり教えてくれ。別に返事しないけど、ただ、知りたいだけ。
また、気が向いたら書くよ。それまで、なんとか生き延びるわ。じゃあな、
a7e0e5a0e6f7e9e1b7b0c3f8b8f6c7e4d2e4f1c8a9b2d3e5f6a7b8c9d0e1f2a3
国会議員に当選した2期目、ずっと来てくれなかった母が、やっと東京に観光に来てくれた。芝居でも、歌舞伎でも、ごちそうでも何でももてなすつもりだったが、「靖国にお参りしたい」とだけ言われた。
喜んでもらおうと、昇殿参拝して、祝詞(のりと)をあげようと言ったが、母はかたくなに断った。「父に会えればそれでいい」と言っていた。
――母親はどういう思いだったのか。
軍人でもない父は、赤紙一枚で、国のためにと戦地にかりたてられて、命を落とした。それを命じた人と、父が一緒にお祀(まつ)りされているということは、母の心に何かしらわだかまりがあったんだろう。母だけではなく、遺族の多くが同様の思いを持っていたと思う。
別にキンキンに冷やしてるという温度にしてるつもりもないんだけど、それでもガンガン音が鳴る。
外に出てみると日差しで肌が痛い。日焼け止め貫通してるんかってくらい痛い。
幼い頃の小学生の頃の授業では、「近くの買い物は徒歩などにしましょう」「車はアイドリングストップして停めましょう」みたいなエコに関する話をずっと聞いていたし、地球温暖化に関する危機感なんてものは今まさに真っ先に感じていることなんだけども。
でも今は冷房は効かせなきゃ死にそうだし、仕事でも車はエンジンをかけっぱなしにして冷房つけて休憩させたりして熱中症を防がなきゃならんような有様でもある。
なんというか、自分はここまでして自分の生存のために化石燃料燃やして焼け石に水以前のその場しのぎを受けていて良いのだろうか、って感じのわだかまりがずっとある。
自分のためでしかない、快適以前の話なんだとは思うがそれでもどうにも感覚から逃げ切れないでいるのは、その熱さそれ自体をまさに感じているからなのだろうとも思う。
とにかく冷房をつけないと暑くて仕方がないし、つけてもなかなか眠れない。
うちの夫はごめんなさいを言わない。
絶対言わない。
むしろ誰にでも親切だし思いやりがあるし優しいし、なんなら私よりずっと人間ができている。
でも、なぜか頑なに謝ると言うことをしない。
以前、私が大切にしているお皿を彼が不注意で割ってしまったことがある。
それは私が好きな作家さんのもので、出展するイベントまで足を運んで買ったお気に入りの一枚だった。
割った時、まず彼は開口一番「割れちゃった」と言った。
割ったのは自分なのに。
彼はその後、何か言い訳をしていたと思うけれど(手が滑って、とか、割れるほどじゃないと思った、とか)ついに謝ってはくれなかった。
謝ったところで皿が元に戻るわけじゃない。
それは分かっている。
でもとてもモヤモヤしてとんでもなく暗くて悲しい気持ちになったのを良く覚えている。
でも、謝ってよ、とは言いたくなかった。
強要して言わせてもそれは本当の謝罪じゃないし、そう言うことによって険悪なムードになるのも嫌だった。
お皿は棚の奥にしまって見えないようにして忘れるふりをした。
そうか、この人は絶対謝らないのだ。
謝ったら、多分死んじゃうんだ。
その時そう思ってから、私はごめんねを期待するのをやめたし、彼が私に対して悲しくなることをしても、その瞬間意識を遠くにやるようにしてできるだけフラットでいるようにしている。
でも今日、また似たことが起きて、私は少し体調が良く無くて、うまくフラットにすることができなかった。
喉元まで出かけた「あなたは本当に謝らないよね」と言う言葉を我慢しただけ偉いと褒めて欲しい。
それを分かっていないと苦しくなる。
言ってわだかまりを吐き出して解いても、それはただの自己満足に過ぎないから、また私は意識を遠くに飛ばして仲良くしていく。
Permalink |記事への反応(10) | 04:25
ラブライブ界隈では導入以来かなりの実績を重ねてきたイープラスの顔認証チケット。
転売対策としてはもちろん、たとえスマホを忘れても顔パスで入場できるのは利用者にとっても素晴らしいメリットといえます。
なかには高額転売された非正規のチケットを使ってでも、現地に行きたいと考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。
最近は配信も充実してきましたが、やはり現地でしか味わえない会場ならではの雰囲気というものは確かにあります。
実際、開催が迫る「Aqours Finale LoveLive!永久 stage」でも、Xやチケ◯◯◯で譲渡募集が散見されます。
果たしてこうした非正規のチケットで本当に入場できるのでしょうか。
私もチケットが当たらなかった悔しさから、こういったチケットに手を出してしまったので、その経験を自分への戒めも込めて記しておこうと思います。
具体的な公演名は伏せますが、Day1・Day2の2日間に渡る公演で、次のようなチケットを用意しました。
なんとそのまま入場できてしまいました。
場内でも特に呼び止められることはなく、終演まで問題なく観覧して会場を後にしました。
ここでトラブル発生。これまで何の問題もなかった顔認証が、全く反応しません。
タブレットの前に立つバイトスタッフも困惑した様子で、不備対応レーンに案内されました。
顔写真で検索したのでしょうか。ここでDay1で非正規のチケットを使ったことがバレてしまったのでした。
ただ、自分名義の身分証明書を持参していたので、軽く口頭で注意された程度で入場できました。でもあまり気持ちの良いものではありませんね。
ちなみに、対応された方はバイトスタッフとは違って腕章も名札も着けておらず、言葉が悪いですが終始面倒そうな態度でした。
おそらくイープラスかバンダイナムコの社員だったのではないかと思います。
考えてみれば、スマホのロック解除で日常的に使われている顔認証。
Day1とDay2で写真を変えたところで、同じ顔ならバレてしまいますよね。
見た目はシンプルなテンプレートをそのまま使ったようなWebサイトですが、顔認証技術そのものはかなり精度が高いようです。
Day1では止められなかったということは、顔写真とアカウントの名義は紐づけられているわけではなさそう。
おそらく顔写真の有効範囲はあくまでもそのライブ限りで、終わったら破棄されているのでしょう。
別のライブで登録した顔写真を横断的に照合することまではしていないようです。
例えばDay1とDay2のように公演日時が別でも、同じURLなら行き着く登録先は同じなので、照合すれば別名義であることがバレてしまいます。
チケットぴあではリセール対応公演が多く、イープラスにもリセール機能自体は存在するようですが、
ラブライブシリーズのライブでは一向に導入される気配がありません。
ラブライブシリーズは1日だけで万単位で動員する公演を数多く開催しているので、参加者が多くチケット管理が複雑になるのは理解できます。
また、現行の顔認証システムは、イープラスの抽選予約システムとは別建てで動いていることも、リセール導入の障害になっているのかもしれません。
でも、これでは運営側は困らなかったとしても、観客としては悲しいことですよね。
この種のチケットはかなり早い時期から申し込みが始まるので、開催日までに急遽予定が入って行けなくなる方が出てくるのはごく自然なこと。
行けなくなったチケットは転売対策の名のもとに紙切れになり、抽選に全部外れてしまえばどんなに行きたくても公式からのチャンスはもうない。
こうした仕組みでは、たとえ入場できないかもしれないと分かっていても、非公式の手段に頼りたくなる方が出てしまうのは避けられません。
私も公式リセールがあったなら、非正規のチケットにまで手を出そうとは思わなかったでしょう。
少なくとも申し込みの時点で顔写真を確定し、当選後は一切変更不可とするのが望ましいと考えます。
現在のシステムでは公演直前になって顔写真登録の案内が来る仕組みになっているので、単純に忘れてしまいやすいです。
また、このタイミングで他人の顔写真を登録することも可能なため、結果として転売を助長することになりかねません。
顔写真を変更した場合はその直後に参加する公演で本人確認を必須にするのが適切でしょう。
現状の顔認証システムは、同じURLのサイトなのにDay1とDay2それぞれで別々に写真を登録しなければなりません。
果たしてこの仕様に意味はあるのでしょうか?別人の写真を登録しても構わないと言っているようなものではないでしょうか?
かえって不正利用の余地を生み出しているようにしか思えません。同一ライブ全体で一元管理するのが適切でしょう。
私は法律の専門家ではなく、制定当時の経緯も深追いしていないので、不勉強な部分はご容赦いただければと思います。
現在の「チケット不正転売禁止法」は消費者によるチケットの不正転売を禁止しているだけで、
特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律
(興行主等による特定興行入場券の不正転売の防止等に関する措置等)
第五条 興行主等は、特定興行入場券の不正転売を防止するため、興行を行う場所に入場しようとする者が入場資格者と同一の者であることを確認するための措置その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
2 前項に定めるもののほか、興行主等は、興行入場券の適正な流通が確保されるよう、興行主等以外の者が興行主の同意を得て興行入場券を譲渡することができる機会の提供その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
小規模な興行にまでリセール導入を求めるのは酷ということで努力義務に留めたのかもしれませんが、
ラブライブ以外にもジャニーズなど大小問わず様々な公演で、依然としてリセール制度を導入していないケースが多いように感じます。
また、リセールを用意していたとしても、対象が会員限定であったり、申し込みサイトとは別の外部サービスを利用していたりと、
その方法や条件には統一性がなく、主催者ごとに対応がバラバラなのが実情です。
すべての興行にリセール制度を義務化するのが理想だとは思いますが、少なくとも開催日の1ヶ月以上前から申込みが始まる公演や、
抽選制で早期に満席が予想される公演においては、リセール導入を義務化してほしいものです。
事情があって行けなくなったチケットまで自由に譲ることできないのは、消費者にとって制約が強すぎます。
法律で転売や譲渡を禁じるのであれば、主催者が責任を持って譲渡を仲介していただきたいです。
理想を言えばチケットを購入したサイトの履歴画面から直接リセールを申し込むことができ、
購入したのと同じページからリセールチケットの情報を確認できるような、シンプルで分かりやすい仕組みにしていただけるとありがたいです。
リセールに至るまでの手順が複雑だと利用が進まず、非正規の転売に頼ってしまう方が出てきてしまいます。
誰もが気軽にリセールできる統一的な方法をガイドラインとして整備することが望ましいのではないでしょうか。
もし今度の参議院選挙で山田太郎氏がこの問題に真正面から取り組んでくれるなら、私はぜひ応援したいです。
とはいえ、リセールを導入したとしても、完全に転売を防げるわけではないようです。
今夜は、そのことを物語るニュースを多く目にしました。結局のところ、最後に問われるのは、やはりモラルなのかもしれません。
顔認証の導入など、ラブライブシリーズは不正転売に対してどこよりも厳しい対策を取っていると思います。
一方で、正規の方法で参加しようとしてもチャンスが得られず、チケットを譲りたくても手段がないという現状は、
推しに熱烈な声援を送り、その雄姿を目に焼き付けたいファンの気持ちを踏みにじるものではないでしょうか。
「配信があるから」、「ライブビューイングがあるから」で済ませるのではなく、
自主的な譲渡や転売を禁じる以上は、最後の最後まで現地参加できるチャンスを主催者には用意していただきたいと強く思います。
この記事に記載した抜け穴もいずれ対策されることになるでしょう。くれぐれも真似されないように。私はもうしません。
開幕からド派手にぶちかます中で、蘭が園子にサッカーの試合のチケットを譲る場面が出てきたのが気になりました。
無償だから問題ないのかとか、いくら大財閥の令嬢だからって本人確認で止められてしまうのではとか、いろいろ考え込んでしまいました。
超大人気シリーズですら平然とチケットを譲渡しているわけですし、どの公演でもチケットのリセールもわだかまりなく行えるようになるといいですね。
最近はヲタクのコンテンツもほとんど金が儲かる物が生き残ってそれ以外は死んでいくようになってるけど
ガノタの乃木坂アレルギーもわかるよ、自分が推していきたいコンテンツに大嫌いな女を数打ちゃ当たる拝金主義グループが出てくるなんて
そもそもアイドル産業で美人をセコセコ集めてた所を、最上級の美人じゃなくてそこら辺に居そうなイモっぽい女を集めだして金稼ぎに成功し始めて
何なら少人数のアイドル系を一時期ほぼ駆逐してしまったうえに、美人の概念を捻じ曲げつつある所があくどい、かなりあくどいぞ
でもさ、その辺のあくどいことはよ~~~く分かってるだろうに、なんで止められないかって
正直他人がチンポコ握った手で女と握手するためにCD数千枚買おうが、画面の向こうのブサイク女のホスト代を貢いでようが
手前さんにはあずかり知らねえことじゃァないですか、なんならそういうアンチ行為をしている時間に働いて金こさえて使いたいモンに使うんが一番健康的じゃァないですか
でもなぁ、わかるんだぁ、世の中的におかしいものがまん延するのが嫌なのは、そういう仕組みを打ち砕く奴ってのが居ないんだよなぁ
こういうわだかまりを解消するのが本来の頭いい奴の仕事だよなぁ、変なクイズ屋さんとかじゃなくてさ
どうすりゃいいんだ
ある程度精神が落ち着いてからかけたのだけど、時系列で出来事を説明し、解けないわだかまりと自分がとった行動と、どうして電話をかけようと思ったのかあたりまで話したところ、終始穏やかに傾聴してくれた。
自分の感情が説明し切れるようになったくらいで相手から複数の提案があり、具体的な今後の対応を話しながら詰めていったあたりで随分と心がスッキリするのを自覚した。
話の持って行き方が上手く、こちらが必要とする知識をぱっと出してくれる有能な相談員だったのもあると思うけど、やはり電話をかける側もある程度理性的であるのは大事なのかもなと思った。
私は恋人の優先順位が一番高い。(彼氏のためにドタキャンしたり仕事休んだりしたことはない。それを望むような人でもなかった)
笑ってくれたら嬉しいし、美味しいものや面白い体験をしたときに一番に思い出したりデートプランで提案してみたり、読んだ本や最近の好きなもの話を聞くのも好きだったし、お互いの現状を話しあったり、卒業後に結婚を見据えて進路を選んだり、恋人ってそういう人生に食い込んでくる存在だった。
ただ彼にとっての恋人は、友人やサークルと同じくらいの特別だった。
コストを払わなくても慣性の法則のように関係が続いていくと感じているような行動が多く、
話は聞いてくれるが、私が不安を感じる行動をこう変えてくれないか?という要望を出してもいつもまるで無かったことになった。
自分の話も自発的にすることはあまりなかった。多分、彼が何を考えてどう感じ取っていたのか、結局私は知らないままだと思う。
思い返せば、付き合っていた期間、私はずっと彼に怒っていた。私の不安を蔑ろにして、嫌だと伝えたことをやり続ける彼にめちゃくちゃ腹を立てていた。同時に、めちゃくちゃ好きだった。
怒っても関係が悪くなるだけだと思って、私が不安になったり嫌だと感じること自体が無くなれば楽しく過ごせるのではないかと変わる努力をした。
学生の4年間は不安定ながらもなんとか続いていたが、社会人になりさらっと結婚の話題が出た時に(この人とこれから何十年も過ごすなんて嫌だ)と思った。
本意ではないが、このときにはもう彼を、私とのハッピーな時間は享受するだけで、私が嫌だと感じることや不安には向き合わず自分を変えてまで関係を良くするつもりはない人間だと感じていた。
社会人になり、友達と遊んだり旅行にいったり、仕事に打ち込んだり、新しい出会いが増え、生活は充実した。すると恋人の存在が自分の行動を制限しているように感じはじめた。率直に言えば恋人以外の男性を魅力的に感じる場面が出てきた。私を大切にしない恋人のために操を立てている自分は馬鹿なんじゃないか?と思い始めた。
自分の中で「もうこれ無理だろ」と「どっかでボタンの掛け違いが起きているはず」で揺れて、恋人に一度友人に戻って関係を築き直す提案をしたら断られた。ので、別れることになった。
共通の友人たちからは評判も良くユーモアも愛嬌もある人なので、彼氏視点や友人視点だと全く別の物語になるんだろう。
怒りがわだかまりになって残っている。ちゃんと怒ればよかった。
Permalink |記事への反応(11) | 03:10
電車の中とかで、
大騒ぎしてたら腹が立つときとかあるじゃないですか?
そういうときに電車の中に大騒ぎする高校生とかが入ってきたら、
運悪く、そういうときに限ってイヤホンを会社に忘れてきてたりして更に嫌な気持ちになります。
それは彼らを小学生だと思うことです。
彼らの幼稚な行動がちょうど小学生くらいと同じなんですね。
「ああ、そうか。大きな身体に小学生の脳みそが入ってるんだ。」
なら、
仕方がない。
って、妙な納得感がおとずれて気にならなくなります。
これは多分、私の怒りの源泉として
「なぜ?」
なぜ?電車の中で騒ぐんだろうか?
なぜ?……???
なんだろう、きっと。
ああそれなら仕方がない。
彼らはまだ子どもなんだ。
そう考えます。
その気づきを得てから、あらためて周囲を見回すと納得することがあります。
世の中には小学生程度の知能というか知性というか、
とにかく小学生程度の脳みそしか持ってない大人というのがたくさんいるということに。
ああ、そうか。みんな馬鹿なんだ。だから、馬鹿なことをするんだ。
だから、常に
「なぜ?」
という疑問のわだかまりをたくさん抱えながら生きてきた。
なぜ?あんなことをするんだろう?
なぜ?そんな簡単なことを人に聞くんだろう?
なぜ?そこで停止出来ないんだろう?
なぜ?
みんな、ただ、大人の体に、小学生程度の脳みそしか入っていないというだけなんだ。
妙な納得感が心をすっきりとさせてくれます。
九州には男尊女卑の思想が色濃く残っており、九州の人間が男尊女卑的なアクションを起こしたときなどに「さすが九州」と揶揄する言葉を略して「さす九」というわけだ。
この「さす九」がSNSで拡散され、九州の人から「地域差別だ」という声が出ている。そんな報道記事が注目を集め、トレンド入りしたらしい。
私は九州出身で、上京してから「さす九」という言葉を耳にするたびに胸がチクチクと痛んだ。しかし、ごく最近「さす九と言われても致し方ない」と思う出来事が身近で起きた。「結婚と改姓」を機に、母から絶縁されたのだ。
私は結婚するにあたり、妻と話し合って妻の姓を選ぶことにした。入籍前にその旨を母に伝えたところ、「男が姓を変えるのは実家と絶縁する時である」と言われた。そんな話はつゆ知らなかったので、大変面食らった。
そこから日本の氏姓制度の来し方を辿ってみたところ、日本国憲法上「妻か夫かどちらかの姓を選べばよい」以上の情報は出てこず、私が姓を変えることに制度上、倫理上ともに何ら問題が無いことが分かるばかりだった。
その上で、「結婚したら夫の姓にするのが当然である」という考え自体が、戦前の家制度に由来する男尊女卑的な思想の名残りであることも知った。
こうなると、母から我々の姓の選択に干渉を受けるいわれは一切ない。むしろ、母の言い分を受け入れて、夫婦二人で決めた姓の選択を変更すること自体が、男尊女卑的な風習に加担したことになってしまう。こちらのほうが問題である。
精神的な抵抗はあるのかもしれないが、家族なのだからちゃんと話せば分かってくれるだろうと思った。後日、母と直接会う機会があったので、「調べたところ、妻の姓にすることになんら問題はないので、やはり妻の姓を選ぶことにした」と伝えた。その場で絶縁された。「あんたはもう家の息子じゃない」と言われた。
妻の両親は「妻の姓を選ぶと聞いて我々も驚いたし、そちらの両親が反対しているなら選択を変えた方が良いのでは」と言ったが、我々がどのような意思で妻の姓を選ぼうとしているか、母からの拒絶を受け入れるわけにはいかない理由も含めて伝えたところ、「二人の意志を尊重する」と言ってくれた。
その上で「とはいえそちらの両親との関係がこじれた状態で結婚を認めるわけにはいかないから、ちゃんと両親と対話をしてわだかまりを解消してから先に進んで欲しい」とも言われた。至極当然な心配だと思った。
そこから私は、なんとかして母と対話しようと試みた。最初は、母が売り言葉に買い言葉で「絶縁」と言ったのだろうと思った。しかし、その後の母は取りつく島もなかった。最後に会った日から私のLINEをブロックしていたようで、そもそも私からの連絡を読んでいなかった。一度実家に帰って直接話をしたいという旨をつづった手紙も送ったが、父から「母は会わないと言っている」とだけ連絡が返ってきた。
父は父で、「二人の決定を尊重する。我々のことは気にせず二人で幸せにやってくれればよい」とは言いつつも、母を諫めるようなそぶりもない。「もう何を言っても無駄だと思う」と諦めモードである。
そうこうしているうちに、なんと母からLINEが来た。私と妻に対する罵詈雑言が書き連ねられていた。私は母に「なぜそんなに拒絶するのか、せめて理由だけでも教えて欲しい」と返した。しかし、母からの返事はなかった。
両親が取りつく島もなかったことを、妻の両親に正直に伝えた。「まさか対話もできないほど拒絶されているとは思わなかった。残念ではあるが、親子のわだかまりは時が解決してくれることを願いつつ、次のステップに進むほかないのでは」との了承を得た。私は妻の両親に「3か月待ってみて、両親から何も連絡が無ければ結婚に進ませていただきます」と伝えた。
3か月の間、両親から連絡はなかった。私は、妻の姓を選んで結婚した。
結婚から3か月後、母からLINEが来た。「両親を亡き者にしているがごとき対応」に対する怒りと、私と「家族関係をぶち壊した」妻、そして妻の家族を罵倒する言葉が書き連ねられていた。さらに、母方の祖母をはじめ、家族も怒り、呆れているとも綴られていた。
そしてその翌日、父から「母が『私と妻、妻の両親と4人で家まで挨拶に来い。そこでケジメをつける』と言っている」とだけ連絡が来た。
一方的に対話を一切拒絶し、自身の想像だけで息子のみならずその妻と家族に対してまで根拠のない誹謗中傷を行い、こちらからの返信は一切読まず、人づてに「家まで直接来い」と言う。いったいどれだけ私と妻の家族を愚弄すれば気が済むのか。この呆れるほどの加害性はどこから来るのか。
母はもう別の生き物になってしまったと感じた。私は母と父の連絡先をブロックした。限界である。
結局、この一連のやり取りの中で、母の中にある「なぜ妻の姓にしてはいけないのか」という根本的な理由が分からずじまいだった。どれだけ感情的であっても、ここが分かればまだ対話の余地はある。しかし、それさえできなかった。
ここまで読んだ人には信じがたいかもしれないが、改姓の話が出るまでは、母との関係はすこぶる良好だった。少なくとも私はそう思っていた。日常的な連絡を取りあい、結婚の段取りの相談なども順調に進んでいた。これまで「お前は大人になったら姓を継ぐのだよ」という話など一切出たこともない。ところが改姓の話が出た瞬間、文字通り「人が変わってしまった」のだ。
改姓について両親に反対されている話を、同世代のみならず、年上の知り合いの人にも相談した。満場一致で「どう考えても母の拒絶は異常である」という反応だった。その流れの中で「やはり『さす九』案件なんじゃないですか」という言葉も何度も出た。胸が痛んだが、自分の中でも「これはさす九と言われても致し方ない」という結論に至った。これが何よりこたえた。
本当に怖い。
https://anond.hatelabo.jp/20250305150606
エンジニアが仕様の漏れでフォーマットが合っていない発注書を受け取ったらどんな思いをするであろうか。
「このまま開発が進んで新しい仕様漏れや仕様変更があったらどうしよう」、「プロジェクトは予定通り進むだろうか」、「予定通りいかなかったあのときは苦しかったなぁ」あたりだろうか。
基本的にこのあと苦しい思いをするのがわかっているからこそ、防御的な反応を取る。
片っ端から指摘しておかないと、後でどこで爆発するかわかったものではない。
淡々とした文章での指摘は、怒りと不安を表現したビジネス上のオブラートである。
あんな言葉言われたら萎縮するだろうがというのが木主の指摘であるが、それを取り払ったら罵声を浴びせられるということへの想像が欠如している。
ルールと文法が違うだけで、エンジニアにも「行間読め」「察しろ」はあるのである。
そして、先回りして防御的な反応をするということは、これまでにそうなっただけの蓄積がある可能性が高い。
とのことであるが、とっくに派閥として敵対関係が形成されているからこういうことになっていると考えるのが自然である。
エンジニアと営業の対立なんて話はどこにでもありふれているが、前工程の尻拭いを押し付けるような振る舞いをすることによって恨みを買う、というのがありがちなパターンである。
こういう利害対立を起こしやすい組織間は単に馴れ合うだけではうまくいかず、互いの事情を吸収したうえで組織的な課題を共有し、同じ目標のために心を一つにするために腰を据えた取り組みが必要である。
新人だから優しくしてあげましょうなんて話がうまくいくはずないくらいに溜まったわだかまりをほぐさないといけないのである。
エンジニアのトップが公然と敵対的な態度を取っているということは営業の部署そのものがエンジニアに信用されていない可能性が高い。
派閥争いとして考えると、一歩先んじているのは晒し上げを予定している木主のようではありそうだが。
これまでにエンジニアとして営業と仕事してよく言われるのは「よくわからない」である。技術的知識も思考過程も異なるので自分の尺度で図ることができないのであろう。
馴れ合うだけではうまくいかないとは書いたが、最低限共に酒を飲んだりしてパーソナリティの相互理解を行うことで感情がどのように動くのかとかどんな利益を重視するのかなどの意見交換を行うことは必要である。
趣味も文化も違う人間と酒を飲むなんて心底面倒くさいが、これも仕事である。
最低限、「舐めた仕事の尻拭いを押し付けられたらすっげー腹立つ」ということに共感性を持ってもらうように相互理解を進めなくてはいけない。
叔父が亡くなった。叔父の最後は誤嚥性肺炎だったとのこと。晩年というか自分が中高生くらいになってからかな、そのころから半引きこもりのような生活をしているようだった。なぜそのような生活を送るようになったのかは自分にはわからなかった。だけど引きこもって何もしなかったというわけではなく、祖母の身の回りの世話をしていて、車を運転したり、買い物したり、食事を作ったりしていた。しかし、働かない大人というのは周りから腫物扱いされるもので、だんだんと触れてはいけない人のような、空気のような扱いをされるようになった。ご本人も、だんだんと自分から身を隠すような、そんなそぶりを感じるようになった。自分はそのことにいつも、ずっと居心地の悪さを感じていた。
叔父の思い出を振り返ると、親戚の中で一番遊んでくれた大人だったことを思い出す。おばあちゃんの家は楽しいという幼少の記憶のセットとして覚えている。日産のとても古い車に乗っていていつも暖気運転してから、いろんなところに連れて行ってくれた。知らない外食屋さん、知らない公園、おぼろげな記憶がいくつかある。暖機運転中の鼻につくガソリンの臭いが懐かしい。
自分は中学生の時、1年ほど学校に通えない時期が続いた。心配をしてくれたのか、叔父はいくつか服を送ってきてくれた。オレンジ色のタータンチェックの服とか、自分では絶対にチョイスしないださい服だった。でもおじさんらしいチョイスで、叔父が来そうな服でもあった。不登校になって、世の中のレールからはずれてしまって、ちょっとした絶望と孤独感を味わっていた自分にとっては、心配してくれる誰かがいてくれたことにうれしさと安心感を覚えた記憶がある。あの時、なぜプレゼントをくれたのか。その理由は聞けていない。今更、どんな思いで贈ってくれたんだろうかなんて思う。そんなことももう聞けない。
叔父がなぜひきこもっていたのかわからない。だけど、繊細な人だったのだと思う。自分たち兄弟にやさしく接してくれた。社会に出ると、いろんなつらいことがある。叔父は社会で生きていくにはやさしすぎたのかもしれない。叔父は静かに死んでいった。葬儀は叔父の兄弟だけでやるらしい。ご本人の心のうちはわからないが孤独で亡くならないでほしかった。そんな人ではない、という悔いが残る。自分がもっと積極的にコミュニケ―ションを取りに行っていたら変わったのかなと思ったりもするが、自分がそういうのが得意な人間でもないし、叔父はそんなことを望んでいないかもしれない。自分の中に残るわだかまりは、好きだったから孤独で亡くならないでほしかったという思いだけ。
そういえば漫画が好きだったね。1,2のアッホとからんぽうとか世代でなければ読まない漫画を読ませてもらったな。ゲゲゲの鬼太郎ももらったな。