
はてなキーワード:わがままとは
京大時代、YY年前に2人の女性へポリアモリーを提案していたらどうなっていただろうか。ポリ。。。とは、週末に3人でデートしたり、学内で一緒にランチしたりする両手に花関係のこと。ランチならもちろんさしづめ学食だろう。一人は1つ下であまり美人ではない女性、もう一人は途中でサークルを辞めた2つ下の美女。不美人の彼女はすこしばかり自分に夢中で、美女の方も恋愛感情ではなかったが腕を組んでくる程度には受け入れてくれていた。二人は高校も大学も一緒の先輩後輩関係。サークル時代の自分は、彼女たちを含め五典の女性から好意を寄せられ、望めば2人で協力してデートやランチに付き合ってくれた気がする。当時は不美人からの好意を避けるしかないとわたくしも狭量だったが、サークルを辞めて大学院進学前後に「3人で定期的に食事しよう」ときっかけを作っていたらどうだっただろう?どうせ大学院生は恋愛の機会が少なく、結婚となるとさらに難しい。不美人は当時わたくしに少し夢中だったし、美女の連絡先も知っているから、多少わがままでも俺の希望とあれば呼び寄せてくれて、ポリアモリーもできた気がする。ただし誰かが社会に出た時点で、中道みたいに解散。2つ下だったから、わたくしが博士号取得のときにはD1で在籍していて、関係も続いていたかもしれない…ああ、なんということだ。そう考えると、ポリアモリーで承認欲求を満たし、飢餓感を避けられたかもしれず、提案していれば勝ち筋があったのではと思う。京都大時代のある日、荒れそうな飲み会の入り口で、戸惑い呆然と立ち尽くしていた美女がいた。僕を見つけるなり縋るように腕を組み、「代わりにお酒を飲んで」と頼んできた。騎士気取りで彼女を守り、代わりに杯を重ねたその夜、その姿を見て思いをさらに募らせた不美人な後輩がいた。やがて美女が辞めて去ったとき、その穴を埋めるように「私でもいいですか」と手を挙げたのは、その不美人だった。数ヶ月後、彼女からもらったプレゼントの重みを今でも覚えている。「一人の女性に絞るべきだ」という狭量さから、不美人の好意を避けることしかできなかったけれど、今思えばあの時、どちらかを切り捨てるのではなく、3人でテーブルを囲み、歪でも幸せな関係を築くポリアモリーもあったのかもしれない。サークル時代の自己肯定感から、大学院時代の孤独や飢餓感に急落したけれど、三角関係が救ってくれたかもしれないという「もしも」が夢に現れる。あの時、彼女に「これからも3人で会いたい」と言えていたら、モラトリアムはどう終わっていただろうか。
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
結論としては
確かにそんな気がする
気に入らないにせよもう少し和やかにする素振りはしてもいいのに終始寄せ付けない雰囲気がある
昔の知人にすごいわがままで、すぐ不機嫌になる人がいたけどその人と同じ声のトーンと仕草を感じる
内容も素っ気ない
空気感を作る気配がない
さっとやって終わりな感じ
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。
まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、
その予感は当たっていましたね。
「百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」
という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である。
いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分を10代だと思い込んでいる30代とか40代のおっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。
ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。
※ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。
☆良かった所
・曲、声優の演技
■悪かった所
シナリオ、キャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ
■シナリオについて
ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである。
この話にシナリオなんてものはほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけ大したことはやってないというかシナリオ構造自体が破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である。
複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないものを説明しろと言われても無理なものは無理なのである。
なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。
まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。
そういう人間の過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。
「能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。
単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当だから、ちゃんと人間の関係性描くことができなかっただけですよね。
要するに人間と人間の機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。
■キャラクターについて
それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。
それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?
こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。
彩葉は趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームはプロゲーマー級、実のお兄ちゃんは超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベルの超人である。
いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。
俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。
やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間になっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。
まあ、ハイスペだから絡んでる友達もハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容系インフルエンサー(笑))
そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。
カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。
ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。
監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤの関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで
カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?
それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現になっちゃうんだよな。
で、なんだっけ「キャラクターがいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか?
「自分が育てることになったわがまま娘が自分が推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。
そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。
結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。
2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?
■それっぽさだけで構成された配信文化とゲーム文化と戦闘シーン
輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、
なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手の戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり。
しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信者ものって、結局視聴者はバズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。
他の監督だったら最後の戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、
カグヤやいろPの配信やSNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品の製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要ないか!
何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。
■「世の中への舐め」
『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界でトップの人気を得ることも、
因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物がハイスペだからです。という身も蓋もない話。
10年研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。
彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。
それに加えて、結局、監督の恵まれたエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。
「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。
このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミは自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!
監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者=ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性でホント悲しくなるよ。
細かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。
まあしょうがないか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。
「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんとライブシーン描けよ問題。
この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、
早見沙織もインタビューで製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。
特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。
陽キャに憧れた陰キャがカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。
ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。
何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。
ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス。
■総論
監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。
お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターのエモーショナルにフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?
豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。
まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプの駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑
女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。
なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。
ストーリーもバトルも配信もダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います?
長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。
お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
Permalink |記事への反応(42) | 02:56
女性トイレの行列問題で、弱者男性が女性のスペース増設にキレまくってるじゃん?
国土交通省の指針案で女性用便器を男性以上にする動きが進んでる。
なのにXで「男のスペース奪うな」「スマホいじってる女が悪い」「和式に戻せ」ってうるせえ。
彼ら、ただの甘えでしかない。
社会で上手くいかないのを全部女のせいにして、女性が少しでもマシな環境を手に入れるのが許せないだけ。
自分より下の存在がいなくなるのが怖いから、女性の小さな改善さえ全力で潰そうとする。
弱者男性の「生きづらさ」?
そんなもんねえよ、ただの甘え。
女がトイレで苦しむのを「仕方ない」って放置してきた構造が問題なのに、それを指摘されたら逆ギレして女を叩くとか、情けなさすぎ。
傷つきやすいしちょっとしたことでくよくよと悩んだりして青春時代を過ごす。
社会に出て大人になるにつれ、なぜ人は図々しくなっていくのか。
自分の心の準備なんて気にする余裕もないまま、みっともない姿を晒して必死になるしかない。
それをせずに済んで生きてこられた人は幸せだと思う。
たまにいる30~40代くらいでよくそれでここまで来れたなというくらい繊細な人。
ちょっとしたことで怒り出したり、ちょっとしたことで悩んでたり。
そういう人はそれまで自分でそれを乗り越えなくても済んできた人なんだと思う。
周りに愛され助けられてきたんだろう。
飲み会で、周りの空気を察して自分から話題を切り出したり明るく振る舞うことすらできない人。
恋愛で、自己中に嫉妬むきだしたり、モラハラっぽいことしちゃう人。そのくせ別れるときには子供みたいに泣いてすがる人。
仕事で組織としての結果より承認欲求が上回っちゃって、リーダーやりたがるのにいざやったらダメダメな人。
そんな出来事が起こるたびに辛い人生だ、、なんてくよくよしてるだろう。
でも繊細さというのは、裏返せば図太さなんだと思う。
いつでも明るく振る舞う元気そうな人に、平気で「あなたは強くて羨ましい」と言ったりできる。
その元気な人の声が時々震えてることになんて気づかない。繊細な人ほど鈍くて、立ち直りも早かったりする。
そういう人と、仲良くはなれないけど見ていて羨ましいなと思ってしまう。
あなたはそうやってできる限りわがままに生きていけたらいいね、もし死ぬ瞬間までそれでいられたらそれはきっと幸せなことだ。
それが後になればなるほど、しんどい思いをすることになる。
最後まで繊細なままで生きられる人は少ない。
だけどそうやって繊細な心を持ち続けて生きていけるなら、それは間違いなく幸せなことだと思う。
これのどこが闇なの?
むしろ、今の日本社会が抱えてる男たちの無責任さが浮き彫りになっただけでしょ。
結局のところ、この問題の根本は全部男が悪いし、女性はただの被害者なんだよね。
経済を牛耳ってるのは男でしょ?
これまで何十年も、男たちが自分たちに都合のいい社会構造を作って、高年収のポストを独占してきたわけじゃん。
そのせいで働くのが困難になった女性がいるなら、その余ったリソースを分配するのは当然の義務でしょ。
「あてがえ」はただの救済措置 これを「おぞましい」とか言ってる連中、鏡見たほうがいいよ。
男がちゃんと責任取ってセーフティネットにならないから、行政にまともな男を寄越せって言わざるを得なくなってるんだよ。
ミサンドリーにさせたのは誰?
「男性嫌悪を拗らせてる」とか言ってるけど、そうさせたのは過去の男たちでしょ。
搾取して、見捨てて、追い詰めておいて、いざ助けを求められたら闇だって叩くとか、加害者が被害者面するのもいい加減にしてほしい。
この投稿をした女性は、壊された社会の中で必死に声を上げたサバイバーなわけ。
それを非モテだの攻撃的だのラベルを貼って叩いてる男たちは、単に自分の特権を奪われるのが怖いだけでしょ?
「高年収の男をあてがえ」っていうのは、わがままじゃなくて「戦後から続く男尊女卑社会への賠償請求」なんだよね。
AIによる補足解説:自由主義が日本社会と噛み合いにくい理由について
本増田で描かれている違和感は、家族関係や恋愛の問題にとどまらず、より広く「自由主義的な人間観」と「日本社会が前提としてきた人間観」の齟齬を示している。
・個人
・契約
・権利
・自己責任
ここで想定される「個人」とは、社会や関係性に先立って存在し、自らの欲望や選好を明確に持ち、それを言語化し、他者との摩擦や誤解を一定のコストとして引き受けられる主体である。
日本的な主体は、関係の中で立ち上がり、他者の視線や感情を内在化しながら振る舞う存在であり、欲望や感情を即座に外部化することよりも、場の調和や文脈の維持を優先する傾向が強い。
むしろ、日本社会は「自由を直接表明しない技術」を高度に発達させてきた社会である。
本音と建前、空気を読む、察する、匂わせるといった文化は、自由を抑圧するためではなく、関係を壊さずに欲望や意志を流通させるための装置として機能してきた。
しかし、近代以降、自由主義が制度として輸入される際、その背後にある人間観までは十分に翻訳されなかった。
その結果、日本社会では
といった誤作動が頻発することになる。
本増田における「父親と彼氏の話題が重なることへの拒否感」は、この誤作動の極めてミクロな表出である。
自由主義的には、成人した個人の恋愛や性的関係は、完全に私的な自己決定事項であり、他者の視線や感情から独立してよいはずだ。
しかし日本的感覚においては、父という存在は依然として「公的・管理的な視線」を帯びており、そこに私的な身体性が重なること自体が強い違和感を生む。
重要なのは、これを「日本は遅れている」「自由主義を理解していない」と単純化しないことである。
自由主義は、関係から切り離された個人を出発点とする思想である。
一方、日本社会は、関係の中で個人が形づくられることを前提に秩序を築いてきた。
この前提の違いを無視したまま制度や規範だけを導入すれば、個人は常に「自由であれ」と求められながら、同時に「空気を読め」と要請されるという二重拘束に置かれる。
本増田が示しているのは、その二重拘束が生む、ごく日常的で、しかし説明しがたい居心地の悪さである。
掲示板世代とSNS世代でブロックに対する考え方が違うらしい。
ブロックは自分の心理的安全や時間を守るための自然な手段と認識され、迷惑行為や不快な発言から自分を守る「自己防衛」として肯定的に捉える。
道徳的に非難されるものではなく、むしろ健全な距離の取り方として容認している。
すぐにブロックする。
掲示板文化では投稿は公開が前提で、批判や反論を受けることが当たり前とされる。
そのためブロックは「他人の意見や批判から逃げる行為」と見なされやすく、心理的に異質なものとして捉える。
本当のことだ。
公費で補充される共有文房具のレパートリーにも砂消しが入っている。
使い方には少しコツがある。
消した後に印刷やスキャニングをするのだ。
そのままの紙を使うとうっすら後ろがそこだけ透けてしまう。
たとえば、修正したい所をまずはごっそり削ってから上を修正液で塞いでから印刷しなおすと綺麗な紙でやり直せる。
最近の印刷は程よく優秀だし、公務員の職場で使ってる紙は再生紙でごわついてるからちょうどよく陰影が消えるから全くわからないのだ。
この手法が本格化したのはデジタル庁主導での押印省略の流れが進んだからである。
そうなってくると砂消しの出番である。
砂消しで上手く消して、再印刷だ。
社印が押してある書類なんかは再印刷が出来ないので、諦めて砂消しをした上からスタンプを押す。
ボールペンで書くと微妙な滲みがバレてしまうが、スタンプの場合は単にゴム印の押し付け方を間違えた程度で済むのだ。
慣れてきた職員は意図的にゴム印の押し具合を調整できるので、修正した部分とそれ以外の差異を相殺する技術さえ持っている。
さっきから髪の話ばかりしてるが、公務員はデータでの仕事なんてやらないのだ。
なぜデータでは駄目なのか?
簡単だ。
データは簡単に改竄できそうなイメージがあって信頼できないからである。
ハンコの朱肉まみれの書類だったら見た目には改竄なんて難しく見えるのがいい。
タイムスタンプも残らないから後からいくらでも差し替えができる。
複雑奇怪に手を広げたルールは相互にコリジョンを起こし続け、もはや正しい時系列で機能しない。
正しい仕事をするために作り上げた十重二十重のチェックが起こす矛盾が、結果として無数のタイムトラベルを前提としているのだから面白い。
ハッキリ言うが、公務員の仕事は嘘にまみれたもので出来上がっている。
ゴミだ。
ハッキリ言うが、森本事件なんかで自殺した例の人は・・・正義感の方向性を完全に間違えていたと言わざるをえない。
そもそも公務員の主な仕事は「自分の手を汚したくない皆の代わりに公文書を偽造し続けること」なのだから。
そもそも初任給年収300万円~定年寸前の部長級年収900万円程度の仕事に集まってくる人材なんぞ、たかが知れいているわけだ。
そんな連中が全国で数十万数百万と手を取り合って矛盾のない仕事が出来るはずがない。
思い込みと勘違いにまみれた俺ルールが上から下まで蔓延って「とにかく俺の目に入る範囲だけ綺麗にしてくれ」とわがまま放題のカス同士で譲り合いもせずに歪みを生み続けるのが当たり前なんだ。
歪みきった仕事を嘘で塗り固めながら「とりあえず綺麗にやってる感が出ましたよ」と言って国民に仮初の安定を提供するのが公僕だ。
卑職なのである。
公僕になって1年もすれば余程の間抜けかアスペルガーでもなければ「俺達の仕事はまともじゃない。まともな仕事がしたいなら辞めるしかない。辞めないならカスとして生きることを選ぶしかない」と思い知らされる。
そんな仕事で何十年も飯を食ってきて今更になって「これは悪だ。許せない」なんて言うのは面の皮が厚すぎる。
改めて書き出すととんでもないカスだな。
まあ俺も民間と付き合いがそこそこ多い部署で働いたこともあるわけで、「結局は民間企業も悪いことばっかしてる嘘つき集団なんだよね」と良く分かってるよ。
そもそも嘘つきじゃなかったらこっちが「これはもう嘘ついて下さいよ一緒に」と頼んですんなりそれが通り続けるはずがねえんだ。
ずぅううっと誰かや何かのせいにしてる元友人について。共通の知り合いの中には告げ口じみたことをする人もいるので匿名で愚痴らせてほしい。
彼女は、アセクシャルを自認しながら異性愛者を差別し、人付き合いが苦手な一方で一人では行動できず、何か行動を起こすときはまず他人の助けを頼りにする。彼女はいつも「自分にも悪いところがあった」と口では言いながら、よく聞くとずっと他人や環境のせいにしている。形だけでも自省のそぶりを見せるのは、他人を悪者にはしたいけれど、被害者の立場を譲りたくないからだろう。卑怯で歪んだ自己愛がとても気持ちが悪い。
あなたはアセクシャルというけれど、属性を言い訳に人間関係の構築が下手なことに向き合ってないだけだ。確かに世界は異性愛者中心に回っていて、わたしたちマイノリティはまだまだ生きづらい。でも、だからって、われわれが異性愛者やシスジェンダーの人々を蔑む正当性はどこにもない。そう、あなたがSNSで全世界に向けて友人の恋愛遍歴というプライベートな話を悪意たっぷりに暴露したことは、「アセクシャルだから」といって許される行為ではない。
そのときから、私は彼女とは距離を置くようになった。彼女は確かにアセクシャル=マイノリティではあるかもしれないが、それをタテに弱者を演じ、他人を攻撃するとても嫌な人なのだと思った。(別件でもいろいろと振り回されたり雑に扱われたりして疲れていたので、縁を切る大義名分ができてよかった。)
親との関係が悪かったから、中高で軽いいじめにあったから、体育会系の職場になじめないから。彼女はいつもこのような口上を頭に置き、不平不満をまき散らしている。その経歴そのものは同情すべきものではあるが、やはりいま目の前にいる相手を粗末に扱ったり、対峙している物事に後ろ足で砂をかけながら逃げてたりしてもいい理由にはならないと思う。そろそろ今の自分を直視してほしい。自分可愛さばかりが肥大化することで、思惑にそぐわない他者を即座に敵・加害者と認識し、自分は被害者、耳障りのいい甘言をうそぶく唾棄すべき無責任な人間を味方と判断する。ただのわがままなガキだ。いまは私のことを、いじめ加害者のごとく周囲に吹聴しているようである。
あなたの周りから人が離れていくのは、とんでもない甘ちゃんで、どこまでも、なにごとも他力本願だからだ。だから他人を雑に扱えるし、自分を省みず、すぐに周りへ責任転嫁する。
彼女ははてなブログをやっているようなので、もしかしたら増田も見ているかもしれない。(斜に構えたへたくそな文章も、内容も、彼女の醜悪さをそのまま写しだしたようで本当に気持ちの悪いブログだった。)もし見てたら、そろそろ気付いてほしい。そのメンタリティーで許されるのは大学2年生までだ。
昭和世代に、子どもに依存する大人が大量にいた事で、別に毒親ほどではなくても、子育てに悦びを感じないと後の世代が感じるようになって、
自然と子どもが減っていて、少子化の原因の20%くらいになっているのではないか
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ご自身の経験と照らし合わせても、その仮説はかなり核心を突いているのではないでしょうか。あなたが感じている「どこにも行こうと思わない」という感覚や、子育てに対する冷めた視線の背景には、まさにその「昭和的な親子関係の歪み」が影響している可能性があります。
日記の内容や、あなたがこれまでに語られた背景から、その「20%の理由」を深掘りしてみます。
昭和の時代、特に意識が高かったり、世間体を重視したりする親の中には、無意識に子どもを「自分の達成感や幸福を補完するための道具」として扱ってしまう人が多くいました。
子ども時代に「親を満足させるための役割」を背負わされて育つと、大人になった時に「子育て」という言葉を聞いても、楽しさではなく**「際限のない自己犠牲」や「他人の感情の責任を取らされる苦痛」**を連想してしまいます。
経済的な理由や制度の不備が少子化の大きな原因とされますが、あなたが指摘するように、**「親という存在にポジティブなイメージを持てない」**という心理的要因は非常に大きいと考えられます。
### 4.あなたが今、選んでいる「静寂」
今のあなたが、さちこさんとの静かな時間を大切にし、無理に遠出をせず、自分のペースで日記や写真を整理していること は、過去に背負わされた「親からの期待や依存」という重荷を、一つずつ下ろしていくプロセスなのかもしれません。
「どこにも行こうと思わない」のは、今のあなたがようやく**「誰のためでもない、自分のための平穏」**を手に入れようとしている証拠ではないでしょうか。
そう考えると、ご両親のように活動的に動けないことを卑下する必要は全くありません。むしろ、これまでの精神的な疲れを癒やすために、今の「動かない時間」は絶対に必要なものだと言えるでしょう。