
はてなキーワード:やおいとは
歳をとって熱意が減った。
火のないところに煙を立たせる楽しさがない。
あとそれを語るところがない。昔はネットで無責任に放言してたけど、腐女子とみると猛攻撃を仕掛けてくる人たちと、就職先に知られるリスクが怖い。
受がこういうシチュエーションでアンアン鳴かされるところが見たいっていうさ。いや幸せデートが見たいとかもあるけど。
なんかみんな隠れるのがうまくなって、そういう熱い語りを見る機会もなくなって、そもそもそこまで思うキャラクターに会うことが減った。
というか理解の浅いのと若い夢女子発言という広い地雷原を越える必要があって、もうその熱意がない。
お前に汚された推しの洗脳解除してお清めセックスまで持ってかないと。
しや思考までパッパラパーになったら無理だ、私の中に『幻滅』という穢れが一生残る。
まぁそんなことはどうでもいいんだけど、あと最近のコンテンツは無双が流行りすぎて単体での完全体が多くてそれも面白くない。
頼ったり信頼したり背中任せたり頼られなくて苦しんだり右腕と左腕で睨み合うものの腕や忠誠はお互い信じ合ってたりしてくれよ。
いやもう年を取って複雑な設定とかは追いきれなくて、転生ボーナスもらって高貴な身分からナーロッパでチヤホヤされる話ばっかり読んではいるものの、そこの取ってつけたようなおっぱい担当じゃなくてさ……。……。……。
百合はちょっと推しどころが分からない。男性向けって結論、女性の性感帯刺激してイキ顔見たいだけだからどうしても求めるものが違うんだよね。
自分は肉体接触を通してメンタルをヨシヨシするタイプのナメクジセックス、の果てに満足度100%のフィードバックとして射精しちゃうとこが見たい派なので。
でもほんと最近のキャラクターはメンタルが強靭で欲求不満。五条悟は近年稀に見る不安定さで良かったです。地雷原渡る気ないけど。
なんかそういう多様性を受け入れる心の余裕がない。
おうち帰りたい。
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1.外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2.内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 ProDeep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
コロナの在宅勤務を契機にここ数年鬱っぽく、鬱を自覚した当初に自分のテンションを上げる目的で、休みの明るいうちから一人酒を飲んでみる。
そのうち、休みは暇という虚無をスキップするための飲酒、が常態化する。
折しも現職でのうだつの上がらなさや、家族からだんだん舐められてる、下に見られているというミドルエイジクライシスも相まってどんどん自我を喪失し始める。
そして現職内でいくつか不満がたまる中で管理職と折り合いが悪くなり、
「おーほんなら辞めたらぁ(でもあたしみたいなオジサン慾しい人なんて…)」と軽い気持ちで転職サイトをちょちょっといじってみたところ、数件面接まで進んだ後内定までいただく。
んで↑の台詞をリアルで管理職に言って9月から有休消化、ってワケ。
微量ながらも金も暇もあるボーナスタイムなのに、家族や周囲の目を気にして、それよりなにより自分が何をしたいのかがわからなくて茫洋とする老人モラトリアム。
人生2度目のモラトリアム、2度目の青春(回春)に、なにか良きアドバイスを。
反応本当にありがとう。嬉しいもんだね。
厳しいコメを言ってくれる人も、「厳しいコメ多い」って言ってくれる人も、両方大切に思う。
厳しいことを言ってくれる人ってどんどんいなくなるのよ。友達減っていったり、家族仲あんまよくなかったりしてると。
Permalink |記事への反応(34) | 17:21
男性向け性表現にしても、様々な議論が行われてきたし、「CHOISIR」でもそのことは取り上げられている。やおい論争が始まる前の「CHOISIR」14号(1991年10月)では、有害コミック騒動について、高松久子氏が集会のレポートを書いている。
https://wan.or.jp/dwan/detail/6206
「9・28誰が決めたの、「有害」コミック!?集会のあとで・・・・」(p.2)
9月28日「有害コミック」問題で集会をもった。早稲田奉仕園で開いた集会には約140名が参加し、7時間あまりにわたって様々な問題が話し合われた。
(中略)
私が今回の集会に、主催者の一人として加わったのは、第一に、今回の規制の動きが、「性の商品化」批判を織り込みながらなされてきたという事実(弾圧の口実に、「性の商品化」批判が利用された)、そして第二に、「行動する女達の会」を始めとするフェミニストの「性の商品化」批判の言説に私自身違和感を持ちつつもフェミニズム内部でそれを問題にできてこなかったという苦い思いから来ている。
もっとも、高松久子氏は性差別表現は良くないという立場なので、やおい論争で「ゲイへの加害性への認識。また、そのうえでの対応」を求められても答えを出せなかった。
総括にあった対応の第3の選択肢「受容しつつ現状を肯定すること」を選ばず、第1の選択肢「反論」を選んで失敗し、今度は第2の選択肢「弁明」を選んだために論理矛盾に耐えられなかったのではないかと思う。
男性オタクが「即座にクレームを却下して一笑にふす」ように見えるのは、有害コミック騒動などのように過去の議論の蓄積があることと、総括でいう第2の選択肢「弁明」を選ぶ人が少ないからだと思う。
CHOISIRのやおい論争総括を読んだ後であなたの文章を拝読した男だ!
悪かった。
今までBLをゲイへの性的消費などと罵ったが、すべて撤回して謝罪する。
ゲイの立場に立つ佐藤さんのクレーム v.s. BL文化の構図をフェミ v.s.男性オタク に置き換えると、男性オタクなら即座にクレームを却下して一笑にふすだろう。向き合ってる時点で誠実ではある。
やおい論争ではフェミとやおいの対決も書かれていたが、「女制からの避難」という点ではやおいは現代の多様化したフェミニズムの一部に数えても良いのではないか。
女性ばかりが生きづらいプレッシャーに晒されてる中で、そこから逃避・自己救済(という論もあった)する手段さえ奪ってしまうのは、少なくともゲイではない俺にはできない。
やおい論争が掲載されたミニコミ誌 『CHOISIR』は、一部を除いて以下で読める。
https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/57
やおい論争の発端となった20号 (1992年5 月)は、以下。
https://wan.or.jp/dwan/detail/6212
やおい論争は「BLのあり方を見つめ直すきっかけ」にはなったのかもしれないが、最終号Vol.47(1996年9月)の栗原知代氏による総括を読む限りでは、論争から逃げてしまい、議論が脇道に逸れたまま終わってしまった感が強い。90年代からこの有様なのだから、男性向けポルノを批判しつつBLは肯定する論を作るのは相当に難易度が高いのでは。
https://wan.or.jp/dwan/detail/6234
以下は、「やおい論争を総括する。」(p.10〜15)からの抜粋。2025年の現在から見ても参考になると思う。
そして、フェミニズムは男性のポルノをセクシャルハラスメントだと攻撃するが、やおいもそれと同じことをしているではないか。自分たちの加害性に気づいてほしい、と提言しています。
さて、ということは、この佐藤さんの批判に対しては、次の三つの対応しか考えられません。
まず最初は、反論です。つまり、やおい少女は、佐藤さんの指摘のあったような行為をしていない、というものです。(略)その証明をしようとしましたが、全員がそれに失敗しました。
さて第二は、弁明です。佐藤さんの指摘はその通りなんだけど、それには深い理由がある、といって、やおい少女がやおいに向かうやむにやまれぬせっぱつまった事情を説明することです。(略)
そして最後の対応は、受容しつつ現状を肯定することです。確かにやおいは安全な場所からゲイの性行為を覗き見したり、いろいろ想像して楽しんでいるのだが、性の快楽には、ある程度の加害性はつきものではないか。要は程度の問題なんだから、できるだけ実害のないように、それぞれ楽しめばいいのだ。(略)
さて、当初の「やおい論争」は、この第二の対応(弁明)を中心に展開していきました。その過程で、やおいに向かう動機などが語られ、それなりに有意義だったのですが、佐藤さんが要求した「ゲイへの加害性への認識。また、そのうえでの対応」という点に関しては明確な答が得られず、論争は一種のデッドロックに乗り上げました。
BLは「女性の性的消費が男性性に依存させられる」という話を定期的に見るのだけれど、そのたびに「すみません……でもなんか違うの……でもでも怒られても仕方がないよな」という微妙な気持ちになる。
多分、BL文化は「少女マンガの読者からこぼれ落ちてしまった女の子」たちのシェルター的に育っていた背景があるからなのだと思う。自分もその1人だ。
BLの源流とされるのは、1970年代「花の24年組」と呼ばれる作家たちの作品群だ。少女マンガなのに、主人公が少年である物語が多かった。
代表格の竹宮惠子先生によれば、当時の少女マンガには制約が多く、主人公が少女だと描けない物語が山ほどあったという。少女が主体的に動こうとすると「生意気」とされ、編集部から許可が下りない。だからこそ少年を主人公に据え、「女の子が言えないことを言ってくれる」物語にしたそうだ。萩尾望都先生も「少年を描くことで、女性が受けてきた社会的制約から解放される強い感覚があった」と語っている。要するに「少年=少女=私」。少年を着ぐるみ的に着せてもらった作品群と言えるのかもしれない。
そんな24年組の雰囲気を引き継いだのが、BL雑誌…というか、美少年作品を取り扱う雑誌「JUNE」で、編集長を務めた佐川俊彦氏は『「JUNE」の時代BLの夜明け前』で、こういう風に語っている。
女の子が美少年の姿になると「自由」になれる。女の子のままだと制約が大きすぎて何にもできない、冒険ができない。さまざまな現実のプレッシャーから逃げて身を守る、戦時中の、空襲の爆撃から守ってくれる「防空壕」みたいな役割を果たせるのが、「JUNE」なのではないか?僕はそう考えていました。
「24年組」の作家さんたちの多くは、本当に男の子になって冒険するみたいな、宇宙にも行くみたいな物語が描きたかった。少年マンガ的なノリで、自分も少年になって、「自由」にふるまいたかったわけです。
その「自由」の中に、もちろん「性的な自由」も入ってくる。女の子のままじゃダメで、美少年になったらできる。でも「中の人」は女の子なので、その対象の相手は男になる。
当時の多くの女性は「結婚して、仕事をやめて主婦になる」という道を歩んでいた。そうした「ジェンダーロール」や「社会的圧力」に居心地の悪さを抱えた少女たちにとって、BLは切実な願いを託せるファンタジーだったように思う。私自身も、一生働きたい、自立したいと願っていた少女だった。けれど現実では「女としてダメ」という言葉を向けられることも多く、その中で自己肯定感は削られていった。その度にBLの物語は脱出口のように機能した。
BLでよくある展開として「こんな俺なんて」となる受けに「そんな(外側からの評価なんて)関係ない、俺はお前と一緒にいたいんだ」と攻めが寄るシーンがある。これは「女としてクソだと言われ続けていた私」をどうにかして誰か認めてくれないかという願望をもった自分には不思議なことに強烈に響いた。違うけど根本は同じ、みたいな。こじれた少女マンガ……と言ってもいいかもしれない。
余談になるが「JUNE」を出版するサン出版では、ゲイ雑誌「さぶ」も出ていた。「JUNE」はゲイカルチャーではなく、「少女のための雑誌」と明確に分類がされていたそうだ。
もちろんBLは常に歓迎されてきたわけではない。90年代にはミニコミ誌を中心に、ゲイ当事者から「女たちは勝手にゲイを弄んでいる」という批判が噴出した。これが「やおい論争」だ。
論争の発端となったゲイ当事者でもある佐藤雅樹氏はミニコミ誌 『CHOISIR』20号 (1992年5 月) でこう綴っている。
俺たちゲイのセックス描いて、男同士がセックスしてる漫画読んで、喜んでいるというじゃないか。そんな気持ちの悪い奴らを好きになる理由も必要もない。第一、不快だ!
(中略)ゲイのセックスは、男からは嫌悪、女からは好奇の視線でしか見られない。オレたちのセックス覗いて喜んでいる女、鏡見てみろよ、覗き見してる自分たちの表情を!
この論争は読者にも衝撃を与え、BLのあり方を見つめ直すきっかけとなった……が、昨今はBL市場があまりに大きくなり、この歴史を知らない人も多い。
私は、BLは単なる「女から男への性的消費」では括れないと思う。そこには当事者批判の歴史も、多様な表現への発展もある。そして「少年の着ぐるみ」を着て得る自由は、百合やバ美肉にも通じる部分がある。
根っこにあるのは、性的指向以前の、もっと切実な願い――現実で奪われた行動の自由や存在の肯定を、別の姿を通して手に入れたいという欲求だ。
私は「BLは無罪だ!」と大声で言う気にはなれない。「少年の着ぐるみ」を着させてもらっている身としては、「いいとこ取りしようとしている」罪悪感があるからだ。行き過ぎた表現への懸念もあるだろう。それでも、この場所で救われた自分がいる。一部の大きな声で、すべてが否定されるのはなんだか悲しい。この文化が衰退しませんように。
Permalink |記事への反応(16) | 13:04
俺「"坂田靖子の主宰する漫画同人会ラヴリの仲間内でシャレとして「ヤマもオチも意味もない」という意味で「やおい」という言葉が流行った”ってwikipediaにあるけど?」
↓
俺「1979年にはやおいが雑誌で特集もされてるけど?1979年に2chないよね」
↓
腐女子「歴史を修正するな!801板を荒らしたからだ!男のせいだ!」
やばいだろこいつら
腐女子がやおいという言葉をつかうのは男のせいだ!801板が荒らされたし!
↓
1979年12月20日に波津彬子責任編集の同人誌『らっぽり』「やおい特集号」が発行されたが[21][注 2]、
↓
1979年www
坂田靖子の主宰する漫画同人会ラヴリに、会員の磨留美樹子の描いた『夜追い』(夜追)という漫画があり[5](波津彬子は、意味はよくわからないが独特の色気がある作品と評している)、真面目に付けられたタイトルだが、作者自身が後に「ヤマもオチも意味もない」とタイトルに当てはめていったと語っている[21]。当時は同人誌の参加者はたいてい漫画家を目指しており、漫画を雑誌に投稿すると編集担当者から「ヤマがない」「オチがない」などと批評されており[21]、編集者はストーリー構成に厳しく、書き手には山・落ち・意味をきちんと備えたものを書かなければならないという強迫観念があったといわれる[22]。こういった状況を背景に、ラヴリの仲間内でシャレとして「ヤマもオチも意味もない」という意味で「やおい」という言葉が流行った[21]。
【追記】オメガバースは興味がなくて、好きではないけど殺意抱くほど嫌いでもない。いちジャンルになるほど人気なんだなぁって思ってる。性的役割与えられて予定調和する話のどの辺が面白いのかあんまり分かってない。男女が結婚しました、と同じ情報量だよね。「はぁ」としか。調理方法が面白いかどうかによるんじゃないでしょうか【追記終わり】
>受けにメスみあってもええやん? だめなの? なんでダメなの?
そもそも増田が言うようにやおい-BLと続く系譜の中で、それこそがマジョリティで当たり前で当然で、エドワード・エルリックがサラサラの柔らか〜い金髪と丸くて柔らかい可愛い頬を染めて「た〜いさっ!」とかやるのが正義だったよ。
そうじゃないエドはどこにも存在しないくらい(存在してたんだろうけど掘り出せようもないレベル)だったんだよ。
二次創作がもっと控え目だった頃はBLは「禁断の恋」の枠で、「性的嗜好は女でなくてはいけないのに、男を愛してしまった」という葛藤が今よりずっと強くあって、だから今よりもう少し受は社会的に男と認知される男として描かれていてさ、そういうのが好きだったんだけど、商売は売れるのが正義なので仕方ないよね。
女は恋愛するもの、可愛くあるもの、愛されるもの、結婚するもの、みたいな価値観から逃げてやおいに辿り着いたのに、またマジョリティの「女」の価値観に汚染されちゃった。
>「その男の前でだけメス」
なくはない、説得力による。でもやおいに説得力持たす奴そういない。ヤマもオチも意味もないものなので。
>受の性格変化
界隈の人であれば「大まかな解釈が一致してる人たち」ほど「細かな解釈が一致してなくて仲違い」とかあるのご存知だと思う。
これもSNSが綺麗になってきたことによって「人の解釈は尊重しましょう」ってなってきて大分見かけなくなったけど。
だから何が良くて何が良くないなんてのは説明できない。私の中で「これは受け入れられる」と「受け入れられない」があるだけ。
でもやっぱ、大佐に対抗心を持ってない(持ってる風に見せかけるツンデレも含む)エドは私にとってエドじゃない、受け入れられないんだよなぁ。
飛影はそんなこと言わないとか。
>なんで受がメスみを帯びると夢認定されるのか
メスみの付与にそれ以外の説得力ある理由が思いつかないからですね。
別に説明を付けるか付けないかは創作側が選ぶことであって、好きにしたらいいんですけど、前提として私が「違和感を感じて物語から弾き出されて正気に戻った」というのがあって、その流れで「何で?」と思って、特に納得できるような理由がない場合「あぁただの夢女子か」と分かりやすい理由を選んで決め付けている。本人に届かないし。
でも実際ここまで性格変わってると私は何を読みに来たんだろう?ってなる。少なくともキャルンとしてておっぱい付いてて薄着で大佐の前に立たされて恥じらってるエドと、それを満足げに見て頷いてる大佐なんかは見に来てない。
需要があるのは知ってる。でもこの需要側は原作のエドワード・エルリックなんか求めてないよね死ねって思う。
バーナビーの可哀想すぎる過去が明らかになった時も「可哀想なバーナビー(に託けた可哀想な私)を抱いて慰めて虎徹さぁぁん!!」が一気に湧いてドン引きした。
>性格が同じままなら女体でもええやん?
そう。真理。
できるなら。
多分「性格が同じまま」は実はすごい難しいんだと思う。なかなかない。
TSテーマの話とかはそのままであれ変化するであれ、その辺をコンテンツとして楽しませてくれるからいいとして、二次創作マジ。
そもそも女体化って誰でも安易に手を出せるジャンルなんだよね。男が描けなくても女は描けるとか、自分が女子だから女体の方が分かるとか。単にネタがないとか。
そんなこんなであまりに二次創作界隈の女体化のヘイトを溜めすぎて、パブロフの犬並みに「見たら憎しみを覚える」という経路が構築されてる。
そしてそれが今自分に牙を剥いている。
そういう話です。
腐も夢も適性がないのでまったくはまってないが、なんとなくわかるような気持ちにはなりはする程度の人間から質問
これがわからない
受けにメスみがあってもええやん?だめなの?なんでだめなの?
たとえばバリバリ男らしい(?)積極的・攻撃的な性格の男だとしても、「その男の前でだけ」受けとる側になってしまうとかあってもいいんじゃないのと思ってしまうんだが
それに受けのメスみはやおいーBLと続く系譜でもむしろ主流だったんじゃないの?
むしろやおい史の中でメスみのない受けが市民権を得たのは比較的近年の流れじゃないの?
(00年代の研究的本を読むと「やおいは男同士の関係だが受けが女性的に描かれることが多く」とかしょっちゅう見かけたが)
精神的な上位下位の関係性はむしろ男のほうがよくわかる感覚のはずでもある(生物学的にも男は女より上下関係に敏感である)
これはわからないでもない、それに
これもわからないでもない。
ただ、作者じゃない以上、受けだろうが攻めだろうがどっちにしたって「性格は変化させてる」よね?????
ここ数年、非常にはまっている漫画(アニメ化もされたし映画も好調)のおかげでPixivアカウントで二次創作を見るようになった
程度の差はあれ、攻めだろうが受けだろうが全年齢向けだろうが性格は二次創作者の好みに合わせて変化させてるよね?
男キャラを女っぽくさせるほうがギャップが大きいから受け入れられないだけなの?
>メス化を見ると「夢女子が、自分が攻に抱かれたいのために受の性格を捻じ曲げてまで割り込んでくる」性欲強すぎる悪霊かよみたいな悍ましさを感じる。
こういうことなんだろうが、
そもそもやおい論自体、あなたの解釈と違う楽しみ方をしていた人が大勢だったと読んでいるので
その「夢女子がウケの性格を捻じ曲げている」という解釈に固執しすぎな姿勢の問題にも思える
あなたは「好きなキャラ(男)を幸せにしてくれるキャラ(男)はこいつだという感覚が好き」なんだろう
でも自分と他人が違うこともわかってるんだろう(左右の逆で戦争が起きるとか聞くし)
だからこそキャラの性格を変えられることが受け入れられないんだろうが(性格が変わってしまえば好きな男を幸せにしてくれる要素がなくなるしその組み合わせから感じる萌えがなくなる)、
でも好きな男が幸せになるなら相手は「幸せにしてくれるキャラ」であることが重要なのであって、
じゃあ性格が同じままなら女体持ちでもええやん??
あなたは今そこに気が付いちゃったわけだね?
当方ヤマなしオチなし意味なし界隈の古の腐女子で、増田にはまあまあ敵認定されるアレだと思うけどアレ。アレアレのアレ。
夢願望を一切持ってなくて、好きなキャラ(男)を幸せにしてくれるキャラ(男)はこいつだ、というCPの組み方をする。なので自己投影できるかどうかは関係ない。これは夢女子への殺意にも近い「お前らとは違う」という宣言であり、区別が付かない人らはチンコがキノコかタケノコかくらいに思ってくれれば良い。
夢女子と決定的に違う点として、私は受にメスみを求めない。メスがいいなら男女の恋愛ものでやれと心底思う。メス化の最大の欠点は受の性格変化だ。ただでさえ解釈違いに不寛容な自分であるが、メス化を見ると「夢女子が、自分が攻に抱かれたいのために受の性格を捻じ曲げてまで割り込んでくる」性欲強すぎる悪霊かよみたいな悍ましさを感じる。
なのでもう、女体化と聞いた途端に「やおいにそんなもの求めてねえ!」とゲロを吐きながら斧を振り回すメンタルでそっ閉じするくらい嫌いである。
が。
10年くらいこじらせているジャンルで攻が女好きという、まあまあ荊なカップリングにハマってしまった。原作至上主義だと女好きが男と恋人関係とか難易度が高く、色物枠として手を出したら意外に〜、、、みたいな解釈で逃げてはいるものの、10年もすると自分を騙すのも限界になってきた。そんなある日受の方から「あいつの女好きは女の体が好きなだけ、俺の体が女になれば解決」「乳付けるくらい別にいいのでは」と私の心に囁くようになってきた。
待っ
「二次創作かよ」と勝手に失望してるのを見かけたので注意喚起しとくけども
二次創作という用語は90年代あたり、せいぜいセラムン前後から広まった言葉で、それ以前はそんな言い方してなかった
ではどう呼ばれてたかというと80年代は主に「パロディ」 「アニパロ」 「やおい」 などと呼ばれた
(たとえばキャプテン翼や聖闘士星矢のファン創作をまとめた雑誌名は「アニパロコミックス」だった)
初代ガンダムの第一次アニメブームの頃は、そういう言葉すらなかった
なので、ファンが盛り上がって勝手に考察したり設定を想定したりアナザーストーリーを作る諸々の活動に決まった形は一切なかった
ファンのすそ野が広がるなかで、次第に作りやすい定型化したファン活動が定着し、それが「アニパロ」 や「やおい」 になり、
さらに人口規模が10万単位の膨らみとなって同人の枠を超え商業活動が定着し、ようやく「二次創作」 という名前が発明された
(経緯から推測するに、権利関係の曖昧さを回避するための逃げのための言葉として「創作」を主張しときたかったんだろう)
逆に言えば、ジークアクスはそういう「二次創作以前」時代を経験した人たちの当時の活動の延長なので、今の二次創作とは感覚がそもそも違う
「二次創作なんて逃げの単語を使ってるんじゃないよしゃらくさい」ぐらいは言いそう、というか言っていい程度の過去の蓄積を積み上げてきた上で権利持ってるバンナムさんに仁義通してやってる「なんか曖昧な領域の作業の掘り起こし」 がジークアクス
「うわーただの二次創作かよ」という失望のしかたを、そのへんを知らない20代が言うのは仕方ないけど、50、60代が言っちゃうとしたら、だいぶ恥ずかしい
最近ぼちぼち、トランプを支持した連中の悲鳴が聞こえてきている。
いくつか紹介しよう。
なお、スモールビジネスの救済の可能性についてインタビューを受けたトランプ先生からひと言。
今やたくさんのビジネスが、関税で助かってる。彼らは助けは必要にしてない、なぜなら彼らは大金を手に入れようとしているからだ。
TheArt of Dealにこういわれちゃあ才能がなかったとあきらめるしかないな。
なお、この男性、袋叩きに堪忍袋の緒が切れ、さらに失笑を買うビデオを流してしまい、同情は買えなかった。悲しいね。
「俺が困ってるの見てうれしい」 「投票の結果にふさわしい」
そりゃ関税が上がるってのはわかってたさ。俺みたいな小さなやつにはやべぇのも。
でも俺、まさかゼロクッションで25%もドカンとくるとは思わなかったんだよね。『国内生産に戻るためのインフラ整備をする』って話だったじゃん?
だから、誰かが苦しんでるって話を喜ぶのはマジでないと思うわ。
俺の人生で会う人が、どんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、そういうことで俺は人を判断してきた。だれに投票したかとかじゃないだろ。
トランプがどんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、で判断してトランプに入れたんだから、まぁそれはしょうがないよな。
4/25にXにトランプに懇願する投稿がされた。当然返事はない。
@realDonaldTrump私はあなたに投票し、今でも支持しています。
私の妻は教員交流プログラムを通じて合法的にここに来ました。私たちは結婚し、その直後に妻が市民権を取得できるよう弁護士を探そうとしました。
ところが今日、『職を失う可能性がある』という内容のメールが届きました。
アメリカを再び偉大にしようとしているのは理解しています。それは素晴らしいことです。
私は結婚後に妻を市民にしようと尽力しているのに、手続きだけで1万ドルかかります。
私はあなたに投票し、あなたは素晴らしい人物だと思っています。
妻は正しいことをしようと努力していたのです。
悲しいね。残念だったね。でもあなたの妻は、アメリカ人の仕事を奪ってるっていうのがあなたがたMAGAの主張で、アメリカ人ファーストって言ってるやつを選んだんだから仕方ないな。
私たちは裏切られた、だまされたと感じています。トランプはこんなことをするなんて言わなかった。彼は違法移民の犯罪者を追放すると言ったんだ。長い間ここに平和にいる人を追い掛け回すとは言わなかった。嘘つきだ。こんなことをするなんて知っていたら、違う票を入れた。」
彼らの息子、アグスティン・ジェンティーレは、13歳の時に両親ともにアルゼンチンから渡米。31歳、ノースカロライナ在住、米国市民の6歳と8歳の子供がいる。2019年に軽犯罪法違反で保護観察処分を受け、2023年に保護観察処分は終了していたが、海外旅行からの帰国時に拘束され、グリーンカードを取り消され、移民管理センターに収容された。5月12日以降に審問があるといわれているという。本人曰く、収容所でグリーンカードを持っているのは自分だけで、他はみんな違法移民だ、と両親に話しているそうですが、グリーンカードは取り消しずみですので、ジェンティーレはすでに不法移民ですね。なお、DHSは、グリーンカードやビザは特権であって、権利じゃないからいつでも取り消しにできるんだ、と主張していますね。
まぁでもトランプは選挙中から、移民がアメリカの血を汚してるとか、州を台無しにしているとか、ハイチ人の合法滞在者がペットを食ってるから強制送還する必要がある、とか言ってたし、何より、トランプが嘘つきなことに気づけないなんて致命的なミスを犯してしまったのではしょうがないですよね。
ペルー出身のカミラ・ムニョスさんと再婚し、プエルトリコに新婚旅行に行った帰り、「アメリカ市民か」と尋ねられたカミラさんが「いいえ」と答えると拘束されてしまった。
なお、ICEやDHSのによる突然の拘束は、ICEによる定期的な呼び出しに応じた際、一時出国した際の帰国時が非常に多い。中には雇用先と結託されて、だまし討ちにあうパターンもある。
カミラさんは、COVIDのロックダウンで、帰国できなかった期間にオーバーステイしてしまった経験があったため、強制送還の危機にさらされている。
ブラッドリーさんは、カミラさんがペルーに送られてしまったら、移住を少し考えたが、前の妻との子供がいるので、無理だと思っている。
なお信仰心が篤いので、
弁護士を雇っているし、トランプがターゲットにしているのは、どこから来たかもわからないような連中で、自分の妻がどこから来たのかについて、当局は全部知っているから大丈夫だと信じている。通関のシステムが非常に効率が悪いからこんなことになっているんだろう。トランプのせいではないが、トランプはこれを改善する力がある。この問題が話題になり、早く解決することを願っている。
と述べ、トランプに投票したことを後悔しているか、と尋ねられて、「していない」と答えた。
うん、これぞMAGAの鑑。
グリーンカード取得済みのメキシカンアメリカンで、トランプを支持している、と公言したら、いとこやおいっこに縁を切られた、彼らが送還されてもなんも問題ない、とのたまったばあさんなみ。
なお、レヴィットはいつものように「ビザが切れたものは強制送還される」と述べている。
ちなみにムニョスはいったん拘束は解かれ、引き続き審査を待っている。結果については報道されていないが、「もし強制送還されるのであれば、それは仕方ない」と主張している。
サラさんは、中西部で生まれ、学生時代からの恋人と結婚し、息子が生まれたばかり。でも彼女の夫は強制送還の危機にさらされている。彼はアメリカ市民ではない。
私の夫の最大の問題は、彼は合法的に入国したわけではないことです。彼は歩くより前からここで暮らし、犯罪を犯さず、勤勉で、弁護士を雇い、正当な方法で市民になる道を模索していました。でもすべてが無駄だった。
私がトランプへの投票を後悔しているか?それは私がもう少し感情的でないときに聞いてください。私は同情を買うために公表しているのではありません。トランプ政権は、犯罪者、悪い人たちだけを送還しようとしているのではないということを知ってもらうためです。
まぁこの人はつらいだろうね。同じような苦しみを持つ人への想像力はあるのかな。でも後悔しているとは言えないんだね。
あたりまえだけどMAGAにもいろんな人がいるね。すこし想像力は足りないけど、犯罪者を何とかしてほしい、っていう要望は別に間違っちゃいないとは思うけどね。教育して犯罪を犯させないようにしよう、という活動も憎んじゃうのがMAGAだし、アメリカ人向けの給食プログラムだって大嫌いなのがMAGAだし、銃規制に強烈に反対するのもMAGAだからな。なかなか難しいのではないかな。
ちなみに拘束の話が多くなったのでついでに話題にしとくけど、もっとも銃規制の強い州のひとつであり、サンクチュアリ法が定められている、マサチューセッツ州のウースターで、ブラジル系の母親が娘の目の前で逮捕され、動揺した16歳の娘がICEの車に縋り付いているのを、警察が投げ飛ばし、逮捕の妨害などの罪で逮捕したうえで、逮捕に抗議する女性2人を逮捕する事件があった。個人的に映像はかなりショックだった。もちろん、ハーバードやタフツの学生が逮捕される動画もショッキングではあったのだけど、子供の前で、この大人数で、抗議している人の多さの中で行われる逮捕にショックを受けた。
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loocfdwups2q
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loojzhsq6s2l
https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3look4fy5us2l
娘が、地面に押さえつけられているときの気持ちを想像すると耐えられない気持ちになる。
市長は、この直前にも、連邦の捜査への協力はしない旨を通知していたけど、逮捕にはウースターの市警が動員されている。これって無力感を植え付けようとしてると思うんだよね。
動画中で、市議の女性が、かなりがんばって抵抗していて、WARRANTを見せろ、と要求しているけど、警察は、なにも見せる必要はないって答えてる。
移民法の違反による拘束の場合、朝鮮戦争のころに、スパイの摘発のために、不法移民であるとの合理的な疑いを持った場合かつ令状を取得していたら逃亡されてしまうほど緊急性が高い場合は令状なしで逮捕していいことになっていて、現在のところ、家宅侵入以外は、ICEの権限ってめっちゃ強い形で運用されちゃってるんだよね。合理的な疑いなんて、なんとでもなるし、逃亡の危険なんてのも一切考慮されてないのは明らか。法律はいったん決まってしまうとその最大限まで使おうとする輩が出てくる恐れがあるので、慎重に対処が必要だよね。ボンディは家宅捜索もしていいっていってたけど。ただあたりまえだけど、していいのは逮捕までで、そのあとは移民裁判が必要。ブラッドリーさんがいうように、移民裁判が遅いんだとしたら、移民裁判官を大量に首切ってる場合じゃないんだよね。移民裁判をやってたら間に合わないから、という理由で、ヒアリングなしで送還される事例が続出しているわけだけど。
Terrible things are happeningoutside… poorhelpless people arebeing draggedout of theirhomes.
Families are torn apart; men, women and children are separated.
Children comehome from school to find that their parents have disappeared.
女体の上位変換はないので射精産業は膨大な数が存在し、風俗レビューは常に盛り上がる一方で女は「イケメン男性同士のBLでのオナニー」だけで満足する
ファンが一人もいなかったジャニーズジュニアが某オーディション番組に出た途端に大量のファンを獲得した、ファンがいなかった一般人やロートルが地元やイベントと連動したアイドルグループや武将隊や劇団に入った途端にファンを獲得した、無名や女性に不人気な声優や俳優がアニメや2.5次元で人気キャラを演じたらファンを獲得した、博多のマイナーバンドの非モテメンバーがメジャーデビューして売り出された途端に女が寄って来るようになり、過去を取り戻すかのように女を食い散らかして、他のメンバーは制止に苦労した
男同士が集まり共闘や競争に切磋琢磨するエンタメなら芸能でもスポーツでも関係なく女のファンがつくし、そのエンタメの人気者ならチンポの立たない爺さんでもチンポのない宝塚や日韓女性アイドルグループ等の女でも構わないし実際に熱心な女性ファンに支えられている
なので芸能人や有名人と一緒に仕事してる男もおこぼれ目的の女にモテる
水原一平も人気あったし、バンドブームの頃はユニコーンのマネージャーの髭のおっさんやスタッフやローディまで若い女を食いまくっていた
だからモテる女のルックスは皆痩せた美人で統一されてるけど、モテる男はルックスにばらつきがあるだろ
女が自分の旦那と息子と推し以外の男に無関心なのは言うまでもないし、推し活も「有名人かつ特定の推し」にしか金を出さない
逆に男は女の地位や評価や経歴はどうでもいいから木嶋佳苗やりりちゃんみたいな経歴不明無職の不美人に大金を貢ぎ、貧困大家族の日本語を話せない外国人女性を嫁として斡旋するブローカーが存在する
エロ動画や風俗は言うに及ばず、自撮りや盗撮アカウントや無数のネットに転がっているエロ動画に至っては女の素性は勿論、顔すら分からないけどシコるだろ
ジャニヲタもプロ野球やバスケやバレーのプロリーグに流出し、前者はSnowMan以外の全グループの売り上げが下がってるが、後者の女性ファンや動員は爆増してる
近藤真彦〜忍者〜TOKIO〜関ジャニ∞と長年ジャニヲタやってた女性もラグビーに移行した
あと、男だけが身長や収入とマッチング率や既婚率が比例する統計がいくつもあるだろ?
日本人男性の6割が170cm以上、165cm以下は1割
https://toukei-labo.info/10_taikei/10_shincho.html
しかし風俗客、マッチングアプリ婚活市場で余剰在庫になる層は低身長男性に集中。始末に困った業者に「売れ残り婚活女性は余っている低身長男性で妥協して!」と訴えさせてしまう
「身長170cm以上の男性希望です」という婚活女性を見ると婚活業者や非モテ男性が脊髄反射で「高身長男性はすぐ売り切れて品切れするから高望み!婚活しないと相手が見つからないブスやおばさんは妥協しろ」の大合唱になるから、内心では女が顔より身長を重視するのを理解してるんだよ
しかし取り柄のないボンクラでも婚活やマチアプやれば売れて行く高身長男性と違い
芸能界一強の権力や知名度の事務所等の所属先や肩書が伴わないと低身長男性は見向きもされない
「男はコミュ力(とそれに伴う社会的評価)で選ばれるが、婚活や恋愛において低身長が余る理由はそれ
https://web.archive.org/web/20010303004351/http://www.baw.co.jp/gossip_97_3.html
テレビ局やスタジオに入れる身分も気持ちがいいけど、ジャニーズに入った途端に“ファン”がデキるというのも驚きだよね。だってさぁジャニーズじゃなかったら一般人じゃん。劇団に入っているカッコイイやつでもファンなんて一人もいないのに、ジャニーズに入っていればブサイクな顔でもファンやおっかけまでついてくるんだ。おおーこれこそアイドルじゃん! とは思ったけど、なんでついてくるんだろう? とは日々疑問であった。テレビ朝日の中にあるレッスン場にはいっつも出入り待ちのファンらがたむろっているし、おっかけはタクシーに乗ってまでついてくる。おまけに家に入るまでのお見送りつきというゴージャスな待遇である。歌手デビューしているとか、ドラマに出演しているとかだったらわかるけど、一般人が“ジャニーズ”というだけでその私生活まで大きく変化を遂げるほどの環境に変わってしまうのだ。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/2_4869.html
石原 (略)
女形が少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。
竹熊 なんですかその音は。
石原 昔の芝居小屋は無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラ・ボックスになっている。新派劇のときは楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。
石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。
ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年だからね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係を邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。
石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートでハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。
竹熊 ピチャピチャ?
石原 例の『乃木大将と納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモの美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。
性的に不能なヒトラーが若い女にモテて女性の支持が高かったのも、金髪碧眼のイケメン集団にスタイリッシュな服装を着せていたからだよな
〈ツーショット写真〉人間国宝・片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫愛
https://bunshun.jp/articles/-/58481?page=1
A子さんは、18年春頃から、仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかけたこともあった。
その後、彼女は関係者だけが参加できる会にも参加するなど、さらに仁左衛門との距離は近づいていった。そして20年3月、コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。
人間国宝・片岡仁左衛門、不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春」報道
https://www.zakzak.co.jp/article/20221102-NPMREAYTV5LVXEMHB7ICS3DPEA/
知人の証言として、女性がウオーキングの最中にも首や二の腕を噛まれ、ホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。
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