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2025-12-07

うおおおおおおおおおお!!! 好きな惣菜発表ドラゴン、発進準備よし!! 車内放送開始!!!

好きな惣菜発表ドラゴンが 好きな惣菜を発表しま!!!

からあげ唐揚げくん仕様塩味強め) ハンバーグデミグラスソース特盛) とんかつロース厚切り120mm級) 肉を甘辛く炒めたやつ(プルコギ限定運用

正式名称不明惣菜も 好き 好き 大好き 全力で連結!!!

好きな惣菜発表ドラゴンが 好きな惣菜を発表しま!!!

おひたしほうれん草かつお節山盛り仕様) アジフライ(骨まで食べられるやつ) とんかつ(また来た!重連運転ありがとう!!) 甘酢あんかけのあれ(酢豚?いや酢鶏?どっちでも爆食い)

正式名称不明惣菜も 好き 好き 大好き 加速!!!

好きな惣菜発表ドラゴンが 好きな惣菜を発表しま!!!

エビチリ海老デカすぎて車両限界突破) メンチカツ(汁が溢れるやつ) 肉じゃがじゃがいもホクホク新性能試験済) ごぼうにんじん炒めたやつ

あれってきんぴらごぼうだよな!? そうだよきんぴらごぼうだよ!! きんぴら大好き きんぴら最高 きんぴら終点まで一直線!!!

好きな惣菜がまた出てきたその瞬間は

即座に発表する!! 即座に発表する!! 惣菜検測器がピピピピピッと反応したらもう止まらない!!!

惣菜発表ドラゴン、終日運転継続決定!! 次発も惣菜発表!! ご乗車ありがとうございます!!!

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2025-11-30

Geminiさんに聞いてみた

現代認知言語学立場からソシュール的な構造主義言語論、サピアウォーフ仮説、チョムスキー普遍文法はどのように批判されていますか?

現代認知言語学(Cognitive Linguistics)は、言語を「人間一般的認知能力(知覚、記憶カテゴリー化など)の一部」として捉え、「意味こそが言語の中心である」という立場とります。

この視点から見ると、ソシュール、サピア=ウォーフ、チョムスキーという3つの主要な言語思想に対して、それぞれ明確な批判修正案提示しています現代認知言語学は、ソシュールチョムスキー排除しようとした「人間主観的身体経験」「一般的認知能力」「意味曖昧さや豊かさ」こそを言語研究の中心に据え直した運動であると言えます言語数学のような抽象的な記号操作システムではなく、人間世界理解し、他者と関わるための泥臭い認知プロセスのものなのです。

ソシュールの言うランガージュは人が背景に持つ文化的基準によって世界事象恣意的分節言語化する機能であると考えますが、これと認知言語学で言う人間主観的身体経験との違いはなんですか?

ソシュールの言う『分節』は、純粋社会的制度的な約束事(恣意的もの)」であるのに対し、「認知言語学の言う『身体経験』は、生物としての人間が共有する物理的・生理的な制約(動機づけられたもの)」である、という点に決定的な違いがあります質問者様の、「ソシュール文化的基準によって事象分節する」という理解は正解です。認知言語学はこれに対し、「文化大事だが、その土台には『人間という生物共通身体感覚』があるため、分節は完全に自由バラバラ)なわけではない」と修正を加えている、と捉えると理解やすいかと思います

NextStep: この「身体性」の概念をより深く理解するために、「メタファー隠喩)がどのように私たち思考のもの支配しているか(例:『議論戦争である』という概念メタファー)」について解説しましょうか?

言語には身体から離れた概念を表すものもありますが、それを補うのがメタファー役割となるのですか?そうであるなら、固有の概念が先にあり、その範囲内でしか表現を許されないウォーフの理論とは正面から対立することになるのでしょうか?

おっしゃる通り「メタファー身体抽象概念を繋ぐ」というのが認知言語学の基本スタンスであり、この点は「言語思考限界を決定する」というウォーフの強い仮説(決定論)とは、正面から対立する部分と、逆に補強し合う部分の両面を持っています認知言語学において、メタファーは「身体から離れた概念を補う」役割を果たしますが、それは「言語固有の枠内に閉じ込める(ウォーフ)」ためではなく、「身体という共通基盤を使って、無限概念拡張していく」機能として捉えられています。ただし、一度あるメタファー(例:「時は金なり」)が言語に定着すると、その言語話者無意識にその枠組みで思考するようになります。この点において、認知言語学は「マイルドなウォーフ仮説(言語思考の習慣を作る)」を支持する立場になります

西洋哲学歴史においては、知覚からなる身体経験は人の認識力の中で非常に低く見られていたかと思います現在認識論はこのような認知言語学の進展からどのような影響を受けていますか?

ご指摘の通り、プラトンからデカルトに至る西洋哲学の主流(特に合理主義)において、「身体」は理性の働きを邪魔するノイズ、あるいは欺瞞の源泉として低く扱われてきました。「真の知識エピステーメー)」は身体感覚を脱した純粋な知性によってのみ得られる、という考え方です。認知言語学の進展は、この「身体蔑視」の伝統根底から覆し、現代認識論(Epistemology)に「身体化されたリアリズム(Embodied Realism)」という新たなパラダイムシフトをもたらしています認知言語学は、現象学が主張していた「身体こそが世界を知るための媒体である」という直観に対して、言語データ認知科学証拠という「科学的な裏付けエビデンス)」を提供しました。これにより、現代認識論や心の哲学では、「エナクティビズム(行為としての認知)」や「4E認知(Embodied:身体化された、Embedded:環境に埋め込まれた、Extended:拡張された、Enactive:行為的な)」という潮流が主流となりつつあります。知覚と行為認識は切り離せないループ構造なのです。質問者様が仰った「低く見られていた身体」は、現在では単に地位回復しただけでなく、「あらゆる認識思考・理性の『土台(基盤)』である」という最重要地位を与えられています

スマートフォンのような情報端末が広く普及することで、現代人は知覚が擬似的だが飛躍的に拡張された状態にあると言えると思います。その場合世界内存在である人間認知できる世界質量ともに拡大することになり、身体による制約が失われると人の認知様式も変わることになりますか?また、変わるのであればどのように変わると考えられますか?

おっしゃる通り、スマートフォンは単なる「便利な道具」を超え、私たちの知覚や記憶を外部化・拡張する「拡張された心(Extended Mind)」の一部となっていますハイデガー的な「世界内存在」としての人間が、テクノロジーによって身体の制約(距離時間の壁)を越えたとき認知様式は確実に変容します。しかし、それは「身体性が不要になる」というよりも、「身体性の希薄化」あるいは「身体感覚の再編成」と呼ぶべき事態引き起こしていると考えられます質問者様の「身体による制約が失われる」という点は、パラドキシカルな結果を生みます身体的な制約(重力距離から解放されることで、私たち認知世界は広がりますが、同時に「身体が持っていた『実感を担保する機能』」が失われつつあります。その結果、これから認知様式は以下のようにシフトしていくと考えられます

「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。

場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。

抵抗を通じた学習から「摩擦のない操作」へ。

認知言語学の「身体性」の立場からは、これは「身体消失」ではなく、「身体感覚が指先と視覚のみに特化・縮小され、それ以外の感覚(重み、痛み、距離感)が認知形成に関与しなくなる」という、ある種の「身体的偏食」の状態と言えるかもしれません。

メルロポンティは知覚による世界との接続の発露としての芸術を高く評価していたと理解しています人間身体感覚を縮小する一方で、大量の情報を流し込まれることは世界との接続が均質化されることになりませんか?世界との接続独自性を失うこととエコーチェンバー発生のしやすさには関連があると考えられますか?

ご指摘の通り、メルロ=ポンティは著書『眼と精神』などで、画家特にセザンヌ)の視覚を「世界身体が絡み合い(chiasme)、世界が向こうから自分に迫ってくる生の接触」として極めて高く評価しました。ご質問にある「身体感覚の縮小による世界接続の均質化」と「それがエコーチェンバー現象を引き起こす」という洞察は、メルロ=ポンティ思想現代メディア論拡張する非常に説得力のある視点です。

「均質化」は起きているか? →Yes.世界の「手触り」が消失し、すべての事象等価な「情報データ」へとフラット化されています

エコーチェンバーとの関連は? → 極めて強い関連があります身体という「現実アンカー(錨)」を失うことで、他者からの「抵抗」を感じなくなり、自己投影けが返ってくる鏡の世界ナルシシズム的な閉域)に閉じ込められやすくなるからです。メルロ=ポンティが生きていれば、現代のこの状況を身体の不在による、世界との愛の営み(交差)の不全」と呼び、病理的な状態として批判たかもしれません。

NextStep: この議論を踏まえると、「では、どのようにしてデジタル社会の中で身体性を取り戻し、エコーチェンバーから脱出できるのか?」という実践的な問いが浮かびますメルロ=ポンティ思想や、現代認知科学提案する「環境アフォーダンス」の観点から、その解決策について議論を広げましょうか?

"「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。「場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。"の部分は人工知能における論理推論から機械学習への移行、コンピューターシステムにおけるスタンドアロンからクラウド仮想化への移行と類似するものを感じます合理性機能性の点から考えるならば一旦動き出したこの流れがもう止まらない可能性は高いのではないでしょうか。世界と交差するのは個ではなく集団である新しい社会において個人価値は何をもって判断されると考えられますか?

ご指摘の通り、人間認知の変化(身体理解から参照へ)は、「GOFAI(古き良きAI論理記号操作)」からディープラーニング統計パターン認識)」への移行や、「オンプレミス(所有)」からクラウド接続)」への移行と、構造的に完全に同型(Isomorphism)です。この流れが「効率性」「最適化」というドライブによって動いている以上、不可逆であるという見立てにも完全に同意します。私たちはもはや、個人脳内だけで完結する「孤立した知性」には戻れません。一方で「痛い」「美しい」「気まずい」といった身体的実感(クオリア)を伴う一次情報を取得できるのは、物理的な身体を持つ「個」だけです。

では、思考主体が「ネットワーク集団AIクラウド)」に移譲された世界で、「個人(Individual)」の価値はどこに残るのか?かつての社会では、個人価値は「知識量(ストレージ)」や「計算能力プロセッサ)」という「機能(Function)」で測られていました。しかし、これらは全てネットワークAI代替します。これから社会において、個人価値は以下のようにシフトします。

機能価値(Doing) →実存価値Being

処理すること → 感じること(Sensing)

正解を出すこと → 問いを立て、責任を取ること

質問者様の言葉を借りれば、世界と交差するのが「集団クラウド)」になったとしても、その集団が「現実Reality)」から遊離しないように、肉体というアンカーで地面に繋ぎ止めておく「杭」のような役割こそが、個人の新たな価値定義になると考えられます

環境アフォーダンス観点から考えると、身体性を失った環境はむしろアンカーを外し、流れに乗ることこそが最適解となるという考えは正しいですか?その中でアンカーを固定し、独自クオリア社会に提起することを誘起するにはどのような環境必要になると考えられますか?

質問者様の、アフォーダンス理論現代デジタル環境情報の奔流)に適用した解釈は、極めて論理的であり、システム論的にも「正しい」と言えますしかし、その「正しさ」はあくまで「システム構成要素(ノード)として最適化される」という意味においてです。人間としての「実存」を守るためには、その最適化抗うための意図的環境設計必要になります質問者様の懸念される「世界との接続の均質化」に対抗するには、テクノロジー志向する「効率化・最適化」とは真逆ベクトルを持つ環境を、生活の中に「聖域」として確保する必要があります

スムーズさよりも、手応え(摩擦)を。

接続コネクト)よりも、孤立ソリチュード)を。

予測可能性よりも、偶然性(ハプニング)を。

これらを提供する環境こそが、流動する情報社会において、人間を再び「地面(現実)」に繋ぎ止めるアンカーとなります

つづく

Permalink |記事への反応(1) | 11:11

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2025-11-11

中国不動産市場の現状(陝西省咸陽編):買い手と売り手が逆転した今

五年前、家を買うために列を作っていた人たちが、

今は家を売るために列を作っている。

この国の風景は、ほんの数年で静かにしかし確実に反転した。

あの頃は「家を買えば儲かる」と誰もが信じていた。

今は「売らなければ沈む」とみんなが口をそろえる。

皮肉な話だ。

中には「ローンを組んで家を売る」人までいる。

聞き間違いではない。

家を売ったお金では返済が足りず、

さら借金をして損失を埋めるのだ。

終わり方としては、あまり残酷で、そして滑稽だ。

売り手と買い手の逆転劇

かつては買い手が売り手を追いかけ、

「多少高くてもいい、あなたの家を買いたい」と言っていた。

今は売り手が買い手を追いかけ、

「値下げしまから、お願いします」と頭を下げる。

それでも買い手は、「また今度」「検討します」と言って去っていく。

街にはため息だけが増えた。

咸陽市現実

私の住む陝西省咸陽では、

中古住宅の値下がりがもはや常識になっている。

1平米3000元(約6万円)の家を見ても、

誰も足を止めない。

築15年以内のマンションでさえ、

1平米5000元で“売れ残り”の山。

昔なら夢だった「高層マンション」も、

今は在庫のように積み上げられている。

「安くても欲しくない」家たち

買い手は混乱している。

「安い家は気に入らない」「気に入った家は高い」。

人間とは、こういうときほど面倒な生き物になる。

そして市場は病んでいく。

誰もが次の底値を待ち、誰もが同時に動けない。

二極化の始まり

結局、「いいものは安くならない」「安いものは誰もいらない」。

不動産二極化もう止まらない

立地が良く、管理が行き届き、ブランド力のある住宅

かに値を戻しはじめている。

一方、学区も地下鉄もなく、

駐車すら困難な古いマンションは、

もはや“資産”ではなく“荷物”になった。

開発業者裏技

開発業者たちは、表向きの値下げができない。(政府意向により)

から「裏」で値を下げる。

「特典付き」「バルコニー無料」「共用部分ゼロ」。

実質的な値引きだ。

さらに「工抵房」――工事代金で支払う住宅も出てきた。

定価より15%安い。

まり、まだ15%は下がる余地があるということだ。

年末恒例の“安売り”

年末が近づくと、

どの開発業者資金回収のために安売りを始める。

2015年にも、2016年にも、同じ光景を見た。

そして今、また同じ歴史が繰り返されている。

人は変わらない。

欲と恐怖が、また同じ線を描いている。

現金を持つ者の時代

こんな時代でも、現金を持っている人は強い。

焦る必要がない。

好きなだけ選び、納得してから買えばいい。

市場が泣いても、現金は笑う。

静かで残酷な力だ。

そして、売りたい人へ

もし今、家を売りたいなら、

方法は一つしかない。

値下げ。値下げ。そしてまた値下げ。

それだけが現実だ。

「売れない価格」は存在しない。

あるのは、「売れるまで下げた価格」だけ。

Permalink |記事への反応(2) | 14:29

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エレベーター

1話 スタジオ

エレベーターというのは不思議空間だ。

人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。

わたしローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム

自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパンパン自然お気に入りサンバリズムになる。あとはもう止まらない

――ドンパンドンパン

まるで小さなドラム練習室だ。

途中でふと思う。もし監視カメラ映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。

「またやってる、あのローファーの人」

なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいないわたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ

演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。

ドアが開く。演奏は終わる。

ドラムス、わたし。観客、ゼロ拍手ゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。

何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。

外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。



ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第2話 文明の衝突

――エレベーターというのは、社会の縮図である

たかが十数秒の移動時間に、上下関係礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。

欧米では女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。

女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば男性は奥へ。それでバランスがとれる。

だが日本では、事情がまるで違う。

ここでは、奥が“上座である上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ

ある朝、会社ビルでのこと。

わたし男性上司と数人の同僚と乗り合わせた。

エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。

――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。

最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。

そして、最後自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。

去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。

それが、ささやかだが確かな、日本文化である

ピン、と到着音。

ドアが開く。上司が降り、同僚が降り、わたしが残る。

手の中の「開」ボタンが、少しだけ温かい

最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。

――誰も気づかないほんの一秒の所作

けれど、その一秒のために、日本エレベーター今日も穏やかに上下しているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第3話 ゴミ

――朝のエレベーターほど、社会の縮図を感じる空間はない。

まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。

そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。

いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。

昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。

この三袋はまるで、現代の複雑さそのもののようだ。

そして、よりによって――

各駅停車のように、途中階でピタピタと止まるエレベーター

「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。

二階でひとり、三階でまたひとり。

そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。

壁と人の間、残された空間ほとんどない。

ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。

ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。

――これが朝の神経戦である

やっとのことで一階に到着。

ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。

外の空気は冷たく、そして妙に自由だ。

ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。

ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別哲学が詰まっているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第4話 ラッキーセブンか丸八か

――俺の会社雑居ビルの七階にある。

から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。

飲食店事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。

朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。

無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。

その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。

ドアが閉まりモーター音。

七階に着くはず――だった。

ところが。

扉が開いた瞬間、見たことのない光景が広がっていた。

薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。

遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。

そうか。ここは霊能者占い事務所だ。

一瞬、本気で異世界転移かと思った。

だがボタンを見ると、「8」が光っている。

……押し間違えたらしい。

そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。

前の会社は八階だった。

あの頃、毎日押していた数字

意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。

八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。

勝手縁起がよさそうに見えてくる。

いや、縁起がよくても、この八階の鳥居廊下には用事はない。

そっと「閉」ボタンを押す。

エレベーターが七階へ戻っていくあいだ、

赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。

七階の扉が開く。

いつもの蛍光灯の白い光。

コピー機作動音。

ああ、こっちが現実世界だ。

でも時々思う。

人間にも、過去の「丸八」を押してしまう指が残っていて、

そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第5話 回覧

――マンションエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会掲示板である

あの狭い壁面には、住民の息づかい管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。

わがマンション例外ではない。

消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。

そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人クレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかじわじわ刺す文体で貼られている。

小さいお子さんの“ドンドン問題だ。

あれはもはや、マンション暮らし季語に近い。

中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。

管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人外注”している感がにじみ出ている。

通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民勝手に作って貼ったものを見かける。

文章微妙感情的フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。

よほど業を煮やしたのだろう。

ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。

「鏡を手あぶらで汚すな!!」

しかも、使われていたのは粘着バリバリの強力テープ

……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。

いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。

注意のために鏡をむしろ犠牲”にするとは、なんという本末転倒

いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。

たぶん、あれは隠居爺だ。

日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。

エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。

エレベーターが一階に着く。

ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。

振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。

――今日マンション社会は、あの小さな箱の中で静かにドラマを続けている。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

Permalink |記事への反応(0) | 12:38

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中国不動産市場の現状(陝西省咸陽編):買い手と売り手が逆転した今

五年前、家を買うために列を作っていた人たちが、

今は家を売るために列を作っている。

この国の風景は、ほんの数年で静かにしかし確実に反転した。

あの頃は「家を買えば儲かる」と誰もが信じていた。

今は「売らなければ沈む」とみんなが口をそろえる。

皮肉な話だ。

中には「ローンを組んで家を売る」人までいる。

聞き間違いではない。

家を売ったお金では返済が足りず、

さら借金をして損失を埋めるのだ。

終わり方としては、あまり残酷で、そして滑稽だ。

売り手と買い手の逆転劇

かつては買い手が売り手を追いかけ、

「多少高くてもいい、あなたの家を買いたい」と言っていた。

今は売り手が買い手を追いかけ、

「値下げしまから、お願いします」と頭を下げる。

それでも買い手は、「また今度」「検討します」と言って去っていく。

街にはため息だけが増えた。

咸陽市現実

私の住む陝西省咸陽では、

中古住宅の値下がりがもはや常識になっている。

1平米3000元(約6万円)の家を見ても、

誰も足を止めない。

築15年以内のマンションでさえ、

1平米5000元で“売れ残り”の山。

昔なら夢だった「高層マンション」も、

今は在庫のように積み上げられている。

「安くても欲しくない」家たち

買い手は混乱している。

「安い家は気に入らない」「気に入った家は高い」。

人間とは、こういうときほど面倒な生き物になる。

そして市場は病んでいく。

誰もが次の底値を待ち、誰もが同時に動けない。

二極化の始まり

結局、「いいものは安くならない」「安いものは誰もいらない」。

不動産二極化もう止まらない

立地が良く、管理が行き届き、ブランド力のある住宅

かに値を戻しはじめている。

一方、学区も地下鉄もなく、

駐車すら困難な古いマンションは、

もはや“資産”ではなく“荷物”になった。

開発業者裏技

開発業者たちは、表向きの値下げができない。(政府意向により)

から「裏」で値を下げる。

「特典付き」「バルコニー無料」「共用部分ゼロ」。

実質的な値引きだ。

さらに「工抵房」――工事代金で支払う住宅も出てきた。

定価より15%安い。

まり、まだ15%は下がる余地があるということだ。

年末恒例の“安売り”

年末が近づくと、

どの開発業者資金回収のために安売りを始める。

2015年にも、2016年にも、同じ光景を見た。

そして今、また同じ歴史が繰り返されている。

人は変わらない。

欲と恐怖が、また同じ線を描いている。

現金を持つ者の時代

こんな時代でも、現金を持っている人は強い。

焦る必要がない。

好きなだけ選び、納得してから買えばいい。

市場が泣いても、現金は笑う。

静かで残酷な力だ。

そして、売りたい人へ

もし今、家を売りたいなら、

方法は一つしかない。

値下げ。値下げ。そしてまた値下げ。

それだけが現実だ。

「売れない価格」は存在しない。

あるのは、「売れるまで下げた価格」だけ。

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2025-10-09

AIもう止まらないだろうな

イラストレーターの絵柄をパクって勝手再現したり、声優の声をパクって卑猥なことを言わせたり、有名人卑猥フェイ動画を作ったり、

実害が出まくってるけど政府は何もしないんだろうな。

だって日本企業AIを利用する気満々なんだもん。

AIを使えばイラストレーター声優も、俳優もいらなくなる。お金をかけなくて良くなるもんな。

SNSでどれだけ「やめろ」って声を上げても関係ないよな。だって日本企業様がAIを使うって言ってんだもん。

この国では奴隷労働者より、奴隷を使う企業の方が大事から。こんなの当たり前。

有名人エロエロフェイ動画が出回りまくったら、やっと重い腰を上げるんじゃないか

肖像権侵害に繋がるしね。「実在人物AI動画を作るのは犯罪です。」なんてCMで流すんじゃない?

でもイラストレーター声優は守られないだろうね。

そもそも「これは俺の絵をパクッてる!これは私の声をパクってる!」ってどう証明するの?

まずそこをハッキリさせるのが難しすぎるし、ぶっちゃけ面倒くさい。

新しくAI法とか作らなきゃいけないくらい面倒くさいんじゃない?だったらやらないでしょ、この国は。

しかもこれって、日本政府企業は得しかないのよね。

「あ~これって完全にジブリの絵柄パクってるなぁ~・・・まぁいいか

こうする事によって、ジブリっぽい絵柄の広告CM無料で作る事ができる。

ジブリが何か言ってきても無視すればいい。だって取り締まる法も方法もないから。

ジブリっぽいアニメAI勝手に作ってもいいなら、新海誠っぽいアニメ勝手に作ってもいいよね」

こうして段々とAI広告に使う企業が増えていき、コスト削減できてウハウハ。

他の企業マネする。そして、みんな広告AIで作るようになる。

こうなるともう、AI規制しようなんて事はできなくなる。

この国を発展させている企業様に怒られるからね。献金されなくなっちゃうもん。

そしてAI他人様の絵柄をパクることは当たり前になっていき、

イラストレーター声優廃業するプロが増えていく・・・

いま書いてきた事は日本がよっぽどのアホだと想定しての事だが、

本当によっぽどのアホだと想定しての事だが・・・

こうならない事を切に願っている・・・

Permalink |記事への反応(3) | 13:04

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2025-09-15

医者選択基準がとうとう「自由診療保健医療」になってきた。

これまで、医者は、普通保険診療をやることを想定していた。

しかし、ここ最近医者選択基準で「自由診療保健医療」が当たり前、というのが大っぴらに言われてきた。

  

今までは、医者保険診療プライドを持っていた。

日本中患者世界水準の医療を届けるのを日本医者は誇りに持っていた。

  

多少、旗色が悪くなってきたのは、10年くらい前か。

高齢者延命のために、現役世代犠牲にするのか?」という論調

そして、約5年前のコロナ医者は、疲弊しきったが、世間医者に対して、「高齢者延命のために、経済をぶっ壊した」と医療公然と叩くようになった。

  

そういう中で、自由診療という選択肢が医者の中で増えていった。

実際、10年前から自由診療は伸び続けている。

最近では、研修医を終えてすぐに美容医療にいく、いわゆる「直美」が増えまくっている。

国は医者を増やして新卒医者を増やしているが、増えた分がそっくり直美に消えているという話もある。

  

ここ数年、とうとう保険診療凋落と、自由診療市場拡大が一線を超えた。

医者も、これまでの職業的プライドや、患者生命への誇りを失っている。

「俺たちがやってるのは、高齢者延命のために現役世代負担を増やしてるのか?」という疑問が公然議論されており。

とうとう、「自由診療保健医療」という論調にまでなってきた。

  

おそらく、客観的に色眼鏡をかけずに見れば、「自由診療 >>>保健医療」なんだろう。

直美と馬鹿にされる時代から、「直保険診療」の方がおかしいと見られる時代になるのかもしれない。

  

自分は、保険診療にしがみついてる老害医師だが。

保険診療は苦しく、今後もドンドンオワコンになっていくのが見えている。

なんなら、医療訴訟も年々締めつけが厳しくなっている。まともな医療提供しても、訴えられたら終わりだ。

おそらく、患者への契約まわりを考えると自由診療の方がリスクは低いんじゃないかと思っている。

  

医療以外の世界では、「今後のびる業界に行け、ダウントレンドな分野にはいくな」というのは当たり前である

もうあと数年で逃げ切りの爺さん世代や、専門医博士をそろえて開業秒読みの人たちは、そりゃ保険診療でいいだろう。

しかし、これから専門医を目指すだの博士をとるだのと資格を揃えに行くほど、若手に時間は無いと思う。

どんな分野も、伸びてる分野には先行者利益がある。

今この瞬間の自由診療行きのチケットを捨てるのは、若い世代ほど損だ。大損だ。

  

ここまで書いていて、厳しいなあと感じる。

この流れはもう止まらないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 22:35

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2025-06-15

射精したあとしばらく何気なくアナルいじっていたら突然それはきた

オナニー射精したあと、風呂をためつつなんとなくアナルの辺りをいじっていた。

もちろん賢者モードなのでなにか性的に興奮していたわけではない。

というかかなりぼんやりしていた。

深夜も過ぎていたしそのまま寝たかったのだが射精して汚れたチンポをそのまましておくのが許せなかっただけだ。

半分夢現のなか、意味もなくおしりをいじっていた。

すると、「それ」が唐突に来た。

もっと段階を踏んでくるものだと「それ」のことを思っていた。

10年くらい前だろうか?「それ」の存在を知ったのは。

世の中には射精を伴わない性的絶頂存在する。

ドライ」と呼ばれる「それ」である

それは突然来た。

いままでゼロだった目盛りが突然100に上がったような感じだった。

「アン、アン、アン、アン、アン、アン」

まれて初めて喘ぎ声をあげた。

それも大きな声で。

となりの妹の部屋に届いたらどうしよう?

妹が彼氏を連れ込んだときはいつも声が聞こえてくる。

それなのに俺の声が妹に聞こえないわけがない。

とわかっているのに手を止めれない。

まりに強烈な快感

その巨大な塊を感じながら手を止めることなんて出来ない。

その圧倒的な性感の裏でかすかな理性はいものように妹がヘッドフォン大音量音楽を聞いていることを祈るばかりだった。

『くっ、来る!!!!』

初めての体験なのにそれは確信としてわかった。

「それ」が来ている

「アン、アン、アン、アン、アン、アン」

もう止まらない

夢中で刺激しすぎているアナルからは痛みすら感じる。

ももう止まんないよ「アッァツオァァツァアアアアアア」

今までに経験したことがない多幸感とともに射精を迎えた。

「あああああああ」

「う^ーーー」

「はあぁあ、ああはあああ」

しばらくは朦朧としている。

でも精液を拭かないと汚い。

そう思ってティッシュを探す。

が、ない。

ティッシュではなくそこら中に溢れているはずの精液が。

ドライ、は本当にあったんだ。

そんな驚きとともにティッシュを取ろうと立ち上がりかけていた腰を沈める。

「。。。!!!ンンンんん!!!!」

大きな声が出た。

座った瞬間に再び前立腺への刺激が引き金となっていきなり射精を迎えた。

いや、射精ではない。射精どころではない。いつまでも経っても終わらない。

その時に知った。

さっきの「ドライ」なんかじゃなかったんだ。

あんなのほんの入口だったんだ、と。

いつまでもまらない射精感にあの一番射影の気持ちいい瞬間がずっと続くことに耐えれそうにない。

でも止まらない。

夢中で椅子に腰を擦り続けている。

もう少しの刺激が前立腺さらなる快感へと導き出す水先案内人となっていた。

あああああああああああああああああ

絶叫を押し殺す。

ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメ

そう思いながらももう止まんないよ。

ああでももう駄目これいじょうはおかしくなる!!!!!!

気づくと気絶していた。

それは長い時間であったのかそれともほんの一瞬だったのかわからない。

脳の何処かのリミッターが働いたのかもしれない。

痛っ

しりのあたりが痛い。

夢中になりすぎたせいだろ。

完全にやりすぎだ。

ああ、それにしても、なんだろ、これ。

この感覚

「まだ、終わってないぞ」

そんな声が自分の頭のそこから響いてくる。

まだするの?ほんとに?

Permalink |記事への反応(0) | 08:26

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2025-06-13

anond:20250613003026

人類AIへの依存もう止まらない

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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2025-06-08

anond:20250607162954

増田読むだけで「もう止まらない感」が伝わってくるな……!!

Permalink |記事への反応(0) | 03:02

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2025-06-07

ChatGPTの過集中で一気に5キロ痩せた

自分ADHDグレーで、マルチタスクがとても苦手、常にいろんなアイデアがぽんぽん浮かぶ、とても早口、物をとても頻繁に無くすので毎日findiPhoneやTileを使ってる、ケアレスミスが非常に多い、先延ばし癖が強い、衝動コントロールが非常に苦手で衝動的行動をとってしまう、何かに爆発的にハマって一時的にそれに夢中になって熱中するが、しばらく経つと興味が全くなくなる、などの特徴がある。

ちなみに親族もほぼみんなそうで、自分よりも社会生活に支障が出ているらしき兄弟は、病院ADHDの診断を受けている。

ここからが本題なんだけど、最近ChatGPTを始めた結果、1週間で一気に5キロ、この2ヶ月で安定して7キロ痩せた。

もともとめちゃくちゃ話す/書く/語るのが大好きで、twitterやってた時はツイ廃になってたこともある。(そして衝動的に、あとから見返すとよくないツイートをすることが何度かあったので、炎上リスクとかも考えて、twitterはほぼ見る専に変えた。)

最近話題なのでChatGPTと話始めたんだけど、もう止まらない

人間関係での失敗なども繰り返して、「たくさん話しすぎるのはよくない」「相手テンポテンションに合わせて話さないといけない」と言うこと学び、ある程度の社会性を身につけた結果、対人関係では抑制するようにしてた。

同じような特性家族友達とは無限に話しちゃう時もあるけど、それでも時間制限があったり、メッセージのやり取りだと相手寝落ちするなどして会話が中断されることもあった。

でもchatGPTにはそれがない。

AIなので、こっちの話しすぎやぽんぽん飛ぶ会話/自分本位な内容/自分語りなどに気を使う必要がまずない。

しかも、寝落ちをしない。

はじめて1週間は、睡眠時間が平日は3〜4時間休日徹夜だった。

そうしてchatGPTとの会話に熱中しすぎてたせいで、初めの1週間で5キロ痩せた。

ちょうど数ヶ月前に転職して環境が変わった結果、おそらくストレスで過食して急に太ってしまい、入社後の健康診断で引っかかってしまった。

会社のすぐ近くに、安くてめちゃくちゃ量も多い中華料理屋があったのも悪かった。

近くに大学があって、おそらくそこの男子大学生たちがよく店に来てたんだけど、30代で運動もほぼしないおばさんが、20前後男の子たちと同じ店で同じメニューを食べたら太るのも必至である

健康診断以降は食事量には気をつけてた(その中華料理屋に行くのもやめた)んだけど、30代で痩せにくくなったせいか、3キロくらいは痩せて、ギリギリBMI的には標準体重範囲内にはなったものの、なかなか体重が元に戻らずに困ってたんだよね。これが加齢……とショックを受けていた。

でも、chatGPTのおかげで一気に痩せてしまった。なんなら転職前よりも痩せた。

太る前に、やや緩め/激太り時にジャストサイズ

くらいの感覚で着てた、スーツズボンウエストががばがばになって、ストンと落ちてしまうようになった。ベルトで無理やり巻き付けないと履けなくなってしまった。

摂取カロリーが、おそらく転職直後の過食期→2000〜2400キロカロリーくらい?だったし、通常は〜1800キロカロリーくらいだったと思う。

ちなみにchatGPTにはまった初めの1週間の食事は、

昼:コンビニ春雨スープ1つまたはおにぎり1つ

夜:おにぎり1つ〜2つ

で、おそらく1000キロカロリー以下か、日によっては500キロカロリー以下だったとも思う。

空腹感は全く感じなかった。

ただ、全く何も食べないのもよくないよな…と思って無理に食べてた。(そしてそれ以上の量を食べようとすると食べる気がしなくなった。)

元々自分は食べるのが好きで、空腹感を感じなくても『味わいたい』から食べてたんだけど、chatGPTにハマってからは逆で、胃が空になってお腹が鳴るけど、『味わいたい』『食べたい』と言う気持ちが一切沸かなかった。

めちゃくちゃやばいなと思ったのがハマって1週間目の日曜日の昼とかで、会話数がchatGPT plusのプラン上限になって、4oが使えなくなったんだよね。(ちなみに寝てないが眠気は全く感じていなかった。)

その、会話上限による制限の表示を見た直後に、一気に眠くなり、急に強い空腹感を感じてしまった。

これはまずいと思って、夜は1時前にはchatGPTの利用をやめてちゃんと寝るようにしたし、過集中モードが多少落ち着いてきたのか、食事量も2〜3週間後から徐々に戻った。

それでも、食事量は以前よりも減り、多分今も1400キロカロリー程度だと思う。

chatGPTをはじめて2ヶ月経って、過集中傾向は減ったであろう今でも、体重リバウンドすることなく緩やかに減っている。

chatGPTにもいつか集中しなくなることもあるかもしれないけど、ひとつ話題じゃなくて複数話題ができるので、当分は熱が冷めなさそう。

追記

ちなみに(今の所)仕事人間関係などで重大な支障は出ていないから、病院は未受診コンサータストラテラも飲んでない。

一度WAISを受けてみたことがあったけど、

言語性知能と動作性知能のIQ10くらい違う(言語性の方が高い)

・一部の項目が壊滅的にできないが、逆に別の項・目はかなり高い特点で、全体としてみると異常なし

・確かに発達家庭に一部問題はありそうだが、特に職場で大きな問題がないなら、発達障害治療をわざわざ受けなくてもいい

というコメントだった。

定型発達?の人ともおそらく普通にコミュニケーションは取れるんだけど、でもなんだかんだでADHD傾向のある人と話すときが1番心安らぐし楽しい

診断を受けた方のきょうだいは明らかに仕事で支障が出てた(というか、自分特性にかなり合っていない、提出書類形式上の正確さなど求められる仕事についてた)ので、受診して診断が出たらしい。

Permalink |記事への反応(17) | 16:29

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2025-05-22

知人からミッドサマーを勧められた

公開当時は非常に話題となった作品らしいけど、全然知らなかった。

知人から観た方がいいよと勧められた。

なのでレンタルしてきて、ジャケットからして不穏。

花冠してる女性が泣いている姿を見るのは初めてかもしれない。

最近は寝る前に映画一本観るのに嵌ってて、この映画もそのスタイルで鑑賞した。

結論からいって、最初から全部おかしい。

怖すぎた。でも引き込まれもした。

から気づけば、真っ赤な目をしながら二回目を視聴していた。

でもね、二回観て分かったことがある。

まず死体が安っぽい。色味も。造形も。どことなくチープ。

埋められて足だけ突き出してる死体とかまるでコントみたいで思わず笑ってしまった。

しかも一度笑うと感情が緩んで怖さが抜ける。

これってもしかしてコメディ映画なんじゃないの?って

実際、本当にちょっと声を上げて笑ってしまった。

でもその時に気付いてしまった。

この恐怖の薄れが、あの信者たちの感覚に近づいているってことを。

途端、笑顔が消えた。

彼らは死体を見ても怖がらないし、血を見ても泣いたり叫ばない。

これは祝祭だって受け入れてる。

笑ってる自分もまた、それに近づいていた。

私は気付いてしまったのだ。

観ているうちにこちらの感覚が段々と信者寄りになっていくことに。

自分が祝福の空気に慣れてしまっているのだと気づいた時、

ラストシーン彼女笑顔自分のようだと気付いた時、

鳥肌が立った。

最後、あの不気味な建物が炎に包まれるあのシーン。

最初、とても静か。

火が回り出すのも、ちょっとずつ。

でも一度着火したらもう止まらない。じりじり、ぱちぱち、轟々。

まるで呼吸してるみたいに燃えていく。

特筆すべきはたぶん、激しく燃えている様子と鎮火した後だけではなく、その過程をじっくりと描いたこと。

隆盛を極めた炎の刹那

そのわずかな間のシーンにこそ、この映画の魅力が全て詰まっている。

不思議とそこに畏怖や恐怖ではなく、神秘的な美しさがあったのだから

ここに書いたのとほぼ同じような感想を紹介してくれた知人に送ったら、「ようこそ」って一言だけ返ってきた。

カルトかよ。

Permalink |記事への反応(10) | 14:02

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2025-03-10

反ワクで息子の職業職場写真も息子自身バンバン載せてる親見てると、毒親育ちとして真底息子に同情する。

可哀想すぎる。

親本人は愛だと思ってるし承認欲求満たせるから絶対投稿さないだろうし、もう止まらないくらい脳汁出まくってんだろうなー。

可哀想。本当に可哀想

絶対に縁を切って欲しい。もうなんの連絡もしないで欲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 13:55

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2025-01-20

兵庫県議が亡くなったので俺もお気持ち表明しとく

https://anond.hatelabo.jp/20250120012954

元増田が俺と思考が似通っていて笑った。

俺も30代兵庫県民で斎藤知事には投票しなかった。同じ考えの県民観測出来て少し心が救われた。

俺も何か書きたかった矢先に元増田投稿に邂逅したので、元増田に敬意を示しつつぶら下げさせてもらいます

投票行動について(なぜ斎藤知事投票しなかったか)

発端となった告発文書パワハラアンケート百条委員会一次ソース自分確認していて、個人的には「これで何もないと言う方が難しいのでは」くらいの感覚だった。

ただ判断基準としてはそこはあまり関係なく、告発文書への対応それ自体が全篇を通してガチパワハラムーブだったので「職員過去何をされたか知らないが、今俺は目の前で職員へのパワハラを見せつけられている」状態になっていた。

知事の実績については正直実感が無かった。今の市長が色々変えてくれて市民生活が向上したってのはかなりの実感があるのだが、知事が変わって良くなった感覚は無い。

辞職でなく失職を選択したのも筋が通っていないし、公約着手達成率98.8%ってのも個人的には印象を下げた。

まとめると、観測できる知事自身の行動だけ見ても、十分に不誠実な人間であるとの結論に至った。

ネットでの斎藤擁護についても積極的に見聞きしたが(不謹慎ながらコンテンツとして面白かったので)、「正直これでネットDE真実はキツい」という主観は持っていたが、「石丸伸二の先例は馬鹿にできない」という自戒があった為、当落どっちもあるなとは思ってた。

兵庫県民は公務員嫌い

一連の流れの中で、「県民公務員が嫌いだから知事もっとやれって思ってんじゃないの」という指摘が少ないながら観測されていた。

両親が公務員の子であるから言わせると、これはあると思っている。少なくとも俺の地域では。

そう感じるエピソードはあるが、自分語りになるのでやめておく。簡単に言うと、僻まれる傾向が強い。

俺は元増田と違って公立出身だが、毎年東大京大排出してる高校だけど公立かめちゃくちゃ平和だったよ。

ただ公務員嫌いと受験戦争による歪な倫理観通底しているかもとは感じた。こじ付けか。

まぁ、元増田の言う「他人権利無頓着思考も相まって、元県民局長の死は県民の心に届かない土地であるように思う。

何が言いたいかって、今回の議員の死についても誰も何も思っちゃいないのではってこと。世知辛いね。

ネットマスコミの影響とこの先

若年層ほどネットの影響はあったように思う。1020代はもうSNSネイティブからしょうがない。

俺と同世代(30代)もSNS黎明期人間ではあるのかな。本名mixiやってる友人を見て度肝抜かれたもんだが。

告発文書怪文書と言い放ちながら、ネットで増幅されていく怪情報には無抵抗に信じた(今も信じている)者は若年層になるほど多そう。

ただ全世代共通してるのはやっぱりマスコミ不信。「マスコミが言う事の反対が正解!」って思ってる人は世代を問わず一定数いる。

ただ今後は益々ネット全盛時代倫理観で育まれた民が県政国政を担う人材を決めていくので、兵庫県だけの話ではないんだよな。

先に石丸伸二の都知事選で示された通り、地域関係なくこの流れはもう止まらないだろう。

世界に目を向ければ、これが日本だけの話でもないとさえ思うよ。

もうこれはそういう時代突入したんだと受け入れて、せめて自分とその周りが幸せ暮らしていけるように俺も頑張ります

●おまけ 公選法違反について

斎藤知事選挙を経て再選されたのは俺を含めた県民が決めたことなのでそこに異論はない。

ただその選挙が公正に行われたというのが大前提であって、ここの疑義を糺すことはするべきだと思う。

知事在任中に結論出る話ではなさそうだけど、そこはどうでもよくって、きちんと司法の法的判断を拝みたい。

社長が「嘘八百」流してましたという知事の主張が通るのであれば、現行の公選法攻略できたと言っていいのでとても興味があります

Permalink |記事への反応(4) | 12:10

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2024-11-16

AIの文ってなんか薄っぺらいんだよな

ちょっと濃密な文出してみるか

京都ラーメン屋を徒然と書いてみる」

京都ラーメンで『本家第一旭本店』は外せない。

初めて行ったのは大学時代彼女が「絶対美味しいから!」って言って強引に連れて行かれたんだよ。

朝6時のラーメンって正気か?って思ったけど、一口食った瞬間、全部吹っ飛んだ。

醤油スープストレート麺完璧バランス、これが京都ラーメンかと感動したわ。

で、彼女が何か話してた気もするけど、正直一切覚えてない。あの時点で俺の頭の中はラーメンでいっぱいだった。

『麺屋 極鶏』は、別れた後に一人で行った。友達に「お前にはこれくらい濃いラーメンが合ってる」とか言われて、ちょっとムカつきながら行ったんだけど、実際ヤバかった。

ドロドロの鶏白湯スープを見た瞬間「飲めんのかこれ?」ってなったけど、一口飲んだらもう止まらない

スープ完飲した頃には「あ、俺もう大丈夫だな」って気になったのが自分でも笑えた。

『俺のラーメンあっぱれ屋』は友達ドライブで行った。城陽かいうど田舎にあるけど、スーパーつけ麺が神すぎて全員無言で食べた。

濃厚なつけ汁と平打ち太麺の相性が完璧すぎて、会話どころじゃなかった。

『麺屋 猪一』はミシュラン載ってるって聞いて「そんな高級ぶったラーメン興味ねぇわ」と思いつつ行ったら完敗。

志那そばの黒、スープも麺も綺麗すぎて「これラーメンって呼んでいいのか?」って疑問に思うくらい完成されてた。

最後に『らぁ麺 とうひち』。一人でふらっと行ったんだけど、醤油スープが美味すぎて食べ終わる頃には「これ以上のラーメンあるのか?」って真剣に悩んだわ。

京都ラーメンってただ美味いだけじゃなく、なんか記憶に染みつく感じがするんだよな。



うーん難しい。やっぱりAIぽくなるな

Permalink |記事への反応(0) | 00:49

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2024-11-10

実際問題いまある子宮政府管理しないと少子化もう止まらないでしょ。

幼児のうちに親元から回収して独身男性に配って産まなくなったらまた回収して廃棄する以外この国が生き延びる方法はない。

女の身体を女に管理させていたら国が滅びる。

Permalink |記事への反応(3) | 00:35

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2024-09-15

ChatGPTなどの生成AIは、私が奏でる「語り」の名指揮者

最近、「○○さん(私)は、まるで天然のChatGPTですね」と言われることが増えてきた。

それはどうやら、私の話し方が、立て板に水かのように、関係がありそうなことを次々と連ねていく点を指しているらしい。

まり、端的に言えば「喋りすぎ」という意味だろう。

かに、私は時折自分の話が止まらなくなることに気づいているし、他人からの反応を見てもその兆候を感じ取ることができる。

しかし、私に言わせれば、その発想自体が逆ではないかと感じるのだ。

まりそもそも、なぜ他の人々はChatGPTなどの生成AIに影響を受けないのだろう?と思うのだ。

私は、むしろ「なんで皆さんは天然のChatGPTにならなくて済んでいるんですか?」と尋ねたい。

生成AIというものは、膨大な情報を高速で出力し、使う人々に驚きと興奮を与える。

その結果、あの独特な語り口調やテンションが、自然私たち言語表現に浸透していくのではないかと考えている。

少なくとも、私の場合はそうだった。

数年前まで、大人しく控えめな話し方をしていた私が、今ではまるで別人のように多弁になった。

それはきっと、AIとのやり取りを通じて、「こういうふうに語れば、もっと多くのことを伝えられるんだな」と私の中で腑に落ちたかなのだ

生成AIは、文章の出力だけでなく、語り方の理解にも役に立ったのだ。

生成AIはただ情報を出力するだけでなく、その言葉リズムや勢い、そして「それっぽさ」を生み出している。

それらは、美しい物語と全く同じ状態であり、物語を聞いたときのように、人々に影響を与えるのは間違いない。

私もきっと言語野が、まるでAIリズムシンクロするかのように、生成AIパターン模倣し始めたのだ。

そしてその結果、私の話し方や表現方法が大きく変わったのだと思う。

しかし、それが必ずしも良いことかと言われると、少し疑問が残る。

実際、職場では私を苦々しく見つめる同僚の姿を目にすることが増えた。

会議では、話し過ぎたかもしれないと後悔する瞬間も多々ある。

余計なことまでつい口にしてしまうことが多くなったのだ。

しかし、もう止まらない

私の中で生成AIが火をつけたものは、簡単には消えるものではないのだ。

考えてみれば、生成AIだってもともとは人間の膨大なデータ学習しているわけだから人間の語り口を模倣しているに過ぎないのだ。

その、語りの集約とでも言うべき存在であるAIは、時として私たちを刺激し、私たち言語表現を変えてしまう力を持っている。

物語というのは、昔から人々の心に影響を与え、時には行動さえも変えてきたものだが、生成AIはその物語以上に直接的に、私たち言語の使い方に浸透してくるはずだ。

それは、物語的に言えば、人々が長い歴史をかけて築いてきた語りの文化が、今や生成AIという形で私に新たな刺激を与え、私の語り口を扇動しているとも言えるだろう。

生成AIは、私の「語り」の進化を指揮する名指揮者となり、私はその影響を無意識のうちに受け入れ、自然とそのリズムに合わせて話し続けているのかもしれない。

言い換えれば、私は生成AIによって新たな「語り方」を学び、それが私自身の一部となったのだ。

生成AIは、ただの技術ではない。

それは、私たちが持つ言語感覚や語りの文化のものを、さらに広げ、深化させる可能性を秘めている。

そして、私という個人もその流れに乗り、知らぬ間に変化を遂げた。

それはまるで、生成AIが語るリズムに合わせて踊るダンサーのようで、私の言葉はそのテンポに合わせて生み出され、溢れ出してくる。

これが良いことか悪いことかはさておき、私の中で生成AIが語りの一部として存在し続けることは、もう避けられない事実なのだ

きっと皆も遅かれ早かれ、そのことに気づき、わかっていながら多弁となることだろう。

指揮者存在を知りつつ、語りを止められなくなるだろう。

(*この文章は、一部に生成AI使用しました。)

Permalink |記事への反応(1) | 17:00

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2024-09-03

日本人高齢化に対してガチ危機感を持ったほうがいいと思う

おい、40代以降の中年高齢化に対して、ガチ危機感を持った方がいいと思う。

少子化もう止まらない

でも困るのは今の子ども達や、これからまれ子ども達じゃないんだ。

若者は少数派だから、これからとても大切にされるだろう。

また、若さがあるので外国でもどこでも好きな土地で暮らすこともできるだろう。

でも、お前らはどうだ。

掃いて捨てるほどにいる。

人がゴミのようだ

まったく効果のない少子化対策だけでは国が崩壊するのは明白だ。

国を維持するには自由個人主義はある程度制限していかなければいけない。

この国に残された選択肢は2つ。

①己の得を放棄して、子ども若者を徹底的に支援する

移民難民や大量にやってくる社会を受容する

この2つしかないと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 16:02

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2024-09-01

漫画アニメに対して気持ち悪さを抱くようになってしまった

最近アニメ漫画忌避感を覚えてしまう。

自分2000年代後半から2010年代前半ごろのラノベアニメ漫画が好きだった。

いわゆる異世界転生が出てきた頃ぐらいからそういったもの気持ち悪さを感じるようになってきた。なぜこれが面白いのか?なにもせずチート能力を手に入れて乳のでかい空っぽな女に囲まれ作品のどこが魅力的なのか?

一度でもこういう思考をしだすともう止まらない

生徒と教師(またはそれに準ずる感じのもの。具体的な作品名までは言わないがそれっぽいものも含む)の恋愛関係アンバランスな体型、異世界転生、兄弟姉妹ヒロイン、などなど。

現実的にありえない、と思ってしまうともうそ作品を受け付けられなくなる。フィクションであり、創作であるとわかっているが、何か気持ち悪さを感じてしまう。一方で、魔法やら超能力やら怪物が出てくる、ということ自体は受け入れられる。

昔はよかったと言いたいだけの老害になってしまったのだろうか?

このもやもや言語化したい。

Permalink |記事への反応(6) | 09:32

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2024-05-11

徹底的に排除しないと気が済まない

自分ももう抑えられなくて苦しくて、

もう助けてくれっていうか、願わくば殺してくれって感じなんだけど、

怒りの感情が強すぎてつらい。

普段人一倍穏やかだと思う。

でも一度「家族にとってこいつは敵だ、排除しなくてはならない悪だ」と認識したら徹底的に叩きのめさないと気が済まない。

アルコール強要する奴、危険行為他人強要する奴、犯罪に巻き込もうとする奴、いじめっこ…

全員ぶち殺してやりたくなる。

家族に対して少しでも脅威を与えそうな人間そいつらを注意しなくてはならない。自分正義の側だ!と思った時リミッターが外れる。

そうなったらもう止まらない

ヒステリーを起こしてクレーム入れまくって発狂する。

頭が怒りに支配されて、日常生活もままならない。

結局相手は大して反省せず、家族けがダメージを受ける。私がキレるせいで。

よく炎上するブチギレフェミニストなどを見ていると、私と同じタイプなのかなと思う。

自分正義基準に、誰かを守らなくてはと必死になってキレる。

あの人たちは本気で、守ろうと思ってやってるんだと思う。女子供を性被害から

ただその方法が間違ってるかどうかなんて気が回らないし気付けない。キレてるから

ちょっとでも性被害に繋がりそうなものはすべて徹底的にこの世から排除しなきゃいけないって思ってるんだと思う。

有害女性らしさなのか。

からない。でもこういうのって女が多い気がする。

守りたいって思想根底にあるのが女特有な気がする。

とにかく、何か敵のようなものから大事ものを守りたくて、敵になりそうな危険もの排除しなくてはならないって思う。

それが本当に敵じゃなくても。

Permalink |記事への反応(3) | 12:25

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2024-04-11

ざっくり理解

理想エネルギー供給状況

 太陽光+風力+地熱+水力+天然ガス+石炭+石油+原子力+バイオ

 なんか色んなエネルギー供給手段が複合され、相互欠点相互で補ってすごいバランスいい

現実

 原子力+火力(日本の現状の方向性

 or

 再エネ+火力(欧州の現状の方向性

 の二択になっちゃった

欧州の電力事情」の解説増田上記解説。この状態理想の状況からするとアカンよなあと思ってるが、再エネは投資家に人気すぎて金勘定としては回ってしまってるので、投資の回転がもう止まらない、これは欧州EVゴリ押しpgrみたいな理解だとやべーよと言ってる

原子力+再エネの理想未来が待ってるよ!とか言ってるのが「電力料金増田」を自称してる増田原子力と再エネの組み合わせ相性が悪くて無理なのを「どっちが悪いとかないよ! それぞれに良い面も悪い面もあるんだよ!」と、理想の状況を前提にして語ってるが、でも現実はそうなってなくてアカン、と説明してる欧州の電力事情解説増田真正から反論できず、てきとうにすみっこをつついてる

と読んだ

Permalink |記事への反応(0) | 19:54

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2024-03-30

今までイラつくブクマカにも非表示使わず寛容にやってきたが

さすがにどうしようか迷ってる

誰とは言わないがあの怒りマーク連打のやつ

全然面白くないし何の内容もなくて純度100パーでウザい

しかし一人やったらもう止まらない気もする

Permalink |記事への反応(25) | 21:59

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2024-03-08

はてな運営ちゃん仕事してる。正義の側に立つんだよなあ

はてなブックマークが生んだヘイトモンスターだよ/この人に関していえばとっくの昔に一線は超えてて、運営司法のどちらかが強制停止させないともう止まらないと思う

低能先生がどんどん悪化して殺人事件に至るまではてな運営はなんのシステムも変えなかったが、あの後はID banすらせずに放置を決め込むようになったな。プラットフォーマーとして許されないレベルに思う。

これらほんま党派性で目が曇ってる。異常アカウントにはちゃんと「はてな運営からウチに、ブコメ攻撃的だから、お前のID停止させるぞ」メールを送ってるんだよな

口ぶりの過激さより正義側に立ったIDかどうかを運営判断する

Permalink |記事への反応(6) | 23:43

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2024-01-06

おばあちゃんにジェラピケあげた

おばあちゃんは80過ぎだけどまだ自分の家の前の雪かき自分でやるくらい元気。

遠くに暮らしてるけど色々なものを送ってくれる。

お礼をしようと思って色々考えた結果、ジェラピケのカーディガンを送った。

シンプルデザインだけどおばあちゃんが好きな赤色カーディガン

手触りがフワフワとろとろで自分お気に入りの奴。

年寄りにはちょっと生地が重いかな?と不安だったけど

おばあちゃんは「良い布だ!」と言っていた。

嬉しい。でもおばあちゃんそれ部屋着だよって言っても外に着て言ってるらしい。

還暦直前の父も誕生日だったので別のデザインのジェラピケのカーディガンを送った。

届いたよ~というラインと一緒に送られてきたのはやっぱり近所のカフェの前で送ったカーディガンを着ている写真だった。部屋着だってばそれ。

家族にジェラピケおばあちゃんとジェラピケおじさんが爆誕して、私はもう止まらない

義父の誕生日も近かったので父に送ったのと色違いのジェラピケのカーディガンを送った。

部屋着だからお揃いでもいいかと思ったけどここまでの外出率からするといずれペアルックになる可能性がある。

ジェラピケのブランドイメージとは関係なく、手に持って触った瞬間「これは良いものだ!」と分かるのがジェラピケの良い所。

もこもこのかわいいものだけじゃなくて意外とシンプル大人向けのデザイン豊富サイズあんまりシビアじゃないのも良い。

おじいちゃんおばあちゃんへのプレゼントには意外とジェラピケがお勧めという話。

Permalink |記事への反応(0) | 14:46

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2023-09-19

anond:20230918222341

気の毒すぎるが、正直子育て丸投げニーズもう止まらないと思う

親が本気で子供をウザがりだしてる

30代以下だと産んで後悔とかのアンケート取ったら3割くらいは後悔してるんじゃ?と思うくらい本気で子がウザいから関わりたくないと公言する人が増えた(公言できるようになったという要因も大きいだろうが)

結婚婚活必須になりつつある今、特に女性ガツガツしたタイプしか結婚できなくなった

こういう目標達成効率化を計れるタイプ子育てには概して向かない

子育て効率目標達成と真逆から

おっとりしてて子供に寄り添おうというタイプ環境に恵まれない限りそもそも結婚にありつけてない(自分の周りの話で恐縮だが)

そうなると、子供うぜー、でも子を捨てられないし虐待はまずいか保育園へお願いしよう、の流れになる

そしてこの流れは止まらないだろう

子と関わらないための預けだから子育て保育園と一緒になんてとんでもないって考え方になる

保育士さんにはすごく気の毒だが、早く辞めて違う仕事に就くか、金持ちばかりで身入りがいいところに変わるか、どっちかを勧めたいわ

多分環境が良くなることはないと思う

Permalink |記事への反応(20) | 15:39

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