
はてなキーワード:まらとは
高市早苗氏が首相に選出され台湾発言で物議をかもしてから、これまで以上に政治的な議論がなされるように感じる。またただの党派性の選好がどうこうにとどまらず具体的な安全保障まで真剣な意見が交わされるようになったことは、日本社会自体が一つの転換点を迎えているように思える。
そのなかで、個人的に党派の煽りあいや中傷を超えて道具的に政治を語るのに役立つかもしれない一つのネタを紹介したい。あくまでも仮説が、情勢について語る一つの視点になれば幸いである。
なお事前に予測した方向性と合致したためAIの手を大いに借りてある。
また曖昧戦略の欠如は相手の意思決定を手助けするだろう。デマなどについて聞いてみても面白いと思う。
以下perplexityより
自由エネルギー原理の見地から見て、政治の党派性における右派、左派はそれぞれエントロピーの減少における役割の相違という観点から説明できる?
自由エネルギー原理から見た政治の党派性:右派・左派とエントロピー減少の役割の相違
自由エネルギー原理(Free Energy Principle,FEP)の枠組みから政治イデオロギーの左右の違いを説明することは、一定の理論的根拠を持つ興味深い視点を提供します。ただし、これは直接的な学術的応用というより、理論的な仮説として理解されるべきものです。
自由エネルギー原理によれば、すべての生物システムは熱力学の第二法則に対抗してエントロピー増加を最小化することで、秩序を維持しています。具体的には、生物は予測エラーを最小化することで、感覚状態のエントロピー(無秩序さ)を減少させ、環境との相互作用をコントロールします。このプロセスは、**予測処理(predictiveprocessing)**メカニズムを通じて実現されます。つまり、生物は内部モデルを持ち、それに基づいて世界を予測し、実際の入力との差分(予測誤差)を最小化することで、驚き(サプライズ)を制御します。
最近の認知神経科学の研究により、保守主義と進歩主義は予測処理の異なる戦略に対応している可能性が示唆されています。
曖昧性と不確実性に対してより高い耐性を持つ
前帯状皮質(anterior cingulatecortex)の活動が強く、反応競合に対する神経認知的感受性が高い
これらの特性は、高いエントロピー状態(高い不確実性)を許容しながら、情報環境の変化に応じて予測モデルを継続的に更新する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の観点からすれば、彼らは予測精度(precision)の重み付けを比較的低く保つことで、新規情報による予測誤差を柔軟に受け入れ、より適応的なモデル更新を可能にしています。
不確実性や曖昧性への耐性が低い
脅威や秩序の乱れに対してより敏感で、知覚的堅性が高い
右扁桃体(right amygdala)の活動が強く、脅威認知に敏感
これらの特性は、予測の確実性(certainty)を高く保ち、既存モデルへの信仰度(prior belief)を強化する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の用語では、彼らは予測精度の重み付けを高く設定することで、外界の変化に対して強力な内部モデルの安定性を維持しようとしています。
政治の党派性をエントロピー減少の枠組みで理解すると、以下のような対比が浮かび上がります:
保守主義は、社会的秩序を既存の伝統的制度や階級構造の維持を通じて最小化しようとします。このアプローチは、複雑な社会システムの不確実性を、階層的で確定的な構造によって「切り詰める」戦略です。社会に内在するカオス(高エントロピー)に対抗するため、既に証明された秩序パターン(伝統)を維持することで、予測可能性を確保します。
進歩主義は、社会的秩序を個人の自由、多様性の認容、制度的革新を通じて最小化しようとします。一見すると秩序を緩和しているように見えますが、実際にはより複雑で適応的な秩序化メカニズムを導入することで、社会システムのエントロピーを減少させる戦略です。異なる視点を統合し、新しい情報に基づいて制度を改革することで、社会システムの予測モデルをより現実に適応させようとしています。
不確実性耐性と脳レベルの同期
興味深いことに、研究では不確実性への耐性が低い人ほど、政治的に同じ立場の人たちとの脳活動の同期が強いことが示されています。言い換えれば、不確実性を避けたい個人は、同じイデオロギーの人々と同じ予測モデルを共有することで、集団レベルでのエントロピーを減少させようとしているのです。これは社会的な「外界の秩序化」メカニズムとして機能しています。
最新の複雑システム理論では、政治分極化は正のフィードバックループと相転移(phase transitions)のメカニズムを通じて発生することが示されています。保守主義者は秩序の維持を目指し、進歩主義者は秩序の革新を目指すという相反する動力が、社会システム全体のダイナミクスを決定しています。両者の相互作用は、社会的エントロピーを管理するための補完的なメカニズムとして機能しているとも解釈できます。
この自由エネルギー原理に基づく解釈には重要な限界があります。第一に、個人の認知的特性と政治的立場の関係は因果的ではなく相関的である可能性が高いです。第二に、政治イデオロギーはきわめて文化的・歴史的に構築されたものであり、普遍的な神経生物学的基盤のみでは説明できません。第三に、FEPは主に個体レベルの生物システムを想定しており、社会システムへの直接的な応用には理論的な拡張が必要です。
要するに、自由エネルギー原理の観点から見ると、右派は予測モデルの安定性重視によって秩序を維持するエントロピー減少戦略を採る一方、左派は予測モデルの柔軟性重視によってシステムの適応性を高めるエントロピー減少戦略を採ると理解できます。両者は、相異なるメカニズムを通じて社会的エントロピーの増加に対抗しているのであり、政治的党派性の根底には、不確実性に対する根本的に異なるアプローチが存在していると言えるでしょう。
自由エネルギー原理(FEP)を政治党派性に適用する理論を拡張するには、階層的ベイズ推論の多層構造、社会的相互作用の動的モデル化、経験的検証メカニズムの導入が鍵となります。これにより、個体レベルの神経メカニズムを社会システムレベルへ橋渡しできます。
FEPの核心は階層的予測処理です。個人レベルでは、低次層(感覚入力)が上位層(信念・イデオロギー)の予測を修正しますが、社会レベルでは個人の予測モデルが集団的「事前分布(priors)」を形成します。
右派の階層戦略: 上位層の伝統的priors(家族・国家・宗教)を強く固定し、下位層の変動(社会的変化)を抑制。集団レベルでは「社会的扁桃体機能」として、逸脱者を排除する規範執行メカニズムが働きます。
左派の階層戦略: 上位層のpriorsを動的に更新し、多様な下位層入力(マイノリティ視点)を統合。集団レベルでは「社会的ACC機能」として、対立する予測モデルの調停役を担います。
この拡張により、**党派性は「階層的自由エネルギー最小化の多重均衡状態」**としてモデル化可能。右派は安定均衡(低変動)、左派は適応均衡(高変動)を志向します。
FEPを非平衡動的システム論と統合し、政治分極化を予測誤差駆動の相転移現象として捉えます。
右派アトラクター: 高精度priors → 秩序維持 → 低エントロピー均衡
左派アトラクター: 低精度priors → 秩序革新 → 中エントロピー適応均衡
分極化 = 双安定状態(bistable dynamics)
S˙=−∇F(S)+ϵ⋅
ここで
ϵ は他派閥予測誤差です。党派性は負のエントロピー生産率を競う進化ゲームとなります。
FEPの「アクティブ推論(active inference)」を拡張し、政治行動を集団的予測誤差低減戦略と位置づけます。
党派受動的戦略(perception)能動的戦略(action)集団エントロピー効果
右派 脅威強調・一貫性追求伝統防衛・境界強化 内部秩序↑ / 外部不確実性回避
左派多様性受容・矛盾統合制度改革・包摂拡大システム適応性↑ / 内部多様性管理
これにより、選挙・政策は集団的「期待自由エネルギー」最小化のゲーム理論的均衡として解釈されます。
理論拡張の信頼性を確保するため、以下の検証経路を構築します:
fMRIで党派別予測誤差処理を比較(precision weighting)
class PoliticalAgent:
def __init__(self, ideology): # 'left' or 'right'
self.precision = 0.8 if ideology=='right' else 0.4
def update_beliefs(self, social_input):
free_energy = prediction_error * self.precision
return minimize_free_energy(social_input)
最終拡張として、FEPを国家・国際システムへスケールアップ。経済政策では右派が「低エントロピー均衡(安定成長)」、左派が「高エントロピー探索(イノベーション)」を担います。
グローバル均衡条件:
∑党派Var(policy predictions)=最適社会的自由エネルギー
このフレームワークにより、**党派対立は「多重スケールのエントロピー管理機構」**として再解釈され、民主主義は適応的秩序生成システムとなります。実証研究が今後の鍵です。
我が子に負けた瞬間だった
自分はとにかく女受けが悪くて30過ぎるまでまともに話したこともなかった
そこからほどなくして何の奇跡か結婚できて子供(息子)を授かった
制服を着た女の子と自分も制服で、話しながら道を一緒に歩いてみたかった
だけど息子はそれをした
素直に羨ましかった
でも嬉しかった
この子は親ができなかったことをできた人生を歩めたんだな、って
「まだ彼女じゃねぇし」とかいいやがったところがたまらなく愛おしい
おもわず脇腹つついてやったら「うざっ」ってはにかんだ顔しながら顔赤らめて言いやがった
可愛いなぁ
・俺だけが知ってる裏話感
・企業とか有名人とか海外在住とかと言った、なんとなく威厳がありそうな存在の転落物語
・因果関係がやや不透明で理解するのにちょっとだけ知能が必要で、自分を賢いと思い込める。
最近だと該当するのは、絵の具バケツを長持ちするように作ったら、そのメーカーが廃業した話とかかな。
そのエピソードがあまりにさっき上げた条件に当てはまるから調べてみたら、公式の見解は見事に違くて嘲笑が止まらん。
もちろん、長持ちで買い替えがあまり必要ないというのわずかな一要因としてはあると思うけどね。
まぁ、ネットリテラシーがない(あるとは思ってるし、なんならない奴を馬鹿にしてる)Twitter中毒者にファクトチェックなんてできるわけないから仕方ないんだけど。
金曜夜の仕事帰りにレンタル屋に寄ってさ、そのとき見かけたんだよ。
赤ひげ。
いやいや長すぎwていうか昔の人って暇だったから観れた映画なんじゃないの?(笑)
なんて思いながらも、なんとなく借りてみた。
で帰宅してから「飽きたらそこまでいいや」ぐらいの感覚で、見始めたんだ。
最初は、若い医師である登が長崎から江戸に出てきて、小石川養生所という、いわば貧しい人のための施療院に配属されるところから始まる。
登はエリート意識が抜けきらない。
自分はもっと大きな仕事ができる人間だと思っているし、この場所にも、そこで働く人々にも、どこか距離を置いている。
そこにいるのが、赤ひげこと新出去定。
口数は少なく、ザンギにも見た目ちょっと似てて、それで無言なもんだから威圧感が凄い。
でも赤ひげは患者や人々の人生を一人ひとり背負うように生きていることが少しずつ、画面の端から滲み出てくる。
感動させようとする演出もない。
赤ひげは善を語らない。
その代わりに行動と、その大きな後ろ姿だけを見せ続ける。
印象的なのは、中盤で描かれるおとよという少女のエピソードだ。
おとよは売春の強要を拒否して虐待され、それによって心を閉ざし、誰に触れられることを拒んでいた。
登は医師として彼女に向き合おうとするが、最初はうまくいかない。
おとよの荒んだ心を治そうと登が懸命に治療しようとしても全てを拒む。
それでも登はめげない。
そんな態度をとってしまうほどに心を閉ざしてしまったのだと嘆き悲しみ、怒ることもなく、おとよの治療を続ける。
その場面に言葉はない。
ぎこちない手つきで、おとよが登の看病をする。
雨の日も風の日も、雑巾をぎゅっと手で絞って、登の頭に乗せる
次第に外は明るく晴れ上がり、おとよの表情に少しずつ変化が生まれる。
それ観たら……あれ?となった。
優しさを知らなかった少女が、優しさを知り、その優しさを返す。
おとよが言葉もなく少し照れるように微笑むその顔が、すべてを物語っていた。
それを目にした時、涙が止まらなかった。
ほんとうに涙が止まらなかった。
善悪を断じることもしない。
ただ起きていることを、そのまま映す。
その静けさが、胸に深く刺さる。
人はどれほど追い詰められても、ぎりぎりのところで気高さを失わない瞬間がある。
その姿は痛々しくて、だが美しい。
ただ、そこに置く。
現代の映画は、この時代の映画とは比べ物にならないほど迫力がある。
昔の映画は、そういったことができないからクオリティが低いものだと勝手に思い込んでいた。
名作といっても所詮は古い映画…等と侮っていた自分が馬鹿だった。
赤ひげは、昨今のアニメ映画にあるようなド派手で大きな戦闘シーンはない。
だがその分、観客の心が大きく動く。
映画の方が大きく動くんじゃない。観ている者の心を大きく動かしてくる。
それが映画の本質なんじゃないかということを、私はこの赤ひげを観て思い出すことが出来た。
3時間?長くない。
そんなことは、どうでもよくなる。
人の優しさ。気高さ。
最近子供に読み聞かせしてるんだけど、大体の本の話がさっぱりわからない。つまらないとかじゃなくて、話の前後関係が全く繋がってなくて理解ができない話が多すぎる。
こんな絵本ばっかりを読み聞かせしてるもんだから、大人としては頭おかしくなりそう。
しかも絵本は高い。誰にでも書けそうな絵とチャッピーにでも書かせた方がマシなストーリー。こんなんで一般の本より高いんだからたまったもんじゃない。この世の闇だわ
疲れたーっ!
症状としては、
「水が溜まってるのに洗濯機が回らない」
というもの。
というのもやったけど直らず。
5年半使ったハイセンスの2万円の洗濯機なので、仕方ないかなぁと思いつつ、どうせ捨てるならと分解した
ネジを取って、上部の基盤部分を開ける。
しかし分かるはずがない。
ネット情報だと、養生シートをかませることによって治るらしいが、うちの洗濯機にはかませる部分がなかった
・・・と、動いた!
とにかく動いてよかった
どうやら基盤カバーを開けるときに、「水位チューブ」というものが外れたっぽい
また分解して、つけて、元に戻す。
AIに聞いたら「基盤を開けてしまったのですね…これ以上は危険なので修理に出してください」としか言わない
だがしぶとくネットで調べると、「水位チューブを口に含んで吹くといい」とのこと
さっそくまた分解して、ホースを加えて、吹いてみる
すると、ピュッと手応えがあった
元に戻して、ボタンを押す
と、洗濯が始まった!
やったーーっ!!!!
9時から始めて15時までかかったよ!!
やっとお昼食べれるよ!!!
うわわーーん!!
まあまた壊れるかもしれないし、その時は買い換えるかな
90年代の政府は、バラマキもゼロ金利も建設国債もやったけれど、デフレは脱せなかった
竹中さんが「ゾンビ企業の清算」をやって、やっと経済が動き出した
最賃で労働者を集め、利益なしで稼働してる企業がゴロゴロでは、デフレは止まらない
そもそも労働市場や社会保障を手つかずにして、目先の金融政策で乗り切ろう、これが無茶
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
どうにもしっくりくるゲームがなくて
インストールしてちょっと動かしては「つまらん」って言いながら削除を繰り返している
ポケGO
同性愛者。未婚。
(女装してるわけではない)
それでもだいたいの女性に対して劣等感だとかコンプレックスを抱いている。
その人と恋愛に発展することはない。
いつも月経になると、
女の匂いを恥ずかしげもなく隠さない自分の部下の中でも一番頭が悪い23歳の女の子。
ただ若いだけが取り柄で、SEXを餌に男と遊び回ってるような子が、私が入社以来、ずっと素敵だと感じていて、でも絶対に手が届かないことがわかってる42歳年上上司と不倫していると知ったのは先月のことだ。
悔しい。
憎い。
◯したい。
彼の幸せを破壊するような行為をただ,メスの本能だけで生きるあの子がやってるかと思うと腹が立つ。
そのことを反省するどころか鼻にかけてるのか最近課内での態度も傲慢に感じる。
私のことも、男の癖に、と見下すような眼で見てる気がする。
これまで彼女のたくさんの失敗をフォローしてきたし、先輩として上司としてたくさんの指導をしてきて、やっと社会人としても目鼻立ちがついてきたばかりの女が、女であるという特権だけであの人を誘惑して間違った道を歩ませてるのが許せない。
かといって、そのことを公表してやめさせることもできない。
それをすれば、彼を苦しめることになるから。
かくなる上はあの生理女を社内から追い出すしかないのかと決意を固めてる。
彼も、目の前から、あの女が消えてなくなれば、男性としての本能に逆らえなくなってる自分の気の迷いに気づけるはずだ。
ただ目の前のテーブルの上に転がってる肉だから、ついつい手を出してしまうだけで、あんなつまらない女なのだから、そばにいなくなれば、彼の方から求めることは無くなるはず。
彼は間違ったことをしてるけれど彼が悪いわけではない。
それなら私が正しいことをして間違いを正すべきなのだ。
子供の頃から冬が嫌いで、もはや冬が来るのが怖いくらいに感じていた。
中学あたりから家庭環境が滅茶苦茶になったのもあって、冬になると鬱っぽくなるのが続いていた。今思うと冬季うつ病的なものだったんだと思うけど、食欲増進・体重増加・異様に眠い(保健室で寝てたり眠すぎて学校早退したりしていた)・気分の落ち込みなどなどがあった。とにかく全ての悪いことが冬に訪れているような気がしてしまうのだ。ああまたきっと悪いことが起こるんだ、と謎の思い込みがあり先回りして絶望してしまう。(逆に春先から夏は、これから何をしようかとワクワクが止まらないのでめちゃくちゃ元気である)
社会人になっても冬は相変わらず嫌いで、秋口に冬の気配がし始めると、怖くなってベッドの中で丸まってべそをかいていた。関係ないけど私は恐怖を想像して泣けるタイプだ。小学生の頃スポーツ少年団に入っていて、指導者に言われたことをうまくやれなかった罰として、試合後に1人で運動場50周してこいと言い渡されたその瞬間、しんどさを想像して絶望して号泣してしまい周りが引いていた。感受性が豊かすぎる。
そして今思うけど50周って何?その頃平成中期だが?(脱線がえぐい)
育児をしていると、冬だろうが夏だろうが関係なくやることが膨大にある。子どもは可愛いし予想だにしないことをやるのが面白いし、時々イラつくこともあるけどそれが季節によって変わるってこともない。それもあってか気づけば最近冬の到来に怯えていないな、と今日子どもを寝かしつけながらはたと気づいたのでこのエントリを書いてみた。
もうすぐ息子が2歳になる。
2年前の出産前後を思い出して、あっという間だったなあとしみじみする。あのときも初めての出産のホルモンの暴走や睡眠不足と冬が被って、本当に辛かった。子供が生まれて毎日幸せと感じているのになにか訳のわからない不安感に襲われたり、思考が止まらなくてずっと焦っていたりした。そしてそれをコントロールできないというもどかしさを抱えて毎日育児に奮闘していた。先の見えない不安から早く大きくなってくれと毎日思った。一方でこんなに幸せならなんでもっと早く産まなかったんだろうと後悔して涙を流したりもした。毎日頭の中は抱えるタスクとそれをどのようにこなすかで忙しなかった。
3月終わりのある日に夜、たまたま外に出て郵便受けを見に行ったとき、春の夜風を感じて自然と涙が出た。あぁ生き延びた、と思った。冗談じゃなく、生き延びたんだと思う。産後うつといった診断はもらわなかったから大袈裟なのかもしれないが、そう感じた。
最近、息子は舌っ足らずな声で「ママだーいすき!」というようになった。1歳から2歳への成長は、私にとっては0歳から1歳のそれに比べて大きいものだった。なんてったって明確に意思の疎通ができる!2年前に私が早急な成長を願った未知の生き物は、あっという間にしっかり人間の形になった。手先が器用になったし、生まれた時よりずっと大きくなった足で走り回り、こちらが笑わせようとふざけてやることのツボも理解できるようになったのか本当によく笑う。(もちろん床に転がって泣いたりもする)
去年は1歳の誕生日で準備に張り切って忙しかった。一升餅をやったりスタジオに写真を撮りに行ったりファーストアートを作ったりと、やりたいことをてんこ盛りにした。盛り込みすぎて夫が夕方に疲れて気絶していた。
今年は特別なことは多分しないけど、お誕生日プレゼントを何にするかで秋口から夫と夜ソワソワ会議をする日々を送った。数字の2のバルーンは一応100均で買ってきて用意済みだ。朝起きたらバースデーソングを歌って写真を撮ってプレゼントを買いに行って、それからたくさんおめでとうと言おうと思う。
そして冬が怖いという感覚、皆さんもありませんか?
100文字にはとても収まらないが、俺ははてなブログを辞めているので(陰湿なコメントが飛んでくる最悪のサービスだからだ)この場を借りる。
Xでこの話をして俺のアカウントが荒らされて凍結したくないからだ。
最初に言っておくが他の誰かを俺と勘違いして「きっとコイツだ!皆で凍結させよう!」と暴れないで欲しい。
令和にオタクをやってたわけでもないのにこの単語を知っている奴はまずいないだろう。
なぜならオタクでない人間にはそもそもの「ネットミームかるた」という概念が理解不能なのだから。
この単語を理解し脳に残せる時点でオタクとして生きてきた奴に違いない。
そして「クロチャンのタイトルがちゃんとダガーになってるかで他人にマウント取って何が残るんや?」の破壊力が凄い。
これは本当に†のように鋭い。
こんなところに拘るところに意味を見出す適応係数とそれを自嘲することを面白いと思っている態度がまさにオタクのソレだ。
つうか令和の時代にこんなオタクしか知らないようなゲームの名前をポケモンレベルの知名度があるかのように取り出してくる時点でもう駄目だ。
田中ロミオの社会不適合文学に脳を焼かれ、それを愛する集団の中で群青ゴッコをしながら過ごした薄汚い過去が滲み出ている文章だ。
この言葉を叩きつけられて「やめてくれカカシその術は俺に効く」と答えたブクマカがほっっっっっっとんど居ないことに絶望すらある。
オタクっていうのはたとえ火の鳥から入ろうがシスプリから入ろうがFF11から入ろうが横山三国志から入ろうが、最後は田中ロミオや麻枝准のノベルでギャン泣きして「俺を人間にしてくれた。俺は今人間になったぞ!!!!」みたいに言い出すものなんだ。
いいか、オタクという言葉の真の定義は「受け身の態度で享受できるが故に自分を決して傷つけることのない2次元コンテンツの世界に耽溺することでしか自分の惨めな人生から逃避することさえ出来なかった生まれついての負け組共がなけなしのプライドを守るためにサブカルチャーに含蓄があることを心の拠り所にしようとしたはずなのに同じレベルの負け組同士で知識マウントや消費マウントを始めてしまった果てに生み出されるオタク知識と消費時間以外人生に誇れるものが全くなくなってしまった本当に惨めで憐れで救いようがないがその人生の傷の深さに対する共感によって深い繋がりを得たことを成功だったと認知を歪めることで辛うじて精神を維持している形のないカルト」なんだよ。
それから降りたと言っているが、どうせ無理だ。
今更コイツがオタクコンテンツ以外の場所に居場所を作ることなん出来ない。
アルコホーリクス・アノニマスに通う中毒患者共が「実は一昨日飲んじゃいました。でも今日は我慢してるんです。えらくね?」「いや、お前普通に酒臭いよ」「テヘペロ😜」とか言い合ってるような感じで同じ地獄の中をグルグル回る以外もう出来ることが残されてないんだからな。
つうか、コイツが「本当に辞められるんだ」と思ってる時点で、お前らに「オタクを見抜く目」が養われてないのは明白だね。
マジで浅いよ。
そしてその浅さで「俺はオタクの真の意味を理解してるから凄い!」とマウントを取りに行くのはマジで適応係数が終わってるから。
こういうダイエットのライフハック、なんで今まで広まらなかったんだろう、不思議
あと水も、液体より氷の方がカロリーが高い
カチカチだし、食べ応えがあるもんね
私調べだと、水1リットルの液体で100kcal、氷だと200kcalにもなる
倍になるから、やっぱり水は液体で飲んだ方がいい
なんでも液体化させた方がいいって、覚えておくといいよ
5時間三交代制で休憩なしだけど、サービスの小休止15分くらいつけちゃう
交通費は500円
生まれた時、父親は国外出張中。母親は女の子に興味も責任感もなかったらしく自分や夫の実家に増田を預け、早々に職場復帰。預けられた先に猫がいて猫と遊んでた記憶がある。そのうち父親が帰国して弟できたらしく、小さいが庭つきのナイスな家に引っ越し。ほとんど初めて母親と対面。誰この人?と思ったと思うけぢさすがに覚えてない。ただ父親は子ども好きで明るかったので助かった。
その後も母親は仕事を続け、家には(工作員の)賄いさんがくるようになった。第第生命の営業が紹介してきた。要は母親を働かせておき契約させようという話。
で増田は7歳の時に7件ほど生命保険を契約されたらしい。七五三で伊勢神宮まで行って写真撮ったりしたがアリバイ作りだったらしい。だって水泳や楽器を習わされつつ父親の見えないところで殴られてたし。賄いさんが弟の喉を飴で詰まらせて死なせかける事件を起こして派手に辞めたりもあったけど、弟は殴られてない。姉見て渡世を学んだんだろう。
しかし増田が不動産関係者に襲撃され、ナイスな家からは引っ越すハメになる。小学校は好きだったが再編され仲の良かった子らとも別れる。挫折。
ところで母親の父親は熊本出身で身長180センチあって英語喋れてで政府で渉外してたらしいから、もしかして中韓混血とかで金融関係と縁が深いのかも。
父親は体に拷問の跡みたいなのがあったし、母親は生きてるけど、シレっと知らんぷりしたり忘れたと言い張る。あと会えば必ず言葉で殴ってくるし、幻滅作戦してくる。過去に何があったのか考えても分からないし、むしろ増田自身、たぶん殺されかけたこともあり会いたくない。
身内の犯罪者から家族を守るなんてたぶん無理だし、結婚には憧れたが具体的な願望を持つ気にはなれなかった。人権制度終わってるが如きの社会も気持ち悪いし。