
はてなキーワード:まっしぐらとは
「J-15 =Su-33のコピー」→ 浅い。浅すぎて海底ケーブルより浅い
まず最初に言っとくけど、「コピーかどうか」で語ると大体話がショボくなる
Su系とJ系は“血がつながってる”んだけど、その経路がいろいろとカオスなんよ
デカい、飛ぶ、曲がる、美しい、の四拍子そろった傑作機
でも途中から「やっぱ自前で改修したいわ」という中国の野望が炸裂して
艦載機らしく主脚強化・主翼折りたたみ・尾部フック付き、スキージャンプ発艦想定のガチ空母仕様
中国はSu-33を買ったことはないけどウクライナからSu-33の試作型「T-10K-3」をゲットして
「ほーん、こういう構造してんのか…」と研究しまくった説が濃厚
で、J-15
これが「Su-33のコピー」と言われがちなんだけど、話はそんな単純じゃない
ざっくり言うと―
“J-11Bの国産化ライン+Su-33の艦載機構造+中国独自アビオ&武装”のハイブリッド
つまりコピペってより「フランカー系の海軍向けDIY改造」なんよ
特徴としては:
実際のところは“Su-33のDNAを取り込んだ中華フランカー”ってのが正解
ぶっちゃけロシア本国ふくめてもフランカー系戦闘機の最終進化系みたいなもんよ
ってことで正確にはJ-15はSu-27系ファミリーの中華系統が、Su-33の艦載要素を参考にしつつ、独自アビオ・独自武装で仕上げた“中華空母フランカー”ってことよ
---------------------------------------------------
広義にコピーと呼んでもええくらいには血が濃い感じ。スペースインベーダーのコピー基板(ゲーム内容には少し手を加えられてる)くらい?
重要なのはJ-11Bでエンジン・アビオニクスの国産を達成したってことよ
ぶっちゃけ日本の保有戦闘機でJ-15,15Tに対抗できるのF-35だけなんよ
F-35A,B(40機) >?J-35(既に配備開始の噂)>>>第5世代の壁>>> J-15(150機以上) =?F-15J JSI(J-MSIPから68機をアップグレード予定2028年以降) >>>F-15J J-MSIP(100機) >>>>>>>>F-15J Pre-MSIP(100機)
ちなJ-20は毎年100機増えてる
はっきり言うけど、ノーコードをバカにする、「ピュアなシステム屋」って呼ばれる人たち、マジで事業の何一つ理解してないだろ。
はてブとかTwitterでよく見かけるんだ。「いやー、ノーコードでやってるヤツって、システムの構造美とかわかってないよね。所詮おもちゃ」とか、「レガシー化まっしぐら。プログラミングの理論を学べば、あんなツールに頼らなくてもいいのに」とか、澄ました顔で言いやがる。
聞く耳持たねぇな、お前ら。
あんたらが話すのは、リファクタリングとか、将来的な拡張性とか、理論上は完璧に回るけど誰も見たことのない「永久機関システム」の話ばっかりだ。システム構造の美しさだけを愛でて、そのシステムが動かす先にある、埃っぽい工場とか、クレームだらけの品質管理現場とか、納期に追われる総務の顔とか、一切見ようとしない。
結果、どうなるか。
あんたらピュアなシステム屋が作った、理論だけは美しいシステムは、現場の泥臭いフローを無視するから誰も使えないゴミになる。で、挙句の果てに「現場がITリテラシー低いから」って、現場を馬鹿にして終わる。
うちの会社もそうだよ。IT部門が「完璧なシステム」を作ろうとして大失敗中。なにも成果物ができあがってこない。
で、今どうなってるか?
総務部とか品質保証部みたいな、本来システム開発とは無縁の部署が、「君ら事業理解あるでしょ?」って、DXの片棒を無理やり担がされてるんだ。
システム知識なんてゼロ。予算もろくにつかない。与えられるのは「ノーコードツール」だけ。でも、俺たちみたいな部署の人間は、なんとか仕組みをつくれる。事業がどういう仕組みで動いているか、どこに無駄があって、誰が何に困っているかを知っているからだ。それが俺たちの本来の仕事だからだ。
事業を知っているから、ノーコードツールで必死に現場の「紙とExcelとFAXとメールの混合物」を、「とりあえずここに入力さえすれば、全部自動で完結する」仕組みに落とし込もうとするし、それができる。
俺がやってるのは、ロジックの美しさなんてクソ食らえの世界だよ。
・工場長に怒鳴られながら、紙の作業指示書を電子化するフローを練る。
・倉庫の奥にLANが届かないから、延長ケーブルを引っ張って物理的に回線を引く。
・出来上がったシステムを、使い方を間違えないように現場のオッチャンたちに口酸っぱく指導し、「使ってくれてありがとう」って頭を下げて回る。
その結果、出来上がったシステムが、あんたらの言う「属人性の塊」だろうが、「スパゲッティ・ノーコード」だろうが、知ったことか。紙と手打ちExcelの地獄より、百倍マシだ。
俺たちのシステムは、見た目は汚いかもしれないが、実際に回っている。
あんたらが熱心に語る「理論上完璧なシステム」は、結局いまここに存在しないじゃないか。人の話も聞かず、現場にも行かず、べき論や「俺が知ってる最強のシステムの話」しか議論できないシステム屋に、ノーコードをバカにする資格なんて、どこにもないんだよ。
歳をとったら、すっかり落ち着いてしまった、と思う。
希死念慮は随分薄れ、落ち込む事もあるけれど、一晩寝ればなんとかなる。
言いたい事も言えるようになった。怒る事もできるし、不愉快なら不愉快と言えるようにもなった。
自傷したいという衝動は今もあるし、たまにやってしまうけれど、フラットに生きる事ができる時間がかなり長く続くようになった。
私がずっと望んでいた事なのに、同時に日々の感動ややる気、そういうものがすっかり消えてしまったようにも感じる。訳もなく見えるものが全て美しいように見える事も、今この時がずっと続けばいいのにとか、色んな思いをそのまま文章にして、誰にも読まれない小説を書いたり。そういうものが全てなくなってしまった。感情が溢れる事がなくなってしまった。
全て、まあこんなもんか、とか、何者にもなれない事に焦ることもなく、こんな人生もありか、とか。
それはとても良い事だと思うのに、つまらない。つまらなくて、日々をただ消耗してるだけ。そしてそれになんの疑問も抱かず穏やかに生きている。
平和ボケしてると言えばそれまでで、日々を必死に生きている人達からすれば贅沢な悩みだ。だったらせめて人に役立つ事とかでもすれば、と思いつつ、いいじゃん別にと怠惰な方へと流れる。
結婚もしてない、子供もいない、パートナーと呼べる人もいない、孤独死まっしぐらだというのに恐れつつも諦めて、世界から取り残されているのではと不安になるけれど、私の周りにいる人が他人である事、彼ら彼女らが決して私になり得ない事、私の存在を脅かすものではない事を知ってしまっている。(思い込んでいる)
この世界に意味を全く見出さなくなってしまった。生きる意味なんてどこにもないとも思うようになった。
死にたいとかではない。今の私は死ぬのが怖くすらある。例えば、死んだ後に燃やされる事に対して、もし生き返ってしまったら、とか、そんな可能性の低い事を恐れてみたり。
今まで書いた事が、全て歳をとった事に起因するのなら、私の悩みは何だったんだろう。昔の私だったら全て意味づけて、私の苦しみを意味のないものにするなんて絶対許せなかったし、受け入れられなかっただろう。
そもそも、若い時の私は世界に苛立っていたけれど、世界は何も最初から私に意地悪ではなかった。文句は言いたいが、たまたま、だとか、偶然に文句をつけても虚しくなるだけだ。
歳をとって、経験を積んだ事により許容範囲が広がったのか?いや、私はどんどん意地悪偏屈になっているし、平気で他人に嫌味を言えるようになってしまった。
心の中にどうしようもない幼い自分がいるのは日々感じている。
気力がなくなったのだ、というのが一番分かりやすい結論だし、それが一番しっくりする。苦しみを手放す事は許しだけじゃないのかもしれない。体力がなくなった時もあり得るのか。
苦しみを土台にした、キラキラとした世界には帰りたくない。ただ記憶がある限り遊園地のようなそこをもう一度もう一度と、思う。
「積極財政=円高」でも「積極財政=円安」でもなく、条件次第。
教科書ベースだと“円高要因”になりやすいけど、実際の日本では“円安要因”として働くことも多い
…という、けっこうややこしい話です。
ここではざっくり、
政府が支出を増やしたり、減税したりして、需要をガンガン押し上げる政策(財政拡張)
と思ってOKです。
その結果、
景気は刺激されやすい
マクロ経済の標準モデル(IS-LM・マンデル=フレミングなど)だと、
「金融政策が動かない/引き締め方向じゃない」前提で、財政拡張をすると:
「拡張的な財政政策は、金利を押し上げて通貨高を誘発しうる」と整理されています。
という説明は“かなりアリ”です。
ここがポイントで、現実は「財政だけ」で動くことはほぼなく、必ず金融政策とセットになります。
大規模財政出動(補正予算など)+日銀の大規模緩和(量的緩和・マイナス金利)
日米金利差は拡大
最近の日本でも、「責任ある積極財政」を掲げる政権に対して、市場は『景気にはプラスだが、円安や金利上昇のリスクも』と見ています。
財政拡張だけなら円高方向の理論もあるけど、実際には日銀が緩和を続けたりすれば、“トータルでは円安材料”と見なされる
という状況が多いです。
投資家が、
「しっかり成長させて税収も増やす筋のいい財政だ」と思えば→ 中長期的な通貨の信認が上がり、通貨高要因
「ただのバラマキで、財政悪化・国債暴落が怖い」と思えば→安心して資金を置きにくく、通貨安要因
になります。
同じ「積極財政」でも、中身とセットの金融政策次第で方向が真逆になりうるわけです。
👉 近年の日本はこっち寄りのケースが多かったので、
インフラ投資・教育・技術開発など「将来の供給力を高める」タイプの財政拡張
その割に国債残高だけどんどん増える
国際的に「将来のインフレ orデフォルトリスクが怖い」と見られる
→安全資産としての魅力が落ちて、通貨安(円安)要因になってしまうこともあります。
まとめると:
理論的には
金融政策がニュートラル~やや引き締め財政だけ拡張 →円高方向の圧力がかかる、という説明ができる
今も「積極財政 →円安・金利上昇リスク」という見方が市場にはある
なので、
A. 単体では“円高要因になりうる”けど、実務的には
という感じです。
高市新総裁が「ワークライフバランス捨てて馬車馬のように働く」って言ったら、案の定ネット民がブチギレてて笑える。
「馬車馬のように」に反応してる奴、「鹿の次は馬!?」とか「中小企業の社長に流行りそう」とか言ってるけど、お前らマジで働く気ゼロかよ。「ブラック国家の爆誕!」って騒いでる奴もいるけど、今の日本の現状見えてる?
GDP世界4位に転落、賃金30年停滞、一人当たりGDPは韓国に抜かれそう。この状況で「ワークライフバランス大事!」「働きたくない!」って、正気か?
中国は2019年まで996(朝9時から夜9時、週6日)で死ぬほど働いてたけど、今はEU規制や政府の取り締まりで「強制退社」に切り替わってる。でも成長期にガンガン働いて今の経済力築いたのは事実。
韓国も年間労働時間が2001年の2458時間から2023年は1904時間まで減ってるけど、それでもOECD4位で日本より長い。そして韓国経済は成長してる。
昭和の日本人は馬車馬のように働いて世界2位の経済大国作ったのに、今の日本人は「働きたくないでござる」の精神で衰退まっしぐら。
「過労死心配」とか「karoshiがさらに世界的に有名になる」とか言ってる場合じゃねーんだよ。過労死心配する前に、このままじゃ国が死ぬわ。
働かないで豊かになれると思ってる奴らのお花畑っぷりがヤバい。成長してる国は血反吐吐いてでも働いて結果出してんだよ。日本だけ「ゆるく生きたい」とか言ってる場合じゃない。
バランス取るのは成長してからでも遅くないだろ。今は這い上がる時期なのに、みんな休みたがってる。
マジで終わってる。
はたらく細胞については臆面もなく読んでると言う人多いがあの現象何なんだ。ほんらい普通にオタ向けで読んでたら軽蔑まっしぐらの作品だろ。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250910183458# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMFGQwAKCRBwMdsubs4+SEP0AQCYztY/brAD60IUBQSt4RGEhOH7Jhwvz0J0FNwVRV03XwEAv5wHRxkpHs6OrN8r2bswxM353IsQMCha/ZLAaTF1WQc==3Jgd-----ENDPGP SIGNATURE-----
ぶつかりおじさんにも何通りかあり、誰彼構わずぶつかる狂犬派、弱そうな人(女など)を選んでぶつかる快楽派、通路の進行方向指示に逆行するなどのルール違反者にぶつかる世直し派などいろいろが存在する。それぞれが「イライラしてたから」「気に入らないタイプの相手を見つけたから」など独自のトリガーで発動したりしなかったりする。これらのタイプを総称して能動型ぶつかりおじさんと呼ぶことにする。
意図してぶつかろうとは思っていないのにぶつかってしまう事がある。こちらは受動型ぶつかりおじさんと呼ぶ。ぶつかる意図がないのにぶつかりおじさんと呼ぶのは抵抗があるが、ぶつかりおじさんと呼ばれるの人(事象)の一類型ではあるのでしょうがない。私見では受動型が発生する原因は男性側の不注意もあるが多くの場合は女性側の行動にあると思ってる。多く、とか書くとソース出せとかいろいろ言われるだろうけどそんなのはない。ぶつかりおじさんにまつわる話を読んでればそういう傾向を感じている人が少なくないことはわかるはず。自分は意図せず男性とぶつかった(ぶつかりそうになった)事は数回しかないが対女性では何十回もある。こちらが気付いてギリギリで回避しなかったら相手の女性が線路に落ちてたのでは?みたいな事も何回かある。まあこの話はキリがない。納得のいかない人は「多く」を「一部」と読み替えて欲しい。
女の人側の問題として、周りを見てない and/or身体感覚がないから(荷物を含めて)自分がぶつかるのかどうかの判定ができない、また普段から優しく扱われる事になれてる(甘やかされてる)から自分が避けるという発想がないなどというのはすでに多く語られている。
それに加えてもう一つ大きな要因として、猪突猛進傾向があるのではないかと考えている。
猪突猛進と言うと男性的な性質だと思われるかも知れないが女性は自分の進みたい方向を定めると周囲の人流を無視してそこにまっしぐらに向かう。
例えばこんな経験をしたことはないだろうか。車一台程度の幅の狭い道で自転車がお互い左側通行ですれ違おうとする時、あなたの右側を通過するはずだった対向の女性が急に車線変更するようにあなたの正面に移動する。このままでは正面衝突する。仕方がなくあなたは右側に移動し、女性をやり過ごす。なぜこんな動きをしたのだろうと振り返るとその女性は右折していた。
こんな感じで女性は「右折したい」と思えば対向から人が来てようが構わず右折に最適な経路を取ろうとする。自転車の例としてはもう一つ、混雑した場所に出くわしてしまった時、決して減速もせずに乗ったまま無理矢理通り抜けようとするのもやはり女性に多い(これは男女共通にも思えるが男性は減速くらいはすることが多い)自転車の例を2つ挙げたが前者については歩行時にも同様だ。周囲の状況によらず目的地に向かってまっしぐら、つまり猪突猛進である。
これらの傾向・特徴が組み合わさる事で多くの「ぶつかり女候補」が発生する。大抵は相手が避けるので候補は候補のままで終わるがやはりたまには実際にぶつかる。候補から見事「ぶつかり女」に昇格しても相手が男だった場合は間髪を入れず「ぶつかりおじさん被害者」にクラスチェンジしてしまう。これにより多くのぶつかりおじさん冤罪が発生している事は問題だと思っている。ちなみに女同士の場合については私による観測事例数は少ないものの、ぶつかりの衝撃が小さいのでお互い気にしないか少し迷惑そうな顔をして終わっているようだ。正面衝突寸前でハッと立ち止まるケースも何度か見ている。
ぶつかり女が発生するメカニズムの根本が自己中心的で客観視できないという性質なのでまさにその性質が理由となって今後も改善される事は期待しにくい。男性諸氏は今後もぶつかり回避の努力を継続するのは当然(できる側がやるしかないので)として、せめて世間にぶつかり発生の原因についての理解が広まり、受動型ぶつかりおじさんを不当に非難しないようにしてもらいたい。
ぶつかりおじさんにも何通りかあり、誰彼構わずぶつかるクレイジースタイル、弱そうな人(女など)を選んでぶつかる快楽派、通路の進行方向指示に逆行するなどのルール違反者にぶつかる世直し派などいろいろが存在する。それぞれが「イライラしてたから」「気に入らないタイプの相手を見つけたから」など独自のトリガーで発動したりしなかったりする。これらのタイプを総称して能動型ぶつかりおじさんと呼ぶことにする。
意図してぶつかろうとは思っていないのにぶつかってしまう事がある。こちらは受動型ぶつかりおじさんと呼ぶ。ぶつかる意図がないのにぶつかりおじさんと呼ぶのは抵抗があるが、ぶつかりおじさんと呼ばれるの人(事象)の一類型ではあるのでしょうがない。私見では受動型が発生する原因は男性側の不注意もあるが多くの場合は女性側の行動にあると思ってる。多く、とか書くとソース出せとかいろいろ言われるだろうけどそんなのはない。ぶつかりおじさんにまつわる話を読んでればそういう傾向を感じている人が少なくないことはわかるはず。自分は意図せず男性とぶつかった(ぶつかりそうになった)事は数回しかないが対女性では何十回もある。こちらが気付いてギリギリで回避しなかったら相手の女性が線路に落ちてたのでは?みたいな事も何回かある。まあこの話はキリがない。納得のいかない人は「多く」を「一部」と読み替えて欲しい。
女の人側の問題として、周りを見てない and/or身体感覚がないから(荷物を含めて)自分がぶつかるのかどうかの判定ができない、また普段から優しく扱われる事になれてる(甘やかされてる)から自分が避けるという発想がないなどというのはすでに多く語られている。
それに加えてもう一つ大きな要因として、猪突猛進傾向があるのではないかと考えている。
猪突猛進と言うと男性的な性質だと思われるかも知れないが女性は自分の進みたい方向を定めると周囲の人流を無視してそこにまっしぐらに向かう。
例えばこんな経験をしたことはないだろうか。車一台程度の幅の狭い道で自転車がお互い左側通行ですれ違おうとする時、あなたの右側を通過するはずだった対向の女性が急に車線変更するようにあなたの正面に移動する。このままでは正面衝突する。仕方がなくあなたは右側に移動し、女性をやり過ごす。なぜこんな動きをしたのだろうと振り返るとその女性は右折していた。
こんな感じで女性は「右折したい」と思えば対向から人が来てようが構わず右折に最適な経路を取ろうとする。自転車の例としてはもう一つ、混雑した場所に出くわしてしまった時、決して減速もせずに乗ったまま無理矢理通り抜けようとするのもやはり女性に多い(これは男女共通にも思えるが男性は減速くらいはすることが多い)自転車の例を2つ挙げたが前者については歩行時にも同様だ。周囲の状況によらず目的地に向かってまっしぐら、つまり猪突猛進である。
これらの傾向・特徴が組み合わさる事で多くの「ぶつかり女候補」が発生する。大抵は相手が避けるので候補は候補のままで終わるがやはりたまには実際にぶつかる。候補から見事「ぶつかり女」に昇格しても相手が男だった場合は間髪を入れず「ぶつかりおじさん被害者」にクラスチェンジしてしまう。これにより多くのぶつかりおじさん冤罪が発生している事は問題だと思っている。ちなみに女同士の場合については私による観測事例数は少ないものの、ぶつかりの衝撃が小さいのでお互い気にしないか少し迷惑そうな顔をして終わっているようだ。正面衝突寸前でハッと立ち止まるケースも何度か見ている。
ぶつかり女が発生するメカニズムの根本が自己中心的で客観視できないという性質なのでまさにその性質が理由となって今後も改善される事は期待しにくい。男性諸氏は今後もぶつかり回避の努力を継続するのは当然(できる側がやるしかないので)として、せめて世間にぶつかり発生の原因についての理解が広まり、受動型ぶつかりおじさんを不当に非難しないようにしてもらいたい。
回文増田はときどきJ-POPの歌詞の一部や曲名、アーティスト名を引用するかたちの表現をとる
(例)
岡本真夜「TOMORROW」
時間があったらって
いつ時間があるのかしら。
そう思うとシクシクって泣いちゃいそうだけど
涙の数だけ強くなるでお馴染まないぐらい岡本真夜さんなのよ。