
はてなキーワード:まぜそばとは
ところが前日の金曜、参加予定の人から突然
「インフルエンザになったので不参加で…」
と連絡が。
私はめちゃ心配して「お大事に」と返信し、会場に人数変更をお願いしたりとバタバタ。
なのに周りのみんなは妙に冷静で、なんとなく違和感…。
どうも“他の面子と話が噛み合わなかった理由”が全部そこに書いてあったのでちょっと書いておくよ。
「来週は忘年会だけどどうしよう…」
「行きたいような行きたくないような…」
完全に“不参加の理由探し”が始まってる。
いや、その人は肝機能の都合で「食事制限してるから食事なしで参加できる?」って参加の相談しただけ。
結果参加は見送ってもらってますよね…?
どう解釈すれば“参加しない人の分まで割り勘になる”って発想になるんだろう…。
ここで私の中の違和感が一気に爆発。
外出できる元気はあるのね…?
昨日ふつうに出掛けてたじゃん?
いやいや行動力!
この日はメッセで「明日はたまたま◯◯さんのの誕生日だからサプライズでプレゼント準備しよう」という話題を私が初めてふったんだよね。
つまり、11/29の日記の“プレゼント代”への不満と整合性が完全に迷子。
その“個室”どこから出てきた…?
ここで周りが四面楚歌。
実際は12/5に不参加連絡してたよね?
嘘をつくひとは嘘をついてる感覚って無いもんなんですかね?
忘年会自体はめちゃくちゃ楽しかったので結果オーライなんだけど、
ってメッセージ送るつもりだったんですよね。
周りの人はリアタイで日記読んでたんだろうな…なんか…いろいろ察してしまって、言葉が出なかった。
なんだかなあ…。
去年の秋、高幡不動のまぜそば屋でなんとなくXを眺めてたら、突然、推しの訃報が流れた。
箸が止まって、器の端に音を立てるように落ちたのを覚えてる。
死因は明かされていないし、明らかにしたいわけてもないが、10年も追ってれば何となく分かる。
とにかく、死んだ。
また新曲聴けると思ってたのに死んだ。
またライブに行って曲聴けると思ったのに死んだ。
まずは、ひたすら残っている映像を見た。インスタライブからラジオまで、恐らくWEB上に公開されているものは全て見た。
彼女が好きだったもの、伝えたかったことを全て心に刻もうとひたすら見た。
ラジオやXで紹介していた、高円寺のドッグベリーは本当に自分にとっても居心地が良くて、ああ、自分の感性に推しがいるんだって温かい気持ちになった。
必死にインスタに載っけてた写真から場所を特定したりもした。笑えるくらい全部居心地が良かった。
推しが生まれた地で宿泊をして、こんな朝日を見たんだなって思ったり、推しが好きな水族館に行ったりして、大好きなスナメリを眺めた。
ふと入ったカラオケで推しの曲が流れてた時は、なんだか繋がったような安心感があった。
そうして、1年が経った。
未だに、インスタライブや曲をふと聴くと胸が悲しみで溢れそうになる。
だけど、1年間、推しの感性に触れ続けて、一つの答えが出た気がする。
「音楽ができなくなったら、生きたいのか死にたいのか分からなくなると思います。」と言っていた。
この言葉が全てで、
推しはむしろ、その狭間で生きるための選択をし続けてくれていた。それはファンや自分以外のために。
必死に発声障害に向き合って、生きたいのか死にたいのか分からない中、最後の力を振り絞って生きようとしてくれた。
私は、最後まで生きる理由を探してくれた、推しに感謝の気持ちしかない。