
はてなキーワード:はてな界隈とは
はてな界隈でたまに「上級国民」とか「地主」って単語がネタで飛び交うけど、たぶん自分はそのどれよりもしょぼい。
高祖父だかそのまた上だかが、維新のころに爵位をもらっている。
今どき華族と言ってもピンとこないだろうけど、簡単に言うと「歴史があるだけで、金がない家系」だ。
うちの家にあるものを並べると、だいたいこんな感じ。
そして、どれとも釣り合っていない、安物のこたつと量販店のテレビ。
親戚が集まると、年寄りたちは「この壺は昔は……」「この家もねえ……」と過去の話ばかりする。
ただ、固定資産税の話になると、一気に声が小さくなる。
没落って、こういうことを言うんだなと思う。
フルネームはさすがに書けないが、いかにも「旧華族の末裔です」と言いたげな名字をしている。
初対面で名字を名乗ると、だいたい二種類の反応が返ってくる。
1. 「あれ? どこかで聞いたことあるような……」と首をかしげる人
2. 「すごい名字ですね!」と、すごいのかどうか自分でもよく分からない感想をくれる人
たまに、歴史オタクっぽい人が「もしかして、昔の○○伯爵家と関係あったりします?」と聞いてくる。
否定すると嘘になるので、「まあ、そんな感じです」と曖昧に笑う。
そこから先の会話は、だいたい盛り上がらない。
現代における伯爵家の末裔なんて、インターネット回線を引いた一般庶民だからだ。
「貴族っぽいこと」を期待される場面はたまにある。
親からは、「せめて姿勢だけは良くしなさい」と小さい頃から言われてきた。
姿勢を良くしたところで、奨学金の返済が免除されるわけでもないのに。
没落貴族にも、一応それなりの悩みがある。
- 古い家を解体すると、親戚筋から「ご先祖様に申し訳ない」と言われそう
- かといって、このまま持ち続けると、固定資産税と修繕費で確実に詰む
- こっちは、「キラキラじゃない、でも読める名前」にしたいだけ
- 山の中にある先祖代々の墓をどうするかで親が揉めている
庶民的な悩みと、どうでもいい由緒の板挟みだ。
その瞬間、全員のテンションが目に見えて下がる。
「この家、次の代でどうするんだ?」
本音を言うと、「ガチ貴族の末裔です」と自己紹介しても、人生の何の役にも立たない。
就活のときにちょっとバクチで話してみたが、面接官の反応は「へぇ〜」で終わった。
それでも、家系図と古い写真と、やたら重い家訓みたいなものだけは残っている。
「常に誇り高くあれ」とか、「家名を汚すな」とか。
誇り高くあれと言われても、リモート会議でカメラオフにしてユニクロのスウェットで座っている。
家名を汚すなと言われても、SNSには普通に愚痴を書いている。
それでも、どこかで「まあこんなもんだろ」と諦めて笑える感じだけは、貴族っぽいのかもしれない。
なにもかも右肩上がりではない歴史を、家ごとまるっと抱えているという意味で。
たぶん、この増田を読んでいる人のほとんどは、「ガチ貴族」なんて言葉とは無縁だろう。
でも、代わりに「実家が自営業」とか「よく分からない家業」とか、「なんとなく守らされているもの」がある人もいるはずだ。
を迷っている感じは、階級とか由緒とか関係なく、だいたい同じだと思う。
こちらはただの「よろしくガチ貴族」だが、没落ルートを先に歩いている先輩として、一つだけ言えることがある。
でも、どちらか一つしか持てないわけでもないから、ときどき古い写真を見て笑ってやればいい。
CASE泥棒とか誘拐とかの冤罪は気にしないのに痴漢の冤罪は気にする人って何なんだろうなと思う。態度が一貫していないよね。自分が助けられなかった側に回って初めて理解するんだろうな。
痴漢の冤罪は日常空間で誰にでも降りかかり得るし実際それでえらい目にあった人の話も聞くし…ってだけの話だろうにバカじゃないのか。
事実として痴漢冤罪は証言だけでも勾留されるし、そうなったら社会的に無傷ではいられないので「逃げるのが正解」という対処法が流布されたことがある。それはしかし悪手だろうし自分がこういう現場に居合わせたら逃げるのではなく申し開きせよというスタンスでやむをえず制止に協力するだろうが。
まごつく気持ちは分かる。
この手の外形的共通点を言い立てるクソバカ論法って何なのかな?
「香港の民主化デモを称揚するくせに国内のSEALDsとかのデモには冷笑するのは矛盾だ!」ってマジで言う奴、はてな界隈には大勢いたよな。
最近だとtogetterで、なんか電車内で変なヤカラに絡まれた身障者がテンパって催涙スプレー撒いたみたいな事案で
「撒いたのが催涙スプレーだからまだ大事に至らなかったが、ガソリンだったら大惨事だった!新宿西口バス放火と同じ重罪だ!」とかマジで言ってるやつがいた。うん、撒いたのがガソリンじゃなかったから大惨事じゃなかったけど、撒いたのがガソリンだったら大惨事だったね。
10年・20年・30年・50年・100年と物差しのスケールを切り替えればそれはわかること。
そのへんの歴史的俯瞰の視点があれば、意識なんて簡単にアップデートできるんですけどねえ。
はてな界隈には、
大好きな人が多い。
その割には、実際の自分の価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。
最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単に理解できることのはずなんだけどな。
どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。
あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。
なんだかなあ、、、と思う。
世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議。
俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。
そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会に認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの。
でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。
自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?
とはいえ、未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。
価値観のアップデートの反動みたいなものが来ることだってありえるから。
トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観のアップデートをダウングレードさせる方向へと持ってく可能性だってある。
それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。
いけないんじゃないですかね。
馬鹿でも生きてたら色んなことを思う。しかし馬鹿は何も考えられない。考えることと思うことには、算盤でべんりに計算することと、算盤をシャカシャカ振ってたのしくなることのような違いがある。
東本昌平の「キリン」が某アプリで全巻無料になっている。最初のエピソードを読んでみたが、ずっと思わせぶりな意味不明なセリフと意味不明なポエム調のナレーションとともにバイクで走るだけで面白くもなんともない。
理屈じゃなくフィーリングを表現してるんだよ、そういうアートなんだよと言い訳するのは簡単だが、だったら意味不明ポエムなんかなしにじょうずなバイクの絵だけのサイレントマンガでもいいはずではないか?言葉をおかしな使い方するな。
作者は自分でもよくわからないポエムを書いてなんか深遠なことを言った気になって、読者はよくわからないポエムの雰囲気に溺れてなんか自分だけは理解したような気になって、共犯関係で気持ち良くなっている。実に気持ち悪い。
なにかに似てると思ったらはてな界隈の政治談義である。馬鹿が知ったかぶってるうちに自分でもなんか意味のあることを考えた気になる。そんな馬鹿同士で論壇ごっこしてますます勘違いを深めていく。
馬鹿がいい気になって愚にもつかないことを述べてる時に「いまの〜のくだりはどういう意味か?具体的に何のことか?」といった質問をすると、馬鹿は自分が言ったことなのに何一つ説明できずに発狂することが知られている。
この問題、最近はてな界隈でもホッテントリの話題になってて、女性向け漫画の一シーンが例として挙げられていた。登場人物が「私ここで吸う権利あるから」って平然と煙をくゆらせてるところに、主人公の女がブチギレて水ぶっかける。漫画としてはめちゃくちゃ感情揺さぶられる名シーンだった。
で、じゃあ自分が「妊婦のそばでタバコ吸う」についてどう考えるか?と問いかけられたとき、たいてい直感的に「そりゃダメだろ」とか「喫煙エリアに来る方が悪い」と即答したくなる。でも「考える」ってそういう直感の確認で済ませて良いのか、本当に大事なのはそこから先だ。
ぶっちゃけ、人は大体「自分の立場」からしか物事を見てない。今もタバコ吸ってる現役喫煙者か、昔は吸ってたけどやめた元喫煙者か、はたまた一度も吸ったことない非喫煙者か。その分類だけでも意見分かれるの当たり前。自分がどの立場からものを言ってるかを、まずちゃんと意識しろよって話。
たとえば現役喫煙者が「妊婦がいても吸ってOK」と言うとき、それはもう自分の都合で物を言ってる場合が大半だし、非喫煙者が「絶対NG」と断じるときもまた同じ。スタート地点がどっちかで結論はすでに8割決まってる。
ここで大事なのは、自分の直感とは逆サイドにも一度ちゃんと立ってみること。たとえば「吸うのはアリ」と思っちゃったなら、「ナシ」派の理屈を本気で考えてみる。逆もしかり。それをやってるうちに、正直、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。喫煙ルール、権利、健康被害、社会の許容、弱者への配慮…論点をリストアップしだすとキリがない。「考える」って要はそのカオスのなかで迷子になる過程そのものだ。
小中学校の漢字練習みたいに、ひたすら同じ字を書いてると変な字に見えてきて訳分からなくなる。あの感覚に近い。何度でも咀嚼して、何度でも立場を入れ替えて、それでもなお「やっぱ最初の結論でいいや」となるなら、まあそれはそれでいい。でも大抵は、途中で「あれ、何が正解だっけ?」と分からなくなるものだ。そこまでいって初めて「考えた」って名乗れるんじゃないか。
だから、「俺はこう思う!」と勢いで断じるだけじゃ、まだ何も考えてないと言える。「意味分からん…」と途中で思考が霧に包まれたら、それがむしろ正しい。大事なのは、そのもやもやに少しでも正直であることじゃないのか。
明日2025年8月28日に、メタルギアシリーズの最新作であるメタルギアソリッドデルタがいよいよ発売される。
これは2004年に発売されたメタルギアソリッド3スネークイーターのリメイク作品である。
私元増田のようなメタルギアファンからすれば、今年最大のビッグニュースである。
メタルギアシリーズにもいろいろあるが、3が史上最高だと思うし、その3が21年ぶりにリメイクされるのも納得できる。
はてなブックマークのアニメとゲームのカテゴリーでもメタルギアソリッドデルタを扱うニュースは圏外である。
不満を抱えてる人たちに対して、分かりやすい解決策を提示してる。
それが正しいか間違ってるかなんて関係なくて、ちゃんと届いてるってところが大きい。
無農薬とか反ワクとか、いかにも非科学的に見えるテーマを扱ってるけど、
そこに共感する人たちは一定数じゃなくて、むしろ結構なボリュームを持ってる。
でもそれだと「そもそも自民党に不満を持ってる層」しか相手にできないから、パイが小さい。
一方で、反ワクや無農薬みたいなテーマって、政治に直接関心がなかった人まで引き込める。
だから実際には、自民党アンチよりもずっと大きな層を取り込めてるんだよね。
はてな界隈の人たちからすれば、科学的に間違ってるとか陰謀論っぽいとかツッコミどころ満載に見えるかもしれない。
でも、現実にはそういう「科学的じゃない」部分のほうが、社会的な影響力を持つことがある。
現状認識として正しいと思うけど、その出力先がはてな界隈しかないってのがなんか不幸だな。
老人会で「お前らは思い込みに凝り固まったどうしようもない老人会だ!」って本当のことを言ってもその先何も起きない。資質的にはX以下の馬鹿しかいないし。
でも個人ブログに書いても誰の目にも触れないし、Xに書いても誰にも理解されない。
たとえバズったとしても二、三日ほど通知がうざったいだけで無に戻る。馬鹿が何も考えずにふんいきでイイネしてるだけだから。
彼らはエコーチェンバーと言われても独自のエコシステムを持ってる。一匹狼にできることはなにもない。
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これへのブコメもいっぱしの教養人のつもりでヤレヤレしてみせてるものが多く救いがない。和式リベラルフィルターバブルの中で一生安穏としてるつもりの人たち
シンプルにすげえクズですげえバカなだけだが、こういう輩は当然の批判を受けると「でも本音を言っただけダカラ〜」とか、不貞腐れてなんの言い訳にもなってない言い訳をする。
そしてコレを一種のリアリズムのように受け取って知ったふうに頷くブクマカたち。
あのなあ、「もう初手で殺しちゃえばいいじゃん」なんていうのは「それができるんなら世話ねぇわ」という絵空事中の絵空事でしかないんだよ。
この手の「当人はリアリズムだと思ってる単なる幼稚な意見」ってどこの何の現場でも、ほんと邪魔なガラクタでしかないから。